うわーんと泣き出したら、奥から、父が飛んできました。そして委細を飲み込むと、寝巻きのまま、飛び出していきました。父は和服党で、普段着(室内着)は大島紬でしたが、その下着として古い浴衣を着ていて、それを、寝巻きとしていました。そのまま、着替えないで飛んで出て行ったのです。
そして、15分ぐらいで、蛙を八匹ぐらい取ってきてくれました。次男坊で昔からやんちゃだったことで有名だったそうで、蛙を取るぐらい文字通り、朝飯前だったのです。確かに父は、そのとき、まだ、寝起き直後で朝ごはんを食べていませんでした。
でも、その姿が丘の上に住んでいる、数十軒(いや、二百軒ぐらいからかも)見えたかもしれないということは、後で、考えてみると本当に申し訳ないことでした。実は、父は、晩年になるまで相当おしゃれな人だったのです。(上の写真は24歳のときのものです)
晩年になって、既に何もかも洋服がそろって、どんなところへも出て行かれる、出席できるとなってから、安心して、やや、おしゃれではなくなったそうですが、若いときは、いつ何時、TPOに合わないという事ができても、すぐには、買えないわけですから、相当、考えて、揃えていたそうです。そんな父にとんでもない姿を、人目にさらさせてしまって、本当に申し訳なく思います。見ている人は蛙の解剖の事を知らないので、あの男性は何を遣っているのだろうと思ったでしょうし、知っている人が見たら、『ナンだったのかなあ。あれは』といぶかしく思ったでしょう。
で、この一連の父母への感謝の文章は終わります。
~~~~~~~~
ただ、昨日、ここまで書かなかったのは、実際の蛙の解剖実験について、これまた、記憶がよみがえり、いろいろな、事を考えて、今度はそれについて、お話をさせて頂きたくなったからでした。
そんなに、おお苦労をしたのに、友達は理科が始まる前まで、「うわーっ。気持ち悪い」と言うし、なんと、理科室に入ると大きなガラスのふたつきガラスの容器に、蛙が既に何十匹と言うほど入っておりました。
『先生が、二日ぐらいかけてお取りになったのかなあ』とも思いましたが、でも、ふと、『これって、いわゆる業者と言うのが、居るのではないかしら』とも思いました。子どもながら、理科の実験用教材を斡旋する会社があって、その中に、『生き物の配給と言うか、生き物を売る場合もあるのではないかしら』と思いました。だって、先生もおしゃれな方でした。だから、父や私みたいに、あんなみっともない格好をして、蛙をとっていらっしゃる姿を想像できなかったのです。
先生は理科と言っても大学では、生物を専攻なさったから、生き物の分野に強い方で、だからこそ、化学ほかより、生物の実験には力をお入れになり、予算も充分あって、蛙ぐらいお買いになったのではないかしら。『なあんだ。そんなことだったのか、アンナに苦労をする必要は無かったのだ』と思って、ものすごくがっかりしました。一応先生に蛙を差し上げましたが、私の取ってきたサイズのものは胴体が、大体5センチから7センチまででした。『それはどうも小さすぎる』と、先生はお考えになったらしくて、私の蛙は、実際には使われませんでした。
~~~~~~~~~~
先生は私たちの班に胴体が10センチ以上の殿様蛙を渡して、「これを使うように」と仰いました。それの四肢を、解剖台に打ち付けるのです。キリストの磔刑みたいに。蛙は麻酔が掛かっているのだそうです。この時点で友達は女の子も、男の子さえ、「うわあ、嫌だなあー」と口々に言い始めました。その時に私は、入学以来初めて、友達に、不満を持ちました。それまでは、みんなの事がこちらからは、大好きでした。なのに、昨日来、大変な苦労をしたものですから、蛙の解剖に意義を感じていて、非常に乗り気だったのです。
誰が、腹を掻っ捌いたか覚えておりませんが、ともかく、腹膜が裂けて、内臓が出てくると、私は、その美しさにうたれ、相当な長時間かけて、それを、丁寧に写生を致しました。友達が、奇妙なものを見るような目で、私を見ていましたが、それは、気にせずに、ミニ・レオナルド・ダビンチになったつもりで、きれいに色鉛筆で色を挿して、仕上げました。ともかく、生きている内臓って、すばらしくきれいです。
肺は赤くて、胆嚢は緑色、何か脂肪らしいものは、まっ黄色です。肝臓は肉屋に売っている色ではなくて、もっと、きれいだった記憶があります。蛙って、人間とは相当違う特徴を持つ、生き物ですが、脊椎動物ではあるので、内蔵の構成は同じなのです。
~~~~~~~~~~~
さて、しかし、ここで、思考はまた、変遷します。これは、私がAOLのメルマガ内ではよく取る方法ですが、このグーブログでは初めてだと思います。が、一度言ったことへ懐疑を持ち込みます。そして恐れ入りますが、またそれをひっくり返します。
つまり、あれは、サイズが小さい蛙だから、冷静に解剖ができた。だけど、もしサイズが大きいもの、たとえばラット(大きなサイズのねずみ)とか、猫を、業者が持ち込んだらどうでしょう。それを、生きたまま、腹を裂くのです。それは、中学生が、きゃあ、きゃあ、言うのが普通かもしれません。
でも、最近『豚が居た教室』と言う映画ができたそうです。それはまだ見ていませんので、詳しいことは何もいえませんが、横浜トリエンナーレでも、人間の肉体を、掻っ捌いた作品が、四点ぐらいありました。これの意義ですが、作者が何を狙っているか?
私自身は洗練をされた、美しいものがすきですよ。だから、先に入った主人が「この部屋には入らないほうが良いよ」と言ったぐらいです。でもね、この根本的な衝動と言うか、なんと言うか、残忍なところも持っている人間と言うものを正面から見るための、暴力の研究であるような気がします。そこから、人間の精神のコントロールも出来るし、それゆえに品性の高さというものも、はっきり身につくことではないでしょうか?
だから、あの、<腹の裂かれた蛙を、真正面から見据えたあの二時間強>は、私の一生にとって、とても、大切なものだったのです。蛙の肌は透き通っているような、薄い白で、フランスでは、蛙を食べる(ただし、殿様蛙ではなく、食用蛙ですね。それは、ものすごい大きな声でもうもうと鳴く蛙です)というのを納得しました。そして、先ほども言ったように、病気になっていない内臓とは、非常にきれいなものでした。
ありがとう、蛙さん、そして、あの経験をさせてくださった先生や、田んぼの持ち主。そして、小さな男の子たち、そして、私のお父さん。・・・・・ありがとう。
2008年12月12日、 川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)
なお、今日はいつもより、12時間ほど早めに更新をしております。もし、あなた様が、日本時間の夕方から夜にかけて、この頁をお開きになる方でしたら、下にどうして、私が大泣きをしたかが書いてありますので、良かったら、それも覗いてやってくださいませ。
そして、15分ぐらいで、蛙を八匹ぐらい取ってきてくれました。次男坊で昔からやんちゃだったことで有名だったそうで、蛙を取るぐらい文字通り、朝飯前だったのです。確かに父は、そのとき、まだ、寝起き直後で朝ごはんを食べていませんでした。
でも、その姿が丘の上に住んでいる、数十軒(いや、二百軒ぐらいからかも)見えたかもしれないということは、後で、考えてみると本当に申し訳ないことでした。実は、父は、晩年になるまで相当おしゃれな人だったのです。(上の写真は24歳のときのものです)
晩年になって、既に何もかも洋服がそろって、どんなところへも出て行かれる、出席できるとなってから、安心して、やや、おしゃれではなくなったそうですが、若いときは、いつ何時、TPOに合わないという事ができても、すぐには、買えないわけですから、相当、考えて、揃えていたそうです。そんな父にとんでもない姿を、人目にさらさせてしまって、本当に申し訳なく思います。見ている人は蛙の解剖の事を知らないので、あの男性は何を遣っているのだろうと思ったでしょうし、知っている人が見たら、『ナンだったのかなあ。あれは』といぶかしく思ったでしょう。
で、この一連の父母への感謝の文章は終わります。
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ただ、昨日、ここまで書かなかったのは、実際の蛙の解剖実験について、これまた、記憶がよみがえり、いろいろな、事を考えて、今度はそれについて、お話をさせて頂きたくなったからでした。
そんなに、おお苦労をしたのに、友達は理科が始まる前まで、「うわーっ。気持ち悪い」と言うし、なんと、理科室に入ると大きなガラスのふたつきガラスの容器に、蛙が既に何十匹と言うほど入っておりました。
『先生が、二日ぐらいかけてお取りになったのかなあ』とも思いましたが、でも、ふと、『これって、いわゆる業者と言うのが、居るのではないかしら』とも思いました。子どもながら、理科の実験用教材を斡旋する会社があって、その中に、『生き物の配給と言うか、生き物を売る場合もあるのではないかしら』と思いました。だって、先生もおしゃれな方でした。だから、父や私みたいに、あんなみっともない格好をして、蛙をとっていらっしゃる姿を想像できなかったのです。
先生は理科と言っても大学では、生物を専攻なさったから、生き物の分野に強い方で、だからこそ、化学ほかより、生物の実験には力をお入れになり、予算も充分あって、蛙ぐらいお買いになったのではないかしら。『なあんだ。そんなことだったのか、アンナに苦労をする必要は無かったのだ』と思って、ものすごくがっかりしました。一応先生に蛙を差し上げましたが、私の取ってきたサイズのものは胴体が、大体5センチから7センチまででした。『それはどうも小さすぎる』と、先生はお考えになったらしくて、私の蛙は、実際には使われませんでした。
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先生は私たちの班に胴体が10センチ以上の殿様蛙を渡して、「これを使うように」と仰いました。それの四肢を、解剖台に打ち付けるのです。キリストの磔刑みたいに。蛙は麻酔が掛かっているのだそうです。この時点で友達は女の子も、男の子さえ、「うわあ、嫌だなあー」と口々に言い始めました。その時に私は、入学以来初めて、友達に、不満を持ちました。それまでは、みんなの事がこちらからは、大好きでした。なのに、昨日来、大変な苦労をしたものですから、蛙の解剖に意義を感じていて、非常に乗り気だったのです。
誰が、腹を掻っ捌いたか覚えておりませんが、ともかく、腹膜が裂けて、内臓が出てくると、私は、その美しさにうたれ、相当な長時間かけて、それを、丁寧に写生を致しました。友達が、奇妙なものを見るような目で、私を見ていましたが、それは、気にせずに、ミニ・レオナルド・ダビンチになったつもりで、きれいに色鉛筆で色を挿して、仕上げました。ともかく、生きている内臓って、すばらしくきれいです。
肺は赤くて、胆嚢は緑色、何か脂肪らしいものは、まっ黄色です。肝臓は肉屋に売っている色ではなくて、もっと、きれいだった記憶があります。蛙って、人間とは相当違う特徴を持つ、生き物ですが、脊椎動物ではあるので、内蔵の構成は同じなのです。
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さて、しかし、ここで、思考はまた、変遷します。これは、私がAOLのメルマガ内ではよく取る方法ですが、このグーブログでは初めてだと思います。が、一度言ったことへ懐疑を持ち込みます。そして恐れ入りますが、またそれをひっくり返します。
つまり、あれは、サイズが小さい蛙だから、冷静に解剖ができた。だけど、もしサイズが大きいもの、たとえばラット(大きなサイズのねずみ)とか、猫を、業者が持ち込んだらどうでしょう。それを、生きたまま、腹を裂くのです。それは、中学生が、きゃあ、きゃあ、言うのが普通かもしれません。
でも、最近『豚が居た教室』と言う映画ができたそうです。それはまだ見ていませんので、詳しいことは何もいえませんが、横浜トリエンナーレでも、人間の肉体を、掻っ捌いた作品が、四点ぐらいありました。これの意義ですが、作者が何を狙っているか?
私自身は洗練をされた、美しいものがすきですよ。だから、先に入った主人が「この部屋には入らないほうが良いよ」と言ったぐらいです。でもね、この根本的な衝動と言うか、なんと言うか、残忍なところも持っている人間と言うものを正面から見るための、暴力の研究であるような気がします。そこから、人間の精神のコントロールも出来るし、それゆえに品性の高さというものも、はっきり身につくことではないでしょうか?
だから、あの、<腹の裂かれた蛙を、真正面から見据えたあの二時間強>は、私の一生にとって、とても、大切なものだったのです。蛙の肌は透き通っているような、薄い白で、フランスでは、蛙を食べる(ただし、殿様蛙ではなく、食用蛙ですね。それは、ものすごい大きな声でもうもうと鳴く蛙です)というのを納得しました。そして、先ほども言ったように、病気になっていない内臓とは、非常にきれいなものでした。
ありがとう、蛙さん、そして、あの経験をさせてくださった先生や、田んぼの持ち主。そして、小さな男の子たち、そして、私のお父さん。・・・・・ありがとう。
2008年12月12日、 川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)
なお、今日はいつもより、12時間ほど早めに更新をしております。もし、あなた様が、日本時間の夕方から夜にかけて、この頁をお開きになる方でしたら、下にどうして、私が大泣きをしたかが書いてありますので、良かったら、それも覗いてやってくださいませ。