徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」―混沌として渦巻く人間の性(さが)―

2012-09-29 11:30:00 | 映画


 イタリアで製作された「トスカーナの贋作」では、ジュリエット・ピノシュカンヌ国際映画祭主演女優賞受賞した。
 母国イランを離れて、今回も単身日本にのりこみ、日本人スタッフとともにこの「ライク・サムワン・イン・ラブを作った。
 イランのアッバス・キアロスタミ監督の、フランスと合の初の日本映画である。
 人生のほろ苦い深さを、日常のさりげない自然体で綴った。

 キアロスタミ流では、撮影に入っても台本らしい台本もなく、台本といえば、俳優陣には序盤の場面だけだったそうだ。
 あとは、監督がその都度支持し、俳優は自由に演じることを求められる。
 だから、作品には始まりらしい始まりはなく、終わりらしい終わりもない。
 このことは、アッバス・キアロスタミ監督のすべての作品に共通して言えることのようだ。
       
この作品は、一見とてもシンプルな映画で、主だった登場人物は三人だけである。
それで、ある日の夜から翌日の午後までの、24時間にも満たない時間を描いている。
ドラマらしいドラマではなく、淡々とした時間の流れが、何気ない会話で紡がれていく。
しかし、それはそれで結構複雑に交差し合って、ざわざわと何か謎めいている。
そう見ると、謎解きのような作品の一面ものぞかせている。
作品の随所に、沢山の謎が散りばめられていて、不可思議な作品ともいえる映画だ。

監督は、俳優の一人一人に翌日の台詞だけ毎日渡し、彼らはこの映画の結末も、脚本(?)の中の彼らが今後どうなるか、全く知らない。
翌日何が起きるのか、誰を好きになっているか、本当は誰も知らない人を映画の中で演じていくわけだ。
出演者は苦労したことだろう。
主演の老教授の奥野匡は、全く嫌みのない自然体の演技に好感が持てる。
自分の役柄の過去さえもわからず、この映画にオーディションで選ばれ、慌てて「トスカーナの贋作」を観たそうだが、あの映画もよくわからなかったと率直に述べている。

現役を引退した元大学教授のタカシ(奥野匡)は、亡妻にも見たひとりの若い女性・明子(高梨臨)を、デートクラブを通じて自宅に呼ぶ。
いまは、物書きに徹した生活をしているような、書棚に囲まれたタカシの家・・・。
きちんと整えられたダイニングテーブルには、タカシによって、ワインと桜海老のスープが準備されるが、まどろむ明子は手をつけようともしない。
明子はそれよりもむしろ、彼女に会うために田舎から出てきた祖父と会えなかったこと、駅に置き去りにしてきたことの方が気にかかっていた。

翌朝、タカシは明子が通う大学まで車で送っていった。
そのタカシの前に、明子の婚約者らしいノリアキ(加瀬亮)という青年が現れる。
ノリアキは、年老いたタカシを明子の祖父と勘違いする。
それから、運命の歯車がきしみ始めるのだ・・・。

日仏合作映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」における、元教授のタカシなる人物は、すでに70歳を超えたアッバス・キアロスタミ監督自身の投影でもあろうか。
「人生、ケ・セラ・セラ」と明子に訳知り顔でつぶやく老人・・・。
そこには、キアロスタミ監督の老いたるロマンティシズムが見える。

自分が何をしているのか、まるでよくわからないような女子大生の明子、何でも勝手に思い込み型のちょっと変わった青年、80歳を超えた元大學教授と、三者の、淡々としているがところどころでざわざわとする不協和音を奏でる時間の流れ・・・。
どうということもない、とりとめのない関係が、終盤近くまでくどくどと続く。
そんなことはどうでもいいような台詞のやり取り、退屈な時間の流れ、女子大生と青年の、うそとほんと・・・。
一応明子にはノリアキという恋人がいるのだが、ノリアキの行動はストーカーみたいなところもあって変な男だ。

三人の関係と立ち位置は明白なのに、おもてだったはっきりしたドラマなどはない。
一日にも満たない時間の中で、表面上は穏やかに、水面下では激しく展開しているものがある・・・。
それが、始まりもなく終わりでもない、でも途切れることなく続く、人生というドラマの一部なのか。
この作品に、今さら哲学や美学を感じるものではない。そういう類いのものではない。

作品としても「トスカーナの贋作」には及ばない。
どう始まろうが、どう終ろうが、それは観る者にお任せというのか、人間の孤独、不安、虚実ないまぜの描写にテーマまで混沌として、何だか手前勝手な気もして・・・。
母国では映画が撮れないというイランの政治事情から、放浪の旅の途中で、円熟したアッバス・キアロスタミ監督の饒舌(?)にも、お年を召したのか、やや疲れの見える作品である。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「画皮 あやかしの恋」―中国清代の怪異譚『聊斎志異』より―

2012-09-27 17:00:00 | 映画


映画の原作は、中国の蒲松齢(ほしょうれい)によって書かれた小説集「聊斎志異」の一編だ。
日本では、江戸時代の後期に伝わって翻訳、翻案され、芥川龍之介や太宰治らに影響を与えたといわれる。
1989年には、本書に収録されている聶小倩(じょうしょうせん)」 「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」として映画化され大ヒットした。
日本でも、つい最近中国連続テレビドラマとして放映終了したばかりで、あらすじは大体同じだが、こちらは出演者も全く違う、異質の「映画版」だ。

怪奇ロマンスという、これまでにない幻想的な世界観の悲恋物語として支持された作品で、すでに「画皮Ⅱ(原題)」も製作され、中国では公開されているといわれる。
ゴードン・チャン監督は、香港のヒットメーカーとして知られている。
ドラマは、人間に恋をした美しい妖魔と、あやかしに魅入られた夫の身を案じる、貞淑な妻の物語である。


             
秦から漢にかけての時代・・・。
将軍の王生(ワン・シェン)(チェン・クン)は、西域での合戦の最中に、砂漠の盗賊に捕えられていた若く美しい女小唯(シャオ・ウェイ)(ジョウ・シュン)を救出し、故郷に連れ帰る。

家に帰った王生は、愛する妻の佩蓉(ペイロン)(ヴィッキー・チャオ)に事情を話し、身寄りのない小唯を家に住まわせることにした。
しかし、この誰をも虜にしてしまう魅力を持つ美女は、人間の姿をした妖魔だった。
一目会ったときから、王生に恋をした小唯は、彼の心を手に入れるべく、様々な妖術を使って誘惑し、佩蓉から妻の座を奪おうとたくらむのだった。

それから3か月後、街では人の心臓が抉り取られるという殺人事件が相次ぎ、人々は恐怖に怯えてていた。
犯人は、砂漠に棲むトカゲの妖魔の小易(シャオイー)(チー・ユーウー)だった。
小唯と同じく人間に化けた彼は、自ら愛する小唯の下僕となり、奪い取った心臓を彼女のもとへ運んでいた。
小唯は、心臓を食べることで、人間としての美しい容姿を保っていたのだった。

・・・妖術によって王生を幻惑する小唯、妖魔に魅入られた夫の身を案じる佩蓉、嫉妬から小唯を疎んでいるのだと思い込む王生・・・、事態は着実に小唯の望む方向へと進んでいた。
夫の王生の軍の主将であった龐勇(パンヨン)(ドニー・イェン)と、この街にやって来た降魔師の娘・夏冰(シア・ビン)(スン・リー)は、魔物の正体を炙り出そうとするのだったが、人間と妖魔の間で渦巻く、深く悲しい愛憎劇の行方は誰にも想像できなかった・・・。

愛に生きた妖魔の女は、魔界の掟を破ってさえ、その切ない愛を止めることはできなかった。
妖魔の愛と妻の愛、二人の間に挟まれて身悶えする王生の愛のかたちが、大きなざわめきとなっていく。
ハイテンポで、中国流の少々奇抜な、そのぴりりとした切れ味が見ものだし、そこに怪奇という装置がかけられ、ヨーロッパやアメリカ映画などとは異質の、アジア的な幽鬼の世界に迷い込む楽しみはある。

ゴードン・チャン監督中国映画「画皮 あやかしの恋」は、冒頭からスピーディーな展開ということで、時間たっぷり飽きることのない、妖艶なサスペンスである。
美貌と怪しい魅力で、王生を誘惑する妖魔の小唯を演じるのは、 「ウィンター・ソング」主演女優賞に輝いたジョウ・シュン、愛する夫への揺るぎない誠実さと献身で、妖魔に立ち向かう佩蓉を演じるのは、この作品で最優秀主演女優賞を受賞したヴィッキー・チャオ、対立する役柄を演じる中国の二大女優の迫真の演技が、愛の持つ強さと儚さを精いっぱいに問いかける。
二人の間で苦悩する王生役のチェン・クンは美形スターだそうで、ドニー・イェンが繰り広げるアクションとともに、見ごたえも確かな一作だ。
小唯の妖術によって、佩蓉が白髪の老女に姿を変えられてしまうところなどは、ドラマの見どころだし、愛とはまたかくも悲しきものかと思わせるに十分である。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「あの日 あの時 愛の記憶」―劇的な再会を果たした運命の二人―

2012-09-26 11:00:00 | 映画


 運命に引き離され、運命に引き寄せられた二人を描く。
 アウシュヴィッツ収容所から脱走し、生き別れた恋人たちが、何と39年後に再開した。
 この嘘のような、驚くべき奇跡の実話を、監督アンナ・ジャスティス脚本家パメラ・カッツの女性二人が、感動的な映画に作り上げた。

 映画冒頭のタイトルは、英語、ドイツ語、ポーランド語の3ヶ国語で表示される。
 ・・・二度と会えないと思っていた、かつての恋人同士が、封印した記憶の扉を開ける時・・・。
 それは過酷で、美しくも哀しい愛の記憶として甦る。
 大戦下のアウシュヴィッツの収容所で、若い二人が愛を育んだことなど、とても信じがたい話ではないか。








     
1944年・ポーランド・・・。
大戦下の強制収容所で恋に落ちた若き二人、ハンナ1944年/アリス・ドワイヤー)と トマシュ1944年時/マテウス・ダミエッキ)は、命がけの脱走に成功する。
ポーランド人のトマシュは政治犯、ハンナはユダヤ人だ。

二人は、共に生きることを誓いながら、戦禍の混乱の中で生き別れてしまう。

1976年・アメリカ・ニューヨーク・・・。
トマシュ1976年時/レヒ・マツキェヴィッチュ)は推定死亡とされ、ハンナ1976年時/ダグマー・マンツェル)は記憶を封印し、アメリカに渡り、平穏で幸せな生活を送っていた。
そんなある日、テレビ局から聞こえてきた声が、一気にハンナを30年前に引き戻した。
それは、忘れることのなかったトマシュの声であり、映っていたのはまぎれもなくトマシュ本人だったのだ。
ハンナは、甦る記憶に後押しされるように、トマシュを探し求めるのだったが・・・。

二人が別々の人生を送って30余年後、かけがえのない人が生きていたという、思いがけない事実に直面する。
ハンナは封印したはずの過去と同時に、トマシュを失った空白を埋めてきた、いまの夫との結婚生活とも向き合うことになる。
1944年のポーランドと、1976年のニューヨークを交互に映しながら、ハンナとトマシュの波乱の恋と、ハンナと夫の複雑な関係がサペンスフルに
描かれていく。
そして、過去に囚われつづけたハンナが、ようやくその呪縛から解き放され、真の精神的自由と、自分自身の人生を取り戻す奇跡の瞬間を迎える。

ドラマの中で、ハンナの感情の綾と、時間の流れにシンクロして移り変わっていく、季節の描写が俄然目を引く。
映画が扱っているのは、とても重いテーマである。
ドイツ映画「あの日 あの時 愛の記憶」は、女性ならではのアンナ・ジャスティス監督の視点で、ひとりの女性の喪失と再生を力強く描いている。
絶望するしかなかった過去を、残酷な時の流れの中で、こうした形で描いた作品はあまりない。
映画の中には、大胆な抱擁も芝居がかった大仰なシーンもない。
30余年の歳月を飛び越えて、男と女が向き合うとき、二人からは言葉も発せられない。
胸打つ、ラストシーンだ。

このドラマには、解らぬことが沢山ある。
強制収容所という極限状況の中で、どういう風にして二人が恋に落ちたのか、決死の覚悟で小部屋に隠れて性を交わし、ハンナは妊娠までしていたのだ。
その辺から、悲劇的なドラマの様相を見せてくる、ハンナの記憶・・・。
脱走時、着の身着のままであとさきも顧みず、何も持たずに、二人は一体どんな思いで、どんな風に逃げ延びたのだろうか。
どこで生き別れ、それまでの、いやそれからの二人の人生には何があったのか。
二人の台詞は極端に少ない。
再会を果たして、この先二人はどうなるのか。
ハンナの家庭は、どうなるのか。
そして、トマシュの娘は・・・?
気になることばかり、それもこれも知りたいことだらけで、解らないことがいっぱいありすぎて、不完全燃焼で困った。
確実なことは、こんなことが本当にあったということだ。
二人の過去をめぐる時間と物語の重さ・・・、ただ生きて在ることの偉大さには、心がしめつけられる小品である。
    [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「夢売るふたり」―女という生き物の複雑で滑稽な魅力―

2012-09-25 05:30:00 | 映画


 映画「ゆれる」「ディア・ドクター」の、西川美和監督自身のオリジナル脚本による、結婚詐欺師夫婦の物語である。
 いま最も注目を集めているといわれる気鋭の監督が、初めて「女」をテーマに映画作りに挑戦した。
 これは、切なく危うい愛の物語だ。

 現代を生き抜く女たちの心の襞から、鋭い眼差しと深い心理描写で、夫婦というつながりの微妙さを抉り取る。
 人々が、日々すれ違いながら生きる東京を舞台に、孤独を抱えた男女が交錯し、やがて彼らの歯車は大きく狂い出していく。
 男と女の性(さが)を揺さぶる、人間の業を垣間見せる、ラブストーリーだ。
 物語の進行につれて描かれるのは、「現代」を生きる女性が抱える、渇きのような感情だ。
 飢えた魂か。

 どんな夫婦でも、二人にしかわからない共通言語や正義があって、法に触れない程度にある種の共犯関係を結んでいる、その関係性をよりいびつな形で表現したかったと、西川監督は言うのだが・・・。

     
東京の片隅で、貫也(阿部サダヲ)と里子(松たか子)は、小料理屋を営んでいた。
だが、失火で店を全焼してしまい、すべてを失ってしまった。
自分たちの店を持つという夢は、あきらめきれない。
再建のために、夫婦は金策に頭を悩ませる。

貫也の浮気がきっかけで、二人は再出発のために結婚詐欺という手段を選ぶ。
里子が女に目をつけ、貫也が言い寄る。
里子が女たちの心の隙間に入り込むと、続いて貫也が言葉巧みに女の懐に入り込んで、騙していく。
騙されるのは、結婚願望のOL(田中麗奈)、不倫で大金を手にした女(鈴木砂羽)、男運のよくない風俗嬢(安藤玉恵)、幼子を抱えたシングルマザー(木村多江)、孤独なウエイトリフティング選手(江原由夏)らで、五人五様のドラマである。
最初は思惑通りに進んでいた計画だったが、やがて嘘の繰り返しは、騙した女たちとの間に、そして夫婦の間にも、当然のようにさざ波を立てはじめるのだった。

詐欺の相手に抱かせた偽りの夢、里子の嫉妬と憎悪による夫婦の攻防を描いて、リアルな演出に引き込まれる。
人の存在とは、こんなにも不確かなものだったのか。
騙し騙されるその果てに、人間は所詮一人では生きていけないという、女の性がある。
西川演出は、何らぶれることなく鋭い。
人間の心の内にはらんでいる、感情や欲望は、他人との関係性で脆くも揺らいでいく。
そこに、西川監督の真骨頂を見る気がする。

物語の後半、朝方帰ってきた貫也が、机で寝てしまった里子を抱え、ともに寝室へ向かうシーンがある。
結婚詐欺を続けることで、ふたりは他人を傷つけ、同時に自分たちをも傷つけてきた。
口汚い言葉と衝突があって、気持ちがすれ違ってきている。
それでも、ふたりが言葉を交わすこともなく抱き合って眠る姿に、西川監督は夫婦というものの本質を見ているのだ。
お互いにそっぽを向き始めているふたりが、一緒に抱き合って寝る。
それが夫婦だと言いたげである。

ドラマの中、結婚詐欺を繰り返すふたりには、罪の意識などまるでないようだから、恐れ入った話だ。
‘たらし’役の阿部サダヲもはまっているし、松たか子、品性の良さと相反する悪の心を演じ分けてなかなかである。
彼女の、どきりとさせるようなエロティックなシーンも、西川脚本そのままだそうだ。
西川美和監督映画「夢売るふたり」は、哀しく可笑しく綴られるドラマだが、緻密で大胆でもある。
本作が、彼女の長編第4作目だ。
国内外の映画賞を総なめにしている、この監督の眩しい才能に、今後も大いに期待したい。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


        ( 閑 話 休 題 )

現在開催されているミニ映画祭について
「三大映画祭週間2012」
 上質の映画なのに、なかなか見られない映画が沢山あります。
 カンヌ、ベルリン、ヴェネチアが認めた才能の数々を、ミニシアター(シネマジャック&ベティで上映中です。
 ドラマ、サスペンス、政治劇など、三大映画祭で高い評価を得た、フランソワ・オゾン監督フランス映画「ムースの隠遁」など全8作品です。
 9月28日(金)まで

これから開催予定のミニ映画祭について
「横浜中華街 第1回 2012映画祭」
 日中正常化40周年、「さらば復讐の狼たちよ」など中国、台湾、香港の新作と、「運命の子」チェン・カイコー監督の描く京劇の世界の全8編も・・・。
 映画評論家佐藤忠男氏のトークショーもあります。
 9月29日(土)から10月10日(水)まで、横浜中華街の同發新館にて。
 50年の時を経て、中華街に映画がよみがえる企画です。詳細は、上記ミニシアターへ。


映画「天地明察」―自己実現を求める若者の未知の世界に挑むひたむきさ―

2012-09-21 17:00:00 | 映画


 あれほど暑かった夏が過ぎて、季節は本格的な秋の気配を感じさせる。
 9月22日は、暦の上でも秋分の日だ。
 この作品は、その我が国の暦を作った江戸時代の天文学者、安井算哲(後の渋川春海)の話である。
 2010年本屋大賞受賞した、冲方丁(うぶかたとう)の原作をもとに、「おくりびと」滝田洋二郎監督が映画化した。
 気宇壮大で、知的な要素がいっぱいに詰まった、どこまでも真摯な作品で、映画としての面白さも十分だ。

 当時、多くの人々が、地球が丸いということを知らなかった。
 800年も前に出来た中国の暦を使っていた日本では、暦に大きなずれが生じていた。
 暦は、何といっても生活の基盤だったし、政治、経済に至るまで影響を及ぼし、暦を司るものが、国を治めるほどの意味を持つ存在となっていた。
 そんな時代に、日本初の暦作りに挑戦した実在の人物の物語で、この壮大な作品は、変革へのみずみずしい情熱に満ちている。
     
安井算哲(岡田准一)は、将軍に囲碁を教える名家の息子として生まれ、学問への造詣も深かった。
800年前に中国で作られた暦に代わって、新しい日本の暦を作るように、算哲は幕府から命じられる。
だが、それは空前の大事業であった。
暦を作るには、天文や算術の知識だけではなく、何年もかけて観測し、天体の動きを解明するという、途方もない労力が必要とされる。
全国を歩いて、北極星の高度を測り、月食の謎にも挑む。
天を相手にした、真剣勝負であった。

算哲は、その誠実な人柄と、ひたむきな情熱で、この事業を決してあきらめずに挑戦していく。
しかし、その先に待ち受けるのは、挫折と失敗ばかりの困難な日々だった。
暦の利権を操る朝廷とは、命がけの勝負をしなければならない。
算哲の陰で励ます妻えん(宮崎あおい)、改暦を命じた保科正之(松本幸四郎)、観測隊幹部(笹野高史、岸部一徳)、算術の天才関孝和(市川猿之助)、朝廷の陰陽博士(市川染五郎)、副将軍水戸光圀(中井貴一)ら、錚々たる、達者な役者陣が揃って物語を盛り上げ、原作の空気をよく生かしている。

江戸時代に、こんなにも真摯に努力と改革に挑戦した若者がいたのだ。
眩しいような、人間ドラマである。
算哲は計算を重ね、日蝕、月蝕まで予言したが、これが、ものの見事に嵌まるのだから凄い!
400年前に天と地の利を追い求め、日蝕の起こる日まで言い当てた男、安井算哲・・・。
映画からは、学問に対する、熱い情熱が伝わってくる。
奇しくも、今年2012年は「金環日蝕」「金星の太陽面通過」「金星蝕」など、大変珍しい三大天文現象で賑やかだった。

ドラマの方は、天の摂理を導き出すスリルやロマンが爽快だし、人と人の愛の温かさも染みている。
地球儀や天球儀といった、大小様々の観測機器も登場し、知られざる江戸の天文観測の様子も描かれ、興味津々だ。
ほとんど現存していない器具を、資料を基に復元し、資料の残っていないものは時代考証をもとに創造し、制作したのだそうだ。
これらは、一見の価値があるものばかりだ。
算術の解説は、一度映画を観ただけではやや難解だが、天体や宇宙への夢は大いに膨らむ。
滝田洋二郎監督映画「天地明察」は、江戸時代、命を懸けて金環日食を言い当てた男の物語として、なかなか興味深い。
上映時間2時間21分は、決して長くはない。
この労作、観応えも十分だし、加藤正人滝田洋二郎の脚本もいいのだが、作品にもう少しひねりやさびが効いてもよかったかも・・・。
文部科学省推薦のような、映画作りの真面目さが、ひしひしと伝わってくる佳作である。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「最強のふたり」―出会うはずのなかった二人の常識破りの人生―

2012-09-18 16:35:00 | 映画


 事故で、ほぼ全身麻痺の障碍を持つ大富豪と、はからずもその介護役に抜擢された、スラム出身の黒人青年との交流が描かれる。
 エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ両監督・脚本による、コメディタッチのフランス映画である。
 十代の頃からコンビを組んだ二人三脚で、これも、実話をもとにいまのフランスが抱えている問題(格差社会)も織り込んだ、物語だ。

 とにかく、初対面から二人は全く話がかみ合わない。
 しかし、その二人に‘奇跡’は起きた。
 幸福な衝撃を活写した笑いと涙の物語は、生きるエネルギーともなるのだ。
そうなのだ。人生はいつでも上々だ!







      
フランス・パリ・・・。
スラムで生活する大家族の長男で、ある事件を起こして収監され、出所して間もない黒人青年ドリス(オマール・シー)は、大富豪で、パラグライダーの事故で、全身まひの車イス生活を凝る、インテリでシニカルだが思慮深いフィリップ(フランソワ・クリュゼ)の介護宅に応募する。
介護といっても、フルタイムだ。
ドリスは、失業手当に必要な証明書が欲しくて、求人に応募しただけで、本当に働く気などなかったのに、何故か採用されてしまった。

そこから始まった、異文化二人のセット生活は、超エリートのきちっとしたフィリップと、勝手気ままで行儀もわきまえないドリスとの対照がチグハグだ。
高級スーツとスウェット、文学的な会話と下ネタといった調子で、全てにわたって二人の世界は衝突し続ける。
ところが、やがてお互いを受け入れ、とんでもないユーモアに富んだ、最強の友情が生まれ始める。
その友情関係は、周りの人々、さらには彼ら自身の運命までも変えていくのだが・・・。

人生とは、かくも予測不可能で、しかも心揺さぶられるものなのだろうか。
車椅子に乗っているしかないフィリップが、ドリスの奔放で気ままな行動を見ているだけで、心が救われ、生きる欲望を感じ取っていく。
そして、自分のことしか考えていなかった手前勝手なドリスも、フィリップの介護をして生きることで、人生に新しい意味を感じ始める。

ブラックジョークが飛び交う中での、車椅子に座りきりのクリュゼの役は、抑制のきいた演技と寡黙なセリフで、幸福感に満ちた‘奇跡’を披露する。
二人の世界は、衝突し続けながら、ユーモラスな友情を育んでいく。
しかし、笑いと冒険の日々を送る二人に、別れは突然やって来る・・・。

フランス映画「最強のふたり」は、フランスで大ヒットした時、折しも経済危機の時期だったそうだ。
二人の監督が作った男の友情物語が、いつの間にか和解の物語になっている。
金持ちも貧乏人も、こんな風に垣根がなく、時にはあっけらかんと共存できる社会には、明るい希望も持てるというものだ。
このフランス発のヒューマンコメディ、早くもハリウッド・リメイクが決まっているそうだ。
ただ、あえて対照的な主役二人のアンバランスの妙は、ちょっとくどすぎて、いささか食傷気味、Non,Merciだ。
    [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「プロメテウス」―前人未踏の宇宙の彼方に人類の起源を探し求めて―

2012-09-16 15:00:00 | 映画


 リドリー・スコット監督の、壮大にして深遠なSF大作の誕生だ。
 人類の永遠の疑問は、人類はどこから来たのかということだ。
 その根源的なテーマと、その謎を解き明かそうとする、衝撃のドラマだ。

 この作品は、生命の起源というとてつもないテーマに挑戦した。
 地球が生まれてから、生命が誕生するまでの間、この惑星に異星の文明が一度も訪れていなかったとしたら、地球は一体何をしていたのだろうか。
 それが、鬼才リドリー・スコット監督が、驚愕の映像世界を創造した理由である。
 「プロメテウス」とは、ギリシャ神話に登場する神のことで、人間に火を贈ったプロメテウスは、他の神々の怒りを買い、悍ましい罰を受けた。
 そんな壮絶な運命をたどった神々の名を冠した、プロメテウス号のクルーは、宇宙の果てでいかなる真実にめぐり逢うのか。


      
2093年・・・。

科学者エリザベス(ノオミ・ラパス)は、地球上の、時代も場所も異なる複数の古代遺跡から、共通のサインを発見した。
それを、知的生命体からの‘招待状’と分析した彼女は、巨大企業ウェイランド社に出資した宇宙船プロメテウス号で、地球を旅立つ。

2年以上の航海の果てに、未知の惑星にたどり着いたエリザベスや、冷徹な女性監督官ヴィッカーズ(シャーリーズ・セロン)、精巧なアンドロイドのデヴィッド(マイケル・ファスベンダー)らは、砂漠の大地にそびえたつ遺跡のような建造物の調査を開始した。
やがて、遺跡の奥深くに足を踏み入れたエリザベスは、地球上の科学の常識では計り知れない、驚愕の真実を目の当たりにするのだった・・・。

宇宙船には、ウェイランド社から秘密の任務が託されていて、乗組員たちはそれに翻弄され、さらには未知の生物からの攻撃にさらされる。
オープニングは、人類の起源から未来へと切り替わり、哲学的なシーンを挟んで、スコット監督のこだわりの映像が美しい、立体パノラマだ。
エンターテインメントとして、出色の出来といってもいい。

映画は、冒頭からぞくぞくするような展開だ。
人類の起源をめぐる壮大な謎と世界観に、圧倒される。
ドラマの中にいくつもの謎を散りばめながら、息詰まるスリルとともに展開する神秘的な映像世界から、もう目が離せない。
まさに、エピックミステリーだ。
惑星のロケーションなど、幻想的なビジュアルも見ごたえは満点で、観る者の知的好奇心がくすぐられる。
深遠なミステリーから、圧巻のアクションまで、あらゆる要素を飲み込んだ戦慄と衝撃を体験する。

リドリー・スコット監督アメリカ映画「プロメテウス」は、オリジナリティのあふれるストーリーとスピード感満点のアーティスティックな映像で、随所に散りばめられた謎解きもすべてが想像外で、驚きの楽しさでもある。
「人類の起源」をビジュアル化した作品だ。
「パンドラの箱」は開けてはならなかったが、それが開いたとき、まだ何も知らない人類は全てを目撃することになる。
この宇宙に知的生命体は人類だけであるはずがないとする、リドリー・スコットの主張に、それがたとえ仮説であっても夢は大きく膨らむが・・・。
人間の想像力を刺激して、娯楽度は満点に近い。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「るろうに剣心」―斬れない刀に誓った流浪人の物語―

2012-09-14 22:00:00 | 映画


 動乱の幕末に、神よりも速く、修羅よりも強いといわれた伝説の志士がいた。
 かつて、人呼んで“人斬り抜刀斉”・・・彼が一度剣を抜いたら。生き残るものはなかった。
 その抜刀斉が、明治という新しい時代の訪れとともに、姿を消した。
 そして、その伝説だけは残った・・・。

 和月伸宏のベストセラーコミックが、大友啓史監督で初の実写映画作品となった。
 人を想いやる心、優しい笑顔、少年のような華奢な身体と長い髪、しかし時に眼光だけは鋭かった。
 一対多数戦でも、瞬時に相手を制するが、ただひとつ、どんなに相手が悪人であっても不殺(殺さず)の誓いに従って、命だけは奪わなかった。
 鬼気迫る抜刀斉と、優しい笑顔の剣心の、二つの顔を持つ男が暴れまくる。




      
明治になって10年、東京に“人斬り抜刀斉”と名乗り、手当たり次第に人を斬る男が現われる。
無謀にも、一人でその男に立ち向かう神谷薫(武井咲)を助けた男、彼こそが、幕末に正真正銘の“人斬り抜刀斉”として恐れられていた、伝説の剣客・緋村剣心(佐藤健)その人であった。
抜刀斉は姿を消したかに見えたが、新しい時代を迎えると、剣心と名をかえ、「不殺(人を殺さず)」の誓いを立て、斬れない刀=逆刃刀を手に、人を助けるべく浪人として旅をしていた。

薫が亡き父から引き継いだ神谷道場に、剣心は居候することになるが、ニセ抜刀斉の正体は鵜堂刃衛(吉川晃司)で、実業家・武田観柳(香川照之)の用心棒だとわかった。
観柳は、女医の高荷恵(蒼井優)に作らせていた阿片で得た莫大な金で、武器を買い、世界を支配しようとしていた。
元新選組で今は警官となった齋藤一(江口洋介)が、観柳の陰謀をかぎつけるが、金で買った絶大な権力には手が出せない。
邪悪な計画の手始めに、神谷道場一帯を手に入れようとした観柳は、罪もない人々の命を奪おうとする。
そして、苦しむ人々を見た剣心は戦いを決意する・・・。

大友啓史監督といえば、ハリウッドで学び、「竜馬伝」「ハゲタカ」で圧倒的な才能を見せた。
主役の緋村剣心を演じる佐藤健は、「竜馬伝」で岡田以蔵を好演し、この作品に抜擢された。
大友監督は、もしも以蔵が明治も時代に生き残っていたら?という見方から、適役としてキャスティングしたのだそうだ。
人気上昇中で、今後の活躍が楽しみだ。

作品は、殺陣やアクションが多くそれなり楽しめるが、主人公の生きていく目的は、大切な人たちが平和に暮らせる時代を作ることだというが、ドラマにその心意気がどうも思ったほど伝わってこない。
肝心の心理描写が、弱い。
コミック原作だからか、脚本もセリフもいまいちの感じでゆるい。
やはり、マンガはマンガでしかないか。
さんざん人を斬ってきた主人公が、贖罪を求めて、斬れない刀「逆刃刀」を持ってこの世の悪に立ち向かう、このアイデアは面白い。
斬れない剣で、人を守る。そう、斬れない剣で・・・。
敵を殺さずに人を守れるかというテーマも、原作を踏襲しているようだ。

大友啓史監督作品「るろうに剣心」は、全くオリジナルのアクション映画として観る分には、まあ楽しめる。
映画の出来、不出来は別として、キャスティングはなかなか贅沢だ。
だが、13年の時を経て実写化されたこの作品を観て、何故いま「るろうに剣心」なのかというのも、正直な気持ちだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「キリマンジャロの雪」―たとえ貧しくても優しい心さえあれば―

2012-09-12 11:00:00 | 映画


 海と太陽の街に息づく、庶民の温もり・・・。
 私たちは、決して一人ではない。
 ロベール・ゲディギャン監督の、マルセイユを舞台にしたフランス映画である。
 文豪ヴィクトル・ユゴーの長編詩「哀れな人々」から、着想を得たといわれる。
 この詩は、5人の子供を抱えた貧しい漁師夫妻が、隣家の孤児2人を引き取るまでの話だったが・・・。

 映画の方は、どんなに厳しい状況の下でも、人は人を思いやることの大切さを描いたヒューマンドラマだ。
 ロベール・ゲディギャン監督は、長年連れ添ってきた夫婦が、思わぬ犯罪に巻き込まれ、苦しみ、困っている人には手を差し伸べずにはいられない、人と人のつながりを優しく語りかける、心温まる物語を誕生させた。





      
マルセイユの港町に住む、ミシェル(ジャン=ピエール・ダルッサン)とマリ=クレール(アリアンヌ・アスカリッド)は、結婚30周年を迎える熟年夫婦である。

ミシェルは、労働組合の委員長として闘う道を歩んでいる。
子供たちもそれぞれ独立し、幸福な生活を送っていた二人だったが、夫はリストラにあい、強盗に入られるという事件が起きる。
しかも犯人は、ミシェルと一緒にリストラされた、元同僚の青年だったのだ。

ミシェルは、労働者としてみんなと連帯してきたという信念が揺るがされ、妻は初めて目にする夫の気弱な姿にショックを隠せない。
しかし、ミシェルの同僚の犯人は、幼い二人の弟を抱え、借金に行き詰まっての犯行だったことが明らかになった。
犯人が、子供たちを苦労して育てていると知った夫婦は、次第に怒りから別の感情に変わっていき、意外な行動に出るのだった・・・。

ミシェルがリストラされることになったとき、子供や職場の仲間たちから、夫婦にキリマンジャロへの旅行券をプレゼントしてくれたが、それさえ奪われてしまっていたのだ。
でも、盗んだ犯人の境遇を心配するなど、人がいいといってしまえばそれまでだが、失われた絆は編み直せばいいという夫婦の姿には、美しい庶民感覚と素朴なヒューマニズムがあふれている。
そこには、人間の本質への信頼感がのぞいている。

映画のタイトル「キリマンジャロの雪」は、ヘミングウェイの短編小説から取られたものではなく、1966年にフランスで大ヒットしたシャンソンのタイトルからのもので、切なく美しいメロディは、遥かに遠くキリマンジャロへの憧憬をあらわしているといわれる。
主人公を演じるジャン=ピエール・ダルッサンは、人のいい小父さんといった感じで、好漢だ。
映画は一見社会派の装いだが、失業、友情、愛情、あるいは小さな罪といった、ありのままの人生をさらっと描き出して見せる、誠実な映画作りが感じられる。
フランス映画にも、地方発映画の流れがあって、ひとつの潮流を育んでいるようで好ましい。
この作品では、ドラマの中で炙り出される、労働者間の分断とそのことによる事件を描きながら、心優しい人情と風土への愛着が、ほんわかとした小品に仕上げている。
お互いを信じ助け合うという、ユゴーの信念が底流にあって、悪いことをした人間をも容認しようとする、人間の善意を前面に押し出して、この小さな庶民的な物語が熱い。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「かぞくのくに」―政治の非情によって引き裂かれる家族の物語―

2012-09-10 14:15:00 | 映画


 在日コリアン2世の、ドキュメンタリー作家ヤン・ヨンヒ監督が、自身の実体験にもとずいて脚本を書いた。
 監督初の劇映画にして、れっきとした日本映画だ。
 作品は、北朝鮮への帰国事業の帰趨を通じて、在日コリアン一家の翻弄される姿が描かれる。
 引き裂かれた家族、そこに疼く傷痕が、国家とは何かを考えさせる。

 ドキュメンタリーのようなドラマ構成で、その演出は観るものの心に、鋭く突き刺さるものがある。
 気鋭の映画作家ヤン・ヨンヒ監督の、きわめて刺激的な作品である。









       
1997年夏のある日・・・。

物語は、在日朝鮮人2世で、日本語学校の講師をしているリエ(安藤サクラ)が心待ちにしていた、兄ソンホ(井浦新)の帰国のシーンから始まる。
ソンホは、70年代に「帰国事業」によって北朝鮮に移住していたが、病気療養のため、特別に3か月間だけ許可を得て日本に戻ってくるのだ。
リエは幼い時にソンホと別れたきりだったから、それは、25年ぶりの帰還であった。
リエと両親(津嘉山正種、宮崎美子)はソンホを歓迎するが、彼には、どこに出かけるにも見張り役としてヤン(ヤン・イクチュン)がいつも付きまとうのである。

25年ぶりの再会、久しぶりの家族団欒に、眩しい笑顔が並ぶ。
奇跡的な再会を喜ぶ一方、ソンホの治療のための検査が行われる。
しかし、担当医から3カ月では治療できないといわれる。
父は滞在延長を申請しようとし、リエは違う医者を見つけようと頑張る。
そんな矢先のことだった。
本国から、ソンホに「明日直ちに帰国するように」との指令が来たのは・・・。

帰国事業とは、1959年から20数年にわたって続いた、日本から北朝鮮への集団移住を指すのだが、北朝鮮を地上の楽園とした啓蒙やマスコミ報道に、日本社会での民族差別や貧困に苦しんでいた9万人以上の在日コリアンが渡った。
その多くは“南”の出身者だそうで、その妻や子供など、日本の国籍を持つものも多かったのだ。
いまだに国交のない日本と北朝鮮だから、帰国者たちの日本への再入国はほとんど許可されていない。

ソンホは“北”へ連れ戻されると、二度と日本へは戻って来られないのだ。
ドラマの終盤で、妹のリエが監視役のヤンに投げつける言葉が効いている。
「あなたも、あんな国も大っ嫌いよ!」
ヤンは答える。
「あなたの嫌いなあの国で、お兄さんと私は生きているんです。死ぬまで生きるんです」
理由も告げられず、いきなり明日帰国せよと言われ、家族の誰もが、何故、どうしてと詰め寄る。
それに対して、兄ソンホが無表情で言うセリフが、「理由なんて、ない。そういう国なのだ」
この会話のやり取りが、胸にこたえる。

選択の余地のない、思考停止の社会に生きる兄と、生まれたときから自由に生きてきた妹、引き裂かれる兄の父母・・・。
この家族を通して見えてくるものは、それぞれが背負ってきたもの、思想や価値観の違いだが、その底流にあるものは「人はどう生きていくのか?」という鋭い問いである。
最近女優として頭角を現してきた、映画監督奥田瑛二を父に持つ、安藤サクラの演技がとくに光っている。
韓国映画「息もできない」(08)では監督・主演をつとめた、監視役のヤン・イクチュンの演技にも、非情な政治の中に生きる者の悲しさがにじむ。
ヤン・ヨンヒ監督の、映画「かぞくのくに」は、家族の出会いと別れの悲しみを綴った、感動的な作品となっている。
北の監視員も、在日コリアン一家も、誰もが苦しみもがいている。
シナリオも綿密によく練られており、監督自身の体験が、挿話としてもいたるところで生かされている。
見応えのある、社会派の秀作ではないか。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点