徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「夜明けの祈り」―第二次世界大戦末期ポーランドの修道院で起こった衝撃の真実―

2017-09-30 12:28:00 | 映画


 第二次世界大戦終結直後のポーランドを舞台に、女性たちの信仰や国境を越えた連帯を描いた、深く重いテーマを扱ったドラマだ。
 実在したフランス人女性医師の手記をもとに、「ボヴァリー夫人とパン屋」 (2014年)アンヌ・フォンテーヌ監督が、他の戦争映画では見過ごされがちな、集団レイプ事件の存在者に光を当てた作品である。

 このドラマで、戦時下の女子修道院を襲った、ソ連兵の身の毛のよだつような蛮行が明らかにされる。
 心を揺さぶる真実の軌跡から、目を離すことができない。
 実在した、フランス人医師マドレーヌ・ポーリアックの物語でもある。



一人の修道女が、雪に覆われた森の中を一心不乱に走っている。
その一枚の絵のような映像から、この物語は始まる。
フランスからポーランドの赤十字に派遣された医師マチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)のもとに、修道女が助けを求めて駆け込んでくる。
まだ新米医師で担当外であることを理由に、外部の助けを求めるよう主張し、一度は断るマチルドだったが、凍てつく空の下で、何時間もひたむきに神への祈りを捧げる修道女たちの姿に心を動かされ、彼女は遠く離れた修道院へ出向いた。

マチルドが修道院を訪ねると、あろうことか、ソ連兵の蛮行で身ごもった7人の修道女たちが生死の境にあった。
マチルドはかけがえのない命を救う使命感に駆られ、幾多の困難に直面しながらも、激務の合間を縫って修道院に通い、この世界で孤立した彼女たちの唯一の希望となってゆく・・・。

修道女たちにとって、純潔は神に捧げる信仰の証しだ。
ソ連兵に凌辱された被害者なのに、彼女たちは妊娠を恥じ、神の罰を恐れ、マチルドの診察も怖がる。
女性監督アンヌ・フォンテーヌは、女性ならではの感性で、修道女たちの複雑な感情を繊細に描いている。
修道院は、終始薄暗い光の中に包まれ、修道女たちの苦悩、信仰の揺らぎ、性的な抑圧を伝える。

修道院を襲ったソ連兵たちの中で、自分をかばってくれた兵士への恋心を抱く修道女や、修道院に入る前に恋人がいたことを打ち明ける修道女など、一人一人の内面に光を当て、政治、信仰、社会通念に抑圧された女性たちを解放していく。
彼女たちの連帯は交叉するはずもなく、しかし厳かな映像で切り取られ、美しい。
明暗にこだわった礼拝堂など、荘厳な画調も、この作品の重いテーマを象徴的にあらわしている。

この作品のヒロインのモデルとなった、実在したマドレーヌ・ポーリアックは被害者の女性たちの医療を施しただけでなく、その心も癒し、さらには修道院を救う手助けもした。
そして、1946年2月、ワルシャワ近くで任務の遂行中、事故死を遂げた。
・・・修道院という閉ざされた世界に起こった悲劇は、神に仕えていた者まで道を誤らせてしまうという、そんな可能性もこの映画は提示しているように見える。

修道院の院長は名誉を重んじるため、事態の隠蔽をはかり、ソ連兵に乱暴されて生まれた赤子の生を絶つなど、残酷なシーンもあり、そんな中で、無神論者のマチルドが修道女たちの希望の星となっていくのだ。
悲しみに満ちた物語だが、希望の光が差し込んでくるような展開だ。
雪降りつむ森の中、静謐な祈りの風景が美しい。
雪は悲別の闇に夜明けをもたらし、人間の愛を静謐に映し出し、いま世界中が不寛容な時代に、この映画は救いの一作となった。
フランス・ポーランド合作映画「夜明けの祈り」は、画面全編が一見モノトーンに近く、観るのも辛い映画だが、冷静な目で厳粛に描かれていて、必見の余地はありそうだ。           
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はセルビア映画「オン・ザ・ミルキー・ロード」を取り上げます。


映画「ラスト・プリンセス~大韓帝国最後の皇女~」―激動の人生を駆け抜けた悲劇の女性の物語―

2017-09-26 16:00:00 | 映画


 これほど悲しい人生があったか。
 祖国を愛し続けた、朝鮮王朝最後の皇女のドラマである。
 李氏王朝、日本統治時代を生きた皇女、徳恵翁王(トッケ・オンジュ)の悲劇を描いた作品だ。

 日韓併合と朝鮮王室消滅を図る政略に巻き込まれた皇女は、1912年生まれ、時代に翻弄され、時の権力者の意のままに、虐げられた人生を送らねばならなかった。
 「八月のクリスマス」 (1998年)、「四月の雪2005年)、「危険な関係」(2012年)ホ・ジノ監督が、この徳恵の悲劇を韓国目線で映画化した。




日本統治時代、大韓帝国の初代皇帝・高宗(ペク・ユンシク)の娘として生まれた徳恵翁主(ソン・イェジン)は、父の死後わずか13歳で日本への留学を強制される。
祖国へ帰れる日々を待ちわびながら、月日は流れ、大人となった彼女の前に、幼なじみのキム・ジャンハン(パク・ヘイル)が日本帝国陸軍少尉となって現れ、再会する。

ジャンハンは大日本帝国軍に従事する一方、密かに朝鮮独立運動に力を尽くしていた。
徳恵は、監視役のテクス長官(ユン・ジェムン)の目を逃れ、ジャンハンらの独立運動に協力するのだった。
彼は王朝復興のため、徳恵と皇太子である兄王を上海へ亡命させようと計画する。
信念に突き動かされた者たちは、激動の歴史の中で、想像を絶する運命に身を投じていくのだったが・・・。

朝鮮を支配していた日本を、ここでは声高に非難してはいないが、その非人道的な行為は胸に迫ってくるものがある。
希望を失って、絶望の渕をさすらう徳恵翁主が、圧倒的な存在感でこのドラマを牽引する。
この活劇交じりの史劇は、史実を土台にしたフィクションだが、緩急自在な展開に繊細な情感もにじみ、何と結構見栄えのする力作となっている。
祖国からも見捨てられ、終戦後も帰国を認められなかった皇女の悲しみが、痛いほどに伝わってくるのだ。

ドラマは、虚実を交えた悲劇を上手く作り上げている。
ここにも、戦争のもたらす悲劇がある。
ドラマの語り口はややメロドラマ調だが、韓国側から見た日本を描いているので、日本人がこの作品を観るとどうも居心地はよくない。
この韓国目線と向き合うとき、日本統治下の韓国がどれほど痛苦な思いをさせられたか、察するに余りある。

この時代は韓国人にとっても、決して誇れる時代ではなく、皇女の話も日韓の歴史の狭間に忘れられてしまった人物かもしれない。
いや、多分そうだろう。
その人物を掬い上げて、彼女のドラマティックな生涯を映画の題材とした。
徳恵翁主は、父親が日本の勢力に毒殺されたと信じていたらしく、おそらく抗日的な意識は最後まで拭いきれなかっただろう。
彼女は政略結婚を余儀なくされ、一人娘の自殺、自身の離婚など、過酷な人生を歩むが、映画の中の人物像は決して美化されていない。
終盤近く、統合失調症で錯乱するヒロインの姿は、鬼気迫る演技だ。

この韓国映画「ラスト・プリンセス~大韓帝国最後の皇女~」は、切なくても品格を備えた大河ドラマの趣きもある。
丁寧にまとめられていて、観て損のない良質な作品といえそうだ。
もっとも、亡命計画で失敗したジャンハン(パク・ヘイル)が銃弾に撃たれながら生きていたというのは、ちょっと出来過ぎの感は否めないが・・・。
まあ、国家戦略の駒とされるヒロインの姿が、感動と共感を呼び、「韓国観客動員560万人」のヒットを打ち立てたというから、この作品の人気のほどもわかるというものだ。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス・ポーランド合作映画「夜明けの祈り」を取り上げます。


映画「三度目の殺人」―神の目線を持たない法廷で人は人を裁けるのか―

2017-09-19 16:00:00 | 映画


 晩夏から初秋へ、そしてその秋も深まりつつあるようで、季節は確実に変わろうとしている。
 日中、暑い日はまだしばらく続きそうだが、朝夕の風もときにひんやりとするほど涼しく感じられて・・・。

 映画は、これまで「家族」をテーマにして撮り続けてきた是枝裕和監督が、初めて法廷サスペンスに挑戦した力作である。
 まあ、新境地を切り開いた作品といってもよいか。

 ここで是枝監督原案・脚本・編集)は、日本社会の「司法」というシステムに焦点を当て、社会の欺瞞や真理の不確実さを浮かび上がらせる。
 この映画では、推理小説のような、事件の真相を追求するという明らかな謎解きは行われない。
 殺人犯と弁護士が、心理戦を軸に、緊迫感溢れる法廷ドラマを展開する。




殺人の前科のある三隅(役所広司)が、自分を解雇した工場の社長を殺害して、起訴される。
犯行を自供した彼の死刑は、ほぼ確実だったが、弁護士の重盛(福山雅治)は、事件を同僚の弁護士摂津(吉田鋼太郎)から引き継ぐ。
重盛は、三隅を無期懲役に持ち込むための調査を進めるうちに、違和感を覚えるようになる。
三隅の供述がころころと変わり、金目当ての私欲な殺人が、被害者の妻の美津江(斉藤由貴)に依頼された保険金殺人を匂わせるものに変貌するなど、動機までもが二転三転する。

重盛は、助手の川島(満島真之介)と事件の再調査にあたる。
すると、三隅の家に脚の不自由な娘が出入りしていたという情報をつかみ、調べるとそれは社長と美津江の娘咲江(広瀬すず)だった。
被害者の娘と容疑者の接点を探す重盛のもとに、咲江が訪れ、驚くべき事実を明かすのだったが・・・。

役所広司が接見のたびに、態度や表情、証言を豹変させる不気味な犯罪者の三隅を多彩な芝居で怪演し、広瀬すず事件の鍵を握る咲江に扮し、愁いを帯びた表情で何かを訴えかけてくる。
そして、そんな二人に重盛は翻弄されるうちに、裁判に勝つためには必ずしも真実は必要ないという自己の考えの精度を失い、自らの内なる闇と向かい合うようになる。
福山雅治は、次第に生々しい感情を露わにしていく。

重盛と三隅が接見室のガラス越しに、それぞれの逃れられない感情を激突させるクライマックスは圧巻だ。
両者の迫真の演技が、真実らしきものを浮かび上がらせるのだが、果たして殺人を犯したのは本当に三隅なのかどうか・・・。
動機は何か。
証言を幾度も覆す彼の狙いは何か。
そして、『三度目の殺人』の意味するものは・・・?

裁判官と検察官、弁護士の三者が、法廷の裏側で裁判の進行内容を打ち合わせる場面も、詳細に描かれていて興味深い。
こういうことは実際に行われていることだし・・・。
表の法廷では誰も本当のことを言わず、事が動くのは裁判が始まる前と法廷の裏側という、日本の司法制度の規定を垣間見る。
法廷こそ何故かわざとらしく、白々しい雰囲気を出しているようで、そもそも判決が本当に真実であるとは限らないのだが・・・。
司法に携わる弁護士が言うように、法廷は真実を明かす場所ではなく、たとえ真相がわからなくても、両者の言い分をもとに何らかの判決を下すのが裁判なのだ。
当然、誤審もありうる。

この作品に、解答はない。
是枝裕和
監督は、映画「三度目の殺人」で何が真実かを観客に委ねてしまっている。
この映画を観て、物心ついた若き日に観た同じようなテーマを扱ったフランス映画を、はからずも思い出した。
忘れもしないアンドレ・カイヤット監督(1909年―1989年)「裁きは終わりぬ」(1950年)であった。
いま観た日本映画と、遠いあの日に観たフランス映画の傑作と・・・。
そしてまた、沈思黙考する。
人は、人を裁けるのだろうか。

余談だが、この是枝監督の作品、22年ぶりでヴェネチア国際映画祭に出品されたが、残念ながら今回は受賞を逸した。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は韓国映画「ラスト・プリンセス~大韓帝国最後の皇女」を取り上げます。


映画「幼な子われらに生まれ」―血のつながらない家族と血のつながった他人が幸せを紡いでいく物語―

2017-09-13 12:00:00 | 映画


 幸せを模索する不器用な人たちを描いた、重松清同名小説(1996年刊)荒井晴彦が脚本化し、NHKでドキュメンタリー番組を手がけた三島有紀子監督が映画化した。
 三島監督は、2009年「刺青~匂ひ月のごとく」映画監督デビューし、「幸せのパン」(2012年)、「繕い裁つ人」(2015年)などで注目される新鋭だ。

 誰の身にも起こりうる人生の危機を、真に迫る演出と演技で描いた。
 前の配偶者との子がいる人と再婚する。
 これをステップファミリー(子連れ再婚家庭)というのだそうだ。
 この血縁関係のない親子を含む家族形態を、現代風に書き換えた人間ドラマである。



会社員の田中信(まこと(浅野忠信)と、専業主婦の妻・奈苗(田中麗奈)は再婚同士だ。
前夫沢田(宮藤官九郎)に暴力を振るわれた奈苗の連れ子の薫(南沙良)、恵理子(新井美羽)と4人で暮らしている。
信にはキャリア女性の前妻・友佳(寺島しのぶ)との間に出来た実の娘・沙織(鎌田らい樹)もいる。
そんな信と奈苗が、新しい命を授かる。

思春期を迎えた薫は母の妊娠を知り、信への嫌悪感を露わにする。
よき父となるために、酒席や休日出勤を断り、家庭を優先してきた信は戸惑う。
妊娠中の菜苗の態度にいらつき、生まれてくる子供を素直に喜べない。
そして、「本当のパパに会わせてよ」という薫の要求に応じようとするのだが・・・。

バツイチ同士の結婚で、娘二人は妻の連れ子だ。
だから、娘たちと少しでも一緒に暮らしたい。
そこへ妻の妊娠という事態が生じ、それを知った長女は、血のつながらない父を突き放すような態度に出る。
過程でもがき、仕事でもがく中年男を演じる浅野忠信の耐える夫像が、表現力豊かだ。

専業主婦の妻を演じる田中麗奈は、親権問題を抱えていながら、このドラマはどうも葛藤が弱い。
この作品には男の嫌らしさも描かれているし、女の嫌らしさも散見される。
出世コースを外れた信は、家庭にあっても困惑といら立ちと放心状態を抱えており、男として暴発寸前だ。
そもそも、血縁のない父と娘が親子となる道の苦難ははかり知れないものがあるし、逆にそれは尊くもある。
私ごとながら、親族でこのドラマのような確執を抱えていても、連れ子と再婚して新しく生まれた子供と、要するに父親違いの兄弟たちが仲良くやって結構うまくいっている家族を知っている。
上手くいくときは上手くいくものなのだ。
だから、世の中は様々である。

三島有紀子監督映画「幼な子われらに生まれ」は、諸般の事情と葛藤を抱えた家族それぞれの思いを丁寧に掬い上げている。
これは、荒井晴彦の脚本によるところが大きいからだろう。
要するに、三島監督も言うように、家族でありながら正解を見つけることもできずにもがくダメ人間を、見事に描いているのだ。
心まで折れてしまったとき、男はどうして再起すればよいのか。
父とは何か、この答えに正解は見つけられない。正解はない。
ドラマの中では、サディスティックな夫婦喧嘩などのシーンも見られるが、即興のシーンで脚本家が時間をかけて書いたセリフを、思いつきで変えたりしてはいけないだろう。
でも書いたことが真逆の意味にならなければ、許容範囲ということだ。

大塚亮撮影監督は16ミリフィルムでこの作品を撮ったが、そのせいで画調にあまり温かみは感じられないものとなった。
敢えて、そのように意図、工夫して撮影したのだった。
あくまでも頑固で辛辣な家族の生き様が、繊細に描かれている。
ひとこと付け加えると、この作品、カナダ・モントリオール世界映画祭最高賞審査員特別グランプリ受賞したとのことだ。
なるほどなあと、素直に得心した。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「三度目の殺人」を取り上げます。


映画「ローサは密告された」―貧困と無秩序にまみれたエネルギッシュなスラム街の現実―

2017-09-11 05:00:01 | 映画


 フィリピン映画界をリードしてきた、ブリランテ・メンドーサ監督の新作である。
 マニラのスラム街を舞台に、貧しさの中を生き抜く人々の姿を、冷徹な視線でリアルに描いている。
 スラムの現実そのものではないか。

 政治的にも経済的にも、まだまだ発展途上国には描かれるべき素材が溢れている。
 そして、それを映像化する才能もある。
 まだまだ荒削りで、成熟した作り手のものとは言えないが、作品には活気がみなぎっている。
 本作の主役を演じたジャクリン・ホセが、カンヌ国際映画祭主演女優賞に輝いた。
 ドゥテル大統領が麻薬撲滅戦争を進めるフィリピンの実態が、伝わってくる作品だ。
 ドキュメンタリー・タッチの映像が何とも生々しい。



ローサ(ジャクリン・ホセ)は、低所得者が密集して暮らすマニラのスラム街で、自分の名前で看板を掲げたサリサ・ストアを営んでいる。
家には夫のほかに二男二女、合わせて6人家族が窮屈な暮らしをしていた。
ストアはいわゆる小さな雑貨店だが、家計は苦しく、麻薬の密売にも手を染めていた。
ローサは、何者かにその麻薬取引を告発され、警察に踏み込まれる。
ローサの夫ネストール(フリオ・ディアス)とともに連行されていく。
怪しげな警察は、ローサに手打ち金(保釈金ではなく、いわゆる袖の下)を要求したり、売人の名を吐かせたりする。

暴力と金と密告の世界は、フィリピンでは絵空事ではない。
これがフィリピン警察の実態だ。
売人を密告することで自分の手打ち金を安く負けてもらい、自分の息子や娘を金策に走らせる。
母親のローサを助けるのに必要な金を、子供たちがまさに体を張って稼ごうとするのだ。
警察の要求は恐喝まがいだし、この国では法も誰も守ってくれない。
ローサ達家族は、彼ら自身のやりかたで、したたかに、汚職にまみれた警察に立ち向かうのだった・・・。

警察が大金を要求すると、子供たちは当てもなく金の工面のため街をさまよう。
驚くばかりの警察の横暴と腐敗が、堂々とまかり通っているのだ。
日本なら警察庁長官のクビが飛ぶような不法行為が、フィリピンでは当たり前のことなのだ。
ここでは正義も通用しないし、警察による摘発を受けたら運がなかったとしか言いようがない。
容疑者とみれば、彼らを金づるとしか見做さない警察の描写はまるでマンガかコメディのようだ。
だが、これが現実だ。

フィリピン初の女優賞に輝いたローサ役のジャクリン・ホセの諦めきったような瞳、貧しい一家の抱えた不安が、陰鬱な雨が降り続く中でずっしりと重量感をともなって伝わってくる。
とりわけ、ホセの自然体の演技は抜群だ。
娘に頼られた親戚の女が、罵りながら金を貸すなど、人々を支える絆が通っていることにわずかな救いを見出すことができる。
手持ちカメラが、雑然としたスラム街や狭い店舗の中で生活するローサをクローズアップし、彼女の内面をえぐり出している。
スラム街のむせ返るような臭いが、画面から伝わってくるようだ。

麻薬の売買に関わる庶民と、腐敗した警察の実態を描いており、ドゥテル政権下で実際に続いている、「麻薬戦争」の内幕を暴くような映画だ。
ブリランテ・メンドーサ監督フィリピン映画「ローサは密告された」は、俳優たちの生の感情、心の揺らぎを見事にとらえて、荒々しくもリアリズムに満ちた映像を雑多なリにも鮮烈に浮かび上がらせて、その過酷なあまり画面から目を離すことができない。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「幼な子われらに生まれ」を取り上げます。


映画「甘き人生」―彷徨える魂が炙り出す戦後イタリアの光と影―

2017-09-08 16:00:00 | 映画


 1939年生まれ、「眠れる美女」(2012年)などで国内外で高い評価を得ている、イタリア巨匠マルコ・ベロッキオ監督が、ベストセラーとなったジャーナリストのマッシモ・グラッメリーの自伝小説を映画化した。
 ベロッキオ監督は、ミラノ大学では哲学を学んだが、のち映画に転向した。

 この映画は知的な構成で、批評性に富んだヒューマンドラマだ。
 ひとりの男の亡き美しい母への思慕をテーマにしているが、新聞記者として赴いた紛争地サラエボで悲惨な光景を目にするなど、主人公のたどる波乱万丈の軌跡は、約30年の時を隔てたイタリア社会の変容をも描いている。
 物語は、1960年代と90年代のトリノとローマを背景に綴られていく。

 

1969年、イタリアの古都トリノ・・・。

9歳のマッシモは、穏やかで裕福な少年期を過ごしていたが、ある日突然大好きだった母親が世を去った。
マッシモは死の場面を見ていないので、その死を認めることができず苦しみ続ける。

1990年代、ローマ・・・。
成長したマッシモ(ヴァレリオ・マスタンドレア)は、人を愛せない男になっていた。
新聞記者になった彼は、サラエボで紛争取材の後パニック障害を起こしてしまい、駆け込んだ病院で女性精神科医師エリーザ(ベレニス・ベジョ)と運命的な出会いをする。
この出会いによって、マッシモは閉ざされていた心を次第に解き始める。
そんな折り、父親の逝去を機にトリノに戻った彼は、幼い頃両親と住んでいた家を売ろうと決心する。
様々な思い出の詰まったその家で、マッシモは再び過去のトラウマと向き合うことになるのだった。

全編をピンと張りつめた緊張感が覆っている。
母の死は、病気を苦にした自殺だったが、真相は子供には隠されていたのだ。
遠い思い出の中に生きる、亡き母の切ないまでの美しさと優しさに涙するというのは、感傷的な母物語でよくみられる話である。
イタリアという国は、一説によると母親に甘える気風がとくに強い(?!)のだそうだ。

少年時代と、大人になってからのマッシモ・・・。
二つの時代の物語は交錯しながら、同時進行で描かれる。
イタリアの戦後史にわたる物語で、数十年の時を経てのドラマだが、映像は格調高く美しい。
サラエボの地獄のような内戦を取材する記者マッシモは、帰国後パニック障害に襲われ、その上に母の謎の死をめぐるミステリーがトラウマのように重なる。
その深い根が徐々に明かされていく中、ベロッキオ監督は過去と現在をより合せる、巧みなドラマ作りを見せる。

結構手の込んだ作品となっていて、中盤、人生哲学のようなやり取りがあって、やや冗長な場面に一時退屈したりもするが、主人公が幻影に支配されているかのような母性崇拝の映画とみると、これはもううんざりである。
イタリア映画だから、男はマザコンだなどという理屈は通るまい。
厳密にはイタリア・フランス合作映画「甘き人生」を傑作と評する声も聞かれるが、さあどうだろうか。
ドラマの中に多様なエピソードが張りめぐらされているが、それらすべてを呑み込むのは容易ではない。
静かで深遠な感じがする作品で、全編にわたって陰影に富んだ映像は注目に値する。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はフィリピン映画「ローサは密告された」を取り上げます。


映画「ワンダーウーマン」―最強の天然美女戦士が巨悪を豪快にぶっ飛ばすアクション・エンターテインメント―

2017-09-06 17:00:00 | 映画


 アメリカン・コミック屈指のスーパーヒーロー「ワンダーウーマン」が、実写映画化された。
 第一次世界大戦を背景に、スーパーヒーローの起源と冒険を描く大作だ。

 イスラエル国防軍での戦闘トレーナーの経験を経て、ミスユニバースのイスラエル代表から女優になった、ガル・ガドットがこのエンターテインメントのヒロインを堂々と演じる。
 そして、かつてモデル出身のシャーリーズ・セロン「モンスター (2003年)アカデミー賞受賞女優にしたパティ・ジェンキンス女性監督が、ガドットをパワフルでエネルギッシュな行動力と華麗な肉体を持つ戦士ワンダーウーマンに仕立て上げて見せた。
 「戦争と人間」の関係を考えさせる重厚なこの娯楽映画は、可笑しかろうが馬鹿馬鹿しかろうが、見応えは十分だ。



外の世界から少し隔絶した、特別な謎の島セミスキラ・・・。
美しい緑に囲まれたその島は、女性だけのアマゾン族が暮らすパラダイスだ。
神々より生を受けた彼女たちは、人々を愛で包む平和をもたらす最強の戦士で、敵に備えて日々鍛錬に励んでいた。
女王ヒッポリタ(コニー・ニールセン)を母に持つ、一族の王女ダイアナ(ガル・ガドット)も・・・。

ある日、海に小型飛行機が不時着する。
乗っていたパイロットは英国軍のスパイで、スティーブ・トレバー(クリス・パイン)だった。
外の世界は戦争中で、ドイツ軍が多くの命を奪う毒ガス爆弾を計画していると語る。
スティーブを救ったダイアナは、彼とともに時空を超えて、第一次世界大戦下のロンドンへ向かうことになる。
毒ガス製造で、世界制覇を目論む将軍を操ると、彼女が信じる邪神アレスと戦うためにである・・・。

「ワンダーウーマン」ことダイアナは、このドラマではギリシャ神話の世界から、人間世界へやって来たスーパーヒロインだ。
スタイル抜群の美女が、激しいアクションを演じながら、常識はずれの善なる騒動を次から次へと起こしていく。
スローモーションも使ったアクションも効果的で、スタイリッシュな迫力も十分だ。
ワンダーウーマンはどこまでもタフで、並みいる男たちを従えて、驚異の大活躍を見せるのだから、これはたまらない。
CGだけでなく、生身の動きを生かしたアクションシーンも見どころいっぱいだ。

時代設定は第一次世界大戦中だから、いささか古いが、主人公はむしろ現代女性として描かれている。
これは、大人の女性にも違和感のない、アメコミ映画が生まれた理由かもしれない。
あの「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」を押さえて、全米興行収入2週間連続でNO.1に輝いたそうだ。
その観客の半数以上が女性だったそうで、同じような現象が日本でも起きている。(?!)

ダイアナとスティーブの男女の仲が大いに気になるところだが、スティーブは魅力的な男でも、どちらかというとダイアナの関心は世界の平和に向けられている。
ドラマには、凛凛しさもあり笑いもあり、女性監督による女性ヒーロー像の描かれ方はなかなか賢い。
女性のダイアナが男勝りの戦いを見せれば、スティーブはスティーブで知的な男性の存在感を見せる。
無敵ながら、しかし人類の欲望をよく理解できないワンダーウーマンの苦悩を、ガドットが好演していて楽しい。
アメリカ映画「ワンダーウーマン」は、パティ・ジェンキンス監督の現代的なアレンジとユーモアに富んだ演出と相まって、アメリカン・コミック映画ブームに新風を吹き込んだかたちだ。
とにかく、上映時間2時間21分飽きさせることなく、壮快この上ないフェミニズム映画だ。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はイタリア映画「甘き人生」を取り上げます。


映画「関 ヶ 原」―圧巻!戦乱の世を敗者の側からとらえた愛と野望の群像絵巻―

2017-09-03 12:00:00 | 映画


 原作は司馬遼太郎だ。
 「日本のいちばん長い日」(2015年)などの群像劇を発表し続けた、原田眞人監督がここに新たな切り口で、日本の未来を決したわずか6時間の戦いをスペクタクル・アクションとして映画化した。

 慶長5年(1600年)に起こった、ご存じ天下分け目の合戦が、ここでは敗者の視点で描かれる。
 無数の人間ドラマと人馬が交錯する大型時代劇だ。
 原田監督は、中学時代から司馬遼太郎の大ファンだそうで、25年前からこの作品についての映画化を考えていたといわれる。
 当然、合戦場面はとくに見どころたっぷりで、戦乱の世の無残、憐れ、悲愴感が全編ににじみ出ている。



16世紀末、幼くして豊臣秀吉(滝藤賢一)に認められた石田三成(岡田准一)は、やがて、利害で天下を治める秀吉の姿勢に疑問を抱くようになる。
三成のもとには、請われて家来となった島左近(平岳大)、伊賀の忍び発芽(有村架純)が仕えていた。
天下を狙う徳川家康(役所広司)は、小早川秀秋(東出昌大)ら武将を味方に引き込んでいく。
両者の対決は激化し、西軍と東軍に別れての大決戦へとなだれ込んでいく・・・。

大体いつも悪役として描かれる三成だが、ここでは自ら義に忠実な主人公として描かれている。
歴史の裏には女ありで、この舞台で活躍する女性陣の人物像、エピソードもなかなか魅力的だ。
「関ヶ原」については結末を誰でもが知っており、登場人物たちの人間関係には注意を払いたい。
ただ、主人公三成の新たな人物像をはじめ、主要な登場人物たちについて、十分描き切れたかどうかは疑問が残る。

この映画は、敗れた西軍を代表する石田三成を主軸にして描かれる。
あくまでも秀吉の作った秩序を守ることを忠義とする三成は、実力者の家康との対立を深めていく。
司馬遼太郎の原作の面白いところだ。
老獪な家康に対抗する三成を演じる岡田准一も、迫真の演技で凛凛しさもあるが、ヒーローとしてはやや弱い感じがする。
そういえば、これまで「関ヶ原」という映画が一度も作られなかったのも、三成像を強いヒーローとして推せなかったからだ。

肝心の合戦シーンが、日本映画ではなかなかお目にかかれないくらい、迫力満点だ。
実写ならではの生々しさ、痛々しさは、人馬の数も半端ではなくじんじんと伝わってくる。
合戦だけでも十分楽しめるが、日本映画もこうして観ると結構格好いいではないか。
これまでの日本の時代劇に風穴を開けたような作品で、全く退屈などしていられない。

原田眞人監督「関 ヶ 原」は、なかなかシリアスで緊張感を全く緩めることなく、ドラマを一気呵成のテンポで展開させるあたり、上手い手腕だ。
登場人物が多く、関ヶ原の全体像を描くのに苦心のほどもわかるが、個々の人間的な掘り下げが弱かったことは否めない。
しかし、スピード感満点で、日本の歴史の大きな転換点をダイナミックなスクリーン一杯に楽しませてくれる。
余談だが、この映画、大型時代劇としては「清州会議」(興行収入29億6000万円)や「のぼうの城」(28億4000万円)近くを狙えるほどの、大ヒット中だそうだ。
おそらく司馬遼太郎岡田准一人気に負うところが大きいのだろうか。
       
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「ワンダーウーマン」を取り上げます。