文豪 森鴎外をして「このひとに まことの詩人といふ称を おくることを 惜しまざるなり」
最大級の賛辞をもって明治の文壇に迎えられたのが 24歳6か月の若さで世を去った樋口一葉です
事業に失敗した父親を早くに失くし 17歳で家長を継いで母と妹を養っていた極貧時代・・
一葉の暮らしぶりを物語る共同井戸 (昔は 釣瓶式だったでしょう)
今に残る 明治時代が蘇ったような本郷区(文京区)菊坂界隈です
当時 一家はこの辺りに住んでいました
一葉が 毎日のように通った質屋の「伊勢屋」です 菊坂通りに現存しています
裁縫 洗濯などの手伝いだけでは生計が立たなかったのでしょう
この伊勢屋ですが 万延元年(1860)に開業して昭和57年に廃業しています
当時のままに残してくれている持ち主には ただただ感謝です
案内板には”一葉が24歳の若さで亡くなったとき 伊勢屋の主人が香典を持って弔ったことは
一葉とのつながりの深さを物語る」と書かれていました
そして 極貧の本郷菊坂時代から 下谷区(台東区)龍泉寺町に引っ越したのが明治26年7月
駄菓子屋と荒物の小さな店を開きました
「たけくらべ」の構想は竜泉で練られました
しかし ここでの暮らしはほぼ10か月で終わります
一葉一家は明治27年5月 またまた本郷区(文京区)へ移転します
丸山福山町4(西片1-7-18)の一戸建ての借家で ここが一葉の終の棲家になりました
借家の跡地 紳士洋服のコ○カの前に碑がありますが なにか寂しい感じですね
一葉一家が10か月ほどの短い”滞在”だった台東区には「樋口一葉記念館」が
あって観光客で賑わっていますが”本家本元”の文京区としてはいかがなものか?
多くの文豪に所縁のある「ふみのみやこ」としては一葉に冷たいのでは?
なにかありそうですね
その理由らしきもの オジ3号に乗って奔り回った結果 あることが推察されました(?)
オジ3号の探偵推理 次回の樋口一葉(2)でご披露しましょう
果たしてその推理とは!
最大級の賛辞をもって明治の文壇に迎えられたのが 24歳6か月の若さで世を去った樋口一葉です
事業に失敗した父親を早くに失くし 17歳で家長を継いで母と妹を養っていた極貧時代・・
一葉の暮らしぶりを物語る共同井戸 (昔は 釣瓶式だったでしょう)
今に残る 明治時代が蘇ったような本郷区(文京区)菊坂界隈です
当時 一家はこの辺りに住んでいました
一葉が 毎日のように通った質屋の「伊勢屋」です 菊坂通りに現存しています
裁縫 洗濯などの手伝いだけでは生計が立たなかったのでしょう
この伊勢屋ですが 万延元年(1860)に開業して昭和57年に廃業しています
当時のままに残してくれている持ち主には ただただ感謝です
案内板には”一葉が24歳の若さで亡くなったとき 伊勢屋の主人が香典を持って弔ったことは
一葉とのつながりの深さを物語る」と書かれていました
そして 極貧の本郷菊坂時代から 下谷区(台東区)龍泉寺町に引っ越したのが明治26年7月
駄菓子屋と荒物の小さな店を開きました
「たけくらべ」の構想は竜泉で練られました
しかし ここでの暮らしはほぼ10か月で終わります
一葉一家は明治27年5月 またまた本郷区(文京区)へ移転します
丸山福山町4(西片1-7-18)の一戸建ての借家で ここが一葉の終の棲家になりました
借家の跡地 紳士洋服のコ○カの前に碑がありますが なにか寂しい感じですね
一葉一家が10か月ほどの短い”滞在”だった台東区には「樋口一葉記念館」が
あって観光客で賑わっていますが”本家本元”の文京区としてはいかがなものか?
多くの文豪に所縁のある「ふみのみやこ」としては一葉に冷たいのでは?
なにかありそうですね
その理由らしきもの オジ3号に乗って奔り回った結果 あることが推察されました(?)
オジ3号の探偵推理 次回の樋口一葉(2)でご披露しましょう
果たしてその推理とは!
苦労された方とは聞いていますけど
続きを楽しみにしております
素敵な古井戸です
お母さん達の井戸端会議が聞こえてきそう
40年程まえ市内を焼き尽くした酒田大火でしたが
焼け跡のあちこちに残った古井戸(釣瓶式もあります)は
今も大切に保存されております
中には開発のため梅の花とヨシの枝を入れて
埋めてしまった井戸も沢山あります
こういうのは残さなくっちゃ~
美登利と信如の関係、「水仙」のイメージ、それと一葉の若死になどかな~?
繰り返しますが、四年前のこと。伊勢屋の前、井戸の周りに佇むmさん、ba-baさん、オヤジな私様が私のカメラに収まってますよ。
一葉記念館はなぜ文京区にはないのか?
私も推理してみました。
オヤジな私様と一致したらすごいですね。
因みに、下の四桁の数字は1881です。
たけくらべ・にごりえ・十三夜。とても好きな作家です。なかでも、たけくらべの美登利と信之の淡い悲しいような、心の動きに惹かれて何度も読み返した少女の頃の自分が懐かしいです。
その樋口一葉について次回を楽しみにしています。
何年前になりますかしら・・
あ!4年前でした(笑)
あれから夫とも出かけましたよ。
ちょっと自慢しながら解説したものです。
樋口一葉のつづき、推理を楽しみにしています
明治の面影残す素敵な菊坂界隈です。
散策する外国人観光客が多くなってきました。
続編では意外な事実が・・
我が家はいいもんでしょう。
一葉の極貧時代の菊坂でしたが、母娘三人の生活は、案外楽しかったのでは?
質屋さんはじめ人情味豊かな時代だったのかもしれませんね。
火野正平さんが、山口県を走ってます。
先日、金子みすずの故郷にとうちゃこしてました。
宮沢賢治は、この菊坂に住んでいました。
円谷幸吉は忘れられないランナーであり人ですね。
秋も深まり、4時半でも暗くなってきました。
山の手のイメージがある文京区ですが、この一帯はまさに下町です。当時からの銭湯も頑張っています。
井戸は大切です。
災害時の水の供給という大事な役目があります。
さすがに井戸端会議の風潮はなくなったようです。
井戸が寂しがってるかもしれませんね。
孤独な井戸ですが、これからも残っていくでしょう。
観光客のためにも!
後世に残る名作11作品を最晩年の14か月で書き上げた!
文京区に帰ってきたからの作品です。
やはり、行政がもう少し・・という気がします。
立派な森鴎外記念館はあるのですが。
いっこんまさんの推理はいかに??