徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」―力強く、華麗に―

2009-07-29 18:00:00 | 映画
ロマン主義華やかなりし、十九世紀ヨーロッパ・・・。
二人の天才芸術家が魅せられた、女神がいた。
ヘルマ・サンダース=ブラームス監督の、ドイツ・フランス・ハンガリー合作映画を観る。

後世に残る名曲を生み出した音楽家の生活には、感動的な人生があり、その芸術(音楽)にまことに大いなる輝きをもたらすものだ。
この映画は、ロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスという二人の芸術家に愛された女性、クララ・シューマンに焦点をあてたドラマだ。
自らもピアニストとして知られ、作曲もしたクララは、繊細で神経質なシューマンを生涯支える賢い妻として、また子供たちの母として懸命に生きた。
その一方で、若きブラームスからの憧憬と賛美に、女としての心を揺さぶられ、強く惹かれていく。
才能溢れる音楽家でありながら、夫を支え続ける人生に妻が疲れ果てたとき、ブラームスクララにとってかけがえのない存在となるのだった・・・。

ハンブルグのコンサートホールで、夫のロベルト・シューマン(パスカル・グレゴリー)のピアノ協奏曲を演奏するクララ(マルティナ・ゲデック)を、熱く見つめる青年がいた。
天才と噂されているが、まだ無名の作曲家ヨハネス・ブラームス(マリック・ジディ)であった。

シューマンは、デュッセルドルフ市の音楽監督に就任し、夫妻は5人の子供たちと大きな家に住むことになった。
新生活に期待を膨らませるクララだったが、気がかりは、夫の頭痛と飲酒癖であった。

ブラームスは、自作の楽譜を持って訪れ、シューマン夫妻は20歳の若き才能に驚嘆する。
ブラームスは、クララへの熱い想いから、勧められるままに、シューマン家に滞在する。
彼はシューマンにとって、音楽上の最上の理解者となる。
しかし、シューマンの頭痛は悪化し、精神まで病むようになる。
やがて彼は、ブラームスとクララとの仲を疑って、妊娠中の妻に暴力を振るうようになる。

シューマンは、ブラームスを自分の後継者として音楽界に紹介する。
だが、ブラームスは、クララへのかなわぬ想いに耐えかねて、シューマン家を去っていく。
 「昼も夜も、あなたを想います」と言い残して・・・。

クララは、病いのシューマンをひとりにしておくこともできず、ツアーに出ることもできない。
一方、シューマンの推薦のおかげで世に出たブラームスは、クララに仕送りをするのだが、クララは彼が戻ってきてくれることを切望するようになる。
そんなある日、シューマンがライン川に身を投じたのだったが・・・。

ブラームスはクララをミューズとして敬慕し、その精神的、献身的な愛を、生涯貫いた。
そして、ブラームスは、生涯独身だった。
この不思議な三角関係は、芸術家ならではのものだっただろう。
日常生活の苦労が絶えないクララにとって、ブラームスはときに太陽のような存在だったし、体調不良に悩めるロベルトにとっては唯一の芸術的理解者だった。
言い換えれば、ロベルト・シューマンを愛し、病に冒される彼を、妻クララは懸命になって支え続けた。
しかし、そんな彼女の心の支えは、若き天才ヨハネス・ブラームスだったのだ。

十九世紀のドイツで、クララ・シューマンは二人の天才に愛されていたのだった。
音楽によって結ばれた、三人の芸術的な三角関係(!)から、数々の美しい名曲は生まれていったと言える。
作品に魅力を添えるのは、シューマンのピアノ協奏曲イ短調、交響曲第三番「ライン」、ブラームスのピアノ協奏曲第一番などの全部で12曲、どれを聴いても素晴らしい音楽映画に仕上がった。

ブラームス監督は、何と正統な“ブラームス家の末裔”だということだ。
彼女は、これまでタブー視されていた、クララとヨハネスとの関係にも、肉親ならではの恐れを知らぬ大胆さで、深いところまで切り込み、究極の愛のかたちを演出した。
最愛の夫の死という、癒しがたい喪失から、再生したクララが見出した幸福とは何だったのか。
そして、演奏される名曲とともに、ヨハネス・ブラームスが生涯を通して貫いた殉愛に、どこか爽やかで哀切な酔い心地を感じることができるだろう。

この映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲は、内容的には誰にも分かりやすく、丁寧に描かれた作品だ。
偉大なピアニストを演じることになったマルティナ・ゲデックは、この作品のために必死になってピアノを習ったというから、さぞかし大変だったのではないか。
ハイネの詩やブラームスの音楽、そしてシューマンの音楽・・・。
遠い昔を現代によみがえらせたような、しかも今日起きても不思議のないドラマだ。
音楽家の生涯というのは、いつでも絶好の映画の素材となりうるようだ。
この作品、ドラマはまあまあとしても、とりわけ演奏される「音楽」の素晴らしさの方に、思わず酔いしれてしまいそうだ。

映画「セントアンナの奇跡」―戦争の悲惨と愚かさ―

2009-07-27 06:00:00 | 映画

封印されていた史実が、いまここによみがえる・・・。
二つの大陸、二つの時代を結ぶ、実話から生まれた物語だ。
1944年8月12日、イタリアのトスカーナにあるサンタンナ(アメリカではセントアンナと発音されている)を、反ナチパルチザンの掃討作戦をしていたドイツ軍300名が襲撃、市民600名近くを皆殺しにした。
その多くが、女性や老人、子供であった。
世にいう、セントアンナの大虐殺である。
この事件を中心に、スパイク・リー監督が初めて戦場を舞台とした作品として完成させたアメリカ・イタリア合作映画だ。

ここに描かれる世界は、戦争を支持する者、支持しない者の対立・・・、人の命が奪われることに涙する者たちが、ひとつになる姿だった。
美しいイタリアの自然を背景にして、リアルな戦闘シーンが切なく胸に迫る。
折りしも、今年アメリカ史上初の黒人大統領が、誕生した。
リー監督は、オバマ氏の熱烈な支持者だし、彼はアメリカ社会における黒人の姿を描き続けてきた。
その「CHANGE」するアメリカと共に歩む、スパイク・リー監督の新たな挑戦を、この作品に見ることができる。
この物語は、そんな黒人部隊を描いた戦争映画だ。

・・・1982年、ニューヨークの郵便局員(黒人)が、窓口でいきなり客を射殺する。
犯人は第二次大戦の英雄で、自宅に、ある彫像を大切に隠し持っていた。
一体、何があったのか。
その謎を解く鍵は、1944年のトスカーナにあった。

ここから、スクリーンは長い回想シーンに入っていき、一気に激しい戦闘の場面となる。
延々と続く交戦シーンは、迫力満点だ。
白人士官の理不尽な命令や、リー監督が得意とする人種差別問題が描かれる。

本隊とはぐれた4人の黒人兵士は、途中で助けた少年と、小さな村へ入った。
戦士たちは、まさか言葉の通じない土地で、人種の壁を越え、村人たちと強い絆で結ばれるとは知らずに・・・。
そして、その絆が、彼らの運命を大きく変えるとは、思いもよらぬことであった。
やがて、セントアンナの大虐殺、パルチザンなどが絡んできて、ドラマは、それからどんどん待ったなしの複雑な盛り上がりと展開を見せていく。

二つの大陸、二つの時代を結ぶのは、敵や見方、人種や言葉を越えて、一人の少年を救おうとした人々が生んだ‘奇跡’でもあった。
長い回想シーンから、現代アメリカに戻るシーンは、混迷を極める今日でもなお、‘人間の絆’に限りない開放と希望を感じさせて、胸を打つ。

郵便局殺人事件、1944年フィレンツェで消えた女神像、謎が明らかにされるこれらの重要な伏線は、一人の少年アンジェロにあったのだ。
・・・そして、1983年のアメリカ、この物語の最後に、あらたな‘奇跡’が起きようとしていた・・・。

登場する大勢の黒人兵は、一体誰が誰だか見分けもつかないくらいだ。
大虐殺の行われた、トスカーナの村のシーンでは宗教論までとび出して、やたらと長い。
村人たちの平和な暮らし、黒人兵士たちとの交流などあれもこれもで、挿話としては大事な部分なのだが、シナリオをもう少しすっきりと推敲できなかったのか。
この部分だけ切り取っても、立派な一編の映画になる。
物語には、ファンタジックな要素も盛り込まれているが、スパイクリー監督のメッセージは十分に伝わってくる。

一般公募で5000人の中から選ばれた、少年アンジェロを演じる子役マッテオ・シャボルディは、役にぴったりで素晴らしかった。
出演はほかに、デレク・ルーク、オマー・ベンソン・ミラー、マイケル・イーリーら著名ではない俳優陣が多い中で、戦場の村に住む女性を演じるイタリアの女優ヴァレンティナ・チェルヴィ、その父親役のオメロ・アントヌッティの存在感が際だっていた。
力作だが、上映時間163分はいかにも長いか。
それでも、アメリカ・イタリア合作、スパイク・リー監督のこの映画「セントアンナの奇跡は、大いに見応えのある、インパクトの強い感動作だ。
ハリウッド戦争映画の、集大成的な作品だ。

この映画のタイトルバックに、作品のイメージを集約しているかのように、黒い画面に浮かんだ小さな白い十字架が、赤(血の色)に染まるのが見える。
この十字架が、死者の眠る墓地のイメージとも、鎮魂の象徴のようにも見え、そのシンプルさが生と死を暗示していて印象的だ・・・。


朝鮮映画史の片鱗に触れて―未知の映画との出会い―

2009-07-25 00:00:00 | 映画

北朝鮮については、日々さまざまな情報が伝えられている。
しかし、こと北朝鮮映画に関しては、ごく一部の例外を除いて、日本国内で目にふれることはあまりない。

横浜市中区若葉町のシネマジャック&ベティで、北朝鮮映画の全貌と題して、7月31日まで、未知の映画作品十編を、特集傑作選として上映中だ。
北朝鮮の映画から見えてくるものは何か。
不安や憶測が飛び交っている現在こそ、メディアを通してではなく、個人が直接その国の文化に触れられる、そうした機会が作られることの重要性こそが、この映画特集の意義ではないかと主催者は語っている。

カンヌ国際映画祭でも上映された「ある女学生の日記」は、朝鮮映画史における記念碑的な作品だし、いまの北朝鮮の姿を映し出している。
全作品は、一応名画といわれるものばかりをよりすぐっているけれど、その中の「春香伝」を選んで観た。

この作品は、1980年の作品で、2時間半の‘大河’映画だが、朝鮮半島に住む人ならば誰もが知っている、古典文学の代表作だ。
原作に忠実に作られた映画だ。
この作品は幾度か(2000年までに12回も)映画化されているが、今回上映されている映画こそが、北朝鮮映画界が総力を結集して創った、本家本元の作品と言われる。
ストーリーもしっかりしていて、十分(?)楽しめる。

・・・時は十五世紀、朝鮮王朝時代、徹底した封建制度化では決して許されるはずのない、身分の違う二人の男女の、はらはらする波乱万丈の恋物語である。
とくに、自分の運命を悲観視するのではなく、自分の運命を切り開く、断固とした意志を持ち合わせたヒロイン春香の性格は、他の作品の春香とは一線を画する、北朝鮮映画の主人公たちの古典的な造形とまで言われる。
春香という女性は、ここでは美しく一点のかげりもない女性として描かれている。
作品は、どこか懐かしい日本映画を彷彿とさせるものがある。
まあ、それはそれでいい。
古きものも、ときにはまたよきかな・・・、といった感じだ。

上映作品は、もちろんすべて日本語字幕つきだ。
年代を経ている作品だから、一部に画・音の不良が発生する場合もあるが、それも仕方がないというものだ。
このミニシアターの試みは、滅多に観られない、北朝鮮の貴重な作品群を通して、異文化の片鱗に触れることができる大変ユニークな企画ともいえるだろう。


万歳三唱!衆院解散―暑(熱)き決戦へ―

2009-07-22 17:00:00 | 雑感

  ( 7月23日 一部追記 )
本降りになって出て行く雨宿り・・・、とはうまいことを言ったものだ。
とにかく、長かった・・・。
ようやく、衆議院が解散した。
これまで、いくどもその機会はあった。でも、やらなかった。
・・・麻生内閣の支持率は、時すでに15.9%にまで落ち込んでいた。
何が何でも、最後の最後まで「解散は、俺がやるんだ」と言って、周囲の声には一切耳を貸さなかった。
その気迫には、威圧するような凄みさえあったそうだ。
あの与謝野財務相も、結局麻生総理への進言はかなわなかった。
権力にしがみついた人間の執念というものは、いつも狂気と隣り合わせだ・・・。
盟友(?)といえども、手は出せない。どうにも始末におえないということだ。
人は、それを妄執とか妄念と呼ぶこともある・・・。

解散といっても、9月の任期満了間近だから、本来の解散とは少し意味合いが違う解散劇だ。
解散詔書が読み上げられ、一斉に万歳三唱とは・・・。
それは、「マンセー!マンセー!」という北朝鮮の議会の様相にも似て、奇異な光景であった。
解散の時に、何故万歳三唱なのか。
古くからの「出陣式の万歳」といった意味合いの習慣らしく、これをやると、また国会に戻ってこられるというジンクスがあるのだそうだ。
選挙戦に突入していく「気概」を、表しているとも言われる。
由来はとなると、「やけっぱち」「ときの声」「天皇陛下への万歳」などさまざまだ。
専門家筋によれば、どうも根拠は薄弱だ。
国会が解散となって、失職するのに「何が万歳か」という議員もいる。

昔は、天皇陛下の衆議院解散は、天皇の国事行為のために、天皇陛下に対して万歳を唱えたという話もあり、確たる根拠はよく分からない。
衆議院を解散することは、天皇に決められた国事行為のひとつだ。
そう憲法第7条第3号に決められている。

1953年3月に、故吉田茂首相の「バカヤロー解散」というのがあって、今回の解散を、俗称「バカタロー解散」だと呼ぶ政治家だっている。
‘解散’のネーミングも、見るとなかなかの秀作ぞろい(!)である。

いろいろあったが、解散を宣する本会議に先立って開かれた両院銀懇談会は、結局公開で行われた。
その席上で、麻生総理は、「私の願いは、立候補予定者は、全員そろって帰ってきていただくことであります」と、締めくくった。
二度と、同じメンバーが、一堂に会することはないかも知れないとの想いがよぎったのか、涙目になっていた。
政治決戦の初日に、陣頭指揮をとる麻生総理が、反省とお詫びを表明し、反麻生勢力も世論を意識したのか、誰もが口を固く閉ざしていた。
「一致結束」を見せようとする演出か、自民政権の「超逆風」へ打つ手のない戸惑いを感じさせる一幕だった。
解散のときになって、いまさらお詫びと言われても・・・。

解散後に行われた麻生総理の記者会見では、あらかじめ用意されたと思われる質問に、始めから用意された原稿を棒読みするだけだった。
それは、自民党の議員向けで、両院議員懇談会の時とほとんど変わらず、国民に向けたメッセージとは思えぬしろものだった。
ここでも、国民は不在だった。
白々しい、会見であった。
何ですか。こんな会見ってありますか。

時折りしも、山口県で豪雨、土石流が発生し、特別養護老人ホームで死者、行方不明者多数との惨事がニュースで報じられていた。
ああ、無情、無残・・・!
麻生総理は、悲惨な事態を知ってか知らずか、そのことに一言も触れることはなかった!
そういうものですか。
この国の、権力の頂点に立つ宰相の目は、御自分の足元しか見ていない。
いつだってそうだ。
こんなことで、自身が国民に大きな声で約束している「安心社会の実現」は、本当に果たせるというのだろうか。

選挙戦を前にして、この夏自民党の長老、大物議員が続々と引退しそうな気配だ。
連日、30度とか35度とか猛暑の予想される中で、40日を超える選挙戦を戦うのは大変なことだ。
そんな中で、まめに街頭演説に立ち、選挙民と握手をし、集会には顔を出すことは、若手だってこたえる。
老いの身に、こんなつらいことはない。
選挙より、自分の命の方を大切にしたい。そうではないだろうか。
麻生自民党で、命を懸けて頑張ってみたところで、勝ち目はない。
犬死にの可能性の方が大きいとなれば、御身大事ということになり、自民党で70代、80代の議員は27人もおられるというから、引退と聞いても驚かない。
どうか、無理は禁物、撤退が無難です。
くれぐれもご自愛下さい。

衆議院議員の定数は480人、過半数は241人だ。
8月の、真夏の総選挙は107年ぶりだそうだ。
8月30日の投開票日まで40日、長い戦いを制して、第一党に躍り出るのは民主党か、それともまた自民党か。
いよいよ、暑い、熱い戦いが始まった。
・・・漢字の読めない首相と烙印を押され、まさに百年に一度の「未曾有」の危機のなかで、政権を選択する選挙を迎えることとなる・・・。

 


映画「アマルフィ 女神の報酬」―不完全燃焼のサスペンス―

2009-07-19 06:00:00 | 映画
邦画としては、初めての全編イタリアロケで注目される、真保裕一原作、西谷弘監督作品だ。
・・・といっても、映画の企画の方が初めにあって、作者(真保氏)はそれにもとづいて小説を書きあげたのだそうで、原作が先にありきではないということだ。

映画全編にわたる、美しい映像と音楽も印象的だが、ドラマは期待のわりには大きく失望した。
作品は、一見エンターテインメントを思わせる。
しかしそれも、描写、説明不足、意味不明、省略の多さに、先の読めないストーリーときては、いささか詰め込みすぎでもある。

クリスマス前日、イタリアのローマ・・・。
イタリアでのテロ予告を受け、外交官黒田(織田裕二)はローマに降り立った。
黒田の赴任する日本大使館が、川越外務大臣(平田満)のイタリア訪問の準備に追われる中、きらびやかにライトアップされた街で、一人の日本人少女が失踪する。
目的は何か。
営利誘拐か、それとも少女の誘拐がテロの序章なのか。

誘拐事件の通訳を担当することになった黒田は、少女の母紗江子(天海祐希)の元にきた犯人からの電話を受けたことから、事件に巻き込まれていく。
・・・亡き夫との思い出の地イタリアで、紗江子は最愛の娘を誘拐され、次第に憔悴の色を濃くしていくのだ。

しかし、警察の包囲網を巧みに撹乱し、犯人グループは姿を見せようとしない。
紗江子は、一行に進展しない捜査に、悩み苦しんでいた。
そんな紗江子の姿を目の当たりにし、黒田は、彼女の友人の藤井(佐藤浩市)やフリーライターの佐伯(福山雅治)の力を借り、大使館の安達(戸田恵梨香)とともに調査を開始する。

やがて、少女の誘拐事件は、イタリア全土を襲う大規模な連鎖テロへと発展していく。
様々な想いが交錯する中、黒田は、事件の鍵がイタリア南部の美しい港町アマルフィにあることを、突き止めたのだった・・・。

ドラマは、非日常を積み重ねて、ミステリアスな展開を見せるのだが、絡み合う複雑な人間関係はもちろん、事件の背景や人物像にしても、十分に描ききれているとは言えない。
大使館関係者たちが数人登場するが、彼らの動きも、とってつけたみたいにおざなりで、観ていられない。
本当に必要なカットなのか。
中途半端な(?)演出にも、疑問符がつく。
キャストは熱演なのに、テンションばかり高く、どこか浮き足だっている。
ドラマの中で、藤井(佐藤浩市)の過去が重要なポイントになってくるのだが、その人物像も描写不足だ。
それに、いつのまにか現われて、彼に影のように付き添う、イタリアの女が何者なのかもよく解らない。
日本の外務大臣を、日本人がなにもわざわざイタリアで狙い打つというのもどうか。

サスペンスフルのはずなのに、ほとんどサスペンスを感じない。
敢えて言わせてもらえば、退屈極まりない、不完全燃焼のサスペンスなのだ。
アメリカ映画の、B級(?)エンターテインメント作品を観ているようだ。
イタリアオールロケ、特別記念超大作というのに、一流の役者が揃っているわけでもない。
映画「アマルフィ 女神の報酬は、緻密なストーリー構成で、これだけのものを製作しながら、もっと解りやすく楽しめる作品にできなかったのか。
贅沢で、派手なつくりが、いたずらにスクリーンを賑わせているけれど、天海祐希の演技にしてもオーバーもいいとろで、いたずらにヒステリックなのも気になる。

アマルフィという町は、イタリアのナポリの南の海岸の切り立った絶壁に、白い建物がへばりつくように並んでいる、風光絶佳の地だ。
それだけで一見の価値はあるとも思うが、大作というには物語の質は貧弱だといったら叱られるだろうか。
ゴージャスなイタリアを満喫できるのは悪くないし、世界の歌姫といわれるサラ・ブライトマンの歌声に接することができるのは、わずかに救いだ。
ただし、彼女がガゼルダ宮殿で歌うシーンが、これまたドラマに必要だったとは思えない。
そんなことをあれこれ思い巡らすと、作品の舞台が、何故アマルフィなのかとも・・・。
もしかして、これって、イタリア観光案内映画?(苦笑)
空撮によってとらえられている、アマルフィ海岸の全景は圧巻で、エンドロールに観る、数秒間の映像はいい。
とにかくやたらと派手派手しく、冗漫にして、退屈なサスペンスには目を瞑ったとしても・・・。

謀反!敵は本能寺にあり―自民内紛劇―

2009-07-17 05:00:00 | 雑感
どうも、負け犬の遠吠えが、喧しい。
自民党が、迷走の上に迷走を続けている。
大混乱の様相を呈している。
もう、国民は誰もがしらけきっている。

中川秀直元幹事長らの求める両院議員総会は、党大会に次ぐ議決機関だ。
「麻生降ろし」につながるとされる、この両院議員総会については、執行部が難色を見せているのだから、開催は難しい情勢だ。

両院議員総会の開催を求める署名活動が、規定の三分の一を超える133人に達したということだ。
注目すべきは、この中には麻生総理が最も頼りにしてきた閣僚二人がいて、彼らが敵に回ったことである。
与謝野財務相と石破農水相だ。

与謝野氏は、「署名が集まった以上、きちんと開催するのは、民主的手続きをほこる自民党がやらないといけないことだ」と述べた。
その通りだ。
さらに、両院議員総会で、麻生総理が地方選敗北などの総括をしないならば、最終的には、解散書類に署名しない可能性まで示唆しているのだ。
さあ、どうなるか。

与謝野氏は、自らの進退を懸ける覚悟で、都議選の総括が必要だとの考えを伝えたといわれる。
麻生総理は、この提言に真剣に耳を傾けることはしなかった。
側近、盟友の諫言を無視することは、いつものことだ。
このことに、与謝野財務相は大いに失望感を強めた。
謀反、これにあり(!?)。
平成の明智光秀をめぐる動向が、今後の焦点だ。
いやいや、どうなる?自民党・・・。

国民不在の内粉劇にはうんざりだ。
ごたごた続きで、自民党が内部崩壊してしまうようでは、自民、民主の堂々とした論戦も期待できない。

自民党の歴史の中で、これほど不人気な首相の下では選挙は戦えない。
自民議員たちの、無念の危機感、不信感は尋常ではあるまい。
麻生総理はどうするのか。
両院総会を見送りたいとする執行部と、反麻生グループの対立のまま、間もなく21日の解散の日を迎える。
結局は「時間切れ」となるか。
往生際の悪い、自民議員たちの悪あがきは、結局世間を呆れさせるだけのことだったのか。
いい加減にして欲しい。

両院議員総会の開催は微妙だ。見送りになる公算も強い。
議決のない「懇話会」、或いは「緊急集会」といったかたちで開催されても、麻生総理が出席すれば、怒号渦巻く大荒れとなることは間違いないだろう。
どちらに転んでも、波乱は避けられそうにない。
永田町は、風雲急を告げている・・・。

沈みゆく内閣―自殺集団とまで言われても―

2009-07-14 20:00:00 | 雑感

東京都議会議員選挙で、大方の予想通り自民党が大敗を喫し、民主党が第一党に躍り出た。
・・・そして、その二日後、まるで待っていたかのように、長かった梅雨がやっと明けた。
本格的な、夏の訪れだ。

いよいよ、衆議院解散の日が近づいてきた。
その日を、ずっと待っていた。
いまごろになって、国民に信を問うなどと、遅きに失した感は否めない。
福田前首相のあとを受けて、さあ解散、総選挙と思いきや、延々10ヶ月もずれこむとは誰が思っただろうか。
麻生総理の、迷走、失言、盟友と言われた閣僚の不祥事が相次いだ。
総理大臣の指導力とは、こんなにも弱弱しいものだったのか。

自民総裁選を前倒して、本の「表紙」を取り換えたところで、何も変りはしないのだ。
この二年間で、4人目の首相なんていうことになったら、何をかいわんやだ。

自民党の、沈みかけたドロ船から、一目散に逃げ出した男がいる。
 「馬鹿馬鹿しくて、もうやってらんねえ!」
地方選、都議選の大敗を受けて、麻生内閣の古賀選対委員長が、その責任(?)をとって辞任を表明した。
東国原宮崎県知事を担ぎ出そうとしたり、しなくてもいいことまで手を伸ばして、この人一体何をしたんですか。
駄目な自民党を、さらに駄目にしたようなものではないか。
あれこそ、とんだ茶番だった。
お笑いタレントになめられて、それでも未練があったのか。
何でもやるのが、落ち目の自民党だから、ちょっとやそっとのことでは大して驚かない。
しかし、辞任とはまたお粗末な・・・。
衆議院選挙で責務を全うするのが、筋ではないのか。
選対委員長、それこそ、自ら選んだ道ではなかったのか。
それなのに、もはやまずいと思ったのか、さっさと逃げ込みをはかったのだから、醜態だ。
解散をめぐって、いま自民党内は議員が右往左往し、すったもんだの大変な騒ぎになっている。
さて、どうなりますか。

都議選のさなかで、自公与党は、民主党の小沢、鳩山両氏の献金問題を攻め続けた。
相手の敵失を待って、麻生内閣の人気浮上をうかがっていた。
しかし、逆効果だったようだ。
惨敗の結果を見れば、よく分かる。
献金問題をどんなにがんがんやろうが、麻生人気や自公人気は前に戻るはずもない。
「さもしさ」は、むしろ逆効果なのだ。

確かに、献金問題がダメージを与えるとすれば、それは検察が動いたときだ。
東京地検が、民主党鳩山代表や秘書の家宅捜査をやるとか、小沢前代表の事情聴取に踏み切るとか、今はそういった動きはないようだ。
だからといって、勿論今後絶対にないとは言えないかも知れないが・・・。

いじめや嫌がらせをしたところで、そうした姑息な与党の攻撃は、自民党離れを逆に加速させただけだ。
戦いが負けるときは、大体そんなものだろう。
悪あがき、居直りは醜悪この上ない。

麻生総理による解散と聞けば、自民党は歴史的な敗北へ向かうのみで、誰かの言うように、それは自殺集団みたいなものだ。
選挙をやる前から、惨敗の結果が目に見えている(?!)。
都議選惨敗の結果を受けて、自民党の‘液状化現象’はさらに進む一方だ。
生きるか死ぬかの瀬戸際にいるのだから、自民党300議席の半数以上は死にもの狂いだ。
自民党の内戦だって、まだ始まったばかりだ。
これから解散までの間に、一体何が起きるか分からない。
ただ、どう見ても、選挙の前から自民党が駆け足で瓦解へ向かっていることは、まぎれもない事実のようである。

これが、終わりの始まりだ。
麻生総理の任期満了まで、泣いても笑っても、あとわずかだ。
ことあるごとに、執行部や閣僚の中からも、手におえない、始末におえないとの声は高まるばかりだった。
散々側近たちを困らせてきた麻生総理は、民主党鳩山代表の言うように、最後だけはブレなかったか。
痛烈な皮肉である。

いよいよもう待ったなしの、本当に沈み行くドロ船の上で、いまなお口をすっぱくして叫んでおられますが、さあ麻生総理殿、あなたはそれでも‘逃げず’に、‘国民のために’(?)戦うのですか。戦うことができるのですか。
ここにきて、なにやら‘麻生降ろし’も一段と激しさを増しているようで、衆議院の解散、総選挙の近いことは確かだが、ぎりぎりまでまだまだ不透明な部分は多い。
多くの国民の目から見れば、怨念に満ち満ち、妄執に彩られた舞台は、皮肉にもやがて大団円を迎える・・・。


映画「扉をたたく人」―孤独な男の心の扉―

2009-07-11 22:00:00 | 映画

トム・マッカーシー監督アメリカ映画だ。
初老の大学教授と、移民の青年との心の交流を描いた小品だ。
孤独の男の心の扉を開かせる、静かな物語である。

アメリカ東部のコネティカットに住む、大学教授ウォルター(リチャード・ジェンキンスは、愛する妻に先立たれ、孤独な生活を送っていた。
ある日、久しぶりにニューヨーク・マンハッタンにあるセカンドハウスに帰って来た。
家の扉を開けると、そこには見知らぬ若い移民のカップルが住んでいた。
中東出身のタレク(ハーズ・スレイマン)と、アフリカ出身のゼイナブ(ダナイ・グリラ)だった。
それが、ウォルターとの出会いだった。

タレクとゼイナブは不動産仲介業者に騙され、金を払って住んでいたのだ。
でも、二人は非を認め、荷物をまとめて家を出ていこうとしていた。
警察沙汰にしたくなかったからだ。
どこにも行くあてのない二人が、悄然として部屋を出ていく姿に、ウォルターの心が疼いた。
これまでにない、心の高揚を感じたウォルターは、一晩だけならと宿の提供をする。
それが、一日二日と延びて、いつしかタレクとの間に友情が生まれ、深まっていく。
そして、三人の奇妙な共同生活が始まって・・・。

そんな時、突然タレクが、不法滞在を理由に逮捕される。
数日後、ウォルターのアパートに美しい中年女性が訪ねて来た。
連絡の取れない息子を案じて、ニューヨークへやって来たタレクの母親モーナ(ヒアム・アッバスだった。

・・・モーナの夫は新聞記者だったが、政治犯として投獄され、病を得て亡くなっていた。
国に絶望したモーナは、少年だったタルクを連れて、アメリカへ渡ったのだ。
モーナと親しくなるにつれ、ウォルターは、その気丈さ、優しさに惹かれていく。
不安を抱えるモーナを慰めるため、ウォルターは彼女を誘い、ミュージカル「オペラ座の怪人」を観にいく。
タレクは、母の誕生日に、このオペラのCDを送っていて、モーナはそのCDを繰り返し聴いていたのだ。
久しぶりに、楽しいひとときを過ごした二人だが、翌朝悲痛な報せが届いた。
タレクが、強制送還されてしまったのだ・・・。

ウォルターとタルクの物語のはずが、後半モーナとのそこはかとない出会いが静かに語れられ、ドラマの進行が何となく気になるところだ。
しかし、物語の重要な部分はむしろ前半にあるようで、ウォルターが、自身と周囲の世界に孤独な心を開いていく過程が、細やかに描かれている。

若者タレクは、ジャンベ(アフリカン・ドラム)と呼ばれる、民俗的な打楽器の演奏者だ。
共同生活をしていくうちに、興味を抱くようになったウォルターは、タルクからジャンベの手ほどきを受ける。
その楽器を演奏することで、空虚感の固まりのようだった彼は、新しい自分の心を開いていくようになる。

アメリカ映画トム・マッカーシー監督扉をたたく人は、友情とシャンベの織り成すロマンスに、孤独な男が心を開いていく作品だ。
最後のシーンが印象的だ。
地下鉄のホームで一心にシャンベをたたくウォルターの姿が、不思議な感動を呼ぶ佳作である。

2001年9月11日のテロ以降アメリカは、移民希望者や不法滞在者に対して厳しい措置を取るようになった。
寛容ならざる空気が増し、その扉は固く閉ざされて閉まったかのようだ。
ウォルターという男は、その象徴とも見える。
しかし、彼は、文化も年齢も職業も異なる人たちとの出会いによって、自分の奥底に眠っていた人間らしさを取り戻し、再び生きることの意味を見出すのだ。

それが、彼の心の扉をたたく、他者からの思いやりであり、たたかれた扉を開くほんの少しばかりの勇気なのであった。
主人公を演じるリチャード・ジェンキンスは、俳優生活40年の名脇役から、初主演にしてアカデミー賞主演男優賞ノミネートされた。
予期せぬ人々との出会いと出来事を通して、頑なな男の心に、さざなみのように広がっていく孤独のデリカシーを、自然体で演じていて、しみじみと味わいが深い。
人生、捨てたもんじゃないということだ。


格差社会の片隅で―夢破れて、救いなき若者たち―

2009-07-09 17:00:00 | 雑感

鬱陶しい梅雨は、まだ明けそうにない。
不況が長引いている。
不本意ながら、高校進学をあきらめたり、中途退学する生徒があとを絶たない。
そうした高校生の内、奨学金を申し込んでも、家庭の年収などの資格を十分満たしているのに、不採用となった生徒が400人以上にのぼった。
神奈川県の話である。
このままでいくと、奨学金を受けられない生徒が、神奈川県内でも過去最高になる可能性が出てきた。
県教育委員会は、奨学金申請者の増えることを見込んで、これまでの3倍近い約14億円の予算を確保していたが、それも焼け石に水で、申請者を選別せざるをえなかったようだ。

神奈川県の場合、東京都や埼玉県と違って、生徒への学費補助や学校運営費の補助が極端に少ないと言われている。
これも、大いに問題だ。

高校に通えない生徒ばかりではない。
貧乏がひどくなって、仕事を探しても見つからない。
雇用情勢も最悪だ。
若いホームレスが、いま街に溢れている。

食料は、あり余るほどあるのに、餓死する人がいる。
金庫からはみ出るほどの金持ちがいるのに、貧乏で死ぬ人がいる。
社会保障が大幅に削られて、セーフティネットの生活保護に頼っても却下され、挙句の果ては、市営住宅の狭い部屋で孤独死を迎えるお年寄りもいる。

働くところもなく、住むところもなくなって、この世に絶望した若者たちは、富士の樹海か日本海の東尋坊を目指すのだ。
自分をこの世から抹殺するか、それとも破れかぶれの気持ちになって、罪なき第三者を無差別殺人する。
親兄弟を巻き込んだ痛ましい事件も、頻発している。
荒廃した、怖ろしい世の中になってしまった。

こんなになっても、いまの政治は全く無力だ。
小泉改革以来、一般庶民の生活は圧迫され続け、庶民は耐えに耐えてきた。
いま、その極限に近い状況で、なお精いっぱいの自衛手段を講じている。
それなのに、私利私欲、党利党略だけしか考えない政治屋(政治家ではない)が偉そうに生き残り、甘い汁を吸っている。
そんな世の中である。

このすさみきった時代に関係ないかのように、先頃、昭和の大スターと言われる俳優の23回忌の大法要が、国立競技場で盛大にとり行われた。
12万人の参列者がいて、驚くなかれ20億円という巨費が投じられたという話だ。
いつも、仰天のどえらいイベントをもって知られるあのプロモーションのやることだ。
このくらい、何でもない。
その派手さは、マスコミでもヨイショヨイショで取り上げるから、これには天国の故人もびっくりだ。
いや、いや、ここまでやりますか。
法要というのは、粛々と行われてしかるべきで、あくまでも儀式だが、これでは宣伝を兼ねた、やんやのお祭り騒ぎだ。

大スターと言われるその人は、石原慎太郎東京都知事の実弟だ。
いわゆる名優ではなかったが、大人気俳優だった。
演技も台詞も、お世辞にも上手いとはいえないが、映画も歌もヒットを続けたから大変なものだ。
いまや、その彼の実像を知らない世代の若者も多くなった。
法要の献花代だけでも、6000万円は下らないだろうと言われる。
行きたい学校にも行けず、定職も持てない若者は、ため息混じりに胸の内を明かした。
 「20億円かあ。勿体無いなあ。そんなお金が一日でお祭りに消えてしまうのか。あ~あ」
これもまた、いまの病める(?!)国、日本の縮図だ・・・。
天上にいる故人は、このような盛大な祭典を喜んでいるだろうか。

それだけの費用をかければ、財団のようなものを作ることも、困っている人の為の基金に役立てることもできるだろうし、どれほど多くの人々が救われただろうか。
老人ホームや病院のひとつやふたつは建つだろう。
社会福祉施設は、いま幾つあっても足りないのが現状だ。
高校生の学費ぐらいどうにでもなるだろう。
そして、末永く、故人の名誉は輝き続けるとともに、後世に語り継がれることになるのではないか。
門外漢だから、言うのではない。
当人もそうだが、我が人生に悔いなし・・・、と誰もがそう願うのではないか。

人はみな誰もが、等しく幸せになる権利が保証されているはずだ。
・・・強き者よりも、弱き者を救えてこそ、国であり、国家だ。
それもできない内閣は、必要ないのだ。
新しい日本の、新しい政治が、一日も早く始まらなくてはいけない。
どこぞの野党が言うように、本当の「友愛」に満ちた政治が・・・。

国民は、民度に応じた政府しか持てない。
そういう箴言がある。
国民として、恥じない、誇り高い日本人になりたいものだ。
誰もが・・・。
昭和の始めに駐日フランス大使を務めた、詩人のポール・クローデルは、かつて大東亜戦争の帰趨がはっきりしたときに、こういう言葉を残している。
 「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」


文学散歩―太宰治 生誕100年―

2009-07-06 10:00:00 | 日々彷徨

早いもので、青春のカリスマ、デカダン(退廃)文学の作家太宰治の、今年は生誕100年である。
先頃、太宰治がまだ作家になる前の、16歳の時に書いた直筆の原稿28枚が、東京都内で見つかった。
この頃からの、文学的素養をうかがわせる資料として、注目される。

JR三鷹駅の南口に、通称太宰横丁がある。
生前の彼が、よく飲み歩いたといわれる小路だ。
その一筋裏通りが本町通りで、その通りのはずれに太宰治文学サロンはある。
太宰の通った、伊勢元酒店があったところだ。
本当に小さな、サロンといっても、ミニサロンというか、ミニ資料室といった方がいいかも知れない。
今年の3月に、三鷹市がオープンさせたもので、ふらりと立ち寄ってみるといい。

そのすぐ近くを、あの玉川上水が流れている。
この辺り、いまはよく整備されている。
風の散歩道と呼ばれる側道を歩いても、当時の面影はなく、変わらぬものは水の流れだけである。

・・・恥の多い生涯を送って来ました。
     自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。・・・(太宰治 「人間失格」)

太宰治は、昭和5年11月、知り合ったばかりの17歳の女性と、鎌倉腰越の小動(こゆるぎ)岬で服毒自殺をはかり、女性を死なせてしまい、自分だけが助かった。
昭和12年3月には、同棲した小山初代という女性と、群馬県谷川温泉で、二人でカルモチンを飲んで自殺をこころみたが未遂に終わった。
こうして、彼は生前幾度も自殺を繰り返したが、失敗、未遂に終わった。
しかし、最期をともにした、山崎富栄との情死は決定的なものだった。

山崎富栄はこう記している。
 「・・・私の大好きな、よわい、やさしい、さがしい神さま。
 女の中にある生命を、わたしに教えて下さったのは、あなたです」
1947年11月の日記だ。
富栄に、太宰はこんなことも言っている。
 「死ぬ気で恋愛してみないか」
これに対して、彼女は女としての覚悟をこう語ったのだ。
 「もう、何時死んでも幸せだと信じます。何故って、太宰さんを愛することが出来たんですもの。
 私はいま、女として幸せです」

太宰は、親しかった友人に、
 「あの女(富栄)は、一人でなら二年くらい暮らせる貯金があったんだ。
 そいつを、俺がみんな飲んじゃったんだ」と打ち明けていた。
彼は、他人からは物惜しみする人間と思われることを、相当苦にしていたといわれる。
富栄という女性は、太宰の家庭を壊してまでも、一緒になろうとは考えてもいなかったし、それはあきらめていた。
未亡人とはいえ、自分とて夫の籍にある身だった。
不倫は、許されることではなかった。
まだ「姦通罪」が有った時である。廃止になったのは、半年後のことだった。
いまでこそ、不倫は文化だなどと、あの下手くそな演技が売り物の俳優ははばからず言っているが、当時はまだそんなことが通る時代ではなかった。
「姦通罪」なる言葉は、大岡昇平の「武蔵野夫人」でも登場し、昭和の文学をひもとくとき、実に嘆かわしい響きを持つものだ。

太宰治と山崎富栄が、互いの身体を紐で結んで、抱き合ったまま玉川上水に入水したのは、1948年(昭和23年)6月13日の深夜のことであった。
太宰38歳、富栄28歳だった。
その玉川上水にそって、そんなことを知らない世代の子供たちが駆け足で通り過ぎていった。

亡き山崎富栄は、太宰という男の屈折した闇の犠牲になり、死人に口なしのまま、彼女の遺族は無念と忍耐を強いられたのだった・・・。
当時、「太宰氏情死、相手は戦争未亡人」という見出しで、新聞は報道した。
空閨の女との情死という、興味を読者に持たせるような記事の書き方であった。
生前の富栄を直接知る、鎌倉佐助の主婦梶原悌子さんの著書「玉川上水情死行」(作品社)は、太宰と死をともにした女性の実像に迫るもので、まことに興味深い。

太宰治は、作家として作品を次々と発表し始めた頃、芥川賞にひどくこだわった。
喉から手の出るほど、欲しかったらしい。
川端康成に、「私に芥川賞を下さい」と、めんめんと綴った長文の嘆願書(手紙)を送った話は有名だ。
太宰が手紙の名手とは、よく聞く話だ。
数年前、神奈川県立近代文学館で、その直筆を目にしたときはとにかく驚いたものだ。
そこまで、芥川賞にこだわっていたとは・・・。
川端康成は、
 「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」と評している。(文芸通信 昭和10年11月号)
この年の第一回芥川賞は、石川達三の「蒼氓」に決まり、太宰治は次席となった。

太宰治は、禅林寺に眠っている。
禅林寺は、禅林寺通りのはずれにある。
太宰の墓地の斜め前には、森林太郎(鴎外)の墓地もある。
6月19日の桜桃忌はすでに過ぎていて、境内は閑散としていた。
沢山の献花に囲まれた、その太宰の墓前で合掌していた若い女性は、すれ違いざま、目に愁いを浮かべ、低い声ではにかむように私に言った。
 「こんにちわ・・・」
 「こんにちわ」と、思わず私も言葉を返した。
女性は、そのまま立ち去っていったが、私が振り返ると、彼女も何故か立ち止まってこちらを振り返っていた。
二人が同時に、後ろを振り向いたことになる。
そのとき、女性がこちらを向いたまま、私に向かって軽く頭を下げた。
自分も、そうした。
この間合いは、一体何なのだろう。
一瞬そう思ったが、よく解らなかった。
解らないながら気がつくと、境内の向こうに、もうその女性の姿は見えなかった。
まだ明けぬ、梅雨の晴れ間の昼下がり、禅林寺の境内はしんと静まり返っていた・・・。

 ― 追 記 ―
太宰治の作品で、新しく映画化されているものもある。
「斜陽」(秋原正俊監督 佐藤江梨子 温水洋一出演)は、現在ミニシアターで公開中だし、「ヴィヨンの妻」(根岸吉太郎監督 松たか子 浅野忠信出演)は10月公開予定だ。