ときは 今から399年前
慶長20年(1615年)5月7日 大坂城において「大坂夏の陣」が勃発しました
前年の冬の陣では 講和に持ち込んだものの
今回は力尽きて 川家康の軍門に降り これで豊臣家は滅亡します
全くの偶然でしたが その5月7日に大阪城におりました
犬山城 名古屋城と続き 城に縁のある今年の春ですね
明るい陽射しのなか 大阪環状線大阪城公園駅から歩いてたどりついた「極楽橋」からの眺めです
この橋を渡ってすぐ左手にあった案内板でした
戦闘開始から わずか二日目の5月8日
淀君と息子の豊臣秀頼が自刃しました
秀吉一代限りの豊家の栄華といってもいいでしょう
天守閣からの眺め・・・
城内の展示は 秀吉一代記を鮮明に表示していました
20年に満たない豊臣の一代記です
”織田が搗き 羽柴が捏ねし天下餅 座りしままに食うは川”
晩節を汚したかの風聞もある秀吉ですが ここ大阪での太閤人気は平成の世にも続いているようでした
そして 家康は 長く続く太平の世を作り上げましたが いまもって損な役回りを演じていますね
新幹線 ホテルで読んだ本です
夏の陣より33年前 本能寺で起きた大事件!
明智光秀の子孫 憲三郎氏渾身の第二弾!
大阪城観光には うってつけの隠し味の役目を果たしてくれました
セミナー出講の前日でした
頭の体操になりました 研修にもいい影響を与えたようです
”歴史”でストレスも解消 まだまだ学んでいきます!
慶長20年(1615年)5月7日 大坂城において「大坂夏の陣」が勃発しました
前年の冬の陣では 講和に持ち込んだものの
今回は力尽きて 川家康の軍門に降り これで豊臣家は滅亡します
全くの偶然でしたが その5月7日に大阪城におりました
犬山城 名古屋城と続き 城に縁のある今年の春ですね
明るい陽射しのなか 大阪環状線大阪城公園駅から歩いてたどりついた「極楽橋」からの眺めです
この橋を渡ってすぐ左手にあった案内板でした
戦闘開始から わずか二日目の5月8日
淀君と息子の豊臣秀頼が自刃しました
秀吉一代限りの豊家の栄華といってもいいでしょう
天守閣からの眺め・・・
城内の展示は 秀吉一代記を鮮明に表示していました
20年に満たない豊臣の一代記です
”織田が搗き 羽柴が捏ねし天下餅 座りしままに食うは川”
晩節を汚したかの風聞もある秀吉ですが ここ大阪での太閤人気は平成の世にも続いているようでした
そして 家康は 長く続く太平の世を作り上げましたが いまもって損な役回りを演じていますね
新幹線 ホテルで読んだ本です
夏の陣より33年前 本能寺で起きた大事件!
明智光秀の子孫 憲三郎氏渾身の第二弾!
大阪城観光には うってつけの隠し味の役目を果たしてくれました
セミナー出講の前日でした
頭の体操になりました 研修にもいい影響を与えたようです
”歴史”でストレスも解消 まだまだ学んでいきます!
大阪は何度も行っていますけどね。
「明智光秀の子孫 憲三郎氏渾身の第二弾!」
うわぁ 気になります。
以前読んだ本は、秀吉が抜け穴を埋めたのでした(笑)
明智さんの子孫はどう書かれているのでしょうか。
おなじように奇想天外な流れだとおもしろいですね。
きになります~(笑)
大阪城天守、
さすがに高いです、
江戸城はこれより高かったそうですから、オリンピックにかけて江戸城天守が出来上がったら世界飲み物(の見もの)でしょうね。
あまりにもぴったりなので、ぞくぞく~、思わず手を合わせました。
大阪城は修学旅行で行きましたが、なにせ約50年も前のことなので、あんまり記憶にございません!です。
城内に入った記憶は全くないので、外から眺めただけなのかも~。
お城と外堀の向こう側、まるで別世界ですね。
好きな歴史に触れて、脳の活性化と足の運動等も。
ボランティアから講師モードに変身するのもいいことですね。
大阪城は、修学旅行で行きましたが、私も中に記憶はありません。外から見ただけだったのでしょうかしら?あいまいです。
>天守閣からの眺め
この写真も面白いです。
私は年度も覚えてません(笑)
あ、でも、今で「夏」なんですね。
冬との対比でしょうか?あるいは実際の季節感とは違うのかも。
大阪城は何年前だったかお化粧直しをしました。
ちょっとピカピカ過ぎたのですが、写真で見るとちょうどいい加減のきれいさになってきたようですね。
本能寺の変は永遠のミステリーですね。
惹きつける題材です。
以前テレビで子孫の方が本を書いたというニュースを見ました。
内容が気になりますね~~~
大阪城は大好きです。
何処から見ても凛々しく見えます。
1度だけ行って来ました。写真を見てお~そうだったな~
思い出しました。
また勉強会でしたか?
畑はどうされましたか?
さすが歴史深い興味をお持ちの、オヤジな私さんですね。
夏の陣とほぼ同じくしてお城をお訪ねしたのは、何か縁があるのでしょうね。
私は、娘の所が近いので、梅の頃桜の頃とみはらかってお城に行くのは花との出会いの愉しみです。
いつもお勉強の方とは大違いですね。
でも娘とお城を歩きながら、淀君と秀頼の自刃の碑は娘に聞いて知っていました。
橋の名前は極楽橋ですが、落城の折は、この橋で悲劇が生じました。豊臣の落ち武者が橋を渡って逃げるのを容赦なく打ち取った川軍でした。
場外でも多くの悲劇が生まれ、屏風に生々しく描かれていました。
研修も無事終了、ビールがうまかったです。
登りはエレベーター、天守閣から階段を降りて展示物を見る方式です。
抜け穴を埋めた秀吉。
たいか、加藤氏の本でしたね。一気に読んだものです。
子孫の憲三郎氏の説は・・・
いや、ここでは申しますまい(笑)
史料を駆使しての新しい解釈をしています。
ありうることだと感心しました。
是非、ご一読を!