棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

お盆

2011-08-16 09:08:02 | 山郷の暮し
お盆休みも今日まででしょうか・・。
松本地方のお盆では、迎え火・送り火 には、白樺の皮(かんば)を玄関先やお墓などで燃やします。
大変脂分が多く、火のつきもいいのですが油煙がかなりたち、匂いも油臭がたちこめ、この時期にはお墓はちょろちょろ燃えるカンバの臭いが漂っています。
良い臭いとはいいかねますが、なんとなく郷愁を呼ぶ香りで、私は好きなんです。
先日お供え物で初めて知ったことがあります。
饅頭を揚げたものをお供えするそうで、今はそれようの生饅頭が売られているそうです。(そのままだと食えた代物ではないといいます)
小判型の葬式饅頭を揚げて食べることは知っていましたが、お盆に供養物としてそのような風習があるとは・・・。
なす・きゅうりなどで馬や牛をつくったりもします。なんと、マーケットで作ったものが売られていました。
こうなりますと、伝統的風習というのとトョット違ってしまいますね。
盆・暮れ・正月などには、伝統行事や風習が見られ、意味はともかく、楽しみながらなんとなく続いていってほしいものです。

砂絵マンダラ-3

2011-08-13 08:27:34 | 山郷の暮し
マンダラを「壊す」という行為はなにも砂絵マンダラにかぎったことではなかった。
インド・ネパールの儀式などは土間に直接マンダラを描き、供養物などを捧げた後などをよく見た。
食い物や花などでなんとも汚らしい後だが、人々は気にもせずに踏み歩く。
そのことをすっかり忘れ、「壊す」という行為になにか特別な意味を感じていた。つまり、数日かけて製作した砂マンダラを跡形も無く消し去る。
これは大変なことだと、特別な精神的な意味や教理を見出そうとしていたのであった。
今回の展示の総監督である国立民族博物館の館長立川武蔵さんが解説をしていたので「壊す」と言うことについて個人的に訊ねた。
答えは明快。前記したごとく砂マンダラやプジャーなどで土間に描くマンダラ全てが、一時その場に降臨していただく場所のせっていであり、
お帰りになった後は、ただの空家である。
これをいつまでも保持すること事態、空観念をもととする仏教ーー密教 にとって矛盾をしてしまうことになる。
プジャーにおけるマンダラは「芸術作品」ではないのである。この当たり前のことを私はいつしか見失っていた。
といっても、迷ったり道草をしているわけではないが「壊す」ということの解釈で相違があったといえる.
では、この法事をなんと称しているのか問い忘れてしまった。
日本においては『破壇』と称し、荼毘が終了すると蓋をするそうだ。そして後始末をするのだろう。
かたずけ掃除程度の見方でいいのか分からないが、結局はそおいうことであろうか・・。

砂絵マンダラー2

2011-08-12 07:07:48 | 山郷の暮し
お盆休みで帰郷の渋滞が始まっているようですね。
車内はエアコンが効いていますが、外は猛暑が続き体調がくるってしまいます。
「パパ・ママは早くしてよー」「ANTAなんとかならないの」などなど、大変なことでしょうが、いそがずゆったりといきましょう。

昨日に続き、砂絵マンダラの続きを。
マンダラ絵を「壊す」。私は「壊す」ということに妙なこだわりというか、特別なことと思い込んでいた。
今回初めて砂絵マンダラの全過程を拝見でき「壊す」ということは必ずしも適正なことばではなかったことに気がついた。
つまり、ある儀式や祭りをしたならば「かたずけ」をしなくてはならないのである。
「砂絵マンダラ」は芸術作品ではないのであるから、保存することが目的ではなかったのだ。本質的に作品制作と違う、そんな当たり前のことを勘違いして「マンダラを壊す」ことが特別な宗教儀式であろうと思い込んでいた。
仏を呼び込む装置が必要がなくなったら「かたずける」
ただそれだけのことで、実にあっけらかんとしたものなのだった。
目からうろこが落ちる そんな思いの体験でした。
  
完成し清掃をする 入魂(開眼・招来の読経) 履き寄せられた砂を壷にいれ瞑想
昨日の投稿をご参考ください。

砂絵マンダラ-1

2011-08-11 08:19:14 | 山郷の暮し
松本市博物館で7-30 より9-4までチベット・ネパールの仏たち マンダラ展が開催されています。
場内では「薬師如来砂絵マンダラ」が10日間にわたってチベットのラマ(僧侶)五名によって製作されてきました。
最終日は精魂こめて製作をした砂絵マンダラを壊すことになりました。
私は現地や日本などで(昨年はダライラマが善光寺に招来したおり)数回観てまいりましたが、壊す様は観ることがなかった。
 マンダラはそもそも仏たちがおられる宮殿や空間などを表した聖空間。
砂絵マンダラは仏たちが降臨する所を造り上げている、ともいえます。
完成しますと、いよいよ仏様たちにきていただく読経儀式があり、仏様たちが宮殿に座していただいた。それで砂絵マンダラの法事は完了。
製作の目的を果たしたことになる。
しばしの間(数分であろう)滞在した後、仏様たちはお帰りになってしまう。
残った砂絵マンダラは、ただの空家にすぎないから、壊す。
サーッと砂絵が掃かれた瞬間は、見学者からオーーともワーーともいえないどよめきが・・。
そして、五色に輝いていたマンダラ絵は灰色の小さなものになってしまった。
まるで遺灰そのもので、つぼに納められ,市内を流れる女鳥羽川にながされた。
見学者にも配られ、私もご利益を願ってチベット製の財布におさめている。
およそ三時間を超える法事だったが、かなりの方々が見守っていた。


おカーちゃんは強い!!

2011-08-10 08:37:46 | 山郷の暮し
ご立派
早朝から油蝉が「今日は暑くなるよーー」って騒いでいます。
予報では松本地方は36度と猛暑になりそうで、日差しは刺すような強さがありますが日陰はスーーーと冷気を感じる。
まさに信州の夏の良さで、我が家では就寝時はヘソを出して寝たら、100%夏風邪になってしまう。
ビルの熱気が淀む街中を、秋田犬なみの真っ黒な大型犬と、種類は忘れたがクチャクチャ顔の小型犬に引っぱられてくるご婦人にあう。
汗だくの顔の横には赤ちゃんの顔が・・・。
いやいやこれには思わず「三人とは立派ですネーー」と声をかけてしまった。
街での通りすがりの出来事だったが、なにかたのもしく力強い姿を久しぶりに観た感じがし、なんとなく爽やかな気持ちになった。
正に「おかーちゃんは強い!」

松本城の薪能

2011-08-09 09:16:11 | 山郷の暮し
薪能の中止
松本城を背景にした絶好のステージを得ての「薪能」は今年で30回を迎えた(無料)。
数回は鑑賞し、深い感動に酔ったものだった。
久しぶりに友を誘って開会一時間前には、ビール・食い物を手に早々に席取りにでかける。
以前と違って芝生上ではなく、椅子がびっしりと並べられ心配したほどのことは無かった。
それよりも、連日の夕立の豪雨が問題。そびえるお城の背景の空はだんだんとあやしくなる。
式典神事が済みい、よいよと言う段にパラバラとなり一時中止のすえ本番となる。
パンフを失くしてしまったので題名はわからないが、花橘の精 の舞うものだった。
気品のある動きの中で、濃厚で妖艶な色気が立ち上る。思わず「うつくしいなーー」
だが、中途でポツリポツリとなり、雨脚がはっきりみえだし、雷があばれだす。
結局、中止になってしまったが、みんな残念だがしかたがあるまいと納得し、大雨のなかを駆け抜けていった。

能を観るたびに感じるのだが「完成美」とはこおいうことだとおもいしらされる。
美術評論の要素に「完成度」がどうのこうのといわれるが、ではソレは具体的にどおいうことかとなるとナカナカ定まらない。
たぶんに鑑賞者の感覚によることが多いが、伝統芸能や美術は無駄をそぎ落とされてきた「時の重さ」が完成度を高めていく。
なんといっても、鑑賞者の高いレベルが育て上げてきたのであろう。
写真は中止後の雨が降る西空
 
開会前の準備舞台   一時中止で待つ人々

松本地方の七夕

2011-08-08 07:44:37 | 山郷の暮し
松本の月遅れ七夕
松本から安曇野にかけて、観光客は例年以上で活気を感じる市内です。
昨日は商店街がひときわ賑やかで、そぞろあるく観光客が思わずピカピカとカメラを向けるのが、店先や軒先に飾られている松本地方独特の七夕人形です。
男女の神様の顔が羽子板に描かれ、そこに本物の浴衣などを着付けて飾るのです。
写真は店先のもので、小型・商品化されたものらしく綺麗ですが伝統的な趣はいまひとつ。(だったな本物を記載しろ、と・・)
松本市博物館のパンフの説明をそのまま記載します。
松本地方では月遅れの八月七日に七夕が行われ、次のような習俗が観られます。
ひとつは、初子が無事に成長をすることを願って親戚(おもに母方の実家)から贈られた七夕人形を軒先に飾ること。
江戸時代中期から松本の城下町やその周辺で七夕人形を飾っていたといわれ、今日でも松本市から安曇野市、大町市にかけて七夕人形を
飾る光景がみられます。季節になると現在も市内の人形店で人形が売られています。
そしてもう一つは、季節の野菜とともに「ホウトウ」や「七夕まんじゅう」と呼ばれる七夕様に供え、食べること。
「ホウトウ」は幅の広いきしめん状のうどんで、小豆餡かゴマ、きな粉などであえたもの。
松本城下町で多いのは「ホウトウ」、奈良井側以西や梓以北の安曇野市周辺では「まんじゅう」がよくみられます。
これを食べる理由はよくわかりませんが、七夕の季節は小麦の収穫が終わったころでその収穫祭的な意味合いがあるのではないでしょうか。
と・・。博物館で一口振舞われたのでふだん食べない「小豆であえたホウトウ」を食べました。
餡子の甘みがありながら、さっぱりとした素朴な感じであった。ただし、もーー一口とはいいかねた・・。

蝉のご難

2011-08-06 07:24:57 | 山郷の暮し
肉食系小動物にとって蝉は大好物のようだ。
犬・猫そしてカラスまでが一気に襲い掛かる。といっても、格闘するわけではないが、犬猫の場合、歩行中にいきなり横っ飛びをして草むらにつっこむ。
ときには、飛んできたやつをジャンプして捕獲すらする。
ただいまこの蝉取り合戦の真っ最中で、最近はサクラよりも子犬のハナの方が素早くなった。
もーー美味そうにグシャクシャと食べつくす。
それにしても蝉ってやつは、低空飛行をする。飛行というよりも木に止まりそこなって落ちてきたごとくだ。
なんとなくぶざまな様子で、そのうえ声までたてるから食ってください、といわんばかり・・・。
蝉は土の中で数年の生活で、なんとなく哀れな生き物にたとえられるが、ようやくはい出てきたがかりで、空も飛ばぬままにパクリではチット哀れなり。
先刻、飛んでいる最中にからすがパクリとやったのを目撃した。

おしゃぶり

2011-08-05 08:06:36 | 山郷の暮し
子犬のハナが退屈まみれにコリコリしているのが鹿の骨である。
その骨は、先の冬にサクラが自給自足したもの。
花畑に埋めておいたものをハナは早々に掘り出し、サクラのオッパイとともにしゃぶっていた。
当然オッパイは卒業したが、生後、半年にまだならないが、鳥の骨など大好物だ。
ささくれ立つ鳥の骨は良くないというが、飼育された鳥の骨など骨そそんしょうで、どーーってことはない。
先日牛の骨を与えたら、サクラなどはバリバリと食ってしまった。その残りをハナがポリポリ。
そこへいくと、野生の動物の骨は全く異なり、本当に硬く丈夫です。
 かたずけにかたずけられず 部屋に散乱する鹿の骨

蛍???

2011-08-04 08:53:01 | 山郷の暮し
外灯をつけ忘れ真っ暗な庭。深夜に人が尋ねてくるわけでもないが、草木に包まれた暗闇はなんとなくおっかねーー。
スイッチを入れに外に出てみれば、玄関先の藪に点々と輝くつぶがある。
最初は雨露が自動車の光に反射をしているかとおもったが・・・。
蛍ほど光はなく、瞬きもない。
何の虫さんかわからないが、闇夜だったこそ気がついた。
昼間観察して見たが、さっぱりわからなかった。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本