銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

岡田美術館は、賭博の利益から出発と聞くが、その展示手法が超美しいので、横浜高島屋での大規模な田中一村展よりも感銘を与えられた△△、△

2018-04-11 20:52:28 | 政治

 この文章を書いて三日目の、午前11時半ですが、更に推敲をしました。また、総タイトルを、4度目として、変更をしております。特に池田20世紀美術館の創設者の池田英一氏のえいを、誤変換しておりましたので、なおしました。尚、初期よりは、二倍に増えております。また、それは、いつもと同じですが、途中で加筆したところには、アンダーラインを敷いておきます。まったく新しく加筆をした部分(副題8以降)には、アンダーラインは、入れません。

 最初に置いた写真を説明をさせてくださいませ。これは、本日取り上げる岡田美術館の入り口を私のスマホで撮影した画像です。下の方に、人間が小さく写っております。背後に、ほぼ、4階分の高さで、設置をされている風神雷神図の、一種のレプリカが、飾ってあります。このスペースも展示スペースとして勘定に入れているので、サントリー美術館の五倍もの展示スペースを誇るという事になるのではないかと、下の方に置いてある副題5のなかで、述べております。特に吹き抜けになっているのを、一階から、四階までのスペースを各フロアーごとに計算して加算をすると、サントリー美術館の五倍になるという事ではないかなあ。

 で、岡田美術館の、実質的な館長である、岡田和生氏については、ちょっとした、はったりがあるのではないかと、思い始めます。しかし、私が、この一文を書き終えると、それほど、『単純な話でもない』という事となるでしょう。私の岡田和生氏に対する評価とかシンパシーは、二転三転します。それには、どうか、最後まで、つき合っていただきたいと、思います。

 ところで、私の個人的な情報について、最初に、ちょっと、報告をさせてくださいませ。前報(後注1)をさらに、詰めていかないといけないのですが、旅行から帰って来たばかりなので、体力が最後まで持つかどうかが、心配なので、少し、別の事を書いて行きましょう・・・・・決して逃げているわけではなくて、更に確信を持っていて、大原光孝と柄沢斉との関係を煮詰めていくつもりはあるのですが、ひとえに本日(=11日)の体力の、塩梅を勘案して、こう言っています。他人の悪辣さを、書くと疲れるのです。岡田和生氏は、訴訟問題等を、お子さんとの間に抱えているそうですが、悪人ではないと、思います。特にわがままで、ワンマンなのは、誰の目にも見えている事らしいのですが、これほどの、コレクションを作り上げる資金源を確保するためには、えげつないところがあったり、汚い事もやったとは、思いますよ。しかし、それらは、私が普段問題にしている・・・・・政治そのものである善悪の種類・・・・・の中には、入れない種類の、悪ですので、問題ないと、考えております。

 ので、彼について書く方が、大原光孝や、柄沢斉について書くよりも、楽ですので・・・・・ 

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副題1、『私は岡田美術館という物を、2016年までは、一切知らなかったのだが、本日(18-4-11)初めて行ってみて、その展示手法の、美しい事には、驚嘆をした』

 美術館がリニューアルするたびに、「展示方法について、こういう工夫をいたしました」と言う事が記者会見等で、発表をされます。LATEST(直近)側から記憶に残っているのは、都美術館の、企画展用・部分の壁の色を紺色(又は、赤だったか? ともかく、濃い色)にしたとか、言う発表でした。その前は、三菱一号館だっただろうか? 同じく、赤(または紺だっただろうか。ともかく暗い色)にした(最初からそういう暗い色の壁だったのだが、)にしたのが、ありましたね。それ以前は、美術館と言うと、しろ、または、グレー、または、ベージュなどの明度の高い色で、壁が塗ってあったものです。しかし、オルセーなどの影響なのか、濃い色で、壁を塗る事が流行り出したのでした。

 その延長だと、思うのですが、岡田美術館の壁って真っ黒です。しかし、開館時期が、どういう風になっているかをまだ、チェックして居ないので、どこが、一番最初なのかは、わかりませんが、ともかく、岡田美術館は、まっくろです。

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副題2、『特殊なガラスが使われているのは、わかって居るのに、三度ぐらい、ガラスに、頭をぶつけてしまった。それほど、作品の展示手法が、美しくて、もっと、近寄って、もっと、細部を、見て見たいと思わせたのだった』

  根津美術館の、副館長(または、現在は館長?)の西田さん、は、高校の先輩なので、何度もお話(レクチュアー)を聞いています。で、根津美術館の、ガラスが、光を反射しないタイプの、特殊なものを使っているとは、知って居ました。でも、根津美術館で作品を見る時に、ガラスに頭をぶつけたことはないのですよ。何が違うかと言うと、外光(庭からの自然光)とか、天井の照明などからくる光で、ガラスの存在が、根津の方では、判るのです。しかし、岡田美術館では、丁寧に観察したところ、天井灯がないのでした。しかもまるで、金庫に入って行くみたいな展示スペース・形式なので、外光は、一切入ってこないのです。

 しかし、観客は迷わず、展示品を順路通り見て歩けるのです。どうしてそれが可能なのかは、実際にご覧になると、判ります。

 さて、私は痛い、痛いと、思いながらも、三度以上、ガラスに頭をぶつけたのですが、その理由はショーケースの奥行きが短い事にもあると、思い到ります。普通の美術館、特に東洋系の作品を展示している場合、ガラスケースは、奥行きが、90cm(三尺)は、あると思います。そして、床に畳おもてが敷いてあったりします。だから、自分が立っている場所から、作品までの距離が、50cm以上はあります。したがって、『もっと、近寄れば、もっと、よく見えるのではないかしら?』という希望を抱かないで、済むのです。『こういうものだ』と、ハナから諦めてしまって、作品へ近寄っていく事がないのです。ところが、岡田美術館では、展示ケースの奥行きが、狭いので、観客と、作品との間が、20cmぐらいです。こうなると、却って、本能的な欲望として、『裏側を見てみたい』とか、『茶碗の、内側の底を見てみたい』とか、思う様に成るらしいのですね。

 見事にそれをかなえる展示ケースもあります。つまり、お皿の表側も裏側も見せるという、両面が透明な、展示です。

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副題3、『私はトルコ・トプカプ宮殿で、東洋陶磁器のコレクションを、1981年に夫婦二人だけの、個人旅行として見ている。財力としては、オスマントルコの数代にわたるスルタン(=王様)の、蓄積には、岡田美術館は、及ばない。遥かに下だろう。しかし、あの頃、40代だったのに、疲労困憊して居たせいもあるだろうが、トプカプ宮殿では、東洋陶磁器のハイレベルの、しかも、大量の、コレクションを見ても、全く感動しなかった。別のスペースに置いてあった、宝石で、巻き上げられた短剣などは、<豪華ですねえ>とは、思ったけれど、東洋陶磁器のコレクションに関しては、「うーん。そうですか」という感想を抱いただけだった。その違いは、展示方法にある。トプカプ宮殿では、ありったけの陶磁器を、前後左右隙間なく、並べてある。・・・・・しかし、35年を経た今では、違うかもしれないが。・・・・・で、何となく、うんざりしてしまう。美と言うよりも財力だけを誇っているかの如く見えてしまうからだ。

 しかし、本日の岡田美術館における、東洋陶磁器のコレクションには、圧倒されるほどの、美しさを感じた。それは、かつてみた、出光美術館の陶磁器類の展示にも見られない特徴であり、大阪・中の島の、旧、安宅コレクションにも見られない、ほどのものだった。五島美術館とか、静嘉堂文庫が、「国宝を展示しています」と言っても、今日ほどの感動を与えられた事はない。・・・・・たとえ、まだ、国宝にも重要文化財になって居ないものであっても、これだけの物量をもって、良品を、展示をされていると、圧倒されるほどの、美のシャワーを浴びるという事となる。

 しかも、繰り返して言おう。見せ方がうまい。観客との距離は近いのだが、展示品どうしの、横の、間隔は広い。つまり、ぜいたくな展示方法をとっているともいえる。で、観客は、たった、一つだけの作品を視野の中に入れることとなるので、ある一つの傑作が持つ、光を、十二分に味わえるのだ。

 これは、凄い。これは、凄いと、心の中で、唸り続けた。しかし、疑問が起きる。『この美術館の創設者は、何をもって、是だけの蓄財を果たしたのだ?』と。特に前日の10日に行った、【池田20世紀美術館】の入り口に、創設者の来歴についての解説があった。それによると、創設者・池田英一は、アスファルトの発明者だそうだ。大金持ちの節税対策と言う趣は無論のこと有るだろうけれど、それでも、そちら様には、発明品があり、それで、大儲けがあったので、社会還元を果たしたというわけだから、ノーベル賞の、ノーベルと、似て居て、お金の使い方が、とても、上手だったと言える。私は、池田美術館の創設者、池田英一氏と、岡田美術館の創設者を比較してみたい気持ちに駆られた。

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副題4、『ここで、サントリー美術館と、岡田美術館を比較してみたい』

 岡田美術館の二階から四階までの構造は、サントリー美術館(六本木)に似ています。で、wikipedia 等で、比較をし始めます。すると、サントリー美術館は、展示スペースが、1000平方メートルで、岡田美術館は、5000平方メートルですって。<えっ?>と思います。一対五ほどの比率で、岡田美術館の方が、大きいとは、思いません。これはきっと、一階の展示室へ入る、進入路と、その吹き抜け状のスペースを全部展示室として数えている様な気がします。で、サントリー美術館よりも、広壮だという事に成るのだと。『それは、ちょっと、はったりが、利きすぎて居るなあ』と、思います。

 もう一つのポイントで、『この美術館は、はったりが、好きなのではないかしら?』と、思ったのは、伊豆のあちこちに置いてある、この美術館の宣伝用チラシの表紙に、田中一村の絵が、使って在って、「企画展として田中一村展をやる」と書いてあります。しかし、実際に四階の企画用展示室に入ってみると、違う風な説明が書いてあります。

  +++++++今般、我が美術館は、田中一村の絵を二点手に入れました。で、田中一村と伊藤若冲の絵は、時を隔てていますが、共通するポイントがあり、比較して展示をしたいと、思います。また、田中一村は、東京美術学校では、東山魁夷と、入学時には、同期だったので、同時期の作家として、比較検討をしてみたいです+++++++ですって。

 『あれっ。是って、羊頭狗肉と言う類ではないですか?』と、思い到ってしまうのです。

 私は、実行力は無い方で、お金もありませんが、夢としては、この鎌倉の自宅をプチ美術館、または、画廊、または、画廊喫茶にしたいと、思っている人間です。この家の立地条件を知って居る人からは、「やれば、いいじゃあないですか」と、いわれているほどです。だから、机上の空論ではありますが、美術展を企画することはできるし、他人が企画した美術展の裏側も、推察することができます。上の++++++罫線内の言葉は、換言すると、こういう風になります。

 -------私たちは、以前から、東山魁夷の作品を所蔵しています。また、伊藤若冲も所蔵をしています。また、田中一村の、色紙(これが、本画程に、完成度の高い美しいものですが、その色紙と言う土台ゆえに、価値が低く見做されていると、思います)も、数点持っております。田中一村は、非常に深く集中して描く作家であり、奄美時代の作品としては、30点を数えるのみです。その希少な作品を、今般、当館は、二点手に入れました。とてもうれしくおもっております。その喜びを皆様と分かち合いたいです。どうか、見に来てくださいませーーーーーー これが本心でしょう。本心については、金銭力を誇っているところはあるが、新しい美術品を、蒐集していくのは、美術館の使命でもありますから、悪くはないです。ただし、「買ったぞ。買ったぞ」と誇るのは、こどもっぽいです。

 これが、私の11日の午後三時半ごろの感想です。夜の10時を過ぎると、違う感想に到達するのですが、これから、数千字は、・・・・・岡田美術館とは、子供っぽいなあ、・・・・・と感じた、路線で、文章を書かせてくださいませ。

 私は今、大原光孝という男の分析を続けようとしているところです。何故、それをするかと言うと、私が今書いている壮大なミステリーの、答えのうち、40%ぐらいは彼を通じて解明できるからです。彼と、柄澤斉、および、伊藤玄二郎、この三者の関係を解けば、

 闇の世界で、誰がやっているかはわからないという形で、推移していた恐ろしい攻撃の数々が、伊藤玄二郎発であると、言う解明ができるはずです。その為には柄沢斉についても、丁寧に書いて行かないといけないでしょう。ともかく、大原光孝の、小学生並みの子供っぽさ(後注2)こそ、悪人ちゅうの悪人・・・伊藤玄二郎・・・に、たいして、ぐうの音も出ない程に、「あなたでしょう? 源泉は」と指摘するのに役立つのです。ですから、岡田美術館の子供っぽさという点は、徹底的にこだわらないといけないポイントとなるのでした。

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副題6、『岡田美術館の展示室への入り口と出口が、まるで金庫に入ったり出たりする様なデザインであることから、ふと、創業者は、お金に苦労をした人ではないかと考えた。それは、後で、当たってもいるし、当たってもいないとなるのだが?』

 私は渋谷のBUNKAMURA the muzeumの出口については、『何となく下品で、けち臭いなあ』と、以前から、考えていたのです。そこのドアは、自動開閉ではなくて、しかも、不透明です。そして、外からは、取っ手(=ノブ)がない形になっています。そこから誰かが入るのを防ぐ形になっています。この前、カタログのレシートが行方不明になって、それを再発行をして貰おうとトライして、往生しました。

 そこの展示を見に行く人(大体ハイブラウな展覧会をやっている。あまり、庶民的ではないともいえる)で、無銭入館をする人が居るとは考えられないので、二度入館したい人を拒否する仕組みだと、思います。でもね、見るからに感じが悪いので、三本の、回転棒のある形式に直して、あの不透明な、壁式ドアは、撤去したら、いいと思います。ICU図書館は後者の方だったし、パリのメトロも、それだったと思うけれど、いったん出てしまうと、元へは回転が戻らないので、入れないという形です。言葉では何も言わなくても、『ああ、そうか、二度めの入館はできないのですね』と、お客さん側が自然に納得をしてくれます。その方が、ずっとスマートです。

 一方、岡田美術館では、当日の四時半までなら、何度でも入館できるそうです。これは、いいです。お客だけではなくて、美術館側にとっても、良い事です。【彫刻の森美術館】へ行って帰って来て、もう一度見たいとなると、それだけ、展示が魅力的だったわけであり、その数を数えると、これから先の運営に役立つでしょう。いや、本日も目の前で、「タクシーを呼んでください。ポーラ美術館に行きたいので」と言う外人が居ました。その人たちが、もし、もう一度、こちらへ寄ってくれたら、大得意になっていいですよ。・・・・・西洋美術品を展示しているポーラ美術館を見て、更にもう一度、東洋の美を見に来てくれた・・・・・となると、大いに得意にしていい事ですから。それにね、友人同士で、2800円の券を、二重に使うなどと言うふとどきな、輩は、最初から、2800円を支払わないでしょうから、無銭入館の恐れは少ないでしょうし。ともかく、ここまでの、交通費と時間を費やして来てくれる人は、経済的に余裕のある人たちの筈だから、嘘を言ったり、美術館スタッフを、だましたりするはずはないです。そして、スタッフは全体として、良い社員教育は、施されていて、おもてなし精神が旺盛です。

 ここで、異様な睡魔に襲われたのでした。『もしかすると、パソコンへのハッキングと同じく外部攻撃哉と?』、思ったほどの、睡魔で、作業を続けることが不可能で、いったん、寝床へ入ったのです。しかし、義務感として、推敲を終えたいというのがあり、それによって睡魔は消えました。で、作業を、再び、進めたいと、思います。

 しかし、展示室の入り口と出口が、ほとんど、金庫状態なのには、最初は、驚きます。だんだん、『セキュリティのためでしょうね』と、わかっては、来ますが、最初は驚きます。まあ、『午後五時を過ぎると、明朝の10時まで、展示室全体が、ワンフロアーごとに、金庫と化すのでしょう。なるほどねえ。高価なものばかり、展示してあるからでしょう』と、思い、最終段階では、好意的に受け取りますが、

 並行して、『ここの創設者は、小さい時には、お金で苦労をしたのではないかしら』と思い到るのでした。だって、普通の収入の親から生まれて育った人は、美術館全体を、ワンフロアーごとの、金庫の中に入れてしまうという、ここまでの発想を抱けないでしょうし。今までで、泥棒対策において、ここまでの、厳格さを示す展示室を見たことがないので、そういう風に、思い到るのでした。

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副題7、『私は箱根の山中に居て、ドライブ中から、主人に向かっては、・・・・・ここの創設者は、パチンコ業界の人ではないかしら?・・・・・と、話し続けていたのだが、小田原で、乗った電車の中で、スマホを開いて、調べてみると、自分の推察は、まさに、当たって居た。・・・・・・岡田美術館の創設者にして名誉館長の岡田和生氏は、パチンコの機械製造で当てて、その資金で、海外でカジノを開き、そこでも、当たって、大儲けをした人である・・・・・と出ていた。なるほど、と、納得をする』

 この10年間で、鎌倉に新設された画廊があります。駅から徒歩、公称2分程度の、高価な一戸建てを買ってきた中年の女性が、その家をまるまる画廊にして、自分は別の場所に住んで居ます。その女性は若宮さんと言う名前なのですが、画廊名を、【ジアース】とつけています。

 彼女から手ひどい攻撃を受けて以来、私はパチンコ業界の事を常に考える様になりました。というのも、その家を買う資金と、それから、開業用の、運転資金と、自分が住む家を買った資金等を合わせると、一億円以上のお金を自由自在に動かせる人だとなります。しかも、失敗した時のことを考えると、三億円ぐらいの貯蓄を持っていないとできない様式のオープンでした。しかし、いじめられたので、はっきりそれを言いますが、眼が悪くて、そこが引っ込んでいますので、外貌は、美しい人ではないのです。だから、大金持ちの慶応ボーイなどと、結婚できるはずもない人です。と、成ると、実家が金持ちだったという事になります。画廊名から判断をして、【ジアース】と言うパチンコチェーン店の関係者ではないかと、思い始めます。もし、会社本体から、別事業部門の経営者と、見做されていて、役員報酬として、50万円から、100万円がでていると、仮定をすると、余裕を持った画廊経営ができますし。

 ところで、別の方向からも彼女を分析し始めます。それは、【ジアース】と言う名前が画廊の名前としては、奇妙なので、その方向から、考察を始めるからです。というのも画廊というのは、とてもカッコウのいい職場です。特に女性にとっては、勝ち組であることを自認できる職業的立場です。ですから当然の如く、頭が良くて教養が高い人がオーナーに、なっている筈です。しかし、若宮さんが、本当に教養が高いのなら、【ジアース】なんて言う画廊名は恥ずかしくて付けない筈なのですよ。私なんて、気恥ずかしくて、お尻がもぞもぞしてしまいます。

 【ジアース】とは、無理に推察をすれば、アルファベットでは、【  the earth  】と、表記し、漢字では、【地球】と、表記する固有名詞をあらわすと、思うのですが、the は、英語が、本当にわかって居る人なら、ジ とは書けないです。しいて言えば、ディとなりますが、実際の発音からは遠いです。 ear という部分ですが、これも巻き舌を、使うので、カタカナ表記の アーとは、違う発音です。最後の部分の th ですが、これが、もっとも、カタカナ表記の 【ス】 からは、遠い発音です。したがって、彼女が真に、教養の高い女性なら、【地球】という名前の方を採用すると思います。しかし画廊の名前としては、地球と言うのは、あまり、使いたくありません。意味として、美術とは、関係がないからだし、発音も、美しくないからです。で、【ジアース】を使ったと成るわけですが、「ありとあらゆる意味で、自分は、無教養なんですよ」と、さらけ出しています。

 『不思議だなあ、不思議だなあ?』と、いつも思い、これもミステリーの一つだったのですが、彼女が警察の手先となって、ものすごいレベルで、裏が、バレバレのいじめを行ってきたときに、納得をしたのです。パチンコ業界って、警察と、密着をしているそうです。で、彼女は【ジアース】と言う名前のパチンコ・チェーン店の、一族なのでは無いかと、思い当たって、来、始めます。

 父親が社長か、兄弟が、社長だという形です。きっとそうです。で、上にすでに言っている通り、役員報酬として、月に50万円から100万円の報酬を得ている人物だ。だから、ジアースと言う名前を使っているのだ』と、考えました。特に今、このパソコンにシステム異常が、大きく起きたので、これは、正しい分析でしょう。

 そして、二日目に、ここを推敲する直前になって、猛烈な睡魔に襲われたのも、一種のCIAからの攻撃だったのかもしれません。警察とは、日本では、CIAの私兵化しています。で、若宮さんの秘密について、書くことを、脳内侵入をして、阻止したとも考えられます。実はその技術についてですが、一般庶民には知らされていない技術が、すでに、開発をされていて、利用をされている可能性については、感じています。パソコンに盗撮作用があることは、ある日、パソコン本体が発するメッセージで、判りましたし、テレビも、本体のスイッチは入れて置いて、レコーダーのスイッチだけを、切る状態で、使っているのですが、真っ黒なはずの画面に、ときどき、白いフォントで、怪しいメッセージが出て来るので、盗撮ができる装置になっていると、見做す日があります。

 鎌倉の画廊【ジアース】に関するこの種の分析は、本日初めて文章化したわけですが、頭の中では、ずっと、考えて居た事であり、従って、パチンコ業界については、深い分析を、日夜、続けてきているのです。若宮さんの、せいで、ですよ。それを岡田美術館に対しても、類推して、行ったというわけです。まさか、若宮さんの旧姓が岡田であって、和生氏のきょうだいではないでしょうね。もし、兄弟だったら、不思議過ぎる糸で、つながります。書いている複数の、現象の間で、縁がつながります。

 で、箱根に於いても、ぼろもうけをできる業界としては、つい、パチンコ業界を思い浮かべたわけですが、それは、岡田美術館にも当てはまる真実でした。

 で、それこそ、私が今2017年まで、岡田美術館の名前を知らなかった、原因の一つだと、考え始めます。つまり、東大や、慶応を出た美術評論家が、今まで、岡田美術館については、触れて居ないという事を指します。また、NHKの日曜美術館でも、ここの事をあまり取り上げてこなかったと、言う現象もあるでしょう。

 で、はっきり言うと、パチンコ業界に対しては、いろいろな人の間に、差別意識があると、言う事となります。そして、それをパチンコ技業界に携わって居る側も、意識しているという事になります。で、壱代目は、がむしゃらに稼ぎます。しかし、弐代目、三代目に成ると、『もっと、カッコウのいい仕事に就きたい』となって、ネットカフェに転業をしたりします。レストランチェーンなどもありかもしれません。

 で、岡田和生氏もその典型です。美術館の館長などと言う職業は、最高の名誉職で、きれいな仕事です。なるほどねえと、納得がいきます。しかも雇われ館長ではなくて、自分の蒐集した作品を、世間の貧しい(?)一般人に見せてあげて、彼等の教養を高めてあげるのです。これは、四段階くらいの階層アップをした事となります。めでたし、めでたしです。

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副題8、しかし、さらに、wikipediaを読み進めると岡田氏は、息子と法廷闘争をしているらしいのです。会社の金をどういう風に使うかという点で。そこまで、読んだ時に、私の岡田和生感は、相当に変わりました。

 つまり、『岡田和生を、いとおしく思う』という風に変わってきたのです。ネットの記事を読むと、ジャスダックに上場した企業である、ユニヴァーサルエンターテインメント、という会社の社員からは、相当に嫌われているみたいです。つまり、・・・・・社長の美術への関心は、道楽が過ぎている・・・・・という事となるのでしょう。お金の使い方が、普通の感覚の社員にとっては、困るという事に成るらしいのです。

 しかし、岡田美術館を見た後での私は、・・・・・それは、社員の方がいけない・・・・・という感想を持ちました。

 パチンコ業界とか、カジノとは利益率が、非常に高い業界だと、思います。カンブリア宮殿に、100円ショップの雄、ダイソーの社長が出てきましたが、薄利多売で、生きて居る社長は、<いつ、倒産するか?>という危機感を、常に抱いているそうです。工業生産品を売る会社としては、生産をする各個別企業に対して、大きな無理を強いているからでもあるでしょう。一方で、カジノとか、パチンコ業界と言うのは、お客の方から近づいてくる分野なので、誰かに無理を強いているわけでもないのです。

 ただ、ある個人を破滅に導く可能性があるという意味で、不道徳なだけであって、企業として、経営するのは、非常に楽な分野でしょう。しかも、「人がやって居なかったニッチな分野に、取り組んで、儲けているのだから、文句があるか?」と言いたい、岡田和生氏の気持ちも十分に理解ができるのです。しかも、その種の強烈な個性こそ、これほどに、ぜいたくな展示手法を持っている、美術館を作り上げることができたのでした。蒐集品も高価なものが多い模様ですしね。ともかく、この美術館の、展示手法という物は、過去に見た、どの美術館(たとえば、プラドや、ルーブルや、グッゲンハイムなど)と、比較しても、より優れていると、思われます。ともかく、作品の、一つ、一つを輝かせています。充分な幅を取って、展示をしてあるのと、作品を除いたスペースが、すべて、真っ暗で、真っ黒だという事も、効果を高めています。

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副題9、『私は上の方で、たった二点、田中一村の作品を、買い、元から持っていた色紙類と合わせて、田中一村展と、銘打つのは、はったりが、すぎて居ると言っている。しかし、息子さんと、法廷闘争が起きていると、聞いて、急に、その稚気を愛したい気持ちになり、はったりがすぎて居るという・・・・・部分を修正したくなった。

 というのも、非常に入手が困難であろう、田中一村の作品を購入することによって、岡田和生の、美術作品に対する目が、転回点を見せたと、感じるからである。彼は、作品が、美しいから、東洋陶磁器を、購入してきたとは思うのだけれど、一方で、高価だから蒐集したという向きもあると、思う。それは、一種の安全な蓄財方法でもあった。そのうちにコレクターとして有名になり、オークション会場でも、顔の利く、一人となると、日本画系統の、現代の、活躍作家の物を手に入れることとなる。それらは、彼のビジネス感覚からして、価格がリーズナブル(安いので、手が出しやすい)だと、感じられたからであろうし、また、美しいからであろう。加山又造を好んでいるらしい。また、森本草介は油絵だが、それも手に入れたらしい。この辺で、すでに、蒐集の対象が、蓄財と言う事よりも、美そのものへ、移行をしているのだけれど、

 田中一村を手に入れて、大喜びをすると言う点では、また、新しい展開があるのだ。それは、彼が田中一村の、持つ、または、放つ精神性に、惹かれて、手に入れて、かつ、それを大喜びをしているという事であり、それは、換言すれば、田中一村を尊敬していることを顕しており、それは、彼が、カジノや、パチンコで、大金を手に入れてきていると、言う、人生を洗浄化したことを、表しているからである。

 人間はだれしも、老人になると、脂っこいものを避け、人生そのものの諸相に見られる、欲望も、低減してくるものだ。たとえば、若い女性のフェロモンに触れたがる傾向などは、減ってくるものだと、思う。でも、田中一村を尊敬し、それにあこがれて、自分の人生を洗浄化するという事は、低減ではなくて、レベルアップなのである。すばらしい人生だと、いえよう。となると、その、はったりの多さや、子供っぽさも、ここでは、許されると、感じ始める。

 特に私は以前、横浜高島屋で、大規模な田中一村展を見ている。千葉時代の、作品も数点あって、かつ、手紙とか写真とか、も、加味されていた展覧会だった。また、小品としては、生き生きした・イセエビ・の作品もあり、それは、今回展示されていた・ベラ類・の、絵よりも、一村の観察眼が、鋭いという類の絵だった。つまり、傑作度が、より高い作品だったという事。

 しかし、横浜高島屋の特設会場と言うのは、作品を展示するのはパネル状のものであるし、照明は、天井灯で、漫然としているし、天井は低いし、お客様は、いっぱいで、その雑然とした雰囲気に、邪魔されて、田中一村の作品と、自分とが、直接に対峙したという感想はまったくもてなかった。で、結果として、「私は話題の展覧会を外しませんでしたよ。忙しかったけれど、ともかく、見てきましたよ」となる。まるで、田中一村が、見世物みたいな、感覚で、自分には、受け止められることになる。

 今回、岡田美術館では、八月二十四日から、【アダンの海辺】を、かりて来て展示をする予定だそうだ。それは、横浜高島屋でも、見たのだった。しかし、もし、同じものを、あの真っ黒な空間の中で見たら、どれほどに、身に迫る事となるだろうと、予想をする。

 今はまだ、それは、展示をされておらず、大作としては【白い花と、アカショウビン】だけが、展示をされている。白い花とは、ダチュラ(朝鮮朝顔)で、毒をもつと言われていて、鎌倉市内にも、散歩の範囲内で、オレンジ色のものを、数本見つけてあるが、花の、一つ一つが、大きなサイズであって、しかも、群れて咲くので、迫力がある。その色がしろかったら、確かに美しいだろう。しかも、天然の、樹木として、生えているのだったら、なおさらに美しいと、思われる。あの真っ黒な空間の中で、左右に他の人間が居ない中で、かつ、左右に他の作品が置いていない中で、それをみると、一村の、鬼気迫る集中力が、確かに、私にも伝わってくる。そして、本当にいい体験をしたと、思われて来る。

 それは、あの横浜高島屋での、「話題の、見世物を見てきましたよ」という種類の体験とは、まったく異なる体験だった。私は、その時に、稚気あふれる、岡田和生の子供っぽさを、いとしいと感じたのだった。特に帰宅して後に、子供と法廷闘争になっていると知ってさらに、彼を応援したくなった。「がんばれ、岡田和生よ」と言いたい。これほどに、美しい展示方法を持つ美術館を作るとは、彼は、その点だけでも天才級の人間だ。

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 これから先、私は好ましくない例としての、子供っぽさを語る筈でした。以下の部分は、そこへ入る導入のための文章です。しかし、その部分は別章で、語る事に致しましょう。

 メモだけは置いておきます。

   昨、10日は、旅行の初日でしたが、その日だけで、五個ほどのひどい嫌がらせを受けました。私は、それを受けてこそ、前報(後注1)の最も重要な部分を書いたのでした。それを再び、こちらへコピペをさせていただきます。

 というのも、そのすべての嫌がらせは、私に対して、さらにその先を書かせないがために行われていると、感じましたのでね。

 その日だけで、六個あったのですが、五個目のものとしては、池田20世紀美術館に於いて、まったく関係のない、場所に秋山裕徳太子の、立体像が、在ったのです。なるほどねえと、思いましたね。この部分はメモのみとして、展開しないで、この一文を終わりといたします。 

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 2018年4月11日の夜から、12日の夜にかけて書く。雨宮舜(本名 川崎千恵子)

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ、訪問回数は、4685335です。

後注1、

今、私は旅に・・・・・もし、私がブログを書けなくなったら、それは、柄澤斉のせいである・・・・と、大原光孝の行動から、言わざるを得なくなる

後注2                   

大原光孝と暴力論・・・・・・何が、暴力なのだ? そして、その量を考えないといけないと、私は信じているのだが  2018-04-08 22:51:37 | 政治

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