徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「戦後横浜に生きる」―奥村泰宏・常盤とよ子写真展を横浜都市発展記念館にて―

2018-11-28 17:00:00 | 日々彷徨



季節は早いもので、とうに立冬を過ぎた。
今年も、残り少なくなってきた。
木枯し一番は、吹いたのか吹かないのか。
温かい日もあれば、肌寒い朝夕もある。
晴れるのか曇るのか、降るのか降らないのか。
このところ、すっきりしない空模様が続いているが・・・。

横浜日本大通りの横浜都市発展記念館(TEL:045-663-2424)で、開館15周年記念企画展が12月24日(月・振替休日)まで開かれている。
1945年(昭和20年)8月の敗戦後、横浜は都心部を中心に、占領軍にいたるところを接収され、数万の兵士たちが駐留する基地の街となった。
この時期の横浜市内を、写真家の奥村泰宏氏(1914年~1995年)常盤とよ子氏(1928年~)夫妻が、広く撮影した。
両氏の撮影した写真の数々は、戦後の横浜に生きる人々の諸相を克明に記録している。
それらは、芸術的価値のみならず、資料的価値の極めて高いものであるといえる。
                  
           
             (昭和戦前期 桜木町通り)

今回の企画展では、奥村、常盤両氏の写真とともに、関連する歴史資料も展示し、戦後横浜の様々なテーマについて紹介している。
大変興味深い写真展である。
横浜をよりよく理解するために、両氏から寄贈された貴重な資料とともに、この写真展の展観をお奨めしたい。

常盤とよ子氏について言えば、当初横浜港に集う人々の情景から、出会いや別れの場面を多く撮影し、1956年頃には社会に進出し始めた女性たちの姿に着目した一連の作品を発表した。
ファッションモデル、ダンサーやヌードモデル、女子プロレスラーといった、当時偏見の目で見られた職業の女性たちを取り上げたことに特徴があった。
このころ最も多く注目を集めたのが、黄金町の赤線地帯を撮影した作品群だった。
昭和21年から昭和33年までの間、横浜市内では戦前に遊郭が存在した南区の真金町、永楽町、周辺に赤線は存在していた。
常盤氏は昭和28年頃から、この地域の撮影を開始し、当初隠し撮りで撮影していたのだが、そこで働く女性たちに声をかけながら撮影する方法へと手法を変え、彼女たちの日常を世に伝える作品を多く生み出したのだった。
写真エッセイ「危険な毒花」が刊行されると、全国的に注目を集めることとなり、戦後女性写真家を代表する一人として、連日メディアに取り上げられることになった。
過ぎ去りし時を思うとき、これらの写真は何を伝えていくだろうか。

記念館では、横浜市の原形が形成された昭和戦前期を中心とした、「都市形成」「市民のくらし」「ヨコハマ文化」の3つの側面から、都市横浜の発展の歩みをたどる常設展が4階に併設されている。
時間があれば、こちらにも是非ついでに足を運んでみるといい。
なつかしのハマに、出逢うことになるだろう。

この写真展は10月6日(土)から開かれており、12月24日(月・振替休日までの異例の長期開催だ。
12月2日(日、16日(日)、22日(土)24日(月・振替休日)の14時から、ただし12月22日(土)は17時から、展示担当者の見どころ解説(45分程度)も予定されている。
別に、毎週末及び祝日の9時30分から16時の間、ワークショップ「昔の遊びを体験しよう」は申し込み不要、参加費無料だ。
意外に知られているようで知られていない、街の小さな博物館といえようか。

次回はフランス映画「おかえり、ブルゴーニュへ」を取り上げます。


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