木にもたれ 農家を描く女性がいました
水彩画でした よく訪れるそうです
八王子千人同心組頭の家です
信長に滅ぼされた戦国の雄 武田一族の子孫です
徳川の代になって 甲州街道の要所としての守りの役を果たしていました
周辺の農家と比べても それほどの広さではなかったそうです
かまどには 火が入っていました
江戸時代中期 多摩川を望む台地にあった「綱島家」です
広間型の間取りを持つ茅葺きの民家です
押し板という古い形式の板などから 建物の歴史が感じられます
これは なんの道具でしょうかね
そして こちらが「天明家」です
前回コメントをいただいたダイアナ・シールズさんさんのご実家の近くにあった名主さんの家です
環状8号線が開通するまで 大田区の鵜ノ木村にありました
正面に千鳥破風をもつ主屋・長屋門・枯山水庭園などに高い格式がうかがえます
説明役のボランティアの女性
囲炉裏からの煙は なんとも懐かしさ・郷愁を感じます
鉄瓶の熱い湯からの 桜湯
ごちそうになりました
我々世代には 泣けるほどの嬉しい品の数々ですね
見学に来た小中学生には?? キョトンとしているそうです
外に出れば 大きな大砲
「午砲」と呼ばれていました
明治4年(1871)から皇居の本丸で 正午の合図で空砲を放っていました
区部の大部分に聞こえたといいます
土曜のハンドンの語源にもなりました
昭和4年(1929)にサイレンに変わるまで続きました
きょうの おまけです
一昨日 仲間たちと見学に行った 新橋・汐留地区の超高層ビル
明治5年 新橋~横浜間を走った鉄道の停車場があった場所です
日本の建物も変わりました
100年前が夢のようです
しかし 変わらないものがありました
日本テレビ前の ミニ畑!
やはり 我々は「土」から離れられない民族のようです