銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鹿川君(昔いじめで自殺した子)の髪型、を、いぶかしむ。・・・・・(大津いじめ自殺事件)

2012-07-17 11:57:09 | Weblog

 18日時点のまえがき、

 前報は、相当に整理してクリアーにしました。「いじめが性欲の昂進に役立つ。それは、本能に合致することなので、なかなか、やめないのだ」という論理を展開していますが、
 中学校という教育の現場では、「性欲の行使など、ないはずだという表向きの解釈が蔓延しているので、なかなか、本質に向かえないという事情があると思います。そこに対する改善に、役立ちますので、どうか、お友達にご紹介いただいて、この思考が拡散することを願っています。それに向けて、実名表記(しかし、それは、大津の中学生ではなくて、鎌倉の人間たちのことですが)をされているところも、イニシャル化して、安全化いたしました。ので、どうか、よろしくお願いをいたします。その目的のために、全文を、見違えるように、枝払いをいたしました。

副題1、『実は、本日(2012-7-17)が、裁判でしたね』
副題2、『お父さんが、一時期、気弱になっていた模様ですが?』
副題3、『お母さんの存在があった模様だが』
副題4、『いじめは学校へ訴えても、警察に訴えても解決はしません。誰も助けてくれないのです』
副題5、『自殺させないためには、(それを言いたくないのだが)、母親の愛情が、とても、大切です』
副題6、『メディアに出まくった鹿川君のお母さん』
副題7、『鹿川君は、どうして、長髪だったのだろうか?』
副題8、『親がいなくても、けなげなので、他人から愛される子もいるが』
副題9、『わが子が、なぜ、引っ越し直後に、暴力を受けたか?』
副題10、『苦難の時には、宗教や哲学の勉強をしよう』

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副題1、『実は、本日(2012-7-17)が、裁判でしたね』

 お昼のNHKニュースを見ると、ご両親が大津市を訴えた裁判は、本日が初日だったとわかりました。私は、それにはとんと疎かったのですが、ともかく、市長さんが、和解を申し出でているということは、前進だと思います。

 2週間前ぐらいに、汚い形相の大津市教育委員会のなんとかさんが、「こちら側には責任がない」と記者会見で、言ったころに比べれば、前進があるでしょう。

 大津市側に立って考えると、市民一人当たり、500円の出費で、この裁判を、初審で終らせることができます。それは、一家で、ほぼ、2千円の出費です。だが、これが、高等裁判所、最高裁などにまで、向かってしまったら、市長などの市側の担当者は、人間が変わるとしても、大津市のダメージは果てしないです。『特別に、悪い不良が、やったことだ』というのなら、まだ、市、または、教育委員会、または、学校、または、校長、または、担任の責任は、問いにくくなります。だけど、PTA会長の息子を含む、学校側にとって、大切な親のお子さん方が、いじめたのですから、これは、ものすごい話になってしまいます。「親が、やくざでございました。だから、学校としては仕方がなかったのです」というわけでもなくて、普通(?)のお子さん(特に、お坊ちゃまと呼ばれる階層のお子さん)がやったことですから、『なぜ、それを阻止できなかったのか?』という点では、学校側の責任は果てしがないというほどです。

 だから、和解交渉のなかで、7千万円を超える要求が、3000万円ぐらいに、減額をされると、仮定すれば、一市民あたり、100円ぐらいのこととなります。一家で、500円となります。鎮魂の意味を込めて、お花料をささげたということで、いいのではないかしら?
 冷静すぎる判断のようですが、加害者側は、それだけの、迷惑を全市民にかけたということで、いじめることの重みを感じてほしいというわけでしょう。それは誠にまっとうだと思います。加害者側の人権云々が言われているようですが、それは、仕方がないですね。行動の重みということを、肝に銘じてほしいです。

 そして、加害者の少年たちですが、顔も名前も公開されて、人生がめちゃくちゃになったというのなら、アメリカ等、海外へ移住をすればいいのです。親戚に養子に入って、名字を変えて、現地のインターナショナルスクールに入るか? それができないのなら、お金を積んで、アメリカの地方の高校にでも、入ればいいのでしょう。そこでは、まるで、条件が違うので、アメリカ人をいじめるはずもないです。
 いじめられた側は命を落としたのですから、そのぐらいの犠牲は当然でしょう。父親がPTA会長をしたということは、エリートを目指すつもりで、高卒後は、東大へ入れるとか、京大へ入れるとかいう夢を、親子ともども、持っていたと思いますが、そちらは、ここで路線アウトです。それは、仕方がないはず。そういう制裁は受けるべきだと思います。
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副題2、『お父さんが、一時期、気弱になっていた模様ですが?』

 私は、数時間、以下の文章を前報内で、さらしました。それは、ニュースで、お父さんが、世間に対して謝ったと聞いたからです。たしかに、慰謝料をもらおうとすれば、市が相手なら、市長や、校長が個人的にそれを払うわけではなくて、市民の税金から、支払われるわけです。これは、相当に重いストレスになりますね。しかし、

 ・・・・・お子さんが自殺した今の時点では、引かないこと。弱気にならないこと。・・・・・と、勧めたのは、依然正しいと思っています。一時点で、
 このお父さんは、記者たちに対してでしょうか?、「世間をお騒がせして、申し訳ございません」と言ったそうです。まあ、そういいたくなる気持ちはわかりますが、この時点ではそれを言ってはダメです。そういうのなら最初から何事も言わないで、『あのうちの子どもが自殺したんだ。弱い精神の家だ。将来結婚相手に、あそこの家の子(つまり、きょうだい)を選んではだめだよ』という世間のレッテルに甘んじたままで、我慢をなさいませ。

 『そうじゃあないんだ。うちの子が弱かったのではない。相手が悪すぎたのだ』とお思いなら、最後まで、戦うべきです。が、自殺の前は、親は姿を見せない方がいいのです。特に警察や学校へ姿を現すのは最低な、処方らしいです。事件化したケースでは、ほとんどが、ある時点で親が乗り出して、事を紛糾させています。それは、まずいのですが、今回のように、ことが公けになったら、徹底的に戦いなさい。

 大変でしょう。職場に親に対するいじめの風潮が入るかもしれません。そういうものなのです。それでも、いったん事を起こしたら、頑張るしかないのです。それは、わきまえてください。
 それに、不思議なことですが、お子さんが自殺をされる前までは、お子さんも親も弱い存在でした。相手に負けている存在でした。だが、自殺という、大きな抗議行動を伴うと、一転、被害者側が強くなるのです。それは、裁判で相手に「勝つ」の「負ける」のという意味での、強さではなくて、行動すべき方向性が、自分に見えてきて、かつ、その行動の原動力が生まれるということです。
 それは、素直に活用なさったらいいです。お子さんが自殺をしたことを、意義あるものにするためには、『いじめは、損なのだ。おおぞんなのだ』という定義を、世間に根付かせることが必要です。だから、高額の慰謝料を請求するのも正しいことです。
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副題3、『お母さんの存在があった模様だが』

 ところで、18日のNHKのお昼のニュースでは、ご両親が大津市を訴えた裁判があったと、出ていました。私はご両親が大津市を訴えていたことも知らなかったのです。『ふーん。それで、この話題が、最近、大きく出てきたのですね。坊ちゃんが、自殺をしたのは、2011年の10月だというのに、最近急に記者会見等が頻繁に行われたのは、そういうわけでしたか。やっと、委細がわかりました。・・・・・と、思いました。
 でも、ここで、初めて、お母さんも一緒に住んでいたということがわかりました。

 それは、不思議です。私は途中で、初稿としてですが、お母さんは亡くなっているのではないかとか、離婚をしたのではないかと言っています。それは、たまたま、推敲の過程で、ひっこめていますが、どうしても、不思議でならないことがあります。それは、恐喝が、自殺の直前に行われて、マンションの部屋にまで、加害生徒たちが侵入していて、貯金通帳を盗み出し、暗号を強制的に聞き出して、お金をおろしたらしいのです。

 それが、引き金になって自殺が、起きたらしいのですが、それだけ、切迫していたのに、どうして、お母さんが、部屋にいて、子供と一緒に家を守り、そこを、シェルター(避難所)にしなかったのだろうか? ということです。

 ご両親は警察とか、学校へいじめのことで、自殺前に相談をしています。だから、子供が苦境にあることを知っているのに、どうして、子供を守らなかったのだろう。

 それで、お母さんが、その時に留守だったのが、もし、お勤めで、留守だったのだったら、『甘い』と言わないとだめだと、私は考えるのです。
 大昔、埼玉県で、女子高校生、コンクリート詰め殺人事件と、言うのが起こりました。そのあとで、「葬式ごっこ」といういじめを受けた、東京都中野区(?)の中学生鹿川君が、岩手県の駅まで行って、自殺をしました。この鹿川君の事件は、今回の事件ととても似ています。いじめた子たちは、普通の子たちでした。一部のリーダーがいて、それに同調して、先生も一緒になって、葬式ごっことか言って、一人、鹿川君をターゲットにしていじめたのです。

 被害者の鹿川君は、おばあちゃんの住んでいる町まで行って、駅中のトイレで、自殺をしたのです。詳細は伝わっていませんが、もしかしたら、切符代を持っておらず、それで、改札を通り抜けられず、したがって、帰ることもできず、絶望をして、駅のトイレで、自殺をしたのかもしれません。そこまで追い詰められたとすると、本当にかわいそうです。

 そういう過去の事件の情報がいっぱい、あると思います。インターネットなどを調べると情報が詳細に手に入るでしょう。私なんか、全部覚えております。そういうものを研究すると、普通の子でも、どれほど、恐ろしいことをしてしまうかがわかります。心理的な重層状態というのは、相当に激しいことが起こりうるのです。ヒットラーの精神構造と同じようになります。となると、危機的状況に、ご自分のお子さんがあることがわかるはずです。それなのに、どうして、お母さんが、家にいて、子供を守らなかったのだろう。

 それと、『それほど、つらかったのなら、どうして、「学校を休んでいいわよ」とお母さん、もしくは、お父さんは、子供に言わなかったのだろう。
 お子さんもご両親も、つらいことは無論、解ります。だけど、苦難の時ほど、上手な選択をしないとだめなのです。
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副題4、『いじめは学校へ訴えても、警察に訴えても解決はしません。誰も助けてくれないのです』

 実は、途中で、ご両親が、学校や、警察へ訴えているということを知りました。これは、本当はまずいのです。それでは、何も解決をしません。というのも、学校も、警察も24時間、子供を観察し、縛っておくことはできません。特に加害者たちが、まだ、犯罪人となっていないので、何の拘束力もありません。

 すると、大人の見ていない場所で、ひどいことを、さらにやるようになります。弁護士さんなども、実際には何も手が出せません。これは、加害者側、子供たちの、心からの、反省がないと、止むことがないのです。中途半端に、学校などの権威に救済を求めてしまうと、加害者側児童の、恐怖心を刺激しますので、より激しいいじめが始まります。

 では、どうすればいいかですが、転校などを企画するしかないのでしょう。

 で、昨日の、段階で、以下のように私が、提案をしています。
 こういうケースでは、お子さんを親戚に預けた方がいいです。おじいちゃんの家とか、おばさんの家に事情を話して、一年ぐらい預けて、転校をさせるのがベターです。
 ただし、お父さんは、一週間に一度以上、そちらを訪ねて、心からのお礼を言う。経済的に相手に負担をかけた部分は、必ず支払う。祖父母が相手でも甘えない。などの条件が必要でしょう。

 適宜な親戚がないのなら、会社の知人等にお願いしてみる。それもだめならお子さんとよく相談をして、別の地域の施設に一時期預け、施設から学校へ通わせるという措置なども必要だと思います。ただ、頻繁に会いに行くと、今度は施設内でねたまれる可能性もあるので、賢くふるまって、子供に、自立を促す。そのうちに、自分が引っ越して、そちらに移り、子供を、引き取ってもよい。本当に愛しているのなら、いろいろ工夫はできるでしょう。
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副題5、『自殺させないためには、(それを言いたくないのだが)、母親の愛情が、とても、大切です』

 このご両親が、裁判を起こすまでに、追い詰められているのはわかります。それに、お子さんが自殺をしてしまったら、それを無駄にしないためにも聖戦を、始めるのは正しいのです。自殺をする前までは、上のように、個人的に、解決した方がいいのです。誰にも知られない形で、転校するのが、負けているみたいでも、そちらがベターなのですが、自殺してしまったら、あとは、堂々と戦った方がいいのです。

 で、明日、加害児童を、暴行容疑で、刑事告訴すると聞いていますが、それもいいでしょう。私は、いじめをなくしたい方だから、このご両親の足を引っ張りたくはないです。

 ただ、いじめはどこにでもあるのですが、親の対応が正しければ、子供は、自殺をしないのではないかしら?
 親を悲しませるということは、子供の、自殺への抑止力とはなると思うのです。それに、さっさと、転校をしてしまっていれば、ここまではならなかったとも思います。
 そこで、再び、疑問になるのは、お母さんは、どういう人で、いったい何をして、いたのだろうということです。

 ここで、右と左へ想像が分かれます。

 お母さんは、*Aの路線;;;;;;優秀なキャリアーウーマンで、お子さんを理想的な紳士に育てたくて、小さい時から、そういう風にしつけたのか、

*Bの路線;;;;;;それとも、心身ともに、とても弱くて、負けることが多いので、それを嫌がって、ご近所付き合いもしていないし、小学校時代もママ友もできなかった。そういう気弱でおとなしくてとろいタイプなのか? だから、子供が、ここまで悲劇的な状況に追い詰められていても、何をするでもなくて、手をこまねいていたのか?

 それが、何も伝えられていないので、何もここで、話が、進行しないのですが、
 まあ、別に、
 週刊誌にそれを取材してほしいとも、ここでは、まだ思わないです。この件はお父さんが前面に出ていますので、お母さんが前面に出てこなくてもいいのでしょう。それから、鬼女と言って、こういう事件の際に、事件のご近所に住んでいる人が2チャンネルやツィッターで、情報を展開するそうですが、それに頼もうとも思わないです。だが、不思議でならないです。
 お母さんが、どうして、子供の自殺を阻止できなかったか?
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副題6、『メディアに出まくった鹿川君のお母さん』

 以前の事件を研究している、この大津の事件のお父さんが賢くて、こういう事件の際に、メディアに露出する、女・親の一種の馬鹿さ加減を、知っていて、それで、自分の奥さんのメディアへの露出を抑えているのかしら? 西鉄バスハイジャック事件の親などもひどかったですね。
 また、整形で有名な市橋容疑者のお母さんは、謝罪の言葉を述べましたが、違和感がありました。普通に育てたなら、絶対に直前までほぼ無関係だった人間を殺すはずはないです。『なにか、お母さんの育て方が間違っていたのよ』と、見ている方では思いますから、お医者さんであっても何であっても、メディアに自分をさらさない方がよかったです。

 コンクリート詰め殺人事件の時は被害者のお名前と顔写真は出ました。健康的で、美形の御嬢さん。だけど、夜バイトをしていました。それで、悪人たちに目をつけられて、計画的に拉致されたのです。そして、拉致後、40日間もかけてサディスティックないじめを受け続けて、殺されました。お母さんは、そのご、心の病にかかったとも聞いています。

 当たり前です。ごく近所の普通のうちで、監禁されていたのです。どうして、救ってやれなかったか? 考えても考えても、その不条理に、納得がいかず、涙、涙の、余生でしょう。そして、メディアにあれこれを語ることもなかったです。

 ところが、とても不思議な存在が、鹿川君のお母さんです。最初は、それをとがめる人はいなかったのですが、数か月後には、『やはり、あのお母さん変だ』となって、急にひっそりと、メディアから消えました。が、一時期、悲劇の母として、取材されまくっていて、それに応じまくっていました。

 顔が美形とは言えないのですが、総合点でいえば、感じのよいおしゃれな人です。そこらへんのおばちゃんという感じではなくて、キャリアーウーマンタイプ。それも、編集者みたいな、かっこいい仕事についていると、見えるタイプ。ボブというかマッシュルームというかの短い髪で、細身の体を、上等なセーターなどで包んでいる、上品な人。

 あのころは、主役の生徒である鹿川君も、顔写真が出たし、担任の教師も、お父さんも、顔写真が出ました。その頃のわたくしは、『これは、浮ついている。まるで、スターになったみたいで、いやだわ』とは感じていました。

 お母さんは、ものを上手に上品に語ることができますので、メディアは、パンとサーカス用の、得難い種を拾ったという形で、ちやほやしたと思いますが、こどもの自殺と引き換えに、自分がスターになったって、それは、本末転倒というかなんというか、変な話です。
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副題7、『鹿川君は、どうして、長髪だったのだろうか?』

 生徒として、学校新聞を作るときとか、PTAの広報委員になった時に、教えられる基本的な、ルールとして『犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになる』と言うのがあります。鹿川君のニュースは、前代未聞の衝撃的なニュースとして、世間を駆け巡り、実名もさらされたし、顔写真も公開をされました。
 鹿川君は駅のトイレに、遺書を書いていますので、頭のよい子だったと思います。

 だけど、直感として、わかるのは、お母さんが変です。愛情不足でしょう。お祖母ちゃんを頼っていますから。そのことが、鹿川君の髪型に現れていると、感じるのが私です。

 鹿川君は、肩までかかるほどの長髪です。そして、その長髪で囲まれた顔は、老成しています。かわいそうですが、はっきり言って40代の男と言ってもよいぐらいに、老成しています。これは、鹿川君の毎日が充実してはいなかったということを指し示しています。子供らしい楽しさに満ちた毎日ではなかったとみなすことができます。

 私が常に言うのは、『いじめられる子は、かわいそうに、親にも愛されて来なかったのだ』ということですが、鹿川君は、その典型のような気がします。お母さんは、事件当時、痩せてはいるものの、まるで、やつれたところがなくて、総合点では、美人の方だよねと言えるほど、すらっとして、おしゃれな女性だったのです。昔のお母さんのイメージからは遠いのです。

 そのお母さんの好みだったから、鹿川君が、長髪にしていたのでしょうか? 違うと思います。単に散髪代を渡されていなかったような気がします。それで、伸びすぎると、鹿川君は自分ではさみで切ったのだと思います。方あたりまで延びれば、後ろも、同じ長さで、自分で切ることができます。ところで、男子生徒の髪型ですが、東京は自由なのかもしれませんが、神奈川県では、子供が多い1980年代は、学校の管理体制が厳しくて、坊主頭が奨励されていました。
 鹿川君の、中学は制服が、スーツにネクタイを締めるタイプですから、長髪は、自由に許されていたと感じます。が、あそこまでの、長髪はおかしいです。昔は、千円カットはなかったのです。こどもでも、3千円ぐらいとられていたでしょう。それをお母さんは渡さなかったのではないかと、私は感じます。

 鹿川君は、おとなしいタイプの子で、別にアーチストを気取って、自己主張が強かったというタイプでもなさそうなので、あれは、ひとえに、散髪代をもらえなかった結果であるような気がします。お母さんか、お父さんの愛情が深ければ、お母さんか、お父さんが家庭で、散髪をしてあげます。お金を掛けないでもね。私は、画家になる前は、お金が自由でした。で、散髪代を削ったりする必要はなかったのですが、小学校に上がる前は、自分で、子供二人の頭をカットしていました。それは、手先が、器用だという自信もあったし、美的センスも高いという自信もあったからです。はさみもそれ専用のものを買って、切れ味が悪くなると、買い換えました。

 でも、子供が小学校へ上がったら、散髪屋さんへ任せました。中学校へ進学したら無論のことです。男の子は思春期の目覚めとともに、母親との接触を嫌がりますので、髪の毛を触るのなど、無論できません。
 私が、仮定として、貧乏で、家計を引き締めなくてはならないとしても、子供にかかる費用をケチるはずはなく、また、ケチらなければいけなかったら、中学になっても、自分がカットしてあげたでしょう。そして、うちが貧乏だったら、子供も納得をして、中学になっても頭のカットを私に任せたはずです。坊主頭だって、バリカンを買えば、簡単にできますから。
 ただ、一つだけ、お金を出さなかった件があります。それは、娘が大学生の時に、海外留学をしたいと言いましたが、『この子は、いまはまだ、根性がないので、留学すると曲がってしまうだろう。変な男の子と付き合ってしまうだろう』と、それを恐れて、許さなかったのです。が、それはある意味で、親ごころです。

 ニューヨークなどで、お金持ちの子女らしい日本人の御嬢さんが、別にハイレベルでもなさそうな白人と、路上でキスしているのなどを見ていると、女の子を海外へ若いうちに、出すことに危惧を感じます。大金持ちでインターナショナルな生活が、一生できる見込みがあるのならそれでもいいが、日本人として、日本で暮らすつもりなら、変な意味でバタくさくなるのは、だめだと思っていたのです。または、エロチックすぎる感じになる。それを嫌がったのです。それで、今でも、あの時に、許さなくてよかったと思っています。日本で普通の男性と無事に結婚をして、無事にお母さんになっていますから、あれでよかったと思っています。
 で、意地悪を言うようですが、鹿川君は、散髪代も、お母さんに要求できないほど、お母さんが、怖かったと思います。それは、一種の育児放棄(=ネグレクト)を受けていたのと同じです。赤ちゃんのことをネグレクトするのが有名ですが、中学生やら、高校生をネグレクトする可能性もあるのです。

 ここで、昔に戻りましょう。あの例の埼玉県の少女コンクリート詰め殺人事件ですが、主犯の子は、両親の愛情を受けておらず、勉強する意欲が持てなくて、親の期待に反した高校に入ります。で、きっと家庭というシェルター内にいながら、そこが、シェルターにはなっていなかったのです。屋根もあり、家具があっても、冷たい目を両親から向けられていたら、そこは隠れ家とはならないのです。
 で、中退したくなった時に、両親が、それを許すはずもなく、(いえ、単なる無関心でしょうが、子供としては、そんな親に、心の中の問題点を語って、お願いをするわけにもいかず、また、中退したのちに、生活費をもらえる可能性もなくて、・・・・・ということは家で、ご飯を食べる自由もなかったのだろうと思いますが・・・・・一人暮らしを始めます。実際は頭がいいのに、勉強しないから、偏差値的に低レベルの学校へ入ったのですが、両親がエリートなので、本人の地頭は良くて、それゆえに、周囲と合わないと感じたのでしょう。家庭内で、愛情ある会話が交わされていれば、トラブルが起きたときに、芽が小さいうちに、刈り取ることのできます。その手の人生の失敗(ここでは、高校中退を指します。20年以上前では、高校中退をすると、ほとんど、就職の望みはなかったと思います。主犯の少年本人は暗澹たる思いで、虚無感の塊だったはずで、それが、途方もない犯罪を企画させました。無関係の他人をおもちゃにして、いたぶりぬいた、その期間、一瞬でも、自分が本当に向き合わないといけない将来の不安という部分を忘れることができたのだと思います。
 そのあとですが、両親がフォローをしていないのです。「どこに住んでいるの?」とか、「お金は足りているの?」とか、「何を食べているの?」ということで、心配していないのです。

 すでに、後の祭りですが、もし、電話を掛けたり、訪問をしていたら、とんでもない生活をしていることがわかって、自宅へ連れ戻したでしょう。そうしたら、あの犯罪は生まれませんでした。
 裁判の過程で、父親は反省しています。だが、母親の方はどう考えているのか、いまだに、わかりません。最初期に、「うちの子に限って、そういうことはやっていません」といったので、そのセリフ「うちの子に限って」が、流行語になりました。でも、苦い苦い意味を込めてです。
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副題8、『親がいなくても、けなげなので、他人から愛される子もいるが』

 鎌倉の御成(おなり)中学で、校庭をバイクで駆けまわる生徒がいて、学校が手を焼いて、警察に補導をお願いしたそうです。夜乗り回すのではなくて、昼間授業中に乗り回すのですから、うるさいですしね。

 ただ、先生が、更生や、教育を放棄しているのは感じますが、その親が抗議や抵抗をしない限り、警察が介入してくることをだれも反対はできません。大学だったら大騒ぎになることですが、生徒一人が対象ですから、誰も学校側を、問題にせず警察が来たそうです。

 その時に、鎌倉の警察署は、簡単なお話だけをして、すぐ釈放をしたそうです。それは、その子が愛すべきタイプだったからのようです。子供たちも、彼をいじめません。ただ、彼の方が、劣等感を抱いていて、それを挽回すべく、バイクのエンジンを校庭で吹かすということをやったみたいです。

 警察で彼が言ったことは、「おとんが、酒ばっかり飲んでいて、おかんは、家出しちゃったんだ。おとんは、ご飯を作ってくれないから、弁当がないから、教室へ行ってもつまらない」という発言でした。

 それをご本人から聞いてきたうちの子が、わらいばなし風に言うのは、「警察もまいっちゃったらしいんだ」という点です。普通なら補導して、説教をしなくてはいけないところでしょうが、話を聞けばあまりにも、かわいそうでしょう。そんな事情のある子を、悪人として、補導できますか? 誰だって、普通の日本人なら心があるし、情があります。

 気の毒な家庭事情の中で育っていて、本人の責任ではないのですが、親の養育が足りないということは、学校が学校なだけに、余計に目立つ劣等ポイントになってしまうのです。公立だけど鎌倉おなり中学というのは、中流の上の階級のサラリーマンの子女と、鎌倉で、お店を開いている、ややお金持ちの、おうちの子女ばかり在学している私立中学に近い雰囲気を持っています。その中で、お父さんが、なぜか、(もしかしたら、工事現場で、事故にあったのかな?)働けなくなって、酒びたりになっていて、お母さんが家出をしてしまったとなれば、『これは、かわいそうだなあ。劣等感を覆すために、バイクを校庭で乗り回しても仕方がないだろう』と誰だって思いますよね。
 そこに同情したという点で、『警察署の方が、教育が専門の学校より、優しくて、子供の心理への理解が深く、結果として高い教育効果をその子に与えた。で、その子は二度と校庭をバイクで駆けまわることはなかった』というのが、うちの子を含む同級生が、大笑いしたポイントなのです。そしてそのいきさつは、その貧しい少年自身が教室で語って、みんなが感心しながら聞いてあげたみたいですよ。

 そして、生徒は誰も、その子をいじめません。陰湿な継続的ないじめはないのです。うちの子二人は学校で起きたことを、結構事細かく、夕食の時に話してくれました。私は、笑わせられたり、ほろりとさせられたりしました。
 そのあとですが、もしかしたら、その子は不登校になったかもしれません。でも、仕方がないですよね。お弁当のことやらで、毎日劣等感を刺激されるよりは、楽しいこと、特にお金を稼げることをやり始めたのなら、それで、いいのだと、みんなが思っていたでしょう。

 我が家の子供たちですが、本当は、中学の途中で横須賀から鎌倉へ転校することに、猛反対をしました。後で考えるとかわいそうなことをしました。が、結婚の際などには、住んでいる地域がブランドの高いことは、有利になるし、友達が、上品なおたくの子が多いので、一生を考えれば、転校当時の、不利は、挽回できるでしょう。

 ただし、引っ越し直後に、上の子が、暴力を伴ういじめを受けました。それは、また、後で丁寧に語りたいと思います。大変な暴力で、けがをしたそうですが、一夜限りで、決して継続はしなかったのです。それは、幸いでした。どうして幸いだったかはいろいろな条件がすべてうまくいったからです。

 でも、鹿川君に戻れば、もしかしたら、家計が、窮屈で、しかも母親の偏愛があったりして、別の兄弟が、よりかわいがられていて、そちらは、お小遣いを自由にもらえたのに、彼は、もらえなかった可能性を感じます。
 だから、老成した顔をしていたのだと、私は推察するのです。学校内にも家庭内にも安住のシェルターがなかった。それでは、自殺をしたくもなるでしょう。

 上にあげたおなり中学の男の子のケースみたいに、飛びぬけて不幸だと、それをいじめの対象にはしません。そんな弱い子をいじめるのは、人間として恥だとは、誰だって普通ならわかるからです。それに、その子の方にあっけらかんとした、いわゆる任侠びと(=高倉健)めいた、明るさもあるので、よけいに、いじめられないのでしょう。

 だが、鹿川君は、中途半端でした。圧倒的な同情を集めるほど、不幸な子でもない。だけど、普通でもない。お弁当など、質素で、恥ずかしく思ったはずですし、そういう点からも、ネクラだったと思います。母親に丁寧に面倒を見てもらっていないという不幸と、学校でもいじめられていて、輝けなかったという不幸が、重なっていたからです。

 丁寧な愛情を注がれていない子は、服装なども、あか抜けないのです。それを女の子などに、今の言葉でいう「きもい(=気持ち悪い)」と言われていた可能性は強いのです。かわいそうですが、それを強く感じます。で、教室で、集団でいじめられてしまったのです。ただし、担任が立派だと、そういうお子さんでも、守られます。あの時の担任の先生は、小太りの中年の男性で、どこか、だらしなさを感じさせる顔の人でした。だから、激しいいじめが起きる場合、は、悪い担任が蔭にいるのも確かです。そして、そういう悪い担任を、教育できない、校長がいるのも確かです。そして、そういう校長を大切にしてしまう教育委員会があるのも確かです。大津市は典型的な例を生んだのです。

 私はいじめは大っ嫌いで、昔から「自分は、いじめ問題評論家です(笑)」と言っているほどです。そしていじめは絶対に許さないとも思っています。ですから、今回の事件は、被害者遺族には頑張ってもらいたいのです。だから、30%主義で文章を書くのなら、この被害者のご家庭の、お母さんへの疑問は、公言しない方がよかったのでしょう。と、思ったし、いったん迷ったりしました。そして、もし、本日が裁判の日でなかったら、もっと、いろいろ書いた後で、その疑問を呈したと思います。
 だけど、本日鹿川君の例を挙げて、こちら、大津の事件の、お母さんの、『子供が発している自殺のサインへの気づきのなさというか、遅さ』に、疑問を呈したわけです。

 ただし、5%ぐらいですが、他殺の可能性もあります。三人の加害生徒が一致協力して、マンションの窓から投げ落とせば、他殺で、自殺を装うことはできます。そこまでは、やっていないと思いますが、もし、その自殺した生徒が、窮鼠猫を噛む状態になっていたとすれば、他殺もあり得ます。他殺なら、お母さんが、お子さんが出していた、救ってほしいというサインに気が付かなかったのもやむを得ないです。
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副題9、『わが子が、なぜ、引っ越し直後に、暴力を受けたか?』

 これからは、うちの子の話に入ります。私は鎌倉へ引っ越してきた直後に、塾の講師をしていました。横須賀時代は自宅でやっていました。が、鎌倉では地盤がないので、自宅で開講しても誰も来ないだろうと予測をして、独立したチェーン店ではない塾の講師を、アルバイト的に、やらせてもらったのです。

 で、夜自宅にいませんでした。また、主人も、松坂へ単身赴任をしていて、我が家には、子供だけ二人残っている状態でした。八月の夏休みに引っ越してきて、九月に入った、直後の話だったそうです。私は一切を知りませんでした。

 兄が妹に、「お母さんには、話すな。心配するから」と言ったそうです。で、妹も中学校生活って、どういうものかよくわかっているので、大変怖い話だけど、お母さんには黙っていたそうです。実は、非常に幸いなことに、わが子は、運動神経が抜群でした。顔は小顔です。で、外見からは華奢に見えますが、洋服を脱ぐと筋肉隆々で、運動神経が抜群でした。だから、三人を相手にしても、なんとか、勝てた模様です。別に柔道とか、空手をやっているわけではないのですが、祖父段階で、陸上の選手をしています。現在の、ユニヴァーシアード(学生陸上)で、神宮で、走り高跳びの選手をしていました。だから、それを引き継いでいます。
 そしてこんなことが起こった原因ですが、それは、はっきり言っては申し訳ないし、親ばかの範疇に入りますが、うちの子が、一種の美形なんですね。そして、口がよく回るから人気者になりそうだったからでしょう。「今のうちに、あいつをたたいておけ。でないと、あと入りのものに、リーダーシップを奪われてしまうぜ。大きな顔をされるぞ。それは、悔しいではないか」ということだったのでしょう。

 また、いじめる方は、鎌倉のサラリーマン家庭の坊ちゃんたちで、普通の子です。だから、木の棒程度を使った戦いだった模様です。それで、「お兄ちゃんって、一人で、三人をやっつけちゃったんだって。実際はとても強いのよ。だけど、ものすごいけがをして帰って来たのよ」とも言いました。

 それに、「ああいう子たちってずるいのね。制服で隠れているところだけを狙っているの。だから、学校の先生には気が付かれないようにしているのよ」とも言いました。夜に呼び出されたのだと思いますから、私服を着ているときなのに、夏用の制服で隠れるところだけを狙った、というのは知能犯タイプです。そして、同級生に対して、一対一ではなくて、集団の力を利用して、暴力をふるうなんて、確かにずるくて卑怯なことです。先生や親に知られたら大変なことだからです。
 で、そこでもわかるように、学校社会のいじめは、ありとあらゆる形で、秘密裏に行われますから、防衛の仕様がないのです。まずい状態になったら、転校か、不登校で、逃げておく方がいいです。

 妹もずっと黙っていたのですが、お嫁入りの直前に、いろいろなことをしみじみと、私と二人だけで話していた時に、ふと思い出したという形で、このことを、教えてくれました。私は全く知りませんでした。でも、知らなかったことが幸いしました。

 27歳になったころに、そのうちの二人が訪ねてきました。そちらのお母さんから「重大な話があるから、おたくのぼっちゃんに、家にいてくださるようにいってくださいね」と頼まれていましたが、息子はそれを聞いても、外出してしまいました。私はその時点でも、今になっても息子からは何も聞かされていません。だけど、あの訪問は大人になった男の子たちが、人間として自信を持ってきて、きちんと、謝罪をして仲直りをしたかったのだと思います。うちの子がそれを避けたのは、ただ、男の子特有のテレからだったでしょう。
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 ここで、挿入ですが、その訪問時に、その坊ちゃんは実家の屋根のペンキ塗りをしていました。親孝行です。親が養育してくれたことへの恩返しでしょう。『本当に、成長したものだなあ』と思って、みていました。うちの子はそれほど、剛毅なことはしてくれませんが、心の中では感謝してくれているみたいです。釣りの成果をよく持ってきてくれます。それは、家を出てからですが、家にまだいるころに、「僕を育ているのにいくらかかった?」と聞いてきたので、1990年代の貨幣価値で、「だいたい、2千万ぐらいかかっているかな」と言ったら、申し訳ないと思ったらしくて、結婚式では一切を、自分たちだけのお金で賄い、親に援助を乞うことはありませんでした。みなとみらいのホテルでしましたので、ずいぶんと掛かったでしょうに、親は何も援助をしないで済みました。

 ところで、今、あのペンキ塗りを思い出すと、単に成長のあかしだったというよりもその坊ちゃんの、高揚した気持ちが感じられます。・・・・・中学時代は、他人に支配され、ぱしり(=手下)として、使われる立場だった。でも、27歳になった今、自分は独立した大人として、自分自身の判断で行動できる。中学時代に悪いことをしたから、謝っておいて、贖罪を果たしておこう・・・・・というのは、その坊ちゃん自身の発案だったでしょう。二人でやってきましたが、発案は彼の方だったはずです。うちの子は、それをすっぽかしたわけですが、・・・・・母の聞いている場所で、そんな御大層な挨拶など、恥ずかしくて、聞いちゃあいられないよ』という彼のテレの意識も、十分にわかります。
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 挿入から元へ戻ります。
 もし、私が子供たちが中学生だった当時に、その一切を、知っていたら、精神的に参ってしまって、誰かに相談を仕掛けたと思います。まず、電話で主人に相談したでしょう。
 そうすると主人が、ほうっておけとかいうはずで、それは、男親としては、当然でも、女親としては、かえって、心配が募ったでしょう。

 また、上に言ったように、とても、小さな所帯であり、ママ友も、子供自身の友達もまだ、鎌倉にはいない時点での話です。味方がいません。こういうときは、こちらが、とても弱い立場です。大津も、いじめ側の親は、昔からの地主だったりすると思います。地盤があるわけで、衆を恃むことができます。数の論理で勝つことができます。

 で、もし、私がその時に、鎌倉で戦いを開始したら、とても、悲惨なことになったと思います。たとえば、学校や警察に訴えたりしたらです。
 だけど、子供自身が(威風堂々とまで言ってはいけないが)、正々堂々と勝ってしまったので、本人が何も、心配をしていなかったのです。同じことが起きれば、また勝ってやると思っていたでしょう。

 だから、この件はトムソーヤーの世界。または、スタンドバイミーの世界。または、コぺル君の世界(吉野源三郎)。または、飛ぶ教室(ケストナー)の世界の範囲で終わりました。彼らがやったことは、いじめなんですよ。明白ないじめです。が、いわゆる子供の世界の喧嘩で終わりました。非常にラッキーなケースでした。
 で、今、主人がそれを私から聞いて言うのには、「いい体験になっているね。一生の宝物だよ」と。

 私はよく、自分には神様が付いていてくださると言いますが、それは、こういうことを指します。もし、あの夜の一件が長引いて、いじめられっ子に自分の子がなっていたら、激しいストレスがあって、ブログなんかはやっていられなかったかもしれません。自殺まで行ってしまえば、覚悟も決まりますが、自殺はないまま、じくじくといじめられ続けたら、低レベルの悩みを抱えているまま、一生を終わったと思います。

 あのね、眼前にある、いじめを覆して、クリアーしてしまえば、今度は、いじめられている方が、勝ちなのです。自分の道徳性に対して、それが高いことに対する自信がもてるからです。いじめる方は悲惨です。何を理由づけても、自分が、汚いことをしたという負い目から逃げることができません。精神的に、普通であればあるほど、人をいじめた経験が後で、効いてくるのです。
 加害生徒たちですが、今は、親が味方をしてくれるし、親が有力者であるがゆえに、教育委員会等も味方をしてかばってもらえます。が、大人になって、親が死んでしまった後では、どうなるでしょう。良心の呵責というのは、その子が優れていればいるほど、訪れるはずです。
 また、結婚をする際に、または、子供が生まれて自分が、子育てをする際に、もし、普通の精神を持っているのなら、絶対にこのことが思い出されて、人間としての自信が持てないはずです。心の奥底からの自信がわいてこないはずです。これはやはり海外へ行って、一からの苦労をして生活を確立して、二代か三代後で、日本へ、帰還するという人生設計をした方がいいと思います。どこかで償いをした方がいいからです。

 目の前の勝利とか、短絡的な勝利というのは、決して、本人に幸せをもたらしません。永続的なものでもないのです。
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副題10、『苦難の時には、宗教や哲学の勉強をしよう』

 子供が学校でいじめられているということを知るほど、親にとってつらいことはないです。だけど、現在の日本で、いじめの問題をクリアーすることは非常に難しいです。よい教育が学校現場で行われていないケースが多く、かつ、数の論理が支配をしていますから。

 ちくる(=告げ口をする)ということが、生徒間で、非常にいやしいことだと思われています。それも、KYなどと同じく、日本人が、被・植民地国家の、人間になっていて、高い道徳の実践ができなくなっているからです。そして、支配者側(=力の強いもの)に都合の良いような暗黙のルールや、仕組みができていて、「それに従え」と、暗黙裡に、強要されているからです。

 で、いじめられている苦難を、親に訴えることを、子供自身がしません。だから、親の方が注意深く子供を見守っている必要があるのです。特に顔色とか、風情ですね。つらそうにしていたり、落ち込んでいたりしたら、様子を注意深く見守り、口は出さないものの、十分以上に寄り添って愛情を注ぐ必要があります。

 私は、幸か不幸か、鎌倉の雇われ塾の講師は向いていなかった(生徒数が多すぎて、言うことを聞かせることができなかった)ので、それをやめて、子供を観察し、見守る専業主婦の生活へ入りました。で、まあ、なんとか、家庭内をシェルターにすることはできたかな?と、思います。

 親である私の方も、昔、22歳までの、学校社会ではいじめられなかったのに、主婦として生活する際にはいじめられました。軽口をたたいて反逆ができないとか、経済的に恵まれていることを、嫉妬されたりとか、色々原因はあります。

 ただ、ニューヨークで日本人を相手に、・・・いじめに対して、口喧嘩するという形で勝って・・・からは、大きな自信を得て、今ではどんないじめにも対処できるという自信を持っています。でも、喧嘩は伝家の宝刀で、めったには抜きません。いじめを受けたら、無視しておいて、あとで、『ああ、よかった。ブログの種ができたわね』と思うだけです。(笑)

 『人間とは何か、愛とは何か?』とそういう問題を考えるのに、トラブル(=いじめ)は欠かせない練習問題です。
苦難の折こそ、ほかの人が気が付かない、そして、学習をしていない、哲学や、宗教の問題の勉強をするべきです。そうしておいてこそ、将来の挽回の時、に、備えができるのです。

 この自殺したお子さんだって、生きていれば、将来、『ああ、ぼくの娘の方があのいじめっ子の子供より、美形に生まれた。しかも、よい伴侶を見つけて、幸せな結婚をした。これが勝利だったのだ』と思う場合もあったと思います。そういう命を支える親になるためには、苦労の多い時ほど、頑張る必要があるのです。

 頑張るとは、お子さんが自殺をする前なら、我慢をしたり忍耐をすることを指します。告訴をするような、攻勢に出ることを指すわけではありません。子供を黙って見守る姿勢です。それは、非常に疲れます。実は裁判などの動きのある方が、疲れもするでしょうが、動くゆえにすっきりして、回復も早いはずです。

 だが、それは、お子さんが自殺してしまった場合の特例です。それ以前の、お子さんが自殺をする前の段階で、ただ、手をこまねいて、『待てば海路の日和だから』と、高校へ進学するのを待っている段階とかが、一番疲れるのです。

 だから、一つの家庭内で、お母さんだけでも、仕事はやめた方がいいです。そうすると、お母さんだけでも、体が楽なので、心に余裕が出て、そういう重い、しかも、金銭的にも名誉的にも報われない家庭内のシゴトを、こなしていくことができます。ので、それは、お勧めいたします。お金よりも大切なことがあり、それを大切にしているとお金が付いてくることがあります。お金が入ってくることがあるのです。
 また、弁護士や医者などの、社会的に地位や名誉や、責任のある仕事をしていたとしても、「事件を起こした家庭の主婦であり、母であります」となれば傷口は果てしがないです。仕事の達成感では、埋め合わせても、もらえないほどの、大きな、悲しみを背負うでしょう。だから、一時期は止めて、子供に専念した方がいいです。ただし、『本当に、子どもを愛している場合は、そうなるはずだ』ということですが。
 2012年7月17日の午後零時に初稿をアップして、18日の午後四時に推敲を完成する。雨宮舜(本名川崎千恵子)

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