徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「娘 よ」―遥かなる山岳地帯に繰り広げられる母と娘の逃走劇―

2017-05-31 16:00:01 | 映画


 愛と友情を絡めた、スケールの大きな人間ドラマだ。
 パキスタンのある村で起きた実話をもとに、10年の準備期間を経て完成した作品だ。

 パキスタンに生まれ、アメリカで映画を学んだ女性監督アフィア・ナサニエルが、ダイナミックな映像と繊細な心理描写で全編を綴った。
 これまた非常に珍しい、日本初公開パキスタン映画である。
 そして、アフィア・ナサニエル監督のデビュー作でもある。




世界最大の山岳氷河地帯を抱くカラコルム山脈は、パキスタンとインド、中国の国境にまたがってそびえていた。

その山の麓には、数多くの部族が暮らし、絶え間のない衝突と融和が繰り返されていた。
そんな一部族に属する若く美しい母アッララキ(サミア・ムムターズ)は、10歳になる娘(サーレハ・アーレフ)と過ごす時間を生き甲斐にしていた。

ある日、他部族との紛争が起こり、それぞれの仲間、親戚が殺し合いに巻き込まれる。
だが、その部族間のトラブルを解決するために、ザイナブと相手部族の長老との結婚が決められる。
自らも、年の離れた老部族長の妻として差し出されたアッララキは、ザイナブの人生を守るために、母娘二人で逃げようと決心するのだった。
もしとらえられたら、己の命をもって償わねばならないことを覚悟の上だった。
幼いザイナブは、結婚が意味することをまだ理解していなかった・・・。

娘を思う母の心が、映画の核心にある。
自由を求める魂をめぐっての、普遍的なドラマだ。
殺害を企てる追手から逃れ、パキスタン流の「デコトラ」で、カラコルム山脈の息をのむような絶景の中を駆け抜ける、サスペンス・アドベンチャーだ。
壮大な自然と文化に彩られた緊迫のドラマは、世界中で数々の映画賞受賞した。
観客は、観ているうちに自然と物語に引き込まれていく。

この国が持つ家父長制とか、部族社会の因習も語られるが、決して堅苦しい感じはしない。
アッララキを演じるムムスターズの、意思の強い凜とした美しさが際立っている。
逃走する母親を助けようと、スリリングなカーチェイスを繰り広げるトラック運転手ソハイル役のモヒブ・ミルザーもなかなか魅力的だ。
メッセージ性の豊かさといい、しなやかな詩情もたっぷりと、エンターテインメントとしては上出来の作品である。

部族間に決して抗うことのできない鉄の掟があり、この掟に背く者には死が待っている。
知られざるパキスタン人の日常生活を描きながら、山岳地帯の部族間の一触即発の危機を孕んだ撮影はもちろん、目も眩むような切り立った岩壁など、スクリーンを通して伝わってくる緊張感はさすがだ。
無名の役者たちが多数出演し、治安が極度に悪化している中で、安全を確認しながら、全てのキャスト、スタッフで山道での撮影は困難を極めたそうだ。
冒頭の、夢と現実、希望と絶望の背中合わせに存在する主人公のクローズアップが、主人公の世界を象徴的に表している。
アフィア・ナサニエル監督パキスタン映画「娘 よ」では、パキスタンの声なき女たちの強い思いと尊敬が、哀しい歴史を重ねあわせ、この物語を紡いだ。
ドラマの中に、メロドラマ的な偶然が重なるなどご都合主義も散見されるが、大胆にして繊細な演出は冴えている。
冒険映画といってもよいが、作品には清々しい壮大さが溢れている。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は台湾映画「台北ストーリー」を取り上げます。


映画「たたら侍」―戦国時代を生きた若者たちの鮮烈な青春群像―

2017-05-27 14:00:00 | 映画


 乱世に抗い、自ら生きる道を求めて魂の彷徨を重ねる成長物語だ。
 日本人の持つ気高い精神とともに、雄大な映像で描かれる、現代的ともいえる時代劇である。

 1300年の時を経て現代に伝わる、唯一無二の鉄“玉鋼(たまはがね)”を生み出す製鉄技術を“たたら吹き”という。
 その伝統を守ることを宿命づけられた男が、侍にあこがれて旅に出る・・・。
 この若者たちを、人々は「たたら侍」と呼んだ。
 錦織良成監督は、従来の侍や時代劇のイメージを塗り替え、新しいビジョンを持ったダイナミックな映像として描き出した。
 真の侍を目指そうとした、日本の農民の姿がここにある。



戦国末期、1000年錆びない鉄を作るといわれる幻の村が、出雲の山奥にあった。
その村は「たたら村」といった。
古来から、門外不出の高度な鉄作り“たたら吹き”によって、貴重な鋼を作っていた。
天下無双の名刀を作り出すその鋼を求めて、刀匠はもとより、諸国の大名に取り入る商人たちも躍起となっていた。

“たたら吹き”を取り仕切る村下(むらげ)の息子伍介(青柳翔は、都から鋼を求めてやって来た宗兵衛(笹野高史)からそそのかされ、侍を目指して旅に出る。
しかしそこには、厳しい現実だけが待っていた・・・。

“たたら”といわれる古代から伝わる鉄作りの技法は、劇中でもこの製錬技法が詳しく再現されている。
ここもこの作品の見どころのひとつである。
作品の根底にあるものは、日本の“ものづくり”への深い誇りとリスペクトだ。
“たたら吹き”を受け継ぐことを宿命づけられた青年の姿を通して、真の侍とはというテーマを問いかけるとともに、世界が抱えている問題も物語に内包して描いている。

現代でも、世界最高の純鉄を生み出すといわれる究極の技「たたら吹き」・・・。
最新鋭の溶鉱炉を使っても、その純鉄はできないそうだ。
武士の魂である日本刀を作らなくてはならなかった「玉鋼」だが、この錆びない鉄は経験、勘に基づいた人間の五感のみで行われる「たたら吹き」でなくては出来ないのだ。
三昼夜、不眠不休で、炉の炎と向き合い、息吹を吹き込み、鉄をまるで生きもののように生み出すとされ、大地の命、森からの命を得て、「玉鋼」という命に、さらに刀匠によって侍の魂「日本刀」になるといわれる。
そこに関わるすべての人間もまた、命がけだ。
命を吹き込むとは、日本人のものづくり精神がそこに存在していて、かけがえのない日本の心を今に伝えていることだ。

今、世界情勢は不穏な空気に包まれている。
「真の武士道」を描こうとした錦織監督の意図は、そうした世界に起きている問題や苦悩とともにあり、それをここでは小さな村をめぐる戦いの中で例示して見せた。
いわば、現代の世界情勢の縮図として・・・。
錦織良成監督作品「たたら侍」は、時代を今に映した渾身の一作である。
映画は、力作のわりには地味でちょっと目立たぬ作品だ。
俳優陣はほかにも、津川雅彦、奈良岡朋子、田畑智子、宮崎美子ら多士済々だ。
エンディングに歌われる主題曲「天音(アマオト)(EXILE/ATSUSHI)が耳に残る。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はパキスタン映画「娘 よ」を取り上げます。


小さな新名所が誕生! 「鎌倉歴史文化交流館」―鎌倉散策のついでに―

2017-05-23 16:00:00 | 日々彷徨


 風薫る五月、鎌倉に小さいけれど新しい名所が誕生した。
 鎌倉市扇ガ谷に完成し、この15日から一般公開されている。
 鎌倉歴史文化交流館だ。

 鎌倉の古代から現代までの歴史を、約250点の出土品やジオラマ映像などで紹介している。
 晩年を鎌倉で過ごし、日本のシンドラーと称され、第二次世界大戦中にユダヤ人を救った外交官の杉原千畝の展示もある。
 この場所は、「赤尾の豆単」で知られる、以前旺文社創業者の赤尾好夫社長の旧邸宅で、建築設計はイギリスの著名な建築家、ノーマン・フォスター氏が手掛け、元の住宅設計に配慮しながら展示施設として改良したそうだ。

 鉄筋コンクリート造りの本館と別館とから成り、内部は壁で仕切られている。
 玄関から奥へ進んでいくと、外部の風景を取り入れながrら、館内が「暗」から「明」へ次第に明るくなっていくのがわかる。
 中世以来の鎌倉という土地の来歴を踏まえつつ、日本人の価値観に合わせた建築空間が興味深い。
 一部に光ファイバーが組み込まれた人造大理石や、廃テレビ管をを利用したガラスブロックといった特殊な資材が、随所に有効に使われている。
 明るい休憩室でくつろぐのも落ち着ける。
 出土展示品など小規模ではあるが、まだ開館したばかりで、これから図録なども整備していかねばならないと職員は話していた。
 
 JR鎌倉駅から徒歩7分くらい、銭洗弁天の近くだ。
 ここだけのためにわざわざ出かけていくには及ばない。
 鎌倉観光のついでに、立ち寄って見るのがいいかもしれない。
 静かな住宅地の奥にあって、日曜、休日は休館とのことだ。
  TEL:0467-73-8501
 次回は日本映画「たたら侍」を取り上げます。


映画「百日告別」―失われた愛と苦しみを乗り超えて彷徨する魂の行方―

2017-05-20 14:00:00 | 映画


 「九月に降る風」2008年)台湾トム・リン(林書宇)監督が、妻を亡くした自らの経験を映画化した。
 リン監督は2000年代後半に頭角を現した監督だが、長編第二作「星空」(2011年)を完成させて直後に、若き妻を病で失った。

 最愛の人を失ったとき、人は喪失感をいかに克服し、乗り越えていくことができるか。
 宗教的な香りも漂う作品だが、人間の愛別離苦を見つめながら、人生という旅路を生きようとする人たちが描かれる。




ある日、多重交通事故に遭ったシンミン(カリーナ・ラム)は、同乗者で婚約者のレンヨウ(マー・ジーシアン)を失った。
シンミンは数ヶ月後に、調理師のレンヨウとの結婚式を控えていたのだった。
遺族になれない彼女は、レンヨウと訪れることになっていた沖縄の新婚旅行に一人で出かける。
一方、この時の事故で、妊娠中だったピアノ教師の妻シャオウェン(アリス・クー)を助けられなかったユーウェイ(シー・チンハン)は、ピアノのレッスン料を返すため、妻の生徒たちの家を一軒一軒訪ねて回る。
ユーウェイは仕事も手につかず、ひたすら妻の面影を追い求めるばかりだった。
二人ともに、人生の羅針盤を失ってしまったかのようだった・・・。

同じ交通事故で、婚約者を失くした女と妻を失った男・・・。
心を閉ざし、愛する人の面影を追い求める二人だが、初七日、四十九日、百ヵ日と、日本と同じように仏教の忌日をたどりながら、二人の日常を見つめることを、命題として突きつける。
一人で行くことになった沖縄旅行で、婚約者に見立てた枕を抱いて寝るシンミン、ピアノ演奏会で隣の空席をじっと見つめるユーウェイら、小さな光を放つ断片の連なりに、リン監督は様々な感情の起伏を注ぎ込む。

家族や恩師、友人や教え子との出会いの中、愛する者が残したものに触れ、そして最後の法要、百ヵ日・・・、仏教は百日目を境に泣き止むようにと説いているそうだ。
100日後、最愛の人との忘れられない記憶とともに、最後の法要に向かうシンミンとユーウェイだが、深い沈黙に包まれた山道で二人の胸の去来するものは何だっただろうか。

互いに別世界で生きてきた男女が主役なのだが、この作品中で二人をともにとらえる場面は、ちょっとあるだけでほとんどない。
彼らの背後から撮るようなショットが、彼らの抱える孤独や苦しみを雄弁に物語っている。
トム・リン監督台湾映画「百日告別」は、深い優しさに包まれたヒーリング・シネマであることは解るのだが、二人の愛とその苦しみを語りながら、結局何を言いたかったのだろうか。
行く先がさだかには見えず、人生という旅路の行き着く先が霧の中にかすんでいる。
台湾の街並みや自然、沖縄の美しい海が印象的だ。
全編に流れるショパンのピアノ曲が心にしみる。
しかし、トム・リン監督が悟りきったように言う「死というのは生の一部である」という言葉を、完全に受け止めるのは難しい気がする。
        [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「八重子のハミング」―介護の現実を温かく見つめ誠実一途に生きたある夫婦の物語―

2017-05-17 13:00:00 | 映画


 若年性認知症の妻の介護記録をしたためた、陽(みなみ)信孝の同名原作を佐々部清監督が映画化した。
 人は自分の死はもとより、大切な家族の死を意識した時、何を思うであろうか。

 誠実と優しさが伝わってくる夫婦の物語である。
 迫りくる死の影を見据えながら、残された日々をともに歩む姿から、闘病、介護、家族の愛の形が浮き彫りにされていく。
 これは、人間の〈尊厳〉を描いた作品だ。



山口県萩市・・・。

元教師で神主をしている石崎誠吾(升毅)は、今は市の教育長を務めている。
彼は、認知症が悪化しつつある妻八重子(高橋洋子)を介護している。
八重子はひとりで外を徘徊するようになり、車にひかれそうになって、近所の主婦に助けられる。
誠吾は周囲の人々から非難される。
誠吾は仕事をきっぱりと辞め、残された日々を妻と歩むことにする。

夫の誠吾は、すでに記憶を亡くした妻といつもの川沿いの散歩道を行く。
音楽教師だった八重子は、夫が口ずさむ歌を聴くと、笑顔を取り戻すのだった。
介護12年、誠吾は八重子に長いお別れをする。
・・・八重子の死後、誠吾は妻の介護で経験したこと、感じたことを講演して歩く。
このドラマは、その誠吾の講演の部分から幕を開け、過去と現在を交錯させながら夫婦の軌跡を綴っていく。

この作品「八重子のハミング」佐々部清監督は、過酷な介護の実態を追うのではなく、身近な夫婦や家族のありかたを優しく問いかける。
それも、人々に支えられながらの妻の介護がどういうものであったかを、静かで優しい眼差しで描いている。
原作者が暮らす山口県萩市の街並みを背景に、夫婦の壮絶な日々がリアルに再現される。
とくに八重子を演じる高橋洋子は、1953年生まれのベテランだが28年ぶりの映画出演だそうで、静かなる怪演とでもいうべきか、鬼気迫る演技が胸を打つ。
想い出の歌に反応して微かに口ずさむところなど、夫婦に迫る最後の日々を幸せそうに見せる。
夫役の升毅も渋くて力強い演技で、二人そろって自然体で演じているのは好感が持てる。
暗く深刻になりがちな題材に、温もりを持たせて見せるあたり、工夫を凝らした丁寧な作品となっている。

夫の誠吾も、実はがんを患っている。
その誠吾が、食事はもちろん、トイレの介護も必要な妻の面倒をつきっきりで見るのは、目の前にいる大きな赤ちゃんを介助するようなものだから、もうそれは涙ぐましいほどだ。
笑える話ではない。
大変なことだ。
しかし、これが現実なのだ。

高齢化社会が進む中で、いま人々は自分たちの老後をどのように見据えていったらよいのか。
認知症の人々を優しく見守っていく社会は、この映画のようでありたいが、果して・・・?
切なく、辛いドラマである。
だからといって、絶望ばかりではない。
人間信頼の希望は生きている。
周囲の人々の温かい眼差しは必要だ。
老々介護を続けながら迎える、最期の時・・・。
この作品に見る二人はとても幸せそうに見えるが、いま同じような境遇に生きる人々が、すべて幸せな最期を迎えられるかどうか。
それは極めて難しい問題だろう。

8ミリフィルムの中でハミングする八重子は、平成の「千恵子抄」のようで、深く考えさせられる映画だ。
         [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は台湾映画「百日告別」を取り上げます。


映画「追 憶」―25年の歳月を経て交錯する7人の愛の行方―

2017-05-13 16:00:00 | 映画


 哀切のヒューマン・ドラマである。
 「駅 STATION」1981年)「鉄道員」(1994年)など日本映画に数々の名作を送り出した、降旗康男監督木村大作撮影監督の名コンビが組んだ、9年ぶり16作目の話題作だ。

 少年時代の記憶を封印した、3人の男に訪れる悲劇を描いた人間ドラマだ。
 ミステリー仕立てだが、この作品は謎解きを楽しむいわゆるミステリーではない。
 重い過去を背負った者たちが、その後の人生をどう過ごしてきたかを描く贖罪のドラマでもある。



1992年、冬の能登半島・・・。
親に捨てられた13歳の少年四方篤は、同じような境遇の田所啓太、川端悟の2人とともに、軽食喫茶“ゆきわりそう”を営む仁科涼子(安藤サクラ)と、店の常連客山形光男(吉岡秀隆)を慕い、ここに集まってきては家族のような日々を送っていた。
しかし、かつての涼子の男貴船(渋川清彦)が現われた日から、幸せな日々は崩壊し始める。
貴船は涼子のもとを頻繁に訪れるようになり、その度に篤たちと涼子の楽しい時間を、ずたずたに引き裂くのだった。
篤は涼子のささやかな幸せのため、ある決意をする。
彼は金属バットを手に、啓太や悟と一緒に、店の2階から降りてくる貴船を待ち構えた。
富山の漁港での殺人事件はこうして起きた・・・。


・・・3人は、事故のあともう二度と会わないことを決めていた。
その25年後、大人になったかつての親友たち3人が再会することになる。
(岡田准一)は刑事、啓太(小栗旬)は容疑者、悟(柄本佑)は被害者として・・・。
幼い頃に負った傷のせいで、篤は母の清美(りりイ)とも妻の美那子(長澤まさみ)ともうまくいかず、苦悩する。
不幸な幼少期を過ごした啓太は、出産間近な妻の真理(木村文乃)と幸せな家庭を築こうと願い、悟は自分を拾ってくれた恩人のために人生を捧げる覚悟でいる。
3人の心には、親に捨てられた自分たちの面倒を見てくれた、“ゆきわりそう”の店主涼子の思い出が封印されていた・・・。

涼子を中心に集まってきた仲間たち、その妻たち、彼女に好意を寄せる男・・・、彼ら彼女ら7人のそれぞれの愛が、25年の時を経て交錯し合う。
ドラマが扱っている事件は、確かにミステリアスである。
ひとつの殺人事件をきっかけに、それぞれに家庭を持ち、歩んできた人生が交錯し、運命の歯車を回し始める。
運命に翻弄される男たちの25年の軌跡を、能登や富山の美しい風景の中に、木村大作のカメラが詩情豊かに綴っていく。
哀切な詩情が全編に漂っている。
それに、日本のマリアを想わせる安藤サクラの寡黙な演技が印象的だ。
ドラマは、濃密な内容に満ちていて飽きさせることはない。

全編フィルム撮影の作品だ。
ただ残念に思うのは、降旗康男監督のこの映画「追 憶」で問題になるのは、ドラマにどうも十分な説得力がないことではなかろうか。
起こった事件の取り扱いにしてもあっさりしているし、真相もあっけない。
作品自体に、とくにドラマとしての新味というのは感じられない。
キャストはそれぞれ人気どころの演技派揃いで、個性的な演技を披露している。
本編に登場する男優陣はもちろん、女優陣はみんなノーメイクだそうだ。
メイクすることで、顔の色が一定になり、色気がなくなることを降旗監督が嫌うらしい。
女優は自分の肌の色で演じることで、それだけ表情が豊かになるというのが持論で、この作品でも彼女たちは魅力的に映っている。
映像、音楽、舞台背景、撮影と、全スタッフの意気込みの感じられる作品となった。
まあ、観て損のない作品には仕上がっている。
        [JUILENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は日本映画「八重子のハミング」を取り上げます。


映画「カフェ・ソサエティ」―黄金期の華やかなりしハリウッドに酔いしれる大人のおとぎ話―

2017-05-10 17:00:00 | 映画


 1930年代のアメリカ・・・。
 ニューヨークとハリウッドを舞台に、たくましく成長する青年の甘くほろ苦い恋物語だ。
 大ヒットを記録した「ミッドナイト・イン・パリ」(2011年)の、ウディ・アレン監督が描くロマンティック・コメディである。
 80歳を超えて、なお衰えを知らぬペースで監督作を発表するアレンの最新作で、 「ミッドナイト・イン・パリ」以上のゴージャス感に溢れている。

 全編にわたってロマンティックな軽妙さが貫かれ、にぎやかさも艶やかさも結構贅沢に、魅惑の別世界へ誘ってくれる。
 古きよき時代のアメリカがスクリーン一杯に描き出され、名撮影監督ヴィットリオ・ストラーロの色調豊かな映像美とともに、これまたウディ・アレン調のマジックか。




生まれも育ちもニューヨーク・ブロンクスの、ユダヤ人青年ボビー・ドーフマン(ジェシー・アイゼンバーグ)が華やかなりしハリウッドにやって来る。
彼は、映画産業のエージェントとして大きな成功を収めた叔父フィル(スティーヴ・カレル)を頼りに、ひと肌上げようと、まずは雑用係として働き始める。
ボビーは、叔父の美人秘書ヴェロニカ“通称ヴォニー(クリステン・スチュワート)心を奪われるが、彼女は何とわけありの恋をしていた。

ボビーの思いは成就せず、二転三転したあげく、彼はニューヨークへ戻る。
そして自分の築いた人脈を生かして、ナイトクラブの経営で成功し、優雅で美しい女性ヴェロニカ(ブレイク・ライブリー)と出会う。
彼女は、叔父の秘書と同じ名前だった。
運命のいたずらの最中、ボビーをめぐってときに夢のような狂騒曲が賑やかに展開していく・・・

カフェ・ソサエティとは、アメリカの大恐慌から立ち直った30年代に、夜ごとクラブなどで謳歌したセレブ階層のことだ。
ほとんど縁のない、ゴージャスな社交界の物語だ。
そんな世界を眺めてアレン流に言わせると、人生は喜劇であり、それもときに残酷なものなのだそうだ。
名前が同じだという二人のヴェロニカは、どちらも十分魅力的だ。
スタンダード・ジャズのメロディが流れ、夜明けのセントラルパークで男女がワイングラスを傾ける。
男と女、結婚していなくても互いを思いあっていれば、一緒にいることと同じなのだ。・
これは大人の恋のメロドラマだ。

ドラマはかなり狂騒的な感じも強いが、特別新鮮味があるとも思えず、アレン好みと嫌いとに分かれるところだろう。
不器用なボビーが、二人の魅力的な女性にもてて、これはアレンの成り代わりではないのか。
ウディ・アレン監督は、「ブルージャスミン」(2013年)をはじめ驚くほど多作の監督で、悪く言えば濫作気味で、どの作品も一応のレベルにあって愚作とは言えないが、秀逸な傑作が少ない。

このアメリカ映画「カフェ・ソサエティ」は、まあ退屈しのぎにはうってつけだ。
この作品、アレン流の人生観たっぷりに、洒脱な賑やかさとテンポの速い展開で面白く見せるが、所詮、ハリウッドの夜に咲くやたらと元気のいい虚飾のあだ花かもしれない。
それと、クリステン・スチュワートら女優陣が身にまとう、この作品のために特別に作られた、シャネルのライトピンクやオフホワイトのシルクとレースのドレスなど、垂涎のエレガンスに女性はうっとりしてしまうだろう。
1930年代とはこんなものかと思わせる時代色には、目を見張らせるものがある。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は日本映画「追 憶」を取り上げます。


映画「ラビング 愛という名前のふたり」―肌の色が違うだけで逮捕された夫婦の物語―

2017-05-07 19:00:00 | 映画


 1950年代の終わり頃のアメリカで、実際にあった話にもとずく物語である。
 当時のアメリカには、白人と黒人の結婚は認められないという、古い法律が残っている州があった。
 これは、一組の夫婦が国を動かした愛と憤りのドラマだ。

 ジェフ・ニコルズ監督は、純粋な愛を育む当たり前の夫婦の真実を、丹念な映像と物語の積み重ねで描いて見せた。
 この作品には、大げさなセリフや声高な弁論はなく、あくまでも静けさの中に多くを語らせている。
 本人の逮捕とか、十年近い裁判闘争にあっても、当事者は冷静で、あからさまに怒りを見せることもない。
 それでも、人間の残酷さと愛の強さが伝わってくる。



1958年、アメリカ・バージニア州・・・。
煉瓦職人のリチャード・ラビング(ジョエル・エドガートン)は、黒人の恋人でミルドレッド(ルース・ネッガ)から妊娠を告げられる。
リチャードはミルドレッドに結婚を申し込むが、バージンニア州では異人種間の結婚は禁止されていた。
二人は、法律で許されるワシントンD.C.で結婚し、その後バージニア州に戻って暮らし始める。
そんな二人に、州外退去の危機が訪れる。
夜中に突然現れた保安官に逮捕され、離婚するか、故郷を捨てて25年間戻ってきてはならないと、どちらかの選択を迫られることになったのだ・・・。

結論はこうだ。
1967年に、アメリカ連邦最高裁は、異人種間の結婚を禁止する法律を違憲としたのだった。
それまでは、白人と黒人の結婚は罪となりえたが、そんな状況下で二人は自分たちの愛を形にするために結婚し、法律に立ち向ったのだ。
時のケネディ司法長官への直訴ともとれる手紙も、功を奏した。
だからといって、とくに二人は社会的な活動を展開したわけではない。
あくまでも、普通の夫婦として一緒に暮らしたいと、粘り強く訴え続けたのだ。

アカデミー賞主演女優賞ノミネートされた、ルース・ネッガの多彩な感情をにじませた演技が冴えている。
実に静かな、2時間余りの作品だ。
主人公二人の、好ましい人柄と互いの気遣いが自然体で描かれ、息の合った静謐な演技が気取りや誇張もなく存在感にあふれている。
二人は劇中ではあまり感情を表に出さないが、結果的には好印象だ。
リチャードはもともと寡黙な煉瓦職人で、理不尽な目にあっても耐え、ミルドレッドといえば、普段はとても控えめな女性だが、家族を守るために毅然とした態度を見せる一面もあって、情感がにじみ出ている。

ジェフ・ニコルズ監督アメリカ・イギリス合作映画「ラビング 愛という名前のふたり」では、公民権運動が高まった1963年を挟んで、全ての異人間結婚に対する法律に違憲の判決が下されたことから、少々大げさに言えば、ラビング夫妻が憲法を変えたともいわれるゆえんだ。
広大なアメリカ南部の大自然の中で、リチャードが家の土台の煉瓦をひとつずつ手作業で積み上げていくのを、子供たちが見守り、それを妻のミルドレッドがじいっと見つめているラストシーンがヒューマンな感動を呼ぶ。
これは、法廷闘争などの物語ではなく、夫婦の強い愛の物語だ。
人種や国籍をめぐる差別が、世界中で激化している昨今、こんな映画が誕生したことに共感の拍手を送りたい。
        [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「カフェ・ソサエティ」を取り上げます。


映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」―これぞ働けど貧しき格差社会に見る明日の日本の姿―

2017-05-03 16:00:00 | 映画


 人間は、極限の貧しさの中で何ができるのか。
 「麦の穂を揺らす風」(2006年)、「天使の分け前」(2012年)のイギリスを代表する社会派の巨匠ケン・ローチ監督が、イギリス社会が抱える不条理を描いた。
 これまでも、貧しい労働者を多く描いてきたローチ監督だが、2014年に一度引退宣言をしたが、それを撤回して本作を製作した。
 カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞作品だ。

 ひとりの初老の男が、官僚主義的な上から目線の行政手続きに振り回され、ごく普通の生活をするのにいかに苦労しなければならないか。 そのことをとくと見せる。                      
 現代社会の歪みや矛盾を鋭く突いた、「人間の持つ尊厳」を描いた新作である。
 そうなのだ。
 手に職を持っていながら、誇り高く生きてきた男でさえ、人としての尊厳を奪われ、失意に陥る。
 弱者は弱者でしかなく、非人間的なシステムによって追い詰められていき、行き場まで失っていくのか。



イギリス・ニューカッスルで大工として働くダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)は59歳、心臓を患い、医者から仕事を止められている。
国の援助を受けようとするが、手続きなど制度上の複雑さもあって満足に受けられず、就労を促される始末だ。
そんな中、ダニエルは職業安定所でケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)と出会った。
彼女は2人の幼い子供を連れていたが、ロンドンから引っ越してきたばかりで、約束の時間に遅れたため、給付金を受け取ることができなかった。
ダニエルは、仕事もない彼女のために何かと手助けをする。
その家族との間に温かなきずなが生まれるが、それだけで生きていけるわけもなく、厳しい現実が彼らを追い詰めていく・・・。

愛する妻に先立たれ、一人暮らしのダニエルが、二人の子供を抱えたシングルマザーと出会い、二人の間に通いあう弱者同士の友情がほのぼのとして温かい。
女の方は、電気代さえも払えない生活を送っていて、家族を食べさせるために怪しげな店で働き始める。
ダニエルは部屋のあちこちを修理したり、娘に木彫りのモービルを作ってやったりと、自分のことにも満足していないのによく面倒を見る。
彼らに悲しさやみじめさも漂うが、希望は捨てていない。

市民のための役所が、規制をふりかざして市民の要望を拒むという場面にお目にかかることがある。
万事が親方日の丸で、この映画のようなことは、日常茶飯事である。
「下流老人」という言葉がある。
この映画を観て思い出すのだ。
決していい言葉ではないが、厳しい社会情勢を象徴する言葉だ。
未来を照らすメッセージは、なかなか見えてこない。

かつての名言「ゆりかごから墓場まで」は、今は昔の語り草となってしまった。
拡大する格差や貧困に対して、人は何ができるか。
助け合い、支え合うことで、この世の理不尽、不条理と対峙する。
高齢者にとって、厳しい時代が訪れてきている。
それだけは確かだ。

イギリス・フランス・ベルギー合作映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」の主人公は、苦境の中でも人としての誇りを持っている。
お金がなくて、国の援助もままならない。
これがどういうことを意味するか。
この作品に登場するダニエルやケイティの友情や連帯がもたらす、ささやかな光だけが救いのように見える。
愚直すぎるほどに真面目な作品だ。
本当に大切なものは何か。
悲運の中にあっても、善意やユーモアを失わない人物に、胸が打たれる。
御年80歳、ケン・ローチ監督の集大成ともいえる感動作である。
この作品の上映館は、補助席が用意されるほどの満員人気で、これまたびっくりだ。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ・イギリス合作映画「ラビング 愛という名前のふたり」を取り上げます。