徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ライフ・オブ・パイ / トラと漂流した227日」―これこそ驚きと奇跡の旅!―

2013-01-30 22:00:00 | 映画


荒々しい海に投げ出された少年に残されたものは、小さな救命ボートとわずかな非常食、そして何と一頭のベンガル・トラであった。
果てしない大海原を漂流する16歳の少年は、どうやって生き延びたのか。

それは、驚きと美しさにあふれた壮大な旅であった。
アン・リー監督は、ヤン・マーテル原作「パイの物語」を、想像を絶する奇跡の物語として、見事に映像化した。
神秘的な映像美はもちろん、心揺さぶる、深い情感に満ちたドラマである。
オリジナリティあふれるサバイバル・ストーリーの展開に観客は呑み込まれる・・・。











       
インドでで動物園を営む家族と一緒に、カナダに移住するため、16歳の少年パイ(スラージ・シャルマ)は貨物船に乗り込んだ。
ところが、太平洋を航行中に嵐に襲われ、船は難破し、パイは救命ボートに避難したが、そこに一頭のベンガル・トラがパイの命を狙っていたのだった。
家族を失くした悲しみと、耐えきれぬほどの孤独、そして飢餓という絶望的な状況の中で、パイとトラは敵対し、次第にトラはパイにとってサバイバルへの闘志を与える存在となる。

リチャード・バーガーと名付けられた、体重200キロの獰猛なベンガル・トラだ。
絶体絶命のサバイバルは、次に何が起こるか、全く予想できない。
トラはパイの命を奪うのか、それとも希望を与えるのか。
かくして、少年と一頭のトラとの227日間にも及ぶ、太平洋上の漂流生活が始まったのだ・・・!

この小さなボートのわずかな空間で、獰猛なトラとシェアし、共存の道を探さなくてはならなくなった少年パイ・・・。
映画化にあたって、ルチャード・バーガーのヴィジュアル化を可能にしたのは、進化を遂げたデジタル・テクノロジーだ。
豊かな表情を見せるトラのCG技術は、もう全く本物とは見分けがつかない精巧さだ。

さらに、海上を群れ飛ぶトビウオ、クジラ、無人島に人間の足場もないほど群れを成すミア・キャットといい、不思議な生き物たちが意外な展開の中で登場するこの作品は、3Dによる圧倒的な映像美で見せる。
雄大なサバイバル・アドヴェンチャーが、大自然と生命の神秘に彩られた、ミステリアスで奥深いドラマの世界へと誘っていく。
何もかもが、驚きである。
とにかく凄い!

アジア(台湾)生まれのアン・リー監督によるアメリカ映画「ライフ・オブ・パイ / トラと漂流した227日」では、3000人から選ばれたパイ役のインド人学生、スラージ・シャルマが実に素晴しい。
ドラマの中で、肉体的にも精神的にも、見事な成長と力強さを全身で表現している。

ドラマのラストシーン、漂流してたどり着いた無人島で、後ろを振り向くでもなく、密林の中へ去っていくベンガル・トラ、リチャード・バーガーの姿は、何か神の啓示のような、哲学的で深遠なテーマを残しているように見えた。
そして、ドラマから伝わってくるのは、人間の強さである。
米アカデミー賞11部門ノミネートされているそうだが、映画のもたらす余韻が何とも言えず爽快で、心を揺さぶらずにはおかない。
きっと、映画の魅力たっぷりの、文句なしで期待に応えてくれる一作に違いない。
いや、ほんとに・・・。    
     [JULIENの評価・・・★★★★★](★五つが最高点

 

コメント (2)

いまの学校教育の現場に体罰は必要ない

2013-01-29 09:00:00 | 雑感

寒さ厳しい毎日が、続いている。
こう寒いと、春が待ち遠しい。
といっても、気象庁の予報では今年の春の訪れは少し遅くなりそうだ。

世の中、いろいろと騒がしい。
大阪の桜宮高校バスケットボール部の主将の男子生徒が、体罰を受けた後に自殺した問題は、大変衝撃的な出来事だった。
この男子生徒の父親は、体罰を与えた顧問の男性教諭を、暴行罪で告訴するという事件にまで発展した。
父親の気持ちは、察するにあまりある。

男子生徒の自殺は、見方を変えれば、これは他殺ではないかという人さえもいる。
このような体罰は、まだまだ氷山の一角で、全国いたるところで行われているといわれる。
何故このようなことが、当たり前のように容認されてきたのだろうか。

元プロ野球の桑田真澄投手は、自身、中学まで毎日練習で殴られた経歴を持っているが、そうした「服従」で師弟が結び付く時代はすでに過去ものとなっていたのではなかったか。
子供の自立を促すためには、、体罰はその成立の芽を摘み取りかねないと指摘する、桑田氏の言に賛成だ。
確かに、とくにアマチュアの世界では、「服従」で師弟が結び付く時代は終わった。

男子生徒の無念さを想うと、胸が痛い。
こうした体罰が習慣的に行われてきたにもかかわらず、知っていて知らぬふりを決め込んできた、学校関係者の常識はどこにあるのか。
怠慢のそしりは免れまい。
それは、まかり間違えば犯罪と紙一重であり、暴行であり虐待であリ拷問ともなり、傷害事件あるいはそれ以上にに発展することもある。

教育委員会は、何のためにあるのか。何のために・・・?
そもそも、学校教育法では、学校現場での体罰は禁止されているのではないか。
いまの教師は、体罰を与えなければ、生徒の指導ができないのか。
そうであるなら、その教師は未熟なのであり、おのれの力量のなさををこそ恥じるべきなのだ。
極言すれば、教師失格だ。お引き取り願ったほうがいい。

教育のあるべき姿とは、生徒たちの夢や希望を育み、将来、社会を担って立てる自立した人間として成長するように導くことであるはずだ。
体罰によって、夢や希望を抱いていた生徒が自殺に追い込まれたとしたら、(事実そうであったが)それは他殺といわれても仕方がない。
密室でしごくことは、生徒たちの真の教育とはなりえない。
体罰を受けている生徒を見る生徒も、辛くてやり切れないと言っている。
いまの学校教育の現場に、体罰はあってはならないことだ。

コメント (4)

映画「東京家族」―女たちの優しさに癒やされる現代版「東京物語」―

2013-01-26 11:30:00 | 映画


 この映画は、1953年の小津安二郎監督作品を、山田洋次監督がリメイクしたものだ。
 山田監督は、時代を東日本大震災後の現在に置き換えている。
 山田監督はこれまで、一貫して家族の絆をテーマにした作品を描いてきた。
 
この作品も変わらぬテーマを踏襲し、内容も小津作品にそっくりだ。

 何か、とても大切だ。
 しかし煩わしい。
 東京で再会した、家族の触れ合いとすれ違い・・・。
 慈しむように、丁寧に映し出される、それはどこにでもある家族の風景だ。
 だが、市井の人々の喜びや悲しみを掬い上げながら、どこか薄っぺらで、小津作品の傑作の味わいと魅力は感じられない。






      
2012年5月、瀬戸内海の小島で暮らす平山周吉(橋爪功)と妻のとみこ(吉行和子)は、子供たちに会うために東京へやって来た。

東京郊外で開業医を営む、長男の幸一(西村雅彦)の家に、美容室を経営する長女の滋子(中嶋朋子)、舞台美術の仕事をしている次男の昌次(妻夫木聡)も集まり、家族は久しぶりの顔を合わせる。

最初のうちは互いを思いやるが、のんびり田舎の生活を送ってきた両親と、都会に生きる子供たちとは、生活のリズムがかみ合わず、少しずつ溝ができていく。
そんな中、周吉は同郷の友人を訪ね、断っていた酒を飲みすぎて周囲に迷惑をかけてしまう。
一方とみこは、将来が心配な昌次のアパートを訪ね、結婚を約束した紀子(蒼井優)を紹介される。
翌朝、とみこは上機嫌で幸一の家に戻ってくるのだが、そこで突然倒れてしまった・・・。

こうして、両親と子供たちと過ごす数日間が綴られていく。
多くを望まぬ両親を、多忙を理由にホテルに泊める子供たち、そのつれない薄情さに自分を重ね、思わず後ろめたさを覚えて切なくなる一方で、次男と彼の恋人が母と過ごした数時間・・・。
何でも話せる母がいる。
寂しさを耐えている父がいる。
子供たちの事情を察して、さみしさを包み隠す親の愛がある。
母のとみこの死で、残された父と子供たちの、ちょっぴりドラマティックな展開に気をもみながら、山田洋次監督渾身の本作は、どこまでも名匠小津安二へのオマージュだ。

確かに、幾つか小津作品と異なるところがないわけではない。
山田洋次監督作品「東京家族」の昌次は、「東京物語」では戦死しているし、紀子は昌次の元妻で未亡人という設定だ。
「東京物語」では、東京の家の子供たちに邪険にされた周吉ととみこを、もっと親身になって世話をしたのが紀子だ
妻を亡くして、周吉の最後に残した言葉が印象的だ。
「実の子より、居れば他人のあんたの方がよくしてくれた」
この作品の中で交わされるセリフも、やや古臭い。
山田監督はいくつか泣かせどころをあえて用意しているが、本当に人を泣かせるとき、俳優は涙を見せないものだ。
悲しみは、押しつけられるものではない。
名優は涙せずとも、観客は涙するのだ。
名画とはそういうものだ。

山田洋次作品は、ローアングルで撮っているところも、時代と背景と役者を変えたところで、シナリオから演出まで小津作品にそっくりだ。
それでも、小津作品の本質をとらえるのは至難の業のようだ。
これを、全く別の作品とは言えまい。
演技陣では、凛として聡明そうな紀子役の蒼井優が特によかったが、西村雅彦はとても固くて違和感すら覚えた。
話が前後するけれど、小津作品では平山周吉夫妻を確か笠智衆東山千榮子が演じ、紀子役は原節子という、錚々たる顔ぶれだった。
半世紀以上前になるのに、小津安二郎不朽の名作が、いまも脳裏に焼き付いている。
両作品を、観比べてみるのもいいかもしれない。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

コメント (2)

映画「桃(タオ)さんのしあわせ」―幸せに逝くために人生の終い支度の時を迎えるとき―

2013-01-18 14:00:10 | 映画


 実話から生まれた、ささやかな愛の物語である。
 アン・ホイ監督は、人と人との絆と尊さをそれとなく見せてくれる、ドラマを綴った。
 生まれて養子に出され、その養父が亡くなって、13歳から60年間も人に仕える生活をしてきた女性がいる。

 誰にでも必ず訪れる“老いの現実”を、この作品は、優しく、つましく、暖かく描いている。
 イタリアのヴェネチア国際映画祭では、主演のディニー・イップ主演女優賞に輝いた。
 彼女のどこまでも自然体の演技が、素晴らしいのだ。
 この中国=香港映画には、単なる美談としてではなく、実話の持つリアリティと説得力がある。







       
メイドの桃(タオ)さん(ディニー・イップ)は、60年もの間同じ家族に仕えてきた。

このドラマの冒頭は、香港の雑踏の中を大きな買い物袋を両手に抱え、ゆっくりと歩く桃(タオ)さんを映し出す。
いつも、袋の中身はその日の夕食の食材だった。
その彼女が、ある日突然脳卒中で倒れた。

雇い主の息子で、映画プロデューサーとして働くロジャー(アンディ・ラウ)は、ごく当たり前に、自分の身の回りの世話を桃(タオ)さんの任せていた。
日々の暮らしの中では、最小限の言葉しか交わさず、接してきた。
そんな時に彼女が倒れ、ロジャーは初めて、桃さんがかけがえのない人だったことに気づく。
彼は、多忙な仕事の合間をぬって、桃さんの介護に奔走することになる。

心の穏やかな、しかし芯の強い桃さんは、人の迷惑をかけないように一生懸命頑張った。
ロジャーは、老人をめぐる社会環境の様々な現実を目の当たりにしながらも、彼女に献身的に尽くすことを忘れなかった。
こうして、二人はやがて母と息子以上の絆で結ばれていくのだったが、桃さんの体は日に日に弱まって、車椅子の欠かせぬ生活になり、彼女は、自分に残された時間がわずかであることを感じていた・・・。

働くことも出来なくなった桃さんは、ロジャーのおかげで老人ホームに入ることになり、そこで暮らしている様々な人たちとの交流を深め、少しずつホームの生活にも慣れていった。
それでも、彼女はロジャーの訪問が一番うれしかった。
二人が一緒に暮らしていたころは、必要以上の会話もなく、ほとんど笑顔を交わすこともなかった。
この二人が、心からの笑顔を見せるようになり、桃さんはホームの誰からも慕われるような、可愛いおばさんだった。

車椅子生活になって、焼き立ての熱々のガチョウのロースを食べたいというシーンがある。
雇い主のロジャーには豪華な夕食をふるまっていても、自分は粗食に甘んじてきた桃さんは、幼い頃から質素な生活に慣れていた。
ロジャーは、そんな桃さんの最後の時をふと思いながら、カップラーメンをすする。
桃さんも、どこまでも穏やかで心静かな人として描かれ、ロジャーもそんな桃さんを温かな眼差しで見つめる。
人と人は、こうありたいものだ。
幸せに逝くために、悔いを残さず葬るために、何かがそっとはじける・・・。

アジアを代表する女性監督アン・ホイ中国=香港映画「桃(タオ)さんのしあわせ」は、普遍的なテーマを細やかな演出で、ときにユーモアを交えながら優しく描いた小品だ。
ここは、何といってもやはり主演女優賞ディニー・イップの演技に注目だろう
ロジャー役のアンディ・ラウは、この作品の企画に賛同、共同プロデューサーとしても名を連ね、ノーギャラで出演している。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

コメント (2)

映画「ふがいない僕は空を見た」―性に翻弄されながらも生を受け入れる人たちの物語―

2013-01-14 18:00:00 | 映画


タナダユキ監督4年ぶりの、長編野心作だ。
窪美澄の衝撃の同名小説(山本周五郎賞受賞)を映画化した。
「性」と「生」を赤裸々に綴り、登場人物たちの、やりきれない思いや行き場のない感情と葛藤を描いている。
小説の方は、1章ごとに語り手となる主人公が入れ替わる原作だが、タナダユキ監督はこの短編連作小説を、映画ならではの生々しさの詰まった物語として再構築した。

生きる。
それだけのことに苦しみ、悶え、またそれだけに愛おしい。
原作は単に性を描き出していくだけではなく、そこからさらに踏み込んで、女性の妊娠、出産など、女性作家ならではの視点から、生という大きなテーマに向き合うストーリーだ。
冷徹な現実を生々しく描きつつも、ほのかな希望を感じさせる窪美澄の問題小説は、結構面白く読ませるが、映画の方は、弱々しくも必死にもがいて生きている男女の姿を、切なく綴っていく・・・。



     
高校生の卓巳(永山絢斗)は、友達との付き合いで行ったイベントで、“あんず”と名乗る里美(田畑智子)と知り合った。

卓巳は、アニメキャラクターのゴスプレをして、里美と情事に耽るようになるが、その写真や動画が何者かによって撒かれてしまう。
実は、里美は姑から不妊治療や体外受精を強要されている主婦で、彼女の情事を知った夫(山中崇)がばら撒いたらしい。
やがて卓巳は、自分が本当の恋をしていることに気づく。
しかし、状況は予期せぬ方向に・・・。

一方、卓巳の母(原田美枝子)は、助産婦として様々な形の命の誕生を見守っている。
彼女は、痴呆症の祖母と団地で暮らしている。
卓巳の親友・福田(窪田正孝)は、コンビニでアルバイトをしながら極貧の貧乏生活に耐えていた。
それぞれの登場人物たちが抱く、思いと苦悩は互いにリンクし合い、やがて一筋の光が見えてくるラストに収束していくのだが・・・。

この作品では、望まぬ不妊治療に苦しみ、空想世界に逃避し、自分の孤独を不倫で癒す主婦を、田畑智子が体当たりで演じていてなかなかだ。
物語は、卓巳と里美の関係性においても、複雑な心理を描いており、ゴスプレをして抱き合うというシーンはちょっと理解し難いが、当然二人の性的シーンも、役柄の上で大きな意味を持ってはいる。
里美に求められるままに、ずるずると卓巳は不倫関係を続けるが、卓巳には実は両想いの同級生がいて、彼女からの告白を機に里美との関係を断ちたいと思っている。

何のことはない、この作品は、性そのものをテーマにした群像劇なのだ。
しかし、ドラマは後半にさしかかると、不妊に悩む里美は人工授精から代理出産まで進み、それを望んでいない里美はどんどん追い詰められていく。
田畑智子の演技は極めて生々しいが、それはエロチシズムというより、もっと切実なな現実を見せつけており、嫌悪感や不快感はみじんも感じない。

タナダユキ監督「ふがいない僕は空を見た」は、誰もが抱える痛みをそのままに生きていくしかない、普通の人たちの物語だ。
恋人、親子、夫婦、友達、嫁姑という関係から立ち上がる、感情や葛藤はリアルに描かれ、ドラマの終盤近く、本物の出産現場の撮影シーンまである。
しかし、こうした多くの問題を、延々2時間半近くにわたって、かなりゆっくりしたテンポで語り継がれるドラマが、さて何を言いたかったのかとなると、解るようでよく解らないのだ。

性をひとめぐりして、生につながるとは、グロテスクであると原作者は言う。
ドラマのラスト、ヒロインが旅支度でどこかへ去っていこうとするシーンで、何を暗示しているのか。
タナダユキ監督は、上映時の舞台挨拶でその素朴な疑問に対して、「どう思ってくれてもいいんです。私は、女の自立に向かって一歩を踏み出すシーンとでも受けとってもらえれば・・・」と語っていたが、そこにこのドラマのもつ曖昧さと不可解さものぞく。

ドラマに、助産婦役で登場する原田美枝子にも存在感がある。
この群像劇では、現代の社会が抱える問題を背景に、人間個々の感情はかなり丁寧に描かれている気はする。
もともと、卓巳と里美のラブストーリーであると同時に、はじめから群像劇にしたいとの意図はあったようだ。
原作にしても、この映画にしても、女性の目と言うのは怖いほどである。作品を観てその意を強くした。
2008年、「百万円と苦虫女」日本映画監督協会新人賞を受賞している、1975年生まれの気鋭のタナダユキは、しかし次作が大いに楽しみな監督ではある。
余談になるが、この作品は第34回ヨコハマ映画祭(2月3日・関内大ホールで開催)では 「2012年度日本映画ベストテン」でかろうじて第10位に選ばれているが、出演俳優の窪田正孝最優秀新人賞受賞が決まっている。
    [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

コメント (2)

映画「みんなで一緒に暮らしたら」―人生のエンディングを希望に満ちた人生賛歌で―

2013-01-11 18:00:00 | 映画


人生の最後をどう迎えるか。
誰もがいつか人生で向き合う、最大で最後の選択だ。
まさに、そんな時代の悩めるテーマを、ユーモアたっぷりに温かく描いた作品である。

年を重ねて、悩みを抱える5人の友人同士が、みんなで一緒に暮らし始めたら、きっと自分らしい幸せな生活を送れるかもしれない。
そんな斬新なアイデアで、フランス俊英ステファン・ロブラン監督が、5年かけて完成させた作品だ。
何だか、とても温かな友情が、心にしみる映画となった。
主人公を演じるのは、2度のアカデミー賞に輝ジェーン・フォンダで、何と40年ぶりのフランス映画への出演も注目だ。






      
パリの郊外に住む5人は、40年来の友人同士だ。

アルベール(ピエール・リシャール)とジャンヌ(ジェーン・フォンダ)夫婦、ジャン(ギイ・ブドス)とアニー(ジェラルディン・チャップリン)夫婦、そして一人暮らしのクロード(クロード・リッシュ)たち5人だ。
昔から、誕生日を一緒に祝ってきた、平均年齢75歳の仲間たちだ。

ある日、デート中に発作で倒れたクロードが、強制的に息子に老人ホームへ入れられるという事件が発生した。
クロードの窮地を救うため、独立心旺盛なジャンヌたちは、クロードを助け出し、みんなで一緒に共同生活を始めようという、斬新なアイデアを思いつく。
早速、世話係の青年を雇い入れ、みんなが一軒家に引っ越してくることになるのだが、初めての共同生活とあって、いろいろとトラブルが続出する。
おまけに40年来の友人とは言うが、クロードは35年前にジャンヌとアニーの両方と不倫していたという、過去の知られざる秘密まで飛び出して・・・。

これが映画なのだ。
まことに賑やかな日常のエピソードの中に、細かい伏線をさりげなく忍ばせて、笑いと不安感でじわじわとドラマに引き込もうという、心憎い脚本と演出だ。
人生の最後に、思い切って共同生活に踏み出す、ジャンヌたちの友情のドラマは、悩み多き現代の大人たちへの未来の道標のようでもある。
夫を想いやる心優しいジャンヌを、老いたりとはいえまだまだ大女優のジェーンフォンダが、卓越した演技力を見せ、昔ながらの美貌と才知も健在だ。
可憐でしっかり者のアニー役は、天性のコメディエンヌ、ジェラルディン・チャップリンだし、子供のように悪だくみをする姿のうまい男3人衆に、 ピエール・リシャールギイ・ブドスクロード・リッシュが名を連ね、ドイツの実力派ダニエル・ブリュール演じるディルクの優しい世話係といい、みんなリアルな息の合った演技で笑いと涙を巻き起こし、彼らの人生の喜びや悲しみを感じさせる。
そして、彼らのアンサンブルはより味わい深いものにしている。
名女優ジェーン・フォンダジェラルディン・チャップリンも、いい年だから、アニー役の方はしわだらけの顔が逆にかわいらしく映るし、二人の女優ともスタイルや姿勢がよく、キビキビした動作は魅力的である。

新しい扉を開く勇気があれば、誰だって、自分らしい毎日はきっと楽しいはずなのだ。
しかし、仲間と笑顔とシャンパンと、それに素敵な家があればいいと思ったところで、とまれ、この映画に登場する、そんなことがかなうお年寄りたちは全くお金の苦労がないみたいな、みんな金持ちばかりだろうから、いやどうもねえ。
そんなセレブな世界とは、どう転んでも縁がないようでして・・・。はい。
ステファン・ロブラン監督フランス映画「みんなで一緒に暮らしたら」は、フランス、ドイツで100万人を動員したというコメディ映画の感動作である。
人生で避けられない老いがやって来たとき、男と女の悩みの違いと、それに対する対応の仕方に苦笑いだ。
笑いながらも、どこか胸にグサッと来るのだ。
このドラマ、どれだけ素直に笑うことができるだろうか。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

コメント (2)

映画「思秋期」―悲哀に満ちた人生の折り返し地点で出会った男と女―

2013-01-09 12:00:00 | 映画


せち辛い世の中で、傷ついた男も癒す女も、もがくように生きている。
彼らもまた、孤独なのである。
これは、決して甘く切ないラブストーリーなどではない。

パディ・コンシダイン監督は、痛々しくも破滅的な描写で人生を見つめようとする。
このイギリス映画は、彼の長編デビュー作品だが、その切り口が何とも鋭い。

妻に先立たれたジョセフ(ピーター・ミュラン)は、失業中の男やもめで、毎日飲んだくれている。
怒りっぽく、酒に酔うと自分を抑えきれず、周囲に因縁をつけては、大暴れを繰り返すのだ。
自分ではどうにもならない、衝動的な怒りと暴力が、自ら精神を消耗し、自己破滅寸前にまで追い込まれていた。

ある日、いつものようにいざこざを起こしたジョセフは、失意のどん底で駆け込んだチャリティ・ショップで、その店で働くハンナ(オリヴィア・コールマン)と出会った。
明るくて聡明な彼女の存在は、自暴自棄なジョセフの心を癒やしていく。
だが、ハンナも人知れぬ心の闇を抱えていた。
それは、やがて二人の人生に衝撃をもたらす事件へと発展する・・・。

      
男も女も、何かあると酒に逃げ込む。
短気で不器用なジョセフは、世間とすぐにぶつかるし、一方の気は優しいがどこかもろいハンナは、世間に押しつぶされそうだ。
ハンナには、仲の良くない夫ジェームズ(エディ・マーサン)がいる。
彼は彼で、陰険で嗜虐的な男だが、ハンナの行動には露骨に疑惑の目を向ける。
この男も、自分が壊れそうになっている。
ジョセフは、隣家の男とももめている。
登場人物たちは、何かしら目に見えないギクシャクした相関関係にある。
ジョセフは怒りと暴発を繰り返しながら、自身の重みに耐えかねて、犬を殺したりする行動に出る。

一般的に言えば、この男は「最低な男」である。
作品そのものに、強いメッセージが込められているわけではない。
大げさなドラマでもない。
ここに登場する「最低な男」は、うらぶれた界隈に住む、普通に隣りにいてもおかしくない人間であり、そんな加虐的な男に対して女性ハンナの立ち位置が面白い。

パディ・コンシダイン監督イギリス映画「思秋期」は、傷ついた大人たちを描く、厳しい人間ドラマだ。
孤独で、傷つき、何をしても思うようにならない、人生の葛藤を描いているが、物語自体は極めてシンプルである。
それでも、捉え方によっては、多面的な広がりを持っているようにも思える。
ドラマでは、直接的な暴力や、精神的な残酷さが繰り返される、家庭内虐待の描かれている場面は、観ていると壊れたガラスの破片を拾うような痛さも感じる。
バディ・コンシダイン監督はもともと俳優だが、彼よりずっと年上のピーター・ミュランの冴え過ぎる(?)存在感を、ここまで見せつけるとは・・・。
自虐的、暴力的な要素が多い作品だが、重厚な一作である。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

コメント (2)

映画「風にそよぐ草」―不器用な紳士に降ってきた最後の恋?!―

2013-01-07 18:00:00 | 映画


 フランス現代文学を代表する作家クリスチャン・ガイイの原作を、「二十四時間の情事」(1959)、「去年マリエンバートで」(1961)アラン・レネが映画化した。
 アラン・レネといえば、1948年デビュー以来、その革新的な手法で数々の名作を残してきた。
 そのアラン・レネが、ちょっとキザな言い方をすれば、芳醇なワインのような大人のための恋愛映画を、御年89歳で作り上げたのだ。
 才気あふれる作品は、カンヌ国際映画祭審査員特別賞特別功労賞に輝いた。

 原作はガイイのベストセラー小説で、独特の文章のリズムと繊細な心理描写で、世界中に多くのファンを持っている。
 アラン・レネは、この作品を自らの芸術の到達点とした観がある。
 幸せな家庭を持つ紳士が、ある日、ひとりの女性に突然心を捉われたお話である。


       
アスファルトの隙間から生える、名もなき雑草のように、人を愛することの情熱というのは絶えることがないものだ。

それは、どこまでも強く、しなやかなものだ。
そうなのだ。
出会いは、全くの偶然であった。

歯科医のマルグリット(サビーヌ・アゼマ)は、ある日街でひったくりに遭い、バッグを持ち去られる。
駐車場の片隅に捨てられていた、バッグの中にあった財布を拾ったのは、初老の紳士ジョルジュ(アンドレ・デュソリエ)だった。
中に入っていた、マルグリットの小型飛行機操縦士免許証の写真を見て、ジョルジュの中で何かがはじけた。

ジョルジュは警察に届け、財布はマルグリットの元に戻った。
マルグリットは、彼にお礼の電話をかける。
ジョルジュが妻と子供たちと食卓を囲んでいる時に、電話のベルが鳴った。
「お礼を」、「それだけ?」、「他に何を?」、「“会いたい”とか」、「そんな必要はないわ」。
こうしてはじまった二人の関係は、周囲を巻き込みながら、思いもよらない方向に転がり始めるのだった・・・。

映画は冒頭から、サスペンス溢れる展開だ。
男は女と会いたいと思い、ストーカーまがいの行動に出る。
女は警戒心をあらわにする。
でも偶然の出来事がきっかけで、初老の男と中年の女の心が、歩み寄り、突き離し、にじりよると見せて受け流し、その応酬のなかで二人は徐々に距離を狭めていくのだ。
追うものと追われるもの・・・。
そんな状況がちょっぴり喜劇的な様相を見せて、なかなか噛み合おうとしない両者の思いがチグハグで、心憎い演出である。

主人公は妄想を募らせるまでにいたり、そんな男にハラハラしながらも、時間の経過とともにその後のシュールな展開に、しばし呆然となる。
男と女の微妙な心理が、手に取るように見えてくると、ドラマの終盤に胸がときめく。
89歳の名監督の演出は、斬新でスリリングで、コメディタッチが巧みで、これこそアラン・レネだと思わせるものがある。
ただし、映画の方は初老の紳士と淑女だが、巨匠の演出はかなりの思い入れもあり、若々しい(?)情熱もやや息切れが・・・。
しかし、アラン、レネ監督のこの「風にそよぐ草」は、なかなか洒落たフランス映画だ。

タイトルバックの映像、アスファルトの割れ目から生え出て、風にそよいでいる雑草のカットは、作品中に繰り返し挿入される。
女が街路で奪われたバッグが、空を流れていくような映像も、穏やかだが不思議なシャープさ(切れ味)を見せており、男と女の欲望の「そよぎ」のようなイメージだ。
映画のラスト近く、ジョルジュは妻のシュザンヌ(アンヌ・コンシニ)とともに、マルグリットの操縦する飛行機に乗って上空を遊覧する。
その空港の場面で、ジョルジュとマルグリットの抱擁のあとで、いきなりエンドマーク「FIN」の文字が出たのは、アラン・レネのいたずらだったのか、ちょっと驚いた。
作品中に垣間見る、視覚的な実験や脚本に見える離れ業のような演出は、十分大人の映画として観る者を楽しませてくれる。
ジョルジュと妻の間で、夫と女の関係がトラブルとならなかったのだろうかと、気になったりしたが・・・。
心地よい小品劇は、どこまでも不器用な男と気まぐれ女の、追いつ追われつの大人のラブストーリーだ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

コメント (2)

映画「声をかくす人」―アメリカで初めて死刑になった実在の女性、メアリー・サラット―

2013-01-05 18:15:00 | 映画


 アカデミー監督ロバート・レッドフォードが、実話に基づく感動作を世に送り出した。
 これまで語られてきた歴史が、必ずしも本当の歴史ではない。
 この作品は、彼が「大いなる陰謀」以来5年ぶりに手がけた最新作だ。

 歴史に隠された真実とは、かくも厳しいものだったのだろうか。
 激動の時代を生き抜いた、ひとりの女性の真実の物語だ。













      




                 
1865年、一発の銃弾が、ひとつになろうとしていたアメリカを再び引き裂いた。

アメリカ史上最大の死者を出した、南北戦争のの終結直後、新しい国の象徴だったリンカーン大統領が、南軍の残党に暗殺されたのだ。
有名な俳優だった主犯のジョン・ウィルクス・ブースは逃亡中に射殺され、共犯者8人が次々と逮捕された。
世間を驚かせたのは、その中にメアリー・サラット(ロビン・ライト)という女性がいたことだ。
彼女は南部出身で、夫を亡くして後、二人の子供を育てるために下宿屋を営んでいた。

フレデリック・エイキン(ジェームズ・マカヴォイ)は、元司法長官のジョンソン上院議員(トム・ウィルキンソン)から、彼女の弁護を頼まれる。
元北軍大尉で、英雄と称えられるフレデリックは、大多数の北部の人々と同じく犯人に怒りと憎しみを抱いていたが、議員に強引に押し切られる。
被告たちは民間人でありながら、軍法会議にかけられる。
メアリー・サラットの容疑は、逃亡中の彼女の息子ジョン(ジョニー・シモンズ)を含む犯人グループに、下宿屋をアジトとして提供したことであった。
だが、メアリーは毅然として無罪を主張した。
彼女は、法廷ではなく軍法会議にかけられ、フレデリックの弁護もむなしく、3カ月後に処刑される・・・。

最後まで無実であることを主張するメアリーが、暗殺者たちに宿を貸しただけで極刑を受けざるを得なかった不平等を、この映画は抉り出そうとする。
彼女の弁護を引き受けるエイキン弁護士は、「自由」を貫こうとする理想主義者として描かれており、裁判を通して彼が屈服されそうになる様相が克明に描き出される。
迫力のあるシーンだ。
そして、頑なまでに心を閉ざした被告人と弁護士の心の通い合う中で、メアリー・サラットのかくし通したひとつの真実が、透かして見えてくる。
メアリーは、何故死ななければならなかったのかという、鋭い問いかけが、ドラマの全編を覆っている。

作品では、1865年のワシントンなど細部まで完璧にリアルに再現している。
専門家が、徹底的にリサーチした史実に基づいた物語としての重みがある。
裁判の席で、サラットはあくまで「私は無実です」と静かな口調で主張するだけで、それ以外のことは何も語ろうとはしない。
彼女の弁護を渋々ながら引き受けた、元北軍の英雄フレデリック・エイキンも、次第に彼女は無実で、ある秘密を守るために、自らの命を差し出すつもりではないかと思い始める。

有罪と決めつけ、報復を求める国家アメリカを相手に、フレデリックの激しい闘いが見ものである。
強い意志を持って、最後の瞬間まで気高く振る舞うサラットの姿に胸が熱くなる。
そして、社会的立場や恋人を失ってまでも、正義を貫こうとするフレデリックを演じるジェームズ・マカヴォイが実にいい。
アメリカ映画、ロバート・レッドフォード監督「声をかくす人」は、重厚ながら感動的な意欲作である。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

コメント (2)   トラックバック (1)