銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

小学生の精液発射を、問題とする、米・文芸映画、「イカとクジラ」・・・・・(大津のいじめを検討する)

2012-07-15 15:52:18 | Weblog

 タイトル文字の字数制限があるので、正しい表現がタイトルに反映しませんが、
いじめを阻止するためには、人間の性欲にきちんと向き合うことが大切だと、この一文は述べています。子供、特に中学生でも、それはすでに完成しています。いじめとは、性欲の昂進に役立つので、やるのです。それを阻止するためには、いじめている方の子供たちに、『お前は、セックスを学校という公開の、しかもハレの場でやっているのだ』と教え込むことです。そして、いじめている方の親にも、それを納得をさせて、子供たちが恥ずかしいことをやっているのは、親にとっても恥ですよと、教えることが必要です。

 今は2012年の7月17日の火曜日の10時半です。関東は抜けるような晴天です。私も7時間寝ていて元気です。今から、この全文の二度目の推敲をします。いじめと、性欲を結びつけることは、中学生を相手には驚天動地のことかもしれませんが、14歳とはすでに、体だけは成熟しています。それゆえに、以下に書いていることは、真実だと、自負しています。どうかよろしく。

副題1、『いじめとは、性的な快楽を得ることに直結をしているのだ』
副題2、『私には、五億円近い被害が及んでいるし、昨日も鎌倉・婦人子供会館で、被害を受けたので』
副題3、『いじめられる子は、実は親にも、愛されていないのだ。かわいそうにも、それが事実である』
副題4、『日本の中学校の、現場の先生への提案』
副題5、『日本での、いじめの抑止力は、恥の感覚へ訴えて、施行する』
副題6、『映画イカと、クジラに出てくる、不満を持った小学生の精液』
副題7、『翻って、大津の中学校では、教育(?)が何もない』

副題8、『救われるための処方箋』

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副題1、『いじめとは、性的な快楽を得ることに直結をしているのだ』

 ここで、私は具体的な事例を挙げて、この、・・・・・いじめとは、性欲に根差している・・・・・という独特な論理の、傍証としています。が、それを、「いやだなあ。もっと抽象化された一般論を、先に読みたい」とお考えになる方が多いとも思われますので、そちらを後回しにいたします。副題7の後ろにそれを置きます。しかも実名表記をやめております。そちらに登場するのは大人ばかりですから、別にかまわないと思いますが、この本日の独特の論理を拡散していただきたいので、しぶしぶですが、イニシャル化をしております。
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副題2、『私には、五億円近い被害が及んでいるし、土曜日も鎌倉・婦人子供会館で、被害を受けたので』

 上の章は、「もう、私は、知っていることだ。繰り返しが多くて、しつこい」と、お考えの方もあるでしょう。だがね。猫のことだけではないのです。ありとあらゆる被害があって、総額五億円に喃々としていると考えています。昨日も、鎌倉の婦人子供会館というところで不審な現象を二、三発見しました。

 が、ここでは、この婦人子供会館で発見した隠微ないじめ行為は、今は分析をいたしません。すでに、ほかのことが数々、ペンディングになっていて、それを書かないといけませんし、彼らの悪さを、ライブで、同時進行的に書くことを、私が好まないからです。

 ライブで書くと、あとから、事実をさえ変更をされます。そうすると私が損をします。ですから、絶対に変更が起きないほど、風化してからこの件を文章化して書きます。
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 この間には、一万字を超える脇道思考が、述べられていました。私にとっては、それは、ぜひ展開する必要があった思考ですが、文章があまりにも長くなり、二万字を超えますので、今回は脇道思考は、思い切って、削除をして、後程、別の問題が起こった時に、それを展開させていただきます。それは、いじめを阻止し、自殺を阻止するためにも、この文章を一般のご友人に、ご紹介をしていただきたいからです。

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副題3、『いじめられる子は、実は親にも愛されていないのだ。かわいそうにも、それが事実である』

 ここでね。皆さんが、盛り上がっている大津の被害者家族に対して、とても冷たい言い方になるみたいですが、いじめは、あっちこっちで起きるので、それに対する予防策としても、「いじめられる子側にも原因がある」と、言うことを言わないといけないのです。それは、その時点前までに、愛情を十分に受けていないということがあると、いじめられやすいのです。

 親が未熟であると、自分に愛情が十分でないことや、愛情にもいろいろな種類があることに気が付きません。私が最近、気が付いたことは、動物としての、愛情が、必要みたいです。かわいい、かわいいと、いう本能的な愛情が必要です。ただ、これは、両刃の剣であって子供をわがままにしてしまうこともあります。

 愛情とはなんだと言えば、答えは非常に難しいです。だが、学校社会で、継続的にいじめられる子供は、実は親にも動物的なレベルでは、愛されていないケースが多いのです。で、成果を上げると、親は、その名誉を喜ぶので、極端に、いい子であることを続けているケースが多いのです。いいことは、動物的な意味での強さとか自信がないです。
 そこに、動物としての勘が鋭い子供が付け入って、いじめるのです。
 私なんかも、母親自身、およびその母を尊敬していた父も学業成績は、中学程度までは、優秀でした。または、母には特別に、実力があって、成果主義でもあり、私にも、優秀であることを求めていた方です。ですから、動物的な母の愛というもおのを、受けていない一人だった可能性もあるのです。いい子だと大評判でした。で、友達の親には大変、好まれていましたが、友だち自身には敬遠をされていた可能性があるのです。

 だが、いい学校に行っていて、先生や学友がハイレベルだったから、いじめられなかったと感じます。

 無論、できの悪い親が、一種の育児放棄をやって、洋服が穢かったり、お弁当が、単純だったりして、いじめられるというのもあると思います。だけど、普通の住宅街に住んでいて、ご主人がサラリーマンであったら、普通はこどもに、手が回るはずなのです。
 でも、お母さんが仕事を持っていて忙しかったり、
 専業主婦であっても、ほかの何かに、お母さんが耽溺していると、育児放棄をしがちです。
 最近ではパチンコ依存症、アルコール依存症、フェイスブック依存症などが報告をされています。また、芸術の仕事なども時間的に、際限がないので、子供をさびしがらせたり、悲しませたりする可能性があります。
 特に小学校を卒業すると、『大人になったわね』と親は思いがちで、急に手がかからなくなったと、考えます。そして、あまり、手や言葉を出すと嫌われます。それも事実です。だから、中学生を見守るとは、結構難しいことではあります。

 ただ、最も悲惨なのは、世間一般からすると、社会的地位が高い親の家のお子さんが、いじめられっ子になっているケースです。とくに、親から、精神的な虐待を受けていたりするケースです。お父さんも、お母さんも有名大学卒なのに、愛情の面で未熟で、子供を愛していないケースは、隠されていて露見していないが、いじめられっ子の事件には、多いと思います。
 三鷹で、母親が弁護士なのに、兄弟間殺人事件が起きたことがあります。それは、お母さんに殺された二男への偏愛があったからの模様です。で、長男が、次男を殺しました。それって、気が付かないで、親が子供をいじめているケースの結果です。母親が弁護士という大成功したご家庭が、一転して、暗転して、人から後ろ指を指される失敗例となりました。だから、普段の生活がいかに大切かがわかります。

 いじめられっ子というのは喧嘩ができないタイプの子供です。兄弟が少なかったり、近所の子供と遊ばなかったりします。で、表面上の行動は極めておとなしくて、いい子であって、反抗も喧嘩もしません。で、いじめられ始めたら最初期に、けんかをして、力関係で対等だと示しておかないといけないのに、それが、できません。だけど、芯は強かったりします。そうなると、徹底的にいじめられます。だから、愛の勉強って、とことん、大切です。親が親であるための勉強も実は必要です。

 自然に任せていたら、<<<自分が、実は、親であることに未熟であるという>>>、そのことに、さえ気が付かない親が、大勢できてしまうと思います。特に最近は電化製品が発達していて、母親が、家事労働に苦労をしている姿を子供が見ないので、子供に、自然な意味で、母親に対する敬愛がわかないようですし、難しくなっています。

 ただし、こういう言い方だけで終わってしまうと余りにも絶望的なので、最後の章で、助かるためにはどうしたらよいのかの処方箋を考え出したいと思います。
 特に、子供のいじめが発覚した時に、親はどう行動すべきなのかについて。 
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副題4、『日本の中学校の、現場の先生への提案』

 この学校では、体育祭でも、いじめ現象がみられたそうです。驚くべきことですが、いじめがあることは、先生方が数人は気が付いていたと思います。

 でね、親がPTA会長とか三役とかをやっているので、おもねって、何も手を打たなかったというのが、本当の話だと思います。が、これからは、どの学校でも、見えるいじめ行為は、即座にビデを撮影をすることを提案します。この学校、皇子山中学だけではなくて、全日本の中学校と高等学校で、それを提案します。

 「本当は、それは、犯罪行為なのだ」といっても、いじめる生徒が納得をしないでしょうから、「お前らは、実は、いま、セックスをしているのだ。それを、撮影しておく。そして、お前らが大人になって、結婚式を挙げるときに、それを上映する」と言えばよいのです。

 いじめ行為とは、セックスの前戯と同じものなのです。べっとべとに濡れている、まなざしの交換をする、石川和子と、柳沢昇の様子を、毎晩二年間も見せつけられてきていて、つくづくそれが、私には、わかって来ています。

 今、大問題になっている、大津のいじめ中学生も同じでしょう。彼らが、夜寝るときに、布団の中で、自慰行動などをしていて、その際に、・・・昼間のいじめ行動が、ホルモン分泌を促していて、体中に、そういうものが満ちていて、快楽を瞬時に味わうことができて、従って、安眠に入れる・・・、などということがあって、それを、やらざるを得なくなっていたのでしょう。

 で、女子の場合は隠微ないじめをするので、表ざたになりにくいのですが、一学期に一回ぐらい全校アンケートを取って、いじめをする生徒がいたら、いじめの現場を、できるだけ、撮影しておくことです。絶対に撮影しておくことです。
 人権がなんとかと言っている場合ではないです。その言葉とか、プライバシーがなんとかという言葉は、力を頼って、悪いことをする人間たちの常とう句です。悪い方が悪事を隠すために使う常とう句なのです。だから、悪質ないじめがはびこり、絶滅されないのです。
 それは、抑えておいて結構です。
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副題5、『日本での、いじめの抑止力は、恥の感覚へ訴えて、施行する』

 私はね。いじめを抑止することが難しいのはわかっています。だけど、今回のように親が立派な人である場合、恥の感覚に訴えるのがいいのです。私は親の職業だけしか知りません。PTA会長は、中小企業の社長だという話です。お金と暇はあるのでしょう。が、主人が電車の中吊りで見たそうですが、京都大学の医学部卒だそうです。どっちが正しいかはわかりませんし、京都大学卒というのは、三人のいじめ役の一人のお父さんかもしれませんけれどね。

 私はね。こどもの方に自覚を持ってほしいと思います。だけど、今回のように、子供たちは、なにか、悪魔に憑依されたような状態になってしまっていて、反省する姿勢は、獲得できない模様です。

 そういうときに、子どもたちの親に向かって、「あなたのお子さんは、学校で、セックス遊戯にふけっています。とても恥ずかしいことです。やめさせてください」と言えば、彼らも、社会的名誉にかけて、やめさせるでしょう。いじめという言葉と解釈をやめるのです。「公の場で、服を着たセックスをしているのですよ」と解説すれば、親も、納得をするでしょう。そういう快楽があるから、いじめが、道徳的に悪いことだと、頭では、わかっていても、快楽に負けて、いじめ続けるのです。でも、「いじめとは、お前の下半身を大勢の人のまえで、さらしているのと同じことなのだ。そういう風に他人は見るのだ」と、すべての青少年に納得をさせれば、それが、恥ずかしいことで、やったら損だと、彼らにもわかるはずです。

 埼玉県の少女コンクリート詰め殺人事件の、当時から、いじめとは、その性的快楽・昂進の追及という側面があるのです。それをしっかりと先生が親に言うことが必要です。
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副題6、映画『イカと、クジラに出てくる、不満を持った小学生の精液』

 『イカとクジラ』というアメリカ映画があります。これを事前の情報を一切得ないで、見始めました。ともかく、ブルックリンの高級住宅街が舞台なので、そこに惹かれたのです。ニューヨークのブルックリンとは、日本では、アフリカンが多くて荒れた一帯だと、伝わっていると思います。ところが、現地にいると、インテリが、住み始めたとても、高級な雰囲気もある一帯だということがわかってくるのです。ただし、敷地の広いタイプの豪邸ではなくて、連棟型の住宅ですが、ふと、小説『アッシャー家の崩壊』って、こういう建物が舞台だったのではないかしらと思うほど、趣のある住宅群です。

 今回、その映画の解説でも、高級住宅地として有名な場所だと出ていましたが、なるほどと思う雰囲気は外部にもあり、そして、映画を見た結果、内部にもあると、解りました。

 映画は、新進ライター(上り坂にある)であるお母さんと、下り坂のライターであって、今は大学教授をしているお父さんの一家に、高校生と、小学生がいる四人家族という設定になっています。ブルックリンの、そういう新しく高級になっていった地帯に住んでいて、重厚なチーク材、(または、ウォールナット製)のクラシックな書棚や家具が充実したインテリアの、連棟住宅に住んでいます。インテリである証拠の書物もいっぱいあります。
 が、アメリカの、お母さんですから、自己主張が強いです。それに自分の方が、上り坂であるから、下り坂の方のお父さんをもどんどん攻撃します。お父さんも分が悪くて、喧嘩が、お母さん優位で進みます。

 そして、お母さんにも、お父さんにもラブアフェアとしての他者からの誘惑があります。で、それぞれが日本でいう不倫をしてしまいます。で、結局は離婚へと発展します。それで、長男がお父さんと一緒に、家を出て、同じブルックリンの低い地帯、(家具やインテリアが安っぽい地域)に引っ越していきます。
 
 その長男の方は恋愛をしたりして、まだ、癒しや救いを、自分で、見つけて行くのですが、小学生の次男の方は、成長が、まだそこまで行っていません。で、親の争いに傷つくのですが、どうして、それを解消していいかがわかりません。

 だが、衝動的に、精液が出てしまいます。それを、学校の壁に塗りつけます。そうすると、先生がそれを見つけて、両親を呼びつけます。離婚をしているから両親を呼びつけるというのではなくて、大きな問題が起きると、両親の両方を呼びつけて、「こういう現象が表れているが、親はそれに気が付いていますか?」と、質問をするのです。
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 ここで、挿入に入ります。テレビのドラマや映画を見ると、アメリカの高校や中学はひどく乱れているように思います。ところが、ブルックリンの幼稚園児などが、しっかりしたブレザーとタータンチェックの制服で、歩いているのを見たり、知人の御嬢さんが、私立の学園に通っていて、学校をエスケープすると、必ず、両親に連絡が来るのを知っているので、思いがけず、しっかりと、子供を学校が観察しているのを知るのです。

 無論、アメリカにも私立が高級で、公立が、荒れているという現象があるのかもしれません。私は一か所に、三か月いて、それを二回繰り返しただけですから、全部わかっているわけでもないのです。が、ともかく、思いがけず、きめ細かいところがあると思いました。そして、親も教師も事前の予想よりは、ずっと、まじめなのです。とくに、ニューヨークあたりの学校で、あって、先生が誠実だとは、思いました。丁寧に生徒を観察しているのです。
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 で、元へ戻ります。

 私が驚いたのは、壁に塗りつけられた小学生の精液を、先生が見つけるということ自体です。少し、てかてかでもするのでしょうか? でも、それを見つけ出すことには、本当に驚きます。
 孤独においやられた、次男が、やるせない思いと怒りを、発散する行為として、一人学校の中で、(放課後らしいのですが、)精液を発射して、それを壁に塗りつけるという行動にも驚くのですが、それが、壁に塗りつけられていた時に、生徒の精液だと気が付くこと。そして、だれがそれをやったかを、先生が推察するという点です。

 これは、別にアンケートを取ったからわかったとか、一人ひとりを、質問し、誰何をしたからわかったということではないのです。普段のクラスで、どの子の顔色がさえないのか、行動が、低めなのかを丁寧に観察しているということに驚くのです。

 で、「あなたではないの?」と、子供に問い合わせ、子供がイエスというと、子供に対しては簡単に、叱っておいて、両親を呼んで、あなた方に問題があるというのです。

 この映画は、大変リアルで、先生は、決して天使ではないし、聖職者でもないので、先生が何を両親に質問をしても、先生が助けてくれるわけではありません。
 でも、この小学生である次男の苦痛を、先生が、「そこにそれがある」と、気が付くのが素晴らしいのです。
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副題7、『翻って、大津の中学校では、教育(?)が何もない』

 最近ウエブサイトで、報告されているのは、みるもおぞましいいじめ行動の数々です。それほどの大事(=おおごと)になっても、手を打っていません。私は、アメリカの大資本家を中心とする政治の大構造は嫌いですが、アメリカ人、そのものにはいいところもあると思っています。それは、欧米人の底流にキリスト教の影響があって、人が見ていないところでも、価値観は変わらず、善は、善であり、悪は悪であるという発想があるからです。

 そして、実際は肉食系で、残酷なところもあるのに、そのキリスト教精神の影響から、相当に、行動がきれいになっているところがあります。

 ところが、日本人は、普通はひどくいい人なのです。が、力関係が入って、力の強い人が、悪いことをすると、それが、善に変更するときがあります。で、大津の皇子山中学校ですか、ここでは、PTAの会長が、親だったから、いじめる側が善となってしまい、いじめられる方が、無視され看過されました。いや、だからと言って、アメリカにいじめがないとは言っていません。今傍らで、スパイダーマンが、テレビ朝日の地上波で、放映されています。初めてみます。

 が、高校でのいじめは、その映画の中でもあります。でも、私が上に書いた、映画「イカと、クジラ」の中での、小学生の次男の精液発射というのは、いじめでもなくて、非常に静かな行動です。でも、先生には責任がある。子供が苦しんでいたら原因を探る責任がある。だから、両親を呼んで事情を問い合わせる。そこがすごいです。

 両親は、確かにびっくりします。今、結末を覚えておりません。仲直りをしたというハッピーエンドだったのか、どうか。でも、親の方は、自分が気が付かなかった部分があって、それを学校で担任に発見をされてしまうという点に、確かにびっくりして、ある程度は反省したと思います。

 しかも、子供、特に小学生の精液の発射です。それを、きちんと学校で問題にする。変なことだと叱って子供を追い詰めるのではなくて、問題行動は親に原因があると解説してあげるのです。
 それが、タブーだからと逃げるのではない姿勢。
 そういうアメリカに対して理解が深い私ですから、この大津の中学校の問題は、ゆゆしき姿勢だと問題にするのです。

 こうなったら、学校ではないと言えます。

 が、その裏に、日本の文部科学省の姿勢やら、日教組の、本質やらの問題もあります。また、被・植民地国家としての日本全体の、歪みもあります。だから、この問題は根が深いです。

 ただ、今日は、人間の根源にある、性欲とか、セックスというものが、いじめ行動のダイナモでもあるということに、皆様に気が付いていただきたかったと、言う話です。

 追補、1、 

 今グーグルで、映画『イカとクジラ』の検索をしたところです。すると、グー映画のあらすじで、最後まで結論が出ている可能性がある頁がありました。それを読んだのですが、自分の記憶通り、あの映画の中では、家族はバラバラになったままで、両親が仲直りをしたという、結論はなかった模様です。観客としてはすっきりしないのですが、極めてリアルであったと感じます。アメリカ映画(特に日本に輸入されるものの中)には、非常に珍しい文芸映画の一種です。
 両親は、二人とも名優だったらしいです。原作がある模様ですが、アカデミー賞の脚本賞の候補になっています。

 このブログの全文は、明日の月曜日に推敲と、誤変換直しをします。

追補、2、

 上のように書いていったんは閉めました。が、お子さんの命がひとり分、失われているのです。分析だけで終わっては、血が通っていないとなります。で、以下の章を付け加えます。
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 ところで、この文章があまりにも長くなりましたので、これ以下は次へまわします。
特に救われるための方法には何があるかについては、新稿を立てます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1の、再録、『いじめとは性欲の昂進に直結をしているものなのだ』

 人類も、また、哺乳類の範疇に入ります。この間パンダの赤ちゃんが死んでしまったけれど、人間は、相当大きくなって、子宮から外へ出るので、パンダの赤ちゃんよりは丈夫でしょう。生き抜きやすいはずです。
 ところが、最近、5歳までに、虐待でなくなるお子さんが増えています。とても困ります。いやな話です。だが、きっと、そういう若い母親は、母から、母親らしい愛情ある、育て方で、接してもらっていないのでしょう。

 で、お母さんが何をしていたかですが、どこかに働きに行っていて、そして教育上は悪いことに、職場不倫なんかにふけっていた可能性は感じます。そういうご家庭で育ったお嬢さんが、自分が子供を産んだときに、普通にきちんと育てられないので、離婚などになりやすくて、また、新しい男性と恋に陥る。すると、継父には子供はかわいくないのです。だから、なついてくれない。それで、すぐ、たたいたり、殴ったりすることになります。そして、いったんそうなったら、どんどん、エスカレートをします。
 そして、こういうサディスティックな行動は、性欲を高める可能性があるのです。それで、快楽を高める道具となるから、さらに、エスカレートをします。
 残念ながら、いじめとは、すべて、そういう本性に基づいています。で、それをする人間は、ごく潜在的なところで、自分の快楽の昂進に役立てているのです。

 大津の事件の、いじめ側の三人も、それが、中一で始まっていても、同じことでしょう。13歳でも、十分に、そういう体(=性欲を感じたり、その処理の体験を自慰などで経験済である)になっているのです。いじめられ役の子の、下半身を裸にして、恥ずかしい写真を撮ったなどというところにも、それが、如実に、あらわれています。

 で、これからの、学校関係者は、いじめは、セックスをしていると同じこととみなすと、意識していただきたいです。体育祭で、いじめているとは、「いじめている側が、自分たちが下半身を裸にして、おちんちんを、みんなに見せているのだ。ご国体育祭という晴れの日に」ということを教えてほしいです。

 これはね。私が、60歳を過ぎてから確信するようになった、真実です。実は猫好きなので、猫優先の生活をしています。で、我が家の猫はどうしてか、結構に頭がよい。で、猫好きの人なら、『こりゃあ、面白い』と、思うような猫なのです。で、ご近所の陶芸教室に出向いて、入り込むようになったら、返してもらえないようになりました。
 そちらに行かせないようにするためには、家の中に閉じ込めないとだめです。モグラをとったり、蛇をとったりして、活発な野生生活も楽しんでいるので、家の中に閉じ込めるのがかわいそうで、外歩きを自由にさせると、陶芸教室の弟子さん方も、先生にみならって、自分をちやほやしてくれるので、猫にとっては、「家来になってくれる人間が、あの家には10人近くもいるぞ」となって、ぱっと言ってしまうのでした。

 相手から返してくれるような人間だといいのですが、「入れないでください」と頼んでいることにむくれているような子供っぽい人間だから、向こうから持ってくるなど、ありえないことになって、毎晩取りに行かないとなりません。で、私としては。そちらの人間たちを、猫が、好む理由は、彼らが家来になるからだということがわかっているのですが、そちら様は、勘違いをし始めます。自分たちの方が、猫に好まれているのだと。

 動物のように計算しないものにさえ、より好まれているのだから、雨宮舜よりじぶんたちは、好人物なのだ。・・・・・と、そのように勘違いをし始めます。ここで、時系列的を先に行ってしまうと、かれらが、愕然とするほどに、猫は、最終的には、私を、選びました。彼らが、私に、喧嘩を吹っかけて来たら、猫が私の方に同情して、その家を逃げ出して、「お母さん、一緒に早く、おうちに帰ろう」と言ったんですよ。

 その時に、私がどれほど、うれしかったか。そして、ほっとしたかは計り知れないほどです。こういうときに、神様はいらっしゃると思いますね。ぎりぎりのところで、猫は彼らを捨てました。それで、彼らは逆上して、警官を呼び、警官に、「あそこのご主人に、あそこの奥さんを叱ってください」と頼んだです。
 あっけにとられるほど、変な、行動様式と、甘えた子供っぽい思考様式の人間です。それが、60過ぎで、背の高さは夫婦そろって、60センチ以上。夫の方は、体重が70キロを超えていると思われ、妻の方は、60キロを超えていると思われる重量級夫婦なのですから、笑ってしまうほどです。が、思考が、軽いのでしょう。普段、真剣に、ものを考えたことがないのだと思われます。

 そんなバカなことをしたら、結果がどうなるか。警官をこんな、ばかげたことで、呼び出すためには、鎌倉の有力者、G.I氏の名前を出して、警官たちに言うことを聞かせたのだと推察します。その結果、将来、恩人たる、その人に、大迷惑をかけることになるのに、そういうことにはまるで、思いが及ばないのです。本当に『軽率』という言葉が具現化したような夫婦です。(ここで、原文では実名を表記していましたが、この文章を、いろいろな人に紹介をしていただきたいので、イニシャルへと変更させていただきます)

 その二人とは、陶芸教室を開いているK.I.女史と、その夫、N.Y.氏ですが、それが原因で、首都圏の、電車の遅延現象が多発するようになっているのです。ですから、このばかばかしいエピソードも、電車の遅延現象が続く限り、また、小町通りの敷石が復活をしない限り、再度も、三度も、四度でも、繰り返し語らないといけません。

 ところで、猫を毎晩取りに行かさせられたときに、つくづくにわかったのですが、人をいじめることが性的な快楽につながり、それが、うれしいからいじめるのだということを。

 こちらは、家族で、全員が、その家に訪れて、「猫をかまわないでください」と頼みに行っているのですから、それを押して、入れるということは、相手を完ぺきに無視しているということになります。それほど、傲岸不遜なのです。
 自分たちが、楽しませてもらっているのですから、自分たちの方から返しに来るのが当然なのに、毎晩呼びつけるわけです。それがいじめにあたるわけです。私を困らせることが大人としての、彼らのいじめです。

 その際に、私に見せる夫婦の態度が、いわゆる視線によるセックスとか、会話によるセックスをしている感じなのです。
 威張りかえって相手を支配すること自体が、彼らにとっては楽しい、いじめ行為で、セックスへの意欲を更新させるのです。それが、夜ですから、非常に効果的なのですね。そして毎晩、二年間も続いたから、主人や息子から、何を言われても、何を恃まれても、私を呼びつけることをやめないわけです。
 
 しかも、冬でも、ドアノック(大きな鉄型の、ドアノック器具を打つのですが、)が、聞こえても、五分は待たされるのです。寒い中を。そして、やっと出てきて、私が怒っていることを察すると、私に謝罪をするのではなくて、
 自分たちの快楽を、舌なめずりするように楽しみます。

 玄関のあがりがまち(これが、幅3尺しかない)に妻はしゃがみ込み、夫はその背後に立ちます。幅が三尺ですから、肉体が、そこで、ぎゅうぎゅうづめになります。そして、妻は、下から甘えきって、「ねえ、あなた、私たちって悪くないわよね」と、60キロぐらい体重がある大女なのに、まるで少女のごとく、後ろに立っている旦那を見上げるのです。旦那の方も、背が、165センチで、70キロぐらいある体格ですから、三尺幅の玄関は、二人の体で、埋め尽くされますが、二人がいる場所が、たたきにいる私よりも10センチは高いので、それだけで、自分たちが、上だと勘違いするらしくで、
 その嫋々たる、セックスムードを、こちらに見せつけながら、猫を、返すのですよ。
 反吐が出るというほどに、あきれ果てますが、それを二年間も、継続させられたのです。

 この夫婦には子供がいないのです。で、60歳にもなっていると、普通の人なら、当然に訪れているはずの・・・・成熟した大人のムードとか、いわゆる、枯れたムード・・・・というのが、ないのです。そのうえ、野菜の配達人をしていた夫と、家でそれを受け取っていた、妻との野合(いちゃいちゃのセックス)から始まった結婚ですから、家柄とか、趣味嗜好があっているとか、学歴が同じだからとか、大学が同窓だとか、職場が同じでしたという・・・・種類の結婚でもないわけですから、
 セックスが最大の結合点だというわけでしょう。だから、いつもべたべたなのです。

 だから、私が、彼女たち夫婦を、常に「無知蒙昧、無教養だ」と断言するのも無理がないのです。私は他人ですよ。他人には最大の礼儀を尽くさないといけないのに、月謝を取っている弟子どもには、どうも礼儀を尽くしているらしいのですが、隣近所の他人である私には、礼儀を尽くさないのです。向こうから、まだ、日が照っていてあたりが明るいうちに、猫を返してきて、「ありがとう」と言ってくれたことが一回だけあるのです。そういう時は「ちゃんとした大人だな」と感じますけれどね。それが、二年間で一回だけなのです。

 でもね、いじめている相手が、自分たちより弱い存在とはとても言えないのです。
 私はすでに、6冊のエッセイ集を出していますが、それをお読みいただいた方が異口同音におっしゃるのは、「人間観察が鋭いですね」ということです。私は、この陶芸教室の先生(女性)にも、この猫のことで、迷惑を掛けられる以前には、本を上げています。それを読んだら、当然に、それは、解るはずですから、警戒しないといけないでしょう。私に対しては、最上級の礼儀を尽くして、防衛しないといけないのに、ああいう驚くべき、エロチックな本性を見せつける。
 「だめでしょう。そんな態度じゃあ」って、笑いながら言いたいほどですが・・・・・自分たちが上だと信じきっているので、そういう注意をしようにも、聞く耳を持たないのです。で、斬斬バラというほどに、彼ら夫婦の本性を、見聞きしてしまいました。
 ですから、この大津の中二の自殺事件をきっかけとして、いじめとは性欲を更新するので、いったんやり始めるとやめられないのだと、言う真実に気が付くのでした。 

 ところで、自分が心身ともに丸裸になるというそんな、危険を冒してまで、どうして、防衛策を取らないのでしょう。たとえば、防衛策としては、自分自身の猫を飼うということがあります。実際に、私は質問をしてみました「あなたが、猫を飼えば、猫はテリトリーがあるから、お宅へは、うちの猫は訪問をしなくなりますよ。どうして飼わないのですか?lと。すると、「だってー、旅行へ行けなくなるんですもの」ですって。

 ものすごい幼児性です。

 では、この文章は、ここで終わります。こどもがいじめから、救われるための提言は、あとで、別章として起こします。

2012年7月15日に書き始め、17日に推敲を終わる。雨宮舜(今回だけは、攻撃者も実名をさらしていないので、被害者たる私も本名を控えます。どうか、いろいろなお友達に、この論理をご紹介くださいませ。中学校の現場にセックスなど持ち込んではいけないのではないかという先入観があるので、私が、ここに展開した論理は、極めて珍しいものの、法にあたると思いますが、それが、真実だと確信しております)

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