徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「1 7 歳」―少女と女の狭間に揺れる若き思春期の過ち―

2014-02-27 20:45:00 | 映画


女性の心理を巧みに描くことで定評のある、フランソワ・オゾン監督の刺激に満ちた最新作である。
17歳の少女が大きく変貌していく、セクシュアリティ・・・。
17歳の四季を、洗練された、攻撃的な、眩いような刺激をいっぱいに昇華させた作品だ。

フランソワ・オゾン監督は、最近では「危険なプロット」(2012年)でも日本ではよく知られているが、もともと現代の若者たちを取り上げた映画を撮りたいという希望があって、ここでは若い女性を中心とした、思春期に持ち上がる自我や性の問題を緻密に描き上げた。
映像がまた美しい。










   
眩しい太陽の下、海辺で寝そべるイザベル(マリーヌ・ヴァクト)は、顔立ちはまだあどけないが、眼差しはどこか大人びていた。

彼女は名門高校に通っているが、医師である母シルヴィ(ジェラルディン・ペラス)と、再婚相手の義父パトリック(フレデリック・ピエロ)、弟のヴィクトル(ファンタン・ラヴァ)とともに、リゾート地でのヴァカンスを楽しんでいた。
そこで、イザベルはドイツ人青年フェリックス(リュカ・プリゾール)と知り合う。
しかし、二人の関係は束の間で長続きせず、ヴァカンスを終えるとイザベルはパリへ戻った。

・・・秋の初め、イザベルはある機関を通して知り合った、不特定多数の男たちと密会を重ねるようになる。
そんなある日、馴染みの初老の男が行為の最中に急死、思わずその場から逃げ去ったイザベルだったが、間もなく警察によって彼女の秘密が家族に明かされる。
イザベルは、自分のしてきたことは、快楽のためでもましてや金目当てでもないと語り、あとは頑なに口を閉ざしてしまうのだった・・・。

夏から始まり春で終わるという物語だが、ヒロインの新星マリ-ヌ・ヴァクトは、眩いばかりの演技でフランス映画界の次世代を担う輝きを放っている。
娘の秘密を知ってうろたえる母親の、ジェラルディン・ペラスもいい。
オゾン監督の永遠のミューズともいわれるシャーロット・ランプリングが、イザベルの祖母役という重要な役どころで出演している。
また、それぞれの季節の終わりに流れる、フランソワーズ・アルディの揺れる思春期の歌など、青春の響きに満ちた音楽がドラマを盛り上げている。
いい感じだ。

若さは、何と素晴らしいものだろう!
そして、それは美しくもまた愚かしいものなのだ。
少女イザベルの、女になることの重さを見据えて、痛々しくも開かれた心の旅路はまだ始まったばかりだ。
17歳という年頃は、自分ではない誰かになりたいと願う時期でもある。
その心はまっさらだ。
子供じみた喜びに戯れているかと思ったら、突然、危険に満ちた冒険に憧れ、走ったりする。
痛みがあっても痛みとして知らず、この年齢の少女特有の心理が、ここではよく描かれている。

フランソワ・オゾン監督
フランス映画「1 7 歳」は、決して甘酸っぱいドラマではない。
そんなかつての‘神話’はとうに忘れ去られ、痛いほどに苦くて残酷なものだ。
いつだって少女たちは、女になることの重さも、厳しさも、不安も、屈辱も知っている。
この映画、小品ながら、繊細にして清涼感の溢れる、十分魅力的な作品だ。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「さよなら、アドルフ」―戦争のもたらす悲惨な呪縛と葛藤―

2014-02-23 20:00:01 | 映画


ヒトラーとナチス幹部の残虐な行為は、彼らの子供たちに何を残したか。
敗戦直後のドイツを舞台に、いわば「ヒトラーの子」がどのような日々を送ったかを描いた意欲作である。

オーストラリア出身のケイト・ショートランド監督は、ここではユダヤ人側からではなく、ナチス幹部の子供たちの視点から、戦争が子供たちに与える絶望をリアルに描いているところに注目だ。













第二次世界大戦の敗戦直後のドイツ・・・。

ナチス幹部の父親と母親が拘束され、14歳のローレ(サスキア・ローゼンダール)は妹と双子の弟、赤ん坊とともに残された。
身を寄せていた家にもいられなくなり、ローレは妹と弟たちを連れて、北部に住む祖母のもとを目指して出発する。

連合国軍に分割され、混乱と荒廃の中にあったドイツを旅するうち、ローレはナチスのユダヤ人虐殺を初めて知る。
そんなローレと妹たちは、ユダヤ人の証明書を持つ青年トーマス(カイ・マリーナ)に助けられる。
ナチスを盲信していたローレは、多くの死や不条理と直面し、激しく動揺する・・・。

たとえ子供であっても、ナチス関係者に対する目は厳しく、隠れ家からも追い出される。
頼れるものもなく放り出されてしまうのだ。
幼い子供たちを、戸惑いと不安と恐怖が襲う。
一番年長のローレは、妹たちを守る責任を負っている。

ヒロイン・ローレを演じるローゼンダールのこわばった固い表情に、彼女の複雑な想いがにじむ。
900キロも離れた祖母の家を目指すのだが、途中腐乱死体があったり、ユダヤ人虐殺の写真が目に入り、食料の調達もままならず、幼い弟が撃殺される悲劇も・・・。
ユダヤ人青年に助けられても、嫌悪感が体にしみついてくる。
ローレはそれが嫌でならない。

ローレは心身ともに傷つきながら、長い旅を続ける。
そして彼女は過酷な旅を通して、世界の現実を知る。
子供時代に別れを告げようとする、思春期の少女の危うい時期に・・・。
そんなヒロインの印象を重ねた、森や広野の描写が繊細で美しい。
彼らの行く先に、希望の灯は見えるのか。救済はあるのか。
ケイト・ショートランド監督ドイツ映画「さよなら、アドルフ」は、戦争の深い傷跡を浮き彫りにして、観る者に熱く問いかけてくる・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


文学散歩 / 生誕90年黒岩重吾展―神奈川近代文学館にて―

2014-02-22 20:00:00 | 日々彷徨


 冬の文学散歩は、冷たい北風の吹きすさぶ日であった。
 館内は空いていた。

 1924年(大正13年)大阪生まれの作家、黒岩重吾は様々な辛苦を味わったが、それらの体験が文学活動の原点となり、糧となった。
 1961年(昭和36年)、「背徳のメス」直木賞受賞すると、現代社会の人間の暗部を鋭く捉えた作品でたちまち高い人気を得た。
 この企画展は、第一部どぼらや人生(波乱の日々)、第二部背徳のメス(心の闇を抉る)、第三部天の川の太陽(古代を駈ける)で構成される。














 
黒岩重吾の前半生は、戦後原因不明の全身麻痺という難病で3年半も入院を余儀なくされ、波乱の連続であった。
彼はその後絶望の渕から立ち直り、直木賞受賞後は殺到する原稿依頼を全て引き受け、月産800枚もの執筆量をこなしたこともあった。
人気作家となって、そこから誕生した夥しい作品群は、推理小説、経済小説、恋愛小説、自伝的小説など実に多岐にわたっていた。
とくに、少年期から古代史を身近に感じる環境で育ったので、後年古代史に本格的に取り組み、「茜に燃ゆ」など古代史小説の名変が数多く誕生した。

愛用のモンブランを使って、強い筆圧で、太字のペン先を原稿用紙に叩きつけるように書いた文字は、素人にはかなり読みづらいものだ。
原稿執筆中は、トントンという音が辺りに響いたそうだ。
神奈川近代文学館では、2005年以来遺族から寄贈された原稿、書簡などの資料3900点余りの収蔵品資料を中心に、黒岩重吾の波乱に満ちた生涯とその作品世界を紹介している。
3月30日(日)まで開催中。
なお、4月5日(土)からは「太宰治展」が予定されている。


映画「メイジーの瞳」-ちっちゃな賢い少女の瞳が語りかけるもの―

2014-02-19 21:35:00 | 映画


 離婚した身勝手な両親に振り回される6歳の少女が、新しい‘家族’を獲得するまでを描いている。
 原作は、1897年に発表されたヘンリー・ジェイムズの小説で、スコット・マクギー、デヴィッド・シーゲル両監督が現代のニューヨークを舞台に甦らせた。

 少女の目線で描かれるこのドラマは、多様化する家族のあり方を真摯に問いかけてくる。
 子供は、親を選ぶことができないのか。
 これは、自分なりの親を見つけた少女の物語である。
 子供は何も知らないようでも、実は何でも知っている・・・。(!?)
 ちょっと恐ろしくも、また素晴らしい実話だ。
 そんな家族のありようが、この作品には描かれている。




メイジー(オナタ・アプリール)の母親スザンナ(ジュリアン・ムーア)はロック歌手で、父親ビール(スティーヴ・クーガンは美術商だ。

二人とも自分の仕事や遊びを優先し、ついに離婚に至る。
ビールはシッターの女の子マーゴ(ジョアンナ・ヴァンダーハム)とすぐ再婚し、スザンナも若いバーテンダーの恋人リンカーン(アレキサンダー・スカルスガルド)と親しい。
裁判の末、メイジーは、二組のカップルの家を行き来する二重生活を余儀なくさせられる。

メイジーは戸惑いつつも、両親の新しい恋人とも親しくなり、ときには弾けるような笑顔さえ見せるるようになる。
彼女は、実の父母といる時より、むしろ若い継父母と一緒にいる時の方が、心安らかに過ごせるようになり、そのことが意外なことに、若い継父と継母の距離までも近づけていくのだった。

メイジーという少女を演じる、オナタ・アプリールが素晴らしい。
彼女はただ見つめ、うなずき、短い返事をするだけなのだが、自分自身の抑制された喜びや悲しみの感情を驚くような精密さ(!)で表現しているのだ。
子供だと思っていても、何でも知っている。
勿論、何でも知っているようで、知っていないということもある。
そんな不可思議な淡々しい心情を、彼女はどこまでも自然で巧みに演じている

幼いメイジ-をほったらかしてコンサート・ツアーに出ていたスザンナが、不意に戻ってきて、継父母と穏やかな日々を送っているいる彼女を連れ出そうとするシーンでは、メイジーは母を恐れる。
だが次の瞬間、その恐れを察知して衝撃を受けた母を、メイジーが一転して、憐れむような慈しみともとれるつぶらな瞳で見つめる・・・。
このシーンの素晴らしさは、何とも言えないくらいぐっとくるものがある。

大人にとって子供は鏡である。
この物語は、離婚した親を持つ子供の現代的な姿を描いているので、ある種の息苦しさは否めない。
そんな中で、メイジ―にとっては新たな父母となる若者たちが、柔らかく、温かくやさしさを解き放ってくれる、そこが救いである。
実の父母は親として失格でも、心の底では我が子への愛情だけは失っていない。
それだけは確かだ。

・・・幼い頃に、大人の醜さを見てしまったメイジーは、この先どんな大人に成長していくのだろうか。
彼女と、4人の父母の関係はどうなるのか。
アメリカ映画「メイジーの瞳」は、全編を少女の目線で描いている点がよく、4人の大人たちの間に身を置いた彼女が、けなげに生き抜いていく姿がどこまでも素直に表現されている。
自然にそこにいる感じで、何ひとつ過剰な演技を求められていない。
そして、幼いメイジーは身勝手な両親よりもそれぞれの新しいパートナーと心を通わせていく。
新しい家族が生まれる予感がする・・・。
さて・・・?

     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「アメリカン・ハッスル」―嫉妬と欲望の渦巻く中で夢破れし者たち―

2014-02-18 05:55:00 | 映画


 1979年に、アメリカで実際に起きたおとり捜査事件をもとに、デヴィッド・O・ラッセル監督が、人物造形の面白さや俳優の持ち味を生かした人間喜劇を誕生させた。
 騙すか騙されるか。食うか食われるか。
 あの汚職スキャンダル「アブスキャム作戦」と呼ばれた、とんでもない作戦の経緯が綴られ、登場人物たちの異なる人間臭さが面白い。

 社会派というのではなく、人間味たっぷりのコメディで味わいは上質だ。
 世紀の騙しあいに、男女の駆け引きが絡むので、観る側もラストまで翻弄されっぱなしになる。
 経済犯罪を題材とする点で、 「ウルフ・オブ・ウォールストリートと似ている気もするが、しかし似て非なる作品だ。
 二人の女が、一人の男に翻弄され、奪い合う。
 脚本の面白さともども、オスカ―常道の演技派たちが揃って、興味の尽きない娯楽作品だ。




1979年、ニューヨーク・・・。
天才詐欺師アーヴィン(クリスチャン・ベイル)と、そのビジネスパートナーで愛人のシドニー(エイミー・アダムスは、銀行融資を餌に手数料稼ぎの詐欺を働いていて、FBI捜査官リッチー(ブラッドリー・クーパー)に摘発された。

FBIは、詐欺師にある計画を押しつけた。
それは、カジノ建設で死の財源を増やしたいニュージャージー州の市長カーマイン(ジェレミー・レナー)に、大物マフィア、高名な国会議員、さらにアーヴィンの妻ロザリン(ジェニファー・ローレンス)まで巻き込み、政治家を収賄で罠にはめるというおとり捜査であった・・・。

この作品の見どころは、芸達者な俳優たちの競演だ。
嫉妬や功名心などリアルで、個性も強烈で、そこから生まれる可笑しさがドラマを引っぱっていく。
それぞれのキャラクターと関係性を凝縮させつつ、騙しあいと猜疑心が渦巻く中で、いつになったらばれるかという緊張感が描かれ、ユーモアと人間臭さに笑いが止まらない。

アーヴィンらの真実や本音が素直に伝わってきて、爽快感がある。
とくに、偽のアラブの大富豪を使い、カジノの権利に群がる政治家たちを次々に罠にはめるが、友人となったカーマインをだますことに次第に後ろめたさを感じ始めたり、どこか愚かな人間しかドラマに登場しないのだが、そんな人間たちへのラッセル監督のまなざしは温かい。

セクシーな妻と必死で生きる道を探る愛人に挟まれて、追い詰められる人の好い詐欺師、その愛人に翻弄され
る捜査官、目先の問題に振り回される男女が必死で繰り広げる、大がかりなおとり作戦のスリル・・・。
めまぐるしく動く人間同士の駆け引きを展開させながら、デヴィッド・O・ラッセル監督、この作品「アメリカン・ハッスル」で実力派俳優たちを登場させ、そのアンサンブルは見事にチャーミングだし、サウンドも出色、当時のファッションもそのままに、人間の欲望の発露をあるがままの空気として映し出している。
可笑しくて、やがて哀しき 人間模様か。
    
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


2013年日本映画ベストテン&ワーストテン―「映画芸術」最新号より―

2014-02-17 06:00:00 | 映画

立春を過ぎたというのに、首都圏では、45年ぶりという大雪に二度も見舞われました。
まだ残雪もそのままに、いまも寒風が吹き荒れています。
ここしばらくは、寒い日が続くことになるでしょう。

ところで、映画専門誌「映画芸術(446号)が、2013年公開の日本映画について、ベストテンワーストテンを発表しました。
ここでは人気作品は必ずしも振るわず、映画のプロたちの評価は、今年もまた厳しくも意外な結果となりました。
参考までに列挙しました。

           
       ベ ス ト テ ン (作品と監督名)

  1. 「ペコロスの母に会いに行く」(森崎 東)
  2. 「共喰い」(青山真治)
  3. 「舟を編む」(石井裕也)
  4. 「恋の渦」(大根 仁)
  4. 「なにもこわいことはない」(斎藤久志)
  6. 「もらとりあむタマ子」(山下敦弘)
  7. 「リアル~完全なる首長竜の日~」(黒沢 清)
  8. 「フラッシュバックメモリーズ3D」(松江哲明)
  8. 「横道世之介」(沖田修一)
 10. 「かぐや姫の物語」(高畑 勲)
 10. 「戦争と一人の女」(井上淳一) 

       ワ ー ス  ト テ ン (作品と監督名)

  1. 「東京家族」(山田洋次)
  2. 「風立ちぬ」(宮崎 駿)
  3. 「地獄でなぜ悪い」(園 子温)
  4. 「人類資金」(阪本順治)
  5. 「R100」(松本人志)
  5. 「そして父になる」(是枝裕和)
  7. 「少年H」(降旗康男)
  8. 「清州会議」(三谷幸喜)
  9. 「藁の楯 わらのたて」(三池崇史)
 10. 「ガッチャマン」(佐藤東弥)
 10. 「凶悪」(白石和彌)
 10. 「戦争と一人の女」(井上淳一)

こうして見ますと、映画賞とか人気投票に一切関係なく、実に面白い結果となっていますね。
『映芸』の評価ですから、意外性については論を待ちませんが、毎年このような結果で大変参考になります。
なお、選評とか詳細を知りたい向きには、書店などで本誌を手にとってご覧になって見て下さい。            

 * * * 追 記 * * * 
朗報です!
このほどベルリン国際映画祭で、山田洋次監督作品「小さいおうち」に出演した黒木(はる)さんが最優秀女優賞(銀熊賞)受賞しました。 
日本人最年少の23歳、映画では、着物とかっぽう着姿で慎ましく生きる昭和の女性を演じ、やや古風な顔立ちがよく、初々しさと演技力が高く評価されたようです。
日本人俳優では、2010年の寺島しのぶさんに続いて4人目の快挙となりました。
映画デビューは2011年「東京オアシス」で、その後「シャニダールの花」「草原の椅子」「舟を編む」などでも注目されました。
一気に国際的女優の仲間入りで、今朝の新聞、テレビがすでに大きく報じています。                                                                                                                                      (以 上)


映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」―華麗なる栄光と壮絶なる破滅と―

2014-02-13 20:00:00 | 映画



 12人で始めた会社を、700人の大企業へ。
 学歴もコネもない男が、億万長者にまで成り上がり、放蕩の限りを尽くして、そして破滅する・・・。
 かつてウォール街に実在した男の、欲にまみれた破天荒な生き様を描く。
 マーティン・スコセッシ監督アメリカ映画だ。

 ウォール街を舞台に、実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートが証券会社を設立し、華やかな成功をおさめるが、やがて挫折の時を迎えるまでの10年間を描いた、男の一代記だ。
 欲望に取りつかれた人間の本性を、極限までむきだしにする。
 痛快な興奮と破格の驚きに目を見張る、面白さ抜群の娯楽エンターテインメントだ。









学歴も金もないジョーダン・ベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)は、22歳でウォール街に飛び込んだ。

ジョーダンは、カリスマヒーローのマーク・ハンナ(マシュー・マコノヒー)の酒と女とドラッグに溺れる姿に圧倒されるものの、株価の行方など誰にもわからないから、顧客から手数料を取り続けることに専念する。
そうして、ついに彼はトレーダーとしてデビューするが、その日がブラックマンデー(暗黒の月曜日)だった。

ひと月後会社が消えると、郊外でクズ株を売る仕事を得たジョーダンは、巧みな話術で頭角を現し、町の与太者たちを集めて証券会社を設立する。
ジョーダンのカリスマ性もあって、この会社は急成長し、株価操作で彼は巨万の富を得る。
豪邸を買い、自分を成功させてくれた妻テレサ(クリスティン・ミリオティ)と離婚、絶世の美女ナオミ(マーゴット・ロビーと再婚し、フェラーリを乗り回し、ヘリつきクルーザーで豪遊、職場のパーティーには楽隊やストリッパーまで呼んでのドンチャン騒ぎ、放蕩と狂乱の日々はやまず、破滅へと突き進んでいく・・・。

貯金ゼロの男が年収49億!
90年代の破滅型のヒーローを描いて、興味は尽きない。
極め付きの悪党といわれる主人公を取り囲む、まともな証券マンなどひとりもいない。
全く不道徳この上ない、詐欺師のお話だ。
右肩上がりの幻想に酔いしれ、手っ取り早い金儲け話が、実にうまい具合にそこらに転がっていた時代だから、誰もが狂騒の中にいた。
ジョーダンは一匹狼(ウルフ)だ。
いまそんな人間はいない。
この時代だったから、それが馬鹿馬鹿しくもおかしい。

スコセッシ監督は、モラルの麻痺した人間の生態をとらえながら、バブルから暴落に至るサイクルを繰り返す、金融界そのものの栄光と凋落を明かしていく。
あくどく、切なく、狂騒に暮れる時代の、いわば風雲の幻想を描いている。
アメリカ映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は、人間の欲望を膨らませた、痛快な男の物語を実話から作り上げた。
スコセッシ監督はとてつもないハイテンションで、これでもかこれでもかとストーリーを押しまくり、観客は催眠術にでもかかったみたいに引き込まれていくから、スクリーンにくぎ付けになったままで、3時間という時間も光陰矢のごとしなのだ。

冗談(ジョーダン?)はともかく、人間一生に一度はこんな人生を夢見るのではなかろうか。
ディカプリオがとことんハジケて、圧倒的なエネルギーで俳優としての限界に挑戦している。
人間臭く、欲望まっしぐらなカリスマ性、こんな男がかつて実在していたとは・・・!
仰天と興奮のエンターテインメントとして楽しめる。
彼自身「集大成」と位置づけたこの作品を機に、俳優業を一時休業すると宣言したが、さて・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「鉄くず拾いの物語」―社会の底辺で置き去りにされていく人生の断片―

2014-02-09 18:00:00 | 映画


 人生はときに奇跡である。
 そこに、哀しみがあり、切なさがあり、喜びも、怒りもある。
 人生はときに理不尽である。
 生きることは厳しさであり、それゆえに人生は美しい。

 戦争の愚かさを描いた、「ノー・マンズ・ランド」アカデミー賞外国語映画賞受賞ダニス・タノヴィッチ監督が、何と事実をもとに、当の本人たちの演じる、シンプルな再現ドラマを作り上げた最新作だ。
 物語は、実話を可能な限り厳密に再現しており、そのためドラマとしての起伏は薄い。
 一方で、映像に現実味があり、ドキュメンタリーのようだ。
事実の持つ力強さもさることながら、この映画が訴えてくるものに怒りの余韻が残る・・・。







ボスニア・ヘルツェゴビナに住むロマのナジフ(ナジフ・ムジチ)は、妻のセナダ(セナダ・アリマノヴィッチ)と娘二人の4人暮らしで、拾った鉄くずを売って一家を支えている。

ある日、セナダが激しい腹痛に苦しみ、3人目の子を流産した。
産婦人科医に、すぐ手術をしなければ危険な状態だと告げられるが、保険証を持っておらず、980マルク(約7万円)の手術代が払えない。

こんな時にさえ、公的機関も一家を助けようとはしない。
ナジフは幾度も懇願するが、病院は支払えなければ手術はできないと拒否する。
分割で払うといっても聞き入れてもらえず、ナジフは、やむなく自宅に帰ると電気も停められていた。
家族を守るため、自分の車まで解体し、鉄くずにして金を工面しようとするが、到底大金は稼げない。

ナジフは、セナダの命を救おうと懸命に奔走するのだが・・・。

タノヴィッチ監督は、地元の新聞でこの事件を知り、13000ユーロ(約185万円)の自己資金と9日間の日程で、この作品を撮り終えた。
ナジフ一家をはじめ、出演者のほとんどが俳優ではなく、実際の当事者たちだ。
つまり、自分たちで実演してみせた、再現ドラマなのだ。
ここが凄い!

描かれているのは、いまの日本とはちょっと想像もつかない、欧州の最貧困国ボスニア・ヘルツェゴビナの実情だ。
いまでも政治がまともに機能しておらず、失業率は43%で、紛争終結から20年近くたった現在も、傷痕は癒えていない。
最近も、900人の集団墓地が発見されたとかで、1万人がまだ行方不明で、家族を弔うこともできず時間が止まった人が多いといわれる。

ダニス・タノヴィッチ監督の、ボスニア・ヘルツェゴビナ本作「鉄くず拾いの物語」は、動画機能付きの一眼レフカメラを使って9日間で撮影された。
脚本らしきものはなく、病院の一部以外の場所はすべて現実の場所で、登場人物も医師を除けばすべて現実の人物だそうだ。
ボスニア紛争で、戦場ドキュメンタリーを撮り続けてきたダニス・タノヴィッチ監督の体験が、映画的実験に踏み切らせたといってよいだろうか。

この作品の問題は、生活の根幹を脅かす経済格差だ。
どんなに貧しくとも、家族の絆がいかに大切であるかを、主人公の行動が訴えている。
手持ちカメラが、主人公夫婦を粘り強く追いながら、どうしようもない貧しさをありのままに描き出し、何の抗議の声を上げることもなく、彼らはただ一日一日を生き延びてゆく。
社会はめまぐるしく変わっていくのに、置き去りにされた彼らの生活は、あたかもそれが運命でもあるかのように・・・。
それにしても妻のセナダは、貧困家庭で暮らしながら、どんなものを食しているのだろうか。
あまりにも巨体(!)なのが、妙に気になった。

驚くべきは、何度も言うように多くの当事者が自分自身を演じていることだが、素人ながら自然体そのものの彼らの演技が素晴らしい。
とくに、主人公ナジフ・ムジチの演技は高い評価を得て、ベルリン国際映画祭では主演男優賞に輝いた。
・・・こうして映画を観るたびに考える。
映画とは、常に「何か」を考えるきっかけになるものだと・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「危険な関係」―原作の巧みな心理描写を映像化した男女の愛憎劇―

2014-02-05 16:00:00 | 映画


 
韓国気鋭のホ・ジノ監督が手がけた中国映画である。
原作は1782年に発表された、フランスの作家ピエール・ショデルロ・ド・ラクロの文学作品で、これまでにも幾度となく映画化されてきた。

今回は、1930年代の上海に舞台を置き換え、男と女の背徳的な戯れが本気の愛に変わっていくというおなじみの物語で、流麗な映像美がこのメロドラマの情感をいっそう盛り上げている。
豪華絢爛なセットと衣装、鮮やかな色彩も特筆ものだし、「四月の雪」ホ・ジノ監督としては珍しい大作で、恋愛の機微を繊細にかつ生々しく描いており、十二分に楽しむことができる作品となっている。

1931年、上海の社交界・・・。
夫を亡くした貞淑なフェンユー(チャン・ツィイー)を誘惑するプレイボーイ・イーファン(チャン・ドンゴン)と、貴婦人ジユ(セシリア・チャン)の危険な‘ゲーム’を描く。
女性実業家のジユと、裕福なイーファンはある賭けをする。

フェンユーは、亡き夫の遺志を継いで奉仕活動をしているが、彼女をイーファンが誘惑することに成功すれば、ジユはイーファンのものになる。
もし失敗したら、イーファンの土地がジユのものになるというのだ。
しかし、三人の間で繰り広げられる、危険な愛の駆け引きの行く手には、予想のできない衝撃的な結末が・・・。

純愛あり、嫉妬あり、駆け引きあり・・・、めくるめくような愛の世界に登場する俳優三人が、とても魅力的だ。
色気と気品たっぷりに、それぞれのキャラクターになりきった彼らの駆け引きに、目を奪われる。
色男イーファンの、手練手管に絡められていくフェンユーの困惑と激情を、震えを帯びた瞳や唇で表現するチャン・ツィイーの素晴しさも・・・。
そして、チャン・ドンゴンのプレイボーイぶりも、この作品の見どころのひとつだ。

作中の台詞は北京語だそうだが、北京語をちゃんと話せるのはチャン・ツィイーだけで、正確なイントネーションを彼女は自由に操る。
もともと、中国の映画会社から持ち込まれた企画だったが、現代中国は経済的に繁栄を享受しており、物質文明はいずれ衰退していくものとみられており、戦争直前の上海の華やかさと同時に退廃的な空気も描かれ、そこから現代社会の問題も見えてきそうだ。

ホ・ジノ監督中国映画「危険な関係」は、愛を弄び、運命に弄ばれる女を描いて飽きさせない。
フランス文学の名高い傑作が、ここでまたアジアの地で花開いたか。
香港の青春恋愛映画で大人気を博し、スターダムに登りつめたセシリア・チャン、一見いかにも貞淑を絵に描いたような風情でも、深い色香を漂わせるチャン・ツィイー、男臭さの匂い立つようなチャン・ドンゴンがそこに絡んでくる。
それだけで、まさに危険な雰囲気は濃厚だが、そこに一種の至純な香りが漂っているのも、ホ・ジノ監督の真骨頂か。
ラストに大きな変更が加えられているが、それは、悲劇ののちに独り立ちを目指して一歩を踏み出すヒロインの姿である。
ホ・ジノ監督の切ない優しさとでもいおうか。
舞台は変わっても、文学的な香りとともに楽しめる一作だ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ビフォア・ミッドナイト」―饒舌な時間から生まれた愛の奇跡―

2014-02-01 18:45:00 | 映画


とにかく饒舌である。
喋る。喋る。果てしないほどに喋る。
自分たちの生活のこと、過去のこと、現在のこと、それも理知的に、ときに感情的に・・・。
ウィーンの夜明けから18年、パリから9年、そして本物の愛にたどり着く真夜中まで、二人だけの時間をリチャード・リンクレイター監督は追いかける。
 

主人公は、アメリカ人のジェシー(イーサン・ホーク)とフランス人のセリーヌ(ジュリー・デルピー)の二人だ。
ウィーンで出会い恋に落ち、「ビフォア・サンライズ 恋人たちの距離」(1995年)その9年後のパリでの再会を描いた「ビフォア・サンセット」(2004年)に続いて、今回の3作目は、休暇で訪れたギリシャの海辺の街が舞台となる。
前作と同じで、驚くべし、どこまでも二人の会話が物語の中心なのだ。







ジェシーもセリーヌももう40代、ジェシーは妻と別れ、セリーヌと結ばれて一緒になり、二人の娘も生まれたところから、舞台をギリシャに移して今回のドラマは始まる。

ジェシーは、遊びに来た先妻との息子を空港に送り、娘二人が後部座席に眠ったまま、この夏を過ごしている家まで車で帰るところだ。

ジェシーはアメリカで暮らす先妻のことが気がかりだし、セリーヌは自分の仕事の将来について悩んでいた。
友人の計らいで、久々に二人だけの時間を過ごすことになって、地中海に沈む夕日を眺めながら、とってもいい雰囲気になっていたのだった。
ところが・・・。

どこにでもありそうな、二人のリアルな会話が延々と続く。
即興かと思ってしまいそうだが、すべてリチャード・リンクレイター監督と主演の二人が綿密に話し合いを重ねて、きっちりとしたシナリオがある。
これまた驚きだ。
車の中、老作家ら友人たちが集うテーブルで、夕暮れの散歩道で、終盤のホテルの一室を含め、幾つかの場面に限定されるが、しかも空港とテーブルでの場面を除いたら、ほとんどの会話がジェシーとセリーヌだけなのだ。

しかし、それでいて飽きさせないのはセリフがリアルだからで、いま考え感じていることをそのまま表現しているような言葉使い、矢継ぎ早の会話の連続、この二人のスリリングなやりとりがときには感情的にもなり、冒頭の車中のシーンなど14分間という長回しで、並大抵の映画ではない。
二人の会話はストレートだし、噴き出してしまいそうなユーモアもあり、その会話の間(ま)といい、テンポといい、演技者はさぞ疲れただろうと思われる。
観客はそんなシーンに一喜一憂しながら、女性の仕事、それに対する男の無関心、子育てや家事、、浮気のことなどが会話の中身なのだが、それら日常の断片を織り交ぜながら、現実感覚をふまえて一気に映画は終盤へ・・・。

とにかく、二人の怒涛のおしゃべりが凄いのなんのって・・・。
しかも、会話劇として洗練されていて、知的な味わいも濃厚だ。
ロマンティックな最初の出会いから、20年の時間が流れ、生活を共にすることで生まれた二人の人生は、その進化する日常に愛おしささえも感じられて・・・。

男はベストセラー作家として成功し、その陰にかくれてしまった女は新しい職場を求めている。
生活を支えるうえでも避けられぬ葛藤が生まれ、ときにすれ違いを見せ、刺々しくもなる。
人生を四季にたとえれば、春夏を越して秋を迎えるころだろうか。
この作品を観ていると、人生っていろいろありだなあ・・・、と思うわけだ。


連作の三作を、全編を通して見られと一番いいか。
製作年に応じて、キャストたちはそのまま実際に年を重ねており、主人公たちも現実に年を取っている。
そのあたりを観ていてもなかなか妙味があるし、ドラマの中で発せられるセリフにも、珠玉のような言葉が散りばめられていて結構興味深い。
映画の鑑賞の仕方も、またこの一作で変わりそうである。
リチャード・リンクレイター監督アメリカ映画「ビフォア・ミッドナイト」は、18年前の出会いから始まった三連作を終えて、この作品が「ビフォア・シリーズ」のいよいよ完結編となるのだろうか。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)