普天間飛行場の辺野古への移設「見直し」問題をめぐって、与党民主党の閣僚間の「ブレ」ははなはだしい。このブレをとらえて、野党である自民党による鳩山政権への攻撃が喧しい。また同政権に対する世論の評価にも一定の影響を与えているようにも見受けられる。
だがこれも、そもそもマニフェストおよび社民党・国民新党との連立合意で県外移設を主張していながら、断固とした態度を取りきれていない民主党首脳部に責任がある。この点はおそらく衆目の一致するところであろうが、一つ忘れられている問題がないだろうか。
そもそも普天間基地に駐留するアメリカ海兵隊は、日米安保条約の建前から行っても、日本の「安全保障上」何の役にも立たない部隊である(実質的な役割から見てもだが)。かつて小沢一郎が「(安全保障には)第七艦隊があれば十分」と述べていたように、おそらく民主党幹部を含めて、かつての自民・公明の幹部にも、海兵隊が日本の安全保障上必要不可欠だと認識しているものは一人もいないのではないか。
実は海兵隊の撤退論自体は、95年の沖縄における少女への性暴力事件が問題になった際に、ブルッキング研究所研究員(当時)であるマイク・モチズキが沖縄の新聞等で述べていることでもある(ちなみにブルッキングス研究所は米国民主党ともつながりが深い)。そもそも、イラク戦争の際における海兵隊の役割を考えれば、お世辞にも外国の侵略に対応できるような部隊ではありえないことくらい、筆者のような素人にも一目で理解できるのではないのか。
もちろんマイク・モチズキの「見解」は、その後の著作を読むと、海兵隊の「撤退」と引き換えに、日本による主体的な「軍事力」の強化と安保体制へのより一層の「関与」を前提としたものではある。しかしながら、 おそらくは米国政府内部(たとえば国務省)にも、海兵隊が沖縄・日本であまりにも問題を引き起こしていることから、その役割をいい加減縮小しても、問題はないと考えるものも出てきているのではなかろうか。また、同じ国防総省内部にも、あまりにも沖縄で問題を引き起こすことが多いことに、眉をひそめている幹部も出始めているのではないだろうか。
これらは無論仮定の話だが、仮に安保体制を維持することに賛同する、あるいは止むを得ないと見ている国民であっても、沖縄海兵隊の撤退自体には反対しないのではないか。だとすれば、鳩山内閣は、閣内の統一見解として「海兵隊の無条件撤退」を打ち出し、普天間基地の無条件返還を強く要求するべきである。また、沖縄県民と、その歴史的苦悩に共感する本土の国民は、その方針を強く後押しする具体的な意思表示を示すべきときではないのか。日本国民の多数派を結集して「沖縄海兵隊の無条件撤退」を要求すれば、かつての「沖縄返還」のように、おそらく米国政府国務省はその世論に「配慮」せざるを得なくなるだろうし、国防総省内部でも、海兵隊と「それ以外の部隊(陸軍・海軍・空軍)との間に「クサビ」を打ち込む条件が客観的に生まれるだろう。すなわち、敵の内部に「二重の内部分裂」を持ち込み、結果として日米両政府内部での力関係を、こちら側に「有利」にする客観的条件を生み出せるのである。
原則的な「安保廃棄」論を強く主張し、その世論を隅々まで広げる運動をより強化することはもちろん必要である。その一方で、彼らの内部における「敵の中の矛盾」を拡大し(『三国志』の「敵中作敵の法」?)、力関係を有利にする世論と運動を強化するー政権交代後のいまでこそ、それを実現できる条件が大きく広がっていると考えるのは、果たして甘いだろうか。各位の見解をお伺いしたいところである。
だがこれも、そもそもマニフェストおよび社民党・国民新党との連立合意で県外移設を主張していながら、断固とした態度を取りきれていない民主党首脳部に責任がある。この点はおそらく衆目の一致するところであろうが、一つ忘れられている問題がないだろうか。
そもそも普天間基地に駐留するアメリカ海兵隊は、日米安保条約の建前から行っても、日本の「安全保障上」何の役にも立たない部隊である(実質的な役割から見てもだが)。かつて小沢一郎が「(安全保障には)第七艦隊があれば十分」と述べていたように、おそらく民主党幹部を含めて、かつての自民・公明の幹部にも、海兵隊が日本の安全保障上必要不可欠だと認識しているものは一人もいないのではないか。
実は海兵隊の撤退論自体は、95年の沖縄における少女への性暴力事件が問題になった際に、ブルッキング研究所研究員(当時)であるマイク・モチズキが沖縄の新聞等で述べていることでもある(ちなみにブルッキングス研究所は米国民主党ともつながりが深い)。そもそも、イラク戦争の際における海兵隊の役割を考えれば、お世辞にも外国の侵略に対応できるような部隊ではありえないことくらい、筆者のような素人にも一目で理解できるのではないのか。
もちろんマイク・モチズキの「見解」は、その後の著作を読むと、海兵隊の「撤退」と引き換えに、日本による主体的な「軍事力」の強化と安保体制へのより一層の「関与」を前提としたものではある。しかしながら、 おそらくは米国政府内部(たとえば国務省)にも、海兵隊が沖縄・日本であまりにも問題を引き起こしていることから、その役割をいい加減縮小しても、問題はないと考えるものも出てきているのではなかろうか。また、同じ国防総省内部にも、あまりにも沖縄で問題を引き起こすことが多いことに、眉をひそめている幹部も出始めているのではないだろうか。
これらは無論仮定の話だが、仮に安保体制を維持することに賛同する、あるいは止むを得ないと見ている国民であっても、沖縄海兵隊の撤退自体には反対しないのではないか。だとすれば、鳩山内閣は、閣内の統一見解として「海兵隊の無条件撤退」を打ち出し、普天間基地の無条件返還を強く要求するべきである。また、沖縄県民と、その歴史的苦悩に共感する本土の国民は、その方針を強く後押しする具体的な意思表示を示すべきときではないのか。日本国民の多数派を結集して「沖縄海兵隊の無条件撤退」を要求すれば、かつての「沖縄返還」のように、おそらく米国政府国務省はその世論に「配慮」せざるを得なくなるだろうし、国防総省内部でも、海兵隊と「それ以外の部隊(陸軍・海軍・空軍)との間に「クサビ」を打ち込む条件が客観的に生まれるだろう。すなわち、敵の内部に「二重の内部分裂」を持ち込み、結果として日米両政府内部での力関係を、こちら側に「有利」にする客観的条件を生み出せるのである。
原則的な「安保廃棄」論を強く主張し、その世論を隅々まで広げる運動をより強化することはもちろん必要である。その一方で、彼らの内部における「敵の中の矛盾」を拡大し(『三国志』の「敵中作敵の法」?)、力関係を有利にする世論と運動を強化するー政権交代後のいまでこそ、それを実現できる条件が大きく広がっていると考えるのは、果たして甘いだろうか。各位の見解をお伺いしたいところである。