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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

「私のねこ カモフラージュ」(岩波書店)

2008-12-14 19:52:31 | Weblog
 クリスマスが近づきました。今年天から、与えられたクリスマス・プレゼントは、いろいろあるのですが、これもその一つだったかもしれないと思うのが、上記の童話を、読んだことです。奥付には、小学上級以上とありますが、どうしてどうして、今、現在66歳の私が読んでも、『なんと、意味深いのだろう。そして、次の頁を読むのが、どうしてこんなに待ち遠しいのだろう』と思いました。

その前日、私は完全徹夜でした。「徹夜は、もう・年・だから出来ない」とよく、表向きには言いながら、実はしょっちゅう徹夜をしております。そして、徹夜明けの次の日は、何をするにも億劫です。しかし、その何をするにも億劫な朝の・六時から読み始め、家事をしながらですが、お昼までには読み終えてしまいました。

 本当に、息をもつかせず、読ませる本です。そして、心を柔らかにしてもらいました。途中では、厳しい心理描写があって、『結構、重苦しいところで終わるのかなあ』と思っておりましたが、最後は、なんとも、穏やかで美しく、『すべての読者が、ほっとするだろう』というところで終わり、心理的なカタルシスを、充分に与えられます。

 そして、私は、9章まで(約半分)を一時間で読み終わり、午前七時から、すぐ、八枚の礼状を書き始めました。礼状などスグに書かなければならないのですが、今の私は自分の本を郵送することで、てんてこまいであり、ともかく、前向きの事を先にやろうと決意しているものですから、礼状を書くのが遅れるのです。それを、書こうという気にさせたのでした。

 どうしてそんな勇気を与えられたかと言うと、その章で、この本の第二の主人公であるミス・バーナビー(老婦人)と言う、メンター(賢者)が発言する言葉によって、主人公の悩める12歳の少女が、深く慰められるから、それに、共鳴したのでしょう。単純な言葉ではなく、思いがけない言葉の数々で。父と母が離婚をしそうなことへの心配とか、母がヒステリックに怒ることへの悲しみとか、さまざまな事が、相当なレベルで、消化(または解消)され始めます。そこで、先ずほっとするし、そのミス・バーナビーと言う人物像が、私には特別魅力的に映ったからです。

 彼女は村中の人から「変わり者だ」と言われている人ですが、世界中をめぐってきた賢者で、しかもチェロを上手に弾く音楽家です。

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 ここにおいてこの童話が、私が過去に、好きになっている、二つの童話と共通する構図を持っていることに気がつきました。言わずもがなのことですが、剽窃とか、コピーと言うわけではありません。・・・・・ただ、親だけでは、子どもはうまく育たないという一面があることも確かなのです。そして、感性が鋭く、後年、クリエーターとか、芸術家になっていくような人ほど、親と自分との間柄に悩むものなのです。そこへ、適切なメンターが現れ、状況をクリアーにしてくれる。・・・・・その構図が似ているのでした。

 過去の愛読書とは、エーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』と、北畠八穂の『悪たれわらしポコ』です。飛ぶ教室の主人公は、エリート校の寄宿舎に入っています。彼なりの悩みのある少年ですが、村のはずれに住む、哲学を知るおじさんに救われます。『悪たれわらしポコ』の主人公は、もっと低年齢であり、状況は、もっとすさまじく、苦しいものです。貧しくて担任の先生からも差別をされます。しかも自分が作った詩の曲が、合唱コンクールの主題歌になっているのに、その練習にさえ、加えてもらえません。
 『どういうことに、なっているのだろう』とポコは深く悲しみますが、村のはずれに住む賢者のおじさんが、「それは、お前の名前、ポコを、畝戸(うねべ)と、漢字に直して、お母さんが東京へ応募してくれたんだよ」と、謎解きをしてくれることを機縁に、すっかり、心が落ち着くのでした。青森三沢基地、周辺の貧しい農村が舞台で、父親が戦死したポコの家では、お母さんは、遠くへ働きに行っています。が、その職業が基地に関係したもの(つまり、米兵相手の仕事)なので、もう、村には帰って来られないのです。捨てられたと思っているポコの周辺で、「お母さんは遠くからでも、いつも、ポコを見つめていた」と、判ったポコの喜び。ちゃんと愛されていることを知った喜び。

 そこで、私はドッと涙を流すのですが、この上記の童話「私のねこ カモフラージュ」でも、最後に、ドッと涙が出る場面が用意されています。上質のエンディングです。しかし、途中の描写は、まったく甘くないのですよ。大人はこれを読むと、ある種、背筋が寒くなるかもしれない。子どもって、これほど、正確に親の姿を見ているものかと思って。だから、大人の鑑賞に堪えるのです。それに両親の関係とともに、学校社会での、そういう感性の鋭い子の、生きる場所の確保の問題にも触れています。いわゆる無視されるという種類のいじめを、どう克服するかを、美しく示唆しております。

 著者は、コーディリア・ジョーンズと言って、後ほど、イギリス木口木版画の第一人者となる人ですが、この童話に書かれている頃、両親が一度別居しているし、そのために転校した先で、友達が出来ません。ので、自然を観察に出かけます。一人でスケッチをする。そういう孤独の時間が、創作者としては、非常に大切だったのでしょう。そして、内省的ですから、両親に対しても、大いに気配りをするのです。それは、かわいそうなくらいです。そしてそのベースになっている母への観察等が、とても、鋭いのです。そこあたりも並みの童話ではありません。
 なお、イギリス木口木版画については、この「私のねこ カモフラージュ」を訳された山内玲子さんほかが、主宰しているアリスという団体があって、そのホーム頁をご覧になると、イギリス木口木版画が、たくさん出てきます。そのURLは、以下に
http://www5a.biglobe.ne.jp/~alis/index.html  です。
  2008年12月14日   川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)

なお、今日は、昨日より、6時間早く更新していますので、良かったら、下も覗いてやってくださいませ。
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歓迎、『工藤進英』医師・の時間・再放送・他最近のNHKについて

2008-12-14 00:23:53 | Weblog
 この12月16日、NHKプロフェッショナルで、内視鏡で、大腸の手術をなさる工藤進英医師の時間が再放送されるそうです。それはとても、歓迎すべき現象です。

 NHKは、このごろ、民法で言ういわゆるコマーシャルみたいなものを、遣り始めました。術語では、番宣と言うらしいもので、短い隙間の時間を使って、今後、放映予定の番組を、視聴者に知らせます。最近の我が家では、NHKハイビジョン、または、NHK衛星、第一か、第二、を見ているのですが、火曜日だけは、昔からの一チャンネルの夜が面白いと思っております。

 でもね、番宣で、『面白そうだなあ』と思っても、実際に見ると、そうでもなかったり、『いや、わかりきったことだと思っていたのに、思いがけず、面白かったなあ』と思うケースもあります。
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 最近で思いがけなかったのが、『その時、歴史は動いた』の『マザー・テレサ』篇でした。立派な人の業績や、生涯に接するのは、凡人には、苦手なことですよね。結構、自戒とか、自責の念が起こってしまうからです。マザー・テレサとは、現代の奇跡と言っても良いほどの立派な人です。でも、その原点に、父が暗殺(?)をされた(独立運動他のために)事があったらしく、それを知らなかったので、それを、知らされて、ありがたく思いました。『あれほどの、苦難に満ちた行動を、一生を通じて、やり続ける、信念の基礎に、その父の死があった』と判っただけでもすばらしいことでした。深い覚悟のうえでの行動だったのです。『父が、暗殺まではされていない私が、この程度の人生しか送れなかったのは、普通のことだ・・・・・特に怠け者だったわけではない』と、思えましたので。

 ただ、ほんの小さなことで、その番組製作者へ文句を言えば、再現ドラマで、出演をした少女は、きよらかな姿と顔のまったき適役だったのですが、その着ていたジャンパースカートが、どうも、バーバリー社製のものに、見え、当時のバルカン半島に、それが、売っていたかどうかを、疑問に思い始めましたけれど。ふ、ふ、ふ。ほんとうにちいさいことですが。
それから、彼女がノーベル賞を貰う前までの活動資金は、彼女の所属していた、カソリックの団体から出ていたのでしょうか? 途中から寄付もあった事を聞きましたが、それ以前はどうだったのだろう。まあ、それは、本当に小さいことで、番組全体を見通せば、すばらしい事実を、数々、教えてもらいました。

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 しかし、番宣では、面白そうだなあと思っても、私の琴線に訴えないケースもあるのです。たとえば、岩田守弘さんという、ボリショイ・バレー団、第一ソリストのケースとか、武豊騎手のケースです。海外取材もあり、事前には、すごい感動を与えられると思っていましたが、それほどでもなかったのです。不思議です。

 ただ、出演者が悪いということでは全くありません。岩田守弘さんは、長らく、日本を離れているのに、非常にきれいな日本語を話す人で、それは、影に美しい心構えがあることを示しています。背がロシア人に比較して、低く、しかも、ボリショイに、外国人を出したくない(はっきりとは仰らないが)、差別があって、ご苦労のきわみなのですが、それを、たんたんと、美しい日本語でお話しになる、岩田さんは、まだ、30代なのに、非常に立派な人です。

 また、武豊騎手も日本では、恵まれすぎるほど、恵まれている人ですが、それを、打ち破るために敢えて、海外のG1(凱旋門賞)他に挑戦して、やはり、一種の人種差別風のものを受ける苦労を仰っている。

 この二つとも、登場人物には、文句の付けようが無い。

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 しかし、番組としては、その16日に再放送をされる、内視鏡医、工藤進英先生の時間ほど、私に面白いと思わせ、こころ震わせたものは、まだ、この番組では、他に見当たりません。特に先生がものを、自宅でお書きになるときの、姿・・・・・これが、最高でした。これこそ、砂岩の中に、オパールと化した、恐竜の化石を見つけた場合のようなものです。期待をしていなかった、宝石が、ひょいと、見つかった場面と言うようなものです。

 その場面の前までは、<こんなに、立派な人っているかしら? やっぱり、身近な人には、「いやあ、あの人はねえ」なんて、いわれているんじゃあないかしら?>なんて、いくばくかの懐疑があったのに、あの場面でそれは、吹っ飛びました。

 工藤先生は、本当の善人です。そして、番組も宝石のように成功しております。関係者ご一同、再放送、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。病める人にも健康な人にも、工藤先生の、美しい人生やら、業績が伝わるのは、すばらしいと思います。
  2008-12-16  川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)
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