酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

江戸~東京で遊ぶ  (農家編)

2006年06月11日 | オヤジのつぶやき


木にもたれ 農家を描く女性がいました

水彩画でした よく訪れるそうです



八王子千人同心組頭の家です

信長に滅ぼされた戦国の雄 武田一族の子孫です

徳川の代になって 甲州街道の要所としての守りの役を果たしていました



周辺の農家と比べても それほどの広さではなかったそうです

かまどには 火が入っていました



江戸時代中期 多摩川を望む台地にあった「綱島家」です

広間型の間取りを持つ茅葺きの民家です



押し板という古い形式の板などから 建物の歴史が感じられます





                   これは なんの道具でしょうかね


そして こちらが「天明家」です

前回コメントをいただいたダイアナ・シールズさんさんのご実家の近くにあった名主さんの家です



環状8号線が開通するまで 大田区の鵜ノ木村にありました

正面に千鳥破風をもつ主屋・長屋門・枯山水庭園などに高い格式がうかがえます



説明役のボランティアの女性



囲炉裏からの煙は なんとも懐かしさ・郷愁を感じます

鉄瓶の熱い湯からの 桜湯

ごちそうになりました



我々世代には 泣けるほどの嬉しい品の数々ですね

見学に来た小中学生には?? キョトンとしているそうです


外に出れば 大きな大砲

「午砲」と呼ばれていました



明治4年(1871)から皇居の本丸で 正午の合図で空砲を放っていました

区部の大部分に聞こえたといいます

土曜のハンドンの語源にもなりました

昭和4年(1929)にサイレンに変わるまで続きました



きょうの おまけです




一昨日 仲間たちと見学に行った 新橋・汐留地区の超高層ビル

明治5年 新橋~横浜間を走った鉄道の停車場があった場所です

日本の建物も変わりました

100年前が夢のようです


しかし 変わらないものがありました



日本テレビ前の ミニ畑!

やはり 我々は「土」から離れられない民族のようです











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23 コメント

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ありがとうございます (ダイアナ・シールズ)
2006-06-11 13:43:10
こちらからリンクを貼っていただくのが恥ずかしいほどの愚痴ブログと化しております(汗)。

天明家、こんなに立派だったのですね。高校がこの近くにあったのですが、時々部活のOBに車に乗せてもらう機会があっても環八が開通していなくて、細道をくねくね通ったのを思い出します。



農具は「千歯こき」ですね。脱穀時に使うものです。

http://www.mus.city.kasugai.aichi.jp/imple_detail.php?id=3095&nu=11&page=1



天明家にある火鉢は実家にあるものとよく似ています(笑)。実家は昭和初期の建物で戦火を逃れた家です。単なるボロ家ですが。



最後の汐留のマンション、知人の家があり訪れたことがあります。別世界です
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懐かしい道具 (キヅカレ)
2006-06-11 14:44:44
懐かしい道具が次々に出てきます。

中学生頃まで、亡母が会津の農家出だったのでご飯を薪で炊いていました。

煮物、焼物は七輪で炭を使っていました。

火鉢、鉄瓶、炭籠、十能、火消し壷と皆懐かしい道具です。

冬は木の樽に白菜漬けを沢山作り、洗濯は井戸端で盥と洗濯板でした。

50年前の生活ですが振り返ると衣食住とも変化したと感じます。

ちょっと母を思い出しました。
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おそらく (まみる)
2006-06-11 15:17:35
>これは なんの道具でしょうかね

おそらく、たぶん、稲の穂をあれですいてモミにしてたんだと思うのですが。

間違ってたらごめんなさい。

子供の頃田舎にあんな風なのがあったと思います。
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ダイアナ・シールズ様 (オヤジな私)
2006-06-11 16:43:50
リンクの貼り付けが事後承諾になりましたね。

申し訳ありませんでした。



一昨日お会いしたO区出身のK氏もよく憶えていた天明家でした。

環八といえば、つい最近ですよね。

実によく長持ちのする家です。



千歯こきのリンク、拝見しました。

詳しい説明がなされていました。

ありがとうございました。



私の家も戦火を免れました。

18年前までは木造の平屋でした。

改築のとき、めずらしいものが沢山でてきました。

ほとんどは、区役所に寄贈しました。



汐留の変化には仰天しましたよ。
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キヅカレ様 (オヤジな私)
2006-06-11 16:49:58
私のところでも、釜戸、七輪、練炭で米を焚いていました。

おこげも嬉しく競って食べたものでした。



会津ご出身の母上を思いだされましたか。

私も新潟出身の母を思い出しました。



洗い張りの細長い板もありましたね。

のりをはって、ゴワゴワ、パリパリになっていました。



障子張りもいまでは懐かしい思い出になりましたね。



昔はモノを大切に扱ったものでした。
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まみる様 (オヤジな私)
2006-06-11 16:53:39
まみるさん。

そのとおり、米の脱穀に使用したようです。

当時としては、かなりの省力化に貢献した道具なのでしょうね。

機械の進歩には目を見張りますね。



ありがとうございました。
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よく残されていますね (anikobe)
2006-06-11 17:59:00
懐かしい暮らしの道具が出てきます。

子供の頃もそうですが、山のお寺に嫁ぎましたので、そこでは、ここで拝見した道具の数々が使われていたのですよ。
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anikobe様 (オヤジな私)
2006-06-11 20:56:41
いまにして思えば、みんないい道具でしたね。

冷蔵庫も氷を一貫目入れていた木造品でした。

母が嬉しそうに使っていたのをよく憶えています。

新品に飛びついてそのまま捨ててしまったのでしょうね。

実に惜しい気がします。



手作りの道具には人の温もりが感じられました。
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農家編 (ちょびママ)
2006-06-12 09:04:54
そう聞くとやはり血が騒ぎます(笑)

にわか百姓の私の中にも、農の血が秘かに息づいてきてるようです。

ボランティアの方がいらっしゃるってのはいいですね。

囲炉裏のある家は私の憧れでもあります。

火鉢は懐かしいですね。

今は亡き祖母のいい相棒でした(笑)

牛砲というのは見た事ないですが、ハンドンの語源となったってのを聞いて、なるほど~って感心しました。
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ほっとしますね (未歩)
2006-06-12 14:25:23
オヤジな私さん、こんにちは。

騒々しい現代から逃れゆったりとした気分になりますね。

火鉢、懐かしいです。

こういうものを見ると落ち着く年代になりました。
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