徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「マーサ、あるいはマーシー・メイ」―迷い怯える若き女の心の闇―

2013-02-27 16:15:30 | 映画


 新しい世代のインディペンデント映画の新鋭ショーン・ダーキン監督が、衝撃的な作品を誕生させた。
 29歳の新人監督と22歳のヤングセレブが、この作品で鮮烈なデビューを果した。

 若い女性がカルト集団から脱走し、マインド・コントロールから逃れようともがく二週間を描いたサスペンスである。
 何とか社会に復帰しても、カルトで過ごした記憶は、トラウマとなって頭から離れない。
 それはやがて、現在と過去、現実と幻想の区別さえつかなくなっていく…。
 現代社会で自分を見失い、居場所と役割を求めてさまよう人間の、心の闇に迫る作品だ。









       
ニューヨーク州の、北部の山中にある農場では、牧歌的な共同生活が営まれていた。

いつものように、静かな一日が明けようとしていたある朝、まだ寝静まったままのその農場から、マーサ(エリザベス・オルセン)はこっそりと逃げ出した。
しばらく音信を絶っていた、姉のルーシー(サラ・ポールソン)のもとへ・・・。
結婚したばかりの姉夫婦は、コネティカットの湖畔の貸別荘で、二週間の休暇を過ごしていた。
その瀟洒なサマーハウスに身を寄せ、新たな暮らしが始まった。
しかし、マーサの心には、どうしてもカルト集団での記憶がよみがえる。

初めて農場を訪れた日、リーダーのパトリック(ジョン・ホークス)は、近寄ってくると優しく声をかけ、マーサに“マーシー・メイ”がいいと言って新しいな名前を与え、幼い頃、マーサが父に捨てられた心の傷を気遣ってくれた。
メンバーたちも、親切に農場での仕事を教えてくれ、“役割”を見つける手助けをしてくれた。

マーサは、姉ルーシーとの会話では、次第に辛辣さが目立ってくる。
夫婦生活に立ち入った質問も多い。
母が死に、姉が大学に入って、ひとりおばさんに預けられたマーサには、昔話など苦いだけの味だ。
夜、ベッドに横たわると、また過去が襲ってくる。
農場での自給自足の生活、パトリックがギターで歌ってくれる歌、先輩にみちびかれて体験した“浄め”の儀式、過去と毒を洗い流すと教えられた、あの夜の異様な感覚が身体によみがえってくる。
そして、マーサの奇行は次第にエスカレートしていき、姉夫婦の間にさざ波が立ち始め、マーシー・メイの妄想が、やがて現実の世界を少しずつ侵しはじめるのだった・・・。

本来の彼女の中で、マーサよりもマーシー・メイが強くなっていて、彼女の本性をそのまま盗み見ているような、奇怪な感覚にとらわれる。
ダーキン監督、友人の体験談をもとに書き上げた物語だ。
カルトの恐怖と、傷ついた人間が陥る闇の深さを、精緻に映し出してゆく。
マーサの精神的な混乱をリアルに描きながら、この作品には、用意周到に強烈なショットが、随所に散りばめられていることがわかる。
マーサが、明け方まだ暗いうちに農場から脱走するシーン、森を出て町に出たマーサが、カルトの青年を振り切って、公衆電話で姉のルーシーに連絡するシーン、後半に入っての別荘でのパーティーで、姿の見えない何者かに追われる、妄想に取りつかれるシーンなど・・・。

ヒロインの拭いきれない恐怖は、純白のドレスでパーティーの席上でバーテンと向き合ったとき、画面の窓ガラスに映った、マーサの映像が奇怪な形で歪み、、二つに分裂する場面にも表れている。
一見、ホラー映画のような設定だ。
不気味な静けさを巧みに生かした音響効果ともどもも、いずれもマーサの内なる心の闇を象徴するかのようだ。

マーサという女性は決して弱い女性なのではなく、感受性があまりにも豊かで、強い衝撃を受けてしまった女性だ。
孤独な時代に、カルト集団に安らぎを感じてマーシー・メイとなるが、やがて自ら逃げ出し、社会での自分の立ち位置や未来、自らの罪について疑問を募らせていく。
画面は、過去と現在が明きらかに区別されていないため、次に何が起こるかわからない。
マインド・コントロールで混乱しているマーサにとって、農場で起きたこと、サマーハウスで起きていることが、同時に展開しているからだ。
現在と過去のふたつの時間は、マーサの中でまぜこぜになっている。
ショーン・ダーキン監督は、わざわざ混乱を引き起こさせようと、この映画を演出しているようにも見える。
当然、実際に観ている方も混乱する。

唯一の肉親である姉にさえも、心を開くことができないマーサ・・・。
湖畔の別荘で二週間を過ごした、マーサの絶望的な闘いが、これからどうなるかというところで、この映画はラストを迎えてしまうのだ。
ああ、何ということか。
残される余韻の重さと深さに、観客は迷路に踏み込んだまま立ち尽くすのである。


恐るべし!
弱冠22歳
リザベス・オルセンは、ドラマ「フルハウス」ではオルセン姉妹を姉に持つヤングセレブだが、この作品で、一気に注目株として浮上してきた女優だ。
本作でも、もろい少女のようでも、深遠で大人の女の魅惑的な表情を演じ分けている。
狂っても、美しいマーサを演じる彼女は自然体だ。
ショーン・ダーキン監督アメリカ映画「マーサ、あるいはマーシー・メイ」は、恐怖を醸し出す削ぎ落とされた映像と、人の心の動きを緻密に追って出色である。
心の闇に葬ったもう一人の自分がいて、もう一人の自分を狂わせていく・・・?!
時間軸を激しく交錯するフラッシュバックに、かなりの戸惑いも覚えるが、社会に戻ろうともがき苦しむヒロインの、最も過酷な二週間を描いた上質の作品だ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


2020年夏季五輪開催はトルコのイスタンブールで

2013-02-25 23:30:00 | 寸評

暦の上ではとうに春なのに、まだまだ厳しい寒さが続いている。
それでも、各地から梅便りが・・・。
どうやらこの寒さも、いまが峠かも知れない。
春は、確実に近づいている。

ところで、2020年の夏季オリンピックに東京が立候補し、石原前都政を引き継いだ猪瀬知事が招致に躍起になっている。
そんなに東京でやりたいか。
東京五輪問題より、先にやるべきことがあるだろう。
祭り気分で、「オリンピック」だけを語るのは簡単だ!
ここはよく考えたい。

東日本大震災から、早いもので間もなく2年になる。
しかし、復興復旧はままならず、いまだに36万人もの人たちが避難生活を余儀なくされ、故郷の土を踏むこともできないでいる。
放射能の除染作業も進まないまま、日本の全原発は新安全基準を満たすことすらできず、廃棄物の処理さえも決まらないのに、再稼働ばかり叫び続けている。
人間の命よりも原発を叫ぶ、この国はどうなっているのだろうか。
おかしいのではないか。

日本女子柔道の体罰問題まで暴露され、世界中から顰蹙を買って、いい笑いものだ。
少しは、フランス柔道を見習って欲しいものだ。
日本のお家芸柔道も、風前の灯だ。
それ以外のスポーツとて、例外ではなさそうだし・・・。
都合の悪いことは、あくまでも隠蔽しようとする体質は、イジメ体質と何ら変わらない。
そんな国が、どんな顔をして五輪招致に躍起になれるというのか。
日本よ、恥を知れ。

石原前都知事の尖閣購入問題に端を発した、日中関係の悪化をはじめとして、日韓、日露と領土問題が険悪な状況だ。
手をこまねいていると、日本本土まで侵攻されてしまうのではないか。(?!)
いまの日本政府は、外交が下手くそだから、各国から馬鹿にされるのだ。
首脳会議などでは、社交辞令上は礼儀を尽くしているように見えて、本音はなかなかそうではないことを知るべきだ。
いまこの国は、内憂外患、満身創痍の状態だ。

新宿の、見上げるだけで豪勢な東京都庁舎のすぐそばの中央公園には、この厳しい冬の寒さに震えながら、住む家もない多くの若者たちが、いまなお路上生活を続けている。
北の都札幌でも、今年は路上生活者が例年よりずっと多いそうだ。
どうしたら、彼らは普通の暮らしができるようになるのだろうか。
そんな日本の現実を見ると、政治家は、祭りごとではなく、政(まつり)ごとにこそ身命を賭して、その本分を全うしてもらいたいものだ。

2016年五輪招致に失敗した東京は、国の支持率もやや回復したとはいえ、まだまだ低調だ。
当たり前である。
それでも、何故いま東京なのか。
五輪開催の全ての条件を満たすといわれる、イスタンブールでよいではないか。
イスタンブールは市民の94%、国民の90%の支持を得ているという。
ここは、現在4連敗中の20年越しの悲願をかけた、イスラム圏初のトルコに譲ってはどうか。
今度こそ、5度目の正直で・・・。

莫大な投資で、巨大な経済効果をもたらすといわれる五輪だが・・・・。
日本は、東京五輪より先にやるべきことがいっぱいあるだろう。
アジアとヨーロッパの融合する街、イスタンブールで開かれる五輪も、いいではないか。
いま急速な高度経済成長を遂げ、強固な財政基盤をアピールしている、トルコ最大の都市での、開催の意義は大きいはずである。
トルコのみならず、アラブ、イスラム世界の期待に応えてくれることを祈りたい。


映画「アルバート氏の人生」―孤独で悲しい女の偽りの人生―

2013-02-24 17:30:00 | 映画


 コロンビア出身ロドリゴ・ガルシア監督の描く、哀切のドラマである。
 自由を得るために、男性として生きなければならなかった女性の物語なのだ。

 このドラマのヒロインとなる、アメリカ大女優グレン・クローズは、ジョージ・ムーアの原作を舞台で演じてから30年にもわたって映画化の実現を悲願とし、今回の作品では製作、脚本の面でも協力を惜しまなかった。
 ドラマは、深刻な社会問題を背景に、女の本性に切り込んでいく。












      
19世紀のアイルランド・・・。

政情不安定なこの時代、首都ダブリンは、飢餓と失業に苦しむ人たちで溢れていた。
街の中心にあるモリソンズホテルで、住み込みの給仕として働くアルバート・ノッブス(グレン・クローズ)は、人付き合いを避け、ひっそりと暮らしていた。
アルバートは、長年誰にも言えない重大な秘密を隠してきた。
それは、アルバートが貧しく孤独な生活から逃れるため、男性として生きてきた“女性”だったということだ。

アルバートはいつも黒いタキシードに身を包み、寡黙で、喜怒哀楽を見せず、わずかばかりのチップを帳面に書きつけては、人目につかないような床下に貯め込んでいた。
そんなつましい生活をしていたアルバートは、あるとき大男のペンキ屋・ヒューバート(ジャネット・マクティア)に、自分の秘密を知られてしまった。

だがアルバートは、自分らしく生きるヒューバートの存在に影響され、自ら築き上げてきた偽りの人生を崩し、本来の自分らしさを取り戻していく。
アルバートは、同じホテルのメイド、ヘレン・ドウズ(ミア・ワシコウスカ)とのかなうはずもない結婚まで夢見た。
ヘレンには悪い情夫がいて、その男はアルバートの金まで狙った。
アルバートは、女からも敬遠され、どこにいても孤独であった。
男装が当たり前になってしまっても、男ではない彼女は、もはや今さら女には戻れない。
全ては、不遇な人生を生き抜くためだったのだが・・・。

アルバートは、孤独の悲しみを隠し、疎外されながらもなお必死になって、自分の居場所を探し求めていたのだった。
彼女は、上流階級の不倫の子であった。
自分の本名も知らず、生まれてすぐ里子に出され、養母の死後施設へ送られるが、そこで性的暴行を受け、男装して身を守る以外、生きる術がなかった。
この物語の背景にあるのは、貧困と貧困への恐れが大きな影響力を持った、19世紀後半のダブリンで仕事や地位を失うと、数週間のうちに路上生活者になってしまうような時代だったのだ。

生きるために、男性を装う女性アルバート・ノッブス・・・。
男性使用人として、長く働かざるを得なかった彼女は、自分の身をわきまえていた。
養母は彼女に名前も告げなかったが、教えてはならないと口止めされていたのだ。

アルバートは、自分も人並みに結婚しようと思った。
しかしそれもかなわず、ドラマは何とも悲しい結末を迎える。
女性としての真のアイデンティティを見失ったヒロインが、自分らしく生きるとはどういうことだろうか。
アイルランド映画ロドリゴ・ガルシア監督「アルバート氏の人生」は、ひっそりと暮らすひとりの女性の精神生活を感動的に描いた、ヒューマンドラマだ。
コロンビア人監督ガルシアは、ノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの息子だ。

14歳でホテルに入って、生きる術もない彼女は、人生のすべてをこのホテルで生きたのだった。
老いたるヒロイングレン・クローズの物言わぬ存在感が、そくそくと悲しい。
現代的なテーマを扱いつつ、自分自身を消し去ったひとりの女性の物語で、心を突き刺すようなあっけないラストに、ふと目頭も熱くなった。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀」―歴史に翻弄された巨大飛行船の悲劇―

2013-02-22 22:00:00 | 映画


 ドイツ歴史ミステリー映画の力作である。
 フィリップ・カーデルバッハ監督は、ヒトラーの第三帝国が戦争へと突き進んでいた時代を背景に、“空のタイタニック号”とも呼べる、豪華飛行船の最後のフライトを、緊迫感一杯に映画化した。

 ヒンデンブルグ号は、1936年に運航を開始した、ドイツの旅客輸送用の巨大硬式飛行船だ。
 就航期間は14カ月だったが、ドイツ国家の象徴として、世界へ知らしめる役割を担っていた。
 そのヒンデンベルグ号は、アメリカ・ニュージャージー州マンチェスターで、着陸寸前に火災が発生、瞬時に爆発炎上し、97人の乗員乗客のうち35人が死亡するという大惨事となった。
 この作品は、そうした史実を巧みに生かした、大規模な冒険・サスペンス映画で、ドラマのスリリングな展開と壮絶なアクションに、ラストまではらはらさせられる。



        
1937年、ヒンデンベルグ号の設計技師マーテン(マクシミリアン・ジモニシェック)は、母とドイツを訪れていたアメリカ人実業家エドワード・ヴァンサント(ステイシー・キーチ)の娘ジェニファー(ローレン・リー・スミス)と、グライダー処女飛行事故をきっかけに、恋に落ちる。

しかし、ジェニファーには既に許婚のフリッツ(アンドレアス・ピーチュマン)がいた。
領事館でのパーティーの当日、ジェニファーと母ヘレン(グレタ・スカッキ)は、父の病の報を受ける。
二人は、急遽ヒンデンブルグ号で、アメリカに帰国することになった。

飛行当日、マーテンはヒンデンブルグ号に“爆弾”が仕掛けられていることを知り、ヴァンサント母娘の乗船を阻もうとするが、何故かフリッツに邪魔をされ、格闘の末フリッツを殺してしまう。
マーテンはそれでも、離陸寸前のヒンデンブルグ号に乗り込む。
しかい、フリッツ殺害容疑で指名手配を受け、船内に専横くしていることも地上から通報され、追われる身に・・・。
マーテンは追われながらも、船内に潜んで爆弾を探すうち、とてつもない陰謀に気づくのだった。

高いハードルを超える、ドイツ人男性とアメリカ人女性という若い二人のラブストーリーが絡んで、飛行船に乗り合わせた人々の、様々な思惑や葛藤が交錯する人間ドラマだ。
ヒンデンブルグ号の爆発事故そのものについては、今日なお全容は解明されていない。
映画は、この点に着目した。
戦争に関係するナチの陰謀、破壊活動、ユダヤ人の亡命なども絡めて、ストーリーは構成されている。

この飛行船の事故によって、飛行船自体の安全性が問われ、以後巨大飛行船の製造は行われなくなった。
キャスティングを見ても、日本ではほとんどなじみがないが、近来稀に見るドイツ映画としては大作の方だ。
豪華客船と遜色ないヒンデンブルグ号だが、こんな巨大な飛行船が大西洋を横断していたのは、もう遠い過去のことになってしまったのか。
順風満帆かと思われていたヒンデンブルグ号に、とんでもない災禍が待ちかまえていたとは・・・。
世界に飛行船時代が到来しなかったのは、それもそうだろう、この巨大飛行船の爆発事故のせいと見られている。
それが、このドイツ映画「ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀」の主題だ。

衝撃的なラストシーンの前、マーテンは、船体の外側に設置された爆弾をついに発見し、解除する。
が、万全を期して、爆発予定時刻以前に、飛行船を着陸させようと操縦したものの、船体は崩壊寸前となり、ガス嚢も敗れ、帯電を示す“セントエルモの火”にマーテンが気付いた直後、着陸態勢にあった飛行船は一気に爆発炎上した。
マーテンとジェニファーは間一髪で脱出したが、ヘレンら多くの人が命を落とした・・・。(時にはネタバレも許されるだろう)
さすが、迫力満点である!
ドラマ全体としてみると、作り物っぽい感じがないわけではないが、なかなかお目にかかれない、巨大飛行船の謎に迫るミステリアスな作品だ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ゼロ・ダーク・サーティ」―ビンラディンを追い詰めたひとりの若き女性の衝撃の実話―

2013-02-21 18:00:02 | 映画


 アメリカ政府の隠し続けた真実がここにある。
 CIA史上、最大の包囲網だった。
 9.11テロから10年、首謀者ビンラディン殺害まで、本当は何が行われたのか。
 タイトルの「ゼロ・ダーク・サーティ」とは、そのビンラディン殺害に至った作戦の決行時間、深夜0:30を指す軍事用語だ。

 映画「ハート・ロッカー」(アカデミー賞受賞作)キャスリン・ビグロー監督は、世界規模の情報の収集、拷問、スパイ活動、隠密作戦っといった極秘情報まで、関係者への取材を重ね、壮大なサスペンスに仕上げた。
 そして彼らは、捕獲作戦の中心にいた人物が、女性であったという驚愕の事実を知る。
 しかしそれは、封印された真実の、ほんの入り口に過ぎなかった・・・。
 圧倒的な迫力で、見応え十分の力作だ。




       
華奢で青白く澄んだ瞳が印象的な、20代半ばの女性マヤ(ジェシカ・チャステイン)は、とてもCIA分析官には見えない。

だが、その彼女が、情報収集と分析に天才的な感覚を持ち、ビンラディン捜索に巨額の予算をつぎ込みながら、一向に手がかりすら掴めない捜索チームに抜擢された。
そして、国際テロ組織アルカイダとその首領オサマ・ビンラディンの追跡に乗り出していた。

捜索は、困難を極めた。
その間に世界中で、アルカイダのテロにより、多くの血が流されていた。
CIAは、世界各地にある秘密の収容所に、捕縛したテロリスト容疑者を極秘輸送して収容し、そこから拷問まがいの方法で情報を引き出していた。
それはまさに、史上最大の包囲網といってもよく、その結果CIAは芋づる式にアルカイダ幹部を発見し、拘束し、殺害し、第2、第3の対米テロの阻止に成功する。
しかし、最大の標的であるビンラディンの消息については、その欠片すら掴めずにいた。

ある日、仕事への情熱で結ばれていた同僚たち7人が、自爆テロに巻き込まれて死んだ。
その時、マヤの中で何かが一線を超えた。
マヤは、使命というより狂気をはらんだ執念で、ターゲットの居場所を絞り込んでいた。
マヤは、ついに隠れ家を発見するのだが、はじめ、彼女が断言する「確率100%」を信ずる者は誰もいなかった。
だが、「100%確実」と言い切るマヤのあまりの気迫に、多くの仲間を失ったCIA局員たちはリベンジを誓い、再び大がかりな追討作戦が開始されたのだった。
・・・そして、彼らの努力がついに報われたのは、2011年5月のことであった。

アルカイダのトップ、オサマ・ビンラディンに対する米軍特殊部隊の攻撃の顛末である。
この作品、CIA(米中央情報局)が、ターゲットの隠れ家をどのように突き止めたかを主な内容として、ドラマのクライマックスは、特殊部隊の作戦の模様を実に詳しく描いている。
そこには、アメリカ国民の心情を集約したかのような、報復への凄まじさがこめられている。
確かに、多くの拷問が行われたという事実は否定できないが、そこで得た情報の分析にあたった、CIA分析官マヤの才能と熱意がいかんなく発揮される。
事実は事実である。
キャスリン・ビグロー監督は、この作戦の難しさを、よくここまで描き切ったものだ。
CIA分析官の仕事も、特殊部隊の夜間の攻撃も、重く、痛ましく、苦い。
ヒロインのマヤは、大任を果たし終えて、「これからどこへ行きたい?」と聞かれても、何も言わずにただ一筋の涙を流した。
こういうシーンを観ると、実際高卒ですぐCIAの仕事に携わり、それ以来ずっとビンラディンの捜索だけに全てを捧げてきた、マヤという女性が変わってゆく物語とみることもできるだろう。

知られざる巨大な諜報機関、アメリカ中央情報局の実像にも迫っている。
キャスリン・ビグロー監督アメリカ映画「ゼロ・ダーク・サーティ」の先行試写を観たマスコミは、この作品を一様に絶賛したが、一般公開では、劇中での拷問の扱いと機密情報を入手した経緯について、政治論争まで巻き起こったそうだ。
オサマ・ビンラディンを追い詰めたのは、実はまだ若い20代の女性だったということも、大きな驚きである。
ヒロインジェシカ・チャステイン(ゴールデン・グローブ賞主演女優賞)が素晴しい。

これまでアメリカ政府が隠し続けた、衝撃の真実が解禁される。
映画は、モデルが特定されないように、細心の注意を払いつつ、実話に基づくCIA内部の人間ドラマに迫っている。
全篇に渡って、ニュースフィルムとドキュメンタリーを観ているようで、迫力ある緊迫の映像から片時も目が離せない。
凄まじいまでに、徹底的にリアリティにこだわった、サスペンスフルな映画だ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「王になった男」―王様は為政者として何をなすべきか―

2013-02-20 13:15:00 | 映画

              
朝鮮王朝の史実にフィクションを織り交ぜて、チュ・チャンミン監督が初めて時代劇に挑戦した意欲作だ。
黒澤明監督映画「影武者を、髣髴とさせる作品だ。
主演のイ・ビョンホンも初の時代劇である。
一人二役というのも珍しい。

時代の暴君なのか。あるいは悲運の君主なのか。
17世紀に、15日という短い期間在位していた、朝鮮15代目王・光海は過去と現在での評価が分かれる人物だ。
この時代、暗殺と逆謀の脅威によって暴君となったが、最近では、改革君主だったと認識が改められているそうだ。

本当の王と偽者の王・・・、先の読めないなかなか魅惑的なストーリー、出演者の達者な演技、絢爛豪華な美術や衣装にも工夫が凝らされ、ありえたかもしれない歴史を想像する楽しさはたまらない。
既存の時代劇と差別化するために、よりリアリティと説得力に満ちた韓国歴史時代劇として、その面白さは期待十分である。
威厳と滑稽と・・・。        
1616年、王位をめぐる権力闘争で混乱を続ける激動の時代・・・。
朝鮮王朝第15代王・光海(イ・ビョンホン)は、かつて民衆のためを思う聖君だったが、自分の命を狙う者からの毒殺に対する恐怖心から、日に日に暴君と化していた。
宮中の反体勢力による謀反の噂や、大臣たちの思惑への不安を振り払うように、王はわがままの限りを尽くした。
そんな中、彼は、数少ない信頼できる忠臣の都承旨ホ・ギュン(リュ・スンリョン)に、自分の影武者になれる人物を探せと指示する。

ホ・ギュンは、妓生宿で酔客相手の漫談をしていた道化師ハソン(イ・ビョンホン=二役)に目をつける。
ハソンはそこで、堕落した国政と腐敗した権力を、面白おかしく風刺していた。
王と瓜二つの顔立ちで、王の物まねも完璧だった。
何も知らずに宮廷に連れて行かれたハソンは、王と謁見し、一晩を宮中で過ごした。

ところがある日、王が謎の重病で倒れる事件が発生すると、王の治療の間、ホ・ギュンは王の代役をしろと命じる。
ハソンは、この重大な任務をわずか銀20両で引き受ける。
一回の役者にすぎない彼が、ホ・ギュンの厳しい教育と監視の下で、話し方から歩き方、日々の作法、国を治める方法まですっかり王になりきって演じはじめる。
宮廷には数百人が仕えており、彼らには絶対にバレてはならない危険な任務だ。
正体を知っているのは、ホ・ギュンとハソンを側で見守るチョ内官(チャン・グァン)のみだ。
忠実ながら生真面な武士、ト・部将(キム・イングォン)や、王妃(ハン・ヒョジュ)にも実情を隠していた。

目を覚ました瞬間から始まる、王独特の日常の習慣や業務に、ハソンは滅茶苦茶に戸惑いながらも徐々に慣れていく。
だが彼は、民衆の幸福に向いていない政治の在り方に、疑問を抱いていった。
そんな時、ハソンは15歳の毒見役の女官サウォル(シム・ウンギョン)の、不幸な身の上話を聞く。
役所からの搾取によって生活が苦しくなり、父は監獄送りとなって死亡、他の家族も離れ離れに・・・。

王の代役であるハソンは、彼女の悲惨な境遇に同情し、理不尽な政策への怒りを燃やすのだった。
「民の金を搾り取る不届き者を、どうしたらいいのだ?」
やがてハソンは、単なる光海の代役ではなく、自分の声で政務への発言を始めてしまったのだ。
本物の王のごとく・・・。

たったの銀20両で、あくまでも影武者として雇われた道化師“偽の王”は、何と自らの意思を持つ王となっていくのだ。
ハソンが、本物と見間違えるほど、本物の王へと変身していくプロセスが面白い。
そして、民衆のことを考える「王」として行動を取り始め、次第に民衆の尊敬を集めていくようになる。
彼は、下々の苦悩を知り、庶民の生活に目を向けない権力者に憤る。

二人の王の愛を受ける王妃の戸惑いもさることながら、王宮で影武者の王と都承旨が座して向かい合っている時に、訪問者があると慌てて席を交替して譲るさまなど、ユーモラスなシーンがふんだんにあって、思わず笑ってしまう。
本物の王ができなかった決断を、道化がやってのけるのだ。
本物の王が偽物の王をまねるという痛快な皮肉・・・。
真の王はどうあるべきかが問われるシーンで、もはやこの時、道化のほうが本物の王に見えたりする。
事実そうだし、ハソンはこの限られた王宮での15日間で、ニセ王を演じているうちに、王としての自覚が芽生える。

時代的には、日本では戦国の世が終わった豊臣秀吉の時代の後の物語だ。
15代王光海君その人については、この作品ではほとんど語られていないので、残念だが仕方ないか。
上映時間2時間では、100時間以上は当たり前という韓国のテレビ大河ドラマには到底及ぶべくもない。
それにしても、「偽王」の演説は目立った。
韓国アカデミー賞では、史上最多15部門受賞、韓国民の2割を超える1200万人が動員されたという大ヒットだそうだ。
日本公開各地でも、行列ができるくらいだから、映画というものはわからないものだ。(女性客が圧倒的に多い)

謀反を企てた臣下たちの前で、王が立ちはだかるクライマックスでは、一瞬観客の方でも、あれ一体どっちだ?光海君とハソンの区別がつかなくなってしまうシーンがある。
イ・ビョンホンは、シリアスな影武者を演じながらも、ユーモアとおとぼけの切り替えがうまく、ドラマはどこまでもおかしく面白い。
チュ・チャンミン監督韓国歴史時代劇「王になった男」は、理想の王とはどうあるべきかを問う力作である。
これは、現代に通用するテーマでもある。
登場人物は、みな熱演だ。
痛快な娯楽映画である。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「最終目的地」―洗練された文学作品を読むようなエレガンス―

2013-02-17 21:00:00 | 映画


 文学作品のページを繰るように、味わう映画だ。
 アメリカの現代文学作家、ピーター・キャメロンの同名小説が原作である。
 現在84歳、現役最高齢の名をほしいままに、ジェームズ・アイヴォリー監督は、愛することの孤独と戸惑いと、そして真実の愛を見つめる。

 こ の作品が、「眺めのいい部屋」「日の名残り」など数々の文芸作品を手がけた彼の、集大成となるのだろうか。
 南米ウルグアイを舞台に、、田園地帯のけだるさの中に、匂い立つような(?)映画のエレガンスが綴られる。
 大人の人生の機微を細やかに描いているが、作品が緩く感じられる。
 もっと、引き締まった方がよさそうだ。









       
ウルグアイ北部の、人里離れた邸宅に暮らすのは、自ら命を絶った作家ユルスの妻キャロライン(ローラ・リニー)、ユルスの愛人アーデン(シャルロット・ゲンズブールと小さな娘、ユルスの兄のアダム(アンソニー・ホプキンス)とそのパートナーの男性ピート(真田広之)たちである。

彼らは、孤立し朽ちかけた屋敷で、人生を諦めたかのような、奇妙な共同生活を送っていた。

そこへ、突然亡き作家ユルスの伝記を書きたいという、アメリカの青年オマー・ラザキ(オマー・メトワリー)がやって来る。
だが、妻のキャロラインは頑なに伝記の執筆を拒み、兄アダムは、公認を与える代わりに、青年オマーにある提案を持ちかける。
それは、母親から受け取ったジュエリーを持ち帰って、アメリカで売ってほしいという密輸の提案であった。
アダムは、25年間連れ添ってきたパ-トナーのピートを、自分のもとから立ち去らせ、自由になるためのお金を手に入れようと考えていたのだ。

プライドの高いキャロラインは、夫が伝記を望んでいなかったと主張し、頑なに公認を拒み続ける。
アーデンは、オマーとともに時間を過ごすうちに、彼に共感を寄せ、伝記執筆について公認を与える決意をする。
やがて、二人は離れがたい感情を抱き合うが、アーデンは、これまで自分がとても孤独であったこと、人を愛することを恐れていたことに気づいて戸惑うが、その気持ちを必死で抑えようとする。
でもオマーの出現で、アダムとピートの関係は終焉に近づき、キャロラインも新たな生活を模索し始める。
またオマー自身も、これまでの生き方への問いを投げかけ、アーデンとともに生きようと決意する。
・・・やがて、5人それぞれが人生の“最終目的地”に向かって、静かに動き出してゆく・・・。

ひとりの訪問者が、止まっていた運命を動かし、そしてやがてたどり着くそれぞれの居場所・・・。
真田広之の役は、作歌の兄のパートナー、つまりアンソニー・ホプキンスの恋人役というわけで、このゲイの役に、真田広之もはじめは戸惑いを禁じ得なかったようだ。
こんな人里離れた邸宅が舞台で、誰もがみな退廃的に暮らしている。

ジェームズ・アイヴォリー監督の演出は、美しく繊細で格調高い。
時間はゆっくりと流れ、うっかりしていると退屈な時間となってしまうが、そうしたムードや繊細なウイット、美しい情景と運命的なロマンスは文学作品の趣きで、実にデリケートに映像化されていることに気づく。
最終目的地というのは、結局愛なのであり、孤独を脱して生きていくことのようだ。

ドラマには、オマーの恋人ディアドラ(アレクサンドラ・マリア・ララ)も登場するが、個性豊かな人物像を描き出している。
詩情の豊かな、あくまでも静かな物語であり、それを評して、漂うように生きていている人たちという表現もできるだろうか。
凛としたたたずまいと裏腹に、過去に苦しみ、青年の伝記執筆を拒み続ける作家の妻キャロライン役のローラ・リニーアンソニー・ホプキンスの存在感が光っている。
ドラマのなかで、舌鋒鋭いキャロラインとディアドラの二人については、意志の強い、どちらかといえば思いやりに変えた女性を描いていて、結構作品としてのメリハリは効いている。
ただ、性格などはよく描き分けられているものの、人物の相関関係については、あまり深く入り込んでいない。
淡々と、表面的には穏やかな場面が続くのだが、物足りないと言えばこのあたりか。

アメリカ映画「最終目的地」は、ひとりの亡き作家をめぐる複雑な人間関係、利害、愛憎の物語で、登場人物も多種多様で錯綜している。
少し整理しにくいが、しかしよく読み込んでいくと、それらはあざなえる縄のように繋がっていることがわかる。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「マリー・アントワネットに別れをつげて」―ヴェルサイユの裏側で何があったのか―

2013-02-16 17:00:00 | 映画


 マリー・アントワネットは、フランス革命を象徴する存在だ。
 この作品は、過去の作品群とは違って、マリー・アントワネットの侍女である朗読係の少女の視点から、ヴェルサイユ宮殿の裏の顔に迫ろうとするものだ。

 王妃の知られざる真実を、朗読係の女性とともに覗き見をしているような体感は、ちょっぴりスリリングではある。
 だが、どうも期待したほどの出来栄えとは言い難い。
 身寄りのない少女が、夢のヴェルサイユで王妃に仕え、心酔していくが、そんな少女に突きつけられる残酷な運命を描いている。
 ブノワ・ジャコー監督が、本物の宮殿でロケを敢行し、歴史に秘められたヴェルサイユ最後の三日間を、サスペンス仕立ての物語として作り上げた。






      
1989年7月14日、バスティーユが陥落し、フランス革命が勃発したその日、ヴェルサイユではほとんどの人々がまだ何も知らずに、いつもと変わらぬ華やかな一日を送っていた。

王妃マリー・アントワネット(ダイアン・クルーガー)は、早朝、お気に入りの朗読係シドニー・ラボルド(レア・セドゥ)を呼び、ファッション誌の朗読を楽しんでいた。

その翌日、バスティーユ陥落のニュースはヴェルサイユを駆け巡った。
やがて、286人の処刑(ギロチン)リストが発表され、、ヴェルサイユは騒然となった。
名前の中には、王妃とその寵愛を受けるポリニャック夫人(ヴィルジニー・ルドワイヤン)の名もあった。
朗読係のシドニーは、心酔する王妃への忠誠を誓うが、王妃からポリニャック夫人の身代わりになってくれと、思いもよらぬ頼みを命じれらる。
身を裂くような嫉妬と生命の危険、そこにはいままで見たこともない王妃の冷たい視線があった・・・。

王妃とシドニーとの関係性は、これまでのアントワネットを扱った映画では見られることがなかった。
王妃とシドニー、そして王妃とポリニャック夫人との同性愛という歪んだ関係を描きながら、この作品は十分な説明がない。
この三人の関係がもっとも重要なこの作品で、肝心の部分が欠落しているに等しい、何とも中途半端なドラマになってしまった。
人物像もはっきりしない。
ただ、ドラマの中で、マリー・アントワネットの、生涯に経験した様々な側面は概ね触れられているものの、この作品は王妃に焦点を当てたものではなく、あくまでもヒロインとなるのはシドニーだ。

ポリニャック夫人の身代わりになれという、世にも残酷な命令は、夢多き一少女に与えられた、究極の選択だったに違いない。
ヴェルサイユは煌びやかな宮廷から、無秩序な奈落へと崩壊していく。
女たちの裏切り、駆け引きの、激動の3日間だ。
王妃への少女の愛は踏みにじられ、死への恐怖が襲ってくる。

この映画では、王妃が脇役である。
ストーリーが、これだけのものを扱いながら、かなり軟弱で頼りない。
豪華絢爛の衣装やセットの織りなす幻影が、在りし日のベルサイユの儚い終焉を偲ばせる。
ドラマのラストも、何ともあっけない。
褒められるのは、ヴェルサイユ宮殿で、実際にこの贅沢な(?)映画が作られたということか。
ブノワ・ジャコー監督フランス映画「マリー・アントワネットに別れをつげて」は、王政の廃止、共和制の成立という背景の中で、反逆罪により死刑が宣告され、37歳でギロチンの露と消えたマリー・アントワネットに、朗読係の女性がいたという史実から生まれた。

主役のシドニーを演じるレア・セドゥの、挑発的な眼差しと肉感的な肢体から匂い立つようなエロティシズム、マリー・アントワネット役のダイアン・クルーガーは王妃と同じくドイツ語が母国語となるバックグランドも手伝って、深みのある優雅な役柄を好演している。
また、王妃を虜にした魅惑的なポリニャック夫人は、ヴィルジニー・ルドワイヤンが、抜群の存在感で演じた。
贅沢な美女たちのキャスティングに、本物のヴェルサイユ宮殿と、衣装やメイクも当時の豪華さに現代風のアレンジも加えた、絵のような美しさで、単なる歴史の記録ではなく、ここに提示されるゴージャスな世界観には溜息をつく・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「愛について、ある土曜日の面会室」―傷つきながら諦めることのない人間たち―

2013-02-13 17:00:00 | 映画


 人間の許し、慈しみ、犠牲、そして再生へ。
 運命に導かれる、様々な愛の形・・・。

 刑務所の脇で、泣きわめく女性がいた。
 この映画は、この女の叫びを聞いたことから生まれた。
 大女優カトリーヌ・ドヌーヴは、その才能を絶賛した。
 若干28歳の新星、レア・フェネール監督の鮮烈なデビュー作である。

 フランス・マルセイユ・・・。
 ある土曜日の朝、愛する人への想いを抱いて、3人は面会室へと向かうのだ。
 同じ町に暮らしながら、お互いを知らない。









      


 
サッカーに夢中の少女ロール(ポーリン・エチエンヌ)は、風変わりな少年アレクサンドル(ヴァンサン・ロティエ)と恋に落ちる。

ある日、アレクサンドルが逮捕されてしまうが、未成年のロールは面会ができず、想いを募らせていく。
偶然知り合った病院のスタッフに付き添いを頼み、会いに行くことができたが、過酷な現実を前にロールは困惑していた・・・。

ステファン(レダ・カテブ)は不器用な男で、仕事も恋人も上手くいっていなかった。
ある日、暴漢に襲われた恋人を助けてくれたピエール(マルク・バルベ)と知り合った。
彼は、ステファンの顔を見るなり、異様なほど驚いて、瓜二つの受刑者と入れ替わるという、奇妙な依頼を持ちかけてきた。
多額の報酬に心は揺れたが、その代償はあまりにも大きかった。

アルジェリアに住むゾラ(ファリダ・ラウアッジ)に、フランスで暮らす息子が殺されたという訃報が届く。
彼女は、死の真相を知るべく、偶然を装い、加害者の姉セリーヌ(デルフィーヌ・シュイヨー)と接触をはかり、交流を深めてゆく。
ある日、誰も弟の面会に訪れないと嘆く彼女に、自分が会いにゆくことを提案する。
ゾラは、母親として知ることのなかった、息子の人生をたどってゆくことになる・・・。

人生には、ささやかでも、様々な輝きがある。
それらをひとつにまとめ上げた作品として、興味深い。
3人は、それぞれの悲しみや痛みを抱えながら、運命を切り開くために、刑務所の面会室へ向かうのだった。
若き女性監督レア・ファーネルは、女性ならではの包み込むような優しさと力強さで、登場人物の心の軌跡を炙り出す、重厚なヒューマンドラマを試みた。

面会室には、悲しみや怒りや絶望が充満している。
そこは人間の坩堝だ。
そんな場所を舞台に、三つのエピソードを丹念に語りつつ、それらのエピソードが一堂に会するクライマックスが見ものだ。
ロールとアレクサンドルは青春のカップルだ。
しかし、ロールは妊娠していて、アレクサンドルと会うことができない。
彼は、見知らぬ病院スタッフの男の存在にいら立っている。

ステファンに瓜二つの犯罪者は、監視の目を避けて服を入れ替える。
ここはサスペンスだ。
そしてゾラは、愛しい息子を殺したのが、彼を切ないほどに愛していた青年だったことを知るのだ。
息子の遺体を愛おしげに清める母親は、初めて自分の知らない息子の人生を突き付けられる。
ゾラを演じる、役柄を自身と一体化した、「ジョルダーニ家の人々」ファリダ・ラウアッジがいい。

若い命を燃やすカップル、闇の世界に生きる人間の冷酷さ、母と息子の宿命的な愛と・・・、観客は三つのドラマを比べて観る
ことになる。
少女のように美しい、レア・フェネール監督の目はどこまでも冷静だ。
登場人物の顔のクローズアップは印象的だが、淡々としたロングショットには少し飽きる。
撮影は、南フランスの本物の刑務所で行われたそうだ。

このフランス映画「愛について、ある土曜日の面会室」は、黒澤明「影武者の影響を受けたと、フェネール監督は言っている。
一本で、三つの物語の対比もさることながら、それらををまとめ上げた才能は、非凡だ。
冒頭のオープニングから、引き締まったラストまで・・・。
面会人たちが立ち去った後の、冷たく静謐な冬の空気は言いようのない孤絶感があって、素晴しい場面だ。

全体的には、もちろん若さの残る精いっぱいの演出だが、レア・フェネール監督の、美しい愛にあふれた人間宣言を感じさせる作品である。
初監督作品にしては上出来で、ドキュメンタリーのようなリアリティがある。
彼女の、まだまだこれからの大いなる成長に期待できる。

     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


県民が見た世界遺産写真展―未来に残す感動を伝える―

2013-02-12 22:30:00 | 日々彷徨


 立春を過ぎて、なお本格的な春はまだ遠い。
 まだまだ、寒さ厳しい日々が続きそうだ。

 ふらりと寄ってみた小さな展示会だが、秀作ぞろいの写真展で、見どころがあってよかった。
 2012年に実施された、「世界遺産写真コンテスト」に応募のあった中から、すぐれた作品のみを展示している。
 これらの作品群を見ていると、新たな感動も伝わってくる。

 「世界遺産と川柳」「世界遺産と人間」のテーマに的を絞っているあたり、ちょっと変わっていて面白い。
 写真と抱き合わせの川柳など、悪くないと思った。
 世界遺産登録を目指している、「武家の古都・鎌倉」の特別部門コーナーもある。

 このほか2月24日()、3月10日()には関連講演、講座などの催しもある。
 ちょっと立ち寄り気分で・・・。
 3月20日()まで、本郷台 あーすぷらざ3F 企画展示室(TEL 045-896-2121)にて。