オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

タケノコ

2018-04-03 | Weblog

4/3(火) 昨夜は19:30に退社し「ローカーボ」に顔を出した。マスターはカウンターに座ってスマホを弄っていた。口開けの客であった。

角の席に腰を下ろす前に、サラリーマンを辞めてから持ち歩くようになった革鞄を窓際の小台に置き、何時ものハイボールをオーダーした。店内に響いていたジャズのBGMはコルトレーンだったか?(N・Yブルーノートで居眠りをするぐらいだからね)。

                        

半分ほどグラスを空けた処にスタッフのAOKIが入っていた。後姿が見えたからが、言い訳がましかったが、お目当てはマッチャンだと踏んだ。二人ならんでハイボールを飲むが、特に話題もない・・・・。

暫くし、NAKAMURA大将とマッチャンが姿を見せた。大将は今夕に上京し、マッチャンと「ちょっぷく」で軽く腹拵えをしてきたとのこと。AOKIはマッチャンの隣に移り、高校野球の話をし始める。

私は、大将の佐賀での奥様との充実した短い日々のことに頷きながらハイボールを飲み続けた。HOYA兄いはまだ姿を見せないが「ちょぅぷく」で会社の人間とおぼしきメンバーと入れ違ったと、マッチャンが言う。早晩姿を見せるであろう・・・・。

そう云えば、先週末の金曜日はJINパパ(料理家の先生の旦那)がローカーボに来ていたのだ。その相手をHOYA兄いにまかせて、店を後にしたことを思い出した。兄いには悪いことをしてしまった。

はじめて見る客が入ったのを汐に、今夜も独り先に店を後にした。このまま直帰すればようさそうなものだが、そうはイカンザキ。と「ちょっぷく」に顔をだした。

顔見知りの常連客の間に入り、安ワインを飲む。久々に顔を見るオペラ歌手だと云う歳若も居り、生ビールを馳走したが、どうやら病気で飲んじゃいけない体だったようだ。少し飲ませ過ぎたか・・・・今になって反省するが。

HOYA兄いも姿を見せたので俄然賑やかになった・・・。そんな処で、またしてもお先にと独りで店を後にした。

学芸大学に着いたのは十一時前。東急ストアに入り、弁当食材を見繕った。筍と焼肉用のアメリカンビーフ、鮭をワンパック贖った。帰宅後、鍋に米を一握り入れて筍を茹でた。翌朝の弁当は、焼き肉、筍煮に鮭焼きと云う段取りであった。

降りつづく雨はない。負け続けるだけの勝負事も、勝ち続けるだけの賭け事もない。同じく、明けない夜もない。五時半に目覚めると外は濁り色の曇り空であった。

六時過ぎに台所に向かった。鍋の筍をみて、趣向を変える気になった。初物のタケノコは郷里で食したが、「筍ご飯」は作ってない。タケノコ飯になった。

                            

焼肉の他に、鮭の切り身を一切れ焼いたが、この切り身の薄さといったら、私の人情の如き薄さである。

                

次いで、ジャーマンポテトと卵焼きを用意した、以上が今朝のお献立であります。弁当は一つだが、義母が食します。

                        

そう云えば、この時期には例年、田舎の従姉から筍が届くのだが、今年は未だ来ないなと筍飯を食しながら思い出していた・・・。

以心伝心か、なんと駅に向かう途中に携帯が鳴った・・・・・。

「昨日筍を掘ってきて茹でたんだけど、送ろうか」と、従姉からの電話であった。否応は無いさ、頼むよと応え、ついでに猪肉と山女魚も送ってくれと頼んだ。猪肉は14日の料理教室で燻製をやると云うの持参する予定だ。山女魚は、ちょっぷくのYAMAKENが田舎を思い出して喰いたいとのことなのだ。

持つべきものは田舎、物くれる従姉弟達か?。毎回のお土産も大変だけどネ・・・・・。

             

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする