今は、19日の午後5時です。次報を書き始めていますが、三時間程度、中断をしたいので、その間、こちらをお読みいただいておくと、助かります。下の文章は、19日の午前三時に完成をしておりますので、お勤めのある方は、未読だと、推察しますので、どうか宜しく。
副題1、『海老蔵の、2歳の長男、初お目見え』
11月分の歌舞伎座は、夜の部のチケットは、あっという間に完売だったそうです。16日ごろ買いに行ったら、もうありませんでした。それで、夜の部はあきらめて、昼の部の前売り券を買っていたのに、当日が来た2日には、それを見るのを忘れてしまいました。旭化成問題が、緊迫をしていたからです。で、すっかり、歌舞伎ムードからは離れていたので、前売り券の事は忘れていました。
で、仕方がないので、また、一幕みで、私は、見ているのです。その話題の中心、海老蔵の長男、二歳(正式には二歳八か月だそうです)の、かんげん君が、出て来て、「ほりこし・かんげんでー、ござり まちゅるー」という場面が、有るので、完売だった模様ですが、それも先週すでに見ましたよ。まあ、かわいいです。劇場全体が、思わず、涙するほどかわいいです。
それは、なんと、その二歳の【かんげん】君の為に新作として、作られた、作品で、総タイトルを【江戸花成田面影(えどのはななりたのおもかげ)】と言うのです。そして、今月の出演者の内、幸四郎、左団次、友右衛門、を除く、御大たち、藤十郎、仁左衛門、菊五郎、梅玉、染五郎、松緑が、出演者として付き合ってあげていました。豪華絢爛たる出演陣と言う事です。それは、NHKニュースが紹介したほどでしたが、それも、一幕みで見ました。
歌舞伎の演目で、その月にあたっていて、評判の良いものには、大向こうから掛け声が盛んにかかります。私が、もっとも強く、それに、気が付いたのは、思いがけずも、【怪談牡丹灯籠(7月の演目)】でありました。それは、世話物、しかも脚本は文学座向けの新版だから、普通なら、掛け声が少ないはずなのです。と言うのも、見えを切る場面が少ないので。でも、面白かったので、すごいレベルの掛け声がかかりました。
むろんのこと、御殿の場面が登場する【名物伽羅先代萩】などでは、見えを切る場面が多いので、掛け声は、おおくかかりますが、【牡丹灯籠】が、どれほど、面白かったかがわかります。
で、初めて、坂東玉三郎って、頭がいい人で、まじめなのだと、判りました。非常に遅い目覚めですが(苦笑)。それは、筋書(一般の言葉でいうとプログラム)の中で、知ったのですが、この演目を選んだのが、玉三郎で、それは、香川照之(歌舞伎俳優としては、市川中車を名乗っている)を、生かすための、選択だったらしいのです。確かにセリフの多い劇で、劇的表現に優れている中車と、こういうセリフの多い劇だと、普段よりさらに、表現に優れて来るみたいに感じる玉三郎の掛け合いが、見事でした。また、中車は、まだ、見えを切る時代ものよりも、心理描写の面が、大きい世話物の方が生きるのでしょう。玉三郎は、『ふるあめりかに、そでは、ぬらさじ』も好演したそうで、それを見たかったなあと、いまさらながらに思っております。それも、文学座用の脚本を使っているそうです。
その玉三郎は、歌舞伎とは無縁の、一般家庭の生まれの人で、いわゆる御曹司ではありません。海老蔵の長男の二歳の【ほりうち かんげん】君とは対照的な位置にいる人です。でもね、その掛け声のかけ方の面から見ると、歌舞伎って、ファンと俳優の交流が、緊密な場で、ファンが参加できる場なのだと、知りました。ごひいきの俳優の見せ場が来ると、みなさんが、拍手喝采なさるのも、非常に砕けた楽しみ方ではありますし。だから、人気者海老蔵の、子供が、二歳で、舞台に上るのもありなのでしょう。
でもね、『あまりにも親バカだなあ。海老蔵って!』、とは、思いましたよ。まだ、二歳です。五歳ぐらいまで、待つのが、普通でしょうに。それにいたいけな子供を、周囲が利用している様に見えて、それもかわいそうでした。これは、5歳から演奏会を行い続け、27歳の時に、弾けなくなった(肩を痛めたということで)マキシム・ヴェンゲローワの、エピソードを思い出してしまう事例です。ヴェンゲローワの方は、7年間の休息(指揮を学んでいたらしい)を経て復活しました。本人もその間、人間として、たいそうな勉強になったみたいです。で、見事な演奏をするバイオリニストとなっています。美しい音です。かんげん君の将来は、どうなるでしょうか?
まあ、曽祖父の、没後50年記念祭だから、ここで、急いで、出したとはいえましょうが。50年祭は二度と来ないわけですから。
奥様が、元女子アナで、タレントだから、お子さんの顔が、特にかわいいという特徴があるけれど・・・・・これを周りは、どう見るのだろうと、興味津々で、双眼鏡も使ってみてみました。その本心は、いかが?と、思って。
中心にいる役者は、気をそらしません。染五郎と、松緑は、粋なとび職で、お祝いの踊りを、踊ってあげました。元来が、女形である藤十郎(扇千景のご主人ですよ)と、梅玉は、黒留めそでの芸者さん姿で登場し、仁左衛門や、菊五郎は、町の有力者の姿で、着流しに、紋付きの羽織を着て。これは、通常は舞台に、横一列に並んで行うお披露目の口上(紋付、裃姿で、ずらっとならぶ)を、二歳の坊やの為に、崩して、さらに、豪華な、モノにした演目で、周囲が、示した大変な、サポートぶりでした。
だけど、端の方に居る大人の役者がどう思っているのだろうと思って。こういう役者の中には、一般家庭の出身であって、絶対に主役の座には登れない人も多いでしょう。『特に国立劇場で、歌舞伎俳優養成所が、できていて、そこを卒業した人などは、或る少数は、子供のいない、大物俳優の、養子(玉三郎も養子である。彼は、年齢的に言って、養成所は出て居ないが)として、上昇気流に乗りますが、そうではない、立場の人も大勢いて、ほぞをかんでいるはずだから』と思いながら、双眼鏡の中を覗きました。そこで見たことは、ここでは、口にチャックとして語りません。私は、一種の評論家でもあると思うけれど、批評や評論の分野を、歌舞伎にまで及ぼす気持ちはありません。
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副題2、『蛇柳を、外人と一緒に見て、その面白さに目覚めてからは、相当な舞台を、前売り券と、一幕み席の、どちらかで、見ていますが』
副題2の、二重ガッコ内に書いている通りで、相当数の演目を、この2015年に入ってから、すでに、見ていて、17日(月)も【河内山】を見てきました。その舞台を見ている多数の、外人が喜んでいる様子から、【河内山】には、【フィガロの結婚】に通じるテーマが隠されているのに、気が付きました。
つまり、お殿様(公爵)が、腰元(侍女)の処女権を奪う問題です。河内山は、明治になってから生まれた脚本みたいで、物知りの人が筋書きの中で、『実際には、江戸時代には、これ(=心理的な下剋上)は、ありえなかった設定であろう』と言っています。
その下剋上とは、茶坊主と言う職種で、将軍に仕えるサラリーマンが、社会通念上は、庶民にとっては、そちらが上であろう、お殿様を、きりきり舞いさせるという劇です。ただ、一方で、江戸城中勤務(今でいう上級の公務員)でありながら、一方でやくざっぽい行動を取るという、二重性を持った人物にとっては、「お殿様の家来としては、重鎮だと言えども、将軍の家来よりは、下だ。陪臣じゃあねえか」という観点があって、それで、難局を切り抜けるのです。二重のひねりが利いていて、とても面白い劇です。
副題1で、みんなが、その2歳の長男を、盛り立てた、そのパパの方の、海老蔵が主役です。海老蔵は、今37歳なのだそうです。大変な美男子(たぶん、現在の歌舞伎界で、一番の美男子)なので、みんなが腫れ物に触る様に、大切にしていて、朝日新聞の劇評でも、ストレートにほめてはいない、微妙な、言い方です。
私は、初心者ではありますが、今回の【河内山】での演技が、下手だとも思いませんでした。ただ、過去の対照例を知らないので、上手ではないのかもしれませんし、そこら辺りは、よくわかりません。
今月は、朝日新聞の劇評が良かった、【仙石屋敷】も見ました。真山青果脚本の、現代的解釈の加わった、【元禄忠臣蔵】の方であって、討ち入り後の、浪士の心理描写が主なテーマとなっている劇です。ここにも家族関係の微妙な問題(千之助の父、孝太郎は、離婚をしたらしい。千之助君は、15歳と言う精神的に、微妙な段階なのに、大変ですね)がありますが、それには、触れず。
玉三郎に、目覚めてからは、【仙台萩】も、【阿古屋】も見ました。東劇の映画で、【籠釣瓶】も見ました。だが、『玉三郎は、複雑な心理表現が、加わる、現代風な脚本の中の方が、いいなあ』と思います。豪華な衣装に包まれて、白塗りで豪華な、髪飾りを付けた、お姫様タイプまたは、傾城(おいらん)タイプなどの、女形像には、私は、それほどには、感銘をうけません。美しいとは、思うけれど。確かに超が付くほど美しいです。が、そういう役には演技のしどころが、さしてないですね。
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副題3、『玉三郎は、岡村君を、全然知らない、または、尊敬をしていない模様ですね。その上、松竹と、吉本の、大阪における、確執も反映しているみたいに見えて、岡村君が気の毒でした』
この間、岡村君が、NHKの【プロフェッショナル】の中で、特別番組を作ってもらって、数人の有名人をインタビューするという番組がありました。私は、その番組には、全然気が付かなくて、予約録画もしていなかったのに、録画ニュースを、チェックしている際に、二つの、録画ニュースの間に、ライブで、現れる、現在の放映番組として、気が付いて、たった、15分程度、最後の部分を、録画をしておいて、後で、見て見ました。すると、その15分で、岡村君が、玉三郎を、訪問しています。
まず、そのインタビューの場所ですが、玉三郎側から指定をされている、お部屋らしかったです。それは、ロココ調の家具が置いてある、言ってみればベルサイユ宮殿を、さっぱりとさせたみたいな部屋でした。それって、松竹ビルの中にある貴賓室なのかしら? または、歌舞伎座の中にある貴賓室? と思う風情のお部屋であって、岡村君は、緊張しきっていました。
歌舞伎だって、アメリカの大統領、フランスの大統領、英国の王室の方々などが、見えるでしょうから、ロココ調の、貴賓室があるのも当然です。それではないかな? でも、岡村君向きではないのです。お笑い芸人として、出発した岡村君を迎えるのなら、もっと、砕けたお部屋が、向いていました。玉三郎が、ちゃんと、断っていましたよ。「いつも、楽屋とか何とか、そういう場所で、インタビューを受けているから、今日は、こういう場所で」と。
しかし、私は、それは、玉三郎のアイデアではなくて、大・松竹株式会社が、吉本へ、自分たちの権威を見せつける為に、そうしたと、思えました。株式を、1961年に東京の一部上場を果たした、後発であり、また、大阪発の企業である吉本興業に対する、さや当てというか、何かだと感じました。『どうだ。参ったか? こんな部屋は、吉本の、ビル内には、無いだろう』と、威張るために用意した様に感じましたよ。
それで、今、会社四季報で、資本金の額や、社員の数などで、どれくらい、実力に差があるかを調べたところ、吉本の名前が、無いのです。どうしたのでしょう。で、お気に入りに入っているはずの東証検索を見てみると、いつの間にか、リニューアルをされていて、再登録をしないといけないと、なっていました。でも、四季報にないということは、上場廃止をしたのかしら? ともかく、それを調べるのに長時間がかかってしまって、いまだ解明ができません。
で、ここで、NHKプロフェッショナルに戻ります。玉三郎の、岡村君への扱いは、『不親切な感じを受けるなあ』と言うものでした。ただ、それは、玉三郎が、岡村君が出演している番組をほとんど見ていないという事にも原因があるかもしれません。で、岡村君をほとんど知らないで、ただ、吉本の芸人としてとらえていると、ああいう態度にもなるのかもしれません。
上の節で語っている様に、玉三郎の、香川照之に対する温情ある指導を既に知っていた私には、違和感のある処でした。それに、インタビューアーが、岡村君なので、玉三郎が先に部屋に入って待っていて、そして、岡村君が、あとから入室するという流れになるはずですが、反対でした。これは、3.11の数か月後、松本龍大臣と、宮城県知事の間の、諮った様な、礼儀作法に関する喧嘩の際と同じ、しくみです。松本龍大臣を、知事の方が、ひどく待たせたというケースがありましたね。あれも、知事が先に入室をしていないといけない礼儀なのです。みなさん、何か(=力関係や政治的思惑)を示すために、よく使う方法なのかしら。(苦笑)
これは、どうしても大松竹が、吉本を、下に見ているということの反映の様な気がします。玉三郎も、岡村君も、個人の才能を売り物にする、稼業ですが、ここまで、大人物になり、有名になったのは、うら側に居る組織(松竹)のおかげなので、そちら側の思惑が、反映するのは、仕方が無い事なのでしょう。無論の事、修業時代の玉三郎の修練(鍛錬)が、岡村君の、ライオンキング挑戦などより、長期間にわたるもので、半端でないほど、量が違うわけで、しかも玉三郎は、人間国宝です。ただ、才能とか、頭脳と言う意味では、岡村君も、すごいものを持っていると思いますよ。
しかし、この際は、岡村君が、這いつくばらんばかりに、低姿勢に出て居るので、そういうときほど、偉い方である、玉三郎が、年下の、しかも、芸能的には、したであろうお笑い芸人の、岡村君を、尊敬してやってほしいと、私は、思いました。これは、どうしても、松竹の、吉本へ対する見下しに、原因があると、思います。
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副題4、『岡村君は、バーンアウトから回復をしたらしい。よかったね』
このNHKの、プロフェッショナル特番・岡村インタビューアー篇が、どうして、企画されたのかの、裏側は知りません。もしかしたら、吉本が、大松竹へ、挑戦する為に、自分のところの、旗手である岡村君を利用して、彼が「大好きだ」と、もともと言っている玉三郎に、面会をさせるために、吉本側から、企画を立てて、NHKに売り込んだ?
NHKだって、視聴率に対するテコ入れになるので、御の字だと考えて乗った? ?????です。仔細は、私には、わかりません。
私は、玉三郎は、テレビの特番(たとえば、メトロポリタン歌劇場での、鷺娘の舞踊場面の放映など)では見ていますが、舞台を見始めたのは、この2015年7月からです。岡村君の方は、わが家のこどもが家にまだいて、同居していた頃、土曜日の【ないない】を見ていました。20年ぐらい前かしら? かれが、いろいろなことに挑戦するというのを見ていました。
特に、劇団四季の、ライオンキングに、出演したいと言って、種々様々な訓練に耐える場面など、見ていて、『この子、大丈夫かしら。こんなにテンパっていて、頑張りすぎです。無理し過ぎです』と思っていたものです。そしたら案の状、バーンアウトが来てしまいましたね。
しかし、回復した模様です。よかった。で、最近の、テレビ映像を全く見ていないのですが、その、見ていた時期に、感じたことは、『非常に素直で、前向きな子だ』という事です。『一生懸命な子だ』という事です。だから、玉三郎が、軽くあしらっているという風情は、かわいそうに思いました。
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副題5、『岡村君は、玉三郎に、引退を、どうするつもりなのかを聞いていた』
さて、『軽くあしらっていて、対等な関係には、持って行っていないなあ。玉三郎は』とは、思うものの、岡村君の方は、このチャンスを生かそうと必死です。で、事前に準備をして来たであろう質問をいろいろ、繰り広げました。
その中に、「引退をどうするつもりなのか?」と言う質問がありました。すると、玉三郎が、「無論のこと、引退は、考えている」と答えました。私は、それは、大切で、良い判断だと思います。女形が、年老いて来て、頬がこけた状態で、演技をしているのは、美しくないです。玉三郎は、特に美しいのだから、美しい状態のまま、引退をしたら、その方がベターでしょう。演出家として、生きて行ってほしい。
たまたま、急に歌舞伎に興味を抱いて、演劇界と言う雑誌のバックナンバーを多数読んでいるのですが、菊之助と、七之助、梅枝、などが、若手女形として、育ってきているみたいです。七之助は、ブラザーの、コマーシャルに出て居るので、毎週、二、三回銀座に行く私は、すでに、何十回、兄の勘太郎と、ともに、その姿を大画像で、見ています。京橋にブラザーのビルがあり、その壁面に二人の、兄弟の画像が、下がっているからなのです。
二人で、【京人形】を、演じた時に、七之助は、細身すぎるとは、思いましたが、きれいです。で、他の情報として、雑誌で、間接的に知ったのですが、菊之助が【籠釣瓶】を父と一緒に、演じたそうです。また、梅枝も、相当に、演技が上手になっているそうで、ほめてあったので、玉三郎も、引退できる日が来るでしょう。
で、どういう風に引退を、して行くかについて、岡村君が、質問をしたところ、「フェイドアウトが、いい」と、言っていました。大げさな会見など行わないで、徐々に、出演演目を減らしていき、消えていくという事らしいのです。
このフェイドアウトですが、役者としては、フェイドアウトして行っても、歌舞伎界の指導者としては、引き続き、顔も、手もを出してほしいですね。
たまたま、堀越かんげん君の、たった二歳にして、最上級で、しかも最高レベルに、豪華な、お披露目演目を、用意してもらっている、姿を見ました。しかし、五年前かな? 海老蔵が、六本木で、騒ぎを起こして、舞台に出演できなくなって、玉三郎が、お正月の歌舞伎座の穴を埋めたことがあったらしいのです。
その時に、温和でストイックな玉三郎が、珍しくもいささかの苦言を、マスコミに向けてカメラの前で、発言をしたらしいのです。これは、玉三郎にしたら、ずいぶんな事だったのでしょう。そこからも類推できるナリタヤの、権勢です。
一般家庭の出身で、特権が無かった玉三郎が、大変な苦労を重ねて、立女形への道を歩んできた経路と、2才八ケ月の長男の為に、歌舞伎界総力を挙げて、お披露目を準備してあげる【ナリタヤ】との違いが、明瞭に出てしまった、今月でした。成田山新勝寺とも、縁の深い、大きな名跡の家に生まれたために、油断も油断がある、海老蔵への、あの事件の時の玉三郎の、苦言は、心からの吐露だったのでしょう。
でも、今、ネットで、知ったのですが、海老蔵も、変わったそうです。子煩悩パパ像へと、変化しているそうです。と言う挿入を入れて玉三郎へ戻りますが、
玉三郎の、老後生活が、ある意味で、心配ですね。彼は、原節子スタイルで、暮らすのかなあ? または、ちあきなおみ、スタイルで、老後を過ごすのかなあ? それとも、普通の紳士として、歌舞伎や、その他の舞台やら、映画の、演出だけは、続けていくのか?
後輩の指導も続けていくのか?
岡村君も、独身です。天才の結婚は難しく、かつ、老後生活も、ある点で、難しかろうと、思います。
そして、私の頭の中では、今、なかなか、結婚に、踏み切れないでいると言われる、普通の、一般男性の事も、心配です。年功序列度が悪いなんて言われて、無くなりつつあるけれど、あれがあったからこそ、男性は安心して結婚をすることができました。あれが、結婚制度を持続させていたのですよ。とんでもない破壊を、日本社会へもたらしている最近の永田町です。
一億総活躍社会だとか、女性が活躍できる社会だとか、言っていますが、言葉の綾だけですね。本当は、一億総不安化社会へ、持って行ってしまっています。
困り切る社会や、政治ですが、私も微力で、何もできない人間の一人です。ときどき、娯楽に触れて、気分を刷新していますが、数年前までは、歌舞伎に行くなんて言う余裕もなかったのです。その頃に比較をすると、少し、心理的なゆとりが出てきたと言うところかな?・・・・・
小さいころは親に連れて行ってもらって、歌舞伎を見ていました。今回の50年祭の主役である曽祖父の方の海老蔵(十一代団十郎?)も、見ているし、梅枝の曽祖父の方の時蔵(三世?)も、見て覚えております。この二人の役者は、とても、美しかったという記憶があります。
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2015年11月18日から19日にかけてこれを書く 雨宮舜(本名 川崎千恵子)
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