徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」―理不尽な弾圧と闘い抜いた脚本家の苦悩と復活の軌跡―

2016-07-31 18:00:00 | 映画


 男はいかにして逆境を生き延びたか。
 ソ連との冷戦の時代、国家権力が共産主義者を排除する名目で、厳しい取り締まりが行われた。
 多くの映画人のキャリアや人生そのものまで、破滅に追いやられた。
 そして、ハリウッドの華麗な歴史の汚点となった。
 “赤狩り”である。

 その中でも、最初に標的となった10人の監督や脚本家は“ハリウッド・テン”と呼ばれ、そのうち最も有名なのが、この作品で描かれる主人公ダルトン・トランボその人だ。
 かの有名な「ローマの休日」は、トランボが偽名を使って書いた脚本で、当時彼の名が表に出ることはなかったのだ。
 その背景に迫る実話を、ジェイ・ローチ監督が映画化した快作である。






第二次世界大戦後、アメリカでは“赤狩り”が猛威を振るっていた。
売れっ子脚本家のトランボ(ブライアン・クランストン)は、妻クレオ(ダイアン・レイン)や子供たちと幸せな日々を送っていたが、理不尽な弾圧はハリウッドまで及んだ。
トランボは米下院の非米活動委員会の追及を受け、議会での証言を拒否したという理由で、国家の転覆をもくろむ破壊分子だとして投獄されてしまう。

やがて出所して、最愛の家族のもとに帰るトランポだったが、すでにハリウッドでのキャリアを絶たれた彼には仕事はなかった。
彼は過酷な現実を見据えながら、ゴーストライターとして脚本を書ける立場を利用し、徹底的に書き続けるのだった。
そしてトランボが本名を伏せて書いた「ローマの休日」などはアカデミー賞を二度も受賞する。
そうして、トランボは再起の道を力強く歩み出すのだった・・・。

一時期映画界を干されたトランボを、陰で使い続けるB級映画会社との交渉も面白いし、家の浴室にこもって、ひたすらタイプライターのキイをたたく彼の姿には、鬼気迫るものがある。
トランボを支える家族の献身や、彼の復活を後押しする俳優ジョン・ウェインカーク・ダグラス、オットー・プレミンジャー監督らも登場して、いりいろと興趣尽きないドラマだ。

”赤狩り”の嵐の中で、犠牲者トランボに焦点を絞ったハリウッド裏面史ともいえる。
戦争の危機感に脅えていた時代に、国家権力の介入によるいわれない弾圧を受け、映画人、言論人の組織は分断され、弱体化していく。
言論と表現の自由を訴える、抵抗勢力の代表格としてのトランボの目線は爽快だ。
彼の復帰を支えたのは、もちろん仕事仲間の脚本家や俳優、監督たちだった。
彼には、転んでもただでは起きない映画人魂があった。

反骨精神旺盛な脚本家の彼も、実は大変家族思いの優しい人柄だったそうだ。
のちに、あの大作「スパルタカス」「「パピヨン」といった傑作を手がけた、希代の脚本家の軌跡を伝える実話は感動的でさえある。
何はともあれ、逆境にめげずに這い上がっていく、腕一本での生き残り作戦は痛快だ。
ジェイ・ローチ監督アメリカ映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は、娯楽性たっぷりの作品だ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆(★五つが最高点
次回はメキシコ・フランス合作映画「或る終焉」を取り上げます。


映画「生きうつしのプリマ」―家族の絆を見つめなおす成熟した大人の女性の物語―

2016-07-28 16:00:00 | 映画


 亡き母の人生を知る旅・・・。
 悩める心は、その謎が解けるとき、時空を超えて解き放たれる。

 ヨーロッパで数多くの映画賞に輝き、日本でも高い評価を受けた「ハンナ・アーレント」(2012年)マルガレーテ・フォン・トロッタ監督が、主演のバルバラ・スコヴァと再び手を組んだ作品だ。
 ドイツとアメリカを舞台に、母と娘の時を超えたサスペンス・ミステリーが展開する感動作だ。













父パウル(マティアス・ハービッヒ)から、切羽詰まった様子で呼び出された歌手のゾフィ(カッチャ・リーマン・・・。
いきなりインターネットで見せられたニュースで、1年前に亡くなった最愛の母エヴェリン(バルバラ・スコヴァとそっくりの女性が映っていたというのだ。
カタリーナ(バルバラ・スコヴァ二役)というその女性は、ニューヨークのメトロポリタン・オペラで歌う著名なプリマドンナだった。
同じ女性歌手でも、ドイツの名もないクラブをクビになったばかりのゾフィとは、住む世界も違うスターだ。

パウルはどうしても彼女のことを知りたいと、ゾフィを強引にニューヨークへ行かせる。
そして、どこかミステリアスなカタリーナに振り回されながら、ゾフィは彼女と母との関係を探っていくのだった。
オペラの人気歌手カタリーナは、個性的だが気まぐれな性格で、最初はゾフィを相手にしない。
だがゾフィが、認知症患者の施設にいるカタリーナの母に会いに行って、彼女がエヴェリンを知っていたことから、カタリーナは自分の出自に疑問を抱き始めるのだった・・・。

ドラマは、家族がもしかすると崩壊しかねない重大な母の秘密を、いとも軽やかに綴っていく。
エヴェリンの秘密が明らかになるにつれ、彼女の経験した愛の喜びと苦悩が浮かび上がってくる。
カタリーナの出自をめぐって謎は膨らんでいくが、一方でドイツにいるパウルは亡き妻の幻影に悩まされていた。
やがて舞台がドイツに戻ると、カタリーナとゾフィが異父姉妹であることがわかる。
では、カタリーナの父親は誰なのか。
愛し合っていたはずの亡き妻に「復讐される」と口走る父、母の墓に供えられる贈り主不明の花束、記憶を知っているカタリーナの母が隠す古い写真など、数々の謎が解き明かされていくとき、そこに母の真実の姿が現われてくるのだが・・・。

演出も脚本も手堅く、サスペンスフルな謎解きに惹きつけられながら、家族とは何かという巧みな問いかけを観るものに訴えてくる。
ゾフィとカタリーナ、エヴェリンとカタリーナの母という、女性たち二組の共闘を描きなつつ、エヴェリンを愛した男たちが見えてくる後半が面白い。

映像美の中で、自分たちの父母の秘密を解き明かしていく、リーマンスコヴァがとても魅力的だ。
ドイツ映画「生きうつしのプリマ」は、また軽妙なユーモアにオペラやブルースなどの音楽を散りばめた映像世界を作り上げ、実に陰影に富んでいる。
謎解きのプロセスを通して、家族に絆と確執、愛の純粋さと恐ろしさを描く。
トロッタ監督の過去の経験がベースとなっており、隅々まで知的なたくらみに満ちた映画といえる。
とりわけ、カッチャ・リーマンバルバラ・スコヴァ両女優の演技は圧巻だ。
ミステリアスで、しかも重厚な上質ドラマとくれば、爽快な感動をもたらしてくれること間違いなしである。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリア映画「トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男」を取り上げます。


映画「団地」―大きなうねりとなっていくご近所さんのしゃべくりの果てに―

2016-07-25 11:00:00 | 映画


 阪本順治監督が、日本を代表する舞台俳優・藤山直美とのコンビネーションで、完全オリジナル脚本の会話劇を完成させた。
 様々な人生が交叉する、団地という小宇宙が舞台である。
 ごく平凡な夫婦の、しかし決して普通ではない日常を、独特の感覚で描き出している。

 ドラマの全編から、何とも言えない強烈な(?)可笑しさが漂い、かなり誇張されたひねりやギャグやこじつけ気味のセリフが飛び交い、予測もつかない展開に翻弄される。
 荒唐無稽、ときに軽佻浮薄な上方漫才を思わせるような、ハチャメチャ喜劇である。










大阪郊外のある古びた団地・・・。
山下ヒナ子(藤山直美)、清治(岸部一徳)の夫婦は、二人きりでひっそりと暮らしている。
半年ほど前に、とある事情で稼業の漢方薬局を廃業して、引っ越してきたばかりだ。
ヒナ子は毎日パートの仕事に出かけ、清治は植物図鑑を片手に裏手の林を散歩三昧だ。
どこか世を捨てたような、そんな雰囲気に隣人たちは好奇心を隠せない。

ある日、団地内のちょっとした事件をきっかけにヘソを曲げた清治は、床下の収納庫に潜ってしまう。
「僕は死んだことにしてくれ!」と言って・・・。
それから2ヵ月、団地からぷっつり姿を消した清治について、近所では失踪説が流れたが、ヒナ子の方はといえば何事もなかったかのように、淡々とパート通いを続けていた。
やがて、「山下さんていう人、殺されていると思う」と、ある主婦が思わず口走った言葉をきっかけに、噂は一気にエスカレート!
団地内に妄想が渦巻き、マスコミの取材クールがどっと押し寄せ、さらには立居振舞の可笑しい、奇妙なセリフを発する青年・真城(齋藤工)が山下家を訪れて・・・。

まず阪本監督が映画賞を総なめにした「顔」(2000年)で主演に迎えた藤山直美を再びタッグを組んだ、妄想としゃべくりの風変わりなハーモニーに驚く。
生真面目で、ちょっぴり不器用な主人公を演じる藤山直美は、舞台出演が多く、久しく遠ざかっていた映画への復帰を果たした。
彼女は心に大きな悲しみを隠しつつ、日々の暮らしや近所付き合いを淡々とこなす平凡な主婦を、さりげなく、しかし愛情豊かに造形して見せる。
藤山直美は、中国上海国際映画祭でこの「団地」の演技で、金爵賞最優秀女優賞獲得した。
日本人では初めての受賞だそうだ。
その藤山の相手も名優・岸部一徳で、二人の絶妙な掛け合いはまるで夫婦漫才だが・・・。

まさにありえないことがありえてしまう、ファンタジックやイリュージョンまで登場し、団地空間は好奇心から妄想へと加速し、やがて、誰もが予想だにしなかった、仰天のラストを迎えることになる。
これを面白い、愉快だと見るか、馬鹿馬鹿しいと見るか。
奇想天外な脚本、決して上質とは思えないC級コミックを思わせる(?)笑いといい、登場する団地の住民たちがみんな異化され、どこか別の星からやって来た異生物人間のように思えて、ワクワク、ドキドキしながらがっかりさせられたりもする。

阪本順治監督映画「団地」では、ブラックユーモアの溢れるハイテンポンの会話が充満し、しつこいまでの笑いをまき散らし、うねるような風刺とユーモアを溢れる人情がつつみ、これでもかこれでもかと観客に迫る。
俳優陣は誰も熱演で、可笑しみと悲しみがスクリーン一杯に広がる。
高齢化社会の話かと思ってみると、とどのつまりはUHOまで団地の上空に現れて、藤山直美ならずともなんのこっちゃか解りませなんだ・・・。
主役夫婦のセリフ回しを核に、団地住民たちの奔放な井戸端会議とやらにも、こちらはもう辟易、食傷気味で、この映画の鑑賞はいささか疲れました。
      [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点
次回はドイツ映画「生きうつしのプリマ」を取り上げます。


映画「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」―19歳の王女が宮殿を抜け出した日―

2016-07-21 19:00:00 | 映画


 生誕90周年を迎えたエリザベス女王は、イギリス史上最高齢、最長在位の君主だ。
 そのエリザベス女王の若き日を、ジュリアン・ジャロルド監督が映画化した。
 それは、英国王女19歳のエリザベスが、初めて自由を謳歌した夜であった。

 1945年5月8日は、第二次世界大戦で連合軍がドイツに降伏文書調印をさせた日で、バッキンガム宮殿では盛大な勝利宣言が行われた記念すべき日だった。
 ヨーロッパ戦勝記念日とは、この日のことだ。
 王女は、生涯初めての自由時間をどのように過ごしたのだろうか。












この日イギリスでは、6年間続いた戦争が正式の終わりを告げた。

71年前のことである。
記念すべきこの日を、国を挙げて祝う夜のことだった。
父である国王ジョージ6世(ルパート・エヴェレット)の許しを得て、エリザベス王女(サラ・ガドン)と妹のマーガレット(ベル・パウリー)は、生まれて初めてバッキンガム宮殿を後にする。
付き添いが目を離したすきに、シャンパンに勢いづいてバスに飛び乗ったマーガレットを追いかけ、エリザベスは街へ出る。
そして、彼女の人生を変える一夜が始まる・・・。

「ローマの休日」を思い起こさせる映画だ。
一王女が庶民の世界で自由を満喫し、空軍軍人との一夜の冒険を描いており、そこに巻き起こるドタバタ騒動が面白いといえば面白い。
いまのエリザベス女王からは、とても考えられない。
可憐なプリンセスの数々の思いがけない出会いに、「イン・ザ・ムード」「タキシード・ジャンクション」など往年の名曲が彩りを添える。
実話とはいえ、王女姉妹が、宮殿をお忍びで脱け出したのは確かなことだとしても、ここで演じられるドラマはどうか。
もちろん、フィクションない混ぜのドラマには違いないだろうが、いささか退屈しのぎの演出も手伝っている。
余情や情感は期待していたほどではなく、まずまずの仕上がりもわるくはない。。

イギリス映画「ロイヤル・ナイト」は、いろいろと思いがけない出来事を通して、次期女王としての自覚と覚悟を決めるようになる、エリザベスの若き日の出来事を結構コミカルに綴っている。
人騒がせな内容のドラマだが、「英国王のスピーチ」で描かれた王室の6年後、王宮を抜け出した王女の限られた一夜のハッピーな人間讃歌である。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は日本映画「団地」を取り上げます。


映画「ひと夏のファンタジア」―心ときめく真夏の夜の夢のような―

2016-07-19 16:00:00 | 映画


 韓国の是枝裕和として注目される、俊英チャン・ゴンジェ監の最新作である。
 映画は河瀬直美のプロデュースで、奈良県五條市を舞台に撮影された。

 見知らぬ土地の人々との出会いがある。
 二人の男女が寄り添って、偶然と必然が交錯する。
 淡々と描かれる風景の中に、出会いがあり別れがある。
 映画は第一章と第二章の二部構成になっている。











第1章・・・。
韓国からやって来た映画監督のテフン(イム・ヒョングク)は、助手兼通訳のミジョン(キム・セビョク)とともに、観光課の職員武田の案内で街を歩き、様々な人々と出会い、いろいろな話を聞く。
古い喫茶店、廃校、ひとり暮らしの老人・・・。。
寂れゆく町にも人々の営みを感じたテフンは、旅の最後の夜に不思議な夢を見る。

第2章・・・。
観光から奈良にやって来た若い女性ヘジョン(キム・セビョク二役)は、五條市の観光案内所で知り合った、柿農家の青年友助(岩瀬亮)に案内されて、古い町を歩き始める。
自分にはひとりになる時間が必要だ。
そう悟るヘジョンに、友助は次第に心惹かれていくのだったが・・・

チャン・ゴンジェ監督のデビュー作「つむじ風」 (2009年)、「眠れぬ夜」 (2012年)に次ぐ、3作目の作品だ。
1章に出てきた同じ俳優で、1章に出てきた五條という同じ町で、どうすれば違うドラマが作れるか。
そう考えながら第2章は作られている。
2章は、1章に登場した人たちの過去を見ているようだ。
映画の順序とは逆に、現在と過去が同時に進行しているような、不思議な感覚にとらわれる。

1章に登場する映画監督は、自分自身を描いているようだし、2章はシナリオらしいシナリオもないまま、ほとんど即興で作られていったようだ。
そう見ると、古びた町の現実をスケッチしたドキュメンタリー風でもあり、2章に入ってそれがロードムービーのような旅行映画の趣きを見せる。
韓国の女性が日本語を話している。
これもまた、新しい映画を思わせる。
全体をどう解釈しようと観客任せなのだ。

作品はモノクロとカラーと二分別され、異なった時空で、同じ俳優が演じているところに観ている方はこだわってしまうのだが・・・。
第1章については、映画内映画という、入れ子構造という手法を使っての撮影で、ここでもかなり即興部分が演出効果を上げている。
1章でポツリポツリと語られるモノクロが、2章に移ってからカラーに変わり、韓国から出てきたヘジョンが、青年友助と出会って切ない恋に落ちてゆくシーンがなかなかいい。
この二人のほかに、この映画には町の人々も登場してくるし、どこか現実離れした雰囲気が醸し出されている。

華やかに空に舞い、散っていく打ち上げ花火・・・、人の心を癒し、はかなく消えてゆくファンタジーが、ひと夏の夢を彩る。
しいて言えば、ドラマともいえないようなドラマで、ささやかなロマンスの部分も、期待のわりには恋愛以下(?)の物語で、何やら切なさだけがしんみりと残って・・・。
一風変わった、映画作りの新しい実験とみると、韓国・日本合作映画「ひと夏のファンタジア」は、詩情漂うリアリティをもった夢のような映画だ。
いつまでも、余韻が心地よい。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はイギリス映画「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」を取り上げます。


映画「裸足の季節」―自由を奪われた美しき反逆者たちの物語―

2016-07-15 12:00:00 | 映画


 黒海沿岸、トルコの小村を舞台に綴られる、少女たちの甘くほろ苦い受難のドラマである。
 アンカラに生まれ、パリで映画を学んだ、38歳の女性監督ニズ・ガムゼ・エルギュヴェンの、初長編作品だ。

 自由や成長といった、日常的なテーマが描かれ、美しい空と風のそよぎ、たてがみのようにつややかな髪、生命力に満ちた存在が少女たちを輝かせている。
 社会性もあるし、娯楽性もある。
 それに、スピード感のある展開も心地よい。












13歳のラーレ(ギュネシ・シェンソイ)は5人姉妹の末っ子だ。
ラーレは、長女ソナイ(イライダ・アクドアン)、次女セルマ(トゥーバ・スングルオウル)、三女エジェ(エリット・インジャン 、四女ヌル(ドア・ドゥウシル)と、10年前に両親を失ってからというもの、封建的な叔父エロル(アイベルク・ペキジャン)と祖母(ニハル・コルダシュ)のもとに身を寄せて暮らしていた。
学校生活を満喫していた彼女たちだったが、ある日、男子と一緒に海で遊んでいてふしだらだと責められ、姉妹を病院へ連れて行き、“純潔”の確認までさせるのだった。

・・・封建的な思考、因習・・・、叔父と祖母は、彼女たちを傷ものにならないうちに無事に嫁がせるべく、家に閉じ込め、家事を仕込み、当人たちを無視して縁談をすすめ始める。
まるで彼女たちは、他の選択肢などないかのようだ。
そうして、勝手に決められた相手との結婚まで無理強いされる中、末っ子のラーレはある計画を実行するのだった・・・。

思春期の少年少女の心は、自由や愛、夢と希望にあふれているとはいっても、彼らの心は社会の伝統や環境、しきたりに左右される。
閉塞的な環境のもとでは、なおさらだ。
女であるというだけで、自由に生きられない。
そんな窮屈な場所から、自分を解放して反抗しようとする少女たちの姿が、みずみずしく新鮮だ。
彼女たちの状況は極めて理不尽なのだが、少女たちはいつも光に包まれて申し分なく生き生きしている。
古い因習にのみ込まれていく5人姉妹の運命を、光と緑あふれる美しい映像で、切なく描いている。
彼女たちは幾度も脱出を試みるが、そのたびに家は鉄格子や高い柵で囲まれてしまい、まるで「籠の鳥」であった。
そんなことにラーレは強く反発する。
幼い主人公の勇気ある行動に、拍手を送りたくなる。

ドラマ冒頭の部分、5人姉妹が学校帰りに、男の子たちとじゃれあうように制服のまま海に飛び込み、そのまま騎馬戦遊びとなる。
浜に上がれば、よその家の果樹園の林檎をもぎっては勝手にかじり、その現場を見つかって一目散で逃げ帰る。
まあ、したい放題の青春のひとこまである。

今風に言えば、お祖母さんや叔父さんが、結婚前の娘たちが「傷もの」にならないように、部屋に閉じ込め、花嫁修業を強制する。
エスカレートする大人の監禁の眼をかいくぐって、彼女たちは人並みの自由を求めているのだ。
つまりは、何のことはない、自由を奪おうとする大人たちとの対決だ。
こうなると、閉じ込められた乙女たちの夢は、遠く離れたイスタンブールに逃げ出すことだ。
彼女たちにとって、なかなか手が届かない憧れの都がイスタンブールなのだ。
何ともいたいけな、つらい少女たちのお話ではあるのだが、観ている方も人知れぬ元気をもらった気持ちになったりして・・・。
こんな時代遅れの社会が、まだまだ存在しているというのも少々驚きだ。
フランス・トルコ・ドイツ合作映画「裸足の季節」では、登場人物たちが、めげずにみんな元気なのが宜しい。
姉妹を演じる5人の初々しい演技が光っているが、全員が新人だそうだ。
若いということの、何という素晴らしさか。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本・韓国合作映画「ひと夏のファンタジア」を取り上げます。


映画「王の運命(さだめ)~歴史を変えた八日間~」―朝鮮王朝最大の謎にせまる―

2016-07-11 16:00:00 | 映画


 韓国公開初日に、26万5000人の観客を動員したといわれる。
 「王の男」(2006年)イ・ジュニク監督は、国王と王子の悲劇的な父子確執として語られる、李朝の史実を新しい歴史的解釈で映画化した。

 1762年に実際に起きた、悲劇的な父子の確執は、イ・サンの祖父との間で起きた「米櫃事件(壬午士禍)」として有名な話である。
 この作品は、新たな視点で紐解かれる、芳醇な時代劇の様相を呈していて、見応えも十分だ。













朝鮮第二十一代国王英祖(ソン・ガンボ)は、40歳を過ぎて授かった息子世子(王子)を跡継ぎとして、学問と礼法に秀でた王に育て上げようとする。
だが、芸術と武芸を好む自由奔放な青年へと育つ王子(思悼世子)ソン(ユ・アイン)に、英祖は失望と怒りを募らせていく。
英祖の抱いていた期待はかなえられず、世子もまた親子として接することのない王に、憎悪にも似た思いにとらわれて、二人の関係は悪化の一途をたどるのであった。
父子はすれ違いのまま、英祖はついに世子に自害を迫るまでに至る・・・。

英祖はいつも家臣の前で世子を罵倒し、何かといえば苛立つ冷酷さを見せる。
それは、全て王となるべき息子への愛情の裏返しであったと、死にゆく息子を前に本心をのぞかせる場面は、理解できぬでもない。
お互いに分かり合えない父子の悲劇は、そこから生まれる。
王と王子という立場や、礼節という枠にとらわれるあまり、相手の心に分け入って真摯に向き合うことを怠った結果は、現代にも通じる部分だ。

そもそも、親子、夫婦といえども、権力は分かちえない。
父と子と聞けば、いつの時代も競争関係を生み、洋の東西を問わず悲劇のドラマとなる。
英祖の時代考証は、華美を退け、悲劇的な雰囲気を突き詰めている。
世子が、精神的に錯乱に至っていたというのは新解釈だが、事実だという説もある。
しかし、結局親子に戻れなかった二人である。
親が子供に過分な期待をかけるのもどうか。

イ・ジュニク監督韓国映画「王の運命(さだめ)~歴史を変えた八日間~」は、家臣の派閥抗争を背景に、王妃ら女性たちの思惑を取り込みながら、登場する人物の心情に細やかに寄り添って、描写も的確だ。
権力闘争の中で孤独にさいなまれながら、父ではなく王としてしか生きられなかった名君を演じるソン・ガンは、韓国の国民的俳優だし、父の渇望する世子役を熱演したユ・アインは、「青龍映画賞主演男優賞」を受賞した人気俳優だ。
のちに、「思悼世子」と呼ばれる世子の死後、遺児となったサンがこのあと「イ・サン」の物語へと引き継がれていくわけである。
ドラマは、過去と現在が並行し、混在する場面もあり、朝鮮王朝史を少しでもひも解いていないと理解しずらい部分もある。
でも、十分に楽しめる底力を感じさせる映画で、激動の歴史を駆け抜けた者たちの、史劇を超えた家族史でもある。
2016年の、アカデミー賞外国語映画賞韓国代表作である。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス・トルコ・ドイツ合作映画「裸足の季節」を取り上げます。


映画「木靴の樹」「緑はよみがえる」―イタリアの巨匠エルマンノ・オルミ監督の新旧二作品―

2016-07-06 17:30:00 | 映画


 1978年、カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)に輝いた作品が、何と四半世紀ぶりにスクリーンに戻って来た。
 映画史に清冽な光を放つ、伝説の名作である。

 秋の取り入れ、冬の焚火のもとでの語らい、春の陽射しへの夢・・・。
 土とともに生きる人々の営みが、美しく静謐な映像の中で語られてゆく。
 エルマンノ・オルミ監督の、名もなき人々に向ける優しく深い眼差しは、釈迦の不条理への静かな告発でもある。












19世紀末の北イタリア、ベルガモ・・・。
厳しい大地主のもとで、バチスティ家、アンセルモ家、フィナール家、ブレナ家の四軒の農家が、肩を寄せ合うようにして暮らしていた。
貧しい彼らは、農具や生活の品の多くを地主から借りていた。
ある日、パチスティ家のミネク少年(オマール・ブリニョッリ)の木靴が割れてしまう。
父は、村から遠く離れた学校に通う息子のために、川辺のポプラの樹を伐り、新しい木靴を作った。
しかし、その樹木も地主のものだったのだ。
アンセルモ家のルンク未亡人(テレーザ・ブレッシャニーニ)は、洗濯女をしながら6人の子供を養っていたし、ブレナ家の美しい娘マダレーナ(ルチア・ペツォーリ)は紡績工場に勤めていて、そこで知り合ったステファノ青年(フランコ・ピレンガ)と結婚する・・・。

人々の暮らしが、大地の四季のめぐりとともにあった時代である。
農家の貧しくもつましい日々が、慈しみを込めて映し出されていく。
厳しい農作業、祭り、結婚、出産、喜びと悲しみ、原題の文明社会とは対極にある人たちの暮らしが描かれる。
まだ近代化されなかった時代の、農民の暮らしの悲惨さ、地主の横暴もわかるが、神を信じ、大地を信じ、ひたすら生きようとした彼らの無言の姿をあるがままに見ることで、その間の歴史の流れ、人間の変化に、様々な問題点が浮かび上がってくる。
イタリア農民の視線は、一世紀を超えた今でも、今日の人間に伝えてくるものがある。

イタリア映画「木靴の樹」は、オルミ監督が自らの視線で、人間の根源的な問題を表現した一作として、高い評価を得ている。
日本初公開から37年、当時この作品の出現は、オルミ監督が敬虔なカトリック信者だったこともあって、宗教的な色彩の強い作品として賛否は別れたが、日本人の理解はどの程度のものであったか想像に難くない。
いま、スタンダードサイズのこの画面に接するとき、近代化の時代が変わっても生まれたばかりのような、不思議な、人々の息づかいが感じられる。
それは、人間が自然の掟の中で生きてきた時代の姿であり、いまよりも人間が尊大になる前の貧しく慎ましく、臆病で、しかし逞しかった時代の家族の肖像なのではなかろうか。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点



 こちらは、エルマンノ・オルミ監督最新作(2014年)である。
 第一次世界大戦の激戦地、北イタリアのアジアーゴ高原を舞台に、イタリア軍兵士たちを待ち受ける過酷な運命を描いている。

 人は、人を赦すことができるものだろうか。
 オルミ監督が万感の思いを込めて、亡き父に捧げる物語だ。
この作品で描こうとしたことは、幼い頃目にしてから生涯忘れることのなかった、父の涙の意味だという。
 冒頭の満月が輝く雪山のシーンが、何ともいえず美しい。










イタリア・アルプスのアジアーゴ高原・・・。
冬は雪で覆われ、夏には緑が生い茂る。
かつてここで戦争があった。
1917年冬、イタリア軍兵士たちは雪山の塹壕に身をひそめていた。
敵の砲撃に怯え、寒さと飢えと戦いながらも、彼らの楽しみは家族や恋人からおくられてくる手紙のみだった。
そんな時、ある夜も更けたころ、司令部から少佐(クラウディオ・サンタマリア)とまだ少年の面影を残す若い中尉(アレッサンドロ・スペルドゥーティ)がやって来る。
新たに通信ケーブルを敷設するというのだ。
小隊の大尉は、前線の戦況を知らない司令部の机上の計画だとして、強く抗議するのだが、任務に選ばれた兵士は塹壕を出た途端に狙撃され、落命する・・・。

映画の冒頭、イタリア兵の歌うナポリ民謡が響き渡り、戦場とは思えない荘厳さを湛えている。
このシーンが、すぐ後に続く攻撃のシーンに変わり、戦争の惨たらしさを映し出すのだ。
オルミ監督は一夜の出来事を通して、戦争の悲惨さを清冽な映像で綴っていくのだが、これも当時従軍した監督の父親の戦争体験から着想されたそうだ。

夜の塹壕と外の銀世界を、モノクロのような輝きで再現する映像は、過酷なな環境下で撮影されたが、ここに描かれた自然の景観の美しさはとても印象的である。
35ミリフィルムでの撮影後に、デジタル変換で色彩を落としているため、戦争という出来事の不条理さがより強く浮かび上がる。
戦闘さえなければ、沈黙だけが支配する美しい銀世界だ。
今なおこの地球の各地で戦争は続いている。
その世界の現状に、無言の平和を問いかける映画だ。
人間の愚かさ、戦争の悲惨さを伝えて、イタリア映画緑はよみがえる」は、小品ながらシンプルによくまとめられている。
エルマンノ・オルミ監督は、名作「木靴の樹」では、イタリアの平原で暮らす農民の日常を虚飾なく描いたが、この作品は父の戦争体験を土台に、彼が80歳を超えてたどりついた、郷愁あふれる戦争映画の佳作である。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は韓国歴史映画「王の運命(さだめ) 歴史を変えた八日間」を取り上げます。


映画「シチズンフォー スノーデンの暴露」―自らを犠牲にして国家の横暴を告発した男の勇気―

2016-07-02 12:00:00 | 映画


 当局から監視や妨害を受けながらも、イラク戦争やグアンタナモ収容所を追ったドキュメンタリーで高い評価を受けた、ローラ・ポイトラス監督作品だ。
 米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞作品である。

 事実は小説より奇なりだ。
 ここに描かれる監視社会は、まさに現実社会なのだ。
 アメリカ政府のスパイ工作を告発した、元CIA職員エドワード・スノーデンによる一連の事件の始まりと真相に迫る。
1964年生まれのローラ・ポイトラスは、ジャーナリストであり、アーティストでもある。
 スノーデン氏から届いたメールを彼女に届けたことから、このドキュメンタリーは始まる。







2013年6月、ひとりの若者の内部告発により、全世界に衝撃が走った。
その若者は、CIAや国家安全保障局(NSA)の訓練を受け、関連施設で高度な機密を扱ったことのあるサイバーセキュリティのエキスパートだ。

その告発内容は、国家による違法なプライベート侵害行為が、一般国民を対象に、かつてない規模で行われているという驚くべきものであった。

スノーデン事件とは、アメリカの二大情報機関に属した若者が、戦慄すべき国家権力乱用の実態を、大量の機密文書とともに暴露したうえ、みずから実名で名乗り出るという、かつて類を見ない事件だった。
この作品は、その一部始終をリアルタイムで記録した、極めて貴重な時代の証言である。

コードネーム“シチズンフォー”と名乗る人物から、政府は極秘事項に関する情報提供を示唆するメールを受け取った。
ローラ・ポイトラス監督は、旧知のジャーナリスト、グレーン・グリーンウォルドとともに香港に飛ぶ。
そこで二人を待っていたのは、元CIA職員エドワード・スノーデンその人だった。
ローラがカメラを回す中、スノーデンは驚くべき話を始めた。
それは政府が、一般市民の電話の会話、メールの内容などの膨大な通信データを収集、分析しているという事実であった。
さらに驚いたことに、当局の追及がスノーデンに及ぶ前に、グリーンウォルドはこの事実をメディアに公表しなければならない。
国家権力を敵に回した緊迫した状況下で、ポイトラスとグリーンウォルドは、どのようにしてジャーナリストとしての使命を果たす戦いに挑んでいったか。

スノーデンが極秘資料を示しつつ、国家機密であるアメリカ政府の情報収集の実態を記者に明かす場面は、香港のホテルで撮影されたそうだ。
火災報知機の鳴る現場の緊張、部屋の電話機を盗聴器にしてしまう遠隔操作の警戒、ホテルから脱出するのに変装するスノーデンの姿など、生々しい場面が随所に見られる。
アメリカの同時テロをきっかけに、テロ対策とプライバシー保護のありかたが、いま日本はもちろん、世界共通の大きな課題となっている。
政府が何をしているか。
機密情報のありかたは・・・?

圧力に屈することなく、スノーデン事件を記録した勇気ある当事者たちの作業は、高い評価を得た。
グリーンウォルドの記事を掲載したガーディアン紙は、ピューリッツアー賞受賞し、彼が事件の全貌と機密文書を明らかにした著作は、世界24カ国に同時刊行されてベストセラーとなった。

アメリカ・ドイツ合作映画シチズンフォー スノーデンの暴露」は、スティーヴン・ソダーバーグ製作総指揮を務め、現代社会の知られざる現実を大胆に白日の下に曝すこととなった。
国家が国民個人のデータを収集していたという事実は、日本人にとっても他人事では済まされまい。
いまこの瞬間においても、私たちの個人情報が違法に流失しているかも知れないからだ。
そうであろう。
「国家は、あなたを監視している」
この一言に真実がある(?!)。
真実は真実なのだ。
こんなことが起きないとは言えない気がする。
ジャーナリズムは、監視社会の怖さと権力を厳重にチェックすべきだ。
考えさせられる問題をはらんだ、画期的なドキュメンタリーだ。

NSAがドイツのメルケル首相の携帯電話を盗聴していた事実も、明るみに出た。
CIAによる別のスパイ事件も表面化した。
またNSAは、安倍首相の電話も盗聴していたことが2015年に発覚した。
しかし、全ては密室で処理されたといわれる。
主権を侵害された政府は、正式に抗議をしないのだろうか。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はイタリア映画「木靴の樹」「緑はよみがえる」を取り上げます。