徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「愛さえあれば」―愛と歓びに満ちた大人たちの人生讃歌!―

2013-05-30 16:00:00 | 映画


 陽光眩しい南イタリア・ソレントから届いた、ある愛の物語・・・。
 「未来を生きる君たちへ」の、スサンネ・ビア監督デンマーク映画だ。
 甘やかでかつ爽やかな、ロマンスの香りが溢れている。

 スサンネ・ビア監督は、これまでの数々の家族ドラマの中に、愛とモラル、再生、復讐といった シリアスなテーマを盛り込んで、重厚な作品を撮り続けてきた。
 この作品では、一転してユーモアあふれる人間讃歌に満ちたラブストーリーを作り上げた。
 人生の苦難に直面した時、ほろ苦く、ちくりと痛い甘さも、ともに受け入れる。
 生きる人たちへの、前向きな明るい映画である。






       
家族の幸せを第一に考えて生きてきた中年女性イーダ(トリーネ・ディアホルム)は、自身乳がんの治療もひと区切りついて、娘のアストリッド(モリー・ブリキスト・エゲリンドの結婚式を目前に控えていた。

未来に明るい大きな希望が見え始めたとき、夫ライフ(キム・ボドニア)の浮気が発覚した。

一方、イギリス人の会社経営者フィリップ(ピアース・ブロスナン)は、愛妻を事故で失った悲しみからいつまでも立ち直ることができず、仕事一筋に打ち込んでいた。
そんなこともあって、一人息子とも疎遠になり、心を通わせる相手がひとりもいなかった。
イーダとフィリップは、それぞれの娘と息子が結婚式をあげる南イタリアへ向かう途中、コペンハーゲンの空港で偶然にも最悪の出会い方をする。
一人旅に不慣れなイーダは、駐車場でほかの車に衝突してしまい、車を傷つけられた男性は激怒する。
何と、この運の悪い出会いをした男性こそ、アストリッドの結婚相手のパトリック(セバスチャン・イェセン)の父親フィリップだったのだ・・・。

物語はここから一気に、奇跡の展開を見せる。
イーダも家族も、フィリップの家族も、デンマークから南イタリアのソレントに集まってくる。
フィリップの別荘が、その海岸沿いの断崖の上に建っていて、周囲にはレモン果樹園が広がり、風光明媚なところである。
いかにもこのドラマにふさわしい。

登場人物は、バルコニーから紺碧の海を眺め、日の出や日没の美しさに魅せられる。
青い海と爽やかなレモンの香気が、ドラマ全編を包み、観ている方もうっとりとさせられる。
別荘の地下室から降りて、神秘的な海の洞窟に出て、フィリップが息子と語らう場面や、イーダとフィリップが心を通わせるレモン園の場面がいい。
何とも言えない心地よいドラマで、主役の二人、ピアース・ブロスナンとヒロインのトリーネ・ディアホルムが役柄にぴったりの感じで、とてもいい。

実生活でも、最初の妻と死別した経験を持つブロスナンは、同じ境遇のフィリップ役を、深みをたたえた好演でなかなかいいなあと思わせるし、ディアホルムともども、デンマークを代表する名優ぞろいで文句なしである。
イーダの家族、フィリップの家族、もちろんともに多くの問題を抱えた、個性豊かな面々がときに殴り合いの喧嘩までもし、それぞれが自分の心に期するものを感じ取って、人生の苦しみや歓びの先に、傷ついてこその真実が見えてくる。
偶然の出会いなどという、いささかメロドラマティックなところは、まあこの際目をつぶるとして・・・。
こうしてドラマは、ユーモアたっぷりに、しかも実にロマンティックに、綴られていく。


本作の舞台となるソレントは、太陽と海とロマンスの街だ。
ドラマに登場する別荘からは、海の向こうにヴェスヴィオ火山を望み、ポンペイの遺跡にも近く、街中のカフェ、イタリア料理、ヴァカンスのファッションなど、首都ナポリの喧騒を離れ、歴史と伝統を兼ね備えた、優雅で魅力的な観光リゾート地として人気の高いところばかりがスクリーンを彩り、この作品の中には見どころがいっぱいで楽しい。

スサンネ・ビアは、1991年デビューのいまや押しも押されぬ女性監督だが、細やかなところに気配りのきいた、才知豊かなな監督だ。
デンマーク映画「愛さえあれば」は、とくに大人のラブストーリー・ファンには、必見の味わい深い作品だ。
人は傷ついても、苦しみの中にあってもユーモアを忘れず、作品に漂う「愛らしさ」はビア作品一流のものだ。
どうしてなかなか魅惑的な、ことのほか楽しい作品ではないか。
ヨーロッパ映画っていいですねえ。
     [Julienの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「拝啓、愛しています」―妻に先立たれた男と身寄りのない女―

2013-05-25 18:00:00 | 映画


 家族やお互いのことが、愛おしく思える。
 似たような作品は他国にもあるが、これは、そんな温かな気持ちになれる、少し前に公開された韓国の映画だ。
 年を重ねてからの新たな出会い、そして男同士の友情・・・。
 心優しい夫と、認知症の妻が奏でる夫婦愛も・・・。
 それらを、チュ・チャンミン監督がユーモラスに描いている。

 人生の残り時間が限られている時、人はいかにして人生を豊かに輝かせようとするものだろうか。
 笑いの陰には、切なさも悲しさも付きまとうものだ。
 しかし、温もりのある優しさが救いとなる・・・。







      
まだ夜の明けきらぬ、冬の早朝であった。

バイクで住宅街を走るマンソク(イ・スンジェ)は、牛乳配達をしながら、引退生活を送っている。
毎日、配達中にすれ違う女性イップン(ユン・ソジョン)が転んだところを助けたことがきっかけで、彼女のことが気になり、毎朝の出会いを心待ちするようになる。

駐車場の管理人グンボン(ソン・ジェホ)は、そんな二人を温かく見守る。
彼には、長年連れそった認知症の妻がいて、献身的に介護している。
イップンを通してマンソクとも親しくなり、お互いに年を重ねながら、思いがけない出会いを果たした彼らは、愛する人を想い、お互いに支え合うのだ。
老境にあっても、まるで若者のように友情を深め、充実した日々を送るのだったが、しかし・・・。

舞台でも上演され、大ヒットした韓国のベストセラーコミックが原作だ。
人生の残り時間の中で、愛や友情を大切に育んでいこうとする姿が、感動的に描かれる。
ちょっと口が悪く、短気な性格だから怖い男と思われがちだが、実は人情に厚く、心根も優しい男マンソクを演じるのは、イ・スンジェだ。
そうか、TVドラマ「イ・サン」英祖(ヨンジョ)役の、その人だった。
元国会議員の経歴の持ち主でもある、国民的俳優が主人公で、なかなかいい味を出している。
マンソクの孫娘ヨナ役のソン・ジヒョも、TVドラマ「朱蒙」「階伯(ケベク)」でおなじみの顔だ。

この作品の中で、若者が「長生きすると、子供を苦しめる」(年寄りは早く亡くなる方がいい)という場面がある。それを聞いたマンソクが激怒するシーンは印象に残った。
それはそうだろう。今を生きている年寄りには、ガツンとくるような頭の痛い話である。
・・・この映画、見始めたときはそうでもなかったが、終盤にかけて静かな盛り上がりを見せる。
韓国映画「拝啓、愛しています」は、人生の黄昏を迎えた4人の男女を描いた、ささやかな感動作だ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「旅立ちの島唄~十五の春~」―おとうとおかあに少女が別れを告げるとき―

2013-05-22 16:00:00 | 映画


 別離は、新しい旅立ちの時でもある。
 悲しみも、希望に輝くときがある。
 沖縄本島から東へ360キロも離れた、絶海の孤島・・・。
 船旅で13時間かかる。
 約110年前に、八丈島からの開拓者によって拓かれた、南大東島である。

 この島には高校がない。
 子供は15歳の春になると島を出て、家族と離れて暮らさなくてはならない。
 子供を送り出すすべての親と、親から巣立ちゆくすべての子供の成長を見送る。
 そうした実話をもとに生まれたオリジナルストーリーを、吉田康弘監督が映画化した。
 親が子を想い、子が親を想う。それが、普遍的な愛というものだ。
 島の風土に、人間の素朴な純粋性が投影されて、またよき家族の絆を描いた小品だ。







     
仲里優奈(三吉彩花)は、南大東島に住む14歳の中学2年生だ。

父利治(小林薫)は、さとうきび畑を耕し、母明美(大竹しのぶ)は、兄や姉が進学するときに那覇に渡ったまま何故か戻ってこない。
家族は壊れかけていた。
3月になると、島の少女民謡グループ“ボロジノ娘”の現リーダーは、中学卒業とともに高校進学のために島を去る。
明日からは、優奈がリーダーとして民謡グループを牽引していくことになる。
優奈もまた、1年後には高校進学のために島を離れなくてはならない。

島で過ごす最後の1年は、ずっと二人きりだった父との、残されたわずかな時間だった。
父を一人残して那覇へ行く罪悪感、那覇での暮らしに対する不安と憧れ、淡く切ない初恋、そして家族みんなが一緒に暮らしたいという想いに、優奈の心は揺れていた。
・・・その優奈が、島を離れる旅立ちの日が近づいていた。

15歳の春といえば、大人になるにはまだ早すぎる年頃だ。
作品は、それまでの父と娘、母と娘の1年間を丹念に描いている。
島での最後のコンサートに娘を送り出す時、母親が優奈の髪を結うシーンがいい。
父は、ただ黙ってそれを見ている。

気にかかることもある。
母明美は、家族と離れていて数年がたっている。
その間にどういうことがあったのか、姉の美奈(早織)に何故つきっきりになっていたのか、この作品では触れられていない。
姉が、母親の気持ちを代弁するシーンは、明美の背負う宿命みたいなものを表現しているともとれるし、彼女に何があったかも想像することはできる。
言葉少ない母親の表情には、うっすらと苦悩も読み取れる。
この物語が、どこまでも中学生である優奈の目線で描かれているからだ。

出演者の中学生は、三好彩花以外みんな沖縄育ちだそうだ。
彼女は、三線と民謡は2か月間の特訓だったそうで、見事な歌声をも披露している。
寡黙ながら、温かな眼差しで子供たちを見守る島人を演じて、小林薫もわるくない。
母としての強さや優しさ、そして複雑な心の葛藤を抱え、難しい役どころの大竹しのぶもいい。
新星三吉彩花は、07年の女優デビューで、彼女自身も昨春中学を卒業したばかりで、すらりとした体形と澄んだ目で、素直な心の内面を保ちつつ、日々変貌していく少女の姿は、いまでは大人っぽく見えて確かな将来性を感じさせる。

吉田康弘監督「旅立ちの島唄~十五の春~」は、ボロジノ娘たちの歌う南大東島の島唄「アバヨーイ(さようなら)」とともに、忘れがたい印象を残す作品だ。
際立った大きな出来事はないが、しみじみと温かい映画である。
大東島は、外海に囲まれていて波が高く、船が接岸できないのでクレーンを使って乗降する。
沖縄県でも、この島の存在は知っていても、実際に訪れる人は少なく、映画の舞台となった、面積わずか31k㎡のこの孤島への興味はつきない。
こんな絶海の孤島に、1300人もの人たちが溌剌と暮らしていることをご存じだろうか。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「偽りなき者」―子供のたわいない嘘がいわれなき告発となって―

2013-05-15 12:45:00 | 映画


 北欧の国デンマークの映画である。
 この国は、行き届いた社会福祉(医療費無料)、教育レベルも高い「世界一幸せな国」を標榜している。
 そのデンマークに限らず、どこの国でもありうるような、しかし怖ろしい話だ。
 トマス・ヴィンターベア監督の紡ぐ物語は、観る者にあまりに切なくはないか。

 人の普段の日常の繰り返しを想うとき、そのありふれた平凡な生活の中で、さりげない少女の嘘が男の人生を破壊するとしたら・・・?
 これは、私たちの身辺で、いつでも起こりうる出来事だ。
 この作品は、人間が、閉鎖的な社会で気づかぬうちに陥ってしまう、深く暗い闇を見つめる。
 もし自分が、主人公の立場であったらと考えると、ぞっとする話だ・・・。






      
デンマークのある小さな町・・・。

緑豊かな美しい町が、悲劇を際立たせている。
教師だったルーカス(マッツ・ミケルセン)は、離婚と失業の試練を乗り越えて、やっと穏やかな日常を取り戻し、いまでは幼稚園の教師の職に就いていた。
恋人もいたが、一人息子のマルクス(ラセ・フォーゲルストラム)とは、隔週の週末にしか会えなかった。

そんな彼がある日、親友テオ(トマス・ボー・ラーセン)の娘クララ(アニカ・ヴィタコプ)の作り話がもとで、変質者の烙印を押されてしまう。
幼稚園に通っているクララは、ルーカスのことを慕い、ささやかなプレゼントとキスを贈ろうとするが、ルーカスは教師として園児との間にけじめが必要と賢明な判断をして、せっかくの贈り物を受け取らない。
そのことに、クララは傷つく。
彼女は反射的に軽い気持ちで、ルーカスから性的ないたずらをされたと、幼稚園の園長に言いつけてしまうのだ。

園長は少女の言葉を全面的に信じ、父母会に報告したことから、この話はあっという間に狭い町中に広まってしまった。
クララの両親はよく喧嘩をし、年の離れた兄はかまってくれない。
そんな寂しい子供にとって、ルーカスは自分を気にかけてくれる優しい人に映った。
そして、ルーカスにかまってもらいたい一心から、嘘をついた。

町の住人達はおろか、親友のテオまでが幼いクララの言葉を信じ込み、身の潔白を説明しようとするルーカスの声に耳を貸そうとしない。
仕事も親友も信用も失ってしまったルーカスは、小さな町で孤立していく。
彼に向けられた憎悪と敵意はますますエスカレートし、息子のマルクスにまで危害が及ぶ事態に心を痛めながらも、ひたすら耐え続けるルーカスだった。

・・・クリスマスがやって来た。
追い詰めらられたルーカスは、単身ある決意を胸に、テオや町の住民たちの集う教会へと向かった・・・。

町の人たちの敵意は増幅し、暴力にまでエスカレートする。
食料品を買いに行ったスーパーでは、売ることを拒否され追い返される。
人々の冷たい視線にさらされながら、無実の人間の誇りと尊厳だけは失うまいと、ルーカスは必死で耐える。
全ては、子供のたわいない嘘がきっかけであった。

北欧の至宝とまで呼ばれる、マッツ・ミケルセンの眼差しに込められた力と表現力は、さすがである。
カンヌ国際映画祭主演男優賞に輝いただけのことはあり、彼の渾身の演技から目が離せない。
さらに、6歳のアニカ・ヴィタコプが、クララ役で披露する天才的な演技を観ていると、この映画そのものを観る者の、良識と勇気が問われている気までしてくる。

大人の関心を引くためにつくり話を手段として使うことは、幼い子供にはありがちなことだ。
子供は嘘をつかないという、デンマークという国の大前提もわからぬではない。
クララの父親までが、「娘は絶対に嘘はつかない」と言い切る始末だ。
変質者の汚名を着せられたままで、ルーカスは追い詰められていくのだから、怖ろしい話である。

この作品は、「子供は嘘をつく」と主張している。
子供は、お話を作り、しばしば大人を喜ばせ、大人に関心を持ってもらおうとして嘘をつく。
ヴィンターベア監督も認めているように、クララは言ってほしいと期待されていることを言うのだ。
子供は、例えば同じ質問を繰り返されると、想像の一部を答えるようになり、それが本当に起きたことなってしまうことがあるのだ。
架空と現実との区別がつきにくくなってしまうようなことが・・・。

トマス・ヴィンターベア監督デンマーク映画「偽りなき者」は、小さな町で民衆の敵のように断じられた主人公の困惑を描きながら、ドラマの終盤まで全く気が抜けない。
上映時間があっという間に過ぎて、観終わった時に初めて妄想から覚めたような・・・。
楽しい映画ではないし、また楽しいだけが映画でもあるまい。
とても辛い映画だが、見応えのある作品に会えた気がする。
社会派の上質なヒューマンドラマである。

     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「 家 」―旧家の没落から見えてくる新しい家族のかたち―

2013-05-12 20:30:00 | 映画


 島崎藤村長編小説「家が原作だ。
 この小説は、1910年に読売新聞に連載された。                                       
 「斜陽」「一遍上人」秋原北胤監督が、地域住民の協力を得て映画化にこぎつけた。
 藤村文学の、一種鬱々とした世界観の中にある、一筋の希望を表現すべく、この映画は旧家が崩壊していく過程で浮かび上がる、「家族」に光を当てた。
  崩れゆくもの、そこからこぼれ出すもの、その先に見詰める新しい「家族」の形とはどんなものだろうか。

 この作品では、映画専用のズームレンズに頼ることなく、単焦点の大口径広角レンズを使い、画面の隅々まで破綻のない画が撮れるようにした、原監の独特の映像表現に注目だ。
 近年、とくに文学作品を中心に映画製作に熱心な、秋原監督作品だが・・・。




       
名家小泉家から、造り酒屋の橋本家に嫁入りをした種子(西村知美)は、達雄(スティーヴエトウ)との結婚後、跡取りとなる正太(中山卓
、仙(木本夕貴)と子宝に恵まれ、人もうらやむような結婚生活に明け暮れていた。
一方、三男の小泉三吉(松田洋治)は、明日の生活も見えぬ小説家だったが、30歳を過ぎ、兄嫁の倉(渡辺葉子)、娘の俊(菖蒲里乃)らの心配から、名倉家の雪(伴杏里)と結婚して、質素な生活をスタートさせた。

・・・時は移り、小泉、橋本両家も時代の変遷とともに、商売も上手くゆかなくなり、厳しい状態から一家離散へと追い込まれていた。
正太は、家を継がずに豊世(大谷みつほ)と結婚するも、不安な身上からホステス小涼(折原あやの)と関係を結ぶ。
旧家の人々は、安定した生活の中に起きた突然の別離に、三吉も雪も悲嘆にくれる。
その渦中にある種子は、そこからこぼれ落ちた、新しい「家族」を創り出そうとしていた・・・。

没落していく旧家にあって、守るべきものは何か。
それは「家」ではなく、「家族」であることに気づく。
西村知美が、家の崩壊と家族の愛の狭間で揺れる難役に挑戦しているし、娘役の木本夕貴は若いながら障碍を持つ役柄をよくこなし、ほかにも個性派の演技陣が名を連ねていて、「家」を中心に巻き起こる葛藤を演じている。

秋原北胤監督作品「家」は、映画を共に製作する地域で、それぞれの「家」を表現し、撮影を敢行した、意欲的な文学映画だ。
旧家のモデルなど、いろいろなロケ地も見ようによっては楽しく、その地域の人たちと製作陣、俳優陣が一体となって作った、いまはやりのの映画製作スタイルが色濃くあらわれている作品である。

「家」「家族」を考えるとき、確かに、現代に通じるものがないではない。
あえて難点を言えば、登場人物が多いので、それぞれの葛藤を奥深く突っ込んで描き切る時間もないほど、短いカットも矢継ぎ早で、スクリーンの移り変わりが大変忙しい。
そんなときにBGMの多用も時に煩わしく、人間関係の葛藤といったドラマについていくには説明不足も否めないとあって・・・。
秋原監督は、思い入れたっぷりに丁寧に撮っているように見えるが、出来上がった作品は、真面目な教科書のような映画である。
この映画、FACEBOOKを使用(呼びかけ)した映画づくりが話題を呼び、10市町村で集められた大人数の素人の出演で出来上がった作品という点では、大いに注目に値する。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


タンゴ「港横濱・世界を結ぶ夢」―オルケスタYOKOHAMAコンサートを聴いて観て―

2013-05-10 14:30:00 | 日々彷徨


港町横浜には、タンゴがよく似合う。
オルケスタYOKOHAMAは、今年で結成30周年になる。
横浜開港記念会館での演奏会は、盛況だった。

タンゴの故郷アルゼンチンにも、かつてフォークランド諸島をめぐってイギリスとの紛争があった。
このオルケスタYOKOHAMAが、本格的にアルゼンチンタンゴを演奏するようになったのは、その頃である。
国際港湾都市横浜での演奏会は、「ラ・クンパルシータ」「ジェラシー」「タンゲーラ」など、全22曲をたっぷり堪能させてくれた。
4年前のコンサートの印象もまだ残っているが、あの時より、また一段とシャ-プな演奏に磨きがかかった感じがする。
カルロス・ディサルリ「エル・アマネセール(夜明け)」は、ディサルリのほかにプグリエーセ、レケーナの編曲と聴き比べ、時代の移り変わりを改めて感じた。

マエストロ齋藤一臣氏も健在で、相変わらず軽妙なトークで笑わせるし、バンドネオン第一人者平田耕治はぐんぐん腕を上げ、日本はもちろんアルゼンチンでも引っ張りだっこの人気だ。
「カミニート」を歌った南川紘子ちゃんは、元宝塚歌劇団星組叶千穂さんの愛娘で、まだ13歳の少女とは驚いた。
この少女、しかも原語(スペイン語)で、その高く伸びる歌唱に、大人になったら、一世を風靡した日本のタンゴ歌手藤沢嵐子に迫るのではないかとさえ思われた。
いやいや、恐るべしである。

余談だが、藤沢嵐子といえば、かつてオルケスタ・ティピカ東京(マエストロ早川真平)のステージには欠かせない、アルゼンチンタンゴの歌い手さんだった。
彼女は日本でも有名だったが、それより以前に、本国アルゼンチンでは知らぬ人はいない歌い手の名手だったそうで、何とすべて原語で歌うタンゴが、現地のタンゴ歌手より上手かったというから凄い!
しかも、藤沢嵐子という人は、スペイン語は全くしゃべれなかったというのだから仰天だ。

ともあれオルケスタYOKOHAMAの歌あり、ダンスあり、トークありの素晴しいコンサートは、11人編成のオルケスタで、バンドネオン奏者だけでも4人と贅沢な顔ぶれである。
このオルケスタは、横濱タンゴの家(三田塾ホール)のミニ・ライブを入れると、ほとんど毎月ライブコンサートを開いている。
来たる11月10日(日)には、秋の芸術祭と称して「港横濱タンゴフェスティバル」が、満を持して開催の予定だ。
やはり、横浜の街はタンゴがよく似合っているようで・・・。


文学散歩/神奈川近代文学館「井上ひさし展~21世紀の君たちに~」

2013-05-07 11:00:00 | 日々彷徨


 
風薫る初夏の文学散歩は、神奈川近代文学館である。
 3年前75歳で他界した、作家・劇作家井上ひさし の業績を振り返る特別展だ。
 特別展「井上ひさし展」 は、6月9日(日)まで開催されている。

 今回の展観は、没後間もないこともあって、常設展のスペースをつぶして過去最大の規模となっている。
 全体が三部構成で表現され、貴重な資料やファイルなど、およそ350点が展示されている。
 農村の独立運動を描いた「吉里吉里人」や、懐かしい子供の漂流記「ひょっこりひょうたん島」 (山元護久との共作)など、理想郷を探し求める主人公たちの姿から、作i家の想いと仕事ぶりが伝わってくる。













 
作者が執筆に際して作った、物語世界の実に詳細な地図やストーリー、設計図、「ひょっこりひょうたん島」の人形や模型など、思わず足を止めてしまう。 
ほかに、井上氏の蔵書や克明な創作メモ、愛用の文具などから、生前の意欲的な創作活動を展覧する。
ふと目にとまった昭和32年(1957年)4月7日付、ひさし23歳の時の母マスへの手紙で、
「いま日に三本の映画を観て、一日に約10~20枚の原稿を書き朝と夜はパンをたべ、昼は抜いています。バターを教会から大缶でカッパラッてきました」とあるのには、思わず苦笑してしまった。

ひさしは5歳の時に父を亡くし、それからは行商、土方、バー経営など苦労を重ねた母の手で育てられたが、やがて作家として大成するまでの軌跡はどのようなものだったか。
人は誰でも、生まれた土地、生まれた時代を選ぶことができない。
彼は、自身の心の中の暗い部分でさえも、可笑しく愉快な物語として作品に昇華させたのだった。
幾つか未完の作品もあるが、人を励ます笑いの大切さを、彼は書き続けた。

井上ひさしは、天才と狂人は紙一重だという俗説は間違いだと断じ、彼自身、自分の視野をどこまでも広げる努力を惜しまなかったところに、天才の資質を感じ取ることができる。
書斎に残されたファイルは、自分で作ったものの一部だが、それだけでもおよそ450冊はある。
それを見ると、関心のある作家の名はもちろん、彼にとって身近な鎌倉の自然や建築の保護から、日本の農業、さらには地球規模の水資源から原発の危険性についてまで、気にかけていたことがうかがわれる。

この特別展にちなんで、5月19日(日)には小森陽一氏の井上文学について、また26日(日)には扇田昭彦氏の「評伝劇と音楽劇」についての講演なども、それぞれ予定されている。
それにしても、まだ没後3年ということで、膨大な資料がほとんど散逸しないままに揃っているのは、喜ばしいことだ。


映画「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」―異国の地で生きたいように生きられたら―

2013-05-06 12:00:00 | 映画


 余生を外国で送るというのは、どんなものだろうか。
 そこで、あるいは思いがけない人生の展望が、開けるかもしれない。
 このドラマには、人生を豊かに変えるヒントが詰まっているような気がする。

 インドに新しい天地を求めた、イギリス人たちを描いたユーモラスな作品だ。
 インドの風はささやく。
 やりたいようにやればいい。
 生きたいように生きればいい。
 ジョン・マッデン監督による、イギリス・アメリカ・アラブ首長国連邦合作の快作だ。
 ストレス解消、気分転換の一助となるような映画である。









     
亡き夫の負債を抱えて家を手離したイヴリン(ジュディ・デンチ、退職金を貸した娘が事業に失敗し、イギリスに家を買うはずだったがそれも夢と消えたダグラス(ビル・ナイ)とジーン(ペネロープ・ウィルトン)の夫妻、股関節の手術を受けるために、好きでもないインドにやって来たミュリエル(マギー・スミス) 、かつてこの地にすんだことのある元判事のグレアム(トム・ウィルキンソン) 、異国の地で最後のロマンスを夢見るノーマン(ロナルド・ピックアップ、孫もいて金持ちの男をあさるマッジ(セリア・イムリー)の、人生経験豊かな男女7人の織りなすちょっとした群像劇だ。


インドの、シニア向け長期滞在ホテルとして、超豪華美麗がうたい文句なのに全く正反対なオンボロホテルで、彼らの生活が始まった。
一同は、インドの地方都市の、音と色彩とあまりの人の多さに仰天する。
それでも、夫を失くして初めての一人暮らしを経験したイヴリンらは、衝撃的な異文化の洗礼を受けながら、次第にそんな環境に順応していく。

若きホテルのオーナーは、情熱と野望だけは人一倍で、ホテルの未来を信じ悪びれるところもない。
そして、新しい生活に飛び込んだ彼らには、これまた素敵なサプライズが訪れるのだ。
新たな生きがいとの出会い、忘れられない人との再会、思いがけないロマンス・・・、ところが突然ホテルの閉鎖が決まり、再び7人は人生の岐路に立たされることになった。
それぞれが、新たにそれぞれの選択を迫られることになったのだ・・・。

ジョン・マッデン監督映画「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」は、ユーモアに満ちた軽やかなタッチを交えながら、生きることの喜びを、優しくかつ華やかに綴っていく。
イギリスの名優たちの演技は、フレッシュなスパイスのようで、彼らの競演が面白い。
老人たちは、どこかくすんだ姿をしていても、華やかさを失わず、生き生きと生きている。
マッデン監督の品のある演出は、機知に富んでいて、出演者に暖かい視線を送っている。
強烈なインパクトが感じられるわけでもないし、緊張感があるわけでもない。
が、ドラマはどこまでも軽やかなのである。

誰だって、人生の後半を生きるとき、突然の環境の変化は、大きな戸惑いをもたらすものだ。
新しい世界の入口で、一瞬立ち尽くしても、その先にはきっと希望と光がある。
このドラマが、何かを失うかもしれないという憂鬱にまつわるコメディともとれなくはないが、いやむしろ、優雅で活力ある年の重ね方の、苦難と喜びを描いたドラマとして、小さな拍手を送りたくなる。
高齢者の登場する作品となると、やたらに介護など深刻になりがちな素材を思い浮かべるが、この作品は彼ら年配者のあたたかさがにじみ、軽妙なタッチが心地よい。
それだけ、ドラマ性のやや緩いところが逆に買いかも知れない。
こんな作品があってもいいのではないか。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「リンカーン」―苦悩するアメリカ合衆国大統領の光と影―

2013-05-02 12:35:01 | 映画


 自由というのは、果たして見果てぬ夢であったのか。
 理想主義と現実主義の挟間で、リンカーンは苦悩する。
 「奴隷制度」廃止という偉業の裏で、あまたの命を犠牲にしなければならなかった。
 そのアメリカ第16代大統領の、最晩年を描く。

 スティーヴン・スピルバーグ監督は、12年間の構想ののち、念願の企画を実現させた。
 主演のダニエル・デイルイスは、アカデミー賞主演男優賞に輝いた。
 彼は、過去にも主演男優賞を2回受賞しているから、今回で過去最多となる。
 この作品、正統派の力作ではあるけれど・・・。。







       
1865年1月、4年目に入った南北戦争も終末を迎えようとしていた。

エイブラハム・リンカーン(ダニエル・デイルイス)が大統領に再選されて2ヵ月後、彼は大きな苦境に立っていた。
自身が目指す、奴隷解放の賛否をめぐって起きた南北戦争では、多くの若者の命が奪われていた。
「すべて人間は自由であるべき」と信じるリンカーンは、人間の尊厳と戦争の終結の狭間で、合衆国憲法修正第十三条を議会で可決しようとしていた。
しかし、長引く戦争への嫌気から、味方である共和党の中からも、奴隷制を認めて、南軍との和平を実現すべきだという声が高まっていた。

リンカーンは、家庭内にも複雑な問題を抱えていたが、国務長官ウィリアム・スワード(デヴィッド・ストラザーン)を介し、あの手この手で、反対派の切り崩し工作に取り掛かる。
そしてリンカーンは、下院議会に憲法改正法案を提出する。
アメリカ合衆国大統領として、またひとりの父として、人類の歴史を変える決断が下される。

憲法修正案は結局可決されるのだが、それまでの1ヵ月間をドラマは克明に再現する。
奴隷廃止については、当時多くのアメリカ人は反対だったそうだ。
にわかには信じがたい話だ。
そこには、リンカーンという人間の、したたかな現実主義も垣間見られる。
そんな中にリンカーンを支えたのは、未来を見据えるヴィジョン、理想であった。
彼は、南北戦争の終結よりも、奴隷問題を優先して考えていたために、自国の多くの命を犠牲にしてしまったのだった。
偉大な先見者の目線で、歴史というものを見直すとき、彼の決断をこのドラマで追体験できる。

憲法改正にこだわった理由とか、自由に対する考え方も、そこそこ描かれている。
戦争映画ではないから、戦闘シーンもなく、やたらとリンカーンが考えているシーンばかりが多く、もう参りました・・・。
反対派の議員を、どうしたら有利に寝返らせることができるか、数合わせにやっきとなっているところも・・・。
英国出身のダニエル・デイルイスは、南北戦争やリンカーン大統領についてあまり詳しくなかったそうで、1年間かけて伝記を読みアメリカの歴史を猛勉強したといわれる。
役作りの苦労は分かる。
政治家は偉大であるほど孤独なもので、アメリカの大統領も常に孤独で、ましてやこうした内戦時はなおのことではなかったか。

スティーヴン・スピルバーグ監督アメリカ映画最新作「リンカーン」は、命がけで夢見た「真の自由」を描いた力作だ。
硬派の作品として、愛と尊敬が込められたこの映画が、どうもアカデミー賞を最初から意識していたのは見え見えで、ああやっぱりという感じだ。
リンカーンは権力争いで勝利を手にしたが、家庭では息子を失い、複雑な性格の妻メアリー(サリー・フィールド)との間には亀裂を生じ、公人と家庭人としての二つの面を演じきった、ダニエル・デイルイスオスカー受賞はさもありなんという感じを強くした。
正統派のドラマとして、リンカーンの知られざる側面を多面的に描こうとしている努力は認めても、決して楽しめる作品とはならない。
合衆国議会の多数派工作を見ても、こういうことはどこの国でも今も昔も変わらない。
しかし、何故いまリンカーンなのか、スピルバーグ監督の意図するところがいまひとつよく理解できない。    
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点