徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「芥川龍之介と久米正雄」特別展―鎌倉文学館にて―

2011-12-10 04:30:00 | 日々彷徨


     今年も残り少なくなってきて、師走の文学散歩は、鎌倉文学館だ。
     鎌倉ゆかりの作家、 「芥川龍之介と久米正雄」展が開かれている。
     二人は、同じ明治二十年代の生まれで、一高、東大と入学してからずっと同級生だった。
     東大在学中に、同人誌「新思潮」を創刊し、夏目漱石門下となって、作家への道を歩んだ。

     二人とも、文学好きな家庭に育ち、切磋琢磨した。
     芸術至上主義の芥川龍之介と、幅広く通俗小説まで手を広げた久米正雄とは、ときに文学の方向性で離反もあったけれ
     ど、昭和2年、芥川の自殺まで変わらぬ交友は続いた。
     今回の企画展では、その二人の交友の軌跡を、原稿、書画、書簡など貴重な約百点の資料でたどっている。

     芥川が作家として生きる決意をしたといわれる、夏目漱石からの毛筆の書簡や、芥川の河童絵などが見どころだ。
     08年に芥川家で発見された、芥川の妻や子供にあてた遺書と、「続西方の人」を書きあげて自殺した彼の最後の筆跡は、
     神奈川県内では初公開だ。




芥川龍之介の「羅生門」「鼻」の草稿、久米正雄の「父の死」の原稿や、二人の間で交わされた手紙(ハガキ)、写真、掛け軸、短冊、書籍なども展示されている。
芥川も久米も、書画を得意としていたらしいが、絵は久米の方が芥川より上手いという、漱石の一文なども面白い。
芥川龍之介の作品にはかなり馴染みがあっても、久米正雄の作品を読んでいる人は少ないのではないだろうか。
久米作品には、手品師」「天と地と」「受験生の手記」などよく知られているものあり、昭和5年に全集(13巻)が刊行され、平成5年には復刻版も出ている。
著作の数では、芥川よりはるかに長く生きた久米の方が多い。
よく知られている「月よりの死者」は、2回も映画化されていて、知る人も多いだろう。

二人は、作家として生きていく決意をしても、当面は生活のために就職するのだが、久米は就職など芸術生活の堕落だと考えていたから、わずか13日で辞めてしまったそうだ。
芥川も久米も鎌倉で暮らしたが、一緒だった期間はなく、久米が鎌倉に移り住んだのは、芥川が新婚生活を送った鎌倉を去って、6年後のことであった。
二人の作家の交友の軌跡とともに、二人の弟子に向けた夏目漱石の書簡なども、興味深い。
芥川龍之介は、昭和2年35歳の若さで自死、葬儀委員長を務めた久米正雄は、昭和27年60歳で亡くなった。
規模はさして大きくはないが、この特別展は、12月18日(日)まで催されている。


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4 コメント

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鎌倉文学館 (霜葉)
2011-12-10 16:51:17
10月に観て来ました。あの遺書には驚きました。原稿用紙に無造作に書かれた数行だけで、生前の『ぼんやりした不安』や死への動機も何もなく、凡人には理解不能でした。「新思潮」の芥川と久米の作品を読んだ漱石からの書簡で久米の作品はイマイチで、芥川作品(たしか「鼻」だったと思いますが)を絶賛しているのが印象的でした。余談ですがいろいろな文学展では、生の原稿や多くの手紙が出ており、性格や時代背景、繋がりの濃さなども想像できて楽しめますが、キーボードで原稿を打ち出し、電話やメールでのやりとりになると、将来、平成の文人達が残すものは限られたものになるのでしょうか。
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久米 (茶柱)
2011-12-10 23:00:14
やっぱり私はものを知りませんね・・・。
久米正雄という作家を全く存じませんでした。

唯一知っていたのは「微苦笑」という言葉ぐらい(笑)。それも調べて初めて判るていたらくですが。
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この展観は・・・ (Julien)
2011-12-11 22:33:33
10月から開催されていましたから、その頃は、庭園の秋の薔薇もさぞかし見事だったことでしょう。
霜葉様。
漱石の手紙からうかがえることは、どうも文学については芥川龍之介のほうに、確かに高い才能を観ている気がしますね。
「絵のほうは久米がうまい・・・」などといっていますが・・・。
二人の文学活動の初期の頃はともかく、作品を見ても、久米のほうは次第に〈純文学〉から離れていったような気がします。
芥川は、文学(芸術)に対して極めて潔癖な人ですから、徹底して〈通俗〉を嫌っていたのではないでしょうか。
それは、彼の作品を読めば歴然ですね。

作家の原稿だけは、いつになっても自筆のものがいいですね。
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久米正雄も・・・ (Julien)
2011-12-11 22:54:45
芥川龍之介も、何だか、今ではずいぶん遠い人になってしまいましたね。
茶柱様。
それも無理はありません。明治24年、25年の生まれですもの・・・。
久米正雄は、後半生の30年近くを鎌倉で過ごし、町会議員を務め、いまはない鎌倉カーニバル実行委員長、鎌倉ペンクラブ初代会長や、川端康成らと鎌倉文庫を設立したり、芥川、直木両文学賞の創設時の選考委員となったり、大活躍でしたが、それとて今は昔の話(!)となりましたね。
一時は流行作家だった久米の作品も、私は数編しか読んでいません。
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