徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「アンジェリカの微笑み」―愛は死を乗り越えそれを人は死へ誘い込む狂気の交歓と呼ぶ―

2016-01-31 17:00:00 | 映画


 それは夢か現(うつつ)か幻か。
 世界最高齢の映画監督といわれ、2015年4月に106歳で世を去ったポルトガル巨匠マノエル・ド・オリヴェイラ監が、60年以上も温めていた自作の脚本を手直しし、101歳の時に撮った幻想物語だ。

 死女に恋した男の運命を描いた幻想譚である。
 全体にレトロなイメージが濃く、甘く幻想的な世界が綴られるが、死と生の境界線はあいまいだ。
 怪談を思わせる物語だが、怪異なシーンはほとんどない。
 この世を去ったひとりの女性が霊魂となって、恋した男性の記憶の中に生き続けたのだが・・・。
 







ポルトガル北部の、ドウロ川流域の小さな町・・・。
ある夜、写真が趣味のユダヤ青年イザク(リカルド・トレパ)は、町の富豪から、若くして死んだ娘アンジェリカ(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)の撮影を依頼される。
白い死に装束に身を包み、ソファに横たえられたアンジェリカにイザクがカメラの焦点を合わせた瞬間、彼女は目を見開いて微笑みかけてきたのだった。

イザクは下宿に帰って、現像した写真を見ると、再び彼女は頬笑んだのだ。
その瞬間、イザクは雷にでも打たれたように恋に落ちてしまった。
絶世の美女アンジェリカの、神秘に満ちた微笑みに心を奪われ、イザクは昼も夜も想いを馳せるのだった。
その思いにこたえるかのように、アンジェリカの幻影は出没した。
二人は一瞬にして重なり、呼応する愛の波動が、この世とあの世の境界を越えて、ふたつの魂を引き寄せる。
しかし、イザクは囚われの愛の底で、次第に生気を失っていく・・・。

主人公イザクは、初恋の病にかかった少年のように描かれている。
二人が抱擁し合って、滑るように夜の川の上を浮遊するシーンはロマンティックで愛らしくもあるが、これが巨匠の作品とはとても思えない。
カメラの動きとそれに伴う音楽の緩急を使い分ける妙はさすがだが・・・。
所詮、死女に魅せられた青年の物語である。
そしてそれは、死を目前にしたオリヴェイラ監督自身の意識の投影ではなかろうか。
冒頭の川の夜景、黄昏のようにほの暗い室内の光景、雨音の効果音など、美しいイメージの底に流れているのは死の誘いだ。
死への誘いは、狂気以外の何ものでもない。
怖い話のはずである。
ラストまで観終わって、魅せられたる魂にさりげなく忍び寄るその狂気こそ、魔界への入り口ではなかったか。
死者との交歓は不気味だ。
ふと、死んだ美女の話として、溝口健二監督の大映映画「雨月物語」を想い出した。

映画は月並みな非現実を、一編の詩のように昇華させて見せるものだ。
でも、このポルトガル・スペイン・フランス・ブラジル合作映画「アンジェリカの微笑み」は魔術的な映画作家の作品にしては、物足りなさも残る作品だ。
「夜顔」 (2006年)、「ブロンド少女は過激に美しく」 2009年)、「家族の灯り」(2012年)などの、精力的な活動を続けてきたオリヴェイラ監督が101歳で紡いだ物語は、幻影の中に吐息も消えて、儚さの陰りが強すぎて・・・。
リカルド・トレパは監督の実孫で、オリヴェイラ映画の常連だそうだし、脇を固める俳優たちもベテランで何気ない日常の行為や会話にも、ユーモアや年齢を感じさせるエスプリが散りばめられている。
舞台となるドウロ川は、監督の故郷だ。
全編に流れるショパンのピアノ曲は、この作品によく似合っている。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は最新韓国時代劇「メモリーズ 追憶の剣」を取り上げます。


映画「ひつじ村の兄弟」―ひつじを愛しすぎた老兄弟が巻き起こす真面目で可笑しな大騒動―

2016-01-27 17:00:00 | 映画


 北極圏に位置する、小さな島国アイスランド・・・。
 その人里離れた村で、牧羊に人生を捧げた老兄弟を中心に描かれたヒューマン・ドラマだ。
 しかし、このドラマは決して心癒される牧歌的なドラマではない。
 むしろ人間が自然と共存しながら、そのコミュニティに生きる厳しさを見せつける。

 長編映画は二作目となるグリムール・ハゥコーナルソン監督の、これまた大変珍しいアイスランド・デンマーク合作映画である。
 北欧の中でも、注目度が高いといわれるアイスランドはひつじ王国で、そこに紡がれる、人間と羊の可笑しみに満ちた世界観は、一見の価値があるというものだ。









アイスランドの人里離れた村で、隣同士に住む老兄弟グミー(シグルヅル・シグルヨンソン)とキディー(テオドル・ユーリウソンは、生活のすべてを羊の世話に費やして生きてきた。
先祖代々から受け継がれてきた彼らの羊たちは、国内随一の有料種とされており、彼らは毎年のように優勝を競い合い、どちらの羊が本流を受け継いでいるかを争っていた。
その一方で彼らは、この40年もの間まったく口をきかないほどに不仲な兄弟であった。

ある日、キディの羊が疫病に侵され、村全体が恐怖にさらされる。
保健所からは、感染の恐れがある地域すべての動物の殺処分を命じられる。
絶望の危機にさらされた、先祖代々の優良な羊を守るため、グミーとキディーは40年ぶりにともに力を合わせることになる。
しかしそれは、二人がある重大な秘密を共有することであり、その秘密が、彼らを大胆で無謀な行動へとかきたてることになるのだった・・・。

隣り合わせの兄弟がともに独り身で、どうして40年間も不仲だったのだろう。
映画では、その原因ははっきりとは明示されていないが、弟の「両親が兄に牧場を相続させたがらなかった」というセリフから、遺産をめぐる骨肉の争いがその一端を担っているのかもという憶測も生まれる。
兄弟の寓話に、シンプルだがある強さ、力を感じ取ることができる。

空と牧草地と住まいと羊だけの風景は、簡潔な美しさで、厳しさの中にもどこか温もりがある。
羊はアイスランドの名産で、人口よりも羊の数の方が多いのだそうだ。
その羊たちのオーディションが、一番大変だったそうで・・・。
アイスランドは世界男性長寿ランキング、世界平和度ランキング第一位だといわれる。

北欧アイスランドの生んだグリームル・ハゥコーナルソン監督は、日本では全く無名だが、カンヌ国際映画祭「ある視点部門」では、黒沢清監督河瀬直美監督を含む、合わせて19本の並みいる強豪を抑えて、この作品で見事グランプリ受賞した。
生きるための日常的な風景が、ふとした事件から一変し、一気に窮地に追い込まれてしまった人間の意地と覚悟が、おかしみたっぷりに映し出され、ユーモアに満ちたヒューマニズムが何とも心地よい。
そこから垣間見えてくる皮肉な顛末も、とっぴな兄弟愛の行方も、それなりに刺激的で、新たな驚きと感動をもたらしてくれる。
北欧発映画「ひつじ村の兄弟」は、皮肉と愛に満ちたヒューマン・ドラマの佳作である。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はポルトガル映画「アンジェリカの微笑み」を取り上げます。


映画「ハッピーエンドの選び方」―人は幸せな最期をどこに求めるか―

2016-01-25 16:00:00 | 映画


 それは幸せに生きることだと、シャロン・マイモン&タル・グラニット両監督は教えてくれる。
 人は自分らしい最期を、自分で選ぶ自由はないのだろうか。
 人は、自分の意思に関わらず生まれ、形づくられ、生きる。
 いつか死ぬときぐらいは自分で決められないだろうか。
 この映画にはそんな問いかけがある。

 この物語の主人公は、エルサレムの老人ホームに住んでいるリタイアしたシニアたちだ。
 そして、家族や愛する人との関係を深い洞察をもって描いた、生についての物語だ。
 本来重いテーマを扱いながら、コメディの要素を取り入れた珍しいイスラエル映画である。








エルサレムの老人ホームに暮らすヨヘスケル(ゼーブ・リバシュ)は、ユニークなアイディアでみんなの生活を少しだけ楽にするような発明が趣味だ。

ある日、ヨヘスケルは望まぬ延命治療に苦しむ親友から、発明で安らかに死なせてほしいと頼まれる。
妻のレバーナ(レバーナ・フィンケルシュタイン)は猛反対するが、お人よしのヨヘスケルは親友を助けたい一心で、自らスイッチを押して苦しまずに最期を迎える装置を発明する。
そして、同じホームの仲間たちの助けも借りて計画を準備し、ついに自らの意思で安らかに旅立つ親友を見送る。

しかし、秘密だったはずのその発明の評判が、瞬く間にイスラエルに広がった。
ヨヘスケルのところには依頼が殺到した。
そんな中、レバーナに認知症の兆候があらわれ始める。
自分らしさを、日に日に失っていくことに恐れを覚えるレバーナ・・・。
妻の認知症の進行に気づかなかった自分を責め、ヨヘスケルは何もしてやれないことに歯がゆさを感じる。
レバーナの症状は徐々に悪化していき、自分らしく生きられる時間が短いと悟った彼女は、自分のため、愛する人のために、残された人生を考えるようになる。
そして、ヨヘスケルとレバーナの選んだ選択は・・・。

この映画は、かなりシリアスなドラマである。
その中にコミカルな要素を取り入れてはいるが、やはりテーマがテーマだけにドラマが重い。
とても素直に笑う気になんてなれない。辛い作品だ。
それに、とても重大な問題を提起している。
患者自身の意思にもとずく死期の決定で、延命治療を中止することが尊厳死だが、人為的に死なせるのが安楽死といわれる。
薬を処方するなどの、積極的安楽死が認められている国はスイスで、40年以上も前からとうに合法化されている。
しかも、医師でなくとも致死薬を付与することができる。
なかなか難しい問題だ。

イスラエル映画「ハッピーエンドの選び方」は、ストーリーの後半で、夫婦と家族の絆の物語にフォーカスしていくのだが、医療が高度に進んだ現代ならではの死や認知症の問題に直面した、世界のどこにでもあるような家族の姿を通して、彼らの心情を細やかに丁寧に描いている。
これは普遍的な物語だ。
新進気鋭シャロン・マイモン&タル・グラニット監督二人が、しばしば論争を呼ぶような社会的なテーマを感情豊かに綴ったのはいいが、やはり重いんだなあ、どうしても話が・・・。
いろいろと考えさせる作品だ。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はアイスランド映画「ひつじ村の兄弟」を取り上げます。


映画「あの頃エッフェル塔の下で」―時が過ぎて振り返る輝きの青春と初恋の物語ー

2016-01-24 17:00:00 | 映画


 アルノー・デプレシャン監督が、20年前の出世作「そして僕は恋をする」(1996年)主人公と同じ役名、俳優で綴った回顧録だ。
 1980年代を主な舞台に、自由奔放な青春映画を作り上げた。

 この映画には、デプレシャン監督の勢いよく突っ走っていて、かなりまとまりに欠けるきらいはあるが、人生のエッセンスを詰め込んで、ある時期の青春のきらめきはしみじみと伝わってくる。
 誰でも、人生で真剣な恋の一度や二度は経験するであろう、その恋のほろ苦く美しい思い出が回想として描かれる。










物語は、外交官で中年の人類学者ポール・テダリュス(マチュー・アマルリック)が、長く暮らしていたタジキスタンからフランスに帰るところから始まり、彼の思い出が三章にわたって展開する。

帰国したポールは空港で呼び止められ、同じ名前のパスポートを持っていた人物がいたことから、スパイ容疑を駈けられるトラブルに見舞われ、情報局の取り調べを受ける。
ポールはこの出来事をきっかけに、心の奥にしまっていた、若かりし頃の自分を想い出すのである。

ポールは高校時代の研修旅行を想い出し、あの時、ソ連のユダヤ人を密出国させる運動を支持する友人に同行し、自分のパスポートを提供していたのだった。
パリの大学で人類学を学んでいた若きポール(カンタン・ドルメール)は、故郷で出会ったエステル(ルー・ロワ=ルコリネ)と恋に落ち、自由奔放な彼女と相思相愛の仲となった。
しかし、二人の遠距離恋愛はやがて亀裂を生じていく・・・。

ドラマは、主人公の記憶と回想、その心理を描くことに焦点が当てられ、エステルとの過ぎ去った恋の思い出にはほろ苦い痛みが伴っている。
デプレシャン監督は、「そして僕は恋をする」と同じ名前の青年を主人公に据えて撮っており、回想は三つのパートに分かれる。
少年時代、高校時代のエピソードに続き、エステルと過ごした甘い青春の日々が重点的に描かれる。
この作品は、20年前の作品の回想譚の趣きがある。

青春とは、狂おしいまでの愛に翻弄され、苦しみ、ひりひりするような心の痛みを伴うものだ。
主人公の心の葛藤、ジレンマ、狂おしい想い、何事にも一途な想いを貫こうとする若さが輝いている。
初恋というのは、情けないないほどに一途なものである。
その点は、大変みずみずしく描かれていて、好感が持てる。

愚かなことかもしれない・・・。
大人になりきれない時代を経験し、心に秘めていた「恋」、それも「生涯で一番思いつめた身を焦がすような恋」を、人生を折り返してから追憶する。
あの頃、憧れのパリの大学に通うポールと故郷に残ったエステルは、毎日のように手紙を書き綴った。
変わらぬエステルのへの思いに気づいたポールは、数年ぶりに彼女からの手紙を読み返すのだった・・・。

エッフェル塔の見えるアパルトマン、カルティエ・ラタン、美術館、80年代のフレンチファッション、音楽、どれもこれも恋のパリにはよく似合っている。
フランス映画「あの頃エッフェル塔の下で」は、様々なエピソードのまとまりに欠け、飛躍も多く、アルノー・デプレシャン監督の遊び心(?)が溢れていて、感心できない部分も多々ある。
それでも、豊かな情感をそこここに紡いだ思春期のドラマとして見れば、楽しめないことはない。
物語り上やむを得ないと思われるが、成人したポール役のマチュー・アマルリックの出番が少ないのは、ちょっと残念だ。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はイスラエル映画「ハッピーエンドの選び方」を取り上げます。


映画「ブリッジ・オブ・スパイ」―普通の男に託された世界の平和―

2016-01-18 09:00:00 | 映画


 米ソ冷戦下の1960年代、米軍偵察機U‐2がソ連上空を飛行中撃墜された。
 当時大きく報じられた事件だ。
 その裏に隠された、米ソスパイの交換交渉という実話をもとにして、スティーヴン・スピルバーグ監督が映画化した。

 脚本は、独創的な映画作りで知られるコーエン兄弟によって書かれ、冷戦の最前線に立たされた弁護士の活躍を描いて、心理戦ながらのサスペンスドラマとなった。
 重厚で、なかなか興味深い作品だ。










1957年・・・。
ソ連のスパイとして、画家のルドルフ・アベル(マーク・ライランス)が逮捕された。
保険の分野で実直にキャリアを重ねてきた弁護士ジェームズ・ドノバン(トム・ハンクス)は、誰もが尻込みするアベルの弁護を引き受け、死刑を回避することに成功する。

その頃、米国の偵察機がソ連に撃墜され、パイロットのフランシス・ギャリー・パワーズ(オースティン・ストウェルが捕まった。
パワーズとアベルの交換を画策するCIAが、ドノバンをその交渉役に起用する。
表立って交渉できないところから、民間人のドノバンが選ばれたといわれる。
それは、世界の平和を左右しかねない、重大な任務を託されたことだ。

自分が弁護したソ連のスパイと、ソ連に捕まえられたアメリカ人スパイの交換だ。
よき夫であり、よき父であり、よき市民として平凡な人生を歩んできたジェームズは、米ソの全面核戦争を阻止するため、全力で不可能に立ち向かってゆくのだった・・・・。

ソ連のスパイ、アベルがここでは単なる悪者ではなく、ソ連に忠実を誓う信念の男として描かれている。
一方のドノバンも、スパイの弁護について非難されようとも、どんな人間にも裁判を受ける権利があると主張して譲らない。
この裁判自体も興味深いが、東ベルリンでは米国人学生が拘束される事件が起きたり、CIAはパワーズだけ戻ればいいというが、ソ連ばかりか東ドイツも交渉相手として登場する。
東西ベルリンを結ぶ列車に乗ったドノバンが、壁を越えようとして射殺される市民たちを目撃しながら、命が危険にさらされる中で、まだ平和であることの幸せを感じさせる。

全く融通の利かない、官僚的な米ソの役人たちへの批判を込めながら、どちらにも誠実なドノバンとソ連スパイの間に通じ合う気持ちを、人間味ある会話を通してスピルバーグ監督は実に丁寧に描いている。
一歩間違えれば殺されかねない交渉劇は、神経戦となり、奥行きの深いドラマはスリルたっぷりの緊張感だ。
囚人の交換といってしまえば地味な話だが、映画はクライマックスへ向けて、サスペンスが濃厚だ。
決して派手な描写ではなく、立場も国境も越えて結ばれていくマーク・ライランス、トム・ハンクスら男たちの絆が浮き彫りにされ、胸にしみる。
アメリカ映画「ブリッジ・オブ・スパイ」は、冷戦下の虚々実々の駆け引きと粘り強い交渉を描いた、上質な作品だ。
平凡だった一人の男がやってのけた大仕事は、大いに讃えられてよい。

映画ならではの面白さを満喫させてくれ、確かにスピルバーグ監督のそれ以上を期待することもできるかもしれないが、娯楽映画としてはこれでも十分だ。
交渉の舞台となる、暗く陰鬱な東ベルリンの街並みも、この作品ではちょっぴり魅力的だ。
トム・ハンクスマーク・ライランスの、渋い演技にも好感が持てる。
アメリカを中心とする資本主義陣営と、ソ連(現ロシア)が中心の共産主義陣営が激しく対立した冷戦時代、あのベルリンの壁が築かれた頃の実話がもとになっていて、断然面白い。
主演、脚本にアカデミー賞の受賞経験者がずらりとそろっていて、話題に事欠かない大作だ。
この映画の密度の濃い質感も特筆ものである。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス映画「あの頃エッフェル塔の下で」を取り上げます。


映画「消えた声が、その名を呼ぶ」―100年前の知られざる悲劇に引き裂かれた父と娘の物語―

2016-01-13 13:00:00 | 映画


 トルコの砂漠から、海を越え、はるばるとアメリカの荒野へ。
 100年前の、知られざる悲劇にに引き裂かれた父は、声を奪われ、良心さえも失っていた。
 しかし、男は命を懸けてこの道を行く。
 地球半周の旅路の果てにたどりついたとき、彼の見たものは何だったか。

 歴史上タブーとされた、壮大な物語に挑戦したのは、若き巨匠と呼ばれるトルコ系ドイツ人ファティン・アキン監督だ。
 世界5ヵ国にわたる壮大なロケーションと、8年の歳月によって、ひたむきな父の姿が描かれる。
 第一次世界大戦下のオスマン帝国(現在のトルコ)で実際に行われた、アルメニア人虐殺を背景にしたドラマだ。
 そう、これは幾多の苦難を乗り越え、最後まで生きる希望を捨てなかった男の一大叙事詩である。





1915年、オスマン・トルコ南東の町マルディン・・・。

アルメニア人の鍛冶職人ナザレット(タハール・ラヒム)の幸せな日々は、突然終わった。
ナザレットはアルメニア人であるが故に、妻ラケルヒンディーザーラ)と双子の娘ルミネとアルシネから引き離され、強制連行される。
ナザレットは、砂漠で突然死刑を宣告され、ナイフで喉を切られる。
彼は声を失いながらも、奇跡的に生き延び、もう一度生き別れた娘に会いたい一心にかすかな希望を求めていた。

荒野をさまよい、強制収容所へと続く同胞たちの「死の行進」や、難民キャンプばかりを目にしながら、キリスト教徒であるナザレットは、信仰心まで失いつつ、娘の生存の便りを受け再会に望みをつなぐのだった。
死んだと思っていた双子の娘が、生きているかもしれないのだ。
大洋を越え、中東からラテンアメリカ、そして北アメリカへ。
希望と絶望に彩られた、壮大な旅路へ導かれていくのだった・・・。

8年の歳月をかけて、娘といつか再会できることだけを信じて、地球を半周する単独行である。
主人公は、不条理に傷つき、ときに自分が生き延びるために周囲を傷つけることもある。
ナザレットの最終地、アメリカ・ノースダコタの雪降る荒れ地で、平凡だったひとりの男が見たものは何だったのか。

この物語の背景にある、アルメニア人虐殺事件をご存知だろうか。  
1915年、オスマン・トルコで起こった、キリスト教徒アルメニア人への迫害事件だ。
アルメニア地方は、世界最古の文明である メソポタミア文明が育まれた地だ。
その犠牲者数は100万人とも150万人とも言われ、歴史的事実の究明については、今なお アルメニア政府とトルコ政府をはじめ欧米各国で議論されている。
この出来事は「20世紀最初のジェノサイド」ともいわれ、あのヒトラーがユダヤ人虐殺の手本としたという説もあるらしい。
迫害を逃れてトルコを去ったアルメニア人は、ロシアやアメリカ、カナダへと移住していった。

言葉を失い、言葉で訴えることができない男の声なき声は、観る者に切実に迫ってくる。
人間臭がふんだんに、リアルに盛り込まれているドラマだ。
主人公の求める愛と希望、その声なき魂の叫びが、さらなる感動をもたらすのだ。
物語は8年にわたる歳月を描いているが、映画は大河ドラマを見ているようだ。
「ソウル・キッチン」(1911年)でも知られるファティ・アキン監督は、歴史的事件を題材に人間が生きることの意味を問いかけている。
その鮮烈な描写が、この作品の見どころだ。

映画「消えた声が、その名を呼ぶ(原題THE CUT)は細かくいうと、ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・カナダ・ポーランド・トルコの合作による作品だ。
この作品では、言論の自由の制限についても触れており、また作品中に出てくる100年前のアルメニア難民の姿は、欧州に殺到している現代のシリア難民と重なるではないか。
観て損のない、圧巻の感動作である。
最終場面の後、10分間もの長いエンドロールが余韻をさらに深めている。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「ブリッジ・オブ・スパイ」を取り上げます。


映画「ローマに消えた男」―疲弊した現代人の心のよりどころを哀歓豊かに―

2016-01-11 18:00:00 | 映画


 ミステリアスな大人のヒューマンドラマだ。
 イタリアの政界の側面を、軽妙洒脱な笑いで描いている。
 ロベルト・アンドー監督は、格調高いドラマ性とこれまた奇想天外な独創性に富んだ、大人の楽しめる作品に仕上げた。

 汚職や欺瞞がはびこるイタリアの政治状況を題材にして、劇中一度も直接対面することのない二人の主人公の、予想もつかない運命をたどりながら、大人の人生模様を味わい深く紡ぎあげた作品だ。
 キャラクターの背景は説明せず、全て観客の想像力に委ねるというさじ加減も絶妙だ。
 人生の豊かな哀歓をたっぷりとにじませた映像世界が、実に楽しいのだ。









イタリア最大の野党を率いる大物政治家エンリコ(トニ・セルヴィッロ)が、重要な国政選挙を前にして、突然失踪を遂げた。
彼がどこに消えたかは、妻のアンナ(ミケーラ・チェスコン)にも心あたりがない。
「戦いの前に、ひとりになる時間が欲しい」という、エンリコの書き置きを発見した腹心の部下アンドレア(ヴァレオ・マスタンドレアは、支持率が低迷中の党に決定的なダメージを与えるであろうそのそのスキャンダルをもみ消し、「エンリコは体調不良で入院中だ」と嘘をつく。
窮地のアンドレアを救ったのは、エンリコの双子の兄ジョヴァンニ(トニ・セルヴィッロ二役)だった。
エンリコの替え玉に起用されたジョヴァンニは、アンドレアも驚くほどの機知とユーモアに富んだ言葉を駆使し、たちまちメディアや大衆を魅了していく。

一方、こっそりとローマを脱出し、パリで暮らす元恋人ダニエル(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)のもとに身を寄せたエンリコは、日ごろのプレッシャーから解放され、少しずつ平穏を取り戻していた。
ローマから消えた男と、それと入れ替わるようにローマに現れた男・・・。
やがて、イタリア全土を大きく揺るがすこの極秘の替え玉作戦は、思いがけない展開を見せることとなるのだった・・・。

円熟のダンディズムを披露する、トニ・セルヴィッロの名演に引き込まれる。
さすがイタリアの至宝たる名優で、このヒューマンドラマの主役にぴったりだ。
セルヴィッロが演じるのは、現実から逃避したエンリコと、その替え玉として政界に大旋風を巻き起こすジョヴァンニという二つの役どころだ。
外見は瓜二つだが、性格も社会的地位も対照的で、このキャラクターを巧みに使い分け、その一挙一動から全く目が離せない。
奇想天外な一人二役を通して、人間の二面性や人生の光と影を体現してみせる懐の深さに感嘆する。
双子の二人という設定には思わずにやりとしてしまうが、そのために一体どっちが本物か見分けがつかず、一瞬わからなくなる場面もあって観客をうならせる。
セルヴィッロの、とりわけ凄味が凝縮されたラストシーンは、謎めいた余韻とともに忘れられないシーンだ。

替え玉の方が本人より人気になるといえば、そこがドラマで、とくに目新しさがあるわけではない。
分かりきった筋書きでも、名優の演技が芸域の広さで大きな膨らみを持つから、観ているほうは飽きない。
本物と贋者の対照が際立ち、スクリーンのいたるところでユーモアが弾ける。
イタリア映画、ロベルト・アンドー監督・脚本・原作「ローマに消えた男」は、快適なテンポで展開し、主演の素晴らしさは言うまでもなく、細やかに気を配る部下役のヴァレリオ・マスタンドレア、中年女性の色気を放つ元恋人役のヴァレリア・ブルーニ・テデスキの魅力に負うところも大きい。
政治家の人気とか人格とか、くすくす笑ってしまいそうな風刺も込められていて、ふと日本の国政に思いが及んだりするとたちまち暗い嫌な気持ちになりがちだが、この作品はおしゃれなイタリア映画だけのことはある。
この映画、ヨーロッパでは大ヒットしたそうだ。
納得である。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はドイツ・フランス・イタリア他合作映画「消えた声が、その名を呼ぶ」を取り上げます。


映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」―数奇な運命をたどった名画に秘められた真実―

2016-01-09 12:30:00 | 映画


 それはまさしく、ひとりの女性の人生を取り戻す戦いであった。
 老婦人と新米弁護士が、かつてナチの奪った名画の返還を求めて闘った実話がモデルだ。
 アメリカとオーストリア、そして現在と過去を行き来する波乱万丈の物語を、「マリリン 7日間の恋」(2011年)サイモン・カーティス監督が映画化した。

 この絵画をめぐる心の旅は、戦争という過酷な歴史の実相の中に、そこに翻弄される人々の苦悩と悲哀を浮かび上がらせる。
 名画のたどった、数奇な運命に引き込まれていく快作である。










1998年、ロサンゼルス・・・。

夫亡きあと一人で溌剌と生きてきたマリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)は、ユダヤ人として波乱の人生を共にした姉のルイーゼが亡くなり、さすがに淋しさは隠せなかった。
だがそんなとき、彼女は祖国オーストリア政府に対して、ナチスによって奪われたという伯母の肖像画の返還を求めようとしていた。
「オーストリアのモナリザ」と称えられ、ウィーンの美術館に飾られているグスタフ・クリム名画「黄金のアデーレ」のことだ。
マリアは新米弁護士ランディ(ライアン・レイノルズ)とともに、亡命後初めて祖国へ向かう。

オーストリア政府を相手に、こうして9年間にわたる戦いが始まる。
初めは訴えを却下されるが、複雑で政治的意図が絡む裁判(法廷闘争)を主軸に、家族の命、財産、誇りを踏みにじられた女の深い怒りと悲しみのドラマが、過去と現在を交錯させながら、歴史の記憶を呼び起こし綴られていく。
そして、一個人がオーストリアを訴えるという、前代未聞の裁判がいよいよ幕を開ける・・・。

ヘレン・ミレンが好演だ。
ドラマに見られる、権力と金には決して屈しない人間の心が描かれていて、清々しい。
一枚の絵画を取り戻すまでの駆け引きがスリリングで、過去に背を向けてきたヒロインが意を決して葛藤の中に立ち向かっていく姿が心地よい。
ヒロインは凛として、しかし茶目っ気たっぷりだが、ドラマの方はややもすると冗長になりやすいのが気になるところだ。
一個人が一国の政府を相手に闘う争いだ。
この対決は面白い。

いかに名画でも、自分にとっては家族の大切な形見なのだから、しかも民族の誇りを踏みにじられたユダヤ人の悲しみと怒りを込めた最終弁論も、ユダヤ人の熱い心情を伝えて心強い。
このアメリカ・イギリス合作映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」の背景には、1938年のナチスドイツによるオーストリア併合があり、ウィーンの芸術家のパトロンだった富裕なユダヤ人一族の離散という悲劇で、そこへもってきて名画の略奪である。
ナチは膨大な量の芸術的な名画、名品を略奪し、そのほとんどは元の所有者のもとには戻っていないといわれる。

サスペンス仕立ての名画の旅は、これで結構楽しめる。
ナチの侵攻で、泣く泣く両親を残ししたまま、ウィーンを命からがら脱出したマリアにとって、絵画の返還は自分の人生を取り戻すことでもあった。
あの名画が、彼女の叔父がクリムトに依頼した伯母の肖像画で、マリアの家にかかっていたということを考えれば・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★5つが最高点
次回はイタリア映画「ローマに消えた男」を取り上げます。