徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「私の男」―流氷に閉ざされた大地に生きる父と娘の禁断の愛―

2014-06-29 22:15:00 | 映画


 「海炭市叙景」「夏の終わり」などの話題作に続いて、北海道出身の熊切和嘉監督は、この作品でもまた北の町を舞台に選んだ。
 人気女流作家・桜庭一樹直木賞に輝いた同名小説を、熊切監督のコンビで知られる宇治田隆史が巧みに脚本化した。
( 原作は文句なし、作者渾身の力作だ)

 北海道の厳しい冬景色を背景に、孤独な男とその彼に引き取られた娘との禁断の愛を、重厚な見ごたえのある映像で描きだしている。
 いびつな物語かも知れないが、不思議と説得力がある。
 流氷の町で何があったのか。
 脚本、撮影、演出、演技と、多くの要素や技術を巧みに結集させて、原作の味わいを映画独自の濃密なサスペンスの世界に昇華させた。
 この作品は、28日に行われた第36回モスクワ国際映画祭で、最優秀男優賞(浅野忠信)、最優秀作品賞受賞した。しかもW受賞である。
 故新藤兼人監督「生きたい」(99年)以来、15年ぶりの快挙だそうだ。
 日本映画が北の大地を熱くした。


奥尻島を襲った大地震から物語は始まる。

津波で孤児となった10歳の少女、花(山田望叶)は、遠縁を名乗る30手前の男・淳吾(浅野忠信)に引き取られる。
以来、北海道紋別で父と娘(二階堂ふみ)としてひっそりと暮らすうちに、中学生になった花は、淳吾への強い思いを抱くようになった。

海上保安庁で働く淳吾は、独身で留守がちのため周囲は困惑するが、親類の大塩(藤竜也)らに見守られ、生活を続けていた。
・・・流氷が近づく、ある冬のことであった。
二人の家を通りかかった大塩は、看過できない光景を目撃し、花を呼び出して真実を伝える。
しかし、逆上した花は大塩を導くように、流氷の海岸へ向かった・・・。

映像化不可能といわれた桜庭一樹の小説に、熊切監督は果敢に挑戦した。
原作と映画では、時系列を逆に作っている。
原作では時間軸が現在から過去へさかのぼるが、脚本では過去から現在へ再構築される。
流氷きしむ不穏な音と映像に、二人の魂を乗せ、許されない愛の行方を描く。
殺人事件をめぐるミステリーよりも、血を溶け合わせるように寄り添って生きる、花と淳吾の運命を見つめることに演出の主眼が置かれる。
少女が25歳になるまでの、16年間の軌跡を綴った物語である。

熊切監督は、時の経過を映像で見せるため、山田望叶が演じる幼少期を19ミリで、二階堂ふみの演じる少女時代を35ミリフィルムで撮影した。
紋別で事件が起き、花と淳吾が東京へ逃れてからは、デジタルで撮影した。
これが効果的だったのは、16ミリの暗くざらついた湿気のある画面が、少女と男のただならぬ運命を予感させ、35ミリは紋別の冬の大自然をスケール豊かにとらえたからだ。
その情景の中で、禁じられた二人の愛も、孤独な魂の寄り添う幸福感をも映し出すのだ。
だがその愛は、ドラマの舞台が東京へ移ると、異様で猟奇的なものへと変質する。
そこでは、今度はデジタルのクリアな映像が、とくにヒロインの美しさを際立たせるといった具合だ。
愛に対してひるむことのない花を演じた二階堂ふみの存在感も凄まじく、
とりわけ、幕切れに見せる彼女の逞しい美しさは、落ちる淳吾と変身する花の対比を見せて、秀逸である。

二階堂ふみは、極寒の流氷の海に飛び込むシーンをはじめ、中学生から社会人までの多感な時期も体当たりで演じ、一方浅野忠信は葛藤のなかで、少女との愛にとらわれて自分を失っていく主人公を、寡黙ながら鬼気迫る迫力で演じきった。
物語を先取りするフラッシュ・フォワードという手法が使われ、物語に膨らみを与え、映像にも奥行と深さが工夫されるなど、演出も凝っている。
しかし、流氷の海で起きた殺人事件など、どういう捜査が行われたのか、犯人はどういう風にその網をかいくぐったのかなど、疑問点はいくつもあるが・・・。

熊切和嘉
監督「私の男」は、実際に流氷に覆われた真冬のオホーツク海でロケを行うなど、原作の持つ厳しさにこだわりを見せる。
流氷の白い冷たさが、作品全体を支配しているようで、感覚に訴える、新しいタイプの映画作りを目指した稀有な作品だ。
田舎町の匂い、男と女の匂いが画面から立ち上ってくるようで、突き刺さるようなリアリティを感じさせ、それが新鮮な驚きでもある。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「神聖ローマ、運命の日」―オスマン帝国の進撃―

2014-06-29 12:00:00 | 映画


 この戦争の勝敗が、現代社会の在り方を変えたかもしれないといわれている。
 歴史の大きな転換点となった、世紀の戦いが描かれる。
 「ウィーン包囲」のこの日、歴史が動いた。

 俊英レンツォ・マルチネリ監督の、イタリア・ポーランド合作映画だ。
 オスマン帝国軍が、ハウスブルグ家の都ウィーンに侵攻した史実に基づいたスペクタクル劇だ。
 それも単なる歴史劇にとどまらず、歴史を動かした舞台裏の駆け引きやドラマティックな人間模様も、興味深い。











17世紀後半ヨーロッパは、キリスト教勢力とイスラム教勢力が、激しい攻防戦を繰り広げていた。

オスマン帝国の、大宰相カラ・ムスタファ(エンリコ・ロー・ヴェルソ)の率いるトルコの大群30万は、満を持してヨーロッパへの侵攻を開始し、“黄金のリンゴ”と呼ばれるウィーンの都を包囲する。
ウィーンの兵力は総勢5万足らず、絶体絶命の渕で、神聖ローマ皇帝レオポルト1世(ピョートル・アダムチクに召喚され、民衆から慕い敬われるマルコ・ダヴィアーノ(F・マーレイ・エイブラハム)がウィーンに赴いた。

マルコは病を治す奇跡の修道士として、名をはせていた。
そして4万の援軍を得て総勢5万でウィーンを目指す名将、ポーランド王ヤン3世ソビェスキ・・・。
ウィーンを守り抜こうとするキリスト教勢力と、イスラム教勢力の脅威は頂点に達する。
1683年9月11日、ヨーロッパの運命を賭けた大決戦の火ぶたがついに切って落とされる・・・。

映画神聖ローマ、運命の日~オスマン帝国の進撃~」で、存在感たっぷりにポーランド王を演じるのは、ポーランドの名匠イエジー・スコリモフスキ監督その人だ。
攻めるオスマン軍30万人に対し、守るキリスト教勢はわずか5万である。
圧倒的な不利の中、奇跡を起こすといわれる修道士がベネチアからやってきて、ローマ帝国軍の兵士を鼓舞する。
当然、壮絶な戦闘が見ものだが、、スローモーションの多用は感心できなかった。
それと、この映画の迫力はどうもいまひとつといったところで、意欲は大いに買えるが、力作というにはちょっとという感じがする。

17世紀ヨーロッパの王侯貴族の煌びやかなファッションや生活様式、あるいはムスタファ一家のゴージャスでエキゾティックなライフスタイルは興味深い。
また、少年時代に偶然出会い、生死を分けた修道士、大宰相の運命のいたずらとも思える因縁や、信仰心という価値観の相違から別れざるを得なかった悲恋など、歴史の陰で綴られるドラマにも味わいはないことはないが・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「罪の手ざわり」―悪の栄える中国の現実を鮮やかに―

2014-06-27 16:30:00 | 映画


 人の世のひずみやゆがみを連環させる、四つの物語が描かれる。
 「長江哀歌」(06)以来7年ぶりに手がけた、ジャ・ジャンクー監督の長編劇映画だ。
 中国で起きた四つの事件を基に、4人の男女がそれぞれの凶行に至るまでの物語だ。

 この作品は武侠映画と一脈通じるものがあり、地方都市を舞台とする新作は、「長江」よりさらにダイナミックに時代のうねりを凝視し、市井の人々の思いに心を寄り添わせている。
 強者と弱者、社会の狭間に生じた歪みに落ち込む人たちがいる。
 しかし、彼らは懸命に生きようとしている。
 ジャンクー監督は、爆発する彼らの感情を掬い上げ、ついには罪に手を染めてしまう人間を力強く描写することで、今を生きている人間の息づかいを伝えている。





山西省に暮らす炭鉱夫のダーハイ(チャン・ウー)は、村の共同所有者だった炭鉱の利益が同級生の実業家に独占され、村長はその口止めに賄賂をもらっているのではないかと疑い、大きな怒りを抱いている。

このことが、やがて猟銃発砲事件へと発展する。

重慶に妻と子供を残して出稼ぎのため村を出たチョウ(ワン・バオチャン)は、正月の母親の誕生祝いに合わせて帰郷する。
出稼ぎとはいえ、チョウは各地で強盗を繰り返して、大金を妻たちに仕送りしていたのだ。
妻はそのことに気づいていた。

夜行バスで湖北省イーチャンに到着したヨウリャン(チャン・ジャイー)は、恋人のシャオユー(チャオ・タオ)と待ち合わせの場所に行く。
二人はもう何年もの付き合いになるが、ヨウリャンには妻がいた。
シャオユーは勤務先の風俗店で受付嬢として働いていたが、ある日二人の男が訪れ、彼女に娼婦まがいの行為を執拗に迫る。
そして殺人事件が起きる。

シャオユーの恋人ヨウリャンが工場長を務める、広東省の縫製工場で働く青年シャオホイ(ルオ・ランシャンは、勤務中のスタッフに怪我を負わせたことから、逃げるように仕事を辞めてしまった。
より高給な仕事に就くために、高級ナイトクラブで働くことにした。
その店で彼は、列車の中で偶然乗り合わせたしっかり者のホステス、リェンロン(リー・モン)と出会い恋をする。
だが、彼女には誰にも告げていない秘密があった・・・。

山西省の男と湖北省の女の話は、尊厳を奪われた弱者の最後の抵抗による殺人を描いている。
重慶の男と広東省の男の登場する話は、どうやっても被搾取階級から這い上がることができないと、絶望した者の強盗と自殺をそれぞれ取り扱っている。
華北の山西省から始まって、重慶、湖北、広東と反時計回りに半円を描いて移動していくこの映画の舞台は、光り輝く中国の暗い影としての農村であり、あるいは農村から出稼ぎにきた若者を、絶望の渕に突き落としていく魔界といえる。

この四つの物語は場所を移しながら、さりげなくしかし巧みに連環をなしていく。
そして、今という時代の流動性と社会性を映し出している。
人は社会に追いつめられ、自分に残されてされている暴力という力に訴える。
希望を奪われ、尊厳を踏みにじられたとき、立ち向かうとすれば自滅しかないのだ。

ジャ・ジャンクー監督中国映画罪の手ざわり」は、現代中国の断片を捉えたどれも殺伐とした事件ばかりで、ひりひりとした痛さが伝わってくるが、それは、ざらざらとした荒削りの社会そのものを象徴しているような感触だ。
格差や不平等に苦しみながら生きる人々の、いかに多いことか。
いま奇跡的に経済発展の内にある中国で、人間性を奪われ、普通の人の生活さえもできない人たちの、この不穏な物語から目を離すことができない。
・・・ああ、無情とは、こういうことだろうか。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「春を背負って」―厳しい大自然の中に描かれる爽快な人間讃歌―

2014-06-25 12:00:00 | 映画


 「剣岳 点の記」に続いて、名カメラマン木村大作監督が、再び立山連峰の頂にカメラを運び上げて撮影に挑んだ第二作だ。
 壮大な自然と美しい四季の移ろいを、体感することができる。
 原作は、笹本稜平の小説だ。

 前回の登山シーンは男性ばかりだったが、今回の映画は女優陣にも立山の最高峰に登らせ、雄大な山岳風景の中に紡いだ、温かく爽やかな青春物語だ。
 決して作り物ではない、本物の映像が画面一杯に広がる。
 絵葉書のような山の情景が、出演者と一緒に息づいている。








銀行に勤めていた長嶺亨(松山ケンイチ)は、山小屋を営んでいた父勇夫(小林薫)が急死したため、東京を離れ、古里へ戻ってくる。

帰郷した亨の前には、気丈に振る舞う母の菫(檀ふみ)、その姿を沈痛な面持ちで見守る山の仲間たち、そして見慣れぬ一人の女性、高澤愛(蒼井優)の姿もあった。
彼女は心に深い傷を負い、山中で遭難しかけたところを亨の父に助けられたのだった。

父が残した山小屋と、父の思いに触れた亨は小屋を継ぐことを決意する。
山での生活になれず悪戦苦闘する亨の前に、父の友人だと名乗る風来坊の山男、多田悟郎(豊川悦司)が現れる。
世界を放浪してきた悟郎の自然に対する姿勢や、天真爛漫な愛の笑顔に接しながら、亨は新しい自分の人生と向かい始めるのだった。

標高3000メートルの立山連峰を舞台に描かれる、小さな家族の物語だ。
この作品、木村監督は引退宣言を撤回してまでも、60日間に及ぶ山岳ロケを敢行し、現在74歳ながら40キロ近い機材を担いで、ロケ地大汝山(3015メートル)の山小屋まで、13回も登ったというから半端ではない。
その思いは画面の端々から伝わってくる。

主役は確かに映像だが、この映画は、山の美しさや厳しさだけでなく、家族愛や恋愛などヒューマンなドラマも加えて、観客の共感しやすい作品となっている。
最大の演出は、木村監督にとって俳優とスタッフを本当の場所に連れて行くことだったわけで、その持論を今回も実践してみせた。
いまどきのCGなどに頼らず、自然の本物の美しさを撮るには現地しかないとする、映画人の信念があった。
だから、木村大作監督「春を背負って」には、どこまでも映像にこだわり続ける、彼の魂を感じさせる本物の迫力がある。
確かに、映画の核となる話もどうも弱いし、主人公たちの葛藤の掘り下げも浅く、一時代前の青春映画といったイメージは拭えない。
それでも、全て善人たちの、山小屋での生活が優しく淡々と描かれていて、後味の爽やかな日本映画の佳作である。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ノア 約束の舟」―神の啓示と家族の絆と愛の葛藤を描く奇跡の伝説―

2014-06-23 10:00:00 | 映画


 本格的な映画化は、これが初めてだそうだ。
 あまりにも有名な、旧約聖書の創世記に書かれた「ノアの箱舟」の物語だ。
 「ブラック・スワン」鬼才、ダーレン・アロノフスキー監督によって新解釈が加えられ、特大のスペクタクルとして現代に甦った。

 しかも、近年単調な破壊描写ばかりが台頭する、アメリカ製スペクタクル大作とは一線を画した、感動的な作品が登場した。
 映画の持つ文化的な側面と感動的な側面が交叉し、決して明るいドラマとは言えないのに、なかなかの人気作品となってしまった。
 神の存在と家族の愛の物語なのだが、難しい宗教論はともかく、作品としては素直に受け止めるのがいいかもしれない。







アダムとイブの子孫にあたる男ノア(ラッセル・クロウ)は、ある日、夢の中で恐ろしい光景を見る。
それは、堕落した人間を滅ぼすために、地上からすべてを消し去り、新たな世界を作るという、神の宣告であった。
大洪水が来ることを知らされたノアは、妻ナーマ(ジェニファー・コネリー)と、三人の息子である長男セム(ダグラス・ブース)次男ハム(ローガン・ラーマン)三男ヤフェト(レオ・キャロル)そして養母イラ(エマ・ワトソンらとともに、罪のない動物たちを守るため箱舟づくりに取り組む。

やがて、ノアの父を殺した宿敵トバル・カイン(レイ・ウィンストン)が、ノアの計画を知り、船を奪いに来る。
その壮絶な戦いの中、暗転した空から激しい豪雨が大地に降り注ぎ、大洪水が始まる。
地上の水門が開き、濁流が地上を覆うなか、ノアと家族と動物たちを乗せた箱舟が流されていく。
閉ざされた箱舟の中で、ノアは神に託された驚くべき使命を家族に打ち明ける。
ノアの家族の未来、人類の犯した罪、そして新たなる世界創造という、途方もない約束の結末をめぐって、人類最古の歴史が始まる・・・。

リアルな超大型の箱舟の造形や、押し寄せてくる群衆、大洪水の凄まじい迫力が圧巻だが、箱舟内の極限状況の心理劇も見ものだ。
いたるところで、アロノフスキー節が炸裂する!
ダーレン・アロノフスキー監督はユダヤ系の出身で、この作品にとくに宗教的な意味づけはせず、人類の偉大な神話として捉えたと語っている。
このドラマは、聖書ではわずか数ページしか書かれていない物語だ。
それにサスペンスの要素を織り交ぜて、ここまでのスペクタクルに仕上げた力作だ。
スケール、アクション、意外性をふんだんに取り入れた脚本が、次々とドラマティックでエキサイティングな驚きのシーンを演出する。

家族を巻き込んでの箱舟づくりと宿敵との壮絶なバトルといった、周囲との深まる対立を描く前半と、さらに後半では、ノアの思惑と裏腹に彼の子供たちが悲壮な決意をすることになるのだが、とくに養女イラが愛を貫くためにノアに反発するくだりは、濃密な人間ドラマともなっている。
イラのキャラクターは、人間の善の象徴であり、未来への希望として描かれており、正義と哀れみのバランスが、ここではノラとイラの対立となっている。
アロノフスキー監督アメリカ映画「ノア 約束の舟」は、単純な話でも、いろいろな解釈が許されるエンターテインメントとして、観る人たちが自由に楽しむことができればそれでいいではないか。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ヴィオレッタ」―母親の支配下から逃れ自らの道を探る少女―

2014-06-21 20:00:00 | 映画


 フランス女優エヴァ・イオネスコ監督が、自らの少女時代を振り返る‘問題作’である。
カ ンヌ国際映画祭では、轟轟たる非難と称賛の嵐を呼んだ作品で、芸術論争まで引き起こした。

 幼い娘のヌードを撮り、名をあげる写真家の母親のもとで、もはや普通の女の子でいられなくなってしまった少女の葛藤が鮮やかに描かれる。
 女優としての経験を重ねて、10年以上をかけてイオネスコ監督はこの作品を完成した。
 自身の複雑な体験を、客観的に見られるようになるまで、そのくらいの時間は必要だったようだ。
 エヴァ・イオネスコ監督の長編第一作である。








  
12歳の少女ヴィオレッタ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、曾祖母と質素な生活を送っていた。

育児を放棄した母アンナ(イザベル・ユペール)は、芸術家気取りの写真家で、あまり家には近寄らなかった。
ある日、アンナは別宅の怪しげなスタジオにヴィオレッタを招いて、官能的なポーズをした娘の過激的な写真を撮り始める。
その写真集が世に出てたちまちスターとなったアンナは、次第に娘への要求をエスカレートさせていく。

はじめはアンナの言いなりだったヴィオレッタだったが、エロティックな衣装や化粧で倒錯的な美しさを開花させ、すでに容姿の衰えを見せ始めるアンナを圧倒していく。
そして、そんなヴィオレッタがヌードモデルを務めたりすることで、周囲から様々ないじめを受けるようになり、次第に母の撮影に嫌悪感を覚え、アンナを憎むようになって・・・。

イオネスコ監督の言うように、許せるか許せないかは別として、母の撮影した写真は美しく、この映画でも徹底的に‘耽美’を追求した。
登場人物の名は変えていても、監督の実体験に沿ったストーリーだ。
母娘の力関係の逆転劇というか、耽美と怪奇(?)の迷宮を覗き見ているようで、そこにさまよう少女のスリリングな脱出劇が見どころだ。

狂騒的な母親の態度を強調するイザベル・ユペールの怪演も、結構まっとうな娘役の新星アナマリア・ヴァルトロメイの妖艶な美しさも、ファッションとともにちょっと注目だ。
エヴァ・イオネスコ監督フランス映画ヴィオレッタ」で、大人でもない、子供でもない少女の変容を見せるフレンチロリータのヴァルトロメイは、撮影当時まだ10歳の少女だったというのも驚きである。
この作品、アートか否かというテーマとして再考する余地はありそうだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ポンペイ」―史上最大の悲劇を驚愕のスペクタクルで―

2014-06-10 11:00:00 | 映画


 古代ローマ帝国時代の都市ポンペイの、盛衰が描かれる。
 過去に幾度も映画化されたこの史実を背景に、「バイオハザード」 ポール・W・S・アンダーソン監督が奇抜な演出を控え、正統派の歴史ロマンを完成させた。

 大がかりなオープンセットで、古代都市をスクリーンに甦らせながら、凄まじい剣闘シーンや悲恋の物語を交えて、ドラマティックに映画化した。
 お決まりの脚本(?)、登場する人物の造形には新鮮味は感じられないが、視覚効果を3Dが威力を発揮するクライマックス、べスビオ火山の大噴火スペクタクルは、迫力満点の見どころであろう。
 世界遺産ポンペイを舞台にした、一応歴史超大作だ。
 西暦79年の物語である。





       
ローマ人に一家を殺され、奴隷として連れ去られたケルト人青年マイロ(キット・ハリントン)は、剣闘士として成長する。

マイロら剣闘士たちは、コロッセオ(円形闘技場)で命がけの戦いを繰り広げる。
ある日、連戦連勝のマイロはポンペイに送られることになる。

マイロはポンペイに向かう途中、暴れる馬をなだめたことが縁で、実業家の美しい愛娘カッシア(エミリー・ブラウニングと知り合い、恋に落ちる。
しかし彼女は、ローマの権力者で元老院議員コルヴス(キーファー・サザーランド)との政略結婚を強いられていた。
しかもこの男は、マイロの家族を殺した仇だったのだ。
マイロは、愛と復讐のために闘うことを決意するが、そんな時にベスビオ火山の大噴火が起きる。

足を頑丈な鎖でつながれながらも、相手を斬り倒していく最強のグラディエイター(剣闘士)を、新鋭キット・ハリントンが熱演だ。
巨大なベスビオ火山の噴火でポンペイは埋没し、この時の犠牲者は2000人以上といわれるが、映画はこの大災害を忠実に再現している。
噴火の凄さはもちろん、大津波も押し寄せ、歴史の悲劇をまざまざとVFXで見せる。
その映像はリアルで恐ろしいが、美しい。

アンダーソン監督は、ポンペイに子供のころから興味を持ち、発掘された遺跡に見つめ合う恋人同士の姿がそのまま残っていて、想像を膨らませ、その部分の恋模様を描くことも忘れなかった。
アメリカ映画「ポンペイ」は、クライマックスの、火山の大噴火で人々が大混乱に陥るシーンに、全スケジュールの3分の2を費やし、作品完成まで6年を要したといわれる。
壮大なスケールで、有史以来最大の大自然の猛威と、それに翻弄されながら真実の愛に命をかけた、若き男女の姿を描き出した。
美しい都市が、一夜にして灰燼に帰してしまったのだ。
迫力満点の、人類最大の悲劇をスクリーンで満喫し、きっちりとした楽しさで見応えはあるが、この種の作品として、お決まりの古めかしさには物足りなさも残る。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ある過去の行方」―愛すればこそ憎らしくも―

2014-06-04 12:00:01 | 映画


 前作「別離」で、イラン映画初のアカデミー賞外国語映画賞受賞した、アスガー・ファルハディ監督の最新作だ。
 アスガー・ファルハディ監督は、これまで祖国イランで映画を撮ってきたが、この作品ではパリを舞台に、国籍に関係なく、現代のごく普通の人々の生活を描いている。
 しかしそれは、人間の持つ不確かな心の深淵を写し撮っている。

 ある家族の過去をめぐって、愛と憎しみ、人間関係が複雑に絡み合う重厚なドラマである。
 サスペンスフルな部分もあるが、心憎いほどシビアに描かれた、家族の愛憎劇といったほうがよいか。
 どこまでも、日常を見据えた深層心理を炙り出した作品だが・・・。




フランス・パリ郊外・・・。
この街にかつて暮らしていた男アーマド(アリ・モッサファ)が、妻との離婚協議のため戻ってきた。
冷たい雨の打ちつける空港に降り立った彼は、薬剤師のマリー=アンヌ(ベレニス・ベジョ)と4年ぶりに再会した。
マリー=アンヌと彼女の連れ子の二人の娘たちと過ごした家へ、アーマドは久しぶりに帰宅する。
その彼の目に映ったのは、庭で遊ぶ幼い次女と見知らぬ少年だった。
少年は、アンヌの今の交際相手でクリーニング店を営むサミール(タハール・ラヒム)の息子であり、彼らはアマードがパリを去ったのち、すでに新しい生活を始めていたのだった。

しかし、家の中には既に不穏な空気が漂っていた。
混沌とした室内・・・。
子供の悪戯にヒステリックな声を上げるアンヌは、長女リュシー(ポリーヌ・ビュルレ)とうまくいってなかった。
アンヌはサミールの子供を身ごもっていて、そのことをアーマドに打ち明ける。
もともと、母とサミールの交際を受け入れることができないでいたリュシーは、アーマドから母の妊娠を聞かされて混乱に陥り、アーマドに驚くべき告白をしたことが、妻と恋人、その家族が背負う過去と、明かされなかった真実を次々と浮かび上がらせる・・・。

憎しみの裏に愛が、拒絶の陰に思慕が・・・。
それぞれが、やり場のない感情を抱えていて、彼らの心の深淵をカメラは丹念に追い続ける。
張り詰めた緊張感は切れ味を感じさせ、ストーリーの展開も悪くない。
アンヌを演じるベレニス・ベジョはアルゼンチン出身の女優だが、葛藤を抱えながら前へ進もうとする女性の強さをよく体現している。
人間の狡さや欲望が描かれる。
めくるめくような驚きもあれば、笑いもある。

フランス・イタリア合作アスガー・ファルハディ監督「ある過去の行方」では、監督の巧みな手腕によるところもあるが、複雑な人間関係や、日常の些細な感情に行き違いや齟齬から生じたリアリティを追求し、彼の創り上げた映画世界には納得できる。
誰もが抱いているような人間感情とは、かくも濃密で、炎上したり沈潜したりもするもののようだ。
脚本も演出も悪くはない。
敢えて言わせてもらえば、「別離」もそうだったが、観ている側に深く響いてくるものが希薄なのはどうしてだろうか。
意欲作だが、物足りなさも・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点