徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「カフーを待ちわびて」―痛みとあたたかさと―

2009-02-28 22:00:00 | 映画

ゆるやかに時間が流れる、沖縄の小さな島の物語だ。
原田マハ原作(日本ラブストーリー大賞)を、中井庸友監督が映画化した作品だ。
ありえないと思うが、あるうる話でもある。

空の青さ、海の蒼さを見つめているだけで、心が洗われる気分だ。
この作品は、ひとつの絵馬を通して出会った男女の、静かな恋の行方を描いている。
スピリチュアルなラブストーリーとは、こうした作品を言うのだろう。

沖縄の小さな島で雑貨店を営みながら、明青(あきお)(玉山鉄二)は、愛犬・カフーとともに気ままに暮らしていた。
ある日突然、「幸」(さち)と名乗る女性から便りが届いた。
 「絵馬のことばが本当なら、私をお嫁さんにしてください」
家族のように、食事の世話をしてくれる近所のおばあミツ(瀬名波孝子)が言っていたことを、明青は思い出した。
おばあは、彼に「“カフー”来たかと?」と言って笑っている。
沖縄の古い言葉で、カフーとは「果報」「よい知らせ」を意味している。

手紙の文面を読んで思い当たるのは、少し前に友人とともに久しぶりに島を離れ、内地の神社で遊び半分に絵馬に書いたお願いごとだったのだ。
明青は、その絵馬に自分の名前と島の名を記しておいたのだ。

誰かのいたずらに違いないと思う明青だが、何やら心の隅では胸騒ぎがして、落ち着かない日々を送っていると、その女性が彼の前に現われた。
美しく、清楚で、都会の垢抜けたセンスと、庶民的な気さくをあわせ持った幸(マイコ)は、
 「今日からお世話になります」と挨拶すると、明青の家に住み着いてしまった・・・。
さあ、大変だ。

不思議で、謎だらけの女性、幸・・・。
彼女は誰なのか。
なぜ来たのか。
いつ帰るのか。
口下手な明青は、狼狽するばかりだ。
幸はすぐに島になじみ、島のほかの男たちの人気者になり、雑貨屋の看板娘になってしまう。
明青の心の中で、幸は大切な存在となっていく。
しかし、幸には明青にまだ告げていない、大きな秘密があったのだった・・・。

心に痛みをもつ女性と、素朴な島の青年との間に、通い合うものがあった。
それは、青春のあたたかな未来の予感だ。
はたから見ていると、一見彼らは不器用だ。
若い人にとっては、こういう作品が胸にキュンとくるのではないだろうか。

中井庸友監督カフーを待ちわびては、ゆっくり流れる時間を背景に、少し退屈な場面もある。
特別激しいドラマがあるわけではない。
変化をのぞまない日々だってある・・・。
大きな社会の動きへの抵抗とか、大事にするものへの一途な思いのようなものが伝わってくる。
周囲に流されずに生きる人たちの「生き様」は、共感できないものではない。
上映時間2時間は、少し長すぎるようだ。
あなたが幸せなら、私は幸せです・・・。


平山郁夫展―鎌倉芸術館にて―

2009-02-26 16:00:00 | 日々彷徨
春とは名のみの寒い日であった。
鎌倉女子大学である講義を受講しての帰り道、芸術館に立ち寄った。
鎌倉市名誉市民を記念して、「平山郁夫の、今」を紹介する、「平山郁夫展」が開かれていた。
題して、「東西文化交流の道 シルクロードの旅」・・・。

45年に広島で被爆してから、平山さんは、自身の制作活動と平和活動に大きな影響を受けた人だ。
仏教に主題と表現の可能性を見出して、アジアに仏教伝来の源流を訪ねる、シルクロードの旅は130余回を超える。

若い頃からの、日本文化とはなにか、日本美術とはなにかを求める精神は、時とともに『仏教伝来』が、日本画家平山さんの生涯の主題となっていったようだ。
「パルミラ遺跡を行く・夜」「楼蘭遺跡を行く・月」をはじめ、49点の作品を展示し、紹介している。
壁面いっぱいに、大作が並んでいる。
見応えのある、傑作揃いで、来館者が次から次へと訪れ、名画を鑑賞していた。

「平山郁夫展」は、今月24日(火)から3月10日(火)まで開催されている。
鎌倉市での、こうした本確的な個展ははじめてのことだそうだ。
入場無料なのもうれしい。

アカデミー賞―日本映画ダブル受賞!!―

2009-02-24 11:00:00 | 映画

酔っ払い大臣の映像が延々と続き、うんざりしているときに、素晴らしい朗報と映像が飛び込んできた。
  第81回アメリカ・アカデミー賞 で、滝田洋二郎監督の「おくりびと」が外国映画賞、加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が短編アニメーション賞を、それぞれ受賞した。
邦画二作品の受賞という快挙である。
とりわけ、外国映画賞(56年創設)は、日本映画では初めてだ。
春から、縁起のいい話だ。

これまで幾度かノミネートはされていたが、まさかの受賞で関係者の喜びもひとしおだ。
映画「おくりびと」は、人の心にいやしをもたらす、柔らかい「和」の精神が多くの人たちの共感を呼んだ趣がある。
本命は、イスラエル映画だったようだが、今回逆転受賞となった。
日本映画も12度目の正直で、質量ともに世界に認められたことになる。
心を打つ作品は、国境を超える。

アカデミー賞作品賞で本命視された「ベンジャミン・バトン」は13部門にノミネートされていたが、賞を逸した。
夫婦受賞なるかで注目された、ブラッド・ピッドアンジェリーナ・ジョリーは終始華やいだ雰囲気が会場では印象的だったが、作品賞、監督賞に輝いたのはインドの作品で、「スラムドッグ$ミリオネラ」だった。
出演俳優も、世界的に無名の作品で、異例の番狂わせとなった。
ただこの作品は、宗教問題や、経済成長の暗部をとらえて、貧困を誇張して描いているとして、賞賛の一方で公開中止の動きもあるなど、インドでは批判の嵐も高まりつつあるようだ。

個人的には、助演女優賞を受賞した、「地中海」の華・スペインのペネロペ・クルスに注目していた。
「ボルベール」「エレジー」の二作(二作とも主演)しか観ていないが、ともに性格の異なる作品で好演していて、外国人女優としての受賞にも納得がいく。
今回の対象作品「それでも恋するバルセロナ」は観ていないので、機会があれば観てみたい。

フィナンシャル・タイムズ(goo ニュース)は、
 「映画ファンがみんなそろって、お祭り騒ぎをする季節がやってきた。
 毎年2月末になると、ロサンゼルスという王国に人々が集まって、金メッキの男性裸体像を手にしようと競い合うの
 だ」と、面白いことを言っている。

話がそれたが、「おくりびと」は当初65作品の中から、ノミネートされた作品だ。
そこから選ばれし一作となれば、嬉しいではないか。
しかも、いまでもロングランを続けている。
笑ってしまったのは、映画を観ていなかったテレビの司会アナが、受賞を知って慌てて作品を観てきて、「おくりびと」のスタッフにインタビューしていたことだ。
日本映画も、どうして捨てたものではない。
アカデミー賞受賞は、日本映画のNEW DEPARTURE(新しい旅立ち)だ。
もう一度言います。
いやぁ、春から、縁起のいい話ではありませんか。


恥も外聞も―ゴックンして、‘もうろう’大臣―

2009-02-23 10:00:00 | 寸評
やってくれちゃいました。
酔っ払い大臣が、まことにみっともない形で辞任に追い込まれた。
ローマG7に随行したのは、財務省事務方のナンバー2の財務官、国際局長、局次長、国際機構課長らの面々だ。
こともあろうに、酒癖が心配されていた中川前財務相に、ワインを‘ゴックン’させたのは国際局長だというではないか。
大事な国際会議を直前にひかえて、飲むほうも飲むほうだし、飲ませるほうも飲ませるほうだ。

記者会見の前に、日ロ会談が行われたそうだ。
このときから、すでに中川前大臣はもうろうとした受け答えをしていたことが分かった。
ロシアの外交官は、頭のスイッチが切れているようだと語っている。
これで、会見の直前まで正常だったという、そんな責任逃れは通用しない。
財務官僚の、危機管理も問題だ。
同行、同席していて、注意も何もしていなかったのか。
あの状態を異常と思わないほど、周辺は中川前大臣の泥酔を目撃し続けていたことになる。
見て、見ぬふりか。
そのことも問題だが、いやそれよりも、前大臣の政治家としての資質も当然問題だが・・・。

さらに言えば、新聞やテレビの記者たちは知っていて知らぬふりをしていたのだ。
特定の番記者ともなると、親しい閣僚や政治家の都合の悪い記事は書かないものなのだから・・・。
よくないことだが、新聞はしばしば政府寄りだ。
政治記事を、何だこれでは政府の広報ではないかと思ったこともある。
その実体はかなりひどいものだと、現役記者の話もきいたことがある。
拱手傍観でどうするか。困ったものだ。

引責辞任した前大臣が、会見の15分後には、今度はバチカン博物館の観光に出かけ、ひと騒動があった。
そこで、触ってはならない貴重な美術品に素手であれこれ触ったり、立ち入り禁止の場所にまでずかずか入っていって、警報が鳴ったというのだ。
一体、何をしているのか。

本来、礼儀正しい国民として知られているのに、このことで日本は大きな恥を海外にさらしてしまった。
今でも連日のように、酩酊大臣の素顔をこれでもかこれでもかと、マスコミが流し続けている。
こちらも、いい加減にしてほしいものだ。
もう、うんざりだ。
こんな醜態は、未曾有のことだろう。
本人も、テレビに映った自分を見て、辞任を決意したそうだが、それも当然だろう。

中川前大臣の辞任前夜、自宅の前に報道陣が集まっていた。
このとき、テレビの音声に飛び込んできたのは、「ガンバレー、日本一!」という大声援だった。
え~っ、何のことはない、その声の主は前大臣の夫人だった。
これも驚きだ。
まあ、次から次へといろいろなことが起きるもので・・・。
呆れて、もう言葉がないとはこのことだ。

それにしても、毎日毎日いつまでも、こんな醜態を垂れ流している大マスコミは何を考えているのだろう。
これが、そんなに面白いことなのか。
ほかに、することはないのだろうか。

映画「チェンジリング」―突然、消えたわが子―

2009-02-21 11:00:00 | 映画

クリント・イーストウッド監督のアメリカ映画だ。
なかなかよく出来ている。
「チェンジリング」というのは、「取り換えられた子供」の意味で、本当にあった事件をもとにした作品である。
物語は、冒頭から目の離せない、ミステリアスな展開で、これが結構楽しませてくれる。

アメリカ・ロサンゼルス、1928年・・・。
ある日突然、シングルマザーのクリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)の息子ウォルター(ガトリン・グリフィス)が姿を消した。
5ヵ月後、イリノイ州で発見され、警察が連れて来た少年は別人であった。
少年は息子だと名乗り、人違いだと訴えるクリスティンの声を、警察は全く聞き入れようとはしなかった。
息子のウォルターに、一体何があったのか。

クリスティンは、かたくなに人違いを認めようとしない警察に、執拗にウォルターを捜してくれるように願い出る。
しかし、警察は逆にクリスティンを批難し、あげくの果てに、彼女を精神異常の危険人物とみなす始末だ。
彼女は、外部に助けを求める暇も与えられずに、ロサンゼルス病院の精神病棟に放り込まれてしまった。
そこでは、別の試練がクリスティンを待ち受けていた・・・。

ロサンゼルス近郊の農場で、複数の子供の死体が発見されるという事件が発生した。
逃亡中の農場主ゴードン(ジェイソン・バトラー・ハーナー)に命じられて、従弟(エディ・オルダーソンが、20人あまりの少年の誘拐殺人を手伝ったというのだ。
従弟の証言によって、被害者のひとりがウォルターである可能性が出てきたのだ。
息子を、取り戻せるものなら取り戻したいと、そのための闘いを続ける決意をするクリスティンだったが、失踪事件発生から七年という長い歳月の果てに、彼女は驚愕の真実を知ることになる・・・。

クリント・イーストウッド監督による、このアメリカ映画「チェンジリングは、母親クリスティンの見た、まさに暗く怖ろしい、衝撃的な悪夢なのだ。
実話の持つ重み、ヒロインが体現する母の愛の強さが、パワフルなトゥルー・ストーリーとなった。
アメリカ史の片隅に埋もれていた事件を、丹念に練り上げている。
ただし、子供をターゲットにした、連続誘拐殺人犯についての掘り下げは浅い。
何が、彼をこうした犯罪に駆り立てたのか。
絞首刑の場面は詳しく描かれているのに、そのあたりの犯人像の描き方は物足りない。

映画の中で描かれる、暴力と汚職の温床と化した警察の腐敗とは、当時こんなにもひどかったのだろうか。
1920年代のロサンゼルスは、その町並みをよくここまで再現できたものだと思った。
この作品は、本年度のゴールデングローブ賞、アカデミー賞ノミネートされている。

ヒロインを演じるアンジェリーナ・ジョリーだが、私生活では6人の子供(うち3人は養子)を育てるたくましい母親であり、自ら国連難民高等弁務官事務所の親善大使として、パキスタン、カンボジア、タイなど20以上の国を訪れ、危険をも顧みず、難民救済活動にも力を注ぐ、立派なスーパー女優だ。
難民救済は、彼女の女優以外のもうひとつの‘天職’とまで言われ、05年には世界人道活動賞まで受賞している。
この人、女優であり、母であり、親善大使という、幾つもの顔を持つ<<慈愛の女神>>と言ってもいい。
偉い女性ですねえ。
最近では、引退願望も飛び出すほど母親業に熱心だそうで、何と7人目の養子まで考えていると噂されている。
そういう彼女の次回作の役どころは、18世紀のロシアの女帝エカテリーナ2世だそうである。 


映画「ディファイアンス」―生きるための反撃―

2009-02-19 17:00:00 | 映画

それは、人間として生きるための抵抗(ディファイナンス)であった。
ナチス・ドイツ占領下、1200人の命を救ったユダヤ人兄弟がいた。

100年に一度と言われる。経済危機にいかに立ち向かうか。
いま、確固たるリーダー不在の社会が抱える、不安や危機感が叫ばれている。
リーダーの資質を解く鍵が、見つかるかも知れない。

エドワード・ズウィック監督のこのアメリカ映画は、第二次世界大戦中の史実から、ユダヤの知られざる英雄を見つけ出し、その壮絶な抵抗の人生を活写した。
長年、ナチスに迫害された歴史を持つユダヤ人は、これまで映画では悲劇のヒーローだった。
この作品では、そうした既成の概念を払拭するような、ヒーロー像が描かれている。
実在の人物に焦点をあてた、レジスタンス映画だ。
ユダヤ人がユダヤ人を救うという、知られざる実話が存在した・・・。

1941年、ドイツ軍のユダヤ人狩りは、ポーランドの小さな田舎町にまで迫っていた。
両親を殺されたユダヤ人兄弟、トゥヴィア(ダニエル・グレイグ)ズシュ(リーヴ・シュレイバーアザエル(ジェイミー・ベル)は、まだ幼い末弟のアーロン(ジョージ・マッケイを連れて、森の中に逃げ込んだ。
そこへ、同じように森を逃げまどっていたユダヤ人が次々と合流した。
気がつくと、数十人の共同体となっていた。
その数は、続々と増えていった。

隠れ処の森の中で、仲間の喪失、空腹、不安を抱え、同胞の間でもいざこざが起き始める。
指導者となったトゥヴィアは、高らかに言う。
 「生き残ることが復讐だ。生きようとして命を失うなら、それは人間らしい生き方だ」
森の中の平穏な日々は、しかし常に危険にさらされていた。
たびたび、ドイツ軍の銃撃戦があった。
ユダヤ人たちは武器を持ち、料理を作り、裁縫や銃の訓練など、それぞれに職を持った。
彼らはパルチザンを名乗り、ドイツ軍への攻撃を繰り返すようになった。

寒く、厳しい冬もあった。
食べるものがなく、何日も食べられない日々が続いた。
寒さと飢えに、同胞たちは耐え切れなくなり、トゥヴィアの指導力を疑い始めた。
彼は、10人のドイツ兵を殺すより、1人でもユダヤ人の老婆を救うことに重きを置いた。
苦悩と葛藤を秘めた、指導者の姿だった。

しかし・・・。
彼らの周囲はすべて敵に取り囲まれていたから、ユートピア的な共同体の実現はきわめて困難な状態であった。
敵は、ナチス・ドイツや地元警察だけでなく、ポーランド人のパルチザンもロシア人のパルチザンもいて、食料のトラブルは絶えなかった。

3年間にわたって、迫害、食糧難、ドイツ軍との戦いの中、人間らしく生きることを心に決め、極限状態で生きたベラルーシの森の戦い・・・。
・・・そして、終戦の1944年7月、1200人のユダヤ人が生きていたのだ!
3年間の森での厳しい生活にも、様々な出会いがあり、抵抗の日々の中から愛が生まれた。
トゥヴィアは、ひとりの美しい女性リルカ(アレクサ・ダヴァロス)とめぐり逢い、この世を去るまで添い遂げる。
そして、弟のアザエルは、森の中で美しい結婚式をあげた。
兄弟の愛と、男女の愛が交錯し、力強く、華やいだ彩りを添える。

エドワード・ズウィック監督の、アメリカ映画「ディファイアンスは実にリアリスティックだ。
何も美化しない。
無抵抗のドイツ人捕虜を、ユダヤ人たちが集団で惨殺するシーンは、目を背けたくなるくらい残酷だ。
生き残るためには、殺される前に殺さなければならない。
それほど残酷な時代だったのだ。
四方を敵に囲まれ、食料も乏しい極限状態の中で、集団が分裂する危機をはらみながら、そのたびにビエルスキ兄弟(トゥヴィア、ズシュ、アザエル)は、断固とした苛烈な手段を使ってでも、問題を解決していった。
彼らを「怪物」と言って、批難した同胞もいた。
しかし、それでも彼らによって、1200人ものユダヤ人の生命が救われたのは、紛れもない事実である。

この作品は、人種、国籍、文化、すべての国境を越える、兄弟の話だ。
第二次世界大戦中のユダヤ人のレジスタンス運動は、様々な形で存在し、2万人から3万人のユダヤ人がパルチザンだったと言われる。
多くのパルチザンが、ドイツとの戦いを主目的としていたのに対して、ピエルスキの率いるグループは、ユダヤ人の命を救うlことを第一義としていた。
そのため、彼らにとっては毎日が戦いだった。

ユダヤ人救出劇の驚くべき立役者となったのは、レジスタンス組織の指揮をとったトゥヴィア・ピルスキで、彼こそは真の英雄だったとも言われる。
そして、それは今でも世代を超えて、兄弟の武勇伝として語り継がれているようだ。
二十世紀の神話を思わせるような、圧倒的なリアリティで迫ってくる感動作である。
ダニエル・グレイグの演技が、とくに素晴らしい。


映画「ロルナの祈り」―偽りの結婚、愛の深遠―

2009-02-17 23:00:00 | 映画
この愛だけを、私は信じる。
偽りの結婚から愛が生まれた時、彼は消えた。
愛することは、祈ることだろうか。
愛の祈りは、奇跡の旋律となりうるだろうか・・・。

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督による、ベルギー・フランス・イタリア合作映画だ。
2008年、カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞に輝く。
ダルデンヌ兄弟というと、カンヌ映画祭とはゆかりが深く、二度もパルムドール賞を受賞している。
この作品は、繊細で深遠なドラマだが、観客が、思わずたじろぐような場面も多々あって、想像力が必要だ。
生まれるはずのなかった愛、そして新しく生まれる愛を、ヒロインの沈黙と静寂が物語る・・・。

ベルギーでの幸福な暮らしを夢見て、ロルナ(アルタ・ドブロシ)はアルバニアからやってきた。
この地で国籍を得るために、タクシー運転手で、ブローカーのファビオ(ファブリツィオ・ロンジョーネの手引きで、ベルギー人のクローディ(ジェレミー・レニエ)と、偽りの結婚をする。
クローディは、麻薬中毒者だった。
孤独なクローディは、麻薬に毒され、偽りの結婚でも、ロルナを慕い、彼女を希望の光と信じ、麻薬を断とうとしていた。

ロルナは、やがてクローディを助けたいと願うようになるが、彼女には決して彼には知られてはならない秘密があった。
ブローカーのファビオは、ロルナを使って、いかがわしい国籍売買の商売をしようとしていた。
ロルナが国籍を取ったら、彼女を‘未亡人’にして、国籍を欲しがっているロシア人と結婚させるのだ。
クローディは、この計画にぴったりの道具だった。
ロルナも、最初は同郷の恋人ソコル(アルバン・ウカイ)と、バーを開くという夢をかなえるためならば、クローディの命を犠牲にすることを受け入れていた。
しかし、自分だけを頼りにしていたクローディと暮らすうちに、自分の夢と罪の意識の間で、悩み始めていた。

クローディは自ら入院することを決意し、ロルナに手助けを求める。
病院から帰ろうとするロルナに、「そばにいてくれ」と言って、すがりつくクローディ・・・。
だが、一度は堰を切ったように激しく愛し合う二人だったが、ロルナとクローディを包む幸福の空気は、一瞬にして消え去ってしまった。

・・・そして、或る日突然、クローディが消えてしまった。
彼の持ち物を処分し、遺体安置所にきれいな服を届けに行き、最後の別れをする。
ロルナの傷心をよそに、ファビオは、ロルナを騙して計画を実行したのだった。
ロルナは、後悔と悲しみのあまり、その場に泣き崩れた・・・。

物語は、ところどころでサスペンスフルな展開を見せる。
ファビオらの計画を無にしたロルナは、今度は自分が殺されるのを怖れて、森の中に逃げ込むラストの展開・・・、その静謐の、何という狂気にも似た気配に満ちていることか。

ダルデンヌ兄弟は、鋭い感覚で抉り取った映像と、最小限に抑えられた言葉だけで、すべてを過不足なく表現しようとしているかのようだ。
無駄がないといえば、無駄がない。
贅肉を、完璧なまでにそぎ落とした、筋肉質の抒情詩みたいに・・・。

人間性を失わせる、多くのまやかしの背後で、ロルナから同情と愛情を手に入れる、クローディの姿も感動的だ。
そしてとくに、二人の間に生きた感情が生まれる、刹那のシーンは印象に残るところだ。

ドラマで扱われている偽装結婚は、不法移民とブローカーの暗躍する、中・東欧諸国が苦悩する問題だ。
この現象は、日本とて例外ではない。
不法移民をターゲットに、それに関わる犯罪者は、世界中で、この日本でも増え続けている。

コソボ出身の主演女優アルタ・ドブロシは、この映画のために、2ヶ月でフランス語をマスターしたそうで、最後まで自然体の演技は感じよかった。
カメラを常に少し引いた位置で、登場人物の日常行動を追うところも、実に丁寧だ。

映画「ロルナの祈りは、ドラマの構成で省略の多いのが、どうも気になるところだが、よく言えば極限にまで余分な(?)描写を削った、展開の妙というべきか。
いや、こんな言い方は、いささか苦しいか。
この作品は、ある意味では贖罪のラブストーリーである。
この監督は、これまで一切音楽を使わないことで有名だったそうだ。
その兄弟が、映画のラスト、エンドロールで音楽を使った。
ベートーヴェン最後の、ピアノソナタ第32番ハ短調第2楽章アリエッタ・・・。
それは、ロルナのひとしずくの涙のようであった。

とんだ茶番劇!!―政治家の発言―

2009-02-15 17:00:00 | 雑感

「怒るよりも笑っちゃうくらい。ただただ呆れている」
小泉元総理の、麻生総理斬りともとれる辛辣な批判が噴き出した。
もとはと言えば、小泉元総理は、格差社会、派遣問題、郵政民営化の数多くの負の遺産といい、その市場原理主義に異論なしとは言えない。
日本の経済と国民が泣いている、現実がある。

政治家がマスコミの前で話す言葉というのは、何らかの意図が隠されていると見るのが筋というものだ。
郵政選挙の反省さえあいまいなままで、‘小泉劇場’の残像にとらわれてはいけない。
彼の、麻生批判の真意はどこにあるのだろうか。
麻生総理の愚かさ加減に、叱咤激励だととる向きもあるが、倒閣運動といわれる筋のものではないだろう。
それは、単に自民党イコール麻生ではないというメッセージだ。

引退を表明した小泉元総理が、再び表舞台に出てきて、本気で麻生降ろしをしかけようなどとは思っていないだろうし、国民の生活なんてこれっぽっちも考えているとは思えない。

そもそも、麻生総理は小泉政権下で、政調会長、総務相をやって、首相候補に浮上した人だ。
そうして見ると、もともと小泉元総理には人を観る目がなかったのではないかとも思える。

いまさら、小泉劇場に踊らされることもないだろう。
所詮は、茶番劇だ。
言葉では、何とでも言える。
自分のことを棚に上げて、「政治家は、言葉が命」だとも・・・。
そして、「総理の言葉は重い」とも・・・。
聞いて呆れるとは、このことだ。
政治家の言葉なんて、偉そうなことを言っても、みんな似たり寄ったりではないか。
何という空疎な弁舌・・・。
いま、自民政権への国民の怒り、失望がどんなに大きいか。
地域経済は破綻し、政界の脇役でしかなかった麻生総理を、政権内で重用していたのではなかったか。
本人がつけ上がっている(!?)のは、小泉元総理の責任だと言う声さえあるのだ。

突然出てきたことで、国民の多くが驚いた。
こんなパフォーマンスに、一喜一憂している場合ではない。
マスコミも、やや騒ぎすぎなのだ。
どのみち猿芝居(!?)ではないか。

もちろん、麻生総理の妄言、失言は誰もが看過できないことだ。
変人奇人と名指しまでされては、聞き捨てにならぬということだろうか。
小泉元総理の国会議事録をひもとけば、ずいぶんいい加減な詭弁やら、安全保障に関する滅茶苦茶な憲法解釈まで、とにかく枚挙にいとまがない。
国語学者が呆れていたではないか。
どっちもどっちですよねえ。
とても、人のことを言えたものではない。

麻生総理、執行部の方針に、若手議員が何か意見を言おうものなら、「後ろから撃つな」と言って、執行部は押さえ込もうとするが、むしろ逆で、それは確かに戦おうとする人たちを、麻生総理自身が真正面から鉄砲で撃っているのではないか・・・。

郵政民営化についての、麻生総理の迷走発言に続く今度の小泉発言で、政府与党内は撹乱され、総理の党内での求心力は、限りなくゼロに近づいたことだけは確かなようだ。
・・・もう本当に、自民党瓦解の日が近いかも知れない・・・。
まだ、寒い日が戻ってきそうだが、本格的な春もそう遠くはなさそうだ。

・・・と、ここまで書いてきたところに、衝撃的なニュースが飛びこんできた。
あるテレビ局の終末直近の世論調査で、麻生内閣の支持率が何ととうとう9.7%と一桁まで落ち込んだ。
これは、驚くべき、末期的な数字だ。
この上は、麻生総理は退陣して、一刻も早く解散、総選挙で民意を問うべきだ。


たばこの煙―受動喫煙防止条例―

2009-02-13 17:00:00 | 雑感

  ・・・お父さん、疲れて帰ってくる。
    上着のポケットからたばこを取り出し、ライターで火をつける。
    お母さん、とんでくる。
     「あなた!」
    お父さん、慌てて立ち上がる。
    灰皿をかかえて、ベランダへ。
    幼い子供が、とんでくる。
     「ママ、パパは?」
     「あっちよ」・・・

神奈川県で、懸案だったパチンコ店や小規模飲食店の、適用除外とした条例素案の修正案なるものが出たばかりだ。
先月、このことについて議論する、タウンミーティングが開かれた。
この席で、全面禁止を導入しているレストランの取締役が、
 「売り上げは何の影響もない」など、条例を後押しする意見が続いた。
ある小児科医は、
 「子供の近くでの喫煙は、虐待と同じだ」と、制定に賛同する意見を述べた。

しかし、条例について断固反対を唱える意見もあり、景気が悪いのに分煙への投資を求める悪法だと批判もあった。
それでも、条例を評価する意見の方が大半を占めた。
ただ、最終目標である「禁煙」にいたる道筋は、まだまだ難しいようだ。
 「人にとって、一番大切なものは健康だ」
そういう当たり前の認識が広まって、世の中が、徐々に禁煙に向かっていくのが望ましいのかも知れない。

慶応大学の調査でも、屋内の全ての店舗(飲食店、パチンコ店を含む)を完全禁煙とすることについては、75.5%が賛成なのだ!
また、製薬会社ファイザーの調査では、
 「飲食店には、全面禁煙を含めて、さらなる受動喫煙対策が求められる」としている。
たばこの煙で不快な思いをしたことのある人は、全体の67%、非喫煙者だけでは88%、喫煙者だけでも47%が経験している。
不快な思いをした人の8割は、禁煙席を選んだのに、たばこの煙が流れてきてとても嫌な思いをしたと回答している。

分煙というけれど、店の分煙対策が徹底されていないから、そのことに不満を感じる人が多い。
さらに、その店を今後「利用したい」とまで答えた人は6割以上もいる。
飲食店での禁煙を法制化することについては、非喫煙者の76%。喫煙者の27%が、「賛成」と回答しているそうだ。
このことは、注目すべき結果だ。

禁煙対策がとられていないと、不快に感じる飲食店は、複数回答で「高級レストラン」が76%で最も多く、次いで「ファミリーレストラン」の64%、「カフェ、喫茶店」の58%だった。

受動喫煙については、考えなくてはいけない問題が多い。
喫煙席のたばこの煙は、その天井の部分に拡散する。
それは、空調によって混ぜられて、禁煙席にだって流れてくるからだ。
だから、確実に利用客の健康を守ろうとするなら、やはり店内を全面禁煙にするしかない。

当面、飲食店や宿泊施設、娯楽施設などは、禁煙か分煙を求めていくことになるだろう。
松沢知事は、県民の健康を守ることは、県行政の役割だと言っている。
県が率先してこの問題と取り組んでいくことで、日本をリードしたいとも述べている。
ただ、一部除外の努力規定はいかにも弱い。
反対派を考慮したとはいえ、骨抜きと思われても仕方がない。
2月の県議会で、条例案はどういう決着を見るだろうか。
後押しを惜しまない推進派が増えていることも事実で、成り行きを見守りたい。


 *** この場を借りて、ひとことお礼を ***
ホームコンじゅく大船教室の、いつも元気なお嬢様方(!)から、心のこもったバレンタイン・チョコ(それも4点セット、いや正確には5点セットの福袋のような!)を頂きました。
中身は、チョコだけではなく、いろいろあって、感謝です。はい。
有難うございました。
今日は春一番が吹き荒れましたが、風邪が猛威をふるっています。
仲好し三人組のみなさま、くれぐれもお気をつけ下さい。


ボロ儲け!!―漢字検定協会―

2009-02-11 14:00:00 | 雑感
世をあげて、漢字ブームである。
漢字は、日本文化の礎だ。
まあ、そのことは大いに結構なことで・・・。
このブームに便乗して、ボロ儲けをしたのは誰だ?

文科省が、ようやく「日本漢字能力検定協会」の実態調査に重い腰を上げた。
協会は、理事長らのファミリー企業に、この三年間に70億円近い業務委託費を支出していたことがわかった。
これらの支出の全容を、協会は文科省に報告もせず、指摘を受けるたびに修正だけを繰り返していた。
協会の理事長親子は、漢検協会の資産を、自分たちで好き勝手に使いまくっていたのだ。
とんだ公私混同だ。

漢字検定の受検者が270万人ということは、「英検」をも上回る数字だそうだ。
そんな人気に、うまく便乗したのだ。
検定で儲けたなら、検定料の値下げで返すのが筋というものだ。
これでは公益ではなく、私益の太りすぎというものだ。
毎年、年の瀬になると、京都・清水寺で「今年の漢字」を披露している。
あの字を書いている清水寺の貫主も、協会理事のひとりだ。

京都・天龍寺の墓園に、供養塔まで建てて、しかもその区画内には理事長家の墓もあるというではないか。
文科省は、外部から指摘されるまで、それさえ把握していなかったのだ。
問題ではないか。

巨額の利益計上、不透明な取引、実際には協会職員に業務をさせていながら、理事長らが経営する企業に業務を委託していたというが、そんな会社は経営実態もなく、登記簿上の所在地にも存在していなかった。
まことに、おかしな話ではないか。

協会の理事には、すごい肩書きが並んでいる。
ざっと見ただけでも、元国連事務次長、日本芸術院顧問、京大名誉教授、名古屋外語大学長、清水寺貫主ら、そして過去にさかのぼれば、京大や東大の名誉教授、国立国語研究所所長ら、学会のそうそうたる重鎮が名を連ねている。
一体、彼らはこの協会で何をしていたのか。
実体をどこまで知っていたのだろうか。
揃いも揃って、理事長らの暴走を腕をこまねいてただ見ていたのだろうか。

文科省の姿勢だっておかしい。
これまで事業報告書を精査してきたし、三年に一回程度の立ち入り検査をしてきたというが、これとてずいぶん手ぬるくはないか。
立ち入り検査の際には、その都度検定料などの引き下げについても指導をしてきたというのだが・・・。
それなのに、何も改善されなかったのか。
やってきたことがこの結果では、やっていないのと同じだ。
文科省は、どこに目があるのか。
何ら、実効性のある対応が、なされていなかったということではないか。

協会も協会なら、文科省も文科省だ。
単なる広告塔の、名義だけの理事や評議員では何の役にも立たない。
これでは、この協会が私益法人と言われても仕方がない。
適切な指導がなされていて、実効がなければ、文科省は解散命令だって出せるはずだ。
私利私欲のために、公益法人たるものがこのような不透明な事業を行っていたとは、それだけでゆゆしい事態だし、あくまでも利潤を追求する一般の企業とは違うからこそ、問題なのだ。

この漢字検定の成績を、入試の試験点数に加算している高校の多いことには驚いた。
つまり、もちろん漢字能力は、それなりに評価されているというわけだ。
・・・ということは、こんなことになってくると、漢検で合格し、資格を取得しても、これからは何だかあまり大きく胸を張って言えなくなるということも・・・。
また、漢字検定協会が、こうした不透明な取引を指摘された問題では、出版大手の講談社社長が、協会の評議員を辞退する意向を明らかにしている。
むべなるかな。
波紋は、まだまだ広がりそうだ。