おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

見えんけど、おる

2019-05-16 10:40:49 | 福島

 水木しげるさんの「日本の妖怪 世界の妖怪」を読む。水木さんと言えば、言わずと知れた漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作者で、妖怪の研究においては第一人者だ。図書館に行っても、民俗学のコーナーでは水木さん関連の本が何冊も並べられている。

 お化けや妖怪と言うと、すぐにオカルトや心霊といったものを連想してしまうが、水木さんを心霊研究家だと思ったら見誤ってしまうだろう。水木さんの興味は、この世には「見えないけれどもいる」存在に対して、眉に唾をつけたり、斜めから見たりせずに、素直にその気配を感じ、その中にどっぷりと浸かって、身の回りの世界が広がりを確認しているかのようだ。

 「遠野物語」や「山の生活」などの著作で知られる柳田國男は、子供の頃に神秘体験をしたという。祠に祀られていた蝋石の珠を見ているうちに、昼間にも関わらず空にいくつもの星が輝いているのを見た。それはもしかしたら発狂したかもしれないような美的な体験だったと語っているが、大宗教家と呼ばれる人は、同じような神秘体験をしているようである。

 世間には、自分の目で確かめられるものしか信じない、と強弁する人もいる。が、人間が見ることができる波長、聴くことができる波長というのは、限定的なものだ。例えば同じ人間でも、コンビニの前に若者がたむろしないようにと、モスキート音と呼ばれる高周波の音を流しているが、これが年配者にはまったく聞こえない。たとえ同じ世界の住民であったとしても、耳に入る音や目に見える色は千差万別なのである。

 見えないけれども感じることができる敏感な人たちは、確実に存在するだろう。そういう人たちを、わざわざ霊感が強いなどと抽象的に呼ぶまでもない。おそらく現代人は、文明を享受するために鈍感力を磨いて来ただけだろうから。「目には見えないが感じるものを〝形”にして、つかまえて満足するという性質を人間はみんな持っているのだ」と水木さんは言う。

 身の回りの世界に、もう少し目を凝らし耳を澄ますことで、今まで気づかなかった世界があることを知ることができるとしたら、間違いなく面白いだろうなあと、強く思うアベさんなのであった。

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