徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「君への誓い」―生きることの苦悩と喜びを綴った本当にあったドラマ―

2012-06-29 10:00:00 | 映画


 生きていくことの苦悩と喜びを描いた、奇跡の物語だ。
 交通事故で、夫との記憶を失ってしまった妻がいた。
 妻の愛を取り戻すために、出会いからやり直そうとする夫がいた。

 愛し合う二人にとって、記憶喪失は最大の試練だ。
 これまでも、この種のテーマは多くの映画に描かれてきたが、この作品は、あくまでも事実をもとにした真実の物語だ。
 マイケル・ス—シ—監督による、大人の純愛物語である。










         
親しい友人たちに囲まれ、結婚式を挙げたレオ(チャニング・テイタム)とペイジ(レイチェル・マクアダムス)だった。

が、ある雪の夜、車で外出した二人は追突事故に遭った。。
レオは大きな怪我は負わなかったが、ペイジは頭部の外傷を負い、昏睡から目覚めたときには、夫であるはずのレオは見知らぬ人となっていた。
ペイジは、二人が出会ってからのすべての記憶を失い、両親のもとでロースクールに通っていた頃のことしか覚えていなかった。

レオの存在に戸惑うペイジの世界から、突然締め出されてしまったレオは、大きなショックを受けながらも、優しく彼女を気遣い、二人で困難を乗り越えようとする。
ペイジの記憶が戻らないと悟ったレオは、出会いからすべてをやり直すことを決意し、ペイジに改めて恋のアプローチを始める。
しかし、そんな二人の前に、ペイジの両親や元婚約者が立ちはだかるのだった。
一方で、様々な試みにもかかわらず、ペイジの記憶はついに戻ることはなかったが・・・。

主演は、「きみに読む物語」レイチェル・マクアダムスと、「親愛なるきみ」へのチャニング・テイタムだ。
マクアダムスは、記憶を失う前と後とを演じ分けるという難しい役どころを、テイタムは妻への純愛を貫く夫の清々しい優しさを、それぞれ好演している。
記憶を取り戻そうとするのではなく、愛を取り戻そうとする夫の献身ぶり、そして愛だけが成し遂げる“奇跡”が、こんなことが本当にあったとは信じがたい物語だ。

記憶を失ってしまったペイジから見れば、他人にしか見えない男性を夫だといわれて、どんな気持ちがするだろうか。
この作品では、事故に遭った後の彼女が、何から何まで別人に変わってしまった。
皮肉なことに、元婚約者と付き合っていた記憶だけがあるというのも、レオにとっては残酷な話だ。
記憶とは、いったい何だろう。
マイケル・ス—シ―監督アメリカ映画「君への誓い」では、ペイジと両親の関係が事故前と事故後で変わり、家族の絆についても見直されている。
ペイジとレオが再び出会って、前回とは別人のように、2回目の恋をするという展開が印象的だ。

映画は、ニューメキシコ州に住む、キム・カ—ペンタ—とその妻クリキットの、実際に交通事故に遭った夫婦についての記事がもとになって作られた。
この驚くべき実話を、ス—シ―監督は、親子や姉妹や友人同士の関係も含んだ作品にしたかったようだ。
そのためには、あまりシリアスなものではなく、軽いユーモアの混じった、親しみやすい脚本を必要としたことだろう。
作品は、よくあるメロドラマとは一線を画しているように見える。
記憶喪失後の、友人たちの歓迎騒ぎはドラマの中とはいえ気にならぬこともないが、BGMの使い勝手は、やけに騒々しい場面は耳障りで、静謐であるべき雰囲気を壊してしまっている。
純愛を描いた作品としては、一考の余地を残した。
なお、実際のカ—ペンタ—夫妻についてだが、妻は愛していたかつての夫との記憶を完全に失ったが、二人は不可能と思われる壁を乗り越え、お互いを再発見し、二人の子をなしたそうである・・・。
いい話ではないか。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ブレイクアウト」―密室に張り巡らされた虚々実々と狂気のサスペンス・アクション―

2012-06-27 12:00:00 | 映画


 ダイヤモンドに秘められた謎とは、何か。
 偽りと裏切りの連鎖の中で、緊迫の1時間半があっという間に過ぎる。
「リービング・ラスベガス」ニコラス・ケイジと、「めぐりあう時間たち」ニコール・キッドマンという、アカデミー賞主演賞二大スターの競演が見ものである。
 二人が初共演で、夫婦役を務めている。

 「オペラ座の怪人」名匠ジョエル・シューマカー監督アメリカ映画だ。
 家族がお互いに隠していた、秘密までが浮き彫りにされていくのだが、邸宅に押し入った強盗一味との息詰まる心理戦で、彼らを翻弄する二人の主役の白熱の演技に期待したかったが・・・。









     
緑生い茂る森に囲まれて、その豪邸はあった。

ダイヤモンド・ディーラーとして成功を収めている、カイル・ミラー(ニコラス・ケイジ)は、美人の妻サラ(ニコール・キッドマン)、反抗期を迎えた10代の娘エイヴリー(リアナ・リベラト)と3人で、何不自由のない生活を送っていた。
今日も帰宅すると、パーティーへ行くというエイヴリーと、反対するサラとがリビングで言い合っていた。
大事な商談を控えたカイルは書斎に引きこもり、いつものように、自宅の防犯システムを夜間モードに切り替える。
屋外の照明が庭を照らし、赤外線装置と防犯カメラが作動する。
仲直りのために、サラは夕食をトレイに乗せてエイヴリーの部屋に向かうが、部屋の中から返事がない。

やがて、チャイムが鳴って、カイルが防犯モニターを覗くと、そこに2人の警官が立っていた。
カイルが警官を招き入れようとドアを開けると、途端に武装した覆面の4人組が押し入ってきた。
カイルは彼らに捕えられ、リーダーのエライアス(ベン・メンデルソーン)から銃を突きつけられる。
カイル邸に、大金とダイヤモンドが隠されていると確信していた彼らの、計画的な襲撃だった。

サラも一味に捕えられるが、エイヴリーは襲撃前に家から抜け出していた。
エライアスは、妻子の命と引き換えに金庫を開けるようカイルに告げる。
しかし、金庫を開けたら用済みになった自分たちは殺されてしまうと思い、カイルはそれを拒否する。
さらに、カイルにはどうしても金庫の中身を渡せない事情があった。
極限状態の中で、カイルは家族の命を守るため、ビジネスで磨いた交渉テクニックを駆使して、一味に心理戦を仕掛けてゆくのだった。
その一方で、サラも、カイルに打ち明けられない秘密を抱えていた。
緊迫した時間が、刻々と過ぎてゆき、想像を絶する衝撃の結末へと向っていく。

家族を守るべく、強盗犯に果敢に立ち向かうカイルと、その美しさを武器に心理戦を仕掛けるサラ・・・。
息詰まるような、スリルだ。
名匠と二大オスカー俳優のコラボレートが見ものだが、犯人たちの仲間割れ、一味の中にサラと通じている者がいたり、家族同士の秘密が隠されていたり、嘘と狂気が交錯し、ドラマの細部は錯乱と混濁で、あまり整理されているとは言い難い。
緻密に計算されているように見えて、結構粗っぽいのが気にかかる。
家族、たとえばサラの抱える秘密の暴露は、おざなりではなく、もう少しわかりやすい描き方はできなかったか。
4人組の強盗犯たちにも、あまり恐さを感じなかった。
ドラマの中に幾つかのエピソードがあるのだが、それらを詰め込みすぎて、この上映時間ではいかにもきつい。
もっと絞ってもよい。
それでも、ジョエル・シューマカー監督アメリカ映画「ブレイクアウト」は、テンポと緊張感でそれなりに楽しめる一作だ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「一枚のめぐり逢い」―一枚の写真から始まった運命の恋の物語―

2012-06-24 20:00:00 | 映画


 『きみに読む物語』の原作者ニコラス・スパークスの、ベストセラー小説を映画化した。
 アカデミー賞作品「シャイン」スコット・ヒックス監督が、新鮮な演出で綴るラブストーリーだ。

 一枚の写真に導かれた、運命の出逢いがあった。
 だが、二人の愛は引き裂かれようとしていた。
 その理由もまた、同じ一枚の写真によって・・・。

 スコット・ヒックス監督は、全米で300万部の売り上げを記録した、ミリオンセラー小説の原作の心に残る台詞を活かしつつ、男女の恋愛心理をロマンティックに描いている。
 現実にありえないようなドラマが、何故か心に沁みるようである。




            
ローガン・ティーボウ(ザック・エフロン)は、異国の戦場で、一枚の写真を拾った。

それは、美しいひとりの女性が微笑みかける写真だった。
その写真を手にしてから、彼は何度も命の危機をくぐり抜けた。
それはあたかも、守護天使が現れたかのようだった。

帰国したローガンは、写真の背景に写っている灯台だけを頼りに、その女性を探し出そうと決意する。
そして、その一枚の写真に導かれ、写真の女性ベス・グリーン(テイラー・シリング)との奇跡的な出逢いを果たした。
ベスは、ルイジアナの郊外で犬舎を経営しているのだった。
彼女はローガンを、はじめ自分の犬舎のスタッフに応募してきたと勘違いし、歓迎ムードだった。
だが、ローガンが海兵隊員だと知ったとたん、急に態度が冷たくなる。
ベスの祖母エリー(ブライス・ダナー)の計らいもあって、ローガンは本当のことを言うことができないまま、そこで働くことになる。

まもなくローガンは、ベスの複雑な事情を知ることになる。
べスは、7歳に息子ベン(ライリー・トーマス・スチュワート)を連れて離婚したが、元夫のキース・クレイトン(ジェイ・R・ファーガソン)はやり直したいと願っていた。
そんな中で、ローガンとベスは恋に落ち、いくつもの障害を乗り越えて結ばれる。
しかし、幸せの頂点で、彼らを引き合わせたはずのあの写真によって、皮肉にも二人の愛は引き裂かれようとしていた・・・。

ベスは、ローガンの誠実と優しさに引かれたのだったが、この街に来た理由をローガンに訪ねても、不可解な想いがどうしても脳裏から離れないのだった。
ザック・エフロンは、一途な純愛を貫いて、一見不器用な男を静かに演じている。
テイラー・シリングは、大学で演技の学位を取得して、さらに大学院でも演技の勉強を続けた努力家で、この作品は適役と思える。
主人公のローガンが、戦場で拾った一枚の写真を頼りにイラクの戦禍を生き延びたという設定は、少しありふれた感じで、そこからこのドラマが作られたというのは、やや甘すぎる印象を拭えないが・・・。
スクリーンに描かれる、ベスの家のキッチン、庭、畑や、二人が暮らす街の風景が美しい。
それらが、物語をあまやかな香りに包んでいるから、癒やされるのである。

運命を信ずるか信じないかは、その人間の自由だが、運命が本当に存在するものかどうか。
原作者スパークスが、この小説を思いついたきっかけは、現実に見たものだったといっている。
それは、砂に半分埋もれた写真を拾い上げる、兵士の姿だったそうで、拾い主が、その写真を自分の幸運のお守りとして見るようになったらどうなるだろうという、アイデアに取りつかれたと述懐している。
このドラマの中では、その写真は、幸運のお守り以上のものとなってしまった。
出来過ぎた話ではある。
大げさに言えば、愛と運命という二つのテーマを絡みあわせ、意外性と必然性の両方の感情を生み出すような方法で、それを展開させたのだ。

厳しい言い方をすれば、実際に起こりえないような、メロドラマティックなラブストーリーなのだ。
ラブストーリーとは、この作品のように大抵の場合フィクションだ。
フィクションだと知りつつ、読者も観客もそれに酔うことになるのだ。
もっとも、酔いたくても酔えない作品だって、数々あるのだけれど・・・。
どんなに嘘くさいと思っても、それが作品であり、映画なのである。
スコット・ヒックス監督の、アメリカ映画「一枚のめぐり逢い」のロマンティックもまた、その例外ではない。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「GIRL ガール」―本気で頑張る女たちの美しい輝き―

2012-06-22 06:00:00 | 映画


 女はつくづく生きにくい、という声を聞く。
 若さや自由を、思い切り謳歌できなくなる年代がある。
 そして、その時は確実に訪れる。
 恋愛も、仕事も、結婚も、育児も・・・。
 女たちは、日々人生の選択に迫られながら、それでも懸命に生きている。
 それが、現代の女たちだ。
 それも、29歳から36歳までといったら、女たちの悩める世代だ。

 女は、一体いくつまでガールでいられるか。たとえば、可愛い服を着られるのは何歳までか。
 いつまでもガールでいたい女たちが、可愛さを失わないで、社会で男性と肩を並べて頑張っていく。
 そんな女たちの応援歌だ。
 深川栄洋監督は、奥田英明の人気原作を得て、現代女性の悩みを、実にきめ細やかな心理で描き上げた。
 篠崎絵里子の脚本もよく練れている。
この映画、ドラマの隅々にまで女の感性が丁寧に散りばめられていて、思っていたよりずっと上質な作品だ。
      
      
由紀子(香里奈)、聖子(麻生久美子)、容子(吉瀬美智子)、孝子(板谷由夏)の4人は、仕事も境遇も違うが気の合う友達同士だ。

それぞれ、女として生きることに悩みを抱えていた。
大手広告代理店に勤める由紀子は、30歳を目前にして焦りを募らせていた。大學時代の友人・蒼太(向井理)とのときめきのない恋愛、若い恰好が年相応でないと指摘されたこと、仕事上ではクライアントとの対立があったりと、いつまでも“ガール”でいられないのかと、自分を見失っていた。
大手不動産会社に勤める34歳の聖子は、管理職に抜擢されたものの、新しく部下になった今井(要潤)は自分より年上で、事あるごとに露わになる彼の男性優位の考え方に怒りを爆発させる。
老舗文具メーカーに勤める34歳の容子は、恋とは無縁なずぼらな生活を送っていたが、ある日、ひと回り年の違う新入社員・慎太郎(林遣都)の教育係を任される。あっという間に女子たちから人気を集める慎太郎に、容子もまた惹かれていくが、自分の気持ちを押さ込もうとする。そんな中、実家では妹の結婚が決まり、両親には気を遣われる始末で、素直になれず悶々とする日々であった。
孝子は離婚を経て、6歳の息子を抱えながら、3年ぶりに営業職に復帰した。仕事でシングルマザーを言い訳にしないよう頑張り、息子のために父親代わりまで務め、シッターの帰る時間に間に合うよう急いで帰宅するという、息つく暇もない毎日だ。
彼女は、仕事も家庭も大事にしたいのに、空回りしている自分に虚しさを覚える。もう“ガール”ではないのかもしれない。
それでも、彼女たちは、懸命に女として人生と向き合っていた。

女たちは、誰もが悩みを抱えているが、いつも輝きを失わないところが素晴らしい。
生き方ということを考えれば、男性より女性のほうが選択の自由がありそうだ。
彼女たちは、よく喋り、着飾り、気持ちは素直に発散し、友情を確認し合って、それぞれのステージを懸命に生きている。
「60歳のラブレター」「神様のカルテ」深川栄洋監督は、どうも主人公たちに自身を重ねてみているようで、楽しくなる。

女の子と言ったらいいのか、やはりガールと言ったらいいのか、彼女たちは相応に年を重ねていくのだが、どうやら「女子」という言葉が嫌いなようだ。
本質的には、夢見がちな女の子なのだが・・・。
あなたの人生は何色かと聞かれれば、「女の人生は、ピンクが半分、ブルーが半分よ」と答える、このセリフが効いている。
やはり、、ピンクとブルーなのである。
深川栄洋監督のこの作品「GIRL ガール」は、、女性も男性も共感できるところが多い。
上滑りの多い最近の日本映画の中にあって、とくに女性の心理描写の細やかなところは好感が持てるし、リアリティもあって、観ている方も楽しくなれる。
何事も一生懸命で、ひたむきなところがまたいい。

登場人物たちのファッションには、目を奪われる。
女の子の部屋の中というのも、実にファッショナブルだし、実際にファッションショーのシーンもあり、面白い。
大人の服をまとって、大人の顔をして生きていても、みんな心の中に女の子がいるんだ。
男性の人生は足し算だが、逆に女性の人生は引き算だとは、よく言われることだ。

ドラマの中、たとえば職場での聖子と、男性で年上の部下・今井のセリフの応酬なども、なかなか痛快な対決である。
この作品を観ていると、男と女の違いもよくわかるというものだ。
女性は、女であることを自慢したくなるかも知れない。
多くの女たちが言うには、「100回生まれたって、100回とも女がいい」だ。
恋も仕事も、家庭も育児も、そして絶対欠かしてはならないお洒落も、女はすべてに愛を注ぐことを忘れない。
立場や境遇がどんなに違おうとも、女同士は合わせ鏡のようなものだ。
女性主役だから、これは女性映画だと決めつけるなどはとんでもない。男性上位の考え方はここでは通用しない。
でも、ここに出てくる男性は小さく見えて仕方がない。
強きものは、女なのだ。

奥田英明の原作短編の数編を、かなり忠実に一本の映画にまとめ上げたものだが、小説に登場するガールたちの、生き生きとしたキャラクターが何ともかっこいい。
彼女たちは、みな三十代の働く女たちだ。
それなりに社会で揉まれ、酸いも甘いも、人生の表も裏も知っている輝き(!)盛りである。
女たちは、職場での様々なトラブルに、あれこれ悩み、ときにはへたりながらも、まことにしなやかに、しかし敢然と(!)立ち向かっていく。
出演者、とくに女優陣には気負いもあり、それが気にならぬこともないが、深川栄洋監督の才気には拍手である。
清々しく爽快で、大いに楽しめる作品だ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「最高の人生をあなたと」―人はどうすれば美しく年齢を重ねていくことができるのか―

2012-06-19 17:00:00 | 映画


 花も実もある、女の人生とは・・・。
 どうしたら、そういう生き方ができるのか。
 第一の人生、そして第二の人生と、それぞれの歩み方から見えてくるものは何だろうか。

 勢いにまかせて、若さで突っ走ってきた青春もあった。
 苦難を乗り越え、充実した結婚生活もあった。
 子供たちも、ようやく独立した。

 いよいよ、夫婦だけの、二人きりの第二の人生の始まりだ。
 その時、妻と夫は何を想うのだろうか。










       


   
                

建築家のアダム(ウィリアム・ハート)とメアリー(イザベラ・ロッセリーニ)は、ロンドンの街で、30年に及ぶ結婚生活を送ってきた。

3人の子供たちも独立し、孫たちにも恵まれた。
そんな時に、メアリーを突然‘記憶の空白’が襲った。
彼女ははじめて、夫婦の老後っていったい何だろうと考える。
自分の人生って何だろうと・・・。

少しは経済的に余裕もある。
高級ブランドのドレスを身にまとい、ゴージャスに着飾ってみる。
でも、何故か気分が晴れないのだ。
若くて美しい娘たちと自分を、ついつい見比べたって、‘老い’には変わりない。
60歳のメアリーは、社会的な疎外感にとらわれる。
夫のアダムは、若いスタッフとの新しいプロジェクトに、新たな情熱を燃やそうとする。

しかし、これまで円満だった夫婦の仲は、次第にギクシャクしていく。
メアリーは、もう一度女として大輪の花を咲かせたい。
忍び寄る離別の危機を、夫婦は乗り越えることができるのだろうか・・・。

人間は、‘老い’と呼ばれる自分の年齢に直面した時、何を考え、どう行動を起こすだろうか。
そこには、今さらながら愕然とする現実がある。
生涯の伴侶とは、永遠のものなのか。そうではないのか。

今の時代は、アンチ・エイジングではなく、ウィズ・エイジングだといわれる。
ふと気がつけば、自分は老人になっていた・・・。
そこから、さらなる人生の選択が始まる。
人生の居場所を模索し続ける、一組の夫婦をこの作品は描いている。

だが、ドラマはかなりゆるゆるで、老いを迎える男と女への切り込み方も弱い。
そこには、人生の小さななヒントがいろいろと散りばめられているのだが、それらはあまり熱く伝わってこない。
要するに、作品としてはつまらないのだ。
よきテーマを選びながら、人間の内面に迫るものが見えてこない。

父親譲りの才気女性らしい感受性に恵まれた、ジュリー・ガヴラス監督の、フランス・ベルギー・イギリス合作「最高の人生をあなたと」は、だから何をしたいのか、どう生きればいいのか、生きるということの果敢さがまるで見えてこないのである。
オスカー俳優まで参加しながら、酸いも甘いも掻き分けた円熟の夫婦を描いていて、現代人に訴えてくるものはどうして弱々しいのか。
でも、この作品、最終場面だけは人間らしく笑わせる。
・・・熟年夫婦がどうあるべきか。
老いを冷静に受け止める妻と、抵抗する夫・・・、この差に苦笑し、二人の選んだ人生にほっとする。
それは、長い結婚生活を送った人なら、誰でも共感するのではないだろうか。
     [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点


映画「スノーホワイト」―魔法の世界に漆黒の闇が訪れる時女の戦いが始まる―

2012-06-16 22:00:00 | 映画


 ジャンヌ・ダルクを想わせる、「白雪姫」戦士の登場だ。
 斬新な映像が目を引く、ファンタスティックなアクション・アドベンチャーだ。
 もうこうなると、おとぎ話ではなく、新たなる「白雪姫」伝説である。
 ここでは、「白雪姫」は勇壮な戦士となる。

 想い起こそうではないか。
 「鏡よ、鏡、この世で一番美しいのは誰か」
 あの、おなじみのグリム童話が誕生したのは、もう200年も昔のことだった。
 今回長篇デビューを飾るルパート・サンダース監督アメリカ映画は、壮絶なアクション満載で、観るものを飽きさせない。







        
平和な国の王の娘として、両親からあふれる愛情で育てられた美しいプリンセス、スノーホワイト(クリステン・スチュワート)は、母亡きあと新しい王妃に迎えられたラヴェンナ(シャーリーズ・セロン)の父王を殺され、国を乗っ取られ、7年間の幽閉生活を送ることになる。

妖艶な美貌を武器に、王と結婚したラヴェンナは、闇の魔術を操る魔女であった。

幽閉生活の中で、脱出の機会をうかがっていたスノーホワイトは、希望を失わず場外に逃れることに成功し、黒い森へと逃げ込む。
7年後、若い娘を拉致し、その生気吸い取ることで不老を保ってきた女王は、魔法の鏡から衝撃の事実を知らされる。
世界一を誇る女王の美貌が、スノーホワイトに追い越される時が来たというのだ。
しかし、「スノーホワイトの新蔵を口にすれば、永遠の若さと美貌が手に入る」と、魔法の鏡に告げられ、悪の女王はあの手この手でスノーホワイトを追跡し、罪のない命と自然を破壊していく。

スノーホワイトを捕えるために、ラヴェンナが放った刺客のハンター、エリック(クリス・ヘムズワース)は、スノーホワイトを捕えるが、エリックは自分こそが女王に騙されていたことを知る。
女王と敵対関係に変わったエリックは、いつしか畏敬の念を抱くようになったスノーホワイトと手を組み、彼女は数々の危険を交わしながら、たくましく生きる能力を身につけていく。
しかしながら、たとえ地の果てまで逃げても、女王の魔の手から逃れられないと悟ったスノーホワイトは、抵抗軍を指揮し、女王を倒すべく新たに反撃の進軍を開始した・・・。

スノーホワイトは、決死の冒険を重ねながら、その旅の途中で、勇気はもちろん狩や剣の技まで磨き、戦うヒロインへと成長していく過程が描かれ、それがまた見どころともなっている。
そして最後に、ラヴェンナへ宣戦布告し、潔く立ち向かっていく。
このあたりは、ドレスをまとい、たおやかなイメージだった、従来の「白雪姫」とは打って変わった変貌ぶりだ。
甲冑に身を固めた、かっこいいアクションヒロインとしてのスノーホワイトが、堂々とスクリーンの中を暴れまわるのだ。

平和を願い戦うスノーホワイトも、人々を魔法で支配するラヴェンナも、この作品の女性たちは、男など足元にも及ばぬパワーと輝きを持ち、実にエネルギッシュだ。
その彼女たちの行動に、馬鹿な男たちが従い、サポートしていく姿が何とも楽しい。
他人に頼らずに、運命を変えるほどの決断を自分に課すヒロインたちの映画だから、大いに受けるのかもしれない。
もちろん、下地となっているグリム童話の、毒リンゴや目覚めのキス、7人の森の小人たち、「鏡よ、鏡、鏡さん、この世で一番美しいのは誰?」と尋ねる、あの魔法の鏡のエピソードも盛り込まれている。
このルパート・サンダース監督アメリカ映画「スノーホワイト」では、結末も含め、おとぎ話の固定観念は見事に打ち破られる。

激しいバトルアクション以上に、ドラマティックで、勇猛果敢な物語が貫かれている。
21世紀の、「白雪姫」の物語だ。

シャーリーズ・セロンが、変装したり、女の生気を奪うことの非道な姿を見せつつ、憎み切れない女王の悲しき一面を見せる、貫録の演技で悪の女王を熱演、その特殊メイクもさすがだし、戦う白雪姫が壮絶なバトルを繰り広げるクリステン・スチュワートも、美しき戦士を演じて火花を散らしている。
黒いマントがカラスの群れに変じ、鏡が人間の形になったりと、映画そのものが本当に魔法のようなVFXだ。
全篇がファンタスティックで、スクリーン一杯に特撮映画の面白さが爆裂する!
でも、女王の死は案外あっけなかったし、彼女は本来権力を失うことを恐れていたのだろうから、新アレンジとしては、永遠の美しさや容姿にこだわるよりは、そちらの方の描き方にこだわってもよかったのではないかという気もする。
邪悪で残虐な魔女も、衰え始めた容姿が気になるところだが、彼女にとって、美しさとはすなわち権力そのものだったはずだ。
二人の女性ヒロインが中心になるからか、男性陣がここでは影が薄いのもやむを得ないか。

ともあれ、善の心を持つ姫と、悪の女王の激突は、美女たちの息つく間のないアクションで楽しませてくれる、スペクタクルだ。
「アリス・イン・ワンダーランド」のスタッフたちが、大胆なアレンジを加えた最新作とあって、インパクトも強い。
新たなる「白雪姫」伝説は、見応え十分の娯楽大作ではある。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ジェーン・エア」―運命に妬まれ魂で結ばれた愛の行方―

2012-06-10 10:00:00 | 映画


 19世紀イギリス文学
の、シャーロット・ブロンテ不朽の傑作を、キャリー・ジョージ・フクナガ監が映画化した。
 作品は1847年出版以来、幾度も映画化され、劇場映画版は18作品、TV映画は9作品にものぼるそうだ。
 原作の醸し出す美しさを保ちつつ、今の時代にも通じる、女性の解放と平等をテーマに、この古典小説を家族の物語として描き切った。

 主人公のジェーン・エアの選択は、許されぬ恋であった。
 この映画は、小説のもつ今日性を重んじ、現代に相応しい作品として生み出された。
 しかし、何といっても、古典文学をベースにしているので、作品の古風感は否めない。
 でも、それはそれでいいのだ。
 ドラマのカメラワークも抑え気味で、静けさに満ち、音楽も派手さはない。
 それでいい。
 映画は総じて地味なつくりながら、濃密なラブストーリーとして現代に甦った。


     
ジェーン・エア(ミア・ワシコウスカ)は、ずっとひとりで生きてきた。

幼いころに両親を亡くし、引き取ってくれた伯父もなくなり、その妻と息子にひどく苛められた。
寄宿学校では、教師たちからも不当な扱いを受け、初めてできた友達は病に散った。
それでもジェーンは、悲しみや痛みに屈しなかった。
何があっても、前を向き、信念と知性で、自らの魂が求める自由な生き方を探し続けた。

ジェーンは、名家の家庭教師という職を手に入れる。
充実した日々を送るジェーンの前に、気難しくどこか陰のある、屋敷の主人公ロチェスター氏(マイケル・ファスベンダー)が現れる。
やがて二人は、互いの独特な感性や考え方に惹かれあい、ロチェスター氏は身分の違いを超えて、ジェーンに結婚を申し込む。
だが、彼には怖ろしい過去があった。
それは、屋敷の隠し部屋に幽閉した妻の存在であった。
・・・そして、何も知らずにウェディングドレスに身を包んだジェーンに、ロチェスター氏との結婚式の朝、初めて愛した人の秘密が明かされるのだ・・・。

運命は、ジェーン・エアに過酷なカードを配った・・・。
イギリス文学史上、すべてのタブーを破ったとされるこの作品は、当時の女性の自立や妻を隠した男性との恋愛を扱う、スキャンダラスなものだとしたのだ。
アカデミー賞にもノミネートされたが、作品中の、イギリスの伝統を伝える繊細な衣装は全て手作りだそうだ。
キャリー・ジョージ・フクナガ監督は、前作「闇の列車、叱りの旅」(2009年)のあと、この作品のメガホンをとったわけだが、現場の匂いや風のそよぎまで感じさせるような映像表現は、34歳の新鋭の演出としてはなかなかのものだ。
ドラマの古風なのは、致し方のないことだ。それだけ原作に忠実だったということだ。

いつでもラブストーリーに見る、ひたむきな愛と信念は、ここでも強く揺るぎのないものだ。
「ジェーン・エア」という小説に初めて出会ったのは、もう半世紀以上も前のことである。
19世紀にに生まれた作品だからといって、古典の持つ質は変わらないが、この作品が問いかけるテーマは決して古いものではない。

ジェーンが、由緒正しいソーンフィールド館の家庭教師となった時、家政婦のフェアファックス夫人(ジュディ・デンチ)がすべてを取り仕切っていて、ロチェスターにエレガントな令嬢ミス・イングラム(イモージェン・プーツ)との結婚話が持ち上がり、それを知ってジェーンはどんなに胸を痛めたか。
恋の駆け引きが耐えられるわけもなく、彼女は屋敷を去る決意をするのだが、そのときロチェスターに、「あなたと離れるのは引き裂かれる苦しみです」と告げ、ロチェスターはその魂の告白に心を貫かれるのだ。
それにしても、このドラマの最後は、爽やかな後味を残している。
ロチェスターとジェーンの間に交わされる言葉は、もう必要なかった。
ジェーン・エアが最後に目にしたものは、豪壮だったソ-ンフィールド館の焼け崩れたあとと、いまは視力を失って佇むロチェスターの姿であった・・・。

原作者のシャーロット・ブロンテは、1855年38歳の若さで病死したが、この名作は今も読み継がれている。
若きキャリー・ジョージ・フクナガ監督は、まだ今後が楽しみである。
イギリス・アメリカ合作映画「ジェーン・エア」の、時代を超えた強い女性を演じるミア・ワシコウスカも、ジェーンと禁断の恋に落ちるドイツの非凡な演技派マイケル・ファスベンダーも共に存在感があっていい。
「ジェーン・エア」は幾度も映画化されており、これまでは、ロチェスターに妻がありながらジェーンと結婚しようとするのを正当化する意味でも、妻の狂気や殺意が強調されるきらいがあったが、この作品ではそれがない。
むしろ、強い女としてのジェーン、そして、ロチェスターとの間に培われる愛に焦点があてられている。
ロチェスターの館の、怪しげな謎めいた雰囲気もよく出ている。
だからといって、それは大げさなものではなく、そこからジェーンの不安、恐怖、ロチェスターの恐怖までもが、鮮やかに描き出されるという結果をもたらしている。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ミッドナイト・イン・パリ」―遊び心たっぷりの奇想とユーモアに満ちたタイムスリップ―

2012-06-07 17:30:06 | 映画


 才人ウディ・アレン監督の、‘魔法’を堪能するドラマだ。
 今年のアカデミー賞では、脚本賞受賞した。

 今は亡き芸術家たちと、同じ空気を吸う。
 あこがれの天才たちと、親しく会話を交わすのだ。
 そんな夢と妄想を描く、ファンタジックな作品である。
 ウディ・アレンといったらニューヨークだろうが、最近はロンドンやバルセロナでも映画を撮っている。
 この作品、何たって芸術の都、花のパリが舞台だが・・・。









             
ハリウッドの人気脚本家ギル(オーウェン・ウィルソン)は、作家への転身を考えていた。

彼は、婚約者のイネズ(レイチェル・マクアダムス)やその家族と、パリ旅行に出かける。
どこかへ踊りにいきたいというイネズと別れて、ギルは真夜中のパリをさまよい歩く。
そこへ、一台のクラシックカーが近づいてきて、思わず乗り込んでしまった。

12時の鐘が鳴った時、ギルが連れていかれたところは1920年代のパーティーであった。
早速のタイムスリップだ。
ギルはこうして、作家フィッツジェラルドや作曲家コール・ポーター、詩人のジャン・コクトーらと出会うのだった。
彼は、翌日の深夜にも、¥1920年代に出向き、こんどはヘミングウェイピカソに会い、ピカソの愛人アドリアナ(マリオン・コティヤール)とも出会い、親しくなった。
さらには、1890年代のベル・エポックのパリまで行き、そこではロートレックゴーギャンと出会う。

敬愛する芸術家たちや美女が次々と現れ、夜な夜なタイムスリップの世界へ繰り出すギルだったが、昼間は小説の手直しに没頭するようになり、男友達のポール(マイケル・シーン)と親しげにしているイネズとの距離は遠ざかるばかりだ。
アドリアナは、退屈な1920年代よりも華やかさのあるベル・エポックにこのままとどまりたいと言い放ち、ずっと以前から1920年代のパリをその理想のゴールデンエイジだと信じてきたギルは、混乱して、何が何だかわからなくなってしまうのだった・・・。

気まぐれな、パリの街が微笑んでいる。
大人のユーモアとファンタジーが賑やかに融合する、魔法の世界だ。
これが、ウディ・アレンの真骨頂なのだろうか。
ギルという男の不思議な体験を通して、現実と自分の人生を見つめなおしていくという物語だ。

車や馬車に乗り込むだけで、苦もなくタイムスリップしてしまう展開は、何だかひどくご都合主義で、辟易しないといえば嘘だ。
ウディ・アレン監督スペイン・アメリカ合作映画「ミッドナイト・イン・パリ」は、ここに描かれる自由な軽やかさがアレンの特質だろうが、鬱屈した俗世から、人間だれしもひと時おおらかに解放されるという設定だ。
しかし、ディキシーランドジャズでオープニング、ドラマは確かに軽快そのままの語り口で展開するが、登場する人物たちはほとんどアメリカ人で、交わされる会話もほとんどがフランス語ではなく英語、舞台だけが、正真正銘フランスのパリなのである。

パリの夢は夜開くともいうが、パリのミッドナイトにしても、いくら魔法だからといってもアメリカ製のベルエポックと言ったって・・・。
やはり、どうもちょっと、という気はする。
ウディ・アレンの時間飛行と言ってしまえばそれまでだが、主人公に語らせる、饒舌きわまりないセリフのひとひねりも、ときにくどくて食傷気味だ。
洒脱な(?)語り口に戸惑う観客をよそに、それでもこの作品を楽しむ人は多いことだろう。
何のことはない、どこかテレビの旅番組のような“パリのアメリカ人”の観光旅行なのだ。
よき時代のパリの夜、ガス灯にそぼ降る雨がよく似合って、このカットだけを見ると、一瞬フランス映画のような気もして・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ある秘密」―魅力のフランス映画未公開傑作選から―

2012-06-05 10:00:00 | 映画

 人間の不可解さ、ファッションと美術の美しさ、そして人生の奥深さを描いて、フランス映画3本はいずれも素晴らしい。
 巨匠監督3人による、2000年代の未公開作品は、どれも本国では大評判だったそうだが、何故か日本では劇場公開されなかった。

 クロード・シャブロル監督「刑事ベラミー」は、実際に起こった保険金詐欺事件をもとにした作品だし、クロード・ミレール監督「ある秘密」は、ナチス占領下のパリと現在を幻想的にミックスさせた心理サスペンスだし、エリック・ロメール監督「三重スパイ」は、1930年代のパリで暗躍するスパイの周囲で起きる、裏切り、騙しあいの痛快な傑作サスペンスだ。

 これらの作品群は、いかにも、フランス映画の香気と心憎いまでに計算された、センシティヴな心理描写に魅了される要素がいっぱい詰まっている。
 これら3篇を観て、しかしクロード・ミレール監督「ある秘密」が、抜きん出て秀逸な作品といえる。

 クロード・ミレール監督は、トリュフォー、ゴダールといったヌーベルバーグの助監督としてキャリアをスタートさせ、のちに彼らの正統な後継者と呼ばれた。
 その彼が、ある家族の謎めいた過去と、両親の青春時代に起きた悲劇的な事件を綴っている。
 フィリップ・グランベールの同名小説を映画化したこの作品は、ナチスが台頭した第二次大戦下のフランスで、あるユダヤ人一家に起きたその悲劇を、幻想的な映像美と、過去と現在を巧みに織り交ぜた緻密な構成で描いた、ミレール監督入魂の叙事詩である。
 自身がユダヤ系でもある監督が、幼少時代の経験を原作に重ね合わせて、フランス現代史の負の遺産を主題として扱っている。

       

                 
1985年、パリ…。

フランソワ(マチュー・アマルリック)の勤め先に、1本の電話がかかってきた。
高齢の父マキシム(パトリック・プリュエル)が、家を出たきり帰らないという。
実家に向かうフランソワの胸に、子供時代の記憶が甦る。

少年時代のフランソワは、ひとりっ子で引っ込み思案の病弱な子供だった。
フランソワは、体を鍛えるのが好きな父マキシムと、水泳のチャンピオンでモデルだった、美しい母タニア(セシル・ドゥ・フランス)に囲まれて過ごす日々だった。
フランソワは運動が苦手で、両親に負い目を感じていて、いつしか自分以外に誰にも見えない“空想の兄”を心の中に作り上げた。
その兄はハンサムで、運動神経も抜群だ。

少年の一番の親友はルイズ(ジュリー・ドゥパルデュー)だ。
彼女は向かいの店で、マッサージ店を経営している。
ある日、フランソワは、屋根裏部屋で古いぬいぐるみを見つけるが、それを知って両親はひどく動揺する。
二人の様子が気になったフランソワは、ルイズから両親の過去についてある事情を聞き出した。

マキシムはタニアと一緒になる前、別の女性で魅惑的なアンナ(リュドヴィーヌ・サニエ)と結婚していた。
彼女の両親は、ヒトラーの権力が増すのを恐れていた。
何故なら、彼らはユダヤ人だったからだ。
マキシムもユダヤ人だが、その前に自分はフランス人だとみなしていた。
アンナとマキシムの間には、息子シモンが生まれるが、ナチスのユダヤ人弾圧は日に日に厳しさを増していた。

次第に、情緒不安定となっていくアンナとは別に、二人の結婚式で出会った美しいタニアに惹かれていくマキシムであった。
ナチスの手が彼らの身辺に近づき、アンナとシモンは田舎へと脱出する。
そして・・・、やがて取り返しのつかない悲劇が起きる・・・。

「ビア・アフター」「少年と自転車」で一躍脚光を浴びたセシル・ドゥ・フランス「引き裂かれた女」のリュドヴィーヌ・サニエ「さすらいの女神(ディーバ)たち」カンヌ国際映画祭批評家連盟賞受賞マチュー・アマルリックら、いまのフランス映画界を代表するスター俳優たちが一堂に会し、奥行きのある演技を披露する。
こんな名画が、これまで日本で公開されなかったなんて・・・。
ドラマには叙情的なエロチシズムも散見されるが、哀しみに彩られたラブストーリーと、家族に秘められた謎を解き明かすサスペンスが、見事に融合している!
これこそが、クロード・ミレール監督の到達点だ。

ドラマは、ユダヤ人に対する弾圧が背景にあるが、過去の場面はカラーで現在の場面はモノクロでと、わざわざ通常とは逆の選択をしている点も興味深い。
これは、原作では、現在起きていることのすべてが過去時制で書かれ、過去の出来事のすべては現在時制で書かれていることによるものだ。
フィリップ・グランベールの原作は、フランスでベストセラーになった作品で、過去と現在のあいだをさまよいつつ、そのあいだで時間が多数化し、登場人物は年を取り、時代は変化する。
幾つかの箇所で、物語は夢見られた人生の物語となり、現実の人生の物語ではないから、映画の内容はよほど注意して観ていても、ときに解り難い部分もある。
映画では、7歳と14歳という、二人の子供が重要な役割を演じる点も注目だ。
クロード・ミレール監督「ある秘密」は、フランス映画の間違いなく珠玉の秀作である。
若手女優を美しく撮ることでも知られるクロード・ミレール監督だったが、惜しくも去る4月4日パリで永眠した。
享年70歳であった。
よき映画をありがとう。合掌。
     [JULIENの評価・・・★★★★★](★五つが最高点)


映画「幸せへのキセキ」―動物園まで買ってしまった実話から生まれた物語―

2012-06-01 21:30:00 | 映画


 実際にあった、嘘のような本当の話を、キャメロン・クロウ監督が映画化した。
 しかも、誰にでも起こりうるキセキ(奇跡)として描いた。
 2006年に、イギリスの動物園を買い取り、家族とともにそこへ移り住んだ、イギリス人ジャーナリストの実話である。

 失った人を忘れるのではなく、深く愛し続けながら、悲しみから立ち直ろうとする主人公が、爽やかな元気を招く。
 コメディの要素もたっぷりの、人と人の絆を描く、温かな物語だ。
 大人も子供も、素直に楽しめる作品だ。
 今回は、試写会での鑑賞となった。












            

 
               
ベンジャミン・ミー(マット・デイモン)は、ロサンゼルス新聞のコラムニストで、危険な冒険に挑むリポーターだった。

ベンジャミンは、半年前に最愛の妻を亡くし、シングルファーザーとなった。
彼は悲しみを抱えながら、14歳の息子と7歳の娘の,幼い二人の子供たちと、悲しみと混乱の中にいて、新しい人生を歩み始めようとしていた。

家族に元気を取り戻そうと、仕事を辞めたベンジャミンは、郊外の18エーカーの土地に建つ古くて素朴な家を買った。
ところが、何とその家は、ローズ・ムーア・アニマル・パークと呼ばれる、動物園のおまけがついてきた。
そこの動物たちの世話をしていたのが、ケリー・フォスター(スカーレット・ヨハンソン)を中心とする、献身的な飼育員のチームであった。
経験もないし予算もない中で、ベンジャミンは、飼育員や地元の人々の助けを借りて、動物園の再会を目指すのだった。

ベンジャミンの仕事は、もはや冒険リポーターではなく、いまや毎日の暮らしそのものが冒険となっていた。
しかも、その冒険は、彼の家のすぐ裏庭で起きていたのだ。
果たして、ベンジャミンが動物園を買った本当の理由は、何だったのか。
ラストシーンには、愛する人をもっと大切にしたくなる、サプライズが用意されている・・・?!

9カ月もかけて、実際に建設された動物園のセットが、このドラマの見ものだ。
大農家スタイルの大きな家といい、原作の舞台はイギリスなのだが、映画の舞台はアメリカだ。
ロケの場所は、ロサンゼルスの郊外だというが、よくこんな場所が見つかったものだ。

子供が反抗期で問題を起こし、父親のベンジャミンが学校に呼び出されたりと、彼はいろいろと苦労が絶えないがよくやっている。
登場人物たちの心情を表すかのような、音楽の使い方(選曲)がいい。
クロウ監督がこの映画を作りたかったのは、誰もが幸せになってほしいからであり、そこに生きようとすることの意味を感じ、喪失感が逆に意欲や希望やエネルギーに変わりうることの素晴らしさを、訴えたかったのだ。

映画のクライマックスで、映画のモデルとなった、実在のベンジャミンら主人公たちが友情出演しており、作品の中で「パパはほかの人のパパよりずっとハンサム。だって、ほかのパパはみんなハゲてるんだもん」というシーンでも、映画では娘のロージー役の実在の娘エラちゃんが登場し、とにかくベンジャミン一家が総出で登場しているのも見逃せない。

深い悲しみから立ち直ろうとする主人公を、「ヒア・アフター」マット・デイモンが心のこもった演技で見せ、動物園の飼育員という役どころを演じる、「それでも愛するバルセロナ」の実力派女優スカーレット・ヨハンソンは、ここではセクシーなイメージを一新し、真面目で現実的な女性を演じている。
キャメロン・クロウ監督アメリカ映画「幸せへのキセキ」は、あまり癖がなく、どこまでもミラクルな物語だ。
見終えたときに、悲しみを乗り越えた幸福感に思わずほっとして顔がゆるむ、ヒューマンでちょっぴり感動的な作品だ。
映画の原題は「We Bought a Zoo」だが、邦訳のタイトルは、あまり感心しない。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点