銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

2013年10月5日に、07年の4月から、自覚した長い苦労の後を振り返ってみた

2013-10-05 12:53:34 | 政治

 この一文は、それほど、直接的に危険なところは無いのですが、それでも、ツィッター方式で書かせていただき、できた順に、その内容に沿ったタイトルをつけさせてくださいませ。

『一回目は、山口百恵は、なぜ、普通の主婦になりえたのか』でしたが、二回目は、

 『普段使い慣れていない路線で、最終電車を捕まえるのは、危機一髪のスリルが有る?』として、それを、五時間ぐらい使いました。その次に、三度目として『韓国の記者が、原爆が落ちたのは天罰だといった本当の理由を、今再検証してみる』を使っています。というまえがきを、書き始めてから、7時間後に入れました。今は、4回目のタイトル『材木座の命名権を、豊島屋が1200万円出して買った件を、今、再検証してみよう』としていました。だが、この一文の、副題7以下を別賞に移しましたので、また、タイトルを変えました。という前置きを置いて****罫線以下に本日の冒頭が始まります。

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 これは、前報の続きです。

 私は、10月2日の水曜日に、渋谷でレイトショーを見て、その帰りは鎌倉には帰り着けないと判断し、しかも次の日に、自分の持ち家の高枝きり後のごみを、捨てるためには、ホテルに泊まったほうがいいと判断して、ネットで、横須賀のホテルを探し、もっとも大きなホテルとして、メルキュールホテルを、選び宿泊をいたしました。

副題1、『やられました。今回も、敵さんたちに数々のいやがらせを受けました。それは、いつものことですが・・・・・』

副題2、『私は携帯を使えない。それも、五億円の被害のうちのひとつだ』

副題3、『終電間際は、スリルがいっぱいだ。頭を使い切ったぞ』

副題4、『環境に順応しつつ、最善を尽くそう』

副題6、『パソコンは持参をしているが、ブログの手当てをしないことと、その夜は、決意する』

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副題1、『やられました。今回も、敵さんたちに数々のいやがらせを受けました。それは、いつものことですが・・・・・』

 ところで、私は前報で、元、駒澤大学教授と、國學院大學講師の夫婦である前田祝一・清子夫妻と、元横須賀市・副市長である杉本夫・正子夫妻について、種々様々なことを書いています。あれでも、書き足らないぐらいなのですが、ただ、ご本人達にとって見れば、ずいぶん古いことを持ち出して、迷惑だと、思う気持ちも有るでしょう。それでも、持ち出すのは、いまだに、激しい攻撃があるからです。それが、特に、なにかの、変化・・・・・今回は、プチ旅行で横須賀に泊まるという変化・・・・が、私側に、起きるときに、起こります。しつこく、しつこく、狙われています。そういう話から、文章が始まると、皆様も、お読みになりにくいと思って、できるだけ、違う書き方で、今までは、書いてまいりました。

 だが、この一文では、その攻撃についても触れたいのです。文としては、ホテル一泊のいきさつの二回目なので、その総体を時系列的に書いていくこととなり、最初は渋谷駅の話です。

 まず、渋谷でレイトショーを見た映画館は、シアターイメージフォーラムであって、夜の9時15分から始まるものであって、終わったのが、11時10分前ごろでした。

 渋谷駅には、宮益坂の途中で、ヒカリエに入り、旧東横線そばの階段を利用して、JR渋谷駅に入り、湘南新宿ラインのホームに入ります。入ろうとします。

 そのときに、東横線の旧駅そばで、荷物を持ってくれる人が現れました。私はいつも、こういう人に助けられます。老人めいて見えるからでしょうが、それでも、助けてもらえないときもあるのに、助けてもらえるのはうれしいことで、そういうときに、日本人って、本当に優雅で優しいのだと、感得をします。

 渋谷駅はなかなかに大きな駅ですが、いましたね本日も、JRのガードマンが。特に見事にも、湘南新宿ラインに向かう改札口横に。しかも、彼は、私を追いかけて、湘南新宿ラインのホームにまでも、やってきました。これがいるということが、嫌がらせの典型で、お前を追いかけているんだぞという敵さんたちの示威行動です。

 でもね、そんなことをやられる筋合いが、私の方にまったくといってよいほどありません。ただ一点、思い起こす理由らしきものは、杉本副市長夫妻が、横須賀市の水道山が一種の知的詐欺(=地籍変更届)を利用して、ある個人にただ取りされたいきさつを看過したことを、知っているからです。それから、ご近所のわがまま主婦石川和子さんの猫に関するケースですが(のちに詳述)

 横須賀市で、公有地をただどりしたある個人というのは、旧大日本帝国海軍の、参謀で、益山某といいます。秘密主義で暮らしていたので、下の名前を知りません。町内会にも所属しないし、電話帳にも40年前から、名前を載せていなかったと思います。戦後パージに出会って、経済的に苦しかったのも、理解できますが、旧軍時代に、確認した横須賀市の地形を熟知し、それを最大限に利用して、割のいいビジネスを展開していた人物で、その親友が、瀬島龍三という戦後、最大のエージェントです。

 瀬島龍三は、一応死んだことになっていますが、生きているうちに、めぼしいところには、主要な部下を配置したみたいで、今は、日本全国が、エージェント下に支配をされています。永田町の議員の中にも、一部エージェントが、入っているだろうとは思われますが、経済界にも、文化界にも、入っています。そして、NTTとかJR東日本、または、警察まで、支配下においています。

 その、ただ取りをされた土地は、一応書類上は体裁が整っていますので、犯罪として、私が告発することはできません。だが、実質的には、そこに犯罪があったのです。その目撃者として、命を狙われているわけですが、*1)ずどんと、ピストルで、撃つことも・・・・・自宅に名前も名乗らない外人が訪ねてくるという形で・・・・・企画をされたし、*2)拉致されることも・・・・・パリ・バスティーユ駅の改札外の地下道で、背の高い外人一味に囲まれて、拉致されそうになるという形で・・・・・企画をされたのですが、すべて、見事にかいくぐって、逃げおおせています。

 で、最後の手段として、嫌がらせを繰り返して、ノイローゼにさせて、入院させてしまおうとされていて、問題の土地、北久里浜から、鎌倉へ、引っ越してきたとたんに、最大の嫌がらせである、アジサイ畑欺もう事件が起こされました。

 そちらの方の主役が、上に上げた前田夫妻( その友人の安野夫妻、柳沢昇と、故石川和子夫妻)なのです。そして、私の見るところ、この三組の夫婦を後ろから繰っている存在もあり、それが、伊藤玄二郎のようですね。ただし、あまりにもこの山に警察が食い込んでいるので、警察が直接あれこれを、指導しているのかもしれません。

 上は、町内会のお知らせ用看板ですが、全部警察からのお知らせです。一応絵入りで、楽しそうに見えますが、こんな町内会看板などほかの地域では見たことがありません。変な場所です。

 それも含めて数々不当なことがあるのです。それは、本来なら、許せないことですが、一応やられてしまっているので、それを、逐一、私はブログで、書いているわけです。

 ただ、これらエージェントたちは別にして、使役されている方の、一般市民の中で、もっとも大きな、悪人は、杉本夫妻でしょうね。だって、当時横須賀市の土木課長であって、私が事のいきさつを、ちゃんとただしく告げているわけですから、まともな精神を持っている公務員だったら、すぐ、横須賀市の上層部と相談して、食い止めないといけないのです。しかも、そのあとで、見事に私財が増えているなあと見える御仁なので、一番、悪人だと定義できます。しかも、正子夫人の方が、私の普段の生活に対して、種々の妨害行動も起こしている人ですから。

 ただし、食い止める前に、瀬島龍三側が、当時の市長、(横山某氏と記憶しているが)まで、巻き込んでいたら、阻止し得なかったかもしれませんが、しかし、私が、現在こうむっているような数々の、損失をこうむるゆえんは、イチゴウも、ありません。それは、大声で、宣言をさせていただきます。

 えらそうにする、鎌倉の方の、ご近所主婦軍団(安野夫人、前田夫人、石川和子さん、および、最近、リクルートをされている第三軍団の主婦達)を眺めながら、私が長い間、どれほど、内心で、嘲り笑ってきたか、そのレベルは計り知れないほどです。悪辣な人間に利用をされているだけなのに、威張りかえっていて、本当に恥ずかしい女性達だ。人間としては、考えられない連中だ。まあ、悪魔と、認ずれば済むことだけどと思ってきたわけです。

 そこへ、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊したわけですから、本当に胸がスカッといたしましたよ。吉田茂穂宮司さまは、早急に方針変換をなさらないと、致命的な、損失を八幡宮本体に与えることとなるでしょう。伊藤玄二郎たちとは、縁をおきりになることです。そうしないと、さらに、大変なことが訪れるでしょう。きっとそうなります。

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副題2、『私は携帯を使えない。それも、五億円の被害のうちのひとつだ』

  JR渋谷駅には、改札口が、今のところ、4箇所に設けられていて、通っているのは、山手線と、湘南新宿ラインと、臨海線の三つです。で、旧東横線の駅が、JRに譲り渡されて、そこに新しいホームができて、湘南新宿ラインが、より、乗り込みやすくなるらしいのですが、今のところ、渋谷・青山にある、シアターイメージフォーラムからは、15分近くかかって、やっと、乗車口にたどり着けるという始末です。無論、渋谷警察署前の小さな南口を使えば、三分程度、短縮される可能性はありますが、道路の横断に待たされる可能性も有るので、今使った道が、最短距離だといったほうがいいでしょう。

 さて、ホームに入って唖然呆然です。なんと、湘南新宿ラインの、最終電車は、夜11時3分渋谷発で終わりでした。そのことは母の見舞いをやっていたころにすでに、知っていたのですが、映画が、それに間に合わない時間まで、かかるとは、想像を、していなかったのです。

 ここで、読者の皆様は、こう、おっしゃるでしょう。

 「ナニやっているのですか? あなた。携帯で、時刻表を見ればいいのに」と。そうですね。私もそう思います。だが、携帯が使いにくいのです。それに、GPS機能が付いています。それを利用して、いじめ策がとられます。どういういじめ策かというと、友人の家に行く際にも、歯医者さんに行く際にも、必ず目立つ場所で、工事をしています。水道工事と、電気工事が主ですが、最初は、共同溝工事という名前で行われていました。電話局も工事をします。で、工事現場においてある発光型の赤白段だらの、コーンというものは、いつも、いじめ(または、脅かしに役に立つと思われているので、それ)用に使われています。たしかに、そのいきさつがわかっていても、その赤白だんだらコーンを見ると嫌な感じがします。

 私を脅かすために、なんと、緊急工事用・待機・工事車というのもあって、午後四時ごろ、横須賀中央駅の前で、運転席で、作業員が運転席で、昼寝をしていました。(笑)

 私が銀座のどこかの画廊によると、そこのエレベーターの監視カメラを使って、どの路線を使うかも推察されていて、その到着時を狙って、鎌倉駅か、横須賀中央駅か、それとも、久里浜駅に、JRガードマンを配置するのです。

 または、工事を起こさせるのです。これは、その地域地域の中小企業としての、工事会社に、負担をさせ、救急患者が夜間に出来したときに、当番病院があるように、当番工事会社がある模様でした。

 でね、そんなことはわかっていて、内心ではすでに平気なのですが、うっとおしいは、うっとおしいので、結局は携帯を帯同しないこととなり、だから、このように終電が、どうのこうのというときには、間違った選択をしてしまう可能性もあるわけです。それも五億円の被害のひとつです。普通の人、しかも、子供のママ友であった杉本夫妻から、これが、発生していますね。だから、怒り心頭です。

 私は、びっくりはしましたが、そのまま、そのホームにのこりました。というのも、そこから、山手線ホームに移動するだけで、五分間は余計にかかってしまいますので、この様な終電間際では、ロスをできるだけ避けないといけないからです。で、臨海線で大崎まで行くことに気持ちを変更しました。

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副題3、『終電間際は、スリルがいっぱいだ。頭を使い切ったぞ』

 私は、湘南新宿ラインを使って、渋谷から横浜まではJRでいき、横浜駅で、京急に乗り換えて、京急汐入駅へ向かうつもりでした。で、JRの切符、380円を買いました。その時に、『あれ、有楽町からは、450円のはずなのに』と、怪訝に思いましたが、東横線と価格競争をしている結果なのかもしれませんね。まあ、本当のことを言えば、キロ数がこちらの方が、少ないのでしょう。だが、変だという感覚は捨て切れません。だけど、渋谷から、ヨコハマまでが値上げされても困りますけれど。

 さて、大崎で、山手線に乗り換えます。時計を見ると、28分を逃したので、34分を、使うとしても品川駅で何を使うかは大問題です。200円のお金を無駄遣いしないためには、東海道線か、横須賀線で、横浜駅に向かうべきでしょう。私は、横須賀線の最終あたりの時刻表は頭に入っているのですが、京急のそれが、頭に入っていません。それで、200円は捨てても、品川で、京急に乗り換えるべきだと判断しました。正解でした。特急で、久里浜駅に向かうのは、それが、最終一つ前の電車でしたから。もし、私が汐入という駅ではなくて、同じヨコスカ市内でも、もっと小さな駅で、特急が止まらない駅に宿を取っていたら、危うく、キャンセル料を支払わないといけなかったでしょう。そうなったら、鎌倉へ帰らざるを得ず、「泥棒が入るので、ドアチェーンをかけて寝てくださいね」と頼んでいる主人が、夜中に、トイレに起きるまで、そとで、持っているパソコンを打ちながら、待つこととなったと思います。(笑) 今は、まだ、寒くないのでいいのですが・・・・・

 品川駅で、京急の終電一本前を捉えて、しかも、青物横丁で席が空いて座ることもできて、ほっとしながら、ふと、頭は別のところに撚れるのでした。

 『ああ、15年前だったら、私は、渋谷から、30分以内で、帰宅できるところに、拠点を持つつもりだったのに』と、思い起こしたのです。私は25歳のときに占い師に、一生お金には困りませんといわれているし、先輩からは「ずるいといってよいほど恵まれていらっしゃる」と、言われているほど、お小遣いに不自由をしない人間でもあります。それは、両親のおかげですが、一方で基本的には衣食住に関して、安定した生活を保障してくれている、夫がいるおかげでもあります。だから、周りの力で、経済力がある人間なのです。

 ただし、遊んで暮らしてきたつもりは無いのですよ。山口果林さんの本を読んでも、それから、ほかの人の伝記を読んでみても、比較しても同じくらい働いています。私は私なりに、いつもぎりぎるのところまで、がんばって、やれることをやっていますので、怠けてきた記憶は一切無いのです。ただ、それらは、すべて、報酬をいただけない仕事なので、神様が、こういう別の形で、活動費を恵んでくださっていると考えています。

 そうはいっても、2007年に、パソコンが壊れるという形で、敵から攻撃されていることに、気がつくまでは、順調に出世できると考えていたので、今より、はるかに大きな生活を送っていました。で、そのまま行けば、今では、本は公的に、10冊は出しているはずで、各種の団体の会員にもなっていて、会合はしょっちゅうあって、

 また、そのお付き合いとは、別に、自分自身でも、今よりさらに活発に動いているはずであって、インプットも激しくしているはずであって、だから、都心で夜遅くまで、活動をしているはずでした。

 そのためには、母から入る予定の遺産を使って、戸越銀座あたりか、武蔵小山辺りか、または、蒲田あたりに、駅近で、45平米ぐらいの中古のマンションを、1500万円程度で手に入れるはずでした。第二の、拠点とするはずで、それを保持していれば、渋谷で、レイトショーを見ても、らくらくに寝る場所に帰り着くはずでした。

 今、2013年には、マンションはアベノミクスのおかげで、高くなっていますが、こういう行動を、2008年ごろに起こしていれば、買えたはずです。だけど、2007年に、急にパソコンがおかしくなったり、真夜中に、電話がワン切りをされたり、プリンターがカタカタ言ったりする脅かしを受け、自分がはめられている仕組みも、わかってきて、それゆえに、すっかり、前に進む意欲を失い、予定が狂ってしまったのでした。

 ただし、あきらめきれない私は、場所を変更して、沼津あたりとか、富士山近辺とか、ともかく、静岡県に、第二拠点を作ることも考えたのですが、これが、親族やら、夫に無駄だと、大反対をされ、そちらも頓挫してしまい、仕方が無くて、横須賀に一戸建て古家、もしくは、土地をほしいと考えたのです。攻撃を受けたとしても、参ったまま泣き寝入りをしている人間でもないので。それが前報に書いた、メルキュールホテルの、19階から見下ろした、汐入五丁目、または、汐入、四丁目、三丁目、田浦一帯、および追浜にいたる、丘陵地帯の物件でした。

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副題4、『環境に順応しつつ、最善を尽くそう・・・・・と、決意して、今は、穏やかな心境である私だが、』

 私が最もあせっていたのは、2006年ごろではなかったかと、思います。人間は死すべき運命にあります。だが、死ぬ前に果たすべき役割もあります。私は一応二人の子供を育てました。社会的には、彼らが働いて、年金の下支えをしてくれるわけであって、義務を果たしたともいえましょう。四年制の大学を出ている母親は、一般的に言って、子育てが下手なケースが多くて、引きこもりになったり、結婚をしなかったり、離婚をするお子さんを輩出したりします。それをわき目で見ているから、ここまでやったら上等、上等などと、自分を慰めもするのですが、でも、小さいころから、優秀だと回りに、もてはやされてきていて、友人が「東大教授です」と聞いたり、「どこそこ大学の学長になりました」と聞いたりすれば、

 やはり、ひとかどの仕事人として、名を、あげたいと思うのも当然の成り行きです。ずいぶんと働いているつもりはありました。五層ぐらいに多重に仕事をこなしていて、銀座でも、相当な存在感があり、「銀座で、川崎千恵子を知らないのはもぐりだ」と、言われたほどです。

 このころ、自分自身では、まだまだだと思っていたし、マスメディアに乗っている有名人からは、ハエのごとく小さいと、無視されきっていました。が、神の視座から見れば、相当にいい仕事をしていたのではないかと思います。だからこそ、激しい攻撃を受けたのだと、推察しています。本当に激しい攻撃でした。このブログの世界で、必要性があった時にたまに書いていますが、まだ、まだ、その被害の全体像は、書ききれていないのですよ。攻撃の実態については、30%程度しか書いていません。攻撃がなぜ、行われるかの理由については、相当に、踏み込んで書いていますが、・・・・・

 でもね、攻撃が、自覚をされ始めて、6年になります。慣れてきました。そして、その状況下でどう生きるかを新しく模索をし始めています。

 それは、福島県で、原発直近で、被害をこうむった人々、北海道や新潟で、地震の被害にあった人、広島で、原爆の投下直下にいた人、または、その後支援に入って被爆をした人、そして、満州にいて、財産やら命やらを失った人、など、多くの人が同じ経験をしたという種類の不合理な、損失です。不条理極まりない損失で、こうむってはいけない類の損失です。だが、悪人が、権力を握っている限り、こういう不条理な被害に、善人が会うケースもあるのです。

 特に私は自殺を願われていると感じています。それが、もっとも有効な暗殺の手段であろうと、敵さんたちが、考え出した結論なのでしょう。だから、こそ、自殺することは避けないと、いけません。それに、大体において、自殺することは、普通の人間には許されないのです。大天才には、許されるかもしれませんが、子供を生んだ女が大天才になれるわけもないし・・・・・

 赤毛のアンの作者モンゴメリー女史は、家族を経済的に豊かにするために、台所で、小説を書き始めたのですが、家族は、全部だめになってしまいました。夫はうつ病になり、子供たちは、現代用語で言うと、不良になったのです。天才になるのは、本人にとっては、よいことであっても、周辺にとっては、ひどいことであるケースが多いので、天才になりえなかったのは、母としては、正解あったかもしれないのです。で、私は何事も楽天的に考えることとしていて、計画通りに、第2拠点が作れなくても、『ああいいかな。それでも』と思っていて、家から一時間以内の場所でも、ホテルを使おうと、思っていますし、渋谷駅のホームにまで、ガードマンが追いかけてきて、脅かしを強めても、『ふーん、もしかすると、刑事の偽装かしら』とまず思い、その次に、『それなら、書いてもいいでしょうね。明日、前田家のことも、杉本家のことも』と、思うのでした。

 ともかく、ゆったりと構えることにして、今持っているものを最大限に生かすこととしています。今私は、前田家の悪行を書くのも、安野家の悪行を書くのも、杉本家の悪行を書くのも、何の心の痛みを伴うことなく、できますね。最初はやはり、嫌で嫌で、たまりませんでしたが、今はすいすいできます。それほどの、損害を与えられているので、かえって、幸運だと思うほどです。

 しかも、それが、練習問題になって、敷衍できて、世界中のニュースに対して、独特の、しかも、後刻には、それが、正しかったということになる判断が、即刻にできます。

 こういうことは、私以外には書けないと思います。特に周南事件の忌わしさなど、分析できる人間は、ほかに誰もいないでしょう。まあ、50年後、100年後にそれを分析できる人間は出てくる可能性はありますが、今、それが、できるのは、私のみでしょうね。そこが得意中の得意です。

 自己を肯定できるのは幸いです。私は天地神明に誓って申しますが、被害者であるがゆえに、書く権利を得ているのです。攻撃者、または加害者が書いても、人の心を打ちませんよ。それは、小沢一郎の伝記(=ゴーストライターめいた政治記者が、ほめまくるもの)などで、すでに、証明済みのことです。

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副題5、『零時、40分に、京急汐入駅についてみると』

 ホテルにはネット予約の際、チェックインが、零時であると、記入しています。で、妨害や、嫌がらせが当然あるだろうと、推察しながら、駅を降りると、やはりありました。水道工事をやっていたのです。道路は水浸しです。

 『は、ハーン、やはり、やられましたね』と思いながらも、チェックインして、部屋の前まで行ってみると、想像通り、山側の部屋です。海側の部屋が満室であることなどありえないので、普通なら、後々リピートしてもらうことを考えて、海側を使わせるはずですが、私の場合は、繰り返される、「お前を格下へ置いてやろう」という悪意の発露でこうなります。が、まあ、まあ、と気を静めて、カードキーをドアにさします。

 事前に想像をした通り、開きません。これは、ホテルに泊まるたびに繰り返される、いじめであって、カードキーが一時的に、停止されるのです。カードキーとはIT的、仕組みを利用するものですから、すぐ、敵さんに利用をされます。しかし、フロントに下りて行って、事情を説明して、一緒に来てもらって、彼らが差し込むと、開きます。その時でも、携帯を持っていれば、いちいち、下まで降りないでも済みますね。ここでも、五億円の損失の一端を、実感させられます。

 カードキーを一瞬は無効にして、その5分後には、回復させることで、「私が、バカなことを言っているとんでもないお客である」と、フロント側に認識をさせるのが狙いです。となると、当然、若いスタッフに、内心で『田舎者目。カードキーの扱いも知らないのか』と、バカにされますね。秋葉原のワシントンホテルなど、まさしく、そうでした。女性スタッフが、明らかに私を、小ばかにしましたよ。だが、そういうことでも、目くじらを立てず、『いつかは、解明できるし』と思っていて、『いつかは、こういう攻撃を受けていることの原因者である、杉本夫妻の悪も、前田家の、悪も書けるし』と思って、いつも、穏忍自重を重ねているわけです。

 だが、メルキュールホテルのスタッフは、お行儀がよくて、内心はともかくとして、上品な態度のまま終始してくれました。

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副題6、『パソコンは持参をしているが、ブログの手当てをしないことと、その夜は、決意する』

 私は、そのホテル宿泊の夜には、ブログの手当てをしないことと決意しました。この様に、長時間自宅を開ける場合、2010年度までは、自分のパソコンも持参したし、ホテルの貸しパソコンも借りて、二台で、仕事をしたものです。ただし、最近の攻撃は、技術的に、これまたすさまじい段階に達しています。ブログの推敲を約束しているから、電車の中で、パソコンを打とうと考えて、グリーン車の切符を買います。前の座席についている、テーブルを下して、いざ、打ち込みを開始しようと思うと、マイクロソフトのワードがおかしくて、文章が書けません。あいうえおの、あを入力するとおかしな記号が、5つぐらい連なる形で、変換をされます。私が、どこにいても、また、自分の意思、如何にかかわらず、インターネットに接続をされてしまい、外から、迫害を受けるというわけです。つまり、ブログもさることながら、私の本作りが最も怖いことらしくて、それを、やらせないようにありと、あらゆるテクニックが駆使されています。

 で、この2012年五月、天城高原に、一泊旅行へ行った時も、自分のパソコンがめったメタになってしまい、どうしようもなかったことを思い出し、あきらめることにいたしました。ただし、その時には、お客さんが、ホテルのパソコンのありかを教えてくれたし、ロビーで、仕事をすると、自分のパソコンも回復しましたので、助かったのです。

 ホテルのパソコンが、リゾートタイプなので、普通の場所ではないところにパソコンが置いてありました。でも、普通だったら今のレジャーは老人組が多くて、夜の12時過ぎにロビーに下りてくる人もいない筈なのに、たまたま、お若い人がいて、降りてきたのです。その人が、ホテルのロビーで、ホテルのパソコンを使っていたので、おいてある場所が分かりました。そんな小さなポイントでも、神の加護というものを感じる私です。

 このように読者にお約束をしていたことができなくても、あまり、あわてないのが最近の私です。そこが余裕の表れでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、上の文章はいつもとは違って、倒置法で、もっとも言いたいことを先に置いた文章です。ただし、私は読者の皆様に向かってというよりも、天に向かって書く傾向があり、この一文が、読者の皆様に、受けるかどうかということを顧慮しておりません。

 それでも、推敲しているうちにどんどん長くなったので、副題7以下を後ろへ、新しい項目としてまわしました。

 で、この一文も、前のタイトルは、違っておりましたが、今、五回目のタイトルをつけたところです。で、本日(推敲中にすでに、7日に入っている)は、ここで、とめとして、日付と署名を入れたいと存じます。

   2013年10月5日に書き始め7日に推敲を終える。雨宮舜(本名川崎千恵子)

 この一文は起承転結が完成していません。でも、書いてある一一の項目が、重いし濃いので、これで、本日は止めとするのをお許しくださいませ。後程、推敲をします。それが、終わったら書いた日付と、署名を入れます。なお、このブログの2010年から数え始めた、伸べ訪問回数は、1823947です。

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