松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

土崎空襲の夜の同期会

2015-08-15 17:35:14 | 日記・エッセイ・コラム

 安倍さんの談話は、例えればコーヒーをアメリカンで、うすめにうすめて、味の分からない飲み物にした。そういう印象。何も伝わって来ない。何もメッセージのない。

 良く、エライ人の挨拶を、あくびをしながら聞いているような、終わって良かった、と思ったら、「これをもって、挨拶に代えさせて、頂きます。」えーっ、挨拶じゃ、ないのかよ、みたいな感想を持ちました。

 ゆうべは中学校の同期会で、騒ぎに騒いで、歌って、笑って、過ごしました。でも土崎空襲のあった日なので、そのDVDをみんなで見ましたよ。音声は聞こえる状態ではなかったにせよ、一応上映しました。黙とうもしましたよ。ただし前回から亡くなった同志のためにね。

 今は、8月15日の正午に鳴るサイレンに合わせて、黙とうする人間は我が家には、おりません。勤めていた時は、必ず上から通達が来て、国旗を半旗に掲げて、指示どおりやってましたが、あんなもん、人に言われてやるようなことと違う。「戦争は、12時に終わったの?」と聞くから、「知りません、70年も前のことは。」と言ってやりました。いったい、いつまで引きずれば、気が済むんでしょう。80年も90年も、そして100年は盛大にやるんですか?。

 110年もやるんでしょうね。隣の国から、いいと言われるまで。

 今ではあのサイレンを、しらけた気持ちで眺めています。

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軍歌を、歌えますか。

2015-08-14 11:46:30 | 日記・エッセイ・コラム

 ああ堂々の輸送船、「暁に祈る」です。なぜか朝、目覚めたらこの歌が、頭の中で繰り返されていました。そうだった。オレは軍歌を何個か覚えているんだった。それは就職したての頃、飲み会で先輩たちが声高らかに歌っているものでした。それについていける曲が、何曲かあったのです。

 パチンコ屋で流れるやつを、別にして「同期の桜」「ラバウル小唄」「若鷲の歌」なんかは、メロディを覚えています。

 「敗戦記念日」を前にして、最後の帰還兵だの、終戦前夜の空襲だのと、生々しい話であふれ返るのには、少し違和感を覚えています。失神するほどの拷問を受けたことなど、いくら説明したところで、今の若者には通じないでしょう。忘れてはいけない歴史があることは、間違いないですが、GHQのマインドコントロールの結果である自虐感が、未だに完璧に働いていることへの恐怖心を強く感じます。

 軍歌のことは、その延長ではありません。軍歌そのものの、作品としての出来が素晴らしいのです。これだけの作品を、有名作曲家たちが、いやいや作ったのでしょうか。そうではないでしょう。BLOGOSという提言型サイトがあります。毎日、いい意見が続くので、丁寧に読んでいます。「あの戦争を国民が支持した事実を忘れるな」というのも、細部まで読みました。その気持ちがなければ、これらの名曲は生まれないだろうと、私は思います。あの戦争を軍上層部だけのせいにしてはいけないと思います。そうしたら我々の先祖は、無駄な戦いのために、犬死した、バカで可哀想なだけの先祖になってしまうじゃないですか。

 朝の散歩に流れていたのは、同期の桜でした。歩くテンポに、合うんだなあ、これが。

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「おしょらんこ」と、「やせうまんこ」。

2015-08-13 17:11:17 | 日記・エッセイ・コラム

 どうでもいいことですが、ぽっぽっぽー、はとぽっぽー。あの人は一体どうしちゃったんでしょう。

 どうでもいいことですが、甲子園のバックネット裏の必ず映る場所に、一日中座っている男性がいます。犯人はスニーカーに短パン、黄色あるいは緑色のタオルをひざに掛けています。1球ごとに、すねが画面に入るので、気になってゲームに集中できません。どうにかなりませんか。

 というわけで、お盆です。墓参りの前、追分だけ集中的に雨が降りました。その上、寺に着くなり、妻のサンダルの鼻緒が切れました。裸足でいいじゃないか、と言ったら、「ひとめが悪い」とズリズリ引きずりながら、なんとか済まして来ました。何かいいことが起こりそうで怖いです。

 我が家ですたれてしまった習慣がありました。どこの家でもやることですが、仏壇の前に「飾り灯籠」を吊るします。それを「おしょらんこ」と言いました。変な言葉なんで、検索してみましたが、引っ掛かりませんでした。ごく狭い地域の言葉なんでしょう。現物の写真はありませんが、もなかの皮に色を着けた、食べられない飾りのことです。一緒に吊るすものに、ハマナスの赤い実があるのですが、幸いうちには赤い実がたくさん生るので、近所から前はリクエストがあったものです。

 あと、ナスに割り箸を差して、馬の形にします。これを「やせうまんこ」と言いました。今、外野から危ないと言う声が聞こえましたが、大丈夫です。大声で言えます。もっともらしい説に依りますと、キュウリの馬は、足が速いので、ご先祖様が早く到着されるし、ナスの牛は、ゆっくり帰って下さい、という意味らしい。するとあれは馬じゃなくて、牛だったのか。

 地域によって変わる習慣というものは、探してみると面白いだろうと思います。他は忘れましたが、この二つの言葉は鮮明に記憶しています。秋田弁は最後に「っこ」が付く言葉が多いですが、これもそうなのか良く分かりません。響きは他の言葉同様、フランス語っぽいと言えばそう言えるかも知れません。

 自分で壊しておいて、なんですが、この言葉、どこかに残っていると、うれしいです。今でも「たけや製パン」製の飾りがスーパーにあるはずです。孫が生まれたら、復活させようかと思います。

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放射能を無害化する、「常温核融合」。

2015-08-12 19:32:41 | 日記・エッセイ・コラム

 川内原発が再稼働したばっかりで恐縮ですが、この手の話は、まず月刊ムーで最初に取り上げられます。それが2011年9月号です。そして日本経済新聞が2014年くらいから何度か取り上げています。その結果は想像できると思いますが、散々叩かれておしまいでした。非難する連中には2種類あります。高校時代、物理・化学の時間に居眠りしていた無知な人間と、これが実用化されたら困る常識的な連中です。

 まず殻を取り除きましょう。ニワトリの卵の殻を想像して下さい。ほぼ炭酸カルシウムで出来ています。この量は、エサに含まれる量を超えています。また海中では、カニが脱皮を繰り返します。これもエサに含まれる量を超えています。サザエなどの貝類も、海藻に含まれる量のカルシウムを超える量の殻を作ります。生物は自分の体内で、「元素変換」できるのです。まあ、信じない人は残して、先に行きます。

 三陸の震災があった年の9月号に、ある記事が載りました。

 常温核融合は御存じのように、電気分解と同じです。原理があまりにも簡単なために、かえってそれが仇となって、信用されません。しかし地道に研究を続ける人はいるのです。それが例えば三菱重工なのです。彼らはパラジウムの薄膜に重水素を透過させ、効率的に狙った元素をほかの元素に転換する技術を研究しています。福島第一原発の事故で、誰でも名前を知るようになった放射性物質「セシウム」と「ストロンチウム」を、このシステムでそれぞれ「プラセオジウム」と「モリブデン」という非放射性物質に変換することに成功しています。

 これが未だ実用化されないのは、まだ効率が悪いことが挙げられるでしょう。しかしもう一つの原因は、原子力資本の妨害にあるのでは、と書かれています。

 このような例は、科学に限らず、どこにでもあります。最先端理論はいつも、既存のシステムにとっては邪魔者に過ぎないのです。

 だから、核のゴミを地下深くに閉じ込めようと、政府がやっきになった時期がありましたね。田舎に何十億と舞い込んで来る、夢のような話も、「常識的」な連中のために実現されませんでした。上小阿仁村は、すぐにでも受け入れるべきだったんです。だって、放射能が漏れる何千年も経つ前に、SFが現実になるだろうからです。千年、科学が進歩しないということは、あり得ないでしょう。なぜ、未来の日本を信じないのですか。

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安倍さんの苦悩

2015-08-11 19:51:07 | 日記・エッセイ・コラム

 安保法制論議で苦労している中、小林よしのり氏が外国特派員協会を前に記者会見を開いた。一番の趣旨は、立憲主義を崩壊させるほど、中国の脅威は迫っているのか?ということらしい。彼によってバッサリ切り捨てられた形の、内閣及び対米追従保守派にとっては、頭の痛いことでしょう。

 さらに今日見つけたのは、倉山満氏のイターイ指摘だ。今の日本国憲法の下でも既に集団的自衛権が行使されてきた「実績」があるという。国際法では、外国の軍隊に基地を提供することは集団的自衛権の行使とみなされるのだ。その基地から、ベトナム戦争の時は実際に軍隊が出撃している。これが、集団的自衛権の行使でなくてなんだというのか。

 内閣法制局からすれば、これを認めたら前任者の批判になってしまうので、認めるわけにいかない。だから安倍さんは、「行使できないもの」を「行使できる」ように変えるかのような説明を繰り返す。ヘタに憲法解釈の一貫性や整合性を主張するから、しどろもどろの答弁になって、政策論議ができなくなってしまった、のだそうです。

 なるほど。国会の苦しい展開の、見苦しさが、少しは分かった気がした。倉山満氏の「帝国憲法物語」を読みたくなってきた。曰く、「日本国憲法はデタラメだらけ!9条はただのマッカーサーのメモ書きだった!驚愕の真実」つかみは完璧です。彼は「帝国憲法が日本最高の法である」このことに疑問の余地はない、と言い切る。

 憲法改正をしたら、日本漁船への銃撃や拿捕が無くなるのだろうか。中国海警局の巡視艇におびえながら、漁をしなくて済むのだろうか。

 なお、70年談話の方向性が見えたことで、私も支持する気力が、失せましたわ。どうしようもない連中ですね。でも官房長官だけは、見捨てたくない。あの人がリーダーになったら、と夢を見るのは、私だけでしょうか。

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