★この投稿は私の参加するグループの反戦の視点の井上澄夫氏が寄せてくださった投稿です。沖縄の基地問題を考える材料として是非読んでいただきたくて転載します。(ネット虫)
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基地はいらない、どこにも
──「普天間(ふてんま)基地閉鎖・返還(撤去)問題」の考察①──
井上澄夫
はじめに
沖縄のジュゴンが何頭いるのか、残念ながら、科学的に信頼できる情報はない。
しかし乱獲や魚網に引っかかる事故、生活廃水の垂れ流しによる藻場の減少、あるいは沖縄戦が残した不発弾の海中爆破などがジュゴンの生存をおびやかし、ついに「絶滅危惧種」という恐ろしいネーミングの対象になったことは疑いない。
それに加えて新たな米軍基地の建設がジュゴンを絶滅させようとしている。
しかしながら、連日、マスメディアに登場する「普天間移設問題」はとてもわかりにくい。鳩山政権の閣僚たちの発言が「日替わり」とからかわれるほどコロコロ変わるので、問題の本質が見えにくくなっている。鳩山首相、岡田外相、北沢防衛相が相互に矛盾する発言を公然と繰り返し、鳩山首相は普天間基地の移設先は「私が最後に決める」と強調するものの、閣内不一致と内閣の迷走ぶりが際立っている。そこでそれらの奇っ怪な現象に振り回されず、落ち着いて頭を整理してみよう。
◆普天間基地とは?
沖縄には在日米軍基地が集中している。よく「全国の基地の75%が沖縄に集中している」といわれるが、これは正確ではない。米軍が日本全体で占有する施設の面積比で75%(74.4%)が沖縄に存在するということが事実であり、基地の総数の75%が集中しているのではない。しかし面積では日本全体の0.6%に満たない沖縄県に占有面積比ではあれ75%の米軍基地が集中しているのは、いうまでもなく異常である(そのうえ沖縄県の中でもほとんど沖縄〔本〕島だけに基地が置かれ、島の土地の18.4%が占拠されている)。だから「沖縄の中に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある」とよくいわれるのだが、それは那覇空港から島の最北端の辺土(へど)岬まで、いや島の中部あたりまででもドライブすれば、誰でも否応なく実感できる。
普天間基地は沖縄島中部の宜野湾(ぎのわん)市にある。正確にいうと、米海兵隊宜野湾飛行場である。海兵隊は最前線で敵前に強襲上陸する殴り込み部隊であるから、苛烈な訓練によって人間性をまるで失わせられる戦闘ロボットの集団である。だから戦地から沖縄に戻ると凶悪な犯罪を繰り返す。1995年9月に少女レイプ犯罪を起こした3人の兵士も海兵隊員だった。イラク戦争で起きた「ファルージャの虐殺」に沖縄の海兵隊が加わったことを全国紙などはほとんど取り上げないが、実は2004年に沖縄から5000人の海兵隊実戦部隊がイラクに派遣され、そのうちの2大隊が虐殺に参加したのだ。「動くものはすべて撃った」と兵士たちは証言している。
普天間基地は人口約9万2000人の宜野湾市のど真ん中に居座っている。市街地はドーナツの輪のように基地の回りにへばりつき、そこに住宅、病院、市役所、商店、ホテル、幼稚園、小学校、大学などが密集している。基地からは武装ヘリや輸送機が出撃し、しかも日々訓練をおこなうから、爆音が市民生活を脅かし、事故発生の危険が身近に迫っている。実際、2004年8月には沖縄国際大学に武装ヘリが墜落した。幸い死傷者は出なかったが、一つ間違えば大惨事になるところだった。さらにもっと小規模の事故は日常的に起きている。落下傘で降下訓練中の兵士が風に流され、市街地に不時着するというような事故である。私の友人の家は滑走路の端に隣接する地域にあるが、その家の窓からは離発着する輸送機のパイロットの顔がよく見える。(つづく)
【付記】本稿は「北限のジュゴンを見守る会」のニュースレター『イタジイの森
に抱かれて』第33号(09年11月7日発行)への寄稿に若干加筆したもので
ある。本稿の執筆にあたって、沖縄現地のジュゴン調査グループ「チーム・ザン」
の浦島悦子さんと「北限のジュゴンを見守る会」代表の鈴木雅子さんの協力を得
た。特に辺野古現地を含む沖縄の人びとの抵抗の歴史については、浦島さんから
多大のご教示をいただいた。お二人に深い謝意を表明する。
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基地はいらない、どこにも
──「普天間(ふてんま)基地閉鎖・返還(撤去)問題」の考察①──
井上澄夫
はじめに
沖縄のジュゴンが何頭いるのか、残念ながら、科学的に信頼できる情報はない。
しかし乱獲や魚網に引っかかる事故、生活廃水の垂れ流しによる藻場の減少、あるいは沖縄戦が残した不発弾の海中爆破などがジュゴンの生存をおびやかし、ついに「絶滅危惧種」という恐ろしいネーミングの対象になったことは疑いない。
それに加えて新たな米軍基地の建設がジュゴンを絶滅させようとしている。
しかしながら、連日、マスメディアに登場する「普天間移設問題」はとてもわかりにくい。鳩山政権の閣僚たちの発言が「日替わり」とからかわれるほどコロコロ変わるので、問題の本質が見えにくくなっている。鳩山首相、岡田外相、北沢防衛相が相互に矛盾する発言を公然と繰り返し、鳩山首相は普天間基地の移設先は「私が最後に決める」と強調するものの、閣内不一致と内閣の迷走ぶりが際立っている。そこでそれらの奇っ怪な現象に振り回されず、落ち着いて頭を整理してみよう。
◆普天間基地とは?
沖縄には在日米軍基地が集中している。よく「全国の基地の75%が沖縄に集中している」といわれるが、これは正確ではない。米軍が日本全体で占有する施設の面積比で75%(74.4%)が沖縄に存在するということが事実であり、基地の総数の75%が集中しているのではない。しかし面積では日本全体の0.6%に満たない沖縄県に占有面積比ではあれ75%の米軍基地が集中しているのは、いうまでもなく異常である(そのうえ沖縄県の中でもほとんど沖縄〔本〕島だけに基地が置かれ、島の土地の18.4%が占拠されている)。だから「沖縄の中に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある」とよくいわれるのだが、それは那覇空港から島の最北端の辺土(へど)岬まで、いや島の中部あたりまででもドライブすれば、誰でも否応なく実感できる。
普天間基地は沖縄島中部の宜野湾(ぎのわん)市にある。正確にいうと、米海兵隊宜野湾飛行場である。海兵隊は最前線で敵前に強襲上陸する殴り込み部隊であるから、苛烈な訓練によって人間性をまるで失わせられる戦闘ロボットの集団である。だから戦地から沖縄に戻ると凶悪な犯罪を繰り返す。1995年9月に少女レイプ犯罪を起こした3人の兵士も海兵隊員だった。イラク戦争で起きた「ファルージャの虐殺」に沖縄の海兵隊が加わったことを全国紙などはほとんど取り上げないが、実は2004年に沖縄から5000人の海兵隊実戦部隊がイラクに派遣され、そのうちの2大隊が虐殺に参加したのだ。「動くものはすべて撃った」と兵士たちは証言している。
普天間基地は人口約9万2000人の宜野湾市のど真ん中に居座っている。市街地はドーナツの輪のように基地の回りにへばりつき、そこに住宅、病院、市役所、商店、ホテル、幼稚園、小学校、大学などが密集している。基地からは武装ヘリや輸送機が出撃し、しかも日々訓練をおこなうから、爆音が市民生活を脅かし、事故発生の危険が身近に迫っている。実際、2004年8月には沖縄国際大学に武装ヘリが墜落した。幸い死傷者は出なかったが、一つ間違えば大惨事になるところだった。さらにもっと小規模の事故は日常的に起きている。落下傘で降下訓練中の兵士が風に流され、市街地に不時着するというような事故である。私の友人の家は滑走路の端に隣接する地域にあるが、その家の窓からは離発着する輸送機のパイロットの顔がよく見える。(つづく)
【付記】本稿は「北限のジュゴンを見守る会」のニュースレター『イタジイの森
に抱かれて』第33号(09年11月7日発行)への寄稿に若干加筆したもので
ある。本稿の執筆にあたって、沖縄現地のジュゴン調査グループ「チーム・ザン」
の浦島悦子さんと「北限のジュゴンを見守る会」代表の鈴木雅子さんの協力を得
た。特に辺野古現地を含む沖縄の人びとの抵抗の歴史については、浦島さんから
多大のご教示をいただいた。お二人に深い謝意を表明する。