徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

文学散歩「寺山修司展 ひとりぼっちのあなたに」―秋深き神奈川近代文学館にて―

2018-10-22 10:30:00 | 日々彷徨

 
 ♬♬
  時には母のない子のように
  だまって海をみつめていたい
  時には母のない子のように
  ひとりで旅に出てみたい
  だけど心はすぐかわる
  母のない子になったなら
  だれにも愛を話せない ♬♬  (作詞 寺山修司)

 異才の人・寺山修司(1935年~1983年)が、47歳でこの世を去ってから早いもので35年が経った。
 寺山修司は、詩歌、演劇、小説、映画、歌謡曲と多岐にわたる広い分野で、表現活動を展開したのだった。
 これまでの人々の常識を覆されるような、従来の枠を超える表現活動は、文字通り異能の才人を思わせるものがある。

 深まりゆく秋のある日、神奈川近代文学館に立ち寄ってみる。
 「寺山修司展」は、11月25日(日)まで開催されている。









第1部では、誕生から高校時代の活躍、華々しい文壇デビューから劇作家になるまでを、そして第2部では、世界各地で称賛された演劇実験室「天井桟敷」の公演や、映画製作、作詞、小説創作、写真、競馬評論に至るまで、あらゆるジャンルを超えた表現活動を‘実験’した寺山修司の歩みを展観できる。
貴重なメッセージを受け取ることのできる展覧会である。

様々な企画や範疇からはみ出して、収まりきることを知らない豊饒な言葉の世界を見る気がする。
彼によれば、映画も演劇も舞踊も、全て文学なのだ。
とくに1960年から70年代にかけて、寺山修司の仕事は世界水準でなければ見ることができないとされる。
大人が成長して子供になるようなところを感じさせる、少し不思議な寺山の才能をここに見ることができる。

昭和の郷愁を感じることもできる。懐かしさがあるのだ。
懐旧である。
人は、たったひとつの人生を生きてきているわけではないと、言われる。
この人の多才をどう分析するのがいいのか、大いに迷うところでもある。
彼の文学や芸術に対する姿勢は、どこまでも多面体で多くの顔を持っていることは否定できない。
そして、どこにいてもいつも孤独だ。
孤独の中に多くの顔を持っているのだ。
俳句をものし、歌人、詩人、小説家、劇作家、演出家にして、競馬評論まで・・・。

人生を生きるには、本当に多くの台詞を要するのに、彼は大いなる一人の役者だった。
詩や演劇の中に、幾つもの可能性を持ち続けてやまなかった寺山修司の軌跡は、決して長いものではなかったことが惜しまれる。
いま、まだその才能が生きていたらと思うと、人生の非情を感じざるを得ない。
神奈川近代文学館(TEL 045-622-6666)での「寺山修司展」は、9月29日()から始まっているが11月25日(日)まで開催中だ。
これからのイベントしては、11月2日(金)3日(土・)の文芸映画を観る会で寺山修司監督「草迷宮」(1979年 フランス)の上映や、11月17日(土)には評論家・三浦雅士氏の講演などが予定されている。
また、慣例となっているギャラリートークは、会期中の毎週金曜日に行われている。
従来の知識人とは全く違った生き方を選び、旺盛な好奇心で巷の歌謡曲やボクシングや競馬まで熱っぽく語る、変わったタイプの寺山ワールドに触れてみるのも一興ではないだろうか。

次回は日本映画「寝ても覚めても」を取り上げます。


映画「散 り 椿」―ただ愛のため武士として生きた男たちの哀しき戦い―

2018-10-08 13:00:00 | 映画


 ここにきて、山々の紅葉は麓から街々へと少し急ぎ足で降りてきた。
 まだ、ところによっては夏の名残の暑さはあるが、季節は確実に秋を深めている。

 映画は、日本武士道の映画「散り椿」だ。
 散り椿は正式には五色八重散り椿といって、一本の木で様々な色の花を咲かせるのだそうだ。
 その散り椿をモチーフに、葉室麟の同名小説を、名カメラマンとして知られる木村大作監督が映画化した。
 この作品は、今年のモントリオール世界映画祭で、審査員特別グランプリ受賞した。

 静か動かと問えば、怖ろしいほど静的な美しい時代劇である。
 オールロケで撮影した自然や風景の美しさを、木村監督らしい演出でとことん楽しませてくれる。
 人間関係がやや複雑な部分もあるが、葉室麟「蜩の記」監督した小泉尭史がこの作品の脚色を担当し、ドラマの中、迫真の殺陣は本当に相手が切れる間合いで刀を振っているので、その空気感はひしひしと伝わってくる。




享保15年・・・。
かって藩の不正を訴え出たが認められず、故郷の扇野藩を出た瓜生新兵衛(岡田准一)は、連れ添い続けた妻の篠(麻生久美子)が病に倒れた折り、彼女から「采女様を助けていただきたいのです・・・」と最期の願いを託される。
采女(西島秀俊)というのは、平山道場四天王の一人で、新兵衛にとってよき友であったが、二人には新兵衛の離郷に関わる大きな因縁があったのだ。

篠の願いと藩の不正事件の真相を突き止めようと、故郷に戻った新兵衛だったが、篠の妹坂下里美(黒木華)と弟藤吾(池松荘亮)は彼の真意に戸惑いながらも、凛とした彼の生き様にいつしか惹かれていくのだった。
散り椿の咲きほこる春・・・、ある確証を得た新兵衛は采女と対峙することになる。
そこで、過去の不正事件の真相と、切なくも愛に溢れた妻の本当の想いを知ることになるのだった。
しかしその裏では、新兵衛の背後に大きな力が迫っていた・・・。

篠は主人公瓜生新兵衛の妻であり、その新兵衛の良き友であった榊原采女は、かって篠が好意を寄せていた男だった。
篠と采女の文(手紙)のやりとりが哀しくも愛にあふれており、彼女の文から篠が新兵衛を思う気持ちが、散り椿の情景とともに表われてくるところが印象的だ。
ただ、思いあうことの素晴らしさは描かれていても、篠の苦悩はいかほどのものであったか、もう一歩踏み込んだ描写が欲しい気がする。
最愛の妻篠が死を目前にし、かって思いを寄せた男を助けるように頼んだことに苦悩するが、この時の出世頭ともいうべき采女をも受け入れがたく、新兵衛と采女の剣を交わす場面はこの作品の激しいクライマックスだ。

篠と采女がかって恋仲だったことを承知で、嫉妬心を押し殺して采女に甘えてみせるシーンといい、これは極めて良好なラブストーリーだ。
二人の男の胸の中にひとりの女の愛が宿るなど、どうにもやるせない。
新兵衛の妻篠があまりに美化されていないかと、そんな感じもするのだが、はかなげなたたずまいもさることながら、もっとその奥に漂う女の深淵を見つめたい気もする。
木村大作監督映画「散 り 椿」は、男女の清廉なたたずまいが心地よく、ロマンと人情にあふれた一作だ。
新兵衛、采女の殺陣はさすがの迫力で必見だ。
作品は重厚で丁寧にできていて、やはり木村監督とあって画面の美しさは比類がない。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
全国各地のシネコンなどで上映中。