おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

犬の接し方

2017-10-12 10:21:59 | 福島

 ファーブル昆虫記やシートン動物記と言えば、大概の人が子供の時に一度は目にしたことがあるんじゃないだろうか。しかしながら、僕などは読んだ記憶はあるものの、内容はちっとも覚えていない。かすかにフンコロガシや鹿やオオカミの話があったなとは思うものの、それ以上思い出すことはできない。

 考えてみれば、そうした子供が読む本と言われているものも、大のおとなが精魂傾けて書いた本である。おとなが読んで面白くないわけがないと思うが、不思議とおとなになって真面目に読み返そうとはしない。もったいない話なのである。

 アマゾンで極北の動物の本を探していたら、シートンが書いた「愛犬ビンゴ」というのがあったので、極北とは関係ないが買ってみた。犬のことが書いてあるとなると、食指が動いてしまう。早速本を開くと、シートン動物記にある話のひとつらしい。表題のビンゴの話は40ページほどで、すぐに読んでしまった。

 19世紀のカナダの話なので、犬の飼い方が今の日本では想像できないのだが、放し飼いは当たり前として、オオカミと戦ったり、鹿を餌にしたりとペットというより野生動物なのである。そんな中でも、人間と犬の絆が描かれ感動的な結末なのだが、読後感じるのは、時代や国によってこんなに犬の飼い方が違うのかという思いである。

 植村さんの「極北を駆ける」では、犬ゾリでの冒険旅行の話なのでエスキモー犬が中心になるが、犬を甘やかすことは、死に直結するという厳しい世界だ。言うことを聞かなければ、棒で引っ叩いてでも言うことを聞いてもらう。餌は腹一杯食べさせると、吐いてばかりでソリを引くことができないので、決して満足に食事を与えることはない。ある時には、犬ゾリ冒険の途中で弱った犬を元気な犬と交換しなければならなくなった時、エスキモーに譲ってくれと言われ引き取ってもらう。と、翌日には食べられてしまい、毛皮は衣服へと変わってしまっているのである。

 植村さんも、単独の犬ゾリ旅行で食料がつき、居住地はまだまだ先だという状況になって、今日にでも弱った犬から人間と犬の食事として犠牲にしなければならないという時に、覚悟の上で出発したにも関わらず、やはり日本式の犬の接し方が頭をもたげてしまい、決心がつかなくなってしまう。

 犬とどう接するのがいいのか、というようなことに正解はないのだろう。時代や環境の違いで、犬と人間の関係は変わってきただろう。我が家の犬たちもすっかり高齢になり、あとどのくらい元気に生きてくれるかなと考えるようになると、犬との接し方ということについても、いろいろと感慨深くなってしまうアベさんなのであった。

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