オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

来し方行く末・・・

2018-04-17 | Weblog

4/17(火) 昨日の午後、武蔵小金井に住まうHIRO&HANAOKAさん宅を久々に訪問した。手土産は「山女魚の姿寿し」と、復興支援の酒「絆伝心」であった。駅から6~7分の距離で何度か訪ねており、簡単に着くはずであった。

店が閉まっていたが、和菓子屋の前を左折して真直ぐに行けばいいと思い込んでいた。あの辺りであろうと進むが・・・・。処が暫らく行けども描いていた塀と入り口が見当たらない。もう一つ左折かと住宅街の横道を左に曲がった。直ぐに行き止まりになり、もう一本戻ったがそれでも見つからない。可笑しいなと、一番最初の横道まで戻った。漸く目指す宅があった。暫くこないと、これほどまでに道が分からなくなるとは・・・・。

すっかり料理の腕を上げ、レパートリーも広げたHANAOKA女史の手料理がテーブルに並び、ワインやウイスキー・・焼酎が、さあ飲めとばかりに林立していた。先ずは、先般の愚息の披露宴出席の礼を云った。今回、招き頂いた訳が面白かった。「子供たちを立派に育て、ご苦労様でした。ご慰労申したく」だったのだ。

子育てなど放棄していた私ゆえ、真逆な言葉を頂いた次第だが、その言葉の真意は「今年の花見が一緒にできなかった。時期を逸したが、恒例で一献交わしましょう」であろうと推察し、お邪魔した。東京の桜が満開の頃、女史は郷里の母親の介護で帰省していたそうだから。

三人での花見は十五年程になろうか、恒例であった。お互い元気であればこれからもつづくであろう・・・・。女史が漬けた云う花梨酒が、乾杯酒であった。仄かに香る花梨と甘いリキュールが心地いい。

BGMを聴きながら手料理を堪能し、お酒を頂戴した。この家は何度訪れても落ち着く。何時ものテーブルとイス、窓ガラス越しに見える小さな庭の緑。懐かしい古き良き時代の造作と、和ませてくれる室内に簡素ながらも収まるところに納まった調度品。何よりも二人の心遣いが身に沁みる。

結局、居心地の良さに三時半から十時まで居座ってしまった。僕たちの話しは、来し方から行く末へと尽きることがない・・・・。最後は、何時ものように演歌の世界に浸ってしまったが。愉しい一夜であったと、云うしかない。

 

今朝の弁当を準備していると、家人が「スタッフの若い子が、あんたの弁当を食べてみたいそうよ。五百円でどうでしょうかって言ってたわ」と云う。バカヤロ~、俺の弁当が五百円で喰えるか、食材にもなりゃしねよ。と、応えた。

そうは言ってはみたが、あの色黒で南の国から来たような娘が俺の弁当を喰ってみたいのか?。弁当オヤジ冥利に尽きるか・・・・。

『今日の菜は沢山あるから、じゃあ弁当持って行ってやれ』と、OYAJIは優しさを発揮したのである。弁当を食べてみたい言う、その色黒の娘には一度顔を合わせている。睡眠セミナーに駆り出されたときのことだ。後で家人に、あのこの出身は南の国だろうと訊いたほどだ。さに非ず、横浜生まれで優秀な看護大だかを出ていると言われた。

そんなことがあった今朝、弁当は「チンジャオロース」に「カボチャ煮」、「トンカツ」「塩揉み胡瓜の胡麻掛け」最後は定番の「卵焼き」であった。キャベツの千切りを包丁使いも軽やかに・・・・。と云う次第であった。

これだけ菜があると、小さな弁当箱には大変だ。南瓜煮は、一つを半分にしてようやくおさめた。

                     

今日は久々に弁当を三っだ、作り甲斐があろうというものだ・・・・・。

                    

 

今夕は横浜で一献交わすことになっている。一月ほど前になるが、或る案件で手数をかけた後輩のS氏と、御礼方々の一杯である。四半世紀も前に部下であったが、彼が前に在席した会社の案件で、彼にもサポートを頼んだ。その折に、久々に一杯やろうと伝えてあった。その言葉の実現である。

 

 

 

 

 

 

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