徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

文学散歩「没後50年 山本周五郎展」―晩秋の神奈川近代文学館にて―

2017-11-08 16:00:00 | 日々彷徨


 芸術の秋、美術の秋、読書の秋である。
 家庭が貧しく、中学にも進学できなかった山本周五郎は、すぐ隣に住んでいた人の勧めがあって、木挽町(現・銀座7丁目)の質店きねや(山本周五郎商店)の住込み店員となった。
 大正5年、周五郎を名乗る前のまだ本名三十六の時だった。
 店主は山本周五郎と名乗り、文学を志向する周五郎を物心両面にわたって支え、周五郎もまた彼を実の父親以上に敬愛したそうだ。
 そのきねやは関東大震災で焼失、休業となり、質店の奉公を終えて独立した周五郎は、いよいよ文学で身を立てる決心をしたといわれる。

 作家山本周五郎が、今月26日(日)まで神奈川近代文学館で開かれている。
 彼は、「小説にはよき小説とよくない小説があるだけだ」という信念のもと、あらゆる賞を拒んで、読者のため「よき小説」を書くことのみ生涯を捧げた。
 「樅の樹は残った」(1959年)の毎日出版文学賞を辞退し、「青べか物語」(1961年)の文芸春秋読者賞に 選ばれて辞退しており、昭和18年直木賞も辞退している。

 作家山本周五郎展では、市井の人々のささやかな営み、それぞれの人生をひたむきに生きる姿を鮮やかに描き出している。
 彼の人間の心の動きを追求する作品は、今も世代を超えて愛されている。
 いまもテレビや映画でよく観られるではないか。
 彼は、横浜を自分の第二の故郷と呼んで愛したそうだ。
 昭和38年頃、現在はなくなった伊勢佐木町の日活シネマで、大人270円を払って映画のチケットを買う周五郎の写真がいい。

11月12日()には五代路子(女優)、11月28日()には戌井昭人(作家・俳優)両氏の朗読とトークなども予定されている。
また晩年に完成させることのできなかった、未完の「註文の婿」など、未発表作品200字詰めの原稿用紙44枚の原稿も新しく発見され、公開されている。
山本周五郎は、1930年当時看護婦をしていた土生きよえと結婚するが、彼女は戦争末期すい臓がんでこの世を去る。
二男二女がいたが、周五郎の落胆ははかり知れなかった。
その後、近所に住む吉村きんと再婚し、新たな出発をする。
このあと、一家の横浜本牧暮らしが始まったようだ。

この思慮深く、しんの強いきよえ、大らかで天真爛漫のきん、二人の良き妻に支えられて、周五郎自身の人間味あふれる作品の登場人物として反映されていくのだ。
この二人の女性の存在は、周五郎の作品に存在する大輪のようなものとなった。

「・・・いま一と言だけ申し上げます、それは・・・この世には御定法では罰することのできない罰がある、ということでございます。」(「五瓣の椿」より)
この山本周五郎展観は、彼の透徹した人間を凝視する目を培った、人生体験を知るよき機会ともなった。
             次回はアメリカ映画「ノクターナル・アニマルズ」を取り上げます。


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