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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

アマデウスは真実と嘘の混合した大衆洗脳用映画であり、安田純平にまで連綿と続く典型的政治手法である△△

2015-12-25 03:22:17 | 政治

 現在、2015-12-25 12:00 ですが、先ほどよりさらに加筆をしてあります。で、完成のしるしとして付ける恒例の△印を総タイトル右横に二つ付けておきます。

副題1、『徹夜明けなのに、たった6時間で目が覚めたが・・・・・責任感で、そうなったのだと、思う』

 さて、前報は(後注1)、徹夜明けだったからこそ、書けたものです。ほとばしる様に書けたものです。スケルトンだけの物です。私のものとしては珍しい文章です。たぶん徹夜明けで、あって、しかも、讃美歌を横浜銀行鎌倉支店の前で、未知の他人たちと一緒に歌って、しかも、そばにいた人たちから好感を示されたので、タガが、外れてしまったのだと思います。最近15年間ぐらいの私は、外で歌を歌うと、周りに居る未知の人から、必ず、好意を寄せられます。で、以前から考えていた、・・・・・歌とは、神様が、この身に、降臨をしてくださっていることの証明である・・・・・というのをますます強く感じている次第です。

 しかし、非常に用心深く、大切なポイントには触れておりません。つまり、「そういう現状がある。なるほど。では、日本国民の一人として、今、何をなすべきか?」と言うところには言及しておりません。私は常に、「アジテーターにはならないのだ」と、言っております。または、「チェ・ゲバラにはならないのだ」とも。もし、今、日本人が、何をなすべきかを、書いたら、ブログを発表できなくなります。

 本日も、前報が、真実過ぎたせいで、このボックスに、下書き用の、言語を、ワードとしては、入力できないという事態に陥りました。が、なんとか、クリアーして、その妨害を突破したところです。毎日多大な苦労をしておりますが、自分の被害は、語らない主義なので、そちらの詳細には触れません。

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副題2、『私が、今、しきりと思い出すのは、モーツァルトの、気の毒な、生涯である』

 私が、今しきりと思い出すのは、南沙諸島のきな臭さも、その一つなのですが、もう一つあって、それは、気の毒なモーツァルトの生涯なのです。

 モーツァルトは、骨も見つからないし、墓もないのです。たまたま、上演記録とか楽譜が残っているので、今では、天才として、もてはやされていますが、事実上は気の毒な生涯でした。ゴッホもそうですし、ゴーギャンもそうですし、シューベルトもそうですね。

 最近、きよしこの夜の、原詩を作った、ヨゼフ・モールの生涯を、説明したイギリス(? または、ドイツ?)が制作したドキュメンタリー番組を、たまたま、見ましたが、この人も大変気の毒な生涯を送りました。でも、一方で、清廉潔白の極致であって、他人への奉仕に生きた人なので、一曲だけでも、ああいう傑作を作ることができたのです。珠玉の一曲と言うわけです。しかも、驚いたことに彼自身も、音楽の専門教育は受けていて、作曲をすることができたのですよ。しかし、生活上のあれこれの援助をしてくれている友人、グルーバーに、作曲を依頼したのでした。手柄を譲ったという雰囲気があります。

 しかも、初演当夜は、小さな田舎の教会のオルガンが壊れていて、当時は、下品な、楽器と目されていたギターで、伴奏がなされたそうです。モールは、両親が正式に結婚をしないうちに、父が死んだのです。しかも、母はすでに受胎中だったので、私生児として生まれました。その当時は、ひどい差別の対象だったそうです。しかし、賢いうえに、音楽の才能が有ったので、経済的な援助をしてくれる人がいて、音楽で身を立てて、そのうえで学問も身に着けて、聖職者(=助祭)となったそうです。しかし、寒い地方(アルプスの麓)での住民への奉仕の生活(それは、いわゆる宮沢賢治の、雨ニモ負ケズの世界でした)のせいで、結核にかかり、早世しています。まるで、馬小屋で、生まれたイエスの再来みたいな清らかな生涯でした。

 しかし、これらの不幸せな生涯を送った天才のうち、もっとも、気の毒な生涯を送ったのは、実はモーツァルトだったと、今の私は、認識をしています。骨も見当たらず、墓もないのです。

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 副題3、『実は長らく、モーツァルトを嫌いだった私である。実のところ、今でも、一番好きなのは、シューベルト(特にピアノ曲関連)なのだ。だけど・・・・・』

 私は、非常に小さいころから、複雑にものを考える子供でした。後に上智大学に進んだ5年と6年が一緒のクラスだった男の子から、「小さいころから、他の子とは、使う語彙さえ違っていた」と、思い出として、語ってもらったことがあります。自分では、そんなことは、意識はしていませんでした。が、同い年の子供たちと一緒に遊んだことが、小学校に入学する前までなかったので、そうなっていますし、他にも理由があります。

 で、本当に小さいころから、他人から踊らされる事のない方の子供でした。現在の言葉でいえば、斜に構えているというところかな? 昔、【巨人、大鵬、卵焼き】と言う言葉があって、まっとうなもの、そして、現在光が当たっているモノを喜ぶ人達を総称してそういいましたが、むろんの事、私の場合は、横浜に住んでいても、野球は阪神が好きで、その他の分野でも、二番目のモノとか、三番目のモノの方が好きでした。

 で、ゴッホもある時点までは、好きではなかったし、モーツァルトも同じでした。ゴッホについては、BSジャパンで、放映をされた、・・・・・弟テオに、銃撃をされたが、そのことは黙り続けた上で、3日後に、死んだ。耳をそぎ落としたのも、自分ではなくて、本当は、ゴーギャンだったのだが、最後まで黙っていたのだ・・・・・と言う番組を見て、すっかり見直しました。ゴッホの思い込みの強さ・・・・・が、周辺の人にとって、どれほど迷惑だったかが判って、却ってゴッホが好きになったのです。ゴッホそのものに対する理解が、大きく深まったからです。彼の神性は、本物でしたが、周辺の人間にとっては、それが、困るのでした。でも、この番組【ゴッホ最後の、70日】は、素晴らしかったと思います。

 で、ゴッホに対してはそれで、理解を深めましたが、一方の、モーツァルトに目覚めたのは、映画【アマデウス】(1985年、日本で公開)を見てからです。それまでは、モーツァルトが味わっていたであろう苦悩と言うものを知らなかったので、好きではなかったのです。

 華やかな成功ばかりの生涯であり、『【フィガロの結婚】は、単なるセクシーなコメディだ』と、誤解をしていましたので。それにあまりにも軽やかすぎる彼のメロディラインは私の感性には合いませんでしたし。余談ですが、ショパンも、素晴らしく美しいとは思うけれど、過剰なものを感じるので、好きな音楽とは言えません。ワグナーや、マーラーに関しても同じです。

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副題4、『第75回アカデミー賞の授賞式を丁寧に見ていた私だったが・・・・・理由は、マイケルムーア監督と、宮崎駿監督に在った』

 私は、1997年からしばらくの間(と言うのは、2012年ごろまで、)ほとんどテレビは見ていないのです。たまたま、家族が見ているのを、居間に一台しかテレビが無いので、一緒に見ることは有りますが、その15年程度は、意識的にテレビを見るのを避けておりました。ネットのニュースも見ない様にしておりました。修行中だったので、一点、集中主義だったのです。自分が制作中のモノへ意識を集中をさせていて、他の物には目を向けませんでした。今は、相当にテクニックが向上しているので、他の事へも目を向けられる様になったのです。余裕が出てきたと言うわけですね。

 それに、2009年ごろからは、ニュースを使った個人攻撃がひどくなったので、テレビニュースは録画してみているのですが、意外に大切なことを、録画中のニュースでは出さないと成って来たので、また、方針変換をしないといけないかな?と、思っているところです。例えば貧困老人に、三万円を配るというニュースは、私のパソコンではネットでも出てこなかったし、NHKの録画ニュースでも出てきませんでした。だが、午後1時から、五分間報道をされるNHKニュースで出てきたりしています。それほど、私が大物扱いを受け始めたということ(苦笑)で、まあ、そうですかと、言わざるを得ないのですが、

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 ここで、午前11時半に、大量の挿入を入れます。なぜ、彼ら鎌倉エージェントたちが、NHKニュースを利用しなくなったかと言うと、やはり長谷川智恵子の障害児・間引き・推奨発言が大きかったでしょう。あれは、茨城県知事も使役をされ、テレビでもネットでも、大きく扱われました。で、まさか、私がそれに対して反撃をするなどとは予想をしていなかったと思いますよ。だって、私は銀座の画廊巡りが大好きな人間です。で、銀座の画廊の中で、最も大きいのは日動画廊ですね。だから、そこの悪口は言うはずが無いと、発表前には、予測をしていたのだと思います。

 だけど、そういう考え方は、実際の美術の世界を知らない、井上ひさし固有の考え方でしょう。彼は、表向きは、自分を、死んだことにしますが、実際にはまだ生きています。日動画廊とは、私に言わせれば、おじさん、おばさん用の世界であって、素人向けの世界です。おじさんの中に、大金持ちが居るかもしれません。そして、絵を投資目的で買うかもしれません。だが、そういう人種は、私には無縁の人種なのです。美がもたらす喜びを、真に知っているとは言い難いです。

 ただ、今回のノーベル賞の授賞者である大村先生が、もし日動画廊の顧客だったら、ちょっと痛いが、大村先生は、私の作品を収蔵していませんね。だから、私としては、恩義のない方なので、もし、大村先生が、日動画廊の常連だったとしても、私の長谷川智恵子に対する筆が緩むことはないのです。だけど、栗田玲子さんにとっては痛いと思いますよ。同じ画廊経営者、特に売る段階の画廊経営者としては、上下関係がお互いの間に在って、ガレリアグラフィカよりも日動画廊の方が上でしょうから。そういう相手に迷惑を掛けちゃったわけですから。

 で、結論として言えば、日動画廊本店とは、美術の世界にとって、すでに、たいした存在でもないのです。建物は立派ですし、立地はいいし、社員は多いでしょう。でも、現代アートの世界にとっては、さして重要な場所でもなくなっているのです。

 お嬢さんが経営してる、日動コンテンポラリーの方は、いまだ、重要かもしれません。が、そちらも、すでに、売れる段階に達している作家たちを展示していると思うので、私には、興味のない世界なのです。だから、智恵子さんについて、平気で、バシバシ書きます。そこが、素人の浅ましさで、鎌倉エージェントには、判っていないのです。酒井忠康氏は、どうなのかな? 今回の事案には、加わっていなかったかな? 加わっていても、井上ひさしと同じ様に考えていたとしたら、氏の審美眼を、2000年以来信じなくなったという私は、こちらのエピソードを将来とも何度も使わせて頂く事となります。私は今回の事には酒井氏は、タッチしていないと、最初の段階では、予測をしていました。真実は、なかなか、表に出てこないでしょうから、すぐには、わかりませんが。

 そして、井上ひさしに戻ると、この長谷川智恵子発言も、彼が、企画をしましたが、林幹雄大臣の大活躍も、同じく彼が、企画をしています。急に高浜原発が、再稼働になりました。弁護士サイドは、怒っていますね。司法がめちゃくちゃだと。

 その弁護士サイドは、井上ひさしを尊敬しまくっているでしょう。しかし、彼が、実際には、裏で、林幹雄大臣の大活躍を、案出したと知ったら、どうなるでしょうね。茶番中の茶番です。

 で、一番、彼ら(=ここでは、福井地裁に詰めていた弁護士サイドではなくて、鎌倉エージェントを指すが)が驚いたのは、瞬時に私が塩見和子、栗田玲子、渡辺幸子等の名前を出したことでしょう。長谷川智恵子のあの発言の裏側には、井上ひさしのアイデアの、伝達者が居ないと実現できません。死んだはずの人が生きている人を動かせませんね。

 で、それは、伊藤玄二郎 → 酒井忠康 → 栗田玲子 → 渡辺幸子 → 石塚雅彦 → 塩見和子 → 長谷川智恵子と言う形で、伝達をされたと思いますが、一人ずつではなくて、外国特派員クラブなどで、複数の人物が集まって、協議をして、実行に移したと思います。

 だけど、その発言が、社会的に言って、本当のところ、どういう意味を持つかについても、まだ、私の方は、書いていないのですが、これから先にぐんぐん書くつもりもあるのですよ。林幹雄大臣について書き終わったら、そちらを、丁寧に、分析して、書くつもりはあるのです。

 ところで、こういう流れになることを、彼ら鎌倉エージェントとそれに協力している人間たちは予測していなかったと思いますよ。彼らはトカゲの脳味噌の持ち主であって、それを精一杯働かせて、自分たちが勝つつもりになっています。

 だけど、伊藤玄二郎の下半身の問題を隠そうとすることから、ここまで発展をして、すでに、死んだ女性である石川和子さん(=伊藤玄二郎の愛人であったと、自ら誇示をしている、かまくら春秋窯の創始者であって、しかも、警察を巻き込む大失敗を、私の猫の事で、2005年にすでに、起こしている)を守るために、ここまで、犠牲者(=長谷川智恵子+塩見和子)を出したら、そっちが損ではないですか? 高みの見物を決め込んでいる私から見ると、本当に馬鹿みたいですよ。『やることなすこと、バカ丸出しだ』と思っております。

 で、今回だけは、さすがの栗田女史も懲りてしまって、少しは反省したのではないですか? それで、「これでは、困ります」と、石塚さんか、伊藤玄二郎に訴えたはずですよ。それで、NHKニュースで、直接に私を弾圧するという傾向が薄まったのです。

 でも、私のブログを、つぶしたいということは引き続いて、存在をしていて、大渕愛子弁護士の子宮口、緊急手術などと言うニュースが、生まれました。これは、別の機会に詳述するつもりですが、ニュースとしては、私の録画番組内には現れず、民放や、スポーツ新聞で、公開されています。これは、私が、子宮頸がんワクチンは、不妊をさせる為の物で、渡辺和子さんの、ノートルダム女子大の、中高生に向けてさえ、勧奨があり、それは、渡辺さんの、『おかれたところで咲きなさい』が、幻冬舎から、出版をされているからだと、言う様な内容のブログを書いていますので、起きてきました。そちらの文章(後注2)が、内容としては、図星だったからこそ、それを、潰したいとして、起案されたニュースです。

 ですから、今度から、私の方も、少々、方針転換を図らないといけませんね。よく似たケースとして、日馬富士が日動画廊で、個展をするなどと言うニュースは、私が録画しているNHK主要ニュース内では現れませんでしたので。で、週に一回、スポーツ新聞を図書館で、チェックするとか? 無駄な時間を大量に消費することとなりますが、仕方がないです。悪人との戦いを真剣にするためには。・・・・・・と言う挿入を入れて、

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 文章として、元のテーマに戻れば、2003年の3月に放映をされた第75回アカデミー賞の受賞式が、ここでは問題となります。この時に宮崎駿監督の長編アニメ賞受賞が、【千と千尋の神隠し】で、決定をします。ここで、また、余談に入りますが、この時点では、私の方は、まだ、宮崎駿監督の父親が、元中島飛行機の重役だったとか、現在国際基督教大学の本館として使われている建物が、元、中島飛行機の研究所だったということを知りませんでした。アメリカに工場やら財産を没収されて、大きく苦労をした筈の親を持つ、宮崎駿監督が、今ではアカデミー賞を受賞する。なんか、世の中は、巡りますね。その点では、驚いています。

 この年の作品賞は、【シカゴ】が受賞をしています。NHK朝ドラ【マッサン】に出演したシャーロット・ケイト・フォックスが、主人公のロキシーを現在渋谷ヒカリエ内の劇場で、公演をしていると、言われるミュージカルの映画版です。

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副題5、『思いがけない余得として、アマデウスの主役が、プレゼンテーターとして登場した・・・・・これもまた、私が現在、政治的分析を、グングン進める一助となっている』

 この文章は芸能を論じるものでは無くて、相変わらず、政治を論じるものなのです。しかし、本章の主人公はモーツァルトです。その大作曲家を、テーマとして、政治を論じようとしているのですが、副題4で、アカデミー賞授賞式にぶっ飛んだのは、その授賞式で、非常に重要な発見をしたからです。思いがけない余得として発見をしました。

 何をと言うと、映画【アマデウス】で、主役のモーツァルトを演じたトム・ハルスが、賞を渡す役目を担って、壇上に登場したのです。ひとりではなく、三人ぐらい一緒でした。だが、確かに、そういう風に紹介をされました。

 トムハルスは、【アマデウス】に出演した時代とは、ずいぶん変わっていました。1984年アメリカで公開をされた映画だったので、1982年か、1983年ごろに撮影をされているわけです。そののち、20年を経ています。モーツァルトを演じたころはスリムだったトム・ハルスは、すっかり太っていて、巨漢になっていました。もともと、プラチナ系のブロンドでしたが、この時は、すっかり、白髪に近い感じでしたね。バリトン歌手(=オネーギン役でメトロポリタンオペラに出演)ストコフスキーみたいでした。

  ところで、この時に、彼は、ごく常識的なことを言いました。が、「実はゲイであるとか、まじめな性格であるとか、控えめな性格であるとか、演劇俳優としての側面が強いとか、そういう俳優であり、きちんと生き続けて居て、決して一発屋ではない」ということが、サイゾーウーマンと言う日本のサイトで、報告をされています。日本から取材者が、アメリカへ飛んで、2011年ごろに、取材をしているのです。

 しかし、私が注目をしたのは、・・・・・彼がプレゼンテーターを勤めた事・・・・・なのです。アカデミー賞と言うのは、協会に所属をしている芸能記者の投票で、決まるそうなので、予定調和はないのでしょう。だが、そこで、光が当たる作品には、当然の事、政治が反映をしています。今のアメリカにマッカーシーズムは、すでにないと言っても、そこに登壇をして光が当たる人間は、CIAに許容をされているという事なのです。だから、プレゼンテーターとして登場をしたトムハルスは、許容をされていて、したがって、映画【アマデウス】もCIAさん側に許容をされているとなります。

 で、トムハルスと言う、映画の上では軽薄な人間を演じた俳優が、実は、まじめであって、しかもCIAに許容をされているとなると、或る疑問が、私に沸き起こってきます。と言うのも映画【アマデウス】が何を目的に製作をされたかについて、新しい解釈が生まれるからです。

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副題6、『モーツァルトは、18世紀後半に活躍した人間としては、決定的に大きな政治性を持っており、一種の革命家でもあった』

 私は【フィガロの結婚】を、非常に長い間、誤解をしていたわけです。セクシーなコメディだと。だがニューヨークのシティオペラ(メットよりも格下だが、同じ場所=リンカーンセンターにある劇場)で、2000年に【フィガロの結婚】を見ています。同じ年だったと思いますが、主劇場のメトロポリタンオペラの方では、【魔笛】も見ています。

  最近ではテレビで、【野田版・フィガロの結婚】を見ています。井上直義・総監督と言うもの。で、現代の日本の民主主義社会(?)で、これを見ると、コメディとしか思えません。

 と、言うのも現代日本には、階層が無い民主主義社会だということになっているからです。実際には階層があるのですよ。だけど、お金の力と、能力で、逆転が可能だという幻想もあるのです。IT系企業の起業家となって、突然に大金持ちになれれば、世間はちやほやしてくれて、上流階級の仲間入りができます。又吉直樹さんの様に芥川賞を取って、【火花】が、200万部以上売れれば、あっという間に、大先生として、上流階級入りができます。

 しかし、いったん上り詰めたのに、逆転現象が起きて居るのも見ます。清原選手の現在とか、歯科医の競争が激しすぎる惨状とかを、よく聞きますね。それから、【ホームレス中学生】で、ヒットを飛ばした田村君も現在では、お金を使い果たして、苦境にあるとか。でも、なんとかなると、思っている人は多いでしょう。また、自分が上流階級になれないのは、親が非力だからとか、自分自身が非力だからと、思って、うつに近い状況になる優秀な人材もあると思います。

 でも、全体的に、身分が固定をされていた時代とは違います。でも、日本でも、ごく直近の1945年までは、身分が固定されていたのです。一方、今のヨーロッパですが、学制としては、まだ、身分制が残っています。ソルボンヌ大学とか、オックスフォード大学に入学できる学生は、中学時期から、明瞭にそういうコースに入った若い人だけなのです。また、大人の社会でも、実際には激しい身分社会が残っているのですよ。意外と古いのでした。

 現代の英雄としてのイヴ・サン・ローランには、そういう学歴はありません。だが、支援者はいました。また、モーツァルトにも、そういうバックグラウンドはありません。ただし、モーツァルトは、ある時期までは、王侯貴族の支援を受けておりました。

 ショパンはすでに成功をしている有名人であるジョルジョサンドに、庇護されましたが、モーツァルトには、そういう個人的な支援者は、いないのです。奥さんは役に立たないという設定で映画は、進行します。で、当時のヨーロッパには、現代日本におけるサントリー創業者一族とか、森ビルの経営者一族のような新興ブルジョアジーもいなければ、朝日新聞や、テレビ朝日、日テレや、読売新聞等、そして、NHKとか、東急や西武と言う様な芸術家を、後援をする企業もなかったのです。

 頼るのは王侯貴族だけです。しかし、【フィガロの結婚】は、そういう王侯貴族に対する大いなる風刺劇でもあって、彼は、はっきりと、民衆側に立っているので、一種の裏切り者の立場に立ってしまったわけです。つまり当時としては、危険人物のひとりとなっているわけです。別に、【資本論】を書いたと言うわけでもないが、一種の革命家とすでになっているのです。
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副題7、『ハリウッド映画、【アマデウス】には、半分の真実と半分の嘘がある』

 ハリウッド映画、【アマデウス】には、非常によくできた部分もあります。出演した歌手等は、みんな本職でしょう。トムハルスは、ピアノを猛特訓をして、ほとんど全部を自分で弾いているそうです。また、宮殿の場面など、豪華絢爛ですよね。

 だけど、第75回アカデミー賞授賞式を見ているうちに、決定的な嘘が含まれているのだと、思い当たりました。それは、モーツァルトの死を、サリエリに集中をさせている処なのです。サリエリとのライバル関係を前面に出し過ぎています。ここが嘘であるはずです。

 しかし、私が渋谷(パンテオンだったと思うが)に、ロードショーとして、この映画を見に行ったのも。『それは面白そうですね』と思ったわけですから、観客の興味を引くという意味では、ありえるし、面白い設定だったともいえましょう。ただ、100%のフィクションでもなくて、当時から、その種のうわさはあったと、言われます。

 しかし、『サリエリも一種の被害者であり、モーツァルトは、別の人間に、毒殺をされた』とみるのが、正しいと思います。私は研究者ではなくて、オーストリアにわたって、図書館へ日参したわけではないのですが、第75回アカデミー賞を、渋谷のパンテオンで、アマデウスを見た18年後に、テレビで、ライブとして見て、その様に、直感をしました。

 つまり、・・・・・映画【アマデウス】は、モーツァルトを実際に暗殺した集団が、現代社会で、その事実をフォロー(=修正)しようとして、大衆を洗脳する為に、制作をした映画なのだ・・・・・と言う結論をその時に得たのです。

 モーツァルトは、子供の時から音楽漬けであって、しかも宮中で暮らし続けていたので、あまりにも、純真に過ぎて、用心をすることも、疑うことを知らなかったので、直進をし過ぎたのでした。

 今、長谷川智恵子の問題発言をフォローしよう(=消し去ろう)として、林幹雄経産相が、突然に大活躍をしています。こういう手法も全く同じです。

 それから、安田純平さんと言うジャーナリストが行方不明になっていて、政府に身代金を要求しているらしいという事件も、後藤健二さん事件のフォロー(修正)になっています。そして、救済されても、救済されなくても、後藤健二さんが生きている可能性は、いまだ消えません。後藤健二さんの方は、高度な脚本のもとに練り上げられた謀略だったのです。しかし、フォロー事案の安田純平さんの方は、シンプルな脚本で出来上がっていますので、本当に、殺される可能性もあるのです。

 モーツァルトから、安田純平さんまで、政治と言う側面から見ると、直結をしているのでした。

   2015年12月25日にこれを書く。雨宮舜(本名 川崎千恵子)

後注1、

もし、南沙諸島で、戦争が起きれば、と、シュミレーションをしてみようぜ、そこから全部が、明快になる。   2015-12-24 19:21:06 | 政治 

後注2、

後で、探しておきます。夜の八時まで、お待ちをいただきたく。

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