徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「鑑定士と顔のない依頼人」―華麗で残酷な人間の深淵を覗く寓話―

2013-12-30 16:00:00 | 映画


 これは、豪華で知的な謎をふんだんに散りばめた、サスペンス・ミステリーだ。
 「ニューシネマ・パラダイス」イタリアの巨匠ジュゼッペ・トルナトーレ監督が、これはまた極上の映画を誕生させた。
 この年の瀬になって、素晴しい作品と出会って、大きな拾いものである。
 思わず欣喜雀躍だ。
 この作品の知的満足度は100%に近い。

 かつて人を愛したこともないベテランの美術鑑定士が、知らず知らず謎の多い依頼人に心を動かしていくのだが、数々の巧妙に張られた伏線と、驚愕のどんでん返しにあっと息をのむ展開だ。
 もしかすると、今年最高の一作となるかもしれない。
 知的興奮度も第一級だし、今年の我が最終を飾るにふさわしい、よき映画によくぞまたといった感じだ。





この物語は、ある鑑定依頼から始まる。

美術鑑定士でオークションを取り仕切るヴァージル(ジェフリー・ラッシュ)は、相棒のビリー(ドナルド・サザーランド)と組んで、一流の名画を格安で落札していた。
そんなある日、クレアと名乗る女性(シルヴィア・ホークス)から、資産家の両親の残した家具や絵画を査定してほしいという依頼の電話を受ける。

ところがクレアは、広場恐怖症という特異な病にかかっていて、人前に姿を現そうともしない。
ヴァージルは我慢が出来ずに、彼女が屋敷の壁の向こうの隠し部屋にいることを突き止める。
そこで、彼女の姿を覗き見たヴァージルは、美しさに一瞬にして心を奪われ、好奇心とともに、どうしようもなく惹かれていくのだった。
さらに、美術品の中に歴史的大発見ともいえる、とんでもない価値のある美術品の一部を見つけて・・・。

主人公ヴァージルは、本来潔癖症で人間嫌いで、自分の隠し部屋にこもると、女性の肖像画を飾ったその部屋でひとり愉悦に浸るような男だ。
一言で言ってしまえば、そんな男の老いらくの恋とでもいえようか。
しかも、このドラマの背後に仕組まれた巧妙なギミックで、一流鑑定士の目をも欺く完全犯罪だ。
この展開、ヴァージルが恋にのめりこむとともに完成されていく、からくり人形の寓意が素晴しく、当然ドラマはラストに仰天の展開が用意されている。

屋敷の内部や地下室を含め、多彩なドラマの場面はウィーンをはじめ、ミラノなどで撮影を敢行したそうだ。
美術品を介した、特異な純愛物語(?)かと思うと、どっこいそうではない。
何だかいとも怪しげで、不穏な空気が全編に充満している。
鑑定士は鑑定士で、自宅に秘密の部屋を持っている。
そこには、犯罪すれすれの手口で手に入れた、古今東西の名画が所狭しとばかりに、四方の壁いっぱいに飾られている。

人との交わりを好まないヴァージルは、レストランで食事をとるときでも手袋を取ろうとはしない。
孤独で人を寄せ付けないほど狷介で横柄で、さらにはちょっとばかり悪辣な側面も持つ、変り者の老人ヴァージルの役を、ジェフリー・ラッシュの確かな名演が繋いでいく。
それはまた、凄みすら感じさせる演技である。
その彼の目線で、観客はつかず離れず追っていくのだ。
しかし展開は、思いもかけない方向へと観客を引っ張っていく・・・。

イタリア映画ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「鑑定士と顔のない依頼人」は、縦糸と横糸とが絡み合うような構造で、手際よく編集され、巧妙な伏線が一本につながっていくから見事である。
それはラストのどんでん返しとともに、深い余韻の残るドラマだ。映画のほうは、イタリア語ではなく英語であることが少し残念だ。
美術品の鑑定はともかく、人間の鑑定は一流の鑑定士だって難しい。
そりゃあ、そうだ。
ともあれ、どこまでも優雅で甘美で、そして洗練されたミステリーである。
ヴァージルの隠し部屋に埋め尽くされている、300点近い女性画は圧巻だ。
出来ることならもう一度観てみたい。
久しぶりに心の満たされた、傑作といってもよいほどの、深い余韻のある逸品である。

      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
 
   ― 追  記 ―
いろいろなことがありました。
そんな今年も、間もなく暮れてゆこうとしています。
今年、人気を度外視した興行ペースに乗らない作品も含めて、かなりたくさんの映画を観てきました。
映画に関する拙いこのブログですが、今年はこれまでとさせていただきます。
本欄で紹介させていただけるのは限られた数本ですが、いい映画はそんなにあるわけではありません。
また独断と偏見(!?)で、作品を紹介させていただきます。
来年も、よろしくお願いいたします。
どうぞ、よい年をお迎えください。 ( Julien )


映画「楽園からの旅人」―ある聖堂を舞台に描かれる象徴的な深みをたたえた現代の黙示録ー

2013-12-23 16:35:00 | 映画


 「ポー河のひかり」(06)巨匠エルマンノ・オルミ監督イタリア映画である。
 混迷を深める現代にあって、さまよえる人々への敬虔な祈りがここにある。

 映画に登場する老司祭は、神聖な教会堂が壊されてゆくのを見て、権力から疎外され、侮辱され、傷つけられた人たちを受け入れる。
 そして、そこに残る老司祭と救いを求めてやって来たアフリカからの旅人達、にわかに誕生した段ボールの村、二夜にわたって人々の交流する姿が、あたかも一幕劇のように描かれ、いくつもの人生がひとつに織り成されてゆく・・・。
 さまよえる人々への、心優しい描写が印象的で、どこまでも寡黙で静謐な作品だ。
 人間の存在そのものが喜びだとする、オルミ監督の希望の映画だ。






イタリアのある街で、教会堂が取り壊されようとしていた。
キリスト像も無残におろされた。

長い年月、ここで神の愛を説いてきた老司祭(マイケル・ロンズデール)は、ひとり残されて悲嘆に暮れている。
人々の営みは、別のものに変わろうとしていた。
夜、一人の男が傷ついた家族を連れてやって来る。
彼は技師で、家族は不法入国者だった。

そして、恐らくほとんどはアフリカから、さまよう旅人達が次々と救いを求めてやって来る。
旅の途中で亡くなった者もいるが、ほとんどが不法入国者たちであった。

教会堂の中には、にわかに段ボールが並べられ、即席の段ボールの‘村’が作られてゆく。

身重の女性が出産すれば、人々は赤子の世話をする。
老司祭はキリストの誕生を思い、祈りをささげる。
そこへ地区の保安委員が、不法移民を取り締まりにやって来る。
人々の中に密告者がいたのだ。
老司祭は、教会はすべての人に開かれていると抵抗し、いったんは保安委員を避けることもできた。
・・・その夜、人々は老司祭を残して、次なる地を目指して旅立とうとしていた・・・。
ひとり残って老司祭は、ひたすら、この教会の現状を自分の信仰の問題として、教会は誰のために必要なのであろうかと、考え抜き悩み抜いている。


十数人の黒人が忍び込んできて、黙々と段ボールの寝床を作り、その寝床の列に布をめぐらせ‘寝室を作る。
それが小さな‘村’だ。
彼らは警察に追われていて、老司祭は彼らをかばい、匿っている。
アフリカからやって来た彼らは、ここからさらにフランス各地やヨーロッパ各地に散ってゆくのだ。
この二晩の出来事が、この映画のストーリーだ。それだけだ。

作品中に、ビデオに映される難破船と荒波のシーンがあるが、滞在者たちの船が海を越えたアフリカからやってきて、難破したことを示唆している。
旅人達に一種の神々しさがあり、それはすべての破局の中から新しく始まる未来であり、その未来こそが自分たちで築くものであると語りかける。
キリストを髣髴とさせる人物の登場も、映像に織り込まれる聖書の神話も、イスラム教との対話や共存も、深い暗示を湛えた暗喩なのだ。
オルミ監督は、心豊かなキリスト教信者だそうで、彼がこのような作品を創り上げたことと無関係ではあるまい。

人は何処にいて、いま何処へ行こうとしているのか。
この作品、登場人物たちの境遇はみな過酷だが、彼らは何故こんなにも高貴で美しいのだろうか。
台詞を極力抑えた、エルマンノ・オルミ監督イタリア映画「楽園からの旅人」は、聖堂を舞台に描かれる大いなる祈りを込めた象徴的な黙示録だ。
楽しいとか、面白いとか言えるような類の作品ではない。
慈しみある、重厚で荘厳な80分が凝縮されている。
そしてそれは、未来は私たちが築くものだという希望の映画だ。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「麦子さんと」―母と娘をめぐる心温まる物語―

2013-12-19 21:00:00 | 映画


 笑えることは幸せである。
 泣けることも幸せである。
 人は泣いた分だけ優しくなれる。

 自らの亡き母への思いを重ねて、吉田恵輔監督がハートフルで珠玉のような作品を誕生させた。
 人は誰もが、かくも優しくなれるものだろうか。
 無償の愛の中に生きることの、たとえようのない幸福まで、思いがけない涙に包まれていく優しいドラマである。












  
3年前に父を亡くして以来、パチンコ店で働く兄の憲男(松田龍平)と二人暮らしの小岩麦子(堀北真希)のところに、突然母の彩子(余貴美子)が戻ってきた。

麦子がまだ幼い頃に家を出て行ったため、母の記憶は全然なかった。
麦子は、この母の突然の出現に戸惑っていた。
少し疲れた様子の母に言われるままに、一緒に暮らし始めた矢先、憲男が出ていき、二人きりになる。
そんな中、声優を目指す麦子が密かに入学を考えている声優学校の案内書を、彩子が勝手に観てしまったことで、麦子は彩子に母親と思っていないと怒りをぶつけてしまう。

・・・その数日後、彩子は他界する。
彼女は、末期の膵臓がんであることを誰にも告げていなかった。
母親が死んだことを、うまく咀嚼できないまま迎えた49日の日、憲男に言われ納骨のため麦子は故郷に向かう。
その土地に着き、行く先々で若い頃の彩子と重ねて見られる麦子・・・。
故郷では彩子はアイドル的存在で、麦子を乗せた運転手の井本(温水洋一)や、旅館を営む春男(ガダルカナル・タカ)ら、かつての母のファンや母のストーカー、そして親友たちが、青春時代を掘り起こすかのように騒ぎを起こす。
彩子の友人だった、霊園に勤めるミチル(麻生祐未)から、彩子はアイドル歌手を目指していたことを聞かされる麦子・・・。
そして町の人たちと母の青春の続き(?!)に付き合っていくうちに、麦子は母のたどった人生を少しずつ理解していく・・・。

親に無関心でしかなった女性が、母の青春に巻き込まれ、やっとひとりの女性として成長していく姿を活き活きと描いていて好感が持てる。
嫌っていた母と接するぎごちなさや不慣れさの表現を通して、堀北真希が自然でいい味を出している。
親子関係について、考えさせられる要素のある作品だ。
女として成長する娘を好演する、堀北真希は敢然として言い放つ。
「あなたを母親とは思っていないから・・・」
母の故郷に納骨に行くと、自分の母親が町じゅうみんなの憧れであり、アイドルだったことを知らされて、それは、麦子にとって嬉しくも恥ずかしいような驚きであった・・・。
彼女は、気づかないで過ごしてきたた母の大きさに、あらためて気づくのである。

すでに両親を亡くしていても、あるいは生きていても、どんなに遠く離れていても、子を捨てる母などいない。
吉田恵輔監督作品「麦子さんと」は、素直にそう思える作品だ。
冷たい北風の吹く荒れる日、こんな映画に浸ってみるのも一興というものだ。
洗練されたセリフが効いていて、脚本もいい。
楽しく笑わせて、しんみり泣かせて、心がほぐれる。
小さな作品だが、どこまでも温かい。
とても、後味がいい。
幾つになっても、親にとっては子は子であり、子にとっても親は親なのだ。
当たり前のことだけれど、人は亡くなってみて父や母の愛を改めて想い出すものだ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ゼロ・グラビティ」―美しくも怖ろしき宇宙空間での人間の究極の孤独―

2013-12-17 22:00:00 | 映画


 漆黒の闇に、青く輝く地球が浮かんでいる!
 宇宙空間である。
 酸素もなく、気圧もなく、音を伝えるものもない。
 地球の上空60万メートルの、無重力空間の世界だ。

 そこに、宇宙空間をたった一人で漂流するという、想像を絶する極めて深刻な事態が発生した。
 アルフォンソ・キュアロン監督は、最新鋭技術を駆使した3D映像で、生と死を感得させる作品を完成させた。
 それは主人公の体験を通して、観客にまで、宇宙空間の恐怖を突きつけてくる。
 冒頭から13分間、途切れることのないワンシーンで、観る者に息つく暇も与えず、緊張感だけが高まっていく。
 宇宙で事故に遭遇したときの、人間の究極の孤独を考えると、ぞっとする・・・。
 想像するだけで恐ろしい。
 これは、ストレートな、あまりにも純粋な超娯楽作品だ。

地上60万メートルのスペースシャトルの船外で、ベテラン飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の陽気なサポートを受けながら、通信システムの修復にあたるライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)は、突然作業中止の緊急連絡をヒューストンから受けた。
人工衛星が破壊されて、爆発を起こし、そのかけらが無数の破片(デブリ)となって、猛スピードで迫ってきているので、シャトルに戻って地球に帰還せよというのだ。

そして、船内に戻る間もなく、破片の襲来で、機体につながれていたロープが切れ、ライアンは遠くへ飛ばされ、相次ぐ危機と災難が襲い、生存者はストーン博士とコワルスキーの二人だけとなった。
様々な予期せぬ事態の中、二人は互いの体をたった一本のロープでつなぎ、残った酸素もあとわずかとなって、地球との交信も絶たれた絶望的な状況下で、小型ロケットを使って漆黒の闇を縫うように、国際宇宙ステーションを目指すのだが・・・。

まことに想像力をかきたてる、物語の提示の仕方が面白い。
何が起きるかわからないからだ。
作品では、登場人物が宇宙空間で浮遊している部分が、ほとんどを占める。
宇宙から見る地球の美しさもさることながら、パニックに陥りながらも、地球へ生還する術を必死に探す彼らが、息をすることさえ困難な場所でどう生きるか。
ストーリーはそれだけだ。本当にそれだけなのだ。
寄る辺のない、圧倒的なまでの究極の孤独だ。

ブルーのどこまでも濃い神秘的なCG映像と、隅々まで計算され尽くした音響と、そんな絶望的な世界が描かれる。
アルフォンソ・キュアロン監督の、アメリカ映画「ゼロ・グラビティ」の特撮は圧巻のひとことにつきる。
当然、3D版で宇宙空間を体感できる、全く新しいタイプのSFサスペンスだ。
原題は重力を意味する「グラビティ」で、邦題はゼロをつけて「無重力」とした。

実に、胸をときめかせる宇宙映像がここにある。
その宇宙はどこまでも美しく、しかしおそろしく怖く、それは完全に死の恐怖だ。
無重力の描写もリアルだが、一体どういう風に撮影したのかと思うほどである。
現実には、そんな状況の中で宇宙服の気圧の調整など、迅速かつ確実にできるものなのだろうか。
いろいろと疑問や不思議もあるが、娯楽度は満点に近い。
とにかく、スリルたっぷりの宇宙体験を楽しめるだけでも、見て損はないエンターテインメント大作である。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「もうひとりの息子」―根深い対立の彼方に希望の光を求めて―

2013-12-15 18:00:00 | 映画


 日本映画に「そして父になる」という作品があった。
 本作もまた、子供の取り違えがテーマになっている。
 ただし、この作品ではイスラエル人とパレスチナ人という、敵対する家族というのだから、問題は一層深刻だ。
 出生時に病院で取り違えられた、18歳の若者二人の物語だ。

 ロレーヌ・レヴィ監督は、ユダヤ人の家庭で育ったフランス人女性で、彼女自身大勢の親戚をナチスの強制収容所で失った、忌まわしい過去を背負っている。
 レヴィ監督は、ユダヤ、アラブのいずれの側にもくみすることなく、ひとりの人間として、悲劇に直面した人物たちの葛藤を上手く掬い取っている。
 ルポルタージュのように見えるが、戦争を超える家族の情愛に切り込んで、中東を舞台に取り上げたこの物語は、改めて親子の問題を問い直す優れたドラマに仕上がっている。




イスラエルのテルアビブに住むシルバーグ夫妻(パスカル・エルベ、エマニュエル・ドゥヴォス)の長男ヨセフ(ジュール・シトリュク)は、兵役に就くための検査で、血液型が両親と合わないことが分かった。

調査の結果、18年前に入院した病院で取り違えられていたことが判明する。
その当時は湾岸戦争の真っただ中で、イラクからの攻撃でミサイルが撃ち込まれ、病院も混乱状態にあったのだ。

ヨセフの本当の両親は、イスラエル占領下のヨルダンの川西岸地域に住むアル・ベザズ夫妻(ハリファ・ナトゥール、アリーン・ウマリ)で、両家はこの事実を知って悩み、苦しんだ。
だが、双方の母親は早くに打ち解けるのに対して、父親たちは初めての訪問の際にも大声で怒鳴り合うなど、一筋縄ではいかない。
あるがままを受け入れようとする母親と、右往左往する父親・・・。

それなのに、フランスで医師を目指すアル・ベザズ家のヤシン(マハディ・ザハビ)は、人ごとのように冷静だ。
ヨセフは、はじめアイデンティティーを否定されて、大きなショックを受けるが、次第にヤシンと親しくなっていく。
彼はひとりで、アル・ベザズ家を訪問して温かな歓迎を受け、次第に気持ちが和らいでいくのだった・・・。

家族とは何か、愛情とは何かという問いに直面する二つの家族が、最後にどんな選択をするのか。
大変、衝撃的な題材だ。
・・・母親たちのリードで、父親たちも現実を受け入れ始める。
息子同士も、宗教、国籍の違いにそれほど深刻にはならない。
しかし現実の問題として、イスラエル人とパレスチナ人とが、こんなに簡単に交流できるとは考えられない。
それでも、ロレーヌ・レヴィ監督は、異なる背景を持ちながらも、女性たちの芯の強さに、戦争のない未来を託したということか。

このドラマに登場する両家は、確かに一定レベルの生活をしている。
イスラエルがテロリストの侵入を防ぐために、2002年に建設を始めた双方を分断する高い分離壁がある。
パレスチナの土地を奪いながら、それは今も続いている。
この地区に入るには検問所の厳しいチェックもあるし、中の人が外に出るには特別許可証が必要だ。
映画に登場するこの分離壁などは、すべて実際のものだそうだ。

ロレーヌ・レヴィ監督フランス映画「もうひとりの息子」には、しかし空爆や自爆の描写はあえて映さない。
そんなことより、親子の情愛とその深さに焦点を当てた。
希望の世界を暗示する、優しさや視線に共鳴できる。
中東の、この両国の解決の糸口も見えない現実を前に、共存への一歩につながる悲願を込めた一作であろう。
イスラエル側から見たアラブは自暴自棄で、ユダヤ人を殺しかねない危険な人たちであり、アラブ側から見れば、イスラエルは土地を奪い自分たちを追い出した闖入者だ。
相互理解など、簡単には口にできないいがみ合いがあるのだ。

紛争地域というひどくデリケートな問題を背景に、対立を乗り越え、希望を見い出そうとする人間の強さを描いて、誰もが未来を信じたくなる作品だ。
ヨセフの母親役エマニュエル・ドゥヴォスほか、達者な演技陣がそろっている。
それでも民族対立の悲劇と、それを乗り越えようとする努力を、二家族の中に象徴的に描いて見せて、なかなか見応えのある力作だ。
敢えて言うと、多くのアラブ人とユダヤ人は明らかに外見が異なっているそうだから、青年に成長するまで取り違えに気付かないという設定はどうなのか。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ハーメルン」―静かな時の流れの中に息づく小さな村の人たちの記憶―

2013-12-12 16:00:00 | 映画


 福島県の奥会津に、日本の原風景ともいわれる、小さなしかし美しい村がある。
 「からむし織」の産地だそうである。
 時がゆっくりと流れていて、いま暮らしている、かつて暮らしていた人たちの記憶が絵画のように紡がれていく。

 長編映画「アリア」で高い評価を受けた坪川拓史監督が、演出、脚本、編集も手がけ、自身の世界観をこのスクリーンに刻み付けた。
 過ぎ行く時の中に生きる人たちの哀愁が、詩情豊かな映像とともに、優しく語りかけてくる。
 小さな村に、凛として生きる人たちの姿を温かく描きだして・・・。










ある村の廃校となった小学校に、元校長の矢野由太郎(坂本長利)が暮らしている。

もう使われることのない校舎の修繕をしながら、彼は消えゆくわが舎を愛おしむように、静かな日々を送っていたが、その校舎は解体されることが決まっていた。
そんなある日、かつてこの学校で学び、現在は博物館職員の野田雅史(西島秀俊)が、校舎に保管されていた遺跡出土品の整理のためにやって来る。
だが、野田には誰にも言えない秘密があった。

野田が小学生だった頃、久遠綾子先生(風見章子)が大切にしている“カラクリ時計”を盗み、閉校式の日に生徒たちがそれぞれの宝物を校庭に埋めたタイムカプセルの中に、その“カラクリ時計”を入れておいたのだ。
校長先生が村にやって来た野田に、タイムカプセルを埋めた場所を尋ねたことをきっかけに、二人はその日からタイムカプセルを探し始める。
しかし野田の同級生たちは、タイムカプセルを埋めたことを忘れており、一向に作業は進まない。
そんな中、村の老人施設で寝たきりになっていた綾子先生が、隣町の大きな病院に移ることになった。
娘のリツ子(倍賞千恵子)に付き添われて、病院に移る道すがら、綾子先生は学校に立ち寄り、「あの子たち、どこへ行ったのでしょうね」と呟くのだった・・・。

福島県昭和村にある廃校を舞台に、過ぎ去った月日の思い出が、四季折々の美しい風景描写の中で静かに流れてゆくのだが、撮影期間は3年半をかけてじっくりと創り上げられた。
主役のひとつでもある廃校となった小学校に立つ、樹齢800年、高さ35メートルの大いちょうの樹、カラクリ時計、絶妙な人形芝居も印象的なシーンだ。願いと魂を込めた古来からの風習「折り鶴」のシーンは、全国はもとより北欧や南米など広く世界中から送られた10万羽の「折り鶴」が登場し、2010年まで3年半以上の時をかけて寄せられた一羽一羽にも、この映画への様々な想いが込められているようだ。

セリフ、説明は一切カットされ、静謐で寡黙な作品は、しみじみとした詩情を漂わせている。
決して失われてはいなかった記憶を、幻想的に描き出す上質な物語がここにある。
坪川拓史監督映画「ハーメルン」は、映画っていいものだなあと、心に残る得難い小品である。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★5つが最高点


映画「47 RONIN」―大胆な贋作‘忠臣蔵’アメリカ版スペクタクルの荒唐無稽!―

2013-12-10 17:00:00 | 映画


 何と何と、「忠臣蔵」をハリウッドが映画化した。
 ファンタジック・エンターテインメントだ。
 ところが、これが大変な曲者で、まあ驚くやらあきれるやらで・・・。
 日本人が観た場合と外国人が観た場合とで、趣きはかなり異なるだろう。
 登場する将軍の衣装や城郭は中華風(中国風?)だし、不思議な衣装をまとった妖女、妖怪が入り乱れて・・・、ここまで大胆に翻案して作り上げるか。

 奇想天外、荒唐無稽なアクションドラマは、誇大妄想のドラマだ。
 つまり、「忠臣蔵」といっても、描かれている世界はまるで違う。
 似て非なる世界だ。
冒頭からいきなり、怪獣が出現してくるといった展開で、カール・リンシュ監督は、日本ではとてもありえないスケールの大きな景色やクリーチャーを登場させて、度肝を抜くようなシーンが続く。
 舞台は、日本であるはずなのに中国か韓国みたいに見えたりして・・・。
 大いなる違和感を覚悟でないと、いかに豪華絢爛のアメリカ版日本の時代劇といえども、鑑賞に堪えられない(?!)かもしれない。

鎖国時代の日本は、海の外の国からは神秘の国であった。
徳川綱吉が将軍職にあった日本・・・。
英国人と日本人のハーフである異端の浪人カイ(キアヌ・リーブス)は、赤穂城主の浅野内匠頭(田中泯)に助けられ、周囲から鬼子とさげすまれながらも、浅野の娘ミカ(柴咲コウ)と身分違いの愛を密かに育んでいた。

そんなある日、天下取りを狙う吉良上野介(浅野忠信)と謎の妖女ミヅキ(菊地凜子)の陰謀で、浅野家は取り潰しになる。
大石内蔵助(真田広之)ら家臣は、浪人に身を落とし、カイは出島のオランダ人の奴隷として売られてしまった。

一連の出来事から1年後、大石は百姓家に住んでいた妻りく(國元なつき)と息子の主税(赤西仁)と再会し、カイを救うべく出島へ乗り込み死闘の末彼を助ける。
そして・・・、大石は仲間たちの絆を得て、吉良との婚儀を約束させられていたミカを吉良の手から救い出すため、圧倒的な敵の戦力と恐ろしい妖術に対し、敢然として立ち向かい、ついに吉良城に侵入し壮絶な戦いが始まるのだった・・・。

・・・この作品、外国人はほんの数人しか出てこない。
ほとんどが日本人で、それで、もちろんセリフは全員、英語だ。
将軍たちの衣装は中国風で、殺陣までクンフー風だ。
ミヅキはドラゴンに変身し、テングから殺人術を習ったとされるカイと戦う。
終盤の切腹場面も、こうして見るととても珍奇で、ハリウッドの妄想がいっぱいだ。
何もかもが混然一体となって、妖しく異様な輝きと変わる。
時代考証も何もあったものではない。

映画の醍醐味と言ったら、やはり愛、復讐、名誉といった普遍的な要素が不可欠だが、それらをすべて放り込んで、日本の武士道に迫ろうとする狙いが、カール・リンシュ監督にはあったと思われる。
しかし、真田広之の切れ味鋭いアクションもどうも不完全燃焼だし、妖怪のCGも安っぽいし、菊池凜子の妖艶さも、柴咲コウの凛然とした美しさも、もっとしゃきっとしまったものにならなかったのか。
日本人が見て可笑しな場面も多々あって、それこそ噴飯ものだが、この作品、全世界へ発信されているそうだから、外国人は日本の鎖国の頃はこういうものだったのだと思うに違いない(?)。

カイ役のキアヌ・リーブスの、このドラマでの位置づけもよくわからない。
何か浮いてしまっている感じがする。
姫君ミカとの関係にしても・・・。
1年の喪明けに、吉良と婚儀を挙げるという設定だって、こじつけか思いつきもいいところだ。

そしてドラマの最後は、おきまりの47RONINの切腹の場面になるわけだが、カール・リンシュ監督は、綿密な時代考証による大河ドラマではなく、よりファンタジー色の濃い映画を作るチャンスをこの作品でものにした感じだ。
吉良城などあるはずもない、城郭の建物と屋根の組み立て方も日本にはないものだし、まあ詳細に鑑賞すればするほど滅茶苦茶だ!
その滅茶苦茶を、異邦人はことさらに面白く感じるかもしれないから、皮肉だ。
それにしてもこの時代劇で、日本人俳優たちの誰もが英語のセリフでとは・・・!
いやはや・・・。

カール・リンシュ監督
アメリカ映画「47 RONIN」は、とびきりふざけた日本映画のそれも時代劇のサンプルとして、語り継がれるかもしれない。

しかしねえ、カール・リンシュ監督、これをもって日本の文化をいままでにない形で世界に見せたかった・・・とは!
全体にマンガティックで、面白いと思ってみれば面白い作品だが、評価は分かれるだろう。
馬鹿馬鹿しいと思って見ても、退屈はしない。
百聞は一見にしかず、である。

     [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点


映画「ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅~」―生きている限り人間は孤独なのだ―

2013-12-08 20:30:00 | 映画


 それは魂のありかを探し、こころの安らぎを発見する旅である。
 2008年に起きた、中国の四川大地震直後の人々のドラマだ。
 映画が製作されたのは、わずか2年後の10年で、中国の新時代気鋭のリー・ユー監督が、四川省に暮らす若い男女三人を主人公に、孤独な元京劇女優との交流を綴る。

 家族内の問題を抱えながらも、あてどない日々に、人生の意味を模索する若者たちを描いている。
 しかし、ドラマの展開はかなり荒削りだ。
でも、出演者たちの感情の揺らめきや、地震被災地の風景描写などは、結構リアルな臨場感が溢れている。
 仏教の精神性をめぐるテーマまで浮上し、神秘的なニュアンスをたたえた意外な終盤は、哲学的映画を思わせる。
 そして、中国のいまどきの‘青春’を垣間見せる。





2008年5月12日、四川省を地震が襲い壊滅的な被害をもたらした。

同じ日、四川省の省都・成都に住む引退した京劇女優ユエチン(シルヴィア・チャン)は、交通事故で息子を失くし、1年たった今も哀しみが癒えずにいた。
彼女が出した「貸間あり」を見て、3人の若者がやってきて同居を始めた。
バーで歌っているナン・フォン(ファン・ビンビン)、怪しい商売のディン・ボー(チェン・ボーリン)、そして“太っちょ(フェイ・ロン)の3人組だ。

彼らは、それぞれ家庭に不満を抱えて、家を飛び出していた。
早朝から、京劇の発声訓練をするユエチンと奔放な若者たちは、生活面でことごとくぶつかった。
相容れない世代の4人が偶然同居することになって、その4人は単なる同居人から、やがて傷ついた内面を共有する共同体のそれぞれ一員となって、変わっていく。
しかし若者たちは、、ユエチンの自殺未遂を機に、彼女の絶望の深さを知り、ユエチンを慰めようと、偶然見つけた観音山(ブッダ・マウンテン)へと誘う。
4人は観音山に向かうのだが、そこには地震で倒壊した寺があり、仏像が残酷な姿をさらしていた。
3人は瓦礫を片付け、仏像の修復作業を手伝い、僧侶の話に深く聴き入ったのだったが・・・。

若者たちの命ある躍動の前で、息子の無念を思う母親の苦悩を、シルヴィア・チャンが抑制された演技で演じてみせ、母親の気持ちはひしひしと伝わってくる。
この作品では、説明やセリフは極力省かれ、手持ちカメラで彼らにぐっと寄り添い、魂を掬い取るようにドラマは紡がれてゆく。
この終盤の場面が、彼らの再生の人生に重なる。
若者たちは、いつも楽天的でやんちゃで陽気な面も見せるが、リー・ユー監督中国映画「ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅~」で描きたかったのは、希望の見える未来志向の人間再生のドラマだ。
その意味では、上質のドラマではあるが、編集が散漫でもっと整理された方が映画としてすっきりする。
いいテーマなのに、作品が雑なのは残念だ。
東京国際映画祭では、最優秀芸術貢献賞、最優秀女優賞(ファン・ビンビン)受賞している。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ヨコハマ物語」―人々の温もりに触れながら人生の再生を夢見て―

2013-12-06 21:00:00 | 映画


全編、横浜を舞台にした物語である。
愛する妻と仕事を同時に失って人生に絶望した男が、様々な境遇の人たちと、ちょっぴり不思議な「シェアハウス」生活に、生きる希望を見出していく映画だ。

いつも、「人間再生」をテーマに映画を作り続けている喜多一郎監督が、厳しい現実と向き合う若い女性と、地域の人たちの共同生活の中で、新しくこれからの‘時’を見つめなおそうとする姿を、優しく温かな眼差しで綴った。
  
田辺良典(奥田瑛二)は、サッカー場のグリーンキーパーとして40年地道に勤め上げて、定年退職を迎えた。

その日、愛する妻(市毛良枝)が突然病気で亡くなった。
妻と仕事を同時に失って、横浜の古い一軒家にたった一人残された田辺は、ひどく落胆し、この先どう生きていったらよいものかと、自分を見失ってしまうのだった。
一方、両親を中学生の時に亡くして、施設で育った松浦七海25歳(北乃きい)は、アマチュアバンドのマネージャーをしているが、貯金ゼロ、家賃も滞納し、食うものも困る貧乏生活をしていた。
そんな時、バンドヴォーカルまでもが逃げて行ってしまった。

そんな田辺と七海の二人が、ひょんなことから知り合い、七海が田辺の家に転がり込んできた。
彼女は家に住み着いてしまい、まだ部屋が余っているのをよいことに、田辺に相談もせずに、偶然出会ったわけありの女性たちを、次々とシェアハウスのメンバーとして田辺家へ迎え入れてしまった。
5歳の息子を持つシングルマザー葵29歳(佐伯めぐみ)、不動産会社に勤め人生の挫折で落ち込んでいる麻子25歳(菜葉菜、大阪生まれの無職の女の子美実咲25歳(泉沙世子)を連れてきた。
こうして、叔父さん1人と女性4人、それに子供1人の奇妙な「シェアハウス」生活が始まったのだ・・・。

主演を務めた若手演技派の北乃きいは、日本アカデミー賞新人賞や、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞などで、鮮烈な映画デビューを果たした女性だ。
ドラマの中では、両親を亡くした逆境にもめげず、不器用でも一直線に夢を追いかける、売れないバンドマネージャーという役どころで、溌剌とした彼女の明るさ、元気な爽やかさが、存分に作品に生かされていてよい。

再生を果たす初老の男性は、俳優業35年の奥田瑛二が味わい深い演技を見せる。
変わったところでは、横浜F・マリノス㋨中澤祐二も出演している。
スクリーンには、港の見える丘公園、横浜中華街、横浜赤レンガ倉庫、日産スタヂアムなど、横浜の風景が随所に登場している。
人と人との繋がりか。とかく希薄になりがちな現代で、そのことの大切さと可能性を訴えるストーリーにも、共感できるものがある。
喜多一郎監督映画「ヨコハマ物語」では、いろいろな悩みや問題を抱えている女性たちや、妻に先立たれた男の心の内面については、さらりと描かれている程度で、それらの掘り下げはいま一歩という感じだし、あまやかなロマンの香りもないのは、ちょっぴり寂しいかも・・・。
それでも、温かな感じはとてもいい。
大きな人気作品の陰に隠れて目だたぬ作品だし、上映館の少ないのは残念だ。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「いとしきエブリデイ」―静かにリアルに描かれる普遍的な家族の愛―

2013-12-04 17:00:00 | 映画


 ごく平凡で、何も起きない毎日にこそ輝きがある。
 繰り返される毎日の時間、喜びも悲しみも切なさも、みんな時間が紡いでいく。
 マイケル・ウィンターボトム監督が、5年の歳月をかけて撮った珠玉のような作品だ。

 子供たちの、何気ないエピソードの積み重ねが事件になり、大きな幸せにつながっていく。
 そんなホームドラマだから、特別ドラマティックなものは描かれない。
 イギリスの地方に暮らす家族を主人公に、父親が服役して不在の日々の母子5人の生活を通して、家族の愛と絆をリアルに詩情を込めて、静かに描いている。








イギリスのノーフォークにある村で暮らす、ステファニー(8歳)、ロバート(6歳)、ショーン(4歳)、カトリーナ(3歳)の幼い4人兄妹は仲よしだ。

父親のイアン(ジョン・シム)は服役中で、母親のカレン(シャーリー・ヘンダーソン)が、4人の子供の面倒を見ている。
彼女は昼はスーパーマーケット、夜はパブで働いて一家の生活を支えているのだ。
そんな家族の唯一の行事は、カレンが子供たちを連れてイアンに面会するため、朝早く起きてバスと電車を乗り継ぎ、長旅で刑務所へ面会に行くことだった。

父親と会えるのは、ほんのわずかな面会時間だけだったが、子供たちとイアンとの面会を軸に、映画はカレンと子供たちのときには退屈なほどの日常をひたすら追っていく。
そして、季節はめぐり、子供たちも成長し、やがてイアンの出所する日がやってくる・・・。

両親役はプロの俳優だが、子役の4人は、素人の本当に血のつながった兄妹たちなのだ(!!)。
しかも、撮影は5年間かけて行われ、子供たちの成長に応じて、自然な演技を引き出している。
5年という時の経過とともに、実際に子供たちの成長していくさまが、画面から見て取れる。
これが素晴らしい。
ウィンター・ボトム監督は、別離の家族にもたらされ、関係性の変化や心理に焦点を当てた。
映画の中には、何も面白いことは起きない。
長い不在を超えて、家族という人間関係の絆をどう保つことができるか。

マイケル・ウィンターボトム監督イギリス映画「いとしきエブリデイ」は、決して過剰なドラマではない。
むしろ、退屈な日々を淡々と綴っている。
そこに、リアルな詩情がある。
ドキュメンタリーのようなフィクションだ。本当に!
そして、それがこうした映画になった。
作品では、父親がどんな罪を犯したかにはまったく触れず、過酷な生活にまつわる感傷も排して、一家の淡々とした日常の積み重ねに終始し、家族の寓話としてこれを手際よくまとめた。

緑あふれる草原、赤く染まった空、イギリスの牧歌的な風景が、毎日の断片とともに映し出され、さらにマイケル・ナイマンの叙情豊かな旋律が映画に深みをもたらしている。
ドラマの中で少し気になったことといえば、父親は刑務所に服役中だというのに、息子は万引きしたり、喧嘩したり、ゲームに興じたりする一方で、何と母親が不倫したりと、少々皮肉な作品だということだ。
もっとも、一家の中心にいるはずの父親が5年間も収監され、不安定な母子家庭であれば、その間成長途上の子供たちや留守を預かる母親に、予期せぬ不測の事態が起きないことの方が不思議かも知れない。
こういうケースでは、常識的に、つましく真面目に生きようとするだけでも大変なことだ。
ともあれ、家族の細やかな愛情を掬い取って、実にエモーショナルな物語だ。
ラストシーンの、温かな余韻が大きな救いである
よき映画だ。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点