この前、本屋で湯川豊さんの文庫本「植村直己・夢の軌跡」を買ったら、面白くてあっという間に読んでしまった。植村さん自身が書いた本は、3冊ほど読んでいたが、近くにいた人による評伝となると、当人が書いたものではわからない別の顔をした人物が登場し興味深い。
せっかくなので、以前読んだ植村直己さんの「極北に駆ける」が本棚にあったので、次はこっちを読み返すことにする。僕は本でも映画でも、面白いと思ったものは何度も繰り返し味わうことにしている。暗記するくらいまでになって、初めて読んだとも言える。
昔の人の読書とは、常にそういうものだった。文字がない時代には口伝えにより話しつがれ、活字になっても本が高価だった時代が続いた。読書百遍意自ずから通ずとは、100回くらい読み返さなければ、すっかり頭に入るものじゃないということだ。そうやって頭に入ったものが、ある時ひょっこりと顔を出し、ああそういうことだったのかと納得する。
今のようにパソコンやスマホですぐに調べられるような時代になると、僕らは本を読みながら、読んだところを片っ端から忘れていく。それが可能なのは、忘れたところをすぐに調べられるという安心感があるからだ。が、片っ端から忘れていったものが、重要な局面で頼りになるとは思えない。現代は情報があふれる時代だとは言うが、もしかしたら僕らの脳みそは、情報に対してほとんど白紙状態なのかもしれない。