徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「悪い奴ほどよく眠る」ー証人喚問ー

2007-10-31 12:00:00 | 寸評

国会で、防衛省の“元ドン”前事務次官の証人喚問があった。
この喚問で、防衛商社の元専務と前事務次官との癒着の実態が次々と判明した。

約10年で、200回を超えるゴルフ、ゴルフセットの授受、高級クラブ飲食、賭けマージャン、お抱え旅行、夫人接待、ブランド品プレゼント・・・、数え切れないほどの<オネダリ攻勢>と、これまた凄まじいの一言につきる。

「防衛省の天皇」と称された人が、ズブズブ、家族ぐるみで、業者の接待まみれだったのだ。
こんなことが、本人は言うが、「人間として甘かった」ですむことではない。
福田総理をして、「全くとんでもないことをしてくれた」と言わしめた、前次官の乱行の数々・・・。
これはもう、国家の根幹をもゆるがしかねない事実だ。

癒着の実態は、出るわ出るわ・・・。
ゴルフのプレイに、どうして偽名が必要なのか。
注目すべきは、飲食接待の席に、「防衛庁長官経験者を含む、複数の政治家が同席」していたケースがあったと言うことだ。
前事務次官は、その政治家の名前については、「迷惑をかけるから」と言って逃げた。
まあ、大体察しはつく。

国会の証人喚問の席上で、前次官は、社民党の副党首から、顔色が悪いようだがよく眠れるかと聞かれると、「昨日は、よく眠ってきた」と答えた。
これに対して、副党首は、
 「日本には、『悪い奴ほどよく眠る』、『天網恢恢疎にして漏らさず』という言葉があるのです。注意して下さいよ」と忠告した。
この「忠告」が大うけして、一時笑いが起きた。
しかし、笑いごとではないぞ。

証人喚問で、前次官は接待漬けについては大筋認めても、肝心の自衛隊の装備調達に関する便宜供与については、これを全面的に否定した。
でも、そんなことが信じられるだろうか。
全国各地を夫人同伴で旅行し、200回以上のゴルフ接待を受け、幾度も幾度も饗応の席が持たれて、それで何の見返りもないなどということがあるだろうか。
庶民の想像もつかない、多額の接待費が使われているのだ。
とても、信じられない。

防衛商社の元専務は、新聞の取材では、自分の興した新会社の融資に関して、間違いなく前事務次官の「口利きがあった」と認めているのだ。
このことは、「そのような事実はありません」とする前次官の国会での証言と矛盾することで、元専務の説明が正しければ、偽証罪になる。
前次官の再喚問は勿論のこと、商社元専務の証人喚問もすべきで、資料の少ないこともあるのだろうが、もっと深く突っ込んだ質問をして欲しいものだ。
総じて、与野党の追及も弱く感じられた。

防衛庁から昇格したばかりの防衛省は、「国防」どころではない、「欲望」の伏魔殿だ。
防衛省の不祥事は、前次官の問題だけではない。
機密情報の流出、「十和田」航海日誌破棄(隠蔽?)、給油データ隠蔽、前次官と元大臣の軍需商社との癒着等等・・・。
防衛省はもう解体せよ、と言う声があるのもわかる気がする。

国民のため、そしてまごう方無き国家のために、一生懸命に働いている自衛官たちがいる。
防衛省の“元ドン”から、自衛官としての倫理を説かれてきた27万人の職員たちは、どんな思いでこの人の「証言」を聞いたことだろう。

癒着の問題については、かなり前からきな臭い噂が絶えなかった言うではないか。
歴代の防衛大臣は、一体何をしていたのか。
現防衛大臣も含めて、その責任は非常に重いと言わねばならない。

前事務次官は、防衛商社の入札に関して、「競争入札」ではなく「随意契約」で出来ないかと、担当者に質したとされる。
問題の防衛商社は、何と防衛庁・省から、5年間で180億円近い契約を受注し、それも9割以上が、「競争入札」によらない「随意契約」だったと言うではないか。
つまり、ほとんどが随意契約だったのだ。
これまで、一般にその名前さえあまり知られていなかった商社がからんで、その巨額の金はどう流れたのだろうか。
・・・ここに、黒い利権の闇が、果たして本当に無いと言えるのだろうか?

一連の事件を、早くも「第二のロッキード事件」だと言うマスメディアもある位だ。
確かに、防衛省の事件は、前事務次官、商社元専務、更には政治家(?)をも含めた、とてつもなく大きな「疑獄」の様相を呈して来たように思えなくはない。

そして・・・、イラク作戦をめぐる給油の実態も、疑惑は晴れない。
それどころか、疑惑はますます深まるばかりである。
何もかもが、疑惑だらけである。
前事務次官も悪い。商社元専務も悪い。
だが、悪いのはそれだけか。
いや、もっと悪い奴はいないのか。(ええっ! いま、よく眠ってるって・・・?!)
私たちは、真実を知りたい。

深い闇の底で、何が、どう動いたのか。何が、あったのか。
闇の底に澱んでいる何かが、全然見えて来ない。
いまは、検察当局の、毅然とした捜査、解明を期待するしかない。
嗚呼!
・・・まさに、「天網恢恢疎にして漏らさず。(悪いことをすれば、必ず天罰が下る)」である。




 
 


 


ー名匠ジャ・ジャンクーの世界ー

2007-10-30 05:00:00 | 映画

中国の若き名匠と言われる、ジャ・ジャンクー監督は、秀作「長江哀歌」の前に、タイトルも同じ「世界」と言う映画を製作していた。
ジャンクーの作品を一作しか見ていなくて、ほとんどこの人について無知であった。
「長江哀歌」での、ジャンクーのヒューマンタッチと、その繊細な映画手法にいささか心ひかれるものがあって、彼のシネマ・ワールドにもう少し踏み込んでみたいと思い、旧作になるが、「世界」をミニシアターで鑑賞する機会を持った。

映画「世界」は、北京市郊外に実在するテーマパーク「世界公園」が舞台になっている。
これは、インドのタージ・マハール、パリのエッフェル塔、エジプトのスフィンクスなど100余りの世界の名所を縮小して、忠実に再現したユニークなテーマパークで、北京の人気スポットだ。

映画の主人公は、この「世界公園」に所属する女性ダンサーのタオ(チャ・タオ)で、彼女の人生、恋、苦悩、喜び、そして、その周囲の男や女たちの人間模様を、それはまたきめ細かく描きつつ、2008年のオリンピック開催を前に、様々に激動する<いま>の北京を、鮮やかに映し出してゆく。

地方のさびれた街から、北京に出て来た若者たちは、この発展めざましい大都会の暮らしの中で、いつしか大きな夢も忘れて、ただ淡々と明日への不安を抱いて、毎日を過ごしている。
それは、北京に限らず、世界中の大都市に生きる若者たちに共通する、空虚な浮遊感だろう。
そんな彼等の、一人一人の人生の瞬間を、ジャ・ジャンクー監督は、愛しみつつも、感傷を抑えて活写していく・・・。

きらびやかな衣装を身にまとって、「世界」を巡りながら、ヒロインのタオ自身の「世界」は、大都会の片隅に限定されている。
園内を走る、モノレール「スカイトレイン」に乗って移動する彼女は、このミニチュアの「世界」の中で、糸の切れた凧みたいに、空中を浮遊しているようだ。
現実感の希薄な空間で、若いタオという女性は、現実世界の厳しさに幾度も傷つけられる。
でも、自分の気持ちをごまかさない彼女は、そのたびに、少しずつ強くなっていくのだ。

アジア映画賞受賞の「プラットホーム」、カンヌ映画祭出品の「青の稲妻」と、そして本作のあとの「長江哀歌」と、もうすでに弱冠30歳過ぎで、中国新世代の監督ジャ・ジャンクーの名声は高まってきているようだ。

この作品の中で、ジャ・ジャンクーは、刹那的な青春を描いた。
この映画を見ていると、ある種の切なさ、哀しさがつきまとう。
そこに、ジャンクーの「沈黙」と「空虚」を垣間見る気がする。
日本映画の行定勲監督は、「世界」についてこう言うコメントを述べている。
 「これは、ジャンクーの新しい世界だ。自分の世界から飛び出したくても飛び出せない、若者たちの苛立ちと孤独は、私の心の中で疼き続けている」

近年、中国大陸は、暴力的にまで都市化されてきたと言われる。
2008年の北京オリンピックは、更なる都市化を進めることになるのだろう。
都市は、巨大な建設現場に変わり、ショッピングモール、駐車場になってしまった。

変わり行く中国・・・、その急激な時の流れにジャンクーの目は注がれている。
今回、奔放な現代女性を演じたチャオ・タオと言う女優も、ジャンクー監督作品に欠かせぬ存在となりそうである。

次から次へと野心作を発表し続ける、彼のシネマ・ワールド(世界)には、この作品に見られるように、人物に対しても、乗り物に対してもそうであるように、きらびやかなダンス・シーンから、駅の群集、車や列車の絶え間ない騒音にいたるまで、その動きを研ぎ澄まされた感覚で捉えていくのだ。
何でもそうなのだが、一作よりは二作で、彼の映画の理解へ一歩近づいた。

・・・中国映画は、変わりゆく中国の姿を、適確に見せてくれている。
「東京国際映画祭」は10月28日で幕を閉じたし、横浜では、ミニシアターでの小さな「復活中国映画祭」といった催しなど、今各地で各国の映画祭が盛んである。
更に、11月22日(木)からは、東京と横浜で「中国映画祭2007」も開催されるというから、新作12作品の発表も楽しみだ。



「両替手数料」など・・・

2007-10-27 06:00:01 | 寸評

以前は無料だったのに、いつからか、両替にまで手数料がかかることになってしまった。
銀行で、両替するのはやめることにした。
あまりにも、馬鹿馬鹿しい。
以前は、両替に手数料なんてなかった。
お金など払わずに窓口でも、機械でも簡単にできて便利だった。

このあいだ、350円を5円玉に両替しようとして、手数料の高さに怒って、行員のネクタイを引っ張ったとして、28歳の男性が、暴行容疑で逮捕されたという。
暴力はいけないが、怒るのも分かる。
何でも、手数料だ・・・。そういう時世になってしまった。
有難くないことだ。

銀行によっても、多少の違いはあるらしいが、或る都市銀行では、残高証明書の発行手数料は、525円から2100円まであるそうだし、通帳の再発行手数料は、1050円だと言う。
同じ銀行同士でも、振込み手数料は今や当たり前で、とにかく何でもかんでもかかりすぎる。

・・・それはさておき、銀行の預金の利息は驚くほど安い。
一方融資を受けようとすると、その条件は厳しく、こちらの利息は高い。
融資の条件を緩和すれば、都知事のあの銀行みたいなことになる。
それは、そうだろう。
銀行も、慈善事業ではない。自己の不利になることをするわけがない。

・・・或る銀行で、こんなことがあった。
あれは、多分中小企業の社長さんだったと思う。
融資を申し込んで、どうも審査で断られたらしかった。
会社の景気のよかったときには、よく面倒をみてくれたのだろう。
それが、景気が悪くなってから、急に貸し渋るようになったのだった。
その銀行の融資の窓口で、口角泡を飛ばして怒鳴っていたっけ・・・。
 「今じゃよう、カネのありそうなところには、お宅の営業さんもさ、足しげく日参してさ、そこではぺこぺこと頭をさげて、三顧の礼で預金してくれ、預金してくれって言うじゃねえか。うちが、売り上げが伸びてるときは、しょっちゅう来てくれてそう言ってた。それが、ちょっと業績が不信だからって、手のひらかえすように、こんなに変るもんかね。・・・俺たちがさ、本当に困っているときには、貸してくれと言ったって、貸しちゃあくれねえ。逆に早く返済しろだと!冷たいもんだ。変れば変るもんだ。あんたたち、誰のおかげで高い給料もらってると思ってるんだい。それじゃあ、どんなに綺麗なこと言ってたってよ、紳士ぶってる、体(てい)のよい高利貸しと変らねえじゃねえか・・・!」
・・・まあ、思い切ったことを言ったものである。
あまりの声の大きさに、周囲の人たちも、唖然としていた。
その時接客していた、あのまだ若かった支店長の、一瞬凄んだ顔が忘れられない。

・・・そして、こんなこともあった。
或る金融機関の、開店直前のことだった。
 「お前たち!」とか「お前らが!」とか、「いいな!・・・話がまとまらないうちに、帰って来るんじゃねえぞ。分かったな!」と、部下に命令しているような声が聞こえた。
まだシャッターが降りている店内から、朝礼でもやっているのか、大きな怒鳴り声で檄をとばしている支店長の声のようだった。
まるで喧嘩を売っている、ヤクザのようであった。普段柔和な支店長の顔からは、とても想像できなかった。

銀行って、何なのだろう。
特に、弱者である中小企業への融資となると、貸し渋りはひどく、零細業者は資金繰りに行き詰まって、自殺にまで追い込まれた社長もいる。
今でも、こうした格差は縮まるどころか、小泉改革の影響もあって、確実に広がりつつある。

銀行は、高利で庶民を泣かすサラ金業者に多額の融資をし、保険金を国民から騙し取った(?)大手生保は、保険不払いで巨額のカネの上に胡坐をかいている。
これを、行政の怠慢と言うのか。

・・・降り続く雨とともに、枯葉が、かさこそと舞い落ちて、秋の風も一段と冷たくなってきた。
 


ー日本語(言葉)あれこれー

2007-10-24 17:20:00 | 寸評

もう、大分昔(?)のことになりますが、「うざい」「きもい」などと言う言葉を、女子学生が喋っているのを聴いて、大体の察しはついても、初めは意味がよく分かりませんでした。
こういう言葉が、国語として新たに認められることになったようです。

新聞の記事によりますと、国語辞典の「広辞苑」が、来年一月発売のものから、大きく改訂になり、若者の言葉を含めて一万語が追加され、そのうち四割はカタカナだと言うことです。
「広辞苑、めっちゃ変身」と言う、大見出しが踊っていました。
それも、何と一万語の追加ですって

それは、そうですね。
次から次へと、新しい言葉が生まれてくるのですから・・・。
一体、誰が、どんな時に、どのようにして、こうした言葉をつくってしまうのでしょうか。
特に、若者言葉は、中高年には分かりずらいものです。
表現、表情から、それでもおおよそどんなことを言っているのか想像はつきますけれども・・・。
まあ、私たちは、まず「うざいねえ」「うざいなあ」なんて言葉は使うことはありません。

国語辞典の今回の改訂は、岩波書店では十年ぶりのことで、新たな一万語を加えて、収録語数は総数24万語となって、これは過去最大だそうです。
このたびの編集方針の一つは、やはり「若者言葉がどうもわからない」という、高齢者の要望にも応えたことです。
とはいえ、元からある分厚い冊子版は、国語辞典の王様で、多くの人に愛用されてきましたが、今のIT時代に好調な電子辞書と比べると、かなりの苦戦を強いられているようです。
まだ使ったことはありませんが、確かに、電子辞書も便利は便利でしょうね。
でもねえ・・・。

電車やバスの中の会話で、「うざい~」「めっちゃ~」「きもい」など、よく耳にする言葉です。
・・・新「広辞苑」になると、例えばこうなります。
「うざい~」は、「うっとうしい。気持ちが悪い」に(「うざったい」を略した俗語)と説明がつくし、「めっちゃ」の用例は、「めっちゃ腹立つ」となるのです。
「きもい」は、見た目に明らかに気持ちが悪い場合に使われる例が多く、この「きもい」と言う言葉は、1970年代に既に存在した言葉で、若者を中心に会話の中で使う頻度が増したのは、1990年代後期に入ってからだと言われます。
今ではもう一般的になった、「おしん」「メタボリック」「ブログ」「顔文字」「ニート」「いけめん」「クレーマー」「デパ地下」「さくっと」「逆切れ」と言った言葉などは勿論ですが、「きときと」「めんそおれ」といった各地の方言も、改訂版には追加されるようです。
こうなってくると、どうも、何事も、日頃から<勉強>が大切(?)なようで・・・。
いやあ、知らないでいると、笑われてしまいます。

このところの、ITの目覚しい普及で、書籍の市場は厳しく、それに少子化で、辞書は書店に積み残されている状態です。
日本語の文字の意味も当然ですけれど、読み方、書き方だって大切ですよね。
何たって、日本人なのですから・・・。
特に、国語の先生には頑張って頂きましょう。
時代の移り変わりとともに、新しく生まれる言葉も、それぞれが確かな<意味>を持って生まれてくるわけですから、「そんなものは・・・」などと言って、無視できない環境にあることも事実です。
新しい国語辞典に収録される項目の解説は、大いに参考になります。

・・・ところで、話は異なりますが・・・。
新しく生まれてくる、雑駁ないわゆる俗語は、ことほど左様に砂の数ほどありますけれど、古来日本語は実に美しい言葉で、語彙が豊富で、音韻も繊細で、確かな意味を持ち、一語一語にそれなりに深いニュアンスがあります。
こんな言い方をしたからと言って、決して我田引水とは思っていません。

古くからある日本語をちょっとだけ紐解いて見ますと・・・。
例えば、『自然』の言葉を拾って見れば、「
かわたれどき」「朝惑い」「うそうそ時」「灯点しごろ」「小夜すがら」「月の雫」、『秋』の言葉では、「秋渇き」「秋の扇」「秋の声」「末枯れる」「夕紫」「夕眺め」「松の声」「色なき風」、『冬』になると「雪暮れ」「天花」「忘れ雪」、他にも「緑の雨」「身を知る雨」とか、美しい日本語は沢山あるんですね。
こうした言葉の持つ意味、言葉通りもあれば、少し解釈に頭をひねるものもありませんか。
全部、分かりますか。えっ、分かる・・・って、それはすごい
・・・個人的には、例えば『別離(別れ)』とは言ってもいろいろありますが、昔からの「きぬぎぬの別れ」なんて、何とも言えないいい言葉です・・・。

余談ですが・・・、こうした世界に例を見ない、微妙で繊細な日本語の外国語訳って、難しいでしょうね。
川端康成さんの名作「雪国」を、原語と英訳とを並べて読み比べたことがありました。
サイデンステッカーさんは、日本語の持つ深い味わいをよく理解されているようで、さすがに名訳だと思いました。
ノーベル文学賞の川端康成さんは、日本語の表現の美しさで右に並ぶ人のいない至高の方ですが、彼の晩年の著作に「美しい日本の私」と言うのがあります。
この作品の表題は、はじめ「美しい日本私」でした。
それを、熟慮に熟慮の末に、「美しい日本私」を、あとで「美しい日本私」と一字だけ訂正したいきさつがあります。一字ですが、文豪川端康成にして、そこまでこだわったのですね。
しかし、この一字を変えるだけで、意味はがらりと違ってきます。
このことに気づかず、サイデンステッカーさんは「美しい日本私」と英訳してしまったのでした。
そこまで言葉(日本語)と言うものを大切に考え、推敲する、作家の偉大さを感じたものでした。





映画「長江哀歌(エレジー)」ー出会いと別れとー

2007-10-22 14:30:00 | 映画

枯葉が舗道に舞い落ちている。
爽秋である・・・。
銀杏の実はほとんどが落ちつくして、木々の葉も黄色く色づきはじめた。
中国映画「長江哀歌」を、遅ればせながら鑑賞した。
・・・どんなに世界が変わろうと、人は精一杯に生き続ける・・・。

アジア最長の大河、長江の景勝の地三峡、ダムの建設が進められ、水没してゆく古都が舞台である。「長江下り」で人気の古代文明発祥の地でもある。
映画は、シネマトグラフィーのやや物憂い美しさと言うか、物語性はあっても、ドキュメンタリータッチの展開を見せる。

十六年前に別れた妻子に再会するために、山西省からやって来た炭鉱夫サンミンの話と、二年間音信不通の夫を探して、やはり山西省からやって来たシェン・ホン・・・。
二人共、新たな人生を歩みだそうと、胸に決意を秘めていた。
物語は、その彼らを中心に、時代の大きななうねりに翻弄されながらも、日々を精一杯に生きる人々の、小さくも、愛おしく輝やく一瞬一瞬を、丁寧に感動的に捉える。
・・・そうなのだ。
船上の人々の顔、いかにも古ぼけた扇風機、竹団扇、花柄の魔法瓶・・・、そこでは、画面に映るすべてのものが愛おしい。

ヴェネチア国際映画祭で、審査委員長のカトリーヌ・ドヌーヴは絶賛した。
映画祭では、「クイーン」をはじめ力作が揃っていたが、「長江哀歌」を、その物語のクオリティ、感動的な登場人物に心動かされて、すべての審査員がこぞって推奨し、国際映画祭金獅子賞グランプリに輝いた作品である。
カトリーヌ・ドヌーヴは、こう言っている。
 「私は、とても感動しました。これは私たちにとって、“特別”な映画です」

長江・三峡を舞台に、市井の人々の「生」の瞬きが、生き生きと、しかし哀しく伝わってくる。
ジャ・ジャンクー監督は、中国の若き37歳の名匠と言われている。
人生の機微を見つめる眼差しは、日本で言えば、そう例えば小津安二郎監督にもたとえられるだろうかか。

中国は、いま大きく変わりつつある。
変わり行く、その中国の一面を見る気がする。
長江・三峡のダム建設工事は、万里の長城以来の中国の一大国家事業とも言われている。
その沈みゆく街に、貧しいけれど、どこか生き生きと暮らす人たち・・・。
その人たちの、出会いと、別れと、そして死と・・・。

1994年に着工された三峡ダムは、2009年に完成すれば、日本最大の奥只見ダムの70倍の、世界最大のダムが誕生する。
ダムの貯水はすでに始まっており、一部では発電も開始されている。
この映画の中では、まだダムは工程の三分の二ぐらいの完成と見える。
北京オリンピック、上海万博を控えた大国・中国を象徴する、叙事詩的なプロジェクトだ。

長江の絶景を背景に、沈む街、解体される街・・・、炎天下の苦しい作業に耐える出稼ぎ労働者の暮らしぶりから、オンボロ旅館の親爺さん、香港スターに憧れながら殺されてしまう気の良いチンピラ、ダム開発事業に食い込み手荒な手段でのしあがっていく新興企業など、高度経済成長で沸く中国社会の光と影が描き出される。

二千年の歴史をもつ古代文明の都が沈んでゆく・・・。
それと共に、伝統や文化、記憶も水没してゆく運命にある。
その街と土地を、離れて行かねばならない人々の、深い哀切があることも忘れてはいけない。
大河・長江に切なく響く哀歌(エレジー)は、やがて湖の底に消えてゆく街の記憶とともに、ここに生きた名もなき人々の記憶をも、鮮やかにとどめる・・・。
この映画には、決して派手さはないが、中国映画の佳品として、心に残る一作となるだろう。

 


「喧嘩か、競技か」ー反則ボクシングー

2007-10-18 06:00:36 | 寸評

 「何をしても、勝つんや! 勝つためには、何をしてもええんや
ボクシングの世界フライ級タイトルマッチで、挑戦者が常識はずれの反則行為を繰り返し、ライセンス停止の重い処分を受けた。
そして、相手を威嚇したとして、その父親のトレーナーも資格停止処分となった。
 「負けたら、あとがないんや
ボクシング界の、ご存知「亀田一家」の、今回の事件である。

身内の不祥事とはいえ、ボクシング人気を左右しかねないほどの、大きな問題となった。
相手の「目をえぐる」「抱きかかえて投げ飛ばす」など、これではまるで喧嘩騒ぎである。
受身の練習ももしていない選手を投げ飛ばすなど、選手生命を脅かす、重大な事故に繋がりかねない。

この「亀田一家」は、ボクシングの忠誠を担う役割に、期待も相当大きかったらしい。
これまで、いろいろなトラブルとも無縁ではなかったという。
王者の内藤選手は、亀田兄弟の父のトレーナーに、ゴキブリ呼ばわりされたこともあった。
今回の内籐戦の開始直前に、このトレーナーは、内藤選手に顔を近づけて、何やら威嚇した。
それを注意した会長に、「なんや、こらあ」とすごんで見せた。
これでは、ボクシングはまるで喧嘩である。競技としての、フェアな真摯さは見られない。
まだ十八歳とはいえ、繰り返される反則・・・、一体この少年は何をいきがるのか。
その暴力を止めることも出来ない大人がいる。
レスリング技(わざ)まで繰り出したラウンドで、もはや引っ込みのつかなくなった、哀れさまでが漂っているようであった。
挑戦者の父のトレーナーの、「反則行為も、本人の闘志の表れだ」と言うこの言葉は、放任の意味合いともとれて、感心できるものではない。
父親として、十八歳の息子を庇護する立場の責任も、まことに大きいと言わねばならない。

更に言えば、メディアが果たした役割の是非も問題だ。
番組中継局の立場と責任もなしとは言えない。
日本のボクシングは、興行もあるが、大口の収入はテレビ放映料がほとんどだそうだから、テレビ局におんぶにだっこである。問題の下地は、そこにもありそうだ。
中継テレビ局は、アナウンサーの実況ひとつとっても、その過剰な演出や配慮に、公正中立とは思えぬものを感じて、不快の一語につきる。
安手のヒーローづくりが、ボクシングのためになるとはとても思えない。
甘やかすな、甘ったれるなと言いたい。
或る新聞の調査によると、処分がまだこれでも甘いと言う答えは、何と84%だった・・・。

・・・龍哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持と同じようなものがあった。
それには、リングで叩きのめされる瞬間、抵抗する人間だけが感じる、あの一種驚愕の入り混った快感に通じるものが確かにあった。
試合で、打ち込まれ、ようやく立ち直ってステップを整える時、或いは、ラウンドの合間、次のゴングを待ちながら、肩を叩いて注意を与えるセカンドの言葉も忘れて、対角に座っている手強い相手を睨めつける時、その度に彼は嘗って何事にも感じることのなかった、新しいギラギラするような喜びを感じる。
そして、ゴングと共に飛び出して行く気負った自分を、軽くジャブを交しながら自制する時、その瞬間だけ、彼は始めて自分を取り戻しえたような満足を覚えた・・・。  
                               ( 石原慎太郎 ・ 「太陽の季節」より )

スポーツは、あくまでもフェアであるべきだ。
スポーツマンシップのない者は、スポーツに参加する資格はない。
日頃の取り組み、生活態度、口の利き方等等・・・。あまりにも品がなさすぎるではないか。
スポーツマンシップに通じる、素地の大切さを見直して欲しいものだ。

処分を受けてから2日たって、事の重大さに気づいた亀田父子の謝罪会見(?)があった。
父親と並んだ少年は、終始無言で、おもてを上げることもなく、うなだれたままであった。
彼本人の口からは、一言の「謝罪」の言葉さえももなかった・・・。
これが、謝罪会見と言えるのだろうか。
あの、強気な発言とパフォーマンスを見せた、二人の面影はそこにはなかった。
試合前、挑戦者本人は、「負けたら切腹」とまで言っていたそうだ。
おごりも甚だしい。
それにしても、謝罪会見(?)は、十分な説明責任を果たしているとは言えず、ボクシングコミッションの対応も不可解なものだった。
この一家を特別扱いしているのだろうか。
どこか、空しく、かなしい会見だった。
挑戦を受けた王者への、謝罪はまだなされていない。

この一件、ボクシング界全体の自浄努力までが、問われることになりそうだ。
・・・こんなことでは、もしかすると来年の国語辞典(改訂版)から、「スポーツマンシップ」という言葉は、消えてなくなるかも知れない。
 ~ええっ・・・?!



小品「棚の隅」ー人生の哀歓を優しく見つめてー

2007-10-14 07:00:52 | 映画

早いもので、北国からはもう雪の便りがちらほらと届く季節になった。
秋は、一段とその深まりを見せて、紅葉が街を彩りはじめた・・・。

映画には、大作の陰に隠れていて、つい見逃している小さな作品がある。
それは、決して派手ではないけれど、どこかこころに残るものがあって、捨てがたい。
どうしてどうして、ミニシアターなどで、結構味わい深い作品と出会うことも多い。
人生の哀歓、男と女の愛情を細やかなタッチで描く、連城三紀彦原作の小説「棚の隅」の映画化作品を鑑賞した。
人生の哀歓を、詩情豊かに映し出した、静謐な<大人の映画>だ。
門井肇監督は、71年生まれの新鋭で、この作品が、劇場映画第一作となった。
彼は、淡々とした、さりげない日常生活の描写の中に、「男とは」「女とは」「家族とは」と、リアルなテーマを突きつける。
 「二十年前に、書きたくて書ききれなかった、片すみの小さな、小さいまま豊かな愛の話は、この映像と演技を得てやっと完成をみた」と、連城三紀彦は言っている。

主人公康雄を演じるのは、大杉漣、相手役に元妻内田量子、今の妻渡辺真起子らだ。
そして、驚くなかれ、何と制作費500万円という、超低予算作品である。

・・・男は忘れようと誓った。女は忘れたいと願った。
男にとって、それは一瞬の夢だったのだろうか・・・。
主役の大杉漣は、町外れの、さびれた玩具屋の店主である。
彼は、中年の孤独と苦悩を少ない台詞で演じている。
そこへ、或る日、一人の女性が客として現れる。
棚の隅から、売れ残りの古いおもちゃを買って出て行った中年女・・・。
それは、八年前に康雄と別れた妻で、正確に言うと、外に男をつくって、夫と幼い息子毅をおいて、蒸発同然に家を出て行った妻の擁子だった。
以来、彼女は、たびたび康雄の店を訪れては、いつも同じように、売れ残りのおもちゃを買って帰っていくのだ。
康雄は再婚していて、息子は継母の秀子に実の母以上になついていた。
そんな平穏な生活の前に、突然現れた元妻の奇妙な行動に、康雄は胸が騒ぐ。

元妻の擁子は、新しい恋人進藤との生活に割り切れないものを感じていたが、彼女の心の中には、残して来た我が子の面影が強く刻まれていて、その想いが、擁子を康雄の店へと向かわせていた。
擁子は、保険外交員として、康雄の妻秀子と親しくしたり、康雄一家に遊園地のチケットを、プレゼントする・・・。

休日の遊園地で・・・。
久しぶりの一家団欒を過ごす康雄たちと、離れた場所に擁子と彼女の恋人の姿があった。
そして、康雄と擁子が、ついに言葉を交わす時が来る。
康雄は、擁子を観覧車に誘い、高みに上っていくゴンドラの中で、擁子の気持ちを考えなかった過去の非をわびる。
そして、こう言うのだ。
 「もう、毅には会いに来ないで欲しい」
擁子の目に、涙があふれた。
下りてきたゴンドラを待ち構えていたように、息子の毅が走って来た。
そうして、父康雄にではなく、母とは知らない擁子に、一緒に乗ろうとせがんだ。
その背後で、康雄の今の妻秀子が微笑んでうなずき、進藤は知らぬふりをして、擁子をうながした。
康雄は、息子に言った。
 「擁子おばちゃんは、怖がりだから、手をつないであげなよ」
すると、毅は照れながらも擁子の手をしっかりとつかんだ・・・。

どの俳優たちの台詞も少なく、表情の演技が際立った。
原作は、1985年に発表された、連城三紀彦の原稿用紙30枚の短編小説で、主人公の内面描写がほとんどを占める。
もともと、男女の愛情の機微を静謐なタッチで描き続ける作家で、そうした人間関係を丹念に見つめる。
二人の女性の間で揺れる、男の苦悩と葛藤を情感豊かに、大杉漣が演じ、なかなかいい味を出している。
小さい、小さいがままの、しかしどこか豊かな、そこはかとなくちょっぴり哀しい愛のお話・・・。
物語は、ほのぼのとした暖かさと交叉するように、さざなみのように波打つあえかな哀しみを、さりげなく演出しながら、こころ癒される小品となっている。
擁子役の内田量子は、本作が映画女優としての第一作だそうで、トークショウでも、ごく「普通」の女性で、とくに華やかさはないが、やはりどことなく舞台女優らしさが感じられた。
作品の脚本化には、2年を費やしたといわれ、撮影には各方面の協力、援助があって、10日あまりでクランクアップしたという。
主題歌「つまらない世界」は、榊いずみ(橘いずみ改め)が歌っている。
エンターテイメントの大作の陰に、ともすれば忘れられがちな一作である。

・・・幸せの数だけ、人は悩みを抱いて生きてゆく。
余韻を残したラストシーン・・・。
あなたの心の隅に、置き忘れたものは何ですか?
この映画は、そのことを問いかけたかったようだ。


「一円からの領収書」ー政治とカネー

2007-10-10 16:00:00 | 寸評

紅葉が始まり、秋は確実に少しずつ深まりの色を見せている。
衆議院予算委員会が始まった。

いま、「一円からの領収書」が必要かどうかをめぐって、与野党で紛糾している。
事務が煩瑣になる、政治活動の自由が束縛されるから、与党は反対だというのだ。
政治活動に支障が出るとは、どういう支障なのだろう。
国民の、十分納得できる説明はなされていない。

国会議員は、巨額の歳費を給与として受け取っている。
国民の数倍の高給取りである。
その上に、政治資金である。この、政治資金という金が、政治家にとって、いかに美味しく、うま味があるかということだ。議員は、そのための別腹ならぬ、別の財布を持っていて、私的に流用されているのではないかと言われている。
これは、どうやら事実らしい。
そこが、問題なのだ。
そこには、使途不明金、ルール違反、闇のカネがめまぐるしく動いているからで、要するに後ろめたい部分があるのだ。

怪しげな事務所経費の疑惑さえも、十分に説明責任の果たせないまま逃げまくっている、前文部科学相、現自民党幹事長のあの方の態度など、到底容認できるものではない。
さらに、自民党の元締め、福田新首相に、またしても領収書の書き換えが発覚した。
しかも、改ざんされた領収書は、100枚以上もあるという。
福田首相は、「まことに、汗顔の至りです」と言って謝罪した。
小泉内閣の官房長官であったとき、年金未納問題で、自らその職を辞した経緯があるが、今度の事態は、それ以上に重いことではないか。
「汗顔の至り」ですませることなのだろうか。
100枚を超える領収書の改ざんというではないか・・・!
驚くことばかりである。どなたかと同じような、「伴食宰相」でないことを祈る。
問題は、なにも与党に限らない。野党の民主党にも、いろいろくすぶっている。
何だ。こっちもそっちもか。
とどまるところを知らない。
いつ、どこで、不発弾(?)が爆発するか、全く予断を許さない。

福田首相は、「一円からの領収書」についてこう言っている。
 「いろいろと、すべてが公開されるとなると、問題もある。ここはひとつ、慎重に考えないと・・・。如何なものか」
一円からというのは極端だから、もう少し譲ってもいいのではないか。
百円の領収書位はあるものだ。
(もっとも、議員ともなると100円ショップで買い物などしないか)

「領収書の公開」は、今や民意の大勢なのだ。当然のことだろう。
一般庶民は、誰もが経理上やっていることだ。
それが、国会議員に出来ないわけがない。
やるとまずい。だから、やらない。やろうとしないのだ。
領収書で、会食相手が明らかになれば、政治活動の自由が損なわれるからと、与党は全面公開に反対している。
会食相手の名前など、領収書に書いてあるものなど見たこともない。
おかしなことを言う。
その程度のレベルなのである。

政治とカネの感覚マヒ!政治とカネの深い闇!
その根源にあるのが、企業や団体の献金、政党助成金だ。
政党、政治家が、広く国民と結びつく努力もしないで、やすやすと巨額の資金を得られてしまう仕組みが、庶民感覚から乖離し、堕落した、金権腐敗政治の温床となっているわけだ。
日本の政治家が、一流はおろか、二流にもなれず、やはり三流と言われる所以だろうか。
情けない話である。

・・・世の中の誰もが、平和で幸福になれる社会の実現を願っている。
その、善良な国民一人一人によって選ばれたはずの彼等は、言葉では、天下国家のため、改革のため、万民のためと称して、あらん限りの大言壮語、美辞麗句を弄し、人前では七重の膝を八重にまで折って恭しく頭を下げ、誰にでも握手を求めて、肩をぽんぽんとたたき、ときにやさしく猫なで声をかけるが、一方で、永田町の赤絨緞の廊下をせわしく行き来する時は、互いの腹の中を探り合いつつ、一般庶民との大いなる格差に、いささかなりとも尊大な気分を満喫し、ひたすら利権を追う別の面容に変身し、ぎらぎらとした目をしばたたかせながら、、日夜そのためにのみ、それこそ人目の届かぬ政治とカネの奥深い闇の底で、がさごそと蠢きまわる、まことに妖しげな魑魅魍魎の一群となるのであった・・・。

ところで、やはり不透明な使途が指摘されている、地方議員の政務調査費については、20府県で、「一円からの領収書」を政治資金報告書に添付する方針を決めたそうだ。
「政治とカネ」に対する国民の批判は、地方にも影響を与えている。

私見では、領収書のコピーはいろいろ問題もあるので、原本を添付すべきではなかろうか。
とにかく、「政治とカネ」による政治の混迷は、もういい加減にしてほしい。

国会では、今日も衆議院予算委員会で、与野党の活発な論戦が火花を散らしている。
一部には、年内にも衆議院の解散があるかも知れないと言われる中、当分は、成り行きを厳しく見守っていく必要がある。






ー「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」ー

2007-10-05 17:00:00 | 映画

・・・パダン・パダン・パダン・・・
愛に生きた世界の歌姫の、涙と喝采の物語(フランス・チェコ・イギリス合作)を鑑賞した。
シャンソンと言うと、イブ・モンタンの「枯葉」などを思い出すが、シャンソンは、秋がとてもよく似合うような気がする・・・。
ピアフは、当然「愛の讃歌」もいいが、自分の場合は、「パダン・パダン」により想いが深い。
歌というのは、いつも人それぞれの想いがあって、懐かしい。
だから、曲も好き好きがあっていいのだし、何かのときに、それは熱くよみがえってくる。
この映画のタイトルについている、“LA VIE EN ROSE ”(ラビアンローズ/バラ色の人生)も、エディット・ピアフの合言葉みたいなものだ。

ただ、日本人に特になじみの深い歌詞と言えば、このフレーズが一番かも知れない。
 “あなたの燃える手で、あたしを抱きしめて・・・”
戦後の日本の歌姫、越路吹雪の代表曲である。
そして、言うまでもなく、この名曲「愛の讃歌」の生みの親がピアフである。

1915年、第一次世界大戦のさなか、戦火の渦のパリの町中に誕生したピアフは、路上で歌を歌う母親に養われて育った。一説には、路上で生まれたと言う説もあるがさだかではない。
それからのピアフは、祖母の経営する娼館に預けられたり、身を落ち着けるところもなく、さすらいの幼少時代を過ごした。
一時失明して、光を失うが、のち奇跡的に回復する。
16歳で、自立した人生を送るようになって、自分も母と同じく路上で歌を歌い日銭をかせいだ。
その稼ぎは、母親の数倍もあったというから、よほど歌がうまかったに違いない。
その後、大道芸人の父親に引き取られ、各地を転々としたピアフは、サーカス小屋のようなところで、父の大道芸の傍らで歌うことを覚える。
彼女が歌った時は、かなりの金が集まった。
彼女は、自分の歌が人の心を動かすのを知った。
ピアフが、再びパリのストリートで歌っていた時、彼女は、パリの名門クラブのオーナーの目にとまるところとなり、伝説の歌姫エディット・ピアフが誕生する。

エディット・ピアフの、波乱の生涯を綴ったこの作品は、今年2月フランスで公開された時、わずか2ヶ月で500万人を動員したという。この動員数は、フランス国民の10人の1人に相当するというから、大変なヒットだったらしい。

時代と国境を越えて、ピアフのシャンソンは歌われ続けている。
「愛の讃歌」「ばら色の人生」「水に流して」など、日本でも、越路吹雪にはじまり、加藤登紀子、美輪明宏、中島みゆき、桑田佳祐、椎名林檎ら、それぞれの世代・ジャンルを超えて歌い継がれている。

1963年、47歳で、リビエラでその短い生涯を閉じた、不世出の歌姫エディット・ピアフ・・・。
映画の監督は、「黙示録の天使たち」のオリヴィエ・ダアン、ヒロインのエディット・ピアフを演じるのは、マリオン・コティヤールという、今最も注目されるフランスの若手女優である。

映画は、現在と過去の時代を交錯させながら、ピアフの生涯を2時間20分で描ききる。
ピアフが三十代ではじめてめぐりあった、最愛の男性チャンピオンボクサー、マルセル・セルダンとのロマンスによって、彼女の歌は成長し、円熟し、更に磨きがかかった。
しかし・・・、それも長くは続かなかった。
彼は、妻子がありながら、ピアフとの強い愛を育んでいた。
そんな時、マルセルの乗っていた飛行機が、ピアフの待っているニューヨークへ発って間もなく墜落したのだ。
ピアフは、半狂乱になった。
やがて酒と麻薬に溺れるようになって、早すぎる晩年をもたらしたマルセルとの悲恋を中核において、ピアフのドラマは、「愛の讃歌」を高らかに謳いあげてゆく・・・。
彼女の47年の生涯を、エネルギッシュに、一気に駆け抜けていくのだ。
エディット・ピアフ役のコティヤールが、見事にピアフになりきっていて、実に素晴らしい演技をみせてくれている。秀逸と言ってもいい。

歌い、傷つき、愛し、そして生きた・・・。苛烈なまでに激しく・・・。
ピアフの、壮絶なまでの短い波乱の人生を知るとき、彼女の歌は一段と輝きを増すのだ。
加藤登紀子は、「たたきつけられる地面から、どんな時でも燃え上がる炎、それが、ピアフの歌だ」と、言っている。

今は昔、朗々と響くエディット・ピアフの歌声にしびれた時期もあった。
個人的には、やはり一番印象に残っているのは、あの「パダン・パダン」である・・・。
この曲が創唱されたのは、ピアフの死の10年前、麻薬に溺れ始めた頃のことだった。
・・・ピアフの歌は、ときに大らかに、ときに高らかに、女であるのに男のような、力強いリリシズムに溢れている。
聴いていると、ピアフの歌い方は中島みゆきの歌い方に似ているようにも思われる。

上映中の館内はやはり女性客が圧倒的に多く、映画「エディット・ピアフ」は、さながら音楽コンサートの趣きがあって、静かな熱気が満ちていた。

終幕近く、立つことさえ覚束ない病いをおして、大舞台で熱演中に、突然倒れ伏すピアフ・・・。
それでも、スクリーンの中で、ピアフは、鬼気迫る形相で、狂ったように必死で叫び続けた・・・。
 「歌わせて!お願い、歌わせてよ!・・・歌うのよ!あたし、歌うのよ!」

エディット・ピアフの歌と名声は、今もなお世界の果てまでも、輝ける光芒を放ち続けている。
この映画、本年度のアカデミー賞候補に、早くも有力視されているそうだ。
さあ、果たしてどうか。