銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

星野美智子さんの、偽善者ぶりを知って、国画会へのかかわりをやめようと決断をする。△

2012-07-29 02:11:51 | Weblog
ええと、皆様、今は、30日の午前中です。この文章の最後で、29日の段階では、馬越洋子さんとの対比を考察します。それを加筆いたしますと書いています。しかし、昨日日本で起きた種々の現象を情報をみて、緊急に次の新しいものを、書く必要を感じ始めました。で、これは、これで、一応終わりとさせていただきます。恐れ入りますが、あとで、暇な時に、別項目として、立てるか、この続きとして、書きましょう。 
 で、これは、荒くですが、完成したと、させていただきます。

今は、29日の午後二時です。8千字を超えたので、途中ですが、アップをさせていただきます。夕方の6時までに、だいたいの文意を通したいのですが、その時点で、タイトルの右側に、黒三角印を付けておきます。どうかよろしく。

 以下の文章は『オスプレイ配備とはいったい何を意味しているのか』を問う文章の中の一環です。ここで、初めて、このブログへ入ってきた方への説明ですが、私が、オスプレイ配備の裏側にある政治的な意味に、正しく気が付いたきっかけは、23日の銀座で、壮大な仕掛けのある引っ掛けに出会ってしまったからです。で、連続していますので、副題が15から始まります。以前のものは、下へスクロールしていただけるか、カレンダーで、色の薄いところをクリックしていただけますと出てきます。

副題15、『本日の文章への前置き』
副題16、『艱難辛苦は、神様からのプレゼントでもある』
副題17、『星野美智子さんの、大出世の裏側は?』
副題18、『私の文章の方の、文意と、文脈を正しく、読んでほしいですよ。星野美智子さん』
副題19、『星野さんは、実は、私の本を正しく読み取っていた。で、焦っていたのだった』
副題20、『ググって見ると、効率優先で、出世街道を歩む、星野美智子さんの手法がよくわかる』
副題21、『公募団体展が、星野美智子の出世主義を作ったのか?、元から、その素質があったのか?』
副題22、『星野美智子と、馬越陽子の、相似点と、相違点』

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副題15、『本日の文章への前置き』

 26日の銀座では、女子会に参加したのですが、そのレストランが盗聴されていたと帰途に気が付きます。こういう仕掛けをしてくる連中はひどく単純で、自分たちの悪企みが成功すると、勝ったぞ、勝ったぞといういじめサインを送ってくるので、それで、すぐ気が付くのです。23日当夜二つ、24日の午前中、鎌倉で、さらに二つ発見をしました。
 で、盗聴自身は、レストランが舞台ではありますが、その女子会は、そもそも、画廊で、話が合った人たちとの、二次会の性質があるものですから、文章を書く前に、お金を支払う必要がありました。
 その個展が、微妙に政治的な裏側があるのには、事前に十分に、気が付いていましたが、お付き合いの意味もあり、絵も素晴らしいので、一点だけ、購入していました。
 
 しかし、盗聴をされるほど、ひどい仕組みが裏側にあったのでは、防衛のために、それについて文章を将来、書く必要があるので、絵を自宅にキープしたくはなくて、画廊に24日に電話を掛けたのです。何度か、電話のかけなおしを含む、やり取りがあって、交渉が成立しました。その内容は、『絵の売買の契約は、ビジネス上破棄できない。が、作品はオーナーが預かります』ということで(落着をしたので)す。
 で、それが、24日ですが、26日に私は横浜駅前の大きな郵便局で絵の残金を現金書留(+配達証明)で、送りました。実は画廊もたずねたのですが、不思議なことに閉じていました、有名な画家の個展を木曜日から始めるとのことでしたが、実際には閉じていました。

 その電話での、交渉の際に、銀座の画廊にいるオーナーのそばに誰かがいて、指示をしているのを感じました。もし、一切が明朗なら、私の提案は受け入れらると思います。それは、内金(絵の代金の、三分の一強で、27400円)は、払っていて、絵の実物は受け取らないわけで、画家はほかの個展で、ほかの顧客へ売ることができますので、迷惑を掛けないと思うのです。つまり、画廊の使用料の、一部には当たる、金額を払うわけです。が、この件が、すこぶるつきに微妙なので、私の提案を認めては、画廊が、仕掛けに組み込まれていたとなりますので、受け入れられなかったのだろう・・・・・と私は推察しています。

 でね。一種のだましうちに出会っていて、さらにお金だけは払うわけですから、私自身に限れば、馬鹿みたいです。で、敵は大笑いをしていると思います。が、そういう日のために母が遺産をくれたのだろうと思っていて、それを使わせてもらっています。自分で働いたお金だったら、惜しくて出せないでしょう。無駄遣いになりますから。実物の絵をもらわないのですから。
 そして、善人極まりない私は、そういう仕掛けがあったとは推察をしているものの、画廊の名前と、その個展の主役の画家の名前を明かしていません。どうして、そこまでかばうかというと、

 美術界でも、マスコミを利用して、過剰にお金を稼いでいる人と、そうではない種類の人があるわけです。前者の代表例が山本容子さんなどです。そういう人が、仕掛けに利用されたら、はっきりと書きます。実際に、2010年の、4月5日から、10日の彼女のガレリアグラフィカの個展は、そういう意味が含まれていたのですが、その件は、現在のところ、ちょっと触れているだけで、まだ、全貌を明らかにしてはいません。
 というのも、その最中の、2010年4月9日が、井上ひさしが、自分で、自分を、死んだことにした日ですから、全貌を書くとしたら、10万字を超えるシリーズになるはずだからです。

ところが、今回の舞台となった画廊は、そういうタイプの画廊ではないのです。そして、そこに登場した人たちは、それこそ、体力を消耗しつくして、個展をやり(作家)、お客さんを楽しませています(画廊のオーナー)。だから、実名を書きません。
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 と、上の部分を、土曜日の深夜書いたのですよ。すると、偶然でしょうが、その画廊のオーナーから日曜日の午前中に電話がかかってきました。お金は受け取りましたとのことです。

 で、上の文章をどうするかについて、悩みが生まれました。今回の個展の微妙さについては触れていますが、画廊のオーナーは大した傑物だとも思ってはいるのです。女性ですが、大きい器の人物です。火曜日の交渉中にも、彼女は大した人間だ。ほかの画廊のオーナーだったら、こういう風な交渉はできないし、落着点が来なかったでしょうね。と思うほどです。
 ただね。それでも、この上の文章は、アップすることに決めました。実名を上げないし、状況を詳しくは説明をしていません。それで、関係者の中の、善人たちには義理立てをしたということで、許してもらいましょう。この文章全体も、ある個人の悪口を言うことが目的ではなくて、現代政治の複雑さを解明することが目的ですから。
 で、ここで、挿入を終わり、元へ戻ります。
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副題16、『艱難辛苦は、神様からのプレゼントでもある』

 この嫌味たっぷりな経験だった23日をどう切り抜けて、明るい気持ちをキープするかですが、艱難辛苦は、それで、自分が浄化できる得難いチャンスだと、以前から気が付いていたことを思い出しました。

 最大のピンチは、最大のチャンスだというのは当たっていると思います。で、今まで、抱えていた汚い思い出を、いろいろと吐き出すことにしたのです。
 前報ですが、それは、23日に語った会話の中で、あとで利用をされると困る話の一つですから書いたのですが、同級生の失敗とか、汚い心模様を描くわけですから、これは大変でしたよ。

 でも、書けてよかった。長年不当に抑圧をされていたことですから、書いてよかったです。それに、同窓会を利用している悪人たちの本質にも迫ることができましたし。つまり、桜井万里子さんのあの傲慢な態度の裏に、教唆をした人間が居たら、桜井さん本人を、許せるからです。その可能性もありますから、そういう裏側が自然に漏れ出てくるのを待っています。

 で、それを、堤防の決壊として、次から次へと、美術界で、私がこうむっているいやなことを書き始めて今うすが、今日は、星野美智子さんとの、確執について語りましょう。ものすごく、小さい現象ですよ。総計、1分もかからなかった会話が問題なのですが、出世というのは、どういう風にして起きるかを目の当たりにした経験なので、書く必要があるのです。

 つまり、私と知遇があったり(桜井さんのケース)、喧嘩をすると、出世する(大原光孝氏、岸田淳平氏など)の一例として、語るのです。それが、星野美智子さんです。ところで、どうして実名で書くのか? 有名な版画家に対して、失礼だし、あなたも損でしょう?」という判断を示す読者様もおられるでしょう。そのことですが、これは、初めて書くことではなくて、寓意的な説明のためにと、以前、匿名で書いたのです。だが、仮名で書いても相手には通じて、こちらが大損をすることは変わりがないので、それなら、と、実名で書くことを始めたのでした。
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副題17、『星野美智子さんの、大出世の裏側は?』

 星野美智子さんという版画家がいます。この人は、私が最近、よく話題にする、馬越陽子さんとそっくりな人生を歩んでいる人です。今まで二人の経歴の書き方を、ちょっと私が、間違えていました。それは東京女子大を卒業後、直に芸大の大学院へ進んだと、今まで、私が、書いて来ていたのですが、正しくは、東京女子大を卒業後、一応、学部へお入りになった模様です。その後、馬越さんは大学院へ進まれて、星野さんは、大学院がどうだったかは、私には、解りません。

 さて、星野美智子さんは、馬越さんほど派手な立ち回りもなさらないし、しとやかに、地味に暮らしている方です。ただし、ご家庭もあるし、主婦でもあるし、母でもあるかもしれません。あまり、自己を開示したりはしない人です。つまり、伝説が、必要ではないと思っておられるのでしょう。

 しかし、この方が、ある年(たぶん11年前の2002年)の、国展の初日のパーティの会場で驚くべきことを、私になさったのです。その頃はまだ、経済が落ち込んでいなくて、上野の精養軒の大広間には、700人を越す、出席者が立錐の余地もないほどの、感じで、立って飲食をしていたのです。お料理は豪華です。会費は一万円。
 で、何を話しても、隣の人に聞こえてしまう場所です。

 そこで、星野さんが、私に向かって、「川崎さん、あなたが書いていた、ホテルチェルシーの中で、引きこもっている男性の父親って誰だか知っている?」と聞いてきたのです。
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 ここで、すこし、星野さんを知らない方、および、私の一冊目の本を知らない方のために、前後の事情を語らせてくださいませ。星野美智子さんは、リトグラフで有名な版画家ですが、題材をボルヘスの著作からとっているそうです。つまり、美術と文学の両方に詳しい(?)人で、美術界ではインテリ作家で通っている人です。

 そして、ここで、話題になっている
ホテルチェルシーとは、ニューヨークマンハッタン島の23丁目、西側にあるアールデコ様式の100年以上経っている大変有名なホテルです。2001年に私は泊まったのですが、当時のレートからして、一泊二万円でした。中は、ワンルームマンションに、ヴェランダと、キッチンとお風呂場が付いている形式です。画家や文化人の投宿が多くて、彼らが、絵を残していますので、階段ホールが一種の画廊になっている10階建てのビルです。そこに泊まった時は、私にとっては、ニューヨーク滞在三回目で、合計182日目でした。以前は必ず3か月滞在していたので、アパートを借りていたのですが、その時だけは、11日間しか滞在できない予定だったので、ホテルに投宿していたのです。で、最初は芸術家用アパートとして建てられたということもあって、長期滞在者も多いのです。で、私が泊まっていた9階のお隣に、ニューヨーク在住の日本人たちの間では、大変有名な男性が住んでいて、その人は、長期にわたって引きこもっているとのことでした。たぶん2012年現在では、50歳を超えているでしょう。日本で引きこもりが有名になり始める先駆者というような存在です。
 最近の投宿者として有名なのは、ウッディアレンで、それもあってか、チェルシー映画祭は、個のすぐ近所の映画館で、開かれるはずです。レッドカーペットが敷かれているのを見たことがあります。

 誰から引きこもりの日本人男性のことを、聞いたかというと、夜間アルバイトをしている、これも芸術家らしい男性D氏(この人は日本人ではない)からです。
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副題18、『私の文章の方の、文意と、文脈を正しく、読んでほしいですよ。星野美智子さん』

 私は、上に述べたように、合計185日+さらに6日、で、合計191日滞在をしているのですが、パソコンを開くのは常に夜です。昼間はたいてい版画の制作をしに、専門の工房、または、大学院等に出かけています。特にこの2001年は個展をしに出かけた短期の滞在で、昼間は非常に忙しくて、パソコンを開くのは、夜の12時過ぎでした。
 
 そうするとメールやインターネットができないのを発見したのです。今思うと、すでに、2001年には、私に対するIT的妨害活動が始まっていたのです。それが、なんとか治ったのは、このように、他人に見せて、援助を仰いだからでした。私ひとりで、作業をしていると、特に、2007年からの自宅では、ひどい破壊活動に見舞われるようになるのですが、このころは、在ニューヨークだから、壊れたと感じています。
 
 つまり、私がランクアップするような出来事(=ニューヨークでの個展)などは、何が何でも阻害して、妨害してやろうという連中がいたということです。だが、私は、それには、2007年にまで気が付きませんでした。それで、ずいぶんと幸いでしたね。何もおそれなかったから。今では、すべてがわかっているうえで、再び、何もおそれない段階に入っていますが、2007年から、2011年までありとあらゆる意味で、行動が制限されていたのでした。

 で、夜「こういう用事で、部屋に来てください」とフロントに電話を掛けると、一時間以上来ないのです。仕方がなくて、呼びに行くと、渋々という感じで、怒りながらやっと来てくれたのですが、ノートパソコンの現状を見るとやっと、本当にパソコンがダメなのを知って、安心してくれたのです。

 その時、世情に疎い私はやっと気が付いたのですが、一夜のアヴァンチュールを求めて、夜フロントに電話を掛ける女性客がいるのです。それに慣れているD氏は、『僕にも好みがあるんだよ』という気持ちを込めて、なかなか、来なかった模様でした。(笑)で、パソコンは、なかなか治らず、一時間以上あれこれをしたので、世間話も同時にしたのです。

 その時に彼がとっておきの秘密を教えてあげますよという感じで、隣の引きこもりの青年の親の話を始めたのでした。
 それは、D氏の婉曲な謝罪の意味があったのです。『ごめんなさいね。あなたを変な人だと疑って』という意味が裏に込められていたのでした。でも、そこで、私は顔色を変えたのでした。

 『聞きたくない。それは』という意味で。すると、D氏は、すぐそれをわかって、自己弁明のつもりで、「じゃあ、名前は言わないが、すごい有名人で、ワーコホーリック(働き中毒)なんだってよ』と、フォローしてきました。「そう、お母さんが言っていた」とも。それで、私は、「それは違う可能性があるわ。そんなことを言うお母さんの方が、だめなのよ」と、言ったりしました。それで、D氏はますます、私を見直してくれて、その夜以来、いろいろな面で、親切にしてくれるようになったのです。

 特に、このホテルには、有名版画家の、R(通称ボブ)ブラックバーン氏が、滞在していて、彼は私にとっては得難い批評家兼、先生格の人だったのです。それを言うと、「じゃあ、すぐ訪問をしてあげなさいよ。どうして、それを、ぼくたちに言わなかったの? (それを聞いていたら、もっと信頼して、最初からもっと親切にして挙げたのに)」と言われました。(カッコ内は発音されなかったが、そのニュアンスは、私にはわかりました。

 で、私が「ううん、それはだめなの。ボブは(人懐っこい人だから)もしこのホテルに私が泊まっていると知ったら、毎日来てくれというわ。私ね、今は個展をしに来ているから、昼間も夜も非常に忙しいの。で、最後の日に会うことにしたいわ」と言いました。その言葉も、D氏の心を打ったようです。

 というのも、これは、ボブを知っている人ならだれでもうなずく言葉だからです。ボブは優しくて明るくて、誰もが尊敬して愛している人物です。でも、アフリカンで(しかも教養が高いので)50年前は、結婚が難しかったと思われ、独身です。とても明るくふるまっている人ですが、今は重い病気を、患っていて足が不自由なので、ありとあらゆる意味で、気の毒な段階でした。しかも、私はその裏側の事情を細密に知っているのですが、意地悪で頭のよい日本人女性タカコ(仮名)さんの自分は無料で工房を使いたいという策謀によって、ほとんどの人が使用料を払わなくなっていて、工房が、つぶれたばかりでした。大切な収入源がなくなっています。そして、独身で子供も妻もいません。

 いろいろな意味で、心細くなっているボブが、自分でいうのもおこがましいのですが、優しくて(?)感性の豊かな私が、同じビル内に滞在していると知ったら、毎日「来てくれ」となって、時間的には、大きな束縛になるのは自明の理でした。
 そして、画家(兼版画家)にとって、個展というものが、どれほど、気忙しくて、どれほど束縛が大きいかということもD氏は理解してくれていたのです。で、D氏は、その夜以来、私を大変高く評価をしてくれて、いろいろ、親切にしてくれたのでした。特に、最後の日に、ボブと面会するときに、最高に丁寧に気を使ってくれました。

 欧米というのは、一方で、すぐ恋に落ちて、一夜のアヴァンチュールに走る男女もいますが、一方で、キリスト教精神のこともあって、大変厳格なルールや道徳観が支配している部分もあるのです。D氏が、『あ、この人はちゃんとしていて、僕たちの同類だ』と思ってくれたとすれば、なおのこと、夜女性が、男性の部屋を訪ねるということが、誤解を受けないで、済むように、計らってもらうのが、とてもありがたいことだったのです。
 ボブは、自分では歩けません。だから、訪問時には誰かに鍵を開けてもらわないといけないし、彼本人にも、事前に、10分ぐらいかけて、ベッドから起きて、歩行器を使って、ダイニングに出ておいてもらわないといけないからです。ボブはいつも真っ白な新しいメリヤスシャツに着かえて、私を、待っていてくれるのでした。その時よりも二年前の訪問の時に、看護婦さんがそばにいるのに、歩行器に、尿瓶がぶら下がっていて、中身が入っていたので、顔色を変えてしまったのもボブには悟られていましたしね。私はとても繊細で敏感ですが、ボブも中身は、すこぶる繊細なのです。

 ここで、やっと、国展のパーティ初日の現場に戻ります。つまり、私の本の、特に星野さんが、問題にした箇所は、心理学的な解明をしている章であり、情報を公開するのが目的ではないのです。特に、興味本位で、有名人の息子が、引きこもりをしていると書くつもりもないのです。

 それなのに、星野美智子さんは、私に、「その引きこもりの男性の父親の名前を知っていますか?」と聞いてくるのです。それって、私の文章の文意や文脈を何も読み取っていないということと等しいです。私は内心であきれ果てました。

 というのは、星野さんご自身曰く、版画を作るときには、文学を下敷きにして、そこからインスピレーションを得ていますというのですから、文章を読み解く達人のはずでしょう。それなのに、私の文章の要諦は、彼女の頭には入っていないのでした。つまり、私は弱い人、でも、善意の人々の、心の美しさを書いているのですから、引きこもりの青年の父親の名前など、聞きたくもないし、知りたくもないのは自明の理です。

 だけど、星野さんは、それを今から教えようとしているのです。
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副題19、『星野さんは、実は、私の本を正しく読み取っていた。で、焦っていたのだった』

 で、私はこれから先に起きることを推察してぞっとはしましたよ。でも、知らないのは事実ですから、「知りません」と答えました。すると、星野さんは、父親の名前として某有名人の名前を挙げ、さらに、「その男性は、星野さんと、私の両方がよく知っている女流画家Xさんの、ご主人ですよ」とも、言いました。

 驚きました。本当にぞっとしました。立錐の余地もないほどの密度で、紳士淑女が、盃を片手にしてさざめいているのです。肩はふれあい、腰も触れ合う状態です。その中で、そんなことを言うなんて、「この人、バカじゃあないかしら?」と思いました。その有名人の名前は、日本人のすべてが知っているでしょう。聞き耳をそばだてる人もいるだろうにと思いました。

 私は、その時すでに、ニューヨークで若い日本人女性を相手に喧嘩を経験済みでしたが、むろん、星野さんに対して、何も注意せず、喧嘩も吹っかけませんでした。星野さんが、その有名人の名前を明かしたのは、『私の方が、あなたより上なのよ。あなたって、そんなことも知らなかったの。それなのに、ニューヨークについて書くのなんか、おこがましいわ』という潜在意識があるからです。明瞭な挑発行為でした。だが、それには、乗らなかったのです。
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 ここで、再びの挿入ですが、
 上の方で、星野さんは、私の本の文意を正しく把握していないと、もうしています。しかし、この二つの発言を聞いたときに、星野さんが、私の本をちゃんと読み、正しく理解もしていて、しかも、内心で舌を巻いていたのがわかりました。
 
 彼女の発言は、実質的には、超がつくほど、ばかげたものですが、彼女自身にとっては、勝負をかけてきた言葉であり、非常に周到に準備されたものだったのです。『こういう風に出れば、雨宮舜(=川崎千恵子)は、ぎゃふんとなるはずだ。そうなれば、自分が上だということを証明でき、彼女はひるむはずだ』という心構えで出された言葉だったのです。

 ということは、潜在意識の中で、私が出した本が、相当に出来が良いことを認めていたのでした。

 なんと勝気な人だろう。だけど、自分が勝つために、その青年の人権と、お世話になったニューヨーク在住の女流画家を裏切るなんて、なんて、心の汚い人なのだろう。・・・・・と、その点に震撼しましたよ。

 だって、私みたいに、在ニューヨークではアパート化、ホテルを必ず用意して、お金で解決をしてあるのなら、何をやっても自由です。だが、星野さんは、ニューヨークではその引きこもりの青年の、妻であるという女流画家のところに泊めてもらうのです。たぶん、無料でお世話になるのでしょう。そんな相手のプライバシーを、さらすのです。恐れ入りました。

 その女流画家の居間には、私も招かれています。お子さん方(前のご主人との間にできたお子さん)にも会いました。深い話もいたしました。だけど、引きこもりの青年の話は出ませんでした。というのも、紹介してくれたD氏が、彼女=私が、そういう話を好まないと、添え事をしてくれたはずだからです。私が、その話には、拒否反応を示したからこそ、D氏も女流画家も、私に近寄ってきてくれたのです。だから、その引きこもりの青年(今では、60歳近いはず)の名前を知っているか知っていないかで、勝負をかけてきた、星野美智子さんは、一見すると勝ったように見えますが、実際には負けたのです。だって、これほど、(いえ、後程、もっと字数を増やしますが)の丸裸状態になってしまって、それで、勝っているといえますか? ウソーッ、笑ってしまうほど、負けていますよ。ご自分にも、私にも、そして、世間の中で、真実頭がいい人たちにも。
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副題20、『ググって見ると、効率優先で、出世街道を歩む、星野美智子さんの手法がよくわかる』

 このパーティが2003年でした。で、その頃のわたくしはAOLは、駆使していましたが、マイクロソフトのエクスプローラーには触れたことがありませんでした。AOLはアメリカ人向けに開発されたサイトで、単純にできていて、かつ、昔は、マイクロソフトからは、独立していて、それを利用するのに、クリックボタンが、3つぐらい少なくて済むシステムです。で、2008年までマイクロソフトの、インターネットサービスには接しなくて、グーグルも知らず、ブログ等も知らず、wikipedia も知りませんでした。で、文章類の発表はAOLないに設置したメルマガを使って、閉鎖されたグループだけに送っていました。しかし、2008年からは、弾圧に抵抗するために、ブログを始めましたので、急にインターネットの世界に精通し始めたのです。

 で、グーグルを丁寧に検索をした結果、双子の姉妹みたいに、経歴の似ている、馬越陽子さんよりも、経歴だけは立派ではないかと、美術界以外の、住民には誤解されるのではないかというほど、経歴が見事に整っているのです。で、wikipedia を丁寧に、一行ずつ、読んで行ってみると、自己宣伝という意味では、非常に効率よく身じまいを整えている人だということがわかりました。
 だけど、それを読んでも、星野美智子の代表作などの印象が一切残っていないのです。

 私は1991年に国展の洋画部に初入選しています。そして、会場全体を巡りますから、星野美智子作品にはその年から触れているのです。が、気が付いたことが一度もないのです。その後、1998年から、版画部にも入選をし始めます。で、二次会等で、星野美智子さんと知遇ができます。でも、それ以降も一度も感動を受けたことがないのです。

 で、今回熟慮してみて、その理由がはっきりと分かったのですが、あまりにも計算高いのです。その裏が見え見えだから、嫌悪感を抱くのでしょう。直感的なものですが、それが、確かなポイントだと思います。

 版画集に、ボルヘスの何とかという、副題が付いたものがあります。皆さん、ボルヘスの小説類をお読みになったことがありますか? トルストイとか、ロマンローランという世代よりも、日本への導入が、新しいというか、最近です。で、大学生の時には、読んでいない私は、無論まで読んでいません。だけど、私に似たタイプの人は多いでしょう。
 で、国画会内部でも、このタイトルは、威力を発揮すると思いますよ。

 星野さんが芸大出身であることは、ちょっとした情報通の中には広く伝わっていると思います。どうしてかというと、国画会って、芸大派閥が、とても強くて、芸大出身者は、肩で風を切っているムードです。ので、誰か、新しく参加してくる人があれば、先輩の方で、いろいろ手引きをしてくれるはずで、紹介をされる相手が数多くいるはずだからです。
 それだけでも、国画会内部では勝ち組になれるのですが、
 さらに、このタイトルを見れば、
「おー、すごいインテリだ。いったいどういう人なの? 生まれはどこ、育ちはどういう家なの?」と、みんなの関心が高まります。そこで、東京女子大出身でもあるということが明らかになるでしょう。

 あのね、美大の入学試験は実技が優先されるので、学科は、予備校偏差値的に言えば、低い成績でも、合格ができます。これは、入学試験に限っての、頭脳比較の話であり、地頭が高度かどうかは、別の問題ですが、

 ともかく、国画会、内部では、尊敬される立場に自分を入れこめやすい、タイトルのつけ方ではあります。
「いや、あなた、変に勘ぐりすぎていないですか?」という方も読者の中にはいらっしゃるでしょう。それなのですが、ほかの項目、たとえば、文化庁のざいけんから帰国した後での、行動を見ると、『うわ、計算高い』としか言いようのない形であって、神の視座から言えば、私の言っていることは当たっているはずです。

 私は日ごろ、都会で暮らす際は、必ず相手との関係を対等に持って行った方がいいと言っています。私は芸術の世界も同じだと思っています。だから、こんなにも、『私って偉いのです』ということを見せつけられると、深い嫌悪感を持ちます。

 そして、そのことが、国画会、ひいては、公募団体展から、身を引く決心を固めさせたのです。
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副題21、『公募団体展が、星野美智子の出世主義を作ったのか?、元から、その素質があったのか?』

 私は、1991年に初入選してから、数年のうちに国画会さえだめなのだと気が付いて、日本の美術界に、絶望をしました。つまり、激しい上下の階級差があって、大変窮屈なのが、日本の美術界なのです。で、私は海外を目指したわけです。それは、病気をしたので、とん挫していますが、未亡人になったりしたら、再挑戦する可能性はあります。「この渡航の、数年後のうちに、死んでもいいのだ」と覚悟を決めて、三年ぐらいの、最晩年を海外で過ごす案は持っています。

 猫がまだ生きていたら連れて行ってね。(笑)

 ところで、それは、夢ですが、海外一人暮らしを、三回ほどやっていますので、家族(夫)が、許すのなら、今すぐにでも行くかなと思うほど、海外の方があっていると思ったのは、日本の美術界、特に公募団体展の世界に見られる、古い体質に我慢がならないからです。横浜でそれに関係していた時は、ここは、小さい社会だからタコ部屋的な発想が横行していて、だめなのだけれど、東京では、違うだろうと、期待をしていたのですが、まだ、六本木の新国立ができないでいたころ、最もレベルが高いと、私が会場を巡回して、作品を見たうえで感じていた国展を主宰している国画会でさえ、内部に入ってしまえば、すごいことを見聞するのでした。

 セクハラだけはないのですよ。若くて美人の女流画家はかわいがられます。だけど、色香を武器に出世するという話は聞いたことはありません。その意味では、レベルが高くて、いわゆる社風のよい社会です。が、出世がしたくて、動物的なレベルの行動や、言動を示す人はたくさん見ました。
 両手の指で数えられるほどの、劇的なエピソードがあります。

 しかし、この2003年のパーティ時における、星野美智子さんの一種の捨てゼリフほど、脱出する助けになったものはないのです。『国画会内部で、尊敬されていても、この程度なのだ。この世界にしがみついて、苦労をするべきではない』というのが、その時のわたくしの判断です。それ以来、8年間新国立に移った後でも、見に行ったことさえないのです。『はい、さようなら』で終わりです。
 
 ところがある時に、このエピソードを文章に書いた方がいいという判断があって、匿名で書きました。目的は、哲学的な考察か、政治的な考察をするためです。
 すると、そのあとで、星野さんが、幾何級数的なスピードアップをして、出世をしていきました。特に、私が、このエピソードを匿名で書いてからです。
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 ところで、ここで挿入ですが、私が翌五億円の損失を被っていると書くのは、こういう部分も含みます。星野さんの急速な出世を見ていると、やはり、私の文章は研究され尽くしているな。匿名で書いても、それを、ハッキングして、国画会の、しかるべき人に見せれば、これが、誰を指すかは明瞭にわかるはずだから。・・・・・と、思うと、自由に何も書けなくなりますね。

 その『自由に書けなくなる』ということも大損失ですが、明瞭に、『あいつだけを取り残してやれ。そして、あいつのライバルは出世させるのだ』という悪意を感じるのも、気分が暗くなることです。

 と、ここに降格と、さらに相手側はお喜んで、やりたい放題にやっていくでしょうから、近々に、星野美智子、文化功労章受章とか言う報道が、なされるはずです。まあ、ライバルにして、友達であろう、馬越陽子さんが先でしょうが。

 でね、今の星野さんは、自分からは動く必要はないでしょう。周りがすべておぜん立てをしてくれるという形で、出世街道をひた走りつつあります。

 で、私は気分が悪いまま、放っておかれて、『被害が五億円に達しています」と、繰り返し、このブログで書いていただけでした。そして、自分の昼間住んでいる世界だから、そこでの、常識も破れないでしょうと思っていて、

 こういう美術界の裏話は一切書かないで、今まで来たのです。が、敵の攻撃がすさまじすぎるので、そういう遠慮を捨てたのです。どんなに遠慮をして、こちら側だけがマナーをきれいにしていて、抵抗も復習もしないでいると、やりたい放題です。ですから、別に復讐するというわけでもないのですが、

 こういう裏話をきちんと書いて行こうと、決意をしたのでした。だって、それによって、私がこれ以上の損失を被る可能性はないのです。絶対に、こちらは出世できないようにさせられているのですから。どっちでも同じです。

 たまりにたまっていた欲求不満があります。踏みしだかれすぎています。黙って耐えるのにも限度があります。
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副題22、『星野美智子と、馬越陽子の、相似点と、相違点』

 ところで、上の章で、この文章は終わるべきです。ただ、星野美智子で、ググっているうちに、ひじょうに面白ことを発見したので、双子の姉妹のように似ている経歴の主である、馬越陽子さんとの対比を考えたいのです。
 皆様におかれましてはね。『あなたね。なんで、そんな文章を書くのです。損してばかりじゃあないですか。自業自得と言われますよ』と、お考えの向きもあるでしょう。でもね。私が最優先するのは、考察をすることなのです。

 つまり、哲学の世界が、最高のものだと、思っているというか、それが好きなのです。人間とは何かを考えるのが好きなのです。そして、そこにプライドがあるから、星野美智子さんが、これから、文化功労章を得て、対する私の方は路傍の石として、放っておかれても、その欲求を満たしている今日は、幸せなのです。で、思考し田結果は、文章に書き表さないと先へ進めないので、文章を書くでしょう。つまらない文章ですが、真実を穿っていることは確かです。お待ちくださいませ。明日かな? 推敲を兼ねて加筆をしていきます。

 本日30日になってから、頭に書いた通り、別のことを書く必要ができました。それで、これは、これで、荒く完成したとさせてくださいませ。
 頭に書いてあることは、以下の通りです。;
  ええと、皆様、これの最後で、馬越洋子さんとの対比を考察します。それを加筆いたしますと書いています。しかし、昨日日本で起きた種々の現象を情報をみて、緊急に次のものを書く必要を感じ始めました。で、これは、これで、一応終わりとさせていただきます。恐れ入りますが、あとで、暇な時に、別項目として、立てるか、この続きとして、書きましょう。

   2012年7月29日  雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
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