徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「Virginia ヴァージニア」―過去と現在の二つの殺人事件をめぐって―

2012-12-30 23:00:00 | 映画


この作品では、妖気漂う神秘的な世界が展開する。
「ゴッドファーザー」3部作や「地獄の黙示録」で輝かしい作品の数々を作り上げてきた、フランシス・F・コッポラ監督が、推理作家エドガー・アラン・ポーを題材に描く妖しいミステリーだ。
注目すべきは、コッポラ監督の娘ソフィア・コッポラが、妖艶な謎の少女として登場することだ。

これはもう、オカルト的な映画芸術の世界だ。
二つの殺人事件のカギを握るのは、少女Vである。
人は、このような怪異なドラマをゴシック・ミステリーとも呼んでいるようだが・・・。










     
ミステリー小説かボルティモア(ヴァル・キルマー)が、サイン会のために訪れた、アメリカ郊外のとある奇妙な街・・・。

そこには、盤面が7つもある“呪われた”時計台が街にそびえたち、狂気を象徴するかのようだったが、それ以外は何の変哲もない街であった。
その街でつい数日前に、胸に杭を打たれた身元不明の少女が発見されたばかりだった。
彼は、ミステリー好きの保安官ボビー・ラグレインジ(ブルース・ダーン)に、この事件を題材にして小説の共著を持ちかける。

ボルティモアは、かつてエドガー・アラン・ポーが宿泊したとされるチャリング・ホテルで起きた、凄惨な殺人事件を知る。
作家は、謎の少女V(エル・ファニング)の誘われ、ときにエドガー・アラン・ポーの幻影に導かれながら、現在と過去の二つの事件の真相を紐解いてゆく。
その先に、予想しようもない結果が待ち受けているとも知らずに・・・。

巨匠コッポラは、何とも妖しく幻想的な世界へと、観る者をいやがうえにも引きずりこんでいくのだ。
過去と現在の殺人事件を、夢と現実の間で巧みに交錯させながら、平行し、紐解いていくという、小説世界を絵にしたような構造がまたやや不可思議である。
少女と子供たちの幽閉されている教会、そこに戯れる彼ら、そして不気味な恐怖の中に耽美と妖気の漂う世界・・・。
少し気味が悪いが、少し面白い。
夢とうつつの世界をさまよいながら、やがて充満する残酷な暴力の匂いは、何だろうか。

アメリカ文学で有名なエドガー・アラン・ポーの死と憂愁の美学は、この作品の中でもいかんなく発揮されている。
作品では、夢の中でポーに道を教えられる小説家ボルティモアだが、コッポラ自身も、このミステリーの製作過程でポーに道を教えられたようだ。
ポーの幽霊は、若くして亡くなった彼の妻ヴァ―ジニアなのだそうだが、少女Vとつながるものがある。
残酷さ、危うさ、神秘的な謎と雰囲気に彩られたこの映画の世界は、幽明相接するミステリーの形をとって、どこまでも妖しく迫ってくるのだ。
アメリカ映画「Virginia ヴァージニア」は、巨匠新生フランシス・F・コッポラ監督エル・ファミングが誘う、妖しきミステリー・ワールドなのだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

 ブログ上に取り上げない作品もあるのですが、この作品が、今年の締めの1本となりました。
 今年も、いろいろな映画を、独断と偏見(?!)で取り上げてきました。
 映画だけではなく、そのほか社会諸々のことどもを、見たまま感じたまま、つれづれなるままに綴らせていただきました。
 もう数時間で、新年を迎えます。
 来年は、どんな作品を観ることになりますか。
 どうぞ良い年をお迎えください。
 有難うございました。

 


映画「ホビット 思いがけない冒険」―あの壮大な物語の前日譚―

2012-12-23 12:00:00 | 映画


 数々のファンタジーの源流は、この作品から始まったといわれる。
 あの「ロード・オブ・ザ・リング」が完結してから9年たって、この伝説と冒険の物語は、ピーター・ジャクソン監督によって映画化された。

 これは、一連のシリーズの三部作の実は第一弾というわけで、「ロード・オブ・ザ・リング」のさらに60年前の世界を舞台に描かれている。
 希代の作家J.R.R.トールキンが世界中の民話や伝説をもとに記した、ホビットやドワーフといった、人間とは異なる種族の活躍する物語である。
 魔法やモンスターが登場し、後に「指輪物語」に引き継がれ、3Dで感じる冒険ファンタジーは、観る者をぐいぐいとひきつけていく、魅力たっぷりの娯楽映画だ。







        
台は、人間やホビットなど様々な種族が共存する“中つ国”(ミドルアース)だ。
その村で、悠々自適の生活を送っていたホビットのビルボ(マーティン・フリーマン)のもとに、魔法使いのガンダルフ(イアン・マッケラン)が訪れる。
彼は、邪竜スマウグに支配されたドワーフ王国を、そこを追い出された13人のドワーフ族とともに奪還するべく、ビルボを旅の仲間に加えようとしていた。

最初は懐疑的だったビルボだが、伝説的な戦士トーリン・オーケンシールド(リチャード・アーミティッジ)らの旅の仲間に加わり、危険極まりない荒れ野を進んでいくのだった。
それこそが、思いがけない冒険の旅立ちだったが、目的地を目指してドワーフたちと旅に出たホビットは、狡猾で邪悪な種族であるコブリンの住む洞窟を見つけるのだった。
ビルボはそこで、彼の人生を変えてしまう生き物ゴラムと出会い、彼には知る由もない「中つ国」の運命を握る「指輪」を手に入れることになる・・・。

架空の種族や魔法使いの住む「中つ国」で、小柄で心優しいホビット族のビルボや勇ましい戦士たちとともに、壮大な冒険を繰り広げていくドラマだ。
「中つ国」というのは神話の世界だが、ここを舞台とするこの物語は、おとぎ話のドキュメンタリーの様相を呈している。
観ている者は、このドラマの繰り出す神秘性を存分に味わうことになる。

ピーター・ジャクソン監督アメリカ映画「ホビット 思いがけない冒険」は、期待以上の壮大な映像を満喫させてくれる。
これまで語られなかった指輪の秘密までを描き出すことで、作品の世界観も一味違ったものになっている。
出演者はほかに、長命なエルフの女王ガラドリエルを演じるケイト・ブランシェットら、あのCGで描かれる謎の生き物ゴラムは前作に続き、アンディ・サーキスが声とモーションを担当している。
見慣れた、面白いキャラクターだ。
まあ、さすがと思わせるドラマのファンタジックな映像に、フィクションと知りつつも、3Dならではの臨場感にあふれた映画で、大人も子供も楽しめる、この冬の一作である。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「今日、恋をはじめます」―少女漫画の王道をゆく胸熱き男女の恋模様―

2012-12-15 21:00:00 | 映画


 人気漫画家・水波風南の、ベストセラー・コミックを映画化した。
 古澤健監督の、甘酸っぱい純愛ラブストーリーだ。
 お下げ髪で、勉強だけが取り柄の超地味系の‘昭和の女’と、ドSキャラだが学年主席の‘超モテ男’・・・。

 全く正反対の二人の運命の出会いと恋愛、襲いかかる試練、そしてそれぞれの成長を甘く切なく描いた、青春純愛物語だ。
 二人の男女が、少年少女から大人へと移りゆく姿を綴っている。
 この作品から伝わってくるのは、若いひたむきさだ。
 そこは、少女コミックの世界だから、大人には物足りないのだが・・・。









       
日比野つばき(武井咲)は、真面目が取り柄のダサダサな女子高生だ。
そんな彼女が、高校入学式の当日、成績トップで学校一のイケメン・椿京汰(松坂桃李)と、隣り合わせの席になった。
しかも、クラスのみんなの前だというのに、突然彼にファ―ストキスを奪われて・・・。
そればかりか、京汰はつばきを「彼女にする」と言い出す始末だ。

つばきは、強引な京汰に反発しながらも、彼の優しさに触れて、次第に彼を好きになっていく。
やがて、初めてのデイト、初めての恋へ・・・。
つばきは、恋することで少しずつ変わっていく。
京汰も、自分に直球でぶつかってくるつばきの姿に、本当に惹かれはじめる・・・。

高校最初の夏休み、星空の綺麗な天文台で二人は心を通い合わせる。
二人は、来年のクリスマス・イブに、同じ場所で会うことを約束する。
そして、つばきは思い切って、京汰に生まれて初めての告白をする・・・。

この種の作品は、どうも歯の浮くようなセリフが気にかかって仕方がないが、それも若者の独特の純粋さというべきか。
年齢を問わずに、多くの女子が夢見る、純粋な恋があるものだ。
どろどろとした大人の恋と違って、十代の恋というのは、どこか心拭われるような、ピュアな感じだ。
累計900万部を超える、少女マンガの映画化だが、ラブロマンスの王道を行く作品は、若い男女には胸がキュンとなるドラマだろう。
人気アイドル二人の共演に惹かれる、若者もいるだろう。

ヒロインつばきの持つ「女子力」というヤツが、同級の女子たちの反感を買うが、それも一気に好感へと変化させてしまう。
直球もいい。ひたむきなのもいい。
何事も勇気をもって、挑むのもいい。
武井咲は、真直ぐでひたむきなつばきを魅力的に演じている。
京汰役の松坂桃李も、少女コミックの王道男子を結構楽しんでいるみたいだ。

映画に登場するヒロインのファッションは、「女の子」の変身、変化が見られて、いろいろとカラフルで面白い。
こちらは、衣装を担当する奥瀬麻美が、ドラマ演出のスタイリストとして一役買っているからでもある。
音楽の方も、12ものアーティストがテーマ曲を担当しているというし、その面から見れば、「恋する音楽映画」とも・・・。
古澤健監督映画「今日、恋をはじめます」は、胸キュンドラマの好きな若者のハート向きでも、中高年にはどうか。
いや、どうも・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「007 スカイフォール」―ドラマ誕生から50年目の第23作―

2012-12-11 17:00:00 | 映画


 ジェームズ・ボンドも、初代ショーン・コネリーから数えて、6代目のダニエル・グレイグだ。
 この国民的娯楽シリーズも、時代を超えて、様々な変遷を経てきた。
 初代ボンドを愛する人も、多いことだろう。

 007シリーズ第一作がイギリスで封切られたのは、1962年10月のことだから、今年はちょうど50年目にあたる。
 シリーズ史上初のアカデミー賞監督となるサム・メンデは、人間の内面を深く描くことに定評があるが、ここでは原点回帰しつつ新味を追求した娯楽作品を作りあげた。












       
ドラマは、トルコ・イスタンブールから始まる。
イギリス諜報機関MI6の諜報部員ジェームズ・ボンド(ダニエル・グレイグ)は、NATOの極秘情報を収められたハードドライブを奪った男パトリス(オラ・ラパスを追う。
ボンドは敵と格闘中に、味方の誤射により列車の上から下の川に転落する。
誰もが彼の死を疑わなかったが、ボンドは奇跡的に命をとりとめ、MI6がサイバー攻撃を受けていることを知り復帰する。
だが、それは極めて危険な賭けであった。
ボンドは、肉体的にも精神的にも、現場に復帰できる状態ではなかったのだ。

・・・にもかかわらず、上海空港でパトリスを発見したボンドは、高層ビルでの激しい格闘の末にパトリスを倒し、事件の黒幕の正体を知る手掛かりとなったマカオのカジノ・チップを手に入れる。
そこで、ボンドは謎めいた美女セヴリン(ベレニス・マーロウ)と知り合う。
事件の黒幕を殺すことを条件に、セヴリンはそのアジトへ案内すると約束する。
彼女の監視役たちを倒したボンドは、船でマカオ沖合に浮かぶ島デッド・シティへと向かうのだが、船員たちに拘束される。
島でボンドの前に現れたのは、元イギリス諜報部員で、MI6の部長Mの腹心だったシルヴァ(ハビエル・バルデム)だった。
かつて、中国での任務遂行中にMが自分を裏切ったと信じている彼は、Mへの復讐のためにMI6本部に攻撃を仕掛けたのだった・・・。

ジェームズ・ボンドは‘伝統’と‘革新’の対立する中、幾多のエージェントの威信をかけて、はじめは姿の見えない敵を追いかける。
007シリーズといえば、毎回おなじみのアクションが見せ場となる。
今回は、イスタンブ-ルの街中を13分間も駆け抜けるシーンもある。
ボンドは一度死んでも再生する。
アクションはハードだが、ユーモアは相変わらずである。
はったりも、荒唐無稽も健在だ。
マカオからロンドンへ、そしてボンドの過去の秘密を握る地で迎えるクライマックスまで、目が離せない痛快さだ。

悪役シルヴァを怪演の、オスカー俳優ハビエル・バルデムに存在感がある。
映画産業は、いま激動期にあるといわれる。
そんな中で、一人の男を主人公とした映画を、シリーズとして50年もの長い間作り続けることは並大抵ではない。
時代の変化で低迷の時期もあったが、それを乗り越えて、007を産み育ててきた創造者もよくここまでやったものだ。
サム・メンデス監督イギリス映画「007 スカイフォール」は、娯楽作品として存分に楽しめる。
世界中を股にかけて描かれる、このアクション映画には、見飽きぬ面白さがある。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点



映画「危険なメソッド」―二人の偉大な精神分析学者と女性患者との禁断の関係―

2012-12-09 12:15:00 | 映画


偉大な心理学者ユングとフロイト、そして彼らの運命を変えた美しい女性患者ザビーナ・・・。
人間の“精神”という領域に果敢なまでに踏み込んで、その解明に生涯を捧げた二人である。
この二人の偉人が残した精神分析の研究は、心理学や医学の世界に新たな光をもたらし、その後のアートや思想など、社会全般に大きな影響を残したといわれる。

若き日のユングを主人公に、フロイトとの出会いから今の蜜月の時代まで、そして決別までの軌跡をたどった、ヒューマン・ドラマだ。
映画史には、まるで前例のない企画だった。
それに、この作品が興味深いのは、歴史上に実在した女して、もう一人の人物、ユングの患者であり愛人でもあった、ロシア系ユダヤ人女性サビーナ・シュピルラインを登場させていることだ、
美しく聡明な、しかし過激な情動を内に秘めた、運命の女を描くことで、禁断のトライアングルで結ばれた、ユングとフロイトの関係性をスリリングに描き出している。
このミステリアスな史実の栄華かに挑戦したのは、デヴィッド・クローネンバーグ監督だ。
イギリス・ドイツ・カナダ・スイス合作作品だ。
      
1904年、チューリッヒの病院に勤める精神科医カール・グスタフ・ユング(マイケル・ファスベンダー)は、精神分析学の大家ジークムント・フロイト(ヴィゴ・モテンセンの提唱する「談話療法」に刺激され、新たな患者ザビーナ・シュピルライン(キーラ・ナイトレイ)に、その斬新な治療法を実践する。

ザビーナは、激しいヒステリー症状をあらわにするなど、精神に問題を抱えていたのだった。
まもなくユングは、ザビーナの幼少期の記憶をたどり、彼女が抱える性的トラウマの原因を突き止めることに成功する。

しかし、医師と患者の一線を越えてしまった二人は、秘密の情事を重ねるようになり、ザビーナをめぐるユングの心の葛藤は、フロイトとの友情関係にも亀裂を生じさせていく。
ユングには、貞淑な妻がいたが、それよりもはるかに魅惑的なサビーヌとの“危険なメソッド”に囚われ、欲望と罪悪感の狭間で激しく揺れる。
そして、彼自身も想像しえない、痛切な運命をたどっていくのだった・・・。

ユングはサビーナとの危険な情事を重ねるうちに、フロイトとの師弟関係に亀裂を生じ、無神論者であったフロイトの頑なな“性”に執着する理論と、神秘主義的な分野に傾倒するユングの考え方は、だんだん相容れないものとなっていった。
医師としてまた夫として、罪悪感にもがき苦しむユングは、断腸の思いでザビーヌとの関係をに終止符を打つことを決意する。

ユングもフロイトも、二人とも心の専門家だが、自分自身の心に関しては、怖ろしく無知だったのだ。
偉大な精神医学の専門家にして、こんなことがあったとは意外だ。
心の奥底に眠る感情を炙り出す、「言語連想テスト」や、ユング、フロイトが意見交換する「夢分析」シーンなど、知的好奇心を刺激するエピソードが満載だ。
つまりは、二人の心理学者の偉大な功績の背景には、美しい女性患者との、禁断の愛が隠されていたということだ。
精神を病むザビーナを演じる、キーラー・ナイトレイがしっかり熱演だ。
総じて、ややドラマが固く、ここでは論理的思考も大切だが、女性患者ザビーナと二人の織り成す愛と友情、野心と挫折、欲望と嫉妬のドラマは、この作品にに凝縮されている。

愛は許されない。
心は測れない。
無意識、談話療法、言語連想テスト、リピドー(性衝動)、夢判断、超心理学といった、精神分析に関する専門用語の飛び交う中で、ユングとフロイトの軌跡をたどりながら、史実にもとづいた、デヴィッド・クローネンバーク監督「危険なメソッド」に、改めて驚くのである。
少し難解な部分も・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


素晴らしきかな映画音楽―モーリス・ジャールと「ドクトル・ジバゴ」―

2012-12-05 09:15:08 | 映画

「午前十時の映画祭」で、アメリカ・イタリア合作映画「ドクトル・ジバゴ」を観た。
旧作(1966)だが、スクリーンで見るのは三度目だ。
若い世代には、知らない人がいるかもしれない。
日本公開は1966年6月だったから、もう半世紀近く前のことである。

この3時間20分の大作は、テレビのミニシリーズとしても二度リメイクされているし、もちろんDVDもあるので、原作の持つ壮大な物語を楽しんだ人は多いはずだ。
ロシアの詩人ボリス・パステルナーク(1891-1960)の原作で、ノーベル賞受賞するが、作品は政治的な問題で受賞は辞退された。
ロシア革命に運命を翻弄される男女の姿を描いた、大河小説だ。
「アラビアのロレンス」(62)に続く、デヴィッド・リーン監督の人間ドラマで、「アラビアのロレンス」と本作「ドクトル・ジバゴ」は、ともにモーリス・ジャールが音楽を担当しており、アカデミー賞音楽賞に輝いた。
どちらもドラマはもちろんのこと、本作の「ラーラのテーマ」として親しまれている、この音楽がまた素晴らしいのだ。
よき映画は、またよき音楽とともにあるようだ。
           
19世紀末、ユーリー・ドクトル・ジバゴ(オマー・シャリフ)は、医学の勉強をしながら、詩人としても知られるようになった。
幼い頃両親を失い、科学者グロメーコに引き取られた彼は、その家の娘トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)を愛していた。
二人の婚約発表のパーティーの日、近所に住む仕立て屋の娘ラーラ(ジュリー・クリスティ)は、弁護士のコマロフスキー(ロッド・スタイガー)の誘惑から逃れるため、彼に発砲するという事件を起こした。

ラーラは、帝政打倒の革命に情熱を燃やす学生パーシャを愛していた。
1914年、ロシアは第一次世界大戦に突入し、ジバゴは従軍医師として従軍した。
その戦場で、看護婦として働くラーラと再会した彼は、彼女がすでにパーシャと結婚したのを知り、自分もまた家庭を持っていたが、ラーラへの愛をどうすることもできなかった・・・。

こうして二人は、激動の波に翻弄されていくのだが、この映画のテーマ音楽「ラーラのテーマ」素晴らしい。
ドラマは冒頭、スクリーンに何も映されないまま、序曲(5分)があり、途中間奏曲(インターミッション)を挟んで、3時間20分の長尺である。
見応えのある作品で、初公開時の感動を今も覚えている。
素晴らしい映画は、素晴らしい音楽とともにあるものだ。

モーリス・ジャール(1924-2009)は、フランス・ソルボンヌ大学からパリ音楽院に移り、作曲と和声を学び、パーカッションを専攻した。
デヴィッド・リーン監督は、「アラビアのロレンス」続いて「ドクトル・ジバコ」のテーマ曲を選ぶにあたってさんざん悩んだそうで、どうしても、オーディションでは知名度の低かったモーリス・ジャールに気が進まなかったのだ。
しかし、デヴィッド・リーンは結局は意を決して彼の曲を選び、この曲をもってアカデミー賞に輝いたのだった。
映画は不朽の名作であり、このドラマはモーリス・ジャールの音楽に負うところが大きく、いまなお多くの人々に愛されている。
いまなお色褪せぬ、名画ぞろいの「午前十時の映画祭(何度見てもすごい50本)のうちの一本だ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


乱戦!衆院選冬の陣―吹き荒れる木枯らしの中を右往左往する政治屋たち―

2012-12-02 23:00:03 | 雑感

師走に入って、木枯らしの吹きすさぶ、毎日寒い日が続く。
いよいよ、今年も残り少なくなってきた。
今月16日は、気忙しい師走の総選挙である。

民主か自公か、それとも第三極か。
乱立する少数野党は、くっついたり離れたり実に慌ただしい。
政界の魑魅魍魎たちは、がさごそと音を立てて、あっちだこっちだと右往左往である。
この離合集散から、何が見えてくるか。

突如として現れた「日本未来の党」が、にわかに注目を浴びている。
「卒原発」を掲げているが、「脱原発」と明快に区別できているものではない。
嘉田由紀子代表は、小沢一郎氏率いる「国民の生活が第一」と合流した。
マスコミはいろいろととやかく言うが、政策面で大筋が一致するのであれば、合流大いに結構なわけで、国民には解りやすい。
「日本維新の会」や「太陽の党」(のちに解凍)やらの、小異を捨てて大同につくというのとは、慌てて公約を訂正するようで意味合いがかなり違う。
それは、勝手な変節というものだ。

民主か自公かの選択肢しかない時代は、終わっているのだ。
これからは、「未来」か「維新」かといっても過言ではない。
選挙民は、何を信じ、どの党を信じればいいのだろうか。
どの党も、勿論異説を掲げる党もあるが、公約ではおおよそ似たようなことばかりが並んでいる。
これでは、公約といっても、解り難い。
都合の悪いことには触れず、肝心のことはあいまいに濁した表現になっている。
どこまでは本音で、どこからが立て前か、論理の真贋を見極めるのさえかなり難しい。
後になって、いくらでもいいわけができるからだ。

実際、どの公約が信用できるかもわかり難い。それが一般の見方だ。
となれば、選挙に際して、候補者の人物像を知らなければ、どうしようもない。
ところが、これがまた厄介だ。
その人間を知るというのは、とても大変なことだ。重要なことだから知りたいのだ。
それを誤るから、とんでもない政治が行われる。
事実、これまでがみなそうであった。
候補者選びを、愚かな私たちが間違っていたのだ。人を見る目がなかったということだ。
だから、政策はチャンポン、候補者はジャンケンポンだなどと、何をほざいている!なんて言うことになる。
民主も自公もどちらも駄目だとなると、結局ぐちゃぐちゃになってゆくというのか。
どっちにしたって、今度の選挙は大変な選挙になる。
その結果いかんで、戦後の日本の民主主義のありようが問われるし、大きな意義を持つことにもなる。

長かった自民党支配で腐敗しきっていた、政官界の癒着、利権の構造を絶つのだと意気込んだ民主政権も、何のことはない、ふたを開けてみれば元の木阿弥、自民に戻ってしまったではないか。
民主政権は、官僚主導を打ち破るなんて、手も足も出なかったのだ。
政権交代とは、いったい何だったのか。
政治の愚かさ、無能に泣く庶民こそ哀れである。
嘘つき、居座り、裏切り、それが、いまの政治の誤れる常道だから、呆れた話だ。
国会に就職しようとする政治屋は多くあれど、いまだ真の政治家がいないということだ。
何故ならば、真の政治家たるものは自分の利害得失を顧みずに、天下国家のためにおのが身を捧げる人を言うからだ。

「日本未来の党」の嘉田由紀子代表が、10年後の「卒原発」を打ち出すと、一方の「維新の会」は、エネルギー政策について、フェイドアウトなどと何だか意味の解らぬ言葉に自説をトーンダウンした。
公約の文言ひとつとってみても、他者の後を追い、追加し、訂正し、突然削除する。約束は破られる。
これも変節ではないか。
選挙も政治の始まりも、確かな哲学と理念があるなら、したたかであっていい。
政治は、大ナタを振るってこそ、改革につながる。
そういう、覇気と勇気と英断を持つ政治家のいないことが、いまの日本の最大の不幸である。
日本はどん底にある。

来たるべき総選挙では、どの党に、誰に、一票を投ずるか、よく考えて投票しないといけない。
どうしても、選ぶべき党もない、候補者もいないとなったら、どうしたらいいか。
選挙を棄権することは、避けるべきだ。
なすすべなく、その場合は、あまり勧められないが、白票でもいいから投ずるべきだ。それでも、まだ棄権するよりはいい。
・・・師走の風が、身に沁みる。
吹き荒れる木枯らしの向こうから、どんな日本の未来が見えてくるか。
ここにきて少しだけ、政治が面白くなってきたか。
しかしこれから、まだまだ、一波乱も二波乱もある。
風雲急を告げる、冬の陣である・・・。