二人の天才芸術家が魅せられた、女神がいた。
ヘルマ・サンダース=ブラームス監督の、ドイツ・フランス・ハンガリー合作映画を観る。
後世に残る名曲を生み出した音楽家の生活には、感動的な人生があり、その芸術(音楽)にまことに大いなる輝きをもたらすものだ。
この映画は、ロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスという二人の芸術家に愛された女性、クララ・シューマンに焦点をあてたドラマだ。
自らもピアニストとして知られ、作曲もしたクララは、繊細で神経質なシューマンを生涯支える賢い妻として、また子供たちの母として懸命に生きた。
その一方で、若きブラームスからの憧憬と賛美に、女としての心を揺さぶられ、強く惹かれていく。
才能溢れる音楽家でありながら、夫を支え続ける人生に妻が疲れ果てたとき、ブラームスはクララにとってかけがえのない存在となるのだった・・・。
ハンブルグのコンサートホールで、夫のロベルト・シューマン(パスカル・グレゴリー)のピアノ協奏曲を演奏するクララ(マルティナ・ゲデック)を、熱く見つめる青年がいた。
天才と噂されているが、まだ無名の作曲家ヨハネス・ブラームス(マリック・ジディ)であった。
シューマンは、デュッセルドルフ市の音楽監督に就任し、夫妻は5人の子供たちと大きな家に住むことになった。
新生活に期待を膨らませるクララだったが、気がかりは、夫の頭痛と飲酒癖であった。
ブラームスは、自作の楽譜を持って訪れ、シューマン夫妻は20歳の若き才能に驚嘆する。
ブラームスは、クララへの熱い想いから、勧められるままに、シューマン家に滞在する。
彼はシューマンにとって、音楽上の最上の理解者となる。
しかし、シューマンの頭痛は悪化し、精神まで病むようになる。
やがて彼は、ブラームスとクララとの仲を疑って、妊娠中の妻に暴力を振るうようになる。
シューマンは、ブラームスを自分の後継者として音楽界に紹介する。
だが、ブラームスは、クララへのかなわぬ想いに耐えかねて、シューマン家を去っていく。
「昼も夜も、あなたを想います」と言い残して・・・。
クララは、病いのシューマンをひとりにしておくこともできず、ツアーに出ることもできない。
一方、シューマンの推薦のおかげで世に出たブラームスは、クララに仕送りをするのだが、クララは彼が戻ってきてくれることを切望するようになる。
そんなある日、シューマンがライン川に身を投じたのだったが・・・。
ブラームスはクララをミューズとして敬慕し、その精神的、献身的な愛を、生涯貫いた。
そして、ブラームスは、生涯独身だった。
この不思議な三角関係は、芸術家ならではのものだっただろう。
日常生活の苦労が絶えないクララにとって、ブラームスはときに太陽のような存在だったし、体調不良に悩めるロベルトにとっては唯一の芸術的理解者だった。
言い換えれば、ロベルト・シューマンを愛し、病に冒される彼を、妻クララは懸命になって支え続けた。
しかし、そんな彼女の心の支えは、若き天才ヨハネス・ブラームスだったのだ。
十九世紀のドイツで、クララ・シューマンは二人の天才に愛されていたのだった。
音楽によって結ばれた、三人の芸術的な三角関係(!)から、数々の美しい名曲は生まれていったと言える。
作品に魅力を添えるのは、シューマンのピアノ協奏曲イ短調、交響曲第三番「ライン」、ブラームスのピアノ協奏曲第一番などの全部で12曲、どれを聴いても素晴らしい音楽映画に仕上がった。
ブラームス監督は、何と正統な“ブラームス家の末裔”だということだ。
彼女は、これまでタブー視されていた、クララとヨハネスとの関係にも、肉親ならではの恐れを知らぬ大胆さで、深いところまで切り込み、究極の愛のかたちを演出した。
最愛の夫の死という、癒しがたい喪失から、再生したクララが見出した幸福とは何だったのか。
そして、演奏される名曲とともに、ヨハネス・ブラームスが生涯を通して貫いた殉愛に、どこか爽やかで哀切な酔い心地を感じることができるだろう。
この映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」は、内容的には誰にも分かりやすく、丁寧に描かれた作品だ。
偉大なピアニストを演じることになったマルティナ・ゲデックは、この作品のために必死になってピアノを習ったというから、さぞかし大変だったのではないか。
ハイネの詩やブラームスの音楽、そしてシューマンの音楽・・・。
遠い昔を現代によみがえらせたような、しかも今日起きても不思議のないドラマだ。
音楽家の生涯というのは、いつでも絶好の映画の素材となりうるようだ。
この作品、ドラマはまあまあとしても、とりわけ演奏される「音楽」の素晴らしさの方に、思わず酔いしれてしまいそうだ。