徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「人生の特等席」―時代に取り残された老スカウトマンの話―

2012-11-29 17:30:00 | 映画


 魅力的なタイトルだが、老いをさらけ出す主人公が本当にカッコいいかどうか。
 クリント・イーストウッド82歳にして、このベテラン俳優が伝えようとする人生の景色はと、思わず期待する。

 イーストウッドの愛弟子といわれる、新人ロバート・ロレンツ監督のデビュー作である。
 このドラマに登場するイーストウッドは、やや自虐的な演技で、おそらく彼のファンをうならせるに違いない。
 どこにでもいそうな初老の男の生き様を描く一方で、父と娘の絆をも描く物語でもある。
 主人公は健康上の問題を抱えていて、人生の壁にぶち当たっている。
 娘は娘で、めぐってきた仕事のチャンスを取るよりも、望まれてもいない父親を助ける。
 そこに、このドラマの演出するジレンマや葛藤がほの見えるが、残念ながら、総じて退屈なドラマになってしまっている。
 主人公も渋いし、 映画も渋いが・・・。


       
ガス(クリント・イーストウッド)は、かつてメジャーリーグ敏腕のスカウトマンだった。

彼は、コンピューターも使わず、メールもせず、昔ながらのスタイルを貫いていて、話し方もぶっきらぼうで、近頃は視力も衰えて目もかすみ始めていた。
老いからくる衰えで、球団から不安視されていたのである。

そうはいっても、ガスはスカウトマンとしての自信と誇りまでは失っていない。
ガスは、キャリア最後の旅に出る。
そんな父に手を貸したのは、父との間にわだかまりを感じ続けてきた、一人娘のミッキー(エイミー・アダムス)だ。
妻を亡くし、男手ひとつで育てようとして果たせなかった娘と、この不器用な父親とは、思いがけず旅をすることになる。
長いこと疎遠だった父娘関係は、微妙に揺れる・・・。

父親としてのガスは、シングルファーザーとして、一人娘を理想的な環境で育てられなかった。
それを悔いていて、いつも自分の負い目になり、娘とのわだかまりが生じている。
娘のミッキーのほうは、ノーマルな子供時代を送ることができなかったけれど、いまでは弁護士として成功している。
父親のガスは、そのことをとても誇りに思っているし、内心喜んでいる。
ガスは、娘が自分のそばにいることを嫌がっている。
それは、娘にいい人生を送ってもらうためには、自分が邪魔になると考えているからだ。
ロバート・ロレンツ監督アメリカ映画「人生の特等席」では、このあたりの描写とか、映画の終盤近く、直球しか打てないバッターをスカウトするかしないかという場面などはちょっぴり面白く見せてはいるが、総体的に退屈な場面が多すぎる。

この作品は、父親と娘の再生を描いているが、これに似たようなテーマはこれまでも繰り返し取り上げられてきた。
父と息子をテーマにした作品の多い中で、父と娘をテーマとすることもまた、ロレンツ監督の重要なファクターなのだと感じる。
やや疲れが見えるといっても、老優はなお健在ではあるが、ドラマの面白さを期待するのは酷なようだ。
娘役に登場する、エイミー・アダムにわずかながら救いの余地がある。
父と娘が和解していく過程は、穏やかでいい。
存在感あるクリント・イーストウッドの、颯爽とした老いの姿はいいとしても、しかしこれをカッコいいというのは如何なものだろうか。
タイトル負けのする作品というのも、時にはあるもので・・・。
老いた男のひとつの人生と、娘の生き生きとした新しい恋、そして、この切っても切れない父娘の絆を、さらに深く掘り下げることができたなら、もっともっと素晴らしい特等席が用意できるかもしれない。
いや、本当に。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「カラスの親指」―ミステリアスだが面白おかしいヒューマンタッチの群像劇―

2012-11-27 21:00:00 | 映画


 道尾秀介の原作を、伊藤匡史監督が映画化した。
 社会の底辺で生きてきた、男と女たちが、一発逆転を試みる。
 シリアスなドラマだが、互いに騙し騙され、その裏には驚愕の事実が潜んでいて・・・。

 作品の細部に至るまで、実に細やかな伏線を縦横に張り巡らせている。
 どうもうっかりしていると、見過ごしてしまうこともある。
 そこには、いくつもの謎解きのヒントも隠されていて、いわば詐欺師を主人公に据えたドラマだ。
 映画ならではのミステリーといっても、賑やかなヒューマンドラマを見ているようだ。
 あまりに多くの伏線があって、観客までがこのドラマにまんまと騙されてしまいそうだ。
 よくよく注意して鑑賞する、心構えが肝要だ。
 コミックを見ているような、痛快さもある。
 とは言っても、さて・・・。



      
悲しい過去を背負って、詐欺師となったタケ(阿部寛)と、成り行きでコンビを組むことになった新米詐欺師テツ(村上ジョージ)は、一見何から何まで対照的な二人だった。

そんな二人のところへ、突如美人姉妹のまひろ(能年玲奈)とやひろ(石原さとみ)とその恋人(小柳友)が強引に転がり込んできた。
3人もまた、不幸な生い立ちを持ち、ぎりぎりのところで生きてきたのだった。
こうして、3人の居候と合わせて総勢5人のちょっと奇妙な協同生活が始まった・・・。
途中から可愛い子猫のトサカも加わり、まるで本当の家族のような温かい時間を過ごしたのもつかの間、タケの暗い過去の因縁はじわじわと彼らを追い詰め、危険な目にさらされていくようになるのだった。

・・・8年前、ごく普通の会社員だったタケは、同僚の保証人となったことがきっかけで、ヤミ金の法外な借金を背負わされる羽目になり、厳しい取り立ての挙句、とうとう勤めていた会社までクビになってしまった。
タケは、言われるがままに、ヤミ金業者として働くことになった。
返済能力もない客から、最後の一滴までしぼり取る“わた抜き”を任され、心身共に擦り減っていくタケは、妻まで亡くし、いまでは6歳の愛娘沙代が唯一の心の支えだった。
しかし、ある日、タケがわた抜きをしていた家庭の母親が自殺する。
タケは、残された子供を想い、激しい罪悪感に駆られる日々を送る・・・。

ヤミ金業者の、ヒグチ(鶴見辰吾)の一喝に怒りに燃えたタケは、ヒグチの目を盗み、重要書類を強奪、そのまま警察へ向かった。
ヒグチは即座に逮捕されたが、その報復としてタケの自宅に火が放たれ、二階で寝ていた沙代の命も奪っていった。
以来、タケはすべてを捨てた。
まっとうに働くことも、本当の自分の名前さえも・・・。
そして、詐欺師として、裏の世界で生きることを決意した。
そんな矢先、テツと会いコンビを組むことになったのだった。
こうして、タケとテツを中心に、彼ら総勢5人が、それぞれの思いの交錯する中、怨念と復讐の“一発逆転”をねらって反撃に立ち上がったのである・・・。

スリリングな展開の中で、ユーモアと人情味たっぷりのドラマは、数々の伏線を散りばめながら、ひとつ屋根の下に集まった5人の導く結末へと向かっていくのだ。
終点は誰にもわからない。
カラスとは、サギ師のことだそうで、ドラマは上映時間2時間40分を忘れてしまいそうなほどの、騙しのテクニックをふんだんに見せながら、急展開を見せる。
このドラマを完全に理解しようとするには、かなり神妙な理解力と忍耐力が必要だ。
場合によっては、一度の鑑賞では無理かもしれない。二度三度も見ないことには・・・。
最初から最後まで、細かいディテールまで決して見逃してはならない。

伊藤匡史監督映画「カラスの親指」では、次々と予想を裏切られる中、終盤では大きなどんでん返しが待っている。
5人の男女が織りなす「疑似家族」は、丹念に描かれているが、やはりどう見たって作りものっぽい。
後半、ヤミ金にいじめ続けられる彼らが、復讐に立ち上がるわけだが、大金を獲得すると、5人はそれぞれが離れ離れになる。
彼らは、どこへ去っていくのだろうか。
それは、誰にもわからない。

主役の阿部寛は、とぼけた味がよく生かされているが、相棒役の村上ジョージは役がよくこなれていないせいか、あまり上手いとは思えない。
5人は同じ穴のムジナのように、これも偶然だが、深い絆で結ばれているようなところがあり、タケを追い回している闇金業者らは実はひろ、まひろ姉妹の母親を自殺にまで追い込んだ仇だったわけだから、彼らの仇討やいかに・・・、といったところだろうか。

観客は、自分の鑑賞眼と映画のシーンとの勝負になる。
騙しも、ときには“正義”たりうるのかも知れない。
人が殺されたり、自殺させられたり、家族を失った登場人物たちが寄り添って、ひとつ屋根の下で疑似家族になるという設定も面白いが、そこには人の情が通い、子猫が救いのように登場したり、ユーモラスな場面も用意されているあたり、この作品はミステリーというよりは、やはり、面白おかしいヒューマンな群像劇のようだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)


映画「チキンとプラム~あるバイオリン弾き、最後の夢~」―可笑しくて切ない愛の物語―

2012-11-25 20:55:00 | 映画


 人が人を想う、切なさ・・・。
 ここに、死を決意した音楽家がいる。
 彼は、叶わなかった恋に思いを馳せる。

 大切にしていたバイオリンを壊されてしまった主人公は、名器・ストラディバリウスと出会っても、 自分の心を満たすことができない。
 「失われたものは、すべて君の輝く音色の中にある」
 マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・パロノー監督の、フランス・ドイツ・ベルギー合作映画だ。
物語は、滋味深く、優しい詩情にあふれている。
愛と絶望のファンタジーが、心にしみわたる・・・。











  
天才音楽家ナセル・アリ(マチュー・アマルリック)は、絶望のあまり、死ぬことにした。
大切なバイオリンを壊されてしまい、同じ音色が出せる見つからないからだ。
はるばる出かけた怪しげな店の、モーツアルトのものだったという名器・ストラディバリウスも、遠く及ばない。
音楽を奏でる喜びは、営々んに失われてしまった。
そういうわけで、ナセル・アリは、死を決意したのだ。

その死の前の8日間で、ナセル・アリは自分の人生を振り返る。
空っぽな音だと叱られ続けた修業時代、絶大な人気を誇った黄金時代、人生最大の失敗だった愛のない結婚、怖かったが優しかった母の死、大好きなソフィア・ローレンとチキンのプラム煮・・・。
そして、いまも胸を引き裂くのは、かなわぬ恋であった・・・。

・・・ついに旅立つその時、ナセル・アリは4日目に見た夢の続きを追いかける。
アリからすべてを奪い、すべてを与えた、叶わなかった愛の物語そのものだ。
それは、ひたすら音楽を追い求める自分と、平凡な幸福を求める妻ファランギース(マリア・デ・メディロス)との結婚生活だった。
そして、バイオリン弾きの最後の夢が始まる…。
子供のような、無邪気な気持ちを持った主人公のバイオリン奏者は、生きる歓びを失って、憂鬱な人生を食っていた。

ベッドに横たわって、死を待ちながら人生を振り返る男、ナセル。アリ・・・。
永遠の旅立ちのその前に、彼が見た最後の夢は、引き裂かれた愛の記憶であった。

スクリーンに映し出される情景は、ファンタジックである。
物語も、ファンタジックだ。
それも、悲しみのドラマなのに、どこか可笑しく、コミカルなのだ。
誰にだって、愛する人と添い遂げることのできない人生は、切なく辛いものだ。
このドラマ「チキンとプラム~あるバイオリン弾き、最後の夢~」は、原作そのままの構成をたどる。
最初に死が発表され、そのあとに死の8日前からの一日一日が説明され、描かれていく。
その流れの中で、ナセル・アリのこれまでの人生が浮かび上がってくるという、かなり入念に練られた構想だ。
妻に、楽器を壊されたくらいで死を考えるというのもドラマのファンタジックだが、それもナセル・アリにとっては、バイオリンが自分の体の一部であり、自分そのものとなっていたからこそだ。
なかなか、凡人には理解しにくい。

ナセル・アリには、イラン南部の都市シーラーズというところで、妻より前に出会っていて、結婚に至らなかった女性イラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)がいる。
このイラーヌとの別れから30年後、700キロメートル北の首都テヘランの街頭で、二人は偶然のようにすれ違うのである。
驚きと喜びで、彼女を見つめるナセル・アリと対照的に、年老いたイラーヌは、能面のような顔で一言「Au Revoir(オー・ルボワール さようなら)」と言って去っていく。
それは、またいつか会うときもあるという意味を込めたフランス語であり、もし永遠の別れを伝えるならば、同じ「さようなら」でも「Adieu(アディユー)」でなければならない。

ナセル・アリは、自分の本当に愛した女性との愛が引き裂かれ、母親から強制的に結婚させられた女性と一緒になったのだったが、それがそもそものつまずきだった。

この作品では、そんな主人公ナセル・アリの繊細な心理を、悲しみさえもコミカルに楽しく(?)描いている。
そうかと思うと、さりげない毒気も利かせている。
マチュー・アマルリックの演技は、絶妙に上手いと感心した。

映画は、クライマックスに近づくと、胸が詰まってきそうな感傷が襲ってくる。
人を恋しく思う気持ちがないと、美しいメロディを奏でることはできないと言う話をよく聞くけれど、わかる気がする。
死を決意した天才音楽家が、人生最後の日に叶わなかった恋に思いを馳せる。
そして、最後の見えてくる人生の走馬灯、それは甘酸っぱい人生の味だ。
スクリーンの上を行き来するリアルとファンタジーの、この切なく、ロマンティックなラブストーリーに涙する人もいることだろう。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「わたしたちの宣戦布告」―生と愛と希望のエモーショナルな讃歌―

2012-11-23 16:00:00 | 映画



 愛する難病の息子を抱えて、その試練に勇敢に立ち向かっていく、家族の実話をもとにした物語だ。
 この作品は、監督・脚本・主演ヴァレリ-・ドンゼッリ脚本・主演ジェレミー・エルカイムの二人と、その子供の家庭に実際に起こった話である。
 何と、成長した息子とともに、親子三人を演じているのも、当の本人たちであることに注目だ。

 ドンゼッリ監督は、ファニーな個性派として話題中の女性だし、実際にカップルであったロメオ役のジェレミー・エルカイムとの実体験を、ユーモアを交えて逞しく描いている。
 撮影も、実際の病院で行われた
 愛あればこそ伝えられる、勇気ある挑戦を描いたフランス映画だ。








      
ロメオ(ジェレミー・エルカイム)とジュリエット(ヴァレリー・ドンゼッリ)は、出会った瞬間から恋に落ちた。

息子アダム(セザール・デセックス)が誕生し、家族三人の幸せな生活が始まった。
だが、二人は間もなくアダムの様子がおかしいことに気づく。
病院で診察したところ、アダムは脳腫瘍に侵されていることが発覚する。
手術の成功率は10%だ。
ロメオとジュリエットは、思いもよらぬ困難に打ちのめされる。
しかし、二人はお互いに励まし、助け合いながら、アダムの病気と闘っていく。

息子の長期にわたる入院、莫大な治療費、同じ病院に入院している子供のこと、そして容赦なく迫りくる現実・・・。
ロメオとジュリエットの精神状態は、荒みがちであった。
アダムの入院している病院の近くに泊まり、毎日息子のところへ通い続けた。
二人は仕事を辞め、友達とも合わず、孤立を深めていった。
そんな期間が、二年も続いた。
・・・そして手術から5年、アダム(ガブリエル・エルカイム)は、8歳になっていた・・・。

主人公の深刻な体験にもとずく物語を、ポップ調の音楽と歌に合わせて、リズミカルに映し出していく。
そうした日常生活の風景の断片は、ユーモラスに、ときには快活に、短いカットの積み重ねで描かれる。
ドラマは、緩急自在のテンポで、長いスローモーションで撮られているところもあれば、アップテンポで全速力で登場人物を追いかけたりもする。

重いテーマでありながら、豊かなファンタジーの要素もあり、それらはとても軽やかに描かれている。
フランス映画ヴァレリー・ドンゼッリ監督「わたしたちの宣戦布告」は、ドキュメンタリーのようなドラマ、あるいはドラマのようなドキュメンタりーなのか。
どちらともいえるような作品だ。
映画のラスト、幸せはゆっくり続いてほしい、そんな祈りをこめたスローモーションにも見えた。

この作品が、本国フランスで大ヒットしたのもうなずける。
ヴァレリー・ドンゼッリ監督は、主演と同時に脚本も担当し、もうひとりの主演ジェレミー・エルカイムと、二人は実際の夫婦であり、アダムの父と母である。
種明しをすれば、難病を奇跡的に脱出したとき、息子はもう8歳になっていて、ラストで元気な姿を見せてくれる。
‘創る’ということは、ここまで自分たち自身を突き詰め、晒し出してしまうことのようでもある。

我が子を難病から救いたいという、唯一の願いから出発して、現実に振り回され、惑乱し、打ち砕かれるたびに、少しずつ強くなっていく実体験が、この作品を愛の物語(ラブストーリー)として、世に送り出したのだ。
映画の中で、困難にあってからのロメオは、男の沈着さと冷静さを忘れることなく、またジュリエットは女のひたむきな行動力で、お互いを支え合い、成長していった。
ただ、現実の話にしても物語にしても、これ迄とは違う‘永遠の絆’で結ばれてとはいっても、ロメオとジュリエット、二人の主人公が、最後にはそれぞれが別の道を選んで生きていくことになるというのは、どうも理解しがたいところだ。
ドンゼッリ監督は、作品の編集にあたっては、直感に頼る部分と微妙なさじ加減を計算しながら、ドラマの緊張感を高めていった。
それでいて、コミカルな要素を組みなおすことも忘れていない。
手作りだが、希望を抱かせるに十分なフランス映画の小品である。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ソハの地下水道」―真に語り継がれるべき歴史の闇―

2012-11-21 21:30:00 | 映画


 ナチス支配下のポーランドを舞台に、実話をもとに描かれた作品だ。
 真実であるが故に生まれるサスペンスだが、鑑賞には多少の苦痛も伴うことを覚悟だ。
 アグニェシュカ・ホランド監督による、心を震わせるポーランド映画である。

 第二次世界大戦中の、ナチスによるホロコーストの悲劇は、後世に警鐘を鳴らす戦争犯罪として、これまでも数多くの映画のモチーフとなってきた。
 この作品では、すでに描く尽くされてきたと思われる題材に、新しい視点から、その痛ましい時代を生きた人々の、忍耐、葛藤、良心を、迫力ある描写で追及した。

 といっても、主人公は迫害の標的となったユダヤ人ではない。
 ユダヤ人救済の、歴史的英雄でもない。
 このドラマで光を当てる人物は、貧しいひとりの労働者なのである。
 そのひとりの男の運命を描く、衝撃的な戦争実話だ。


     
・・・強制収容所への移送を連想させる玩具の列車、ドイツ人の恋人になっているポーランド人少女、森の中を全裸のユダヤ人女性の一群が逃げまどい、銃殺され、遺体の山となる・・・。
冒頭でいきなり映し出される、驚愕のシーンである。
このあとタイトルが出て、本編が始まる。

1943年、ポーランドの街ルヴフ(現在はウクライナ領)・・・。

下水道修理と空き巣稼業で妻子を養っているレオポルド・ソハ(ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ)は、収容所行きを逃れようとして、地下水道につながる穴を掘っているユダヤ人たちを発見した。
彼らを、ドイツ軍に売り渡せば金になるが、狡猾なソハは、ユダヤ人たちを地下にかくまってやり、その見返りに金をせしめようと考えた。
ところが、子供を含むユダヤ人グループは、面倒見きれないほど人数が多い。
だから、隠れ場所や食料の調達さえ、容易なことではない。

それに、ユダヤ人狩りを行う将校たちが、執拗なまでに鋭い目を光らせている。
ソハの妻子や若い相棒は、処刑の恐怖におののいている、
ソハ自らも、極度の精神的な重圧に押しつぶされそうになり、手を引くことを決心する。
だが、時すでに遅かった。
同じ生身の人間である、ユダヤ人たちに長らく寄り添い、その悲惨な窮状を目の当たりにしてきたソハは、彼らを守ってやらなければと、自分自身でも信じがたい茨の道を選択するのだった・・・。

このポーランド映画「ソハの地下水道」は、8年に及ぶ製作期間を経て完成に至った。
暗闇の中、臭気漂う劣悪な環境が、この作品の舞台だ。
ソハとユダヤ人グループの、神様のいたずらのような出会いから始まる物語は、様々な矛盾や欠陥を抱えた主人公の、数奇な心の旅を映し出すのだ。
地下水道での暗闘のシーン、極限状況下の家族の情愛、恋愛と出産、強制収容所への侵入、死といった、ドラマティックな要素の尽きない、しかしその痛ましい世界から一筋の希望を探り当てていく、迫真のサスペンスはとても感動的だ。
赤子の出産シーン、そしてその子の運命は・・・?

実際に、レオポルド・ソハの支援による、ユダヤ人グループの苛烈を極めた地下のサバイバル生活は、驚くなかれ14か月間にも及んだといわれる。
ドラマの後半、ルヴフの街に大雨が降り、濁流が地下水道に流れ込んで、地下生活を強いられていたユダヤ人たちに生命の危険が迫る。
このシーンは、圧倒的なリアリティで胸に迫ってくる。
しかも、ユダヤ人たちを救うために、洪水状態となった地下水道の奥へと、ソハは自ら身を投じていくのだ。

最初に、お金目当てでユダヤ人をかくまったソハの心が、次第に変化していく様子が大きな見どころでもある。
人間の生命、その行きたいと願う真直ぐな心が、ソハの意識を変えていったのだった。
ソハは、妻子を愛するごく普通の中年男であった。
その彼が、他人を救うことで自分の幸せをつかんでいったのだ。
1948年生まれのポーランド人女性監督アグニェシュカ・ホランドは、「若い収穫」(1983)、「僕を愛したふたつの国」(1990)に続く、これが3本目の戦争映画だ。
いずれもユダヤ性を見つめなおした作品で、冷徹だがしかし根源的な人間肯定の精神に支えられた、ホランド監督のテーマが浮き彫りになる。
暗く、重い作品だが、この映画を観ると、人の心を突き刺す強い力を感じないではいられない。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち」―未体験のゴージャスなパリの夜をスクリーンで―

2012-11-19 10:00:00 | 映画


 「パリ・オペラ座のすべて」の、フレデリック・ワイズマン監督が映した未体験のパリの夜・・・。
 米ドキュメンタリー界の巨匠が、世界的なフランス・パリの老舗ナイトクラブに、カメラを向けた。
 女性たちの、創造性豊かで大胆なショーは、幻想的できらびやかである。
 働く女性ダンサーたちの、舞台裏やオーディション風景など、パリの夜の美しい彩りに恍惚(?)として酔いしれて・・・。

 “クレイジーホース・パリ”は1951年の創立だ。
 “ムーラン・ルージュ”(1889年~)“リド”(1946年~)と並ぶ、パリの3大ナイトクラブのひとつだ。
 シャンゼリゼ通りル近く、ルイ・ヴィトン本店などがある、ジョルジュ・サンク12番地にあって、1日2回のショータイムが楽しめるのだそうだ。
 創立以来、600万人を超える観客が訪れ、4万5000回をけるショーを上映してきた。
 そのナイトクラブの、米・仏合作ドキュメンタリー・エンターテインメントで、パリの夜を体験する。

     
ワイズマン監督
というと、これまで「BALLET アメリカン・バレエ・シアターの世界」(95
「パリ、オペラ座のすべて」(09)と、いずれもダンスをテーマにしてきた。
その彼が3本目に選んだのが、この「クレイジーホース・パリ」のエンターテインメント・ショーなのだ。
新しいリズム、ダイナミックな店舗、さらに魅惑的な振り付けだ。
ダンサーたちの完璧なボディと、緻密に計算された音と光のステージは、ハイレベルの芸術的な美しいヌードを演出する。

あくまでも、女性であることを限りなく追及し、彼女たちのパフォーマンスからリハーサル、メイクアップ、衣装、オーディション・クラブの運営会議など、カメラが普段入ることのできないところまで、完全密着の70日間をスクリーンに映し出している。
女性ダンサーのオーディションでは、選ばれる方も選ぶ方も、とことんボディラインにこだわりを見せる。
女性がボディラインにこだわるのも、理解できますねえ。
素晴らしいボディラインは、もうそれだけで立派な芸術品だ。
映画の世界なのだが、観客は、まるでそこを訪れたかのような錯覚におちいり、一瞬幻想的な世界へと誘われる。

美の競演といったらいいか。
選ばれし世界的レベルのダンサーたちで、たとえオール・ヌードになっても、嫌らしさなどみじんも感じないから素晴らしいのだ。
かつて、東京有楽町に日劇ミュージックホールがあって夜ごと賑わっていたが、この「クレイジーホース・パリ」はふとそれを想い出させる。
確か、その頃の企画・演出は、今は亡き丸尾長顕氏だったと記憶している。

パリのクレイジーホースは世界中のセレブや文化人が賞賛する、夜の美の殿堂だ。
知性と教養ある紳士、淑女がそこに集まってくる。
このドキュメンタリーに登場する新作演目“DESIRで”は、著名な振付師フィリップ・ドゥクフレが伝統を踏まえた斬新な演出で、ショーの可能性を広げたといわれる。
フレデリック・ワイズマン監督新作「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち」は、常に進化しながら、いまも人々を魅了し続ける「夜の宝石たち」の、ショービジネス界のドラマ・ショットだ。
本物はいつでも美しい。
    [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋 」―20世紀最大のスキャンダル!?―

2012-11-17 17:00:00 | 映画


 一見、絢爛豪華で魅惑的な作品だ。
 映像は、洗練された美しさだ。
 愛のために王位まで捨てた、エドワード8世とウォリス夫人の真実の物語である。
 映画にも数多く出演し、女優としても活躍するマドンナ監督イギリス映画だ。

 このドラマは、「王冠をかけた恋」として知られる話だが、世界中から非難を浴びた女性ウォリス・シンプソンについては、あまり知られていない。
 王族に恋をした、ひとりの女性の素顔に迫る物語だ。
 いま時を経て、いわば世紀の恋のロマンスが形を変えて語り継がれる・・・。










       



     
1998年、マンハッタン・・・。

富と名誉に囲まれた一流分析医ウィリアム(リチャード・コイル)と、誰もがうらやむ暮らしを送るウォリー(アビー・コーニッシュ)には、人知れぬ悩みがあった。
結婚して6年、医師から妊娠が難しいと告げられたウォリーは不妊治療を望むが、夫のウィリアムは非協力的で、毎夜仕事で家を空けていた。
やり場のない気持ちを抱えたウォリーは、ある日、ニュースでウィンザー公爵(エドワード8世)夫妻の遺品がオークションにかけられることを知り、「王冠にかける恋」で知られる英国王エドワード8世(ジェームズ・ダーシー)とその妻ウォリス・シンプソンのオークション展覧会を訪れる。

ウォリーはそこで、二人の愛の結晶ともいえる数々の芸術品に魅了され、国王の心をつかんだアメリカ人女性ウォリス(アンドレア・ライズブロー)の愛の物語に惹かれてゆく。
しかし、世紀の恋に生き、すべてを手に入れたと思われていたウォリスにも、知られざる苦悩があったのだった・・・。
・・・62年も前の1936年12月11日、エドワード8世は退位声明を発表た。
そして、離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソン夫人との禁断の恋に落ちた。
王室、首相から「王冠をとるか、愛をとるか」と迫られたエドワード8世は、自らの王位を捨ててウォリスとの結婚を選択したのだった。

世紀のスキャンダルは、世紀のロマンスに変わった。
一国の王が、ひとりの女性のために、王位を放棄することを決めたのだから大変だ。
彼女は、彼にその選択をさせるだけの、何を持っていたというのだろうか。
愛に寄り添って、強く生き抜いた女性の姿だけがそこに浮かび上がる。
人を愛することから生まれる痛み、葛藤、そして喜び・・・。
アカデミー賞受賞作「英国王のスピーチ」で、王位を放棄し、弟のヨーク公(ジョージ6世)へ譲位した兄、その人がエドワード8世だ。

ところで、ウィリアムと別れたウォリーは、そのウォリスの本当の気持ちを知りたかった。
そして、かつてウインザー公爵夫妻が暮らしたブーローニュの森の邸宅を訪れ、いままで知ることもなかった、世紀の恋を生きた女性の苦悩に満ちた姿が浮かび上がってくるのだった。
絢爛たる衣装と美術、歴史的宝飾品をはじめ、革命的とまで言わしめたこの映画の映像美、そして全編に流れる音楽の素晴らしさは特筆ものである。

マドンナ監督イギリス映画「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋 」は、半世紀以上も前と現代とをめまぐるしく交錯させ、かなり慌ただしい。
頻繁な場面の転換は、かえって鑑賞している側を疲れさせるものだ。
登場人物たちも、十分に描かれているとは言い難い。
ウォリス夫人についても、どうであろうか。
彼女がどういう人物なのか、この映画の中でも詳細は明らかでないし、ウォリスとエドワード、この二人の結びつきも実際にはもっと葛藤や苦悩があったに違いない。
作品には、まだまだ描き切れていないことが結構ある。

現代を生きるウォリーが、1936年代のウォリスの生き方に惹かれていくということも、少しわかりずらいが、女性の視線から見ればこれを究極の愛だという人がいるかも知れない。
当時イギリスでは、離婚歴のあるアメリカ人女性との不倫は許されるはずもなかった。
のちに皇太后となった王妃エリザベスは、生涯決してウォリスとエドワードを許すことはなかった。
そして、退位したエドワードはそれがために、国王の許可なくしてイギリスの土を踏むことは許されなくなってしまった。
生涯を通して、二人にはいろいろなことがあったようだが、エドワードが亡くなると、ウインザー城にほど近い王室の墓地に埋葬され、さらに24年後の1986年にウォリスは90歳で天寿を全うし、彼女の亡骸もエドワードと寄り添うように静かな眠りについたという。

この世紀の恋にのめりこんだウォリーは、大富豪アルファイド氏(ハルク・ビルギナー)がウインザー公爵夫妻の往復書簡を所有していることを知って、パリに飛び立つのだ。
・・・アルファイド氏というのは、現チャールズ皇太子と離婚した、故ダイアナ元王妃の婚約者で、パリでのあのショッキングな交通事故の同乗者だそうだ。
そう見ると、この映画では、ダイアナ元王妃やカミラ夫人までが見え隠れする。
みんな大英帝国に生きた、犠牲者のようにも・・・。
まあ、一国の王たる者が、たったひとりの女のために王位を放棄するなど、ただ事ではないということだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「シルク・ドゥ・ソレイユ 3D 彼方からの物語」―映画で体験する究極のサーカス―

2012-11-15 18:00:00 | 映画


 映画館が舞台を見る場になるというのは、本当だ。
 「タイタニック」「アバター」ジェームズ・キャメロン製作総指揮による、世界屈指のパフォーマンスの映画化作品だ。
 ラスベガスの7つのショーを背景に、映画オリジナルで作り上げた、魅惑的な愛の物語だ。
 当然3Dの臨場感で、シルクの世界を堪能できる。

 パフォーマーは、オリンピック級の超人ばかりが出演する、それは実にスリリングなサーカスだ。
 そもそも、1984年にカナダで誕生したシルク・ドゥ・ソレイユだが、それまでの伝統的なサーカスを大胆にアレンジし、ストーリーやテーマを加えた作品性の高いショーが製作された。
 芸術性を追求し、アクロバットと融合した、これまでに見たことのない新しいエンターテインメントだ。
 「シュレック」「ナルニア物語」の、アンドリュー・アダムソン監督が脚本も手がけ、老若男女を楽しませるファンタジックなラブストーリーを作り上げた。

     
この作品で描かれるのは、運命の青年を探して、不思議な世界を旅する少女の物語である。
ある夜、主人公の少女ミアは、小さなサーカス団の公演を訪れ、空中ブランコの青年と出会った。
ところが、青年は公演中に突如として消えてしまい、青年を追うミア自身も、異世界へと迷い込んでしまう。
そこは、驚きの溢れるワンダーランドであった。
ミアは、不思議な登場人物と出会いながら、旅を続けていくことになる。

アメリカ映画「シルク・ドゥ・ソレイユ 3D 彼方からの物語」の背景は、ラスベガスでしか見られない7つのショーだが、それは巨大プールで行われるパフォーマンス「O」(水)、燃え上がる魂をダイナミックに表現するアクロバット「KA」(炎)、ビートルズの楽曲をBGMに、現代的な衣装や演出で魅了する「LOVE」(愛)に代表される。

この映画の特長は、たとえばスリリングなアクロバットの数々を、ステージ鑑賞ではかなわない至近距離で体感することができることだ。
そして、カメラは「KA」の舞台装置の屋根の上や、「O」のプールの中にまで潜入し、客席からは決して見えないアングルからの映像が、パフォ-マーたちの肉体のしなやかさや、緊迫感あふれる表情の細部にまで迫っていることだ。
今や、世界最高峰のパフォーマンス集団といわれるこの舞台を、実際に観てみたいものだ。

世界で、延べ1億人以上が観たという、極上のサーカスだ。
3Dの神様ともいうべきジェームズ・キャメロンが、何とこの作品のために13台もの最新3Dカメラを持ち込み、「O」や「KA」など、7つのショーは自ら撮影したといわれる。
アクロバティックな動きを、スローモーション映像で見ることができる醍醐味は格別だ。
・・・映画は、ここまで進化したのかと驚くばかりである。
水飛沫を浴び、炎に焦がされるような愛に震える、美しくも壮麗なファンタジーだ。
ともあれ、至福の瞬間は、誰もが自身の目で確かめてほしい。そんな気がする作品である。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「旅の贈りもの 明日へ」―めぐり逢いは42年の時空を超えて―

2012-11-12 23:00:00 | 映画


 人生の、忘れ物を探す旅に出る。
 めぐり逢う時と、めぐり逢う人と・・・。
 いま、42年の時を超えて、大人のファンタジーが細やかに綴られる。
 前田哲監督が描く、ロマンの香り漂うヒューマンドラマである。

 人は誰でも、過去のいろいろな想いを抱えている。
 その不確かな想いが、「忘れもの」だ。
 それは、ともすれば淡い恋であり、大切な想いを伝えられなかった、切ない後悔の想いかも知れない。
 遠い過去の時が、甦る。
 それは、いま歩いている人生の、少し後ろに落ちているかも知れない。
 希望に満ちた、実に心優しい物語である。








      
離婚後、ずっと独身生活を送っている仁科孝祐(前川清)は、大阪の大手建設会社で定年を迎えた。

ある日孝祐は、42年前に文通を通じて知り合った、初恋の人からの絵手紙を見つける。
過去の想い出が、甦る・・・。
孝祐は、彼女との想い出の地福井へと向かった。

福井で暮らしている秋山美月(酒井和歌子)は、高校時代に突然家を出てしまい、大学への進学をあきらめた。
その後、年老いた母との再会をを機に、母の介護をしながら、出張美容師として働いていた。
美月にも、大切にしている切ない想い出があった。

母子家庭で育った香川結花(山田優)は、結婚を目前に控えていた。
結花もまた、早春のある日福井へと向かった。
記憶に残る、楽しかった父との想い出、そして優しかった父の姿・・・。
結花は旅先で、心に抱く父との思いへの終着点を見つけようとしていた。

ヴァイオリニストとして活躍する久我晃(須磨和声)は、突然ミュージシャンとしてスランプに陥った。
創作意欲も湧かず、思い悩んでいた。
彼もまた、故郷の福井へと向かう。
人生の途中で立ち止まってしまった若者は、ひとり、その意味を探し出す旅に出るのだった。

人は誰でも、人生の節目を迎えたとき、ふと立ち止まる。
主人公の仁科を軸にして、人生の岐路に立った三人が、北陸・福井を舞台に人生を再生させ、成長していく姿が描かれている。
失ったはずの初恋が、奇跡の花を咲かせるのである。
悲しみと、辛い想いを抱いたまま、人はそれでも生きていく。
いや、生き続けるしかない。
ときに、人生は残酷なものだとしても・・・。

この作品に登場する、特急電車「雷鳥」に乗って、過ぎし日、ひとり北陸路を旅したことがあるので、鉄道マニア必見の489系(485系)の車両はとても懐かしい。
この車両、国内で唯一動態保存されているボンネット型特急電車だ。
ドラマでは、42年前の回想シーンとも重なり、旅のロマンが一層懐旧の念を呼び覚ますのだ。
そして、映画のカギとなるのは「絵手紙」である。
主人公が旅に出ることになったのは、高校時代の文通相手の絵手紙をひょっこり見つけたことからだった。
この作品に描かれる絵手紙には、野原に咲く一本だけの桜の樹が描かれている。
この手紙を最後に、相手の女性の消息は絶えてしまった。
42年ぶりにそれを目にして、淡い初恋を想い出した孝祐が、彼女を探す旅に出る。

絵手紙には、書き手の個性がにじんでいて、心の内が見えるようだ。
今や、年賀状もパソコンでという時代に、ペンで書かれた手紙というのは、忘れていた想いを無性に懐かしく甦らせるものだ。
手書きというだけで、心情が溢れている。いいものだ。

前田哲監督映画「旅の贈りもの 明日へ」に登場する前川清(主題歌「春の旅人」も)は、映画初主演とあって、ややセリフも固く、演技も決して上手だとは思わないが、それがまた妙に雰囲気があったりして悪くはない。
偶然の出逢いというのは気にならないこともないが、絵手紙とそこに描かれた桜、そして主人公をめぐる登場人物たちが織り糸のように交錯し、つながっていくところがしみじみとしていい。
42年前の桜の苗木が大樹となって、花を咲かせている、その樹の下で探し求めていた人と再会するシーンは、美しくも感動的だ。
どこか控えめで、決して大げさな作品ではないが、爽やかさがあって、じんわりとした、小さくも、近頃味わい深い日本映画の一品である。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「北のカナリアたち」―教師と生徒たちそれぞれの20年の軌跡―

2012-11-09 16:00:00 | 映画


 湊かなえの原作短編を、「大鹿村騒動記」阪本順治監督が映画化した。
 極寒の真冬と、花咲き誇る初夏の礼文島が舞台である。
 厳しい大自然に、重厚な人間ドラマをフィルムに焼き付ける大きな試みだったが・・・。

 東映創立60周年記念作品として製作された。
 撮影は、「剣岳 点の記」で監督を務めた名カメラマンの木村大作で、今回の撮影が一番今までで厳しいとされる過酷な現場だそうで、大自然の厳しさ、雄大さ、それに登場人物たちが20年間心にしまっていた想いを映し出すという作品だ。
 大自然の映像は、確かに素晴らしいものがある。
 自然が、彼らの心情を代弁する。
 ではその出来栄えは、果たして・・・?






      
東京近郊で図書館司書をしている川島はる(吉永小百合)は、北海道の写真集を眺めながら、20年前離島で教師をしていた当時を懐かしく想い出すのだ。

そこは、生徒6人の小学校の分教場だった。
はるは、夫・行夫(柴田恭兵)の水死事故をきっかけに、教え子を残して追われるように島を去ったのだった。
はるを心配するする、父(里見浩太朗)もひとり残して・・・。

そのはるのもとに、ある日刑事が訪れ、教え子のひとりが殺人事件を起こしたことを告げられる。
はるは、かつての生徒たちの会うために北海道へ向かった。
それは、事件の真相を知るためでもあった。
彼女は、成長した生徒たちとの再会を果たし、喜びに浸るが、20年間もの間、それぞれがあの時言葉にできない想いを抱えて生きてきたことを知って、愕然とする。
そして、はる自身もまた、心に閉じ込めていた重い想いを生徒たちに明かしていくのだが・・・。

生徒たちは、ひとりひとりが当時の記憶を語りつつ、夫の行夫の死の真相や、教え子のひとりが起こした殺人事件の内容が明かされるにつれて、真実が止まっていた時間を氷解していく。
はる自身も、夫のある身だったが、ある男と交際を続けていた事実も・・・。
この20年ぶりに明らかになる真実が、はるや生徒たちの心の再生につながり、御年67歳になる吉永小百合の若々しさ(?!)も、かつての青春を髣髴とさせる。
努力を惜しまない女優魂は健在だが、今回の作品では、あまり強くドラマの前面に出て来ているわけではない。
生徒達6人の打ち明け話が、主人公の封印してきた心の秘密に迫っていくのだけれども、ドラマ自体はミステリーとは言うに及ばず、サスペンスとしては全く物足りない。
そういう類いのドラマではない。どうも中途半端である。

登場人物たちの心をつなぐのは歌であり、その中心にヒロインがいる。
警官役の仲村トオルも、心に深い傷を抱えた役を演じ、他に森山未来、宮崎あおい、満島ひかり、勝地涼、小池栄子、松田龍平らの若手演技派のキャスティングも悪くない。
彼らが、20年前の子役の現在のシーンを演じるのだが、これがうまくつながっている感じだし、中年と初老を演じる吉永小百合も爽やかだ。

ドラマは、現在と過去の往還がかなり忙しい。
阪本順治監督映画「北のカナリアたちは、20年間の軌跡をたどる、一応悲しみの人間ドラマだ。
しかし、映画はかなりの人気先行作品で、多くの観客を呼び込んではいるが、ときに散漫な新聞記事のような感じはぬぐえない。
心理描写、人物描写に定評のある阪本監督の演出に、心の内面を炙り出すような、鋭利な視線がこの作品では感じられない。
物語に、もっと深みがあっていい。鋭い探りがないから、どうにも物足りない。
主人公はるにしても、描き方が頼りない。決して十分に描ききったとは言えない。
はるの結婚生活、不倫の影はどんなものだったのだろうか。
そのことが、主演者はるの人生にどんな軌跡をもたらすことになったのか。
この作品、つまりは何が言いたかったのか。それに尽きる。


吉永小百合は、海に飛び込んだり、煙突をよじ登ったりと、清純派を脱皮した67歳が奮闘しているが、役者って大変だ。
はるというのは、作品中の案内人のようであって、終盤近くなってようやく主役らしい立ち位置を見せてくれる。
・・・登場人物の誰もが、みんな心に傷を抱えている。
その心の真実が、彼らの再生への希望となって繋がっていくか。
     [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点