安倍さんの談話は、例えればコーヒーをアメリカンで、うすめにうすめて、味の分からない飲み物にした。そういう印象。何も伝わって来ない。何もメッセージのない。
良く、エライ人の挨拶を、あくびをしながら聞いているような、終わって良かった、と思ったら、「これをもって、挨拶に代えさせて、頂きます。」えーっ、挨拶じゃ、ないのかよ、みたいな感想を持ちました。
ゆうべは中学校の同期会で、騒ぎに騒いで、歌って、笑って、過ごしました。でも土崎空襲のあった日なので、そのDVDをみんなで見ましたよ。音声は聞こえる状態ではなかったにせよ、一応上映しました。黙とうもしましたよ。ただし前回から亡くなった同志のためにね。
今は、8月15日の正午に鳴るサイレンに合わせて、黙とうする人間は我が家には、おりません。勤めていた時は、必ず上から通達が来て、国旗を半旗に掲げて、指示どおりやってましたが、あんなもん、人に言われてやるようなことと違う。「戦争は、12時に終わったの?」と聞くから、「知りません、70年も前のことは。」と言ってやりました。いったい、いつまで引きずれば、気が済むんでしょう。80年も90年も、そして100年は盛大にやるんですか?。
110年もやるんでしょうね。隣の国から、いいと言われるまで。
今ではあのサイレンを、しらけた気持ちで眺めています。