最初に前置きをさせてください。NHK朝ドラの主人公『つばさ』はやはり、若い恋人翔太と結ばれるのでしょう。今週の総タイトルが「おかんよ、さらば」ですから、「私のおかんになって」という優香チャン(上司の小さいお嬢さん)の願いは無視されるわけでしょうから・・・・・
さて、元に戻らせてくださいませ。
昨日は、フラッシュバックのようにして、心に残っている小さな印象をやっと、考察しぬきました。あのサッチャー夫人もどきの女性不動産屋が、軽蔑を仕切るほどの欠点は、そのマンション群には無いように思え、私は将来、お金をえたら、
このマンションに住みたいと思っていたほどでした。
ニューヨークに移り住みたい、とは、考えていて、その際に家賃を払い続ける生活はきついので、安めのマンションを買うつもりがあるのですが、『ううん、まずいのかなあ』と思い始めました。私自身は差別感が一切無くても、相手の方にもしそれがあれば、その住所を一目見ると封書を受け取った相手側には何らかの先入観を抱かれるのだとしたら、やはり、損ですから。
そんな低いレベルには、巻き込まれたくないですよ。だって、差別など解消すべき、人間にとってのマイナスの側面なのですから。しかし、現実には差別があるのです。その事は私にとって、同じ手法の版画を制作している大先輩で、非常に精神的に支えてもらった、故ボブ[ロバート]ブラックバーン氏が、ホテルチェルシーを永住の家となさっている事を知った日から、ずっと、理解していたのです。
ボブは当時のアフリカン(旧時代の呼び名は黒人)としては、精神性が高くて、収入も高かったはずです。しかし、彼が安全に住む場所は限られていて、そのひとつがホテルチェルシーであり、彼はそこを一生の住まいとしたのです。家賃として換算すれば、普通のアパートよりは、高いでしょう。それにホテルですから使用できる面積が限定されています。ただ、彼には昼間活動する大きなオフィスとしての工房がありましたから、これでよかったのです。
が、そんな小さなことからでも、私は、裏にある事実をさまざま汲み取りました。ボブは芸術家を大事にするホテル側に手厚い保護を受けて、亡くなったのです。立派なお葬式も、行われた模様です。
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今日はじめてこのブログをお読みになる方にちょっとだけ、解説をしますと、ホテルチェルシーは現在、創業100年を越える、アールデコ調の美しい建物のホテルで、二十三丁目にあります。入り口に真鍮の看板が出ていて、一種の文化財として有名なホテルであると解説をしてあります。
現在の、有名人としては、ウッディアレンが、投宿していたそうですが、それ以外に相当な有名人が昔は投宿をしたホテルで、階段ロビーが一種の画廊になっています。つまり、ニューヨークにおける、パリの『洗濯舟』と同位置に当たるかな?
建物の規模はまるで違いますが、日本で言えば、ときわ荘などが似ていますね。
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しかし、年とともに、世情はかわり、この次の世代のタレントはまるで違った扱いを受けます。アフリカンでも、ずっと暮らし易くなってきた模様です。それは、キング牧師などの行動の結果だったでしょう。
その最後の、しかも極端なプラス方向の例は、マイケルジャクソンさんでした。
彼は、ひとも羨む形の豪邸を、どこかに建てて住んでいましたし、世界各国を旅行をする際は、一流ホテルで、過す事が出来たでしょう。ただ、隔離された状態でもありますね。普通のお金持ちとしてニューヨークのコンドミニアムに住んでいたわけではありません。
が、1999年にもすでに、メトロオペラ劇場内でそれを、感じました。その日はアイーダを観たのですが、父を演じるバリトンがすごい美形です。しっかりとした体格で、当夜でも、相当な存在感であり、構内放送が、自伝のサイン会を終演後、ショップで行います。といったので、出かけました。
間近でみると、意外にも年齢が高く見えましたが、アフリカンの人でした。舞台上もエチオピアの元王様と言う設定ですから、お化粧ゆえかと感じていましたが、アフリカンのオペラ歌手だったのです。
その人は、ボブよりは若く、それゆえに、恵まれた進路だったみたいでした。高校時代から頭角を現す才能があった模様で、順調な出世のようです。地方の出身のようでしたが、「現在はニュージャージーに住んでいるのだ」と、私ではない、別のファンの質問に答えていました。
そのファンですが、もちろん、白人の若い女性でした。芸術を愛好する人に人種差別感などありません。芸術とは、相当深いところから、生起するものなので、本質が大切なのです。だから、本質・・・・・を大切にすれば、肌のいろなど、違う洋服を着ているくらいのものなので、全く問題にすべき事ではありません。
ただし、一方で、差別を未だにする人がいる・・・・・それが、現実の社会でもあります。アメリカでも世界中のいたるところでも・・・・・暗い文章みたいで恐れ入りますが、現実を見つめることも、私にとっては必要なので、恐れ入りますが、今日はこういう文章で、終わらせてくださいませ。
では、2009年7月21日 雨宮 舜
さて、元に戻らせてくださいませ。
昨日は、フラッシュバックのようにして、心に残っている小さな印象をやっと、考察しぬきました。あのサッチャー夫人もどきの女性不動産屋が、軽蔑を仕切るほどの欠点は、そのマンション群には無いように思え、私は将来、お金をえたら、
このマンションに住みたいと思っていたほどでした。
ニューヨークに移り住みたい、とは、考えていて、その際に家賃を払い続ける生活はきついので、安めのマンションを買うつもりがあるのですが、『ううん、まずいのかなあ』と思い始めました。私自身は差別感が一切無くても、相手の方にもしそれがあれば、その住所を一目見ると封書を受け取った相手側には何らかの先入観を抱かれるのだとしたら、やはり、損ですから。
そんな低いレベルには、巻き込まれたくないですよ。だって、差別など解消すべき、人間にとってのマイナスの側面なのですから。しかし、現実には差別があるのです。その事は私にとって、同じ手法の版画を制作している大先輩で、非常に精神的に支えてもらった、故ボブ[ロバート]ブラックバーン氏が、ホテルチェルシーを永住の家となさっている事を知った日から、ずっと、理解していたのです。
ボブは当時のアフリカン(旧時代の呼び名は黒人)としては、精神性が高くて、収入も高かったはずです。しかし、彼が安全に住む場所は限られていて、そのひとつがホテルチェルシーであり、彼はそこを一生の住まいとしたのです。家賃として換算すれば、普通のアパートよりは、高いでしょう。それにホテルですから使用できる面積が限定されています。ただ、彼には昼間活動する大きなオフィスとしての工房がありましたから、これでよかったのです。
が、そんな小さなことからでも、私は、裏にある事実をさまざま汲み取りました。ボブは芸術家を大事にするホテル側に手厚い保護を受けて、亡くなったのです。立派なお葬式も、行われた模様です。
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今日はじめてこのブログをお読みになる方にちょっとだけ、解説をしますと、ホテルチェルシーは現在、創業100年を越える、アールデコ調の美しい建物のホテルで、二十三丁目にあります。入り口に真鍮の看板が出ていて、一種の文化財として有名なホテルであると解説をしてあります。
現在の、有名人としては、ウッディアレンが、投宿していたそうですが、それ以外に相当な有名人が昔は投宿をしたホテルで、階段ロビーが一種の画廊になっています。つまり、ニューヨークにおける、パリの『洗濯舟』と同位置に当たるかな?
建物の規模はまるで違いますが、日本で言えば、ときわ荘などが似ていますね。
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しかし、年とともに、世情はかわり、この次の世代のタレントはまるで違った扱いを受けます。アフリカンでも、ずっと暮らし易くなってきた模様です。それは、キング牧師などの行動の結果だったでしょう。
その最後の、しかも極端なプラス方向の例は、マイケルジャクソンさんでした。
彼は、ひとも羨む形の豪邸を、どこかに建てて住んでいましたし、世界各国を旅行をする際は、一流ホテルで、過す事が出来たでしょう。ただ、隔離された状態でもありますね。普通のお金持ちとしてニューヨークのコンドミニアムに住んでいたわけではありません。
が、1999年にもすでに、メトロオペラ劇場内でそれを、感じました。その日はアイーダを観たのですが、父を演じるバリトンがすごい美形です。しっかりとした体格で、当夜でも、相当な存在感であり、構内放送が、自伝のサイン会を終演後、ショップで行います。といったので、出かけました。
間近でみると、意外にも年齢が高く見えましたが、アフリカンの人でした。舞台上もエチオピアの元王様と言う設定ですから、お化粧ゆえかと感じていましたが、アフリカンのオペラ歌手だったのです。
その人は、ボブよりは若く、それゆえに、恵まれた進路だったみたいでした。高校時代から頭角を現す才能があった模様で、順調な出世のようです。地方の出身のようでしたが、「現在はニュージャージーに住んでいるのだ」と、私ではない、別のファンの質問に答えていました。
そのファンですが、もちろん、白人の若い女性でした。芸術を愛好する人に人種差別感などありません。芸術とは、相当深いところから、生起するものなので、本質が大切なのです。だから、本質・・・・・を大切にすれば、肌のいろなど、違う洋服を着ているくらいのものなので、全く問題にすべき事ではありません。
ただし、一方で、差別を未だにする人がいる・・・・・それが、現実の社会でもあります。アメリカでも世界中のいたるところでも・・・・・暗い文章みたいで恐れ入りますが、現実を見つめることも、私にとっては必要なので、恐れ入りますが、今日はこういう文章で、終わらせてくださいませ。
では、2009年7月21日 雨宮 舜