AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

ウォルターベッカーVSメガペッカー

2011年02月20日 | ♪音楽総合♪
上のジャケ写真を見て、「またあましん得意のわけのわからんB級スラッシュものか」とため息をつかれた方、多いかと思います。
まぁ意図的にデス、スラッシュ系のジャケを後ろに並べたり、右下にぬらりひょんを配置したりすればそう思われるのも無理なからぬこと。
ってオマエがそう思わすよう仕向けとんにゃろ!と言われればその通りなんですが、この図の違和感のなさが素晴らしいじゃないですか!?
なんか『家政婦は見た』みたいな構図になってしまったけど。

まぁこれ、スティーリー・ダンの1976年作の5th『幻想の摩天楼』というAOR作品なんですけど。
この作品は、超名盤とされる6th『彩(エイジャ)』の前作にあたるアルバムで、その影に隠れ過小評価されているようだが、私にとっては洗練されすぎの『彩』よりはるかにお気に入りの作品だったりする。
ジャズの木目細かさとブルースの哀愁、そしてロックの馴染み深さが絶妙にブレンドされた傑作であり、各楽曲にヒネた味とドロくささも入り混じる飽きのこない作りとなっている。

そしてこの作品は、今年のグラミー賞で何かと話題になったラリー・カールトンの名プレイが十二分に堪能できる、一種のギターアルバムなのではないかと。
私が好きなのはなんといっても#1“滅びゆく英雄”で、ここでのカールトン奏でる名ギターソロは私のフェイバリット・ソロのひとつである。
ちなみに、カールトン自身は#3“最後の無法者”のソロが自分のベストソロワークだと公言しているそうな。
摩天楼の華やかさとは裏腹に、ジャケ画のごとく70年代の荒んだ裏街道を想わすニューヨークっぽさがあり、それが顕著なのがヴォイス・モジュレーターを効かせたレゲエ調の#7“ハイチ式離婚”で、ドナルド・フェイゲンの歌い方が妙にビリー・ジョエルを彷彿とさせてるところが面白い。

Haitian Divorce


ひとにスティーリー・ダンを聴かせてよく指摘されるのが、ボーカルの歌い方がダサいという点。これはウチの姉もそうだった。
そこでハタと気付いたのが、あ、そうか。フェイゲンの歌のダサさ加減が弊害となっていて楽曲そのものの魅力にみんな気付いてくれてないんだと。
特にこのアルバムにおいてはそのヘンチクリンな歌い方が際立ってるかもしれない。
私も最近やっとフェイゲンの歌の不安定さに気付いてきて、“滅びゆく英雄”での終盤「Yes,there's gas in the car~~♪」のところがチトしんどいかなと。
私の場合、逆に楽曲のカッコよさにダサいボーカルが気にならなかったみたいな。
ま、基本楽曲良ければ全て良しな人なので。
ボーカルのダサさもひとつの味だと受けとめられるようになれればしめたものだということだ。

このことはデスメタルバンドのDEATHにも当てはまることではないだろうか。
チャックの常軌を逸したデスヴォイスに抵抗を感じ、彼が創り出す楽曲の崇高さ、ギターワークの素晴らしさに多くのメタルファンが気付かないでいるのだ。
きっとそうなんだ。

メネ・メネ・テケル、ウプハルシン。



今日の1曲:『滅びゆく英雄(キッド・シャールメイン)』/ Steely Dan
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする