秋きぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる (藤 原 敏 行)
秋風とともに、秋刀魚の美味しい季節になった。
秋刀魚は、塩焼きも勿論いいけれど、脂の乗った刺身もこたえられない。
その秋刀魚と言えば、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」である。
そして、「秋刀魚の歌」と言えば、これは旧聞で、あまりにも人口に膾炙されている話だが、詩人佐藤春夫と作家谷崎潤一郎の、あの「小田原事件」から、谷崎の「妻譲渡事件」へとつながる事実の中で、悲恋に苦悩する孤独な男の愁嘆を自嘲的に詠じたものである。
この頃(大正8年)、女好きで、引越し好きと言われた谷崎潤一郎は、東京文京区から引っ越して、小田原市十字町(現在の南町)に住んでいた。潤一郎には、29歳の時に結婚した、当時のあるべき女性像として非の打ち所のない、美貌で貞淑の誉れ高い千代夫人がいた。
周囲から、女の鑑、世の女性の理想像とまで言われていた。
しかし、夫婦仲は冷え切っていた。
千代夫人は、一人悩んでいた。
「・・・私の、一体どこがいけないのかしら?」
潤一郎と千代の間には、長女鮎子がいた。
佐藤春夫と谷崎潤一郎の交際が始まったのは、この頃のことだ。
ただでさえ女性遍歴の絶えなかった潤一郎は、何と千代の実の妹で、自由奔放な性格のせい子の方に恋焦がれ、本気で結婚を望んでいたのだった。
せい子は、谷崎の作品「痴人の愛」のヒロインのモデルと言われている。
潤一郎は、あまりにも完璧に近い千代の性格に合わなかったらしい。このことは、「痴人の愛」とか、晩年の作品「瘋癲老人日記」などを読むと、なるほどと思わせるものがある。
どうも、彼は、一般常識では考えられない、或る意味ではひどく破天荒で、異常なまでのな女性崇拝主義だったようだ。そのことが、始めての結婚生活で早くも破綻の兆しを見せていたと言える。
千代夫人は潤一郎とせい子のことでも非常に悩んでいて、佐藤春夫に何かと相談を持ちかけていた。悩みを打ち明けられた、春夫の千代への同情は、いつしか情熱的な恋へと変わっていった。
春夫も、三年越しで付き合ってきた妻香代子と別れたばかりであった・・・。
谷崎潤一郎は小説の他に映画の仕事にも手を出し、交際も広く、小田原の家を空けることが多かった。
その留守中に、佐藤春夫は谷崎の家に上がりこんだ。
その時の、潤一郎のいない谷崎家での食卓に秋刀魚がのぼった。
この食卓に同席したのは、春夫、千代、まだ幼い千代の娘の三人であった。
「秋刀魚の歌」は、この時の春夫の心情を吐露したものだ。少し長くなるけれど、引用させていただく。
秋刀魚の歌
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ
ー 男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思いにふける と。
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどい)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝えてよ
ー 男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて、
涙をながす、と。
さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
( 佐 藤 春 夫 )
この「秋刀魚の歌」を発表したとき、佐藤春夫29歳、谷崎千代24歳であった。
詩を読み解くと分かるが、人妻に対する報われない愛に、執着を断ち切りえない自分自身をあわれみ嗤う・・・、そこにこの詩人の本質と宿命とが見え隠れする。
「人に捨てられんとする人妻」「夫を失はざりし妻」は谷崎千代であり、「妻にそむかれたる男」「父ならぬ男」は、結婚していた妻香代子と離婚したばかりの佐藤春夫である。
そして、「愛うすき父を持ちし女の児」は、潤一郎と千代夫人の間の長女鮎子を指している。
潤一郎は、妻千代にあきたらず、千代の妹せい子といい仲になっていて、二人でよく出かけたりした。
そんな時の千代の姿を見るにつけ、春夫はいたたまれない気持ちであった。
春夫は、千代に対して夫潤一郎以上のやさしさを見せた。千代は千代で、春夫に引かれていくものを感じていたし、逆に夫には、自分に対して思いやりのかけらもないのかと不満であった。
春夫と千代の関係に気づいていた谷崎潤一郎は、或るとき佐藤春夫に言った。
「千代を、お前にくれてやるから、もらってくれ」
「いいのか」
「ああ、いいんだ」
「本当にいいのか」
「いいと言ったら、いいんだ。千代もその気になっているらしい。俺は、かまわん」
「そうか。本当にいいのか」
「いいんだ。男の約束だ」
しかし、「約束」の具体的なこととなると、潤一郎はあまり話そうとはしなかった。
そして・・・。
二人は固い約束を交わした筈だったが、それ以上の進展もなく、数日が過ぎた。谷崎の気まぐれで、約束が履行されることはなかった。
潤一郎は、望んでいた義妹せい子との結婚がままならず、千代を手放すのが急に惜しくなった。
「佐藤よ、悪いがこの話はなかったことにしてくれ」
とうとうこんなことを言い出した潤一郎に、春夫は烈火のごとく怒った。
「何だと!男の約束ではないのか。貴様、卑怯だぞ!」
「まあ、何と言われても仕方がない。気が変わったんだ。白紙に戻してくれ。頼む」
「ふざけるな、潤一郎!自分から約束をしておいて、いまさら何だ。お前とは、今日から絶交だ!」
「結構だ。どうでも勝手にするがいい!」
佐藤春夫と谷崎潤一郎は、ほとんど毎日のようにお互いに言葉を交し合う仲だったが、この谷崎の一方的な約束破棄がもとで、二人は絶交してしまった。
・・・交際を絶った春夫は神経症となって、郷里へ引き込んでしまった。
そのとき、「小田原」を思い出して書き綴ったのが、この「秋刀魚の歌」である。
春夫は、新たな別の女性と結婚するが、やがて、この二人も別れることになる。
彼は、千代への熱い想いを忘れることが出来ず、いつまでも大切にしていた。
潤一郎も、一時は人生のやり直しを決意し、ことのほか千代を大事にするような側面を見せるのだが、結局のところ、千代との仲も長くは続かなかった。
そして、である・・・。
この話には後日譚があって、とんだどんでん返しが待っていたのだ。
時は流れて昭和5年、潤一郎は44歳で千代夫人と正式に離婚した。というのも、彼は次なる妻となるべき古川丁未子という女性と婚約したからだ。丁未子は文芸春秋社の文芸記者だったが、またしても、この二人の同棲生活は2年と続かなかった。二人は別居した。
それは、女性の美のあくなき追求者、谷崎潤一郎がまた別のあこがれの女性根津松子と知り合って、そちらに気持が傾いていったからである。後に、この二人の関係は熱烈な恋愛関係にまで発展した。
この頃、谷崎は「春琴抄」を発表した。
・・・男と男が絶交してから5年後、佐藤春夫と谷崎潤一郎は和解した。
春夫や潤一郎の強い説得で、千代の気持も春夫に傾いていった。
二人が再会した時、潤一郎ははっきりと言った。
「あの時はすまなかったな」
「何言ってるんだ、いまさら・・・!」
「すまなかった。悪かった。千代のこと、いまどう思ってる?」
「俺か、俺の気持は、今だってちっとも変わっちゃいない。自分で言うのも変なんだが、あの時と同じだ。俺自身驚いてる。生涯変わらんだろう」
「そうか。そうなんだな」と、潤一郎はまじまじと春夫の顔を見返した。
春夫は、いらいらした口調で、
「だから、どうなんだ?」
「あいつをお前に譲る。もらってくれるか」
「それは本当か?今になって何だって?」
潤一郎に確かめるように言うと、
「千代をもらってくれ。今度こそ本当だ」
佐藤春夫は、しばらく考えてから、にわかに穏やかな顔になって言った。
「本当なんだな。で、千代さんは何と言ってるんだ?」
「あいつも同じ気持ちだ。間違いない。俺も確かめた」
「そうか。・・・そうなのか」
「ああ。俺と千代は本気だ。どうだろう、お前さえいいと言ってくれれば、俺とお前と千代の三人の連名
で、知り合いに挨拶状を書こう。どうだ」
すると、はじめて春夫はにっこりと笑って、
「そうだな。それがいい、それがいいや」
「じゃあ、決まりだな。いいな、それでいこう」
潤一郎は、そう言って、満面の笑顔であった。
そこで、潤一郎、千代、春夫の連名で、知人たちに、佐藤と千代が結婚する協議が成立した旨の挨拶通知を出すこととなった。かくて三人は、晴れ晴れとした気持になった。
それに、この三人連名の挨拶状を、早速大新聞が報じたものだから、たちまち社会に大きなセンセーションを巻き起こした。
昭和5年8月19日のことであった。
これが、世に喧伝される「小田原事件」、谷崎潤一郎の「妻譲渡事件」の顛末である。
いろいろと紆余曲折があったが、まずは目出度し目出度しで、それから後の春夫は千代とその娘鮎子までも引き取って、仲の良い円満な家庭を築いたと伝えられている。
そして、のちに鮎子は春夫の甥と結婚した。
佐藤の人のよさというのか。分かるような気がする。
昭和23年、佐藤春夫は芸術院会員に選ばれる。
谷崎潤一郎の好き勝手な、一種破天荒(?)とも思える人生に、佐藤までが巻き込まれた格好だ。
一方、谷崎潤一郎は、これまたいろいろありで、兵庫県精道村に住む人妻であった根津松子を知って同棲、彼女の離婚成立を待って名を森田松子に復して、谷崎の自宅で目出度く正式に結婚式を挙げ、入籍した。
これは、本題の「秋刀魚の歌」とは離れた余談(谷崎の話)だが、すでに文壇の雄となっていた谷崎潤一郎が、千代と離婚後、根津松子を妻に獲得しようとして、恥も外聞もなく、あの手この手の恋文作戦などで彼女に近づき、拝み倒す思いで、凄まじいまでの恋を燃焼させたことは巷間有名な話である。
潤一郎の恋文は、文献、資料等でも多く目に触れることが出来、まるで熱血少年のように、ここまであからさまに、情熱的に書けるものかと驚いたものだ。(大作家といえども、恋には盲目、一人の男性だった)
松子夫人入籍の二年後、谷崎潤一郎は芸術院会員に選ばれる。
・・・「秋刀魚の歌」を読み解くとき、詩人佐藤春夫が、およそ恋愛には似つかわしくない「秋刀魚」を主材にとり、あえて哀切なる詩情を綴ることによって、恋の苦悩と嘆きの心象風景が、見えて来るような気がする。
そして、青春時代を真剣に生きようとしていた佐藤春夫は、良くも悪くも、愛すべき「妻」の問題をめぐって、人生の大切な一時期を、谷崎潤一郎の自己中心的な「友情」によって、それが後に修復されたとはいえ、見事に撹乱されたことは確かであった。
「秋刀魚の歌」の背景には、詩人、作家としての佐藤の人生の「凝縮」がこめられていて、この人を語るとき、実に象徴的な意味合いがあって、まことに興味深い。
後年、佐藤春夫も谷崎潤一郎も共に、昭和前期の文壇では押しも押されぬ大御所的存在となって、功成り、名を遂げた。
・・・一件落着である。
秋風が立ち、秋刀魚を美味しく食するとき、この歌とともに、また春夫と潤一郎の人生も偲ばれる。
・・・少し、疲れましたね。
いま、秋刀魚が安いですね。脂の乗った大型のものが、一尾97、8円だそうですから。
さあ、どうですか。
秋刀魚の刺身でも塩焼きでも、一杯、やりませんか。
白玉の歯にしみとほる秋の夜の
酒はしづかに飲むべかりけり (若 山 牧 水)
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豊富な知識を持っているんだと思います。
でも秋刀魚は焼いたほうがうまいです。それに、ビールで一杯。
大根おろしの一杯ついた、焼き魚定食なんて・・・。
刺身やすしのときは、冷酒かな。
まあ、その時の気分しだいで、どちらにも・・・。
コメント有難うございました。
誠実な応えに感嘆してます。
どうも有難う。
おもしろかった。
不倫は文化の意味が分かった。
いつも、気ままに書いています。
(独断と偏見もありで・・・)
よろしくお願いします。
まだ青いところもある、その蜜柑をみてふと、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を思い出しました。
でも、詩の内容ももはやうろ覚えで、最後の辺りしか思い出せず、ネットで検索してここに辿り着きました。
谷崎潤一郎や、その妻との人間関係…妻譲渡事件はおおまかなことしか知らなかったので、とても興味深く読ませて頂きました。
また、秋刀魚の歌が生まれた背景も知ることが出来ました。
切なく、物悲しいこの「秋刀魚の歌」はなぜか心に残ります。
久々に全文を読んで、昔訪れた和歌山の新宮市を思い出しました。
ありがとうございました。
「青い蜜柑」・・・確かに、あの詩の一節にある言葉ですが、覚えておいでだったのですね。
そして「秋刀魚の歌」を思い出されて・・・。
私も、青い蜜柑を見たら、きっとこの詩とともに、お寄せいただいたコメントを思い出すことでしょう。
有難うございました。
こないだ道を歩いてて、美味しそうな『秋刀魚と大根おろしの写真』を見て喜んだのも束の間、店の前に貼られたメニューで、秋刀魚一匹17.5ドル+チップ=約2000円ちょっと。
サンマ一匹=うな重の値段???
と、悲しく「さんまの歌」を思い出して本家の歌を調べてたら、このページに辿り着きました。
秋の夕暮れ 秋刀魚を眺めて 思いにふける
さんま さんま
さんま 苦いか しょっぱいか。。。
なんでそんなに高いのか。。。
(アメリカ西海岸でも秋刀魚は泳いでいないのでしょう、がっかり。)