棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

4-絵と私

2011-02-17 08:15:16 | 山郷の暮し
昨日の続きですが、有名な絵本『木を植えた男』のことです。
画家は1924年生まれで、画家とともにアニメ作家でもある。
最初に映画に製作され、その大ヒットで絵本化したものだそうだ。
この作画の上手さには脱帽してしまう。
また、アニメは輪郭部がフワフワ動きなんとも不思議な画面だったが、いつのまにかあらゆるところでとりいれられている。とくに、コマーシャルの映像には今でも大流行だ。。(コマーシャル業界はすぐ真似る、個性の無いところだ)

ついでだが、このアニメの映画を我が家で公開ーー宴会 をしたことがある。
今はきっとビデオもあることでしょう。
絵本を読んでください。勇気がわいてきます。
蛇足ながらこの本を読むと、宮沢賢治の「虔十森林公園」・・以前にブログに書きました・・をおもいだす。
同じく、本当の偉大な行いとは何であるのか・・多くのことを教えてくれます。
写真は氷撮影についてきた賢犬サクラ

絵と私

2011-02-16 08:22:23 | 山郷の暮し
3-私と絵本ー
絵本といえば、おおくの大人は幼児向きの作品だとしかおもわないだろう(むしろ、絵本と無縁な時代の方々)前記したように私は幼児用向きの絵本は知らない。
高学年から大人に向けた絵本が対象だ。
私が絵本を製作したいと心から思った作品がある。
「樹を植えた男」原作者=ジャン・ジオノ 画家=フレデリック・バック 訳者=寺岡 襄 1989年初版発行  あすなろ書房
原作者は1895年ーー1970年 エッセイ・小説・シナリオ等を残した。
「木を植えた男」は自分の体験を基にしたもので、世界的な話だ。
絵本の文も、小説と同じだったと記憶しているが・・・。
発売  絵本 窓辺の象文・りゅう王丸  絵・岩淵 城太郎  
B-5版 ソフトカバー 45ページ 定価2000円 郵便振込み
送料無料 絵本・森へ帰ろう(金の星社)プレゼント
自費出版による小部数のため、単価・装丁に目いっぱい努力しました。

主人公の象は、生まれた意味や存在について悩み、心の巡礼にでます。
満足のいく答えをえるどころか、自己喪失におちいってしまう。
やがて、『大いなるナニカの力』を感じてから、苦しみの本質が観え自信をとりもどしてゆく。
大人から子供に伝えたい、人間賛歌・希望への絵本です。
詳細はブックマーク HP--photo art 0360 をごらんください。

真冬日

2011-02-15 08:41:57 | 山郷の暮し
またまたサブーーク・サブーークなってしまった。前日の積雪にプラスされて25センチほどになった。
一月は連日の真冬日であったが、二月にはいると突然、平年気温になり「あったけーー」と。そのままの気温が続くわけが無いとは思いながらも、せめて平年気温であってほしい。
女鳥羽川に再び水しぶきが凍りついた造形ができました。

世界史にリアルタイム

2011-02-14 08:36:18 | 山郷の暮し
ただ今世界史に刻まれる出来事といえば、エジプトのムバラク大統領の退陣であろう。
報道陣も歴史の瞬間に立ち会っていると、奮起きみな取材が続いている。
日本人には直接かかわりの無い政変のようだが、これからの世界情勢にかかわってくる、歴史的な大問題なのであろう。
そこで、今までの私の歴史の中で社会的・歴史的な出来事を振り返れば、我が青春時代にあった1960年代の安保闘争であり、それに続く大学紛争だ。
なんといっても大きな影響を受け、その後の創作活動に影響したのが1970年代のベトナム戦争だ。
プロレタリヤアートとして、まっこうから資本権力に対抗したものだった。
音楽ではビートルズよりもピンクフロイドに創造性をかんじ、オーデオにこった要素になった。今でもアトリエに爆音を響かせての製作である。
日本が能天気な平和ボケをしている間も、世界から紛争は絶えることがない。
気になるのは、今の若者が世界の動きに関心を示さないことだ。。
馬鹿になってナニカに立ち向かうところがなく、小さくまとまってしまっていることだ。それは、日本国がそおなっているということだろう。
手軽にはいる情報に押し流されているだけで、咀嚼する間もない。踏みとどまって今を見定める。
リアルタイムに感じ取ったことは一生涯のこるもので、やがては世情にまでつながってゆくことです。

雪景色

2011-02-12 08:49:23 | 山郷の暮し
カーテンを開けば昨日と少しも変わらない雪景色。
フワーー・フワーーと微小な雪が舞い落ちてくる。
ちりも積もれば山となる、といいますが、昨日からの雪はチリのようにフワーーと
朝から止むことがなく舞い落ちてくる。それがフンワリとつもり四寸ちかくなり、今期一番の大雪となった。
そおいえば昨日は雪かきはおろか、外に一歩も出なかった。
いくら腰が痛いといっても、そんなことはめずらしい。そおいえば、賢犬サクラも、猫のチビクマもめずらしく、ちかまでうろうろしていた。
庭先には猫と犬の足跡ばかりだ。
ところで大雪注意報というのは、その土地その土地によって違う。一晩で一メートルの積雪がある雪国では、50センチ降ろうが大雪注意報にはならない。
南国で三寸も降ることになったら、モーー大騒ぎになってしまう。
いや、南国どころか、東京に居たころ一寸の雪で、都心が麻痺してしまったことがあった。
大都会は雪にめっぽう弱いと痛感した。
冬型はまだ続くという。運転にはご注意を・・・。

真冬にもどった

2011-02-11 09:00:23 | 山郷の暮し
二月に入いったとたんに真冬日から、ポカポカ陽気に激変。
そのまま暖かくなるわけではないが、昨日あたりから凍りつく風が流れる。
今朝は微粒子の雪が絶え間なく降ってくる。こんな日は寒い。
腰痛もちにはこんな天候はつらい。
ピクッピクッと神経を引っ張られるような痛みが走る。
コタツに座りぱなしもつらいし、椅子もまたしんどい。
寝ているには上半身が元気すぎるし・・・。
ジャーーどうすりゃーいいんだ!!

真冬にもどった

2011-02-11 09:00:23 | 山郷の暮し
二月に入いったとたんに真冬日から、ポカポカ陽気に激変。
そのまま暖かくなるわけではないが、昨日あたりから凍りつく風が流れる。
今朝は微粒子の雪が絶え間なく降ってくる。こんな日は寒い。
腰痛もちにはこんな天候はつらい。
ピクッピクッと神経を引っ張られるような痛みが走る。
コタツに座りぱなしもつらいし、椅子もまたしんどい。
寝ているには
ジャーーどうすりゃーいいんだ!!

絵本と私ーー2

2011-02-10 08:33:11 | 山郷の暮し
絵本と私といっても、日夜絵本を見て研究しているわけではない。
先日書いたように、子供のころ絵本はみたことも無いくらいだ。
絵画やオブジェなどを創作してきた。
多少なりとも それによって糊にしてきたが 糊にするための創作は極力してこなかったと自負している。(その生き方の良い悪いは別なこと)
むしろそのことを否定してきたかもしれない。
「この作品は売れます。この線でいきましょう」となると、とたんに「俺の仕事は、ソンナンジャーーネーー」
などといきがり、他者に作意を率直に伝えるという気持ちは無かった。

それは今でもあまり変わりが無いが、画文集や絵本を製作するときは素直にわかってもらおうとしている自分が在る。
といっても、自我自賛の範疇ではあるが・・・
絵画制作は徹底して自己との内面対決で、他者がどう理解しょうが気にしない。
というより、そんな時またわプロセスを楽しんでいるのである。
まことに唐突なのですが、松本地方に伝わる御伽噺の「物臭太郎」的な生き方なのです。
(この御伽噺については後日に紹介したい)
発売  絵本 窓辺の象文・りゅう王丸  絵・岩淵 城太郎  
B-5版 ソフトカバー 45ページ 定価2000円 郵便振込み
送料無料 絵本・森へ帰ろう(金の星社)プレゼント
自費出版による小部数のため、単価・装丁に目いっぱい努力しました。

主人公の象は、生まれた意味や存在について悩み、心の巡礼にでます。
満足のいく答えをえるどころか、自己喪失におちいってしまう。
やがて、『大いなるナニカの力』を感じてから、苦しみの本質が観え自信をとりもどしてゆく。
大人から子供に伝えたい、人間賛歌・希望への絵本です。
詳細はブックマーク HP--photo art 0360 をごらんください。

観劇のつもりだったが

2011-02-09 08:52:32 | 山郷の暮し
ふんわりと二寸ほどの積雪。気温は高く10時以降はかなり温度が上がるとか・・。
今日は松本より南にあたる、伊那文化会館で無形文化財にもなっている「長野県農村歌舞伎公演」が開催されるとかで、観劇にいこうと張り切っていた。
髭をそり、お化粧をして(それは無いか)雪の状態を知りたく検索。たいした事は無い。ついでに公演会場をチェック。ところが・・日にちを間違えていた。
公演日は六日の日曜日だった。なぜか九日と思い込み、友達も誘ったほどだった。
時々こおいうことがある私なのです。
それにしても、出かける前に調べておいてよかったが、なにか、ものすごく損をした気分だ。
予定が狂った(始めからたいした予定は無いが)ので近間の温泉でも行くカーー。

私と絵本

2011-02-08 08:36:13 | 山郷の暮し
1-絵本の魅力
幼少のころから沢山の絵本を読み聞かされてきた、なんてことはなかった。

父は学者であったから本があるのは当たり前で、友達の家に行き本棚がないのが不思議だった。
しかし、家には身の回りに絵本はなかった。
そんな私が絵本に興味をいだいたのは、大人になってから。それも30才代後半だったかもしれない。
それゆえに、幼児対称の有名な絵本はほとんど知らない。
高学年から大人向けのものばかりだ。
なにより絵の良さが決めてだが、ストーリー、または精神性が決めてだ。
作画に関しては、通常の絵画展では観られない技法が駆使されて、大変参考になる。
絵画制作を志すものたちに、へたな絵画技術書などよりも絵本の方を進めいてるほどだ。
私は絵画作品の評価は、ドラマがベースになっていなければならないとしているが、
絵本は正にドラマそのもの。
文字が入るということは、視覚以上の内面ドラマが現せる。
創作するものにとって、こんなに魅力のある方法はあるまい。
カットは『窓辺の象」より 絵・岩淵 城太郎

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本