オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

サクラとイチロウ

2014-10-15 | Weblog

10/15(水) 今朝の起床は?なんと6時50分になっていた。涼しいのを通り越して寒いぐらいの朝の所為か、或いは昨晩の酒を過ごし過ぎた所為か・・・。

昨日の昼前、サラリーマン時代の最後に一緒に仕事をした後輩のI君から電話を貰った。相談したいことが有るので、時間をくれないかとのことである。それじゃ今夜にでも、人形町までおいでよとなった。心なし元気がない様子であった。

急ぎの相談事と言われれば聞くしかない。良い話であろうはずがないが、偶々夜の予定がなかった。6億時過ぎに駅の改札で落ち合ったが、久々に会う彼はすっかり痩せていた。癌でも患ったかと思ったほどだった。、「高松」で一杯やりながら、彼の話を聞いた。病気ではなかったが、なんともいえない暗い話であった。

そんな深刻な話の処に、高松の常連客、某スチール商社のスーさんが、向こうのテーブルからこっちを見て何やらしている。暫くして注文書の裏にボールペンで私の似顔絵を描いて持ってきた。こちとらは暗い話なのだが、向こうはグループで酔っ払って上機嫌だ。『なんだよこの絵は、俺はもっと毛が有るぜ』と返したら、気持ち毛を増やした。

                        

おいらもすっかり、いじられキャラになったようだ。似顔絵は、特徴を捉えて中々の出来栄えだ。流石に、SUZUKI画伯とサインをするだけのことはある。『このデッサン、スーさん没後には大した値が付くんだろうな』と云うと、「それは無理じゃないかな」と返ってきた。

そんなことをしながら、I氏を激励をして『また何かあれば来いよ。いい知恵はないにしても、話だけは何時で聞けるよ』と云って、駅まで送った。

そして、気分転換に一人で一杯やることにした。「ちょっぷく」に入り、ハイボールを啜っていたがどうにも意気が上がらん。店長のYAMAKAGEは、今夜も客入り上々と元気よく摘み作りに精をだしている。

                        

河岸を変えて「Seiju」で飲み直しと、婆さんの店に向かった。景気よくのはずが、この店も閑か過ぎた。客は私だけなのだから・・・。意気は消沈するばかり也。

暫く時間を潰したが、客の来る気配なし。仕様がないと、22時過ぎに会社に戻ると、YOSHIOが一人で仕事をしていた。『もう仕事は置いて、一杯だけ付き合えよ』と、勤労オジサンのYOSHIOを拉致して、今度は「ローカーボ」へと。「つい先ほどまで、HOYAさんが居ましたよ」とマースターの言。そいつはタイミングが良かったと・・・。

カウンターに客が一人、高校生のような(遥か昔の)聖女がロックを飲んでいる。マスター曰く「HOYAさんが呼び込んだお客さんですよ」と。『貴女も物好きなのか、よほどの暇人かな。変なオジサンに呼び止められて店に入るとは?」なんて言いながら、四方山話となった。『席、こっちへおいでよ』と、酔っぱらいは厚顔無恥なのだ。

YOSHIOは大喜び、すっかりノリノリになっていた。酔っぱらい序に、写真を撮ったが、ピンボケもいいとこだ。

                         

彼女の名前は・・・、聞いたが覚えられない。面倒だから「俺の名はイチロウ、君はサクラだ』と云うと、彼の有名な「昭和枯れすすきのサクラとイチロウ」を知らないと云う。まあ高校生には判らんか?YOSHIOがベッタラ市に誘うと、顔を出しますと素直な応え。ガーナに青年協力隊で行き、今はNPO法人に勤めていると言った。今時には珍しい、清涼感のある娘だった。

そんなことで、昨夜の帰宅は24時40分を過ぎていたか。帰宅後、残っていたタイカレーを喰ってしまった・・・。バカヤローだ。

 

と、昨夜の反省を交えながら、今朝の弁当のことに入る。

何しろ起床時間が遅い。手の込んだものはできないので、今日も冷凍食品のお世話になる。先ずは「鶏団子と根菜の旨煮(人参・蓮根・蒟蒻)」、「冷凍鮭のソテー」、「小松菜の胡麻卵炒め」にした。

                      

ご飯の上に、紫蘇昆布・キャラ蕗の佃煮などを載せて完成となった。

                      

 

今夜は飲まずに帰りたい処だが・・・・、ベッタラ市への検討課題も多いからな。一杯やりながらの話の方が盛り上がるか。

 

 

 

 

 

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