今、16日の零時半ですが、15日の文章から、さらに7000字以上を書き足して、一応の終わりとさせていただきます。誤変換は、16日の午後三時ごろまでに、直しておきます。もう一度、そのころ、覗いてやっていただけますと助かります。
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ところで、私は政治ものを書く人間ですが、一方で、一種のエッセイストというか、芸術の香りを残したいと願っている人間です。それゆえに、前報で描いた映画『甘い生活』のようにエピソードが積み重なっている作品が好きなわけですね。で、この文章も最初は、心理学の問題として始まります。タイトルもお菓子の名前が冠してあります。それが、7000字で、それ以上、は、すべて政治の問題となります。では、よろしく。
副題1、『東鳩キャラメルコーンの悲哀』(ローンと子育て)
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副題1、『東鳩キャラメルコーンの悲哀』(ローンと子育て)
最近ニュースで、北朝鮮では、チョコパイが一種の通貨になっているという話が出ました。お菓子が北朝鮮の人民の苦労を反映しているのです。気の毒に。
が、私にとっても、つらい体験があり、その象徴としてのお菓子が東鳩キャラメルコーンです。どうしてか、私の文章が影響力が強いみたいで(笑)、この10年間、このお菓子が消えてしまいましたが、油で揚げたとうもろこし系のふわふわの黄色の塊の周りに生キャラメルを絡めたもので、おいしいです。
ところで、私が子そだて中のお若いご両親(とくにお母さん)に絶対に勧めたいのは、子供が小さいときのご近所づきあいです。非常に面倒くさいですけれど、これをやっておかないとだめです。今、引きこもりがものすごく多いでしょう。あれは、30年前、または、40年前に、お母さんが、ご近所づきあいを面倒くさがってやらなかったご家庭から頻出していると感じます。遠くのお受験塾とか、お稽古事教室の付き合いだけで、済ますほうが、目的意識が共通していたり、生活のレベルが同じで、楽でしょうが、それだけでは、子供の生活が単純になり、子ども自身に応用力がつかず、したがって、後年、パニック障害を起こしたり、引きこもったりします。誰も報酬をくれないし評価もくれない分野が子育てにはたくさんあリます。で、やりながら疑問や矛盾や、孤立感をいっぱい感じると思います。が、それをはしょってはだめなのです。
2 それと、もうひとつお勧めしたいのは、世の中の標準とされている生き方に従うのも、子供が小さいうちは、大切なことだという点です。今回例証としてあげるお宅のお母さんは、ご自分は、お父さんが戦死されていなくて、母親の手ひとつで育ちました。だから、貧乏の中で、倹約して育ちあがったのです。で、それを現代(といっても、戦後の1970年代ですが)にも押し通し、袋菓子の類を買わない生活をしていました。それでも、このお母さんは、フロイドのいわゆるエディプスコンプレックスの典型で、ご長男の方はかわいくて、ごく普通のコースをたどらせたので、問題が起きなかったのですが、下の女の子には、「幼稚園に行かせないで置こう」と家庭内で、提案したのだと思います。夫婦の力関係なんて、他人にはうかがい知れないものですが、たぶんこのお宅ではかかあ天下で、普通なら女の子がかわいい...はずのお父さんも、その提言に従ったのです。
特に一戸建ての家を買ったばかりです。そこには誇りがあります。「家を若くして買ったのだから、私たちは平均より上です。で、別のところで、家計を締めましょうね」といったのだと思われます。それは、一見すると道理にかなっています。
だけど、子供がひどくかわいそうです。というのも周りに同年代の友達がいません。ここはね。幼稚園には行かせて、お母さんが内職をするとか、または、三時間だけ、近所のお店のレジうちをするという形で、通園費を稼ぎ出した方がよかったでしょう。お嬢さんに対して正しい愛があったら、絶対にそうすると思う。だけど、このお母さん自身が小さいときに、回りから大切にされていないので、ご自分に愛が少ないことに気がつかないのです。
3 さて、そのお宅が、そのように決意した影に、近所に私がいたということは絶対に勘案したでしょう。きっと計算の中に入っていたはずです。「あそこはいつも保育園か、幼稚園みたいに子供が集まって遊んでいるわ。あそこで遊ばせておけばいいのよ」と、夫婦で言い合ったはずです。その頃の私は、徹底的な奉仕型でした。
もし、そのお母さんに普通のレベルの愛情があったら、毎日、6時間程度、我が家だけで遊ぶのですから、「すみませんねえ、いつも、お世話になって」という言葉とともに迎えに来てもいいと思う。それが過保護に思えるのなら、それとなく、お買い物の帰りによるのでもいいのです。
ここで、お礼を要求するのは、私の方こそ、けちみたいで、恥ずかしくて言いたくないのですが、毎日の温和で丁寧な交流を抜かすと、ドカーンと、たまった不安が大きなことを引き起こしてしまうからです。
子供って、ただ、遊んでいるように見えても、その安全の維持とか、そのほかに、絶対に目を離せないところがあって、安全で楽しい環境がないと遊べないのですよ。そういう環境を用意するためには、相当な労働が、やっている側の人にはかかっているのです。実際には、介護費を払う老人を面倒見るのと同じことで、それだけ預けたら、やはり、一時間、800円ぐらい相手のお金を使ったと考えたほうがいいと思います。よく「ただほど怖いものはない」といいますでしょう。このケースもやはり、そういう形でおわりました。このケースだって、幼稚園代を出して、普通の形で育てた方が、そのお宅にとってもお子さんにとっても、ずっと得だったでしょう。
問題はそのお嬢さんが、我が家の袋菓子に異常にこだわり、やがて盗んでまで食べるようになったことなのです。普通の形とか、ルールで暮らしていれば、小さい子に駄菓子屋に行かせるお小遣いを上げるとか、または、親が用意した十時や三時のおやつが、出ますよね。ところが、そちらのお宅では、通園火を惜しむぐらいですから、買ってあげてない模様なのです。特にご近所から『あそこは貧乏だよ』とみなされているお宅でない限り、普通の形で、育てるのが普通のことです。
普通のお宅では、よそこの子が遊びに来たら、袋菓子を、菓子皿に移して供します。また、他人が誰も来ていなくても家族内で、何かのおやつを食べることはあります。で、よその家に遊びに行っても、我が家で、普段日常的に、そういう習慣があれば、異常に強くほしがることもないでしょう。ましてや私に隠れて盗み出すほどとなることもないと思います。
有名私学に通っている中学生のケースでも親が異常に吝嗇で、(または、信念からお小遣いをあげないので、つらい立場に置かれているお子さんをマクドナルドで、見たことがあるのですが、子どもは、普通のルールで育てないといけません。絶対にそうしないといけません。
もちろん、あなたが中産階級とも言えなくて、徹底的に貧乏だったら、特殊な形でも仕方がないです。だけど、そういう場合はお子さんはまともに育つでしょう。かえって、親切にしてくれるお宅で、盗みなどはしないでしょう。苦労をして働いて暮れている、親が悲しむことを知っているからです。
お母さんが働いていないのですから、金銭的には、十分に余裕があるのに、愛情が足りないから、ケチをしているのです。だから、子どもが素直に育っていません。
ここでね。親の愛の多寡も問題になってきます。親から愛されているお子さんは、ちゃんとよそのおばさんの言うことも聞くのです。横浜時代に預かったご近所のお子さんで、こういう問題で言うことを聞かなかったお子さんはいません。皆さん、お互いの配慮が十分だったし、ともかく『自分の子供がかわいい限り、ご近所様も尊敬して置かないとだめだ』という感覚があったのです。ところが、このよこすか時代の子育てにおいては、力関係で判断する人が多かったのです。『こちらが力関係上、上なら、相手が奉仕しても、当然じゃあない』と言うような感覚が蔓延していました。不思議ですが、そうだったのです。
4 私もね。そのお嬢さんがいうことを聞いてくれれば、助かったでしょうね。問題が紛糾しなかった。だけど、親に愛されていない子特有の、すが目でちらを見る感じで、声を出さない子で、彼女が私の発する「後で、ちゃんとあげるから待っていてね。おばさんは、決まったおやつの時間に食べてほしいのよ」という言葉が、彼女に、わかったのかわからないのかが、私には、ちっともわからないし、相変わらず、お菓子は、なくなっているしで、仕方がなくて、私の方が、お菓子を隠すようになったのです。
ところが、どんなに高い場所に隠しても、いつの間にか見つけてしまうのです。そして、主人の机の下とか、へんなところで盗み食いをします。それが、五歳の女の子で、うちの三歳の娘を手下とします。それは、本当に嫌なことでした。非常にいやだからやめさせたいのですが、どうしても防衛できません。
そして、ある日二階の押入れの下の段に入れてあった客布団の上で、やられちゃったのです。しかもお菓子は、例の生キャラメルで包まれた東鳩のキャラメルコーンです。私もこの時は、本当に頭に来ました。成人した娘が言ったことがあるのですが、「お母さんが切れると怖い」と。大変我慢強くて、そして、口は達者ではないほうですから、たいていの場合は、こちらが、我慢します。
が、我慢の限界が切れると、怒鳴ったりはしないで、ずっと我慢していた長期間に観察してきたことを、理路整然と説明しますから、呼ばれた相手のお母さんは、恥を目の前につきつけれられることとなります。いわゆるぐーのねも出ない形でね。
毎日毎日のことだから、毎日お迎えに来て、毎日御礼を言っておけばよかったのです。絵馬を惜しんではいけません。そうして置いたら、これほど、固定化する前に、「お宅で、お菓子どんなものを上げていらっしゃる。お嬢さん、東鳩のキャラメルコーンが異常に好き見たいね」とか、言う普通の世間話の中で、このトラブルをうまく解決する何らかのヒントを、相手に、与えることができたでしょう。お母さんだって、「異常に、好き見たいね」という言葉で『あ、そのお菓子は、買ったことがないから、このお宅で、ほしがるのだ』とわかるはずです。そして、自宅でも買ってあげるようになるでしょう。それで、うまくいくのです。
しかし、このお宅はまったく違う解決方法をとりました。いやみたっぷりで復讐の味わいの濃いものです。
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・・・・・これが、実は瀬島隆三に利用され始めます。近隣トラブルを利用して言論弾圧をするのは、ここあたりから発生していると感じている私です。・・・・・
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5 その日、以来絶対にお嬢さんを外へ出さないようになったのです。私はね。自分の子供と同じくらい他人の子供を愛しているから、非常にこたえました。私は、愛されていなかったそのお嬢さんが両親にこっぴどくしかられて、家から絶対に出してもらえなくなったと想像して、本当に苦しみましたよ。
今思うと、「今日は遊べないのよ」とでも、3日ぐらい言ってみる。それで、問題があることに、親に気がつかせる? そういう手もあったかなあ? とは思いますが、そういう策略を持つ精神と、子育ての実際の現場で、人の子を預かって、いろいろな奉仕をする精神とは合致しないのです。策略家には、子どもはなつかないし、その家が、遊び場になるはずもないのです。私自身が、素直一方だから、子供たちは我が家に集まるのですから。
いやね。この件を相手方からだけ、聞いた人は、「ええっ、五歳の子を泥棒扱いをしたの。失礼ね」で終わりでしょう。だけど、そこまで我慢をした三ヶ月のこちらのつらさが、その言葉の中では、抜けています。最大に努力をしましたよ。
はっきり言って、とても切ない思い出です。
私ね、このお相手との間では、この件は、もう解決をしないのです。40年以上過ぎていますし。残念ながらそうです。ただ、願わくばあのお嬢さんが、親を反面教師として、十分にお菓子を子供に与える子育てをしていてほしいと思います。時間を区切ることは大切ですが、それこそ、今なら、チョコパイ一個ぐらいとお茶かミルク。そして、相手がどんなにお金もちそうでも、ご馳走になりっぱなしではだめです。それって、本当の意味では、誇りを捨てたこじき根性ですよ、でね、これから、子育てをするご両親に言っておきたいです。必ず、平等にしておくことです。お菓子などの費用の面、面倒を見る時間(=労力)・・・・・これらをすべて平等にしておくことです。
それから大切な二つ目のこと。内々の家計はどういう風に個性的でもかまわないのですが、ご近所と接する小さいお子さんには、ごく平均的な生活を与えることが必要です。そこをケチってはダメです。
そして、相手が弱く見えても、のしかかったり甘えすぎたりしないこと。・・・・・・これもお話をしておきたいです。
この問題は地域差があるかなあ。人口密度が濃い都会ほど、洗練をされているとは思います。東京の23区以内だったら、これほど、一方的に、特に幼稚園まで行かせないで、カッコウの託卵みたいに相手に預けっぱなしにしていたら、そっちの方が「怠け者みたいね、変よ」と、批判をされると思う。それから、この鎌倉のこの山でも、上手にやっていらっしゃいますよ。ほとんどの家が、60歳以上の老夫婦となってきたのだけれど、一軒だけ、小さいお子さんのいるお宅があります。で、二人子供のいるママ同士で、4,5人のグループを作っているみたいです。この山は車が入ってこないので、道路や空き地を使って遊ばせるのに最適です。だから、そこに週に、2,3回は、ママたちも一緒に子供が遊びに来ていました。
そうなると、おやつのこととか、面倒見・・・(おもちゃを取り合ってけんかをしたり、ふと物を投げたりし...て、ぶつかったりするときにそれはだめよ)と注意する必要があって、これもまた、言うことを聞かない子がいると大変な重労働となりますが、それ)・・・を分担し合えるからです。毎日ではないし、こちらのお宅が宿になるので、一番負担が大きいとは思うけれど、お母さんがたが、みんなついてきているので、おしゃべりをする楽しみもあるでしょう。女の人はおしゃべりをしながら考えをまとめて行ったりするのです。で、おしゃべりが、人間を鍛えたり、発達をさせたりする、ひとつの道となっているケースも多いからです。毎日ではなくて、かつ、お子さんの年齢が上になるほど、集合する回数が減ったように思いますが、それもごく自然なことでしょう。
それとね。家があってこその安全な子育てだともいえますね。シェルターとしての家、さらにそれが、もち家だと、社会的に幅が利きます。だけど、お母さんが遊んでいて、働かないで居て、それで、通園費まで削ってはダメなのです。もし、あの子が幼稚園にいっていたら、それなりに、誇りがあるでしょう。だから、判断能力もついてきて、『お菓子を盗み食いするのはダメだ』と自分でわかってくるはずなのです。し、週に4日は午後三時ごろまで、幼稚園に居るのですから、こういうことはおこりえませんでした。
又、この御嬢さんの場合は、幼稚園に通っていないからこそ、子供集団の中で、年上となっていて、三歳から五歳までだと、その子だけが、飛びぬけて発達しているわけですね。30を過ぎたりしている大人だったら、年齢による差なんてほとんど、感じられなくなるものです。が、このくらいの年齢だと、たった、一才違いでもまるで違います。だから、年上の子が、強い指導性を発揮してしまいます。それも、こんな困った事態を招いたのでした。
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この後では、以下のような文章が続きます。それは、上にスクロールをしていただくか、または、左のカレンダーで、16日をクリックしていただけますと出てきます。
副題2、『私道を、市に寄付するので、実印を押してくださいと頼まれる』
副題3、『役所を、利用しきる、彼ら、元参謀たち』
副題4、『法務局も、国会図書館も、瀬島龍三の言うなりである』
副題5、『近隣関係トラブルを、利用しまくる、これらエージェントたち』
副題6、『水道山のただどり・土地取得の方法を、言おう』
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ところで、私は政治ものを書く人間ですが、一方で、一種のエッセイストというか、芸術の香りを残したいと願っている人間です。それゆえに、前報で描いた映画『甘い生活』のようにエピソードが積み重なっている作品が好きなわけですね。で、この文章も最初は、心理学の問題として始まります。タイトルもお菓子の名前が冠してあります。それが、7000字で、それ以上、は、すべて政治の問題となります。では、よろしく。
副題1、『東鳩キャラメルコーンの悲哀』(ローンと子育て)
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副題1、『東鳩キャラメルコーンの悲哀』(ローンと子育て)
最近ニュースで、北朝鮮では、チョコパイが一種の通貨になっているという話が出ました。お菓子が北朝鮮の人民の苦労を反映しているのです。気の毒に。
が、私にとっても、つらい体験があり、その象徴としてのお菓子が東鳩キャラメルコーンです。どうしてか、私の文章が影響力が強いみたいで(笑)、この10年間、このお菓子が消えてしまいましたが、油で揚げたとうもろこし系のふわふわの黄色の塊の周りに生キャラメルを絡めたもので、おいしいです。
ところで、私が子そだて中のお若いご両親(とくにお母さん)に絶対に勧めたいのは、子供が小さいときのご近所づきあいです。非常に面倒くさいですけれど、これをやっておかないとだめです。今、引きこもりがものすごく多いでしょう。あれは、30年前、または、40年前に、お母さんが、ご近所づきあいを面倒くさがってやらなかったご家庭から頻出していると感じます。遠くのお受験塾とか、お稽古事教室の付き合いだけで、済ますほうが、目的意識が共通していたり、生活のレベルが同じで、楽でしょうが、それだけでは、子供の生活が単純になり、子ども自身に応用力がつかず、したがって、後年、パニック障害を起こしたり、引きこもったりします。誰も報酬をくれないし評価もくれない分野が子育てにはたくさんあリます。で、やりながら疑問や矛盾や、孤立感をいっぱい感じると思います。が、それをはしょってはだめなのです。
2 それと、もうひとつお勧めしたいのは、世の中の標準とされている生き方に従うのも、子供が小さいうちは、大切なことだという点です。今回例証としてあげるお宅のお母さんは、ご自分は、お父さんが戦死されていなくて、母親の手ひとつで育ちました。だから、貧乏の中で、倹約して育ちあがったのです。で、それを現代(といっても、戦後の1970年代ですが)にも押し通し、袋菓子の類を買わない生活をしていました。それでも、このお母さんは、フロイドのいわゆるエディプスコンプレックスの典型で、ご長男の方はかわいくて、ごく普通のコースをたどらせたので、問題が起きなかったのですが、下の女の子には、「幼稚園に行かせないで置こう」と家庭内で、提案したのだと思います。夫婦の力関係なんて、他人にはうかがい知れないものですが、たぶんこのお宅ではかかあ天下で、普通なら女の子がかわいい...はずのお父さんも、その提言に従ったのです。
特に一戸建ての家を買ったばかりです。そこには誇りがあります。「家を若くして買ったのだから、私たちは平均より上です。で、別のところで、家計を締めましょうね」といったのだと思われます。それは、一見すると道理にかなっています。
だけど、子供がひどくかわいそうです。というのも周りに同年代の友達がいません。ここはね。幼稚園には行かせて、お母さんが内職をするとか、または、三時間だけ、近所のお店のレジうちをするという形で、通園費を稼ぎ出した方がよかったでしょう。お嬢さんに対して正しい愛があったら、絶対にそうすると思う。だけど、このお母さん自身が小さいときに、回りから大切にされていないので、ご自分に愛が少ないことに気がつかないのです。
3 さて、そのお宅が、そのように決意した影に、近所に私がいたということは絶対に勘案したでしょう。きっと計算の中に入っていたはずです。「あそこはいつも保育園か、幼稚園みたいに子供が集まって遊んでいるわ。あそこで遊ばせておけばいいのよ」と、夫婦で言い合ったはずです。その頃の私は、徹底的な奉仕型でした。
もし、そのお母さんに普通のレベルの愛情があったら、毎日、6時間程度、我が家だけで遊ぶのですから、「すみませんねえ、いつも、お世話になって」という言葉とともに迎えに来てもいいと思う。それが過保護に思えるのなら、それとなく、お買い物の帰りによるのでもいいのです。
ここで、お礼を要求するのは、私の方こそ、けちみたいで、恥ずかしくて言いたくないのですが、毎日の温和で丁寧な交流を抜かすと、ドカーンと、たまった不安が大きなことを引き起こしてしまうからです。
子供って、ただ、遊んでいるように見えても、その安全の維持とか、そのほかに、絶対に目を離せないところがあって、安全で楽しい環境がないと遊べないのですよ。そういう環境を用意するためには、相当な労働が、やっている側の人にはかかっているのです。実際には、介護費を払う老人を面倒見るのと同じことで、それだけ預けたら、やはり、一時間、800円ぐらい相手のお金を使ったと考えたほうがいいと思います。よく「ただほど怖いものはない」といいますでしょう。このケースもやはり、そういう形でおわりました。このケースだって、幼稚園代を出して、普通の形で育てた方が、そのお宅にとってもお子さんにとっても、ずっと得だったでしょう。
問題はそのお嬢さんが、我が家の袋菓子に異常にこだわり、やがて盗んでまで食べるようになったことなのです。普通の形とか、ルールで暮らしていれば、小さい子に駄菓子屋に行かせるお小遣いを上げるとか、または、親が用意した十時や三時のおやつが、出ますよね。ところが、そちらのお宅では、通園火を惜しむぐらいですから、買ってあげてない模様なのです。特にご近所から『あそこは貧乏だよ』とみなされているお宅でない限り、普通の形で、育てるのが普通のことです。
普通のお宅では、よそこの子が遊びに来たら、袋菓子を、菓子皿に移して供します。また、他人が誰も来ていなくても家族内で、何かのおやつを食べることはあります。で、よその家に遊びに行っても、我が家で、普段日常的に、そういう習慣があれば、異常に強くほしがることもないでしょう。ましてや私に隠れて盗み出すほどとなることもないと思います。
有名私学に通っている中学生のケースでも親が異常に吝嗇で、(または、信念からお小遣いをあげないので、つらい立場に置かれているお子さんをマクドナルドで、見たことがあるのですが、子どもは、普通のルールで育てないといけません。絶対にそうしないといけません。
もちろん、あなたが中産階級とも言えなくて、徹底的に貧乏だったら、特殊な形でも仕方がないです。だけど、そういう場合はお子さんはまともに育つでしょう。かえって、親切にしてくれるお宅で、盗みなどはしないでしょう。苦労をして働いて暮れている、親が悲しむことを知っているからです。
お母さんが働いていないのですから、金銭的には、十分に余裕があるのに、愛情が足りないから、ケチをしているのです。だから、子どもが素直に育っていません。
ここでね。親の愛の多寡も問題になってきます。親から愛されているお子さんは、ちゃんとよそのおばさんの言うことも聞くのです。横浜時代に預かったご近所のお子さんで、こういう問題で言うことを聞かなかったお子さんはいません。皆さん、お互いの配慮が十分だったし、ともかく『自分の子供がかわいい限り、ご近所様も尊敬して置かないとだめだ』という感覚があったのです。ところが、このよこすか時代の子育てにおいては、力関係で判断する人が多かったのです。『こちらが力関係上、上なら、相手が奉仕しても、当然じゃあない』と言うような感覚が蔓延していました。不思議ですが、そうだったのです。
4 私もね。そのお嬢さんがいうことを聞いてくれれば、助かったでしょうね。問題が紛糾しなかった。だけど、親に愛されていない子特有の、すが目でちらを見る感じで、声を出さない子で、彼女が私の発する「後で、ちゃんとあげるから待っていてね。おばさんは、決まったおやつの時間に食べてほしいのよ」という言葉が、彼女に、わかったのかわからないのかが、私には、ちっともわからないし、相変わらず、お菓子は、なくなっているしで、仕方がなくて、私の方が、お菓子を隠すようになったのです。
ところが、どんなに高い場所に隠しても、いつの間にか見つけてしまうのです。そして、主人の机の下とか、へんなところで盗み食いをします。それが、五歳の女の子で、うちの三歳の娘を手下とします。それは、本当に嫌なことでした。非常にいやだからやめさせたいのですが、どうしても防衛できません。
そして、ある日二階の押入れの下の段に入れてあった客布団の上で、やられちゃったのです。しかもお菓子は、例の生キャラメルで包まれた東鳩のキャラメルコーンです。私もこの時は、本当に頭に来ました。成人した娘が言ったことがあるのですが、「お母さんが切れると怖い」と。大変我慢強くて、そして、口は達者ではないほうですから、たいていの場合は、こちらが、我慢します。
が、我慢の限界が切れると、怒鳴ったりはしないで、ずっと我慢していた長期間に観察してきたことを、理路整然と説明しますから、呼ばれた相手のお母さんは、恥を目の前につきつけれられることとなります。いわゆるぐーのねも出ない形でね。
毎日毎日のことだから、毎日お迎えに来て、毎日御礼を言っておけばよかったのです。絵馬を惜しんではいけません。そうして置いたら、これほど、固定化する前に、「お宅で、お菓子どんなものを上げていらっしゃる。お嬢さん、東鳩のキャラメルコーンが異常に好き見たいね」とか、言う普通の世間話の中で、このトラブルをうまく解決する何らかのヒントを、相手に、与えることができたでしょう。お母さんだって、「異常に、好き見たいね」という言葉で『あ、そのお菓子は、買ったことがないから、このお宅で、ほしがるのだ』とわかるはずです。そして、自宅でも買ってあげるようになるでしょう。それで、うまくいくのです。
しかし、このお宅はまったく違う解決方法をとりました。いやみたっぷりで復讐の味わいの濃いものです。
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・・・・・これが、実は瀬島隆三に利用され始めます。近隣トラブルを利用して言論弾圧をするのは、ここあたりから発生していると感じている私です。・・・・・
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5 その日、以来絶対にお嬢さんを外へ出さないようになったのです。私はね。自分の子供と同じくらい他人の子供を愛しているから、非常にこたえました。私は、愛されていなかったそのお嬢さんが両親にこっぴどくしかられて、家から絶対に出してもらえなくなったと想像して、本当に苦しみましたよ。
今思うと、「今日は遊べないのよ」とでも、3日ぐらい言ってみる。それで、問題があることに、親に気がつかせる? そういう手もあったかなあ? とは思いますが、そういう策略を持つ精神と、子育ての実際の現場で、人の子を預かって、いろいろな奉仕をする精神とは合致しないのです。策略家には、子どもはなつかないし、その家が、遊び場になるはずもないのです。私自身が、素直一方だから、子供たちは我が家に集まるのですから。
いやね。この件を相手方からだけ、聞いた人は、「ええっ、五歳の子を泥棒扱いをしたの。失礼ね」で終わりでしょう。だけど、そこまで我慢をした三ヶ月のこちらのつらさが、その言葉の中では、抜けています。最大に努力をしましたよ。
はっきり言って、とても切ない思い出です。
私ね、このお相手との間では、この件は、もう解決をしないのです。40年以上過ぎていますし。残念ながらそうです。ただ、願わくばあのお嬢さんが、親を反面教師として、十分にお菓子を子供に与える子育てをしていてほしいと思います。時間を区切ることは大切ですが、それこそ、今なら、チョコパイ一個ぐらいとお茶かミルク。そして、相手がどんなにお金もちそうでも、ご馳走になりっぱなしではだめです。それって、本当の意味では、誇りを捨てたこじき根性ですよ、でね、これから、子育てをするご両親に言っておきたいです。必ず、平等にしておくことです。お菓子などの費用の面、面倒を見る時間(=労力)・・・・・これらをすべて平等にしておくことです。
それから大切な二つ目のこと。内々の家計はどういう風に個性的でもかまわないのですが、ご近所と接する小さいお子さんには、ごく平均的な生活を与えることが必要です。そこをケチってはダメです。
そして、相手が弱く見えても、のしかかったり甘えすぎたりしないこと。・・・・・・これもお話をしておきたいです。
この問題は地域差があるかなあ。人口密度が濃い都会ほど、洗練をされているとは思います。東京の23区以内だったら、これほど、一方的に、特に幼稚園まで行かせないで、カッコウの託卵みたいに相手に預けっぱなしにしていたら、そっちの方が「怠け者みたいね、変よ」と、批判をされると思う。それから、この鎌倉のこの山でも、上手にやっていらっしゃいますよ。ほとんどの家が、60歳以上の老夫婦となってきたのだけれど、一軒だけ、小さいお子さんのいるお宅があります。で、二人子供のいるママ同士で、4,5人のグループを作っているみたいです。この山は車が入ってこないので、道路や空き地を使って遊ばせるのに最適です。だから、そこに週に、2,3回は、ママたちも一緒に子供が遊びに来ていました。
そうなると、おやつのこととか、面倒見・・・(おもちゃを取り合ってけんかをしたり、ふと物を投げたりし...て、ぶつかったりするときにそれはだめよ)と注意する必要があって、これもまた、言うことを聞かない子がいると大変な重労働となりますが、それ)・・・を分担し合えるからです。毎日ではないし、こちらのお宅が宿になるので、一番負担が大きいとは思うけれど、お母さんがたが、みんなついてきているので、おしゃべりをする楽しみもあるでしょう。女の人はおしゃべりをしながら考えをまとめて行ったりするのです。で、おしゃべりが、人間を鍛えたり、発達をさせたりする、ひとつの道となっているケースも多いからです。毎日ではなくて、かつ、お子さんの年齢が上になるほど、集合する回数が減ったように思いますが、それもごく自然なことでしょう。
それとね。家があってこその安全な子育てだともいえますね。シェルターとしての家、さらにそれが、もち家だと、社会的に幅が利きます。だけど、お母さんが遊んでいて、働かないで居て、それで、通園費まで削ってはダメなのです。もし、あの子が幼稚園にいっていたら、それなりに、誇りがあるでしょう。だから、判断能力もついてきて、『お菓子を盗み食いするのはダメだ』と自分でわかってくるはずなのです。し、週に4日は午後三時ごろまで、幼稚園に居るのですから、こういうことはおこりえませんでした。
又、この御嬢さんの場合は、幼稚園に通っていないからこそ、子供集団の中で、年上となっていて、三歳から五歳までだと、その子だけが、飛びぬけて発達しているわけですね。30を過ぎたりしている大人だったら、年齢による差なんてほとんど、感じられなくなるものです。が、このくらいの年齢だと、たった、一才違いでもまるで違います。だから、年上の子が、強い指導性を発揮してしまいます。それも、こんな困った事態を招いたのでした。
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この後では、以下のような文章が続きます。それは、上にスクロールをしていただくか、または、左のカレンダーで、16日をクリックしていただけますと出てきます。
副題2、『私道を、市に寄付するので、実印を押してくださいと頼まれる』
副題3、『役所を、利用しきる、彼ら、元参謀たち』
副題4、『法務局も、国会図書館も、瀬島龍三の言うなりである』
副題5、『近隣関係トラブルを、利用しまくる、これらエージェントたち』
副題6、『水道山のただどり・土地取得の方法を、言おう』
もし、何らかの操作ミスで友達削除をしてしまっておられるのでは?とこちらまで追いかけてきてしまいました。
お考えがあっての友達ご削除でしたら「とても残念です。でも了解致します」でございます。
(アケミさんもとても寂しがってらっしゃってます、、、)
もしご迷惑でなければお教え頂けると心安らかになります。
御殿谷拝
ちなみにこちらに投稿するためにgooブログアカウント取得致しましたので上記URLにはまだなにも記載されておりませんー。