4/16(月) さて、先週末の金曜日は夕方から上野の居酒屋でサラリーマン時代の剣道部OB会であった。参加したのは二十名ほどで少なかった。ここ二年、欠席したので最近の状況は不明だが低調なのか?。
OB会は、私が未だサラリーマン現役だった時に発足した。故・高田師範と、前島師範からの「現役部員を物心両面から支援する為に協力せよ」とのお仰せを受け、剣道に大いに助けられた私が発足の音頭を取り、初代の会長と云うことになった。然しこの数年は大会へすら顔を出していない。防具を付けない者が差し出がましいことを控える。ただそれだけのことであるが・・・・。
そんな次第で、このOB会にも遠慮したかったが、事務局長からの「スケジュールを四月に変えましたので是非に」とのこと。これまで三月開催であった所以に、彼岸を理由に欠席をしてきたが・・・。そこまでされては申し訳ないと出席することにしたのだ。
この会ではすっかり長老になってしまった。前島師範はご高齢で夜の会には顔を出されなくなった。揃いも揃って後輩ばかり、挨拶をされる側に成り果てた。どうもこう云う場は落ち着かない。が。酒が入れば…お構いない。とはいいながらも、お開きになる前に「次が有るので失礼する」と、座を立った。
次と云っても人形町パトロールに過ぎぬが。九時過ぎに人形町に戻り、HOYA兄いとマッチャンに合流した。合流した店は「セイジュ」であった。店に着くと、マイクを握って相客と歌合戦の最中。その相客といえば、「高松」の常連で旧知の某鉄鋼販社の面々であった。更に、「ちょっぷく」のお助け隊のフナッシーが客八人を連れてくると言う。今夜のセイジュは大繁盛、目出度いねぇ~。
頃合いを計って「ちょっぷく」へと移動。ここも大繁盛ぶりで、相席をさせてもらったところにNAKAMURA大将が上機嫌でRYOKO姫を連れて姿をみせる。いみじくも、翌日の料理教室参加メンバーが揃ったことになった。こうしてオヤジ達の夜は更け行くのであった。
明けた土曜日、午後からの料理教室に向けてお土産に「山女魚の姿寿司」を何本か作ることにした。ついでに、蕪の肉詰め煮も義母用に煮ることにした。蕪の葉は塩揉みして漬物風にする。余談ながら、義母は蕪の葉食したが、肝心の煮物には手を付けなかった。
この日の料理教室は「チンジャオロース」と「エビチリ」を作る。本日のレシピを受け取り、手順の説明を受けてから手洗いをして調理となる。調味料は先生と助手のJINNOさんが全て整えてある。
本日の参加者は、初参加のMAMIYA老 ―この方はHOYA兄いの会社の長老でご意見番かな・・・― 、久々参加のIMAEアンちゃん、HOYA,NAKAMURA、MATUOKA、AOKIに小生、以上七名である。左利きの腰使い包丁さばきをみせるFUJIKURAは腰の治療に、女流カメラマンのハナちゃんはお仕事でお休みであった。
調理の方は手を動かすより口を動かしている方が多い一言居士揃いだが、一番喧しいのはJINパパであろうか。このJIN城の城主であらせられるので疎かにはできない。ご高説を賜りながら我等は手・口を動かし勤しむのが常である。そして、ベランダで合間の一服をしながら、眼前のSON・MASAYOHI城を眺めながら一言二言戯れ事言う・・・・毎度ながら。
一時間半の料理時間に、振り返りと称するお味見&懇談の時間がこの日は二時間と短かく参会した。処が、後に残った三人組は十時頃まで飲んでいたそうだ・・・・。いい大人が、潮時というものをわきまえない、イカンザキだね~。誰だ、そんな三人は!。
雨が降りだしたが、うまいぐあいに雨の間隙を縫って帰れた。
そして我が家での日曜日の夕食、当然前日に習った料理のおさらいである。チンジャオロースとエビチリが並んだことは言うまでもない。家人曰く「ちょっと味が濃いわねぇ~」と。それにや訳があるのよ・・・前日のチンジャオロースが薄味だったから・・・・。
で今朝の弁当にも「エビチリ」を作った。ここで使用した海老は、弁当に合わせた小エビであるが。五目チラシと鮭焼き、タケノコ煮、胡瓜とワカメの酢の物、アスパラ&スナップのソテー、以上である。
午後にTUGAWAさん宅を訪問する。何も持参するなとの女史からのお達しがあったが「山女魚寿司」を作った。これなら珍しいかろう故、許されよう。